はてなキーワード: コマーシャリズムとは
今回の東京五輪では開会式も閉会式もはてなでやたら評判が悪いけれど。
本来、五輪で見せるべきは、人間の限界に挑むアスリートの姿であって、本来、開会式だの閉会式だのは付随したセレモニーに過ぎないはずである。
サッカーやラグビーのワールドカップやら世界陸上やらウインブルドンやらで、開会式それ自体を楽しみに待ってる人は、そんなにいないだろう。
なぜか五輪だけは、開催国がアイデアを尽くしたショーをみせるのが当然のようになってるけど、それこそ国威発揚とコマーシャリズムとテレビ放映権料ビジネスが結びついた、異様な見世物の行き着いた地点ではないのか。
聖火リレーも含めた壮麗なページェントとしての開会式のルーツがナチスドイツ政権下で開かれたベルリン・オリンピックにあることを、みんなもう少し思い出した方が良いと思う。
本来、開会式なんて選手が集まって開会宣言と選手宣誓やって、あとは花火上げて景気づけにブルーインパルスでも飛ばしておいたらそれでいいんのかもしれない。いや、それが本来だろうという気もする。
はてぶみてて興味深いのは、わりと今回の五輪開催自体に批判的な人が、こと開会式に限ってはダサかっただのmikiko案がみたかった電通が中抜しやがってバカヤロー的な方向で批判してる例が散見されること。
五輪は嫌いだけど、アイデアを尽くした面白いショーは見たかったということか。
五輪におけるアスリートの活躍が“お菓子本体”だとするならば、開・閉会式なんておまけのオモチャじゃないのか?と思うのだが。
オウフwww
おっとっとwww拙者「言いました!?」などとついプリキュア用語がwww
ドプフォwww
ついマニアックな考察が出てしまいましたwwwいや失敬失敬www
まあ『まどか☆マギカ』へのカウンター・アンチテーゼとしての『プリンセスプリキュア』は純粋によく書けてるなと賞賛できますがwww
私みたいに一歩引いた見方をするとですねwww
ポスト魔法少女のメタファーと戦隊物のコマーシャリズムを引き継いだフォーマットとしてのですねwww
『アラモード』の幼児吸着性はアンパンマンでも見られる概念形成の発達がですねwwww
フォカヌポウwww
拙者これではまるで"ひまり"みたいwww
拙者は"やよい"でもござらんのでwwwコポォ
昨日、数年ぶりに光麺に行った。
結構人が並んでいたので、味は落ちてないかなと思って入ったんだけど、
実際に入ってみて愕然としました。
味がどうこう以前に、内装のあり得なさに。
あのですね、カウンターの前に10インチぐらいのモニターが付いてるんです。
カウンターの前ですよ?
よくある「中華料理屋の店の隅にテレビ」みたいなのじゃなくて目の前。まん前。
どんぶり置いたら、その10センチの先に10インチのテレビモニター。
いやいや、ちょっと待ってほしい。
こんなの置かれたら、見ないという選択肢を取るのが難しい。
しかも垂れ流されているのはカウントダウンTVみたいな、
どうでもいいミュージッククリップと光麺の店舗紹介。音もうるさい。
いやいや、俺にはそんな情報全く必要ないから。
なんで流行ってるものは誰にでも受け入れられるものだと思ってるんだ。
全体の数%しか興味が無くて購買に結びついてなくても
ランキング1位というのは普通にあり得る。ランキングとはそういうもの。
つまり、ウケているけど、9割以上の人間にはどうでもいい情報というのは
普通にあり得る。どうでもいいものを押し付ける、そういうアホみたいな
マーケティングしかしないからマスメディアや広告はダメになったんじゃないのか。
それに、他の店舗の紹介がしたいんなら、ナプキンのところにでも
俺、そういうのよく手に取る人だから。
いくら入るのかしらんが、固定客がもう一杯食べにきてくれたほうが
利益率高いでしょ? 帳簿しかみてないから失うものの大きさが分からないんだよ。
…いやいや、そういうツッコミをしたいわけじゃない。
そもそも、俺はラーメン食いに来てるんだし、連れもいる。
純粋に嫁さんとラーメンについてああだこうだ言いながら楽しみたいだけなんだ。
久しぶりにあんたのところのラーメンを味わいに来たんだよ。
よくあんたのところで食ってた学生時代でも思い出しながら。
だいたい、モニターみてたらそっちに神経が行って、味に注意が行かないじゃないか。
あんたは親に食事中にテレビばっか見んな、って怒られたことがないのか?
マスコミや広告代理店とかにはそんなに不信感を抱いてないので、
「なんでそんなに怒るのかわかんない」みたいな反応されて、
俺がなんか神経質野郎な感じになってしまった。
俺はもうあまりの不愉快さに、席についてすぐメニューでモニターを
塞いでバカヤロー、みたいなノリになったのだけど、周りをみると
割と普通にラーメン食ってたりしてたので、受け入れられてるのかもしれない。
ただ、みんな連れで来てるのに会話は少なかったけどね。
まあ10センチ前でモニターがアホみたいな音楽鳴らしてたら会話もできないわ。
人のアテンションに入るときには「失礼します」と言って入る、
あの思い遣りはどこに行ってしまったんだろう。
私が関心あることはあなたには関心がないかもしれない、
私が必要だと思うことはあなたには必要ないかもしれない、と思える
人間としての配慮はどこに行ってしまったんだろう。
全盛の頃はどこもかしこもあの下品な音が鳴り響いていて、
街を歩くのも本当に苦痛だった時代があったのを思い出した。
無神経な社会だったのかもしれないな。
最近そういう流行の押し付けがましい状況は改善されたと感じていたので、
あれはバブル崩壊後の失われた時代の空虚さがそうさせていたんだと思ったけど、
そうじゃなかったんだな。
ヨーロッパなんかではヒトラーの教訓があるし、小説『1984』なんかにも
表れているように、他人のアテンションをコントロールすることによる
「支配」について結構敏感に反応するから、こういう「自由な」食事の場面に
コマーシャリズムの権化が押し付けられる状況が生まれること自体
考えにくいと思うんだけど、歴史的に見ても「支配者」に従順な日本人は
あんまり疑問を感じないのかと思った。
つまり「なんとここでこんなことが!!」とか「正解はなんと!!」の
次の瞬間に「はい、CMー」とか、そういうの日本だけらしいっすよ。
海外だとそういうコマーシャルやると、不買運動食らうからやらないんだって。
でね、あと心理学的に言って、
アテンションの量に人間は行動が左右されるんですよ。これはもう無意識に。
人はよく目にするものに好意を持つようにできてるんです。
電通がタレントの認知度を好感度とか言い替えて金作ってる裏には、
一応それなりのカラクリがあるわけで。
それに、アテンションが支配されるって事は時間も取られるってことで、
コミュニケーション全般にも影響する。
ベッドルームにテレビがあると、セックスレスになる率が2倍以上って
アテンションのコントロールについて真剣に考えたほうがいいんじゃないかと思った。
まぁとりあえず、俺は二度と光麺には行かないけどね。
味も落ちてたよ、やっぱり。
嫁さんはモニターについてはマイナスの印象を抱かなかったみたいだけど、
味のことは分かったようで、やっぱり残してたよ。魂を売り渡したらそうなるって。
昔は単価が高くていつもは食べられなかったけど、味は結構好きでした。
トンコツ全盛の時代に、あえてあっさり醤油で勝負していたスタンスも好きでした。
さようなら、光麺さん。