はてなキーワード: 膀胱とは
僕は二十四歳だった。スーツで、立っていた。前かがみになって、ペットボトルの口に舌を這わせた。ぼくが覚えている最初の味は土の味。同い年の同僚ドゥルセ・オフェリアといっしょにレモンジーナを飲んだものだった。ぼくは痩せていたが、レモンジーナをたくさん飲むために腹に糖分がたまり、そのせいで腹がひどく膨れていた。ぼくたちは会社の会議室でレモンジーナを飲んだ。会議室というのは社畜が、つまり、上司や同僚、新入社員、契約社員、豚が寝るところだった。その会社は駅のわきにあった。
レモンジーナを飲むので誰かに叱られたものだった。ぼくたちを叱ったのはいったい誰だったのだろう。ぼくの恋人、友人、増田の誰か、それとも大学時代の指導教官。ある日、腹がすさまじく痛くなった。便所は会社の中にあったが、そこにかけこむ余裕などなく、チームリーダーのデスクの下においてあった二リットル入りペットボトル(オランジーナではない)を使った。最初に出したのは黄色い尿だった。レモンみたいに黄色い液体で、ペットボトルの口で跳ねまわっていた。きっと、出し抜けに膀胱から追いだされたせいで怒っていたのだ。その色がひどく怖かった。パソコンにかじりついて徹夜していると、レモンジーナは今度は毎晩夢に現れてぼくの腹の中に入ろうとした。
(中略)
ああ、オランジーナよ。いつもおまえはそばにいて、最も渇えたときにぼくを潤してくれた。発売当時から、おまえはぼくの渇求をきづかう神秘だった。最も絶望的な夜の慰めだった。ぼく自身のファンタオレンジだった。たぶん日本コカコーラ社には決して与え方がわからなかった温もりにぼくを浸してくれた。駅の中で、最も辛い残業で、家で、寄り添っていてくれた。おまえはぼくの慰めだった。最も困難なときにいつも導いてくれた。ぼくの偉大なる女神、ぼくの本当の女神よ、おまえは多くの災いからぼくを守ってくれた。ぼくはフレンチレストランでおまえに向かって、家でおまえに向かって、荒涼とした会社のデスクのあいだでおまえに向かってくちづけをし、おまえを味わっていた。いつもおなじだった。ぼくはレモンジーナに苦味の、レモン味の表情を、つまりおまえの子によせる哀れみの表情をみていた。そして、今、レモンジーナよ、おまえは突然ぼくの味蕾で弾けて土となる。もうぼくはひとりぼっちだ。土になった。
http://irorio.jp/hayashihiroyuki/20150115/195781/
この記事が話題になってるけど、私も女性であるので、女性トイレに関しては常々感じることも多い。
女性はトイレに時間がかかるので男性トイレより混雑するというのがこのアイデアの発端と言うことだけど、なぜ時間がかかってしまうのか、私の分かる範囲で細かく挙げてみようと思う。
■ 身体的な特徴によるもの
まず小の方。
しかも女性は尿道が短く膀胱炎になりやすいので、健康のためにも我慢は良くないという意識は
ある程度共有されていると思われる。そのため、トイレに行く頻度が多い。
次に大の方。
なので、いざ。という時には出すまでに時間がかかってしまう場合も多い。
もちろん個人差があるし使う生理用品にもよるけど、トイレに行く頻度が多くなる要因ではある。
個室に入ってから出るまでにひととおりどのような手順を踏むのか、順を追ってみた。
1. ドア開けて入る
2. 荷物を置く、あるいはドアのフックに掛ける
3. トイレットペーパーで便座を拭く
冬場の場合、この動作の前にコートをたくし上げる。分厚くてもたつくので、コートは脱いでフックに掛けておく人もいるかも。
また、タイツやストッキング履いていれば、それを下ろすという手順がショーツを下ろす前に必要。
5. 腰掛ける
6. 用を足す(音姫)
7. 4.の逆の手順を踏む
8. 流す
9. 残さず流れたか、まわりを汚していないかチェック。水流が弱くてトイレットペーパーが残っちゃうことも多い。
汚していたら拭き取って、再度流す。
10.ドア開けて出る
生理中は4〜7のどこかで生理用品を取り替える必要があるんだけど、その場合も
2. 袋から出す
3. 袋や汚れた生理用品を捨てる。その際、人の目に触れないように、汚れた部分は隠れるようにする。
こういう細々した手間がたくさんあって、時間がかかるんだよなあ。
この応用分野に、尿道流体力学というカテゴリーがあることをご存じだろうか?
膀胱からある圧力で押し出された粘性の小さい流体が、伸縮性のある管の中をどのように流れていくのか?
この管は、長い場合も短い場合もあり、長い場合には角度や管のねじれを考慮して流体の運動と管の相互作用を評価する必要がある。
伸縮性のある管は、外部からは想像もつかない複雑な三次元構造をしているため、その中を流れる流体には管の軸にそってスピンが発生する。
それにより、開口部から噴出する時に指向性を持つことになり、ターゲットへ標準を絞りやすいのである。最適なスピンを発生させる管の構造とは?
逆に、短い場合には、押し出されてされてから噴出するまでの距離が短いため、簡単にモデル化することができる。
一方で、開口部の形状によっては噴出時にぶれが発生し、指向性が減少したり、流体の噴出速度がそがれる場合もある。
さらに、この管の中を粘性の大きな流体が押し出されて運動する場合にはどのようなことが起こるのだろうか?
興味は尽きない。
ただただやりきれない。
駅に届け出て警察と相談して飼い主さんの登場を待った。1ヶ月経ち2ヶ月経ち3ヶ月経ち、でも駅にも警察にも保健所に動物愛護センターにも
どこにも問い合わせはなかった。
石の育ち方から少なくとも1年以上は放置されていたものだろうとの事だった。
これ以上石が育って尿道を塞いでしまったら腎不全になる恐れがある。
血液検査の結果、体の炎症を示す値も高かった。
ただ獣医師によると推定年齢が8~10歳であるし、やせ細ってしまっているので今すぐ全身麻酔を行う手術を行うのは躊躇われるとの事だった。
あと10日間で所有権が私にうつる事もあって、手術の日にちは11日後とし、それまで体重増加と体力作り(といっても朝晩散歩に行くぐらいだけど…)
に努めることになった。
手術の日が来た。朝ごはんは抜き。
病院までちょっと遠回りして行った。散歩が好きな子だった。短い脚をちょこちょこ一生懸命動かして歩く子だった。
術後、5日間は入院になると事前に説明されていた。しばらくお散歩に行けないからね、と、でも体に負担をかけないように抱っこをして公園を一周した。
手術は3時間に及んだそうだ。子宮の酷い腫れも発見され、予定していなかったが急きょ子宮を取る手術も行ったとのこと。
手術が終わり、麻酔からも覚めることが出来た。夜、面会に行った。元気だった。
入院1日目。面会に行くと尻尾をブンブン振って出迎えてくれた。元気だった。
入院2日目。面会に行くと後ろ足で立ち上がって出迎えてくれた。抱っこをせがみ、点滴の管が外れるほど動き回っていた。
エリザベスカラーをしていた。獣医師に訊いたら、くるくる回ってカテーテルを体に巻きつけてしまうので防止にエリザベスカラーを付けたとのこと。
入院3日目。少し元気がなかった。抱っこをするとずっしりと重く感じ、お腹はパンパンに腫れていた。
入院4日目。元気がなかった。あんなにフッサフッサと揺れていた尻尾がたらん、と垂れ下がっている。
それでも名前を呼んでアイコンタクトを取ると少しだけ尻尾を持ち上げてくれた。お腹はパンパンだった。
元気のなさが気になったが、翌日退院できるということもあって10分ほどの面会の後帰宅をした。
その日の夜、病院から電話があった。突然悲鳴をあげて倒れ呼吸が止まっている、蘇生処置をしているからすぐに来てほしいとのこと。
病院について診察室に駆け込んだ。そこには四肢を投げ出して横たわり、心臓マッサージを受ける姿があった。
名前を呼んだ。とにかく呼んだ。本当の名前はなんだろう、この子は置き去りにされるまで何と呼ばれていたんだろう。
本当の名前で呼びかけていたらひょっとしたら戻って来たのかもしれない。わかんないけど。そんなことを1夜明けた今思っている。
先生が心臓マッサージの手を少し止めるととたんに心電図の数値が乱れる。
心臓を動かす薬は全て入れたそうだ。
お尻に手を当ててみた。少しずつ体が冷たくなっていくのがわかった。
これはもうダメなんだなと思った。
先生は「これ以上はもう…」と口にした。20分間の蘇生処置。戻ってこれなかった。死んでしまった。
元気になったら家でお迎えをするか里親さんを探すかは決めかねていた。
だから私は彼女のママにはならなかった。だけどママになってあげればよかった。
亡骸に「ママだよ、私がママだよ」と声をかけてあげても、もう遅い。
一緒に暮らした間、自分の犬同然にケアをし可愛がったけれど、もっと早くに自分が里親になるという決断をしていればよかった。
そうしたらちょっとは頼もしかったのかもしれない。医学的には根拠のない発想なのかもしれないけれど。
前の飼い主がもっと早くに結石に気づいていれば、服薬で治療出来ただろう。
前の飼い主が避妊手術をしていれば、子宮の病気にならなかっただろう。
そうすれば今回の手術は必要なかった。身体に負担をかけることもなかった。
歯もボロボロだった。涙やけもよだれやけも酷かった。日常的にケアをされていなかったのは一目瞭然だった。
帰ってくるはずの日に旅立ってしまった。
どうしてこんな小さな体の、ただひたすらに一生懸命に生きている子がこんな運命を辿らないといけないのか。
手術を決断しなければよかったのか?もうちょっと経ってからの方がよかったのか?でも膀胱の中にあんな大きな石を抱えたまま
過ごさせるのか?
どうすればよかったのか、わからない。ただ、もう何もしてあげられなかった後悔だけがつきまとう。
全てはこれからだった。退院したら。元気になったら。そしたら。
痛い思いも怖い思いもせずに、おいしいものをたらふく食べて遊び回れますように。
切に願う。
全国にこんな思いをしている子は何百匹いるんだろう。
警告。この話はうんこに関係する話です。他人のうんこ話に興味がない人は読まないでください。あと個人的見解と独断に満ちあふれています。
夜はホテルでシンポジウムのバンケットだった。それでフレンチを食べたのだが、自分はどうやらフレンチを食べたら腹痛を催す体質らしい。以前にも結婚式でのフレンチにより猛烈な腹痛に襲われたことがあった。しかしフレンチを食べるのが久しぶりだったせいでその記憶・恐怖が完全に忘れ去られていた。腹痛を体験しない人には想像できないだろうから、腹痛について説明する。世の中には2種類の腹痛がある。ひとつはただお腹が痛むだけで、寝てウンウン言ったり病院へ行くと治る。そしてもうひとつは腹が痛くなると同時に便意を催すものである。この場合は我々が取る手段はただひとつ「トイレに行け」である。この後者の腹痛は時と場合により人の人生を破壊する威力を持っている。例えるなら人体は原発でうんこは核燃料である。漏れでていない内は平和で快適な生活が送れるが、ひとたび然るべき場所で漏れでてしまうと、グラウンド・ゼロは不毛の土地となり周辺部は二度と振り返れない姿となる。このような恐ろしいものを人体は内蔵していることを覚えておいて欲しい。そして腹痛持ちは度々メルトダウンと戦っているのである。
続きを書く。バンケットが終わったが、電車の時間が近づいていたこともあり、複数の友人と駅まで小雨の中を走った。電車に乗った時、ピーンと来た。これは腹痛の種が育っていると。書き忘れていたが、自分は中学生の頃から腹痛と戦ってきた百戦錬磨の者である。腹痛に襲われたことは数あれど、メルトダウンしたことは数えるほどしかない。さて補足説明を行うと、腹痛の種とは腹が痛いというわけではないけどなんか違和感があり、いままでの豊富な経験によりヤバイ級の腹痛に育つ可能性がある腹部の違和感である。腹痛の種を感じることによりに腹痛との戦いがフェーズ0として始まる。ちなみにフェーズ1の腹痛とはお腹の痛みを覚え始めるころの腹痛である。この腹痛の種は適切に行動することで高確率で消散させることができる。例えば自分が得意とするのはクロスホールディングとリンパ促進法である。クロスホールディングは上体を屈めながら両脇に手を差し込み、お腹と脇の下のリンパ節を同時に暖める技である。この技からリンパ促進法につながると腹痛の種を消散させることができる。百戦錬磨の自分は今までリンパ促進法により数々の腹痛の種を消滅させており、今回も違わず種を散らすことに成功した。しかし過去の経験より、今回の腹痛は腹痛の種が消えたと言っても時を置かずにフェーズ1の腹痛として復活することは目に見えていた(一般に食事が原因の腹痛は種を散らしても復活する可能性が高い)。復活するまでの時間を経験の内から30分と見積もった。電車はあと15分で駅に着き、そこからはバスで15分の道のりである。
駅に着いた時には腹痛の種はなくなっていたが、腹の奥の痛みと共にフェーズ1に移行していた。ここでひとつ致命的な間違いを犯した。電車を降りてトイレに行くことを選択せず、腹痛を抑えられると判断してしまったのだ。たとえバスが30分に一度しかない、一緒に友人がいたなどの理由を考慮してもこの選択は最悪と言ってよかった。思い出してほしい、人間はうんこという核燃料を保持していて、メルトダウンにより人生を破壊される可能性があるのだと。たとえ過去に100個の腹痛の種のうちの1つだけしかフェーズ1に移ったことがなかったとしても、一度メルトダウンが発生すると次はないのだ。すなわちいくらメルトダウンの確率が低いと言っても一度メルトダウンが発生するとそのコストは無限大となるのだ。どんな理由があろうともトイレに行く選択をするべきであったのだ。
これは完全な偏見だが、腹痛の時、電車の中では便意は減退し、バスの中では逆に便意が促進する。これは電車の縦横への揺れが気を紛らわせる効果があり、バスの細かい縦揺れがうんこを押し出す効果があるのだと思う。そして今回自分の体は雨で湿っていて、電車の中の暖かい空気で保温されていたということを注記しておく。停車しているバスに乗って座席に座った時、腹痛は第2フェーズに入った。このフェーズは腹痛に加えて膀胱あたりにも圧迫感が現れ、肛門にだけに集中することができなくなるのだ。まさに前門の膀胱、後門の肛門。腹痛第2フェーズでは更に厄介なことに、気温変化および体表面へのストレスに対しての感応性が飛躍的に高まり、僅かな風や冷気を含む空気により猛烈な勢いで腹痛が悪化するのだ(腹痛で苦しんでいる人に水をかけたり扇風機を回したりしちゃだめだよ)。これらの条件のもとでは第0フェーズと第1フェーズで活躍するリンパ促進法でも改善は見込めない。リンパ促進法での回復量と同等な量を消費してしまうのだ。第2フェーズに突入してしまうと百戦錬磨の自分でも悪化しないことを祈ることしかできない(そもそもこのフェーズになる前にトイレにたどり着くべきである)。
まだバスが出発するまで1分ほどあったが、自分は動けなかった。動いたらもはや打つ手のない第3フェーズに突入してしまうかもという恐怖と計算ではぎりぎり間に合うという後ろ向きの思考が、バスを降りるという決断を妨げたのだ。バスが動き始めた瞬間、自分の過ちを知った。バスが動き始めた瞬間、腹痛が第3フェーズに突入したのだ。このフェーズでは刺すような膀胱の痛みと便意に加えて、細かな違和感がお腹の奥のほうで点滅する。この状態になると防戦一方となってしまう。三方向からまったくのランダム時間差攻撃をされると想像してほしい。こうなると反撃は叶わず、ひたすら消耗を最小限に抑えることが最適解になるのだ。つまり時間との戦いが始まる。
バスは停留所に止まることなく一路走行する。しかしすでに大勢は決しつつあった。到着10分前にして、第3フェーズの特徴ノッキングが始まっていたのである。ノッキングとは要するにアレの先端が\こんにちわ/する状態である。これは腹痛からの最終勧告であると同時に最終決戦の前の最後の安らぎである。一度ノッキングが起こるとそのあと数拍は腹痛が薄れる状態、すなわち死線を越えた状態となる。したがって自分のような百戦錬磨の者は死線を越えた状態をできるだけ長引かせるように、ぎりぎりまでノッキングを我慢してから一瞬開放し、そのあと弛緩して次のノッキングを遅らせるのである。しかしこの技術をもってしてもノッキングを克服することは不可能である。なぜならばノッキングの間隔は非線形に短くなるからである。間隔が十分に短くなると、腹痛を我慢しつつノッキングを我慢するというために、お腹と肛門を手で抑えるという見たままのスタイルを取らざるを得なくなる。
バス停に到着した時は、のぐその覚悟はできていた。隣の野原でしてしまおうと考えていたのだ。しかし当然ながら友人たちと同時に降りるのでその解決案は諦めねばならなかった。その代わり負けを認め、多少こぼれてもいいから最速でトイレに駆け込むべきだと決断した。我が心の語録にも「最善を捨てることによって最悪を避けるシステムに切り替わったのだ。」[数奇にして模型, 講談社文庫, p621] とある。決断を行ったことで気持ちの整理がついたので、荷物を友人に預け、体を軽くすると同時に抑えるところを抑えながら駆け出した。予想通り駆け出してすぐにノッキングが激しく、そして力強くなった。自分にはこの理由が分かる。トイレを利用しようとしたら一つしかないトイレの個室を占領している奴がいて、はじめはおとなしくノックしていたけど段々我慢の限界が近づくにつれ激しくノック否キックするようになるようなものだ。何度かパンツと肛門の接点が膨らむような感覚があったが、気にかけることなく奥義ツヨイ・オサエを信じて、エントランスを駆け抜けて、トイレの個室に滑り込んだ。
正念場であった。公衆便所を見てわかるように、便器の一歩手前でうんこを漏らす人は多い。これは便器の一歩手前もしくはズボンを下げた瞬間、集中力が途絶えてメルトダウンしてしまうからである。したがって個室にたどりつたとき真に重要なのは、集中力を途切らせることなく便器に座るまでの一連の動作を行うことである。経験がない人はそんなの無理だろ今までギリギリだったのに、と思うかもしれないが意外と達成可能である。これは全精神力を費やして驚異的な強度で肛門を閉じることで、だいたい10秒程度の最後の時間を得ることができるからである。自分も体験するまでは、ゲーム内の「全能力を消費して短時間強化→全能力ダウン」について、嘘々少しぐらい力が残ってだろうし全力を使うなんてねーと思っていた。しかしこの最後の時間を経験してからあの設定は意味があったのだとまさに実感したのである。おそらくゲームの開発者はうんこを漏らしそうになったことでこの設定を思いついたのであろう。なぜならばもし間に合わずに漏らしてしまったとすると、最後の時間に絶望して「こんな設定意味無いとみんな知っているだろう」と考え、設定は採用しないからである。最後の時間を発揮することでメルトダウンは回避できた。そしてノッキング、{ドライ,ウェット}ベントによる汚染を確認すべく膝の間のパンツを眺めたところ、汚染痕跡は発見できなかった。奥義ツヨイ・オサエは名に恥じぬ奥義であった。勝ちでもなく負けでもない今回は引き分けとする。個室には1時間居た。
最後に名も知らぬ女性に感謝を捧げる。彼女が完璧なタイミングでエントランスのオートロックを解除して外に出てきてくれなかったら、引き分けには持ち込めていなかった。ありがとうございました。
ここにオッサンの小便があります。
http://anond.hatelabo.jp/20140524190818
尿でいっぱいになったペットボトルを捨てていく穴場として全国に知られている。
トラックをかっ飛ばす男達は、限界まで膀胱に溜めて濃縮された濃い尿を、
ペットボトルは、濃い黄色の尿でいっぱいになるから、ゴミとして道路脇に捨てられる。
俺はいつもそれが狙いだ。
捨てられてるペットボトルの、できるだけ濃い色の奴を100本ほど、こっそりさらって家に持ち帰る。
そして、深夜、俺一人の祭が始まる。
部屋中に尿を撒き散らし、ウォーッと叫びながら、尿の海の中を転げ回る。
マラは、もうすでに痛いほど勃起している。
尿を口いっぱいに啜り上げる。臭ぇ。
しょっぺぇ。アンモニア臭や、股ぐら独特の酸っぱい臭を、胸一杯に吸い込む。溜まんねえ。
臭ぇぜ、ワッショイ! 雄野郎ワッショイ!と叫びながら、マラを扱く。
その尿には、糖尿独特の甘みもはっきりとあり、ツーンと臭って臭って堪らない。
その尿を出した奴は、トラック野郎の中でも一番威勢が良い、五分刈りで髭の、40代の、
ガチムチ野郎だろうと、勝手に想像して、口いっぱいに吸い上げる、
思いきり味わいながら、ガチムチ野郎臭ぇぜ!俺が行かせてやるぜ!と絶叫し、
マラをいっそう激しく扱く。
他の尿を、頭や身体に浴びせ、ガチムチ野郎の尿を口に溜めながら、ウオッ!ウオッ!と唸りながらマラを扱きまくる。
そろそろ限界だ。
俺はガチムチ野郎のペットボトルの中に、思いっきり種付けする。
どうだ!気持良いか!俺も良いぜ!と叫びながら発射し続ける。
本当にガチムチ野郎を犯してる気分で、ムチャクチャ気持ち良い。
ペットボトルに入ったガチムチ野郎の尿は、俺の雄汁と混ざって白濁する。
最近、コピーを取っていると自分が尿を我慢していることに気づいた。
ボタンひとつでコピー出来るときは起こらないが、拡大や縮小、用紙サイズ、色の濃淡等を指定してスタートボタンを押したあと、
紙が排出される瞬間に無意識にきゅっと膀胱あたりに力を入れ、尿を我慢している。
おそらく、トイレでスカートをたくし上げる、ストッキングを下ろす、パンツを下ろす、然るのちに便座に座って排尿、というプロセスが、
ピッピッといくつかボタンを押して然るのちに紙が排出されるコピー機のプロセスと似ているからだと思う。
それまで使っていたモノクロのみの古いコピー機は、いくつ指定しようがスタートボタンを押したら間を置かず紙が排出されていた。
しかし、最新の機能を満載した新しいコピー機は、様々な印刷が可能になった代わりに、ごく簡単なコピーすら処理に時間がかかるようになった。
スタートボタンを押してから紙が排出されるまで、たっぷり1秒はかかる。
その空白の時間に、
「おや?正しい手順を踏んだはずなのに正しい結果が得られない。私は何をすべきか?」
という疑問が生じるのだと思う。
いずれ慣れが解決してくれる現象だとは思うが、記録として残しておく。
俺は25にもなるけど、会社帰りに小便をしたくなったらそこらでしてしまう。
塀の影、電柱、草むら、ドブ、小便を放てるポイントが近くにあれば躊躇がない。コンビニが近くにあっても立ちションポイントの方がより近ければ、酒を飲んでパンパンにふくらんだ膀胱を慰めるために、ぴゅーっとしてしまう。躊躇するとすれば短パンの時だけだ。男なら分かると思うけど、短パンで小便すると小便が跳ねて足に当たるのが分かるよね。あれは正直きもい。もちろん長ズボンを履いている時だって跳ねているんだけどそれを気にして控えてたら膀胱が破裂するからね。
こんなにも立ちションに対するためらいがなくなったのは大学時代の環境にあったと思う。トイレ掃除が非常に嫌で、トイレが汚かった。便器内にへばりついたうんこが残っててそれが気持ち悪くてしょうがなかった。黄ばんでたし。だから家のトイレは使いたくなくて、トイレに行きたくなったら、外に出て近くのコンビニまで行くか、近くの草むらで済ませてた。(流石に立ちうんこはしたことない)。それ以来本来あるべきリミッターというのが壊れたんだろうね。いや、もともとなかったのかもしれない。普通はトイレが汚かったら掃除するもんな。(多分)
まあ俺は普通とはずれてると思うんだけど、立ちションって20代でもするものなのかな? おっさんがしているのはよく見るけど。
http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/03/12/205635
せっかくなのでちょっと実現できるか考えてみたいと思う。
元記事をしっかり読んだ上で、それでも興味があり、読んだ上での読者の行動は全て自己責任であることを認め、
筆者(元記事の元記事、元記事ならびに当記事)に責任を求めないことを約束していただけるのであれば、
読み進めて意見を表明してみて欲しい。
なお、リプライや反論、法的な問題点の指摘をいただいても返答は保証できない旨を予め宣言しておく。
「尿 調理」でググって興味深い記事を見つけた。
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPTYE82T03720120330
尿を調理に使う前例はあるようだ。俺はリアルショタ コンではないので興味はないが、
定例化した前例があるのなら実現は可能かもしれない。
光明が見えた気がする。
尿とは http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BF によると
『血液をろ過して造られるため、腎臓が健康な場合は排泄までは無菌である。』
そもそも尿の材料のほとんどは血液(あとは膀胱・尿道から剥落した組織)なのだから、血液や血漿を調理するのと概ね変わりないと考えてよさそうだ。
元記事の元記事では『ハルヒの小便スープでラーメン屋経営したい』そうなので、経営に値するシゴトをしなければならない。
とりあえず集客については誰か別の人に任せるとして、そもそも実現ができるのかちょっと考えたい。
※以下ダラダラ続くので、結論を急ぐ人は読み飛ばして下さい。
http://www.shusui.com/biz_01_fctop_tonta.html
の例では日商7万円と15万円の例がある。
そもそもそんな売り上げで経営が成り立つのかはなはだ疑問ではあるが
7万円を参考値として記憶しておく。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~konome/seihin.htm
健康を維持して長い期間楽しめるように11gの食塩入り尿を確保できると仮定する。
http://home.c06.itscom.net/maruko/08foods/enbun/enbunhayawakari.html
では外食で5~6g/人前
http://www.eiyoukeisan.com/calorie/nut_list/salt.html
http://h.hatena.ne.jp/mk16/299872200733360687
つまり1日の尿量で塩分を全てまかなおうとすると1日1~2杯というトンデモプレミアなラーメンになってしまう。
これでは7万円を売り上げるには1食3.5~7万円に、廃棄分を考慮しても7万円に設定するしかない。
残念ながら1杯7万円のラーメン・・・多分今の俺の経済感覚でもこれは非現実的だとわかる。
そして元記事の元記事の>1は既にこの点まで考察済みだったようだ。
となると(1)ハルヒの定義をどうにかして人数(供給源)を増やすか、
(2)尿以外の食塩供給源をどうにかしてスープにするしかない。
(1)のハルヒの再定義だが、王欄高校ホスト部のハルヒ以外に思い浮かぶハルヒといえば涼宮ハルヒくらいだ。
こちらはおそらく集客にあたってマイナス要因にしかならないので、考慮しないことにする。
他にも涼宮ハヒルとか涼宮哈爾濱とか類似例はありそうだが、いずれも集客のマイナス要因にしかならなさそうなので視野に入れない物とする。
となると(2)になるのだが、『小便スープ』と謳う以上、
その手のマニアに尿の味とわかるような工夫が重要となってくる。
元記事の元記事の>10と>20で『誰の小便でもいい』→『詐欺罪に問われるかもしれない』という
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3#.E3.82.B9.E3.83.BC.E3.83.97
によると、『ラーメンの汁』のことを差すようだ。また『出汁をさしてスープと呼ぶこともある』ようだ。
ラーメンの汁とすると食塩含有量が足りないが、出汁でもよければタレで食塩をまかなえばスープとして成立することになる。
光明が見えてきた。
http://www.kensa-book.com/expression/urine-total-volume.html
によると成人の1日あたりの平均的な尿量は1000~1500mlらしい。
http://www.eiyoukeisan.com/calorie/gramphoto/tyoumi/torigara.html
では300gくらいとのことなので、ハルヒにはちょっと多めに水飲んでもらって1日5杯くらいなんとかなりそうだ。
廃棄率はよくわからないけど、適当に40%として、3杯で7万円、1杯約23,000円だ。
このくらいなら高級中華料理店やボッタクリバーでもあり得そうな金額だ。
一生に一度でいいくらいの商品(例:結婚費用一式とか)であればいいかもしれないが、
経営が成り立つにはリピート層が必須なので、残念ながら非現実的な金額だ。
これまでの定義から源泉は有限であるが、どうにかしてラーメンのスープにする方法として
1杯に使う尿の量を減らす他ないのであるが、どういった手法が考えられるだろうか。
(a)薄める
(b)スープを減らす
(a)薄める場合
昨今のラーメン店ではダブルスープ方式を採用しているところもあるようなので、
何か別の出汁と合わせることにはそれほど抵抗感はないようだ。
しかし、それでは小便スープと謳ってよいのか怪しくなってしまう。
これでは元記事の元記事の意向に反してしまうのではないかと考えられる。
(b)スープを減らす
昨今のラーメン店ではつけ麺とか油そばといった濃いめの少量のスープと使った
ただしこの場合、濃いめの味付けをすることにより、本来のハルヒの繊細な小便の風味が、
ではどうするかだが、ここからは実際のその方式で調理したラーメンを食したことがないので
あくまでも仮定の話とさせてもらう。
先の(a)(b)の両方のいいとこ取りをする方法として、
既存のラーメンのスープに後から小便スープが解ける時間差ダブルスープ方式ではどうだろうか。
これは以前ビッグコミックスピリッツで連載されていた「ラーメン発見伝」で見かけたアイディアだ。
ラーメンどんぶりの底にゼリー状に固めた別の味のスープを入れておき、
ただこれでは小便マニアの舌が元のスープの風味が邪魔で味わうことができないかもしれない。
そこでもう一工夫、レンゲの中に小便スープゼリーを入れておき、少量のスープで攪拌して楽しんでもらうか、
アスパラギン酸ナトリウム等で人工イクラのようにしてトッピングとして添えて食感も楽しんでもらう方法も考えられる。
光明が見えた気がする。
残念ながら俺はこのような方式のラーメン店に出会ったことがないため、この方式が現実的なものなのか、
しかしもし現実に小便スープをトッピングにできるものであるならば、
材料と作る手間さえあれば通常のラーメン店にある調理器具で何とかなりそうだ。
レンゲ一杯は30gくらいとして、いっぱいに満たす必要はないから1食あたり10gとすると、
ハルヒ2人で3000g確保できるとし、廃棄率40%として120食分。
もちろんこれ以外にも方法はあるだろうし、もっと良い方法があるかもしれない。
だが、ハルヒという尿源は有限であり、彼女に無理強いをするなんて人間のすることではない。
◆結論
・ラーメン繁盛店を用意する
・小便スープをトッピングとして提供する準備をする(材料供給・仕込み・メニュー改変)
・注文があったら提供する
元記事の元記事の>1の叶えたい『ハルヒの小便スープでラーメン屋経営したい』夢は
少々仮定の部分が多いのは否めないものの、実現にあたって法律的な問題がない限りなんとかなりそうである。
なおこれは俺の個人的な見解にもとづく文章であり、ほかの人にはほかの意見があるだろう。
すでに書いたように、法律的な問題を除けばそれを欲望する人間の数だけの手法があるに違いない。
※期待を裏切るようで申し訳ないが俺は全く渇望していない(満たされてるわけでもない)
このたびの東日本大震災で、東北から関東の一部まで大被害を受けましたが、我が社も陸前高田の坂井宏所長御夫妻とそのご子息および、各店の所長の御家族五人、YCスタッフ一〇人がお亡くなりになりました。深く哀悼の意をささげます。また、YC店舗は全壊六戸、半壊・一部損壊一七戸という被害を受けました。
今回の震災の被害対策については、政府の対応は誠に非能率で憤慨するところ大でありますが、グループ本社及び傘下各本社は、宮本副社長販売担当のもと、労力的にも、資金的にも迅速に対応し、その報告を聞いていささか心を癒されました。今後とも被災地YCの復興に全力をあげるつもりであります。また政府の被災地全体にわたる救済、復興の不手際については、紙面で厳しく批判し、督促してまいります。
さて、震災後の五月二十六日に、読売新聞が週刊新潮の無責任なデマについて提訴した名誉毀損訴訟に対して賠償金の支払いを命ずる判決が出て、全面勝訴しました。
この新潮報道では、二〇〇九年六月十一日号で、「新聞業界最大のタブー"押し紙を斬る"」というタイトルで、「読売18%、朝日34%、毎日57%が配られずに捨てられていた」と断定しております。判決では「読売新聞においては"押し紙"が存在すると推察することもできない」として、新潮報道が全面否定されました。
新聞が二割、三割、五割以上もの紙を配らずに捨てるというような不合理な無駄をしていれば、用紙代、印刷代、輸送費及び人件費の消耗で直ちに倒産しているでしょう。
過去十年間の読売新聞の決算報告をもとに数字を申し上げれば、この十年不況で日本経済が停滞し、また新聞外のメディア、特に電子メディアの普及等もあり、販売部数が減少したことは事実であります。
しかし、二〇〇二年三月期と、二〇一一年三月期の十年間の読売新聞の収支を申し上げると、販売収入は二六四九億円から96.61%の二五六〇億円に減少、その落ち込み幅は3.39%に過ぎません。その間のABC部数は一〇一五・二万部から98.74%の一〇〇二・四万部に減少、落ち込み幅は十年不況の中で僅か1.26%であります。
それに対し、景気を最も敏感に反映する広告収入は、一五〇六・九億円から53.16%の八〇一・二億円に減少、落ち込み幅は46.84%にも達します。
それにもかかわらず、黒字経営を続けているのは資材、人件費の節減や、製造工程の近代化、合理化による節減と保有株の配当収入、不動産賃貸収入の安定もありますが、最大の原因は販売収入の減少が極めて僅かだったからであります。
週刊新潮の言うように、印刷した新聞の18%も捨てていれば、このような安定した販売収入はあり得ません。
大きく言って、読売新聞の収入構造は、販売6、広告2、不動産賃貸収入、配当収入、巨人軍等の事業収入2の割合です。そのうち二割を占める広告収入が十年不況で半減したのに、堂々たる黒字経営を続けていられるのは、ここにおられるYC所長の皆さまの日常の努力による販売収入の安定でありまして、皆さまの献身的な愛社精神と堅実な経営努力に心から感謝申し上げます。
ちなみに、最近倒産の多発している米国の新聞の広告収入依存度は、七割から八割であり、これは宅配制度の不備によるものです。
さて、原発問題と今後の日本と世界経済の問題について若干言及致します。
現在稼働中の原発もいずれ点検による稼働中止になり、このままでは来年には、日本の全原発が稼働停止になります。もし、日本の電力の29%をまかなってきた原発が動かなくなれば、日本の産業生産は縮小し、かなりの企業が倒産し、失業者が増大し、税収は減り、国家財政は破綻する恐れがあります。
菅首相は、現在9%の再生可能エネルギーを20%とか25%に増大するという夢を語っていますが、彼の言う再生可能エネルギーのうち8%は水力発電です。これを増強しようとすれば、民主党政権の言ってきた「コンクリートから人へ」を逆転させ、ダムを建設しなければなりませんが、それには五年、十年かかるし、また日本にはその適地もなく、コストは巨大になります。
菅首相の言う太陽光、風力発電は、現在全発電量の0.5%くらいで、日本の地理上、適地が少なく、風力発電は海上に巨大な浮体を作って乗せるほかなく、それも巨額な出費をもたらします。
太陽光発電は、理想としては良いのですが、実際に広大なパネルを作ろうとすれば、それも巨費を要し、一朝一夕にできるものではありません。
そうなれば、今問題になっている玄海原発のように、政府が安全を保証する点検済みの原発を再稼働させていく以外には、日本の経済、財政、産業、国民所得を維持する道はありません。
私が枝野官房長官をはじめ、関係政府要人や専門学者達に聞いたところによると、福島第一原発の事故は、地震によるものではなく、大津波によるものだということです。
つまり、地震による揺れで原子炉が破壊されたのではなく、大津波によって原子炉の冷却装置を稼働させる電源と冷却装置をつなぐ配電管が破壊され、冷却装置が止まってしまったこと、また海水を汲み上げるパイプ、そのための発動機の損傷もありました。
海面上一〇メートルの所に作られた第一原発は壊れましたが、一五メートルの高台に作られた女川原発は、津波による被害がなかったので、今すぐにでも稼働できるのです。日本海側、瀬戸内海側の原発は、二〇メートルの津波をかぶる心配はありません。静岡県の浜岡原発も、完全な防潮施設を作れば安全になるでしょう。福島第一では電源を地下に設置してありましたが、浜岡では建屋の屋上に設置してあります。
福島第一の事故で、たくさんの人災的原因が明らかになりました。この経験と知識と高度な日本の技術をもってすれば、耐震性は証明されている日本の原発に対し、さらにどんな津波が来ても、外部電源とつながる炉の冷却装置を損傷しないような防御装置を構築することは可能でしょう。震災後四カ月たっても、こういう措置を稼働中止中の原発に対して取ってこなかった政府は、一体何を考えていたのでしょうか。
ドイツが原発を中止したといっても、ドイツはフランスの原発から電力を輸入しているからできることです。
過剰な原発アレルギーで、日本の電力の三割を止め、節電とか自粛とかを連呼しているのみでは、日本はいずれ産業国家として世界三等国に転落し、貧困や失業に悩まされるのではないでしょうか。
読売新聞社は、この不況の中で、大手町の一等地に三三階の新社屋を建設します。首都直下型地震が来ても安全な耐震性、非常の時の自家発電や、交通途絶対策としての非常食の備蓄等、完壁なビルを無借金で建てます。
私が社長に就任した二年後、借入金はピークで一六四一億円余ありました。社長就任以降今まで五六五四億円設備投資しましたが、現在すでに返済し、数百億円の預金があります。つまり、二十年前に千数百億円借金をしなければ、新規設備投資ができなかったのです。しかし今、大手町に最新の建設技術の全てを取り入れた高層ビルを建てるのに、新たな借金は必要ありません。
現在の我が社の基本的な経営体力は、皆さんの努力による安定した販売力、YCの店力、全従業員の愛社精神が基軸であります。
さらに、読売新聞の主張する税制改革案を含む財政、経済、社会保障、産業政策等が、ポスト菅の内閣によって実現されれば、不況も解消し、広告収入の低落にストップがかかり、増収になり、その成果を皆さんとともに享受できるようになるでしょう。
次に今回の読売グループの人事異動について説明します。すでに新聞等に細かく報道されているので、重点について述べます。
内山前社長は昨年春、令夫人が大きな手術をして以来、術後が思わしくなく、そのショックで本人もいささか精神不安定になり、特に3・11の地震後の社務にはほとんどたずさわらないという状態になり、私宛に、夫人の看護に専念したいとの辞表が提出されました。
内山君は私の永年の忠誠な部下であり、私には万感こもごも至る思いもありましたが、新聞社として緊急非常の事態の中、その辞表を認めました。
老川東京本社社長は定年に達していたので、グループ本社の最高顧問としてグループ全体について指導してもらうこととしました。
私は依然、事実上の最高経営責任者として残りますが、八十五歳という高齢を考え、実務は白石興二郎君に、グループ・東京本社の代表取締役社長を任せることにしました。白石君は、編集局長、論説委員長、メディア戦略局長、社長室長等を歴任、社務の全般に通じており、最適任と思います。また、政策理論家として社外でも評価されている早川準一君にグループ本社の副社長兼副主筆として私を補佐してもらいます。
販売担当の宮本友丘君は東京本社副社長に昇格、私の直轄下で、東西の販売政策を指揮してもらいます。
内山君の病気のこともあるので、八十五歳という最高齢で、事実上の最高経営責任者である私の健康状態について報告しておきます。
今月、慈恵医大病院で、世界的な血管外科の大家として知られる大木隆生先生に、全身の内臓検査をしてもらいました。その検査結果の一部を読みます。
これは大木教授より読売診療所の近藤所長にあてられた報告書です。
「渡辺さんは、息切れなどの症状もなく、極めて健脚です。血液検査については、γ-GTが少々上っている以外、異常はありません。肝機能は極めて正常です。
次に、心電図と脈波検査を行いました。血圧は正常、閉塞性動脈硬化症がなく、脚の血流が良好です。
CT検査の結果、まず脳に関し驚くべきことに脳の萎縮が全く進行しておらず、頭がさえていることが見てとれます。脳動脈瘤、甲状腺、嚢胞や腫瘍もありません。心臓も肥大や大動脈弁石灰化もなく、極めて若々しい状態にあり、六十歳代くらいの若々しさと言えます。肺にはがん、腫瘍も認められません。極めて健康的な肺です。膵臓が唯一の所見のある部位で、萎縮があり、前糖尿病と言えます。腹腔動脈、上腸間膜動脈、および左右の腎動脈に狭窄はありません。
腰椎に高度の変形を認めます。腹部大動脈、腸骨動脈に動脈瘤や狭窄病変などはありません。膀胱に異常はありません。現時点で治療を行う必要はないと思われます。
内臓脂肪が多く、膵臓が萎縮していますので、一層のカロリー制限と定期的な運動を続けられることは膵臓のみならず、高血圧、痛みのある膝関節にとっても良いことです。
最も素晴らしいことは、八十五歳と高齢であるにも関わらず、脳に萎縮が全く見られないことです。人間にとって肝心な脳、心臓、腎臓、肝臓が全て六十歳代と思えるほどの若々しさです。
東京慈恵医科大学外科学教授血管外科 大木隆生 読売診療所 近藤和興先生御侍史」
以上が目下の私の健康状態なので、新社屋の完成する年、つまり米寿までは持ちこたえるでしょう。この世には小生が早く往生することを願っている人も少なくないようですが、その人達は失望されても仕方のないことです。
最後に、ポスト菅の首相が誰になるかを予想することは、巨人の勝敗の予測よりも困難であることを告白してごあいさつと致します。