はてなキーワード: 習い事とは
東京都内在住で長男が中学一年生。今のところグレてなくて優しい良い子。
公立小学校から公立中学校に進学。東京東部だけど荒れてるという雰囲気ではない。
交友関係はすごく仲の良い友達が2人でそこそこ仲の良い友達が数人。
部活は運動部。小学生の頃は運動があまり好きそうではなかったけど
中学生になって友達と誘い合って運動部を選んだらしい。団体競技を選んでくれたのは嬉しい。
子供の頃の習い事はよくある水泳や公文とか一般的なものだけ。トップを目指して多大な努力をするようなものではない。
勉強は学校で教わる水準は理解できているみたい。小学校低学年から毎朝ドリルで自主学習している。
自主学習は5年間ぐらい継続しているので本当にエライ。親からみても尊敬できる。おれはムリだったし今もムリ。
中学年で進学塾にも入ったが、親が受験に本気になれなかったので1ヶ月ぐらいで辞めた。
親としてはこのまま公立中学で過ごして高校受験をして大学まで進んで欲しいと思っている。
中学生になったので塾に通うつもりだが、放課後の大半をつぎ込むような進学塾は考えていない。
ただ、ネット上で親である自分と同じような属性・収入の人達の話を読むとほぼ全員、子供を私立に進学させているので少し心配している。
仕事で会った子持ちの人と話をしても私立中学に進むことが前提になっているようで
中学受験しないことを伝えると「あ、そうなんですね(失礼しました)」みたいな微妙な雰囲気になることが何度かあった。
また、受験に力を入れていない家庭もあるにはあるが、そういう家庭は野球やサッカーでプロを目指すような家庭だったりする。
俺の母校の学費は1400万円。俺の頃はもう少し安かったかもしれんが同レベル。不惑を数年超えてやっと年収1200万円。子供いるのに平日しか休めない。高給っていうか長時間労働なだけ。残業代がしっかり出るだけマシなんだろうけど、残業代が出るのは当たり前だからな。
子供は2人。妻は専業主婦。離婚なんてする気はないが、離婚した場合の養育費の目安って自分の最終学歴らしい。子供たちには俺が受けた教育投資をしてやる義務があるわけよ。
大学の学費だけで2800万円。そこに行き着くためには当然塾とか、高校も私立かもとか、浪人するかもとかあるのですよ。
だからうちは家は建売だし、車は10年落ちなのに買い替えられる気がしない。
サラリーマンのままでは辛すぎるので、もうやめて起業するけど、辛いってのはそういうことだ。
自分の子どもへの教育に金をかけたいわけだから、それは低所得者から見ればわがままに見えるのかもしれない。
ただ、年収が高くても生活レベルは低い場合もあるんだよ。お前らの方が良い生活しているんじゃないの。
幸せって何なんだろうな。
でも使える金はないし、体力ないのに忙しすぎて余暇の楽しみというか趣味というかそういうのは何もない。働いて働いて、休みの日は子供の習い事の送り迎えとか、持ち帰り残業とかで潰れる。
当時私は小学校6年生で、英語、ピアノ、水泳、珠算と週5で習い事に通わされていた。
その多忙を極める日々の中でも学校で友人が出来、皆で動物園に行こうという事になった。
県外に5人で外出するというのは初めての経験だった。
親から門限は厳しく設定されており、5時を過ぎると鍵をかけて入れなくなってしまう。
自分用の鍵は渡されておらず門限を破れば夕飯も自動的に抜きとなっていた。
で、動物園へ行く日。口が酸っぱくなる程門限を破るなと言われたが
同行した友人達は我が家の家庭事情を知っていたので「そんなの気にするな」と口々に言った。
正直言って、頭の良い集団では無かった。授業中もお絵描きをし手紙を回し続ける。私は休み時間、図書室で借りて来た本を読んで読書に耽るタイプだったが何故かその時は「仲間」として誘われる運びとなった。
ドキドキしながら駅に着き、電車に乗る。渡されたお小遣いで食べる物を買い、色々な動物を見た。夕刻が過ぎ、その内に戻るべき駅から段々離れている事に気付いた。そして閉園の時間が迫っていた。
学校の遠足ではタイムスケジュールが定められていたが、計画性もない小学生だった我々はただただ進みたいように歩き回ってしまった。
閉園の時間。園内放送が流れ、私達はとにかく園の外に出なければと駅とは真反対のゲートへ向かう。
子供の頭と足では、駅までどうやっても遠かった。
そうして園の外に出てから駅へ向かう事を決めた。園をぐるっと取り囲む柵に沿うようにひたすら歩いた。
グループの中で最も貧乏で頭の悪い子供が私達を励ます。「何とかなるって!」
駅に着いた時点で6時なら、そこから自宅まで1時間かかる事になり、最終的に7時前後。塾の時間であればもっと遅くなる事もあったがこれは単なる遊び。
こっぴどく怒られる事は想像に難くなかったが矢張り、その通りになった。
「勘当だ」と締め出され叱られる。恐らく他の子供達は温かい食事に有り付けただろうに、自分だけが空腹のまま。父が怒れば必ず母が従う形になった。
そして遂には「お前には愛想も尽きた」と吐きつけるように言われた。
元々、父が家に帰ってくる事すら稀だった。やれ海外出張だ、やれ残業だと顔を合わせる機会は無く会ったとしても二、三小言を言われるのみ。その日の楽しかった気分は既に疲労で滅茶苦茶になっていたがそれに加えてこの言葉で身体から力が抜けていく思いだった。親の言う通りにしなければ、敷かれたレールの上を少しでも外れれば否定され貶される。助けてやろうという気持ちや心配に思う気持ちは微塵も無い。
自分には皆との楽しい思い出がある、なんて全く思えなかった。どこまで行っても何をしても叱られる。
親としての愛情など受けたつもりは無かった。自らの塾通いのお陰か、親より高い偏差値の高校に入学したが今でもあの時の事を思い出す。そしてたまにその激重感情が自分を苦しめる。私は頑張ってたじゃないか。何故何一つ褒めてくれなかったのか、と。
結局痴漢と性欲を繋げるのは
万引き主婦を実際に捕まえると、金銭的に問題を抱えている主婦は少ないらしいね
むしろ専業主婦で習い事をしていて、ランチも行って……みたいなマダムも万引きするらしい
彼女らは万引きをして捕まるスリル、得られたパンや菓子はちょっとした成果の「形」らしい
痴漢も多分同じだろう。捕まるスリルの方が興奮になっていて、それによって得られる性的興奮はただのトロフィー程度の価値だと思われる
もちろん衣食住に困ったことないし、習い事にはそれぞれ好きなもの通わせてもらってたし、三人兄弟で共有とはいえクリスマスにはゲームも買ってもらってた。
家が貧乏だって気づいたのは大学進学の際に奨学金を借りることになった時。収入を書く欄があるんだけど、そこで改めて我が家の収入を見て「え?なんか少なくない?」って思った。
提出のときに同じ第一種(無利子)で要望出す友達にそのことを伝えると、「家も割と少ないんだなって思った〜」って言ってた。だから、(まあそうか、みんなそんなもんか)って思ったんだけど、その後第一種で通ってたのは私だけだった。
奨学金って成績と家庭の経済状況で判断されるんだけど、私とそんなに成績が変わらない友達も落ちてたので、そこで初めて、(あ、うちって貧乏なんだ…)って自覚した。
そういえば、何かねだったときに母親はよく「お金がない」って返してたけど、あれは諦めさせるための言葉ではなく、本当にお金がないからだったんだと思った。
私の大学進学も、奨学金(無利子)と叔父からの支援と国立、そして片道1時間強のバス通学によってようやく成り立つものだった。
今の私は社会人となり一人暮らしだが、働いて給料をもらって生活をして、初めて家計を握っていた母親の凄さが分かった。あの頃どうやってあの収入で家族5人が生活できていたのかが本当にわからない。
小論文を書く練習で、どんな体験をしたことがあるかを書き出すことがあった。
「随分教育熱心なご家庭なんですね。ご両親は教職につかれていますか?」と質問された。
うちの親がそういうの好きだったのか、あるいは自分が、
・超有名ピアノとかのとこ
・市が提供してる会場に講師が来て学ぶどっちかというと緩い感じのお絵かき教室
に通って、ことごとく結果が出なかったから、妥協でそっち系になったのか。
とにかく、小学生時代は”近所のおばさんがやってる個人の塾”みたいなところに通ってた。
小6の一年間通ってた。
同級生のお母さんだけど面識なかったし、恥ずかしいとかもなかった。
今の都会の小さい家なら2~3軒が庭に立つぐらいの豪邸でいい車が止まってた。
内容としては中1の教科書を生徒4人の理解度に合わせながら進めていく感じ。当時は気づいてなかったが、今思えば週1の一時間で教科書終わったから、凄くピンポイントで大事なところを重点的に教えてくれてたんだと思う。中1の英語のテストで無双できた。調子にのって、中2の2学期から英語は苦手科目になったが。
10~12畳くらいの応接間みたいなところで授業受けてた。
特定されやすい情報だから書けないけど、絶対忘れないぐらいのインパクトのある旦那さんと奥さんのソロバン塾。
個人宅だったけど、結構広いスペースがあった。12畳はあったと思う。
さぼってもばれないから、さぼってあんまりいかなかった。結局ばれて怒られてやめることになった。
その後なんやかんやあって、ソロバンとの関係性は良好(ただし計算はしない)。
2~3人ぐらい座れる長机が2*3ぐらい並べられてたイメージだからそこそこ広かったと思う。
ただ外観はボロアパート(当時でいう文化住宅?)で、多分2DKを全て習字教室に振ってたんだろう。
先生もそこに住んでるわけではなかったし。
毛筆と硬筆習って、硬筆は昇級機会も少なかったから大したことないけど、毛筆は、段まで到達した。
近所の会館で展覧会もあって、そこに自分の習字が張り出されてて、なんか誇らしかった。
お手本を紅い墨汁で書いてくれて、それを見ながら書くんだけど、席が後ろだと、重ねて謎ってもばれないので、結構なぞり書きしてたんだけど、ばれる時はばれて。
なぞりつつ、個性を混ぜてなぞったことをバレないようにするみたいな変な自分ルールで通ってた。
2~3年通ってたおかげか、字が上手くなったわけもなく、気合入れたら読める字は書けるけど、普通に書いたら翌日には自分でも読めないという、最悪の字下手になってしまった。
ほんとになんでなんだろう。
あと、ここの思い出は、先生が東京か福岡かによく出張か里帰りかなさってて、ひよこ饅頭が数か月に一回もらえたこと。当時は飲み物持ち歩く習慣なかったから、毎回口の中の水分もってかれながらも美味しく食べてた。
夫のほうは多分そんな顔じゃないんだろうけど、なんとなくムツゴロウさんみたいな印象で覚えてる。奥さんのイメージはもう思い出せない。細かったかな。
昔住んでた家の三軒隣ぐらいに、廃墟か芸術家が住んでるか、みたいな家屋があった。
他の家ってちゃんと壁とか塀があって、結構でかい家が多い地域だったのに、そこは草ぼうぼうで掘っ立て小屋が建ってるみたいな。
菜園はなかったかあってもすごく小さかったと思うけど、芸術家が自給自足で暮らしてますって言われてなんの違和感もない。
結構小さい頃に通ってたから、細かいことは忘れたけど、一度そこの生徒と画家夫婦で動物園に行く、みたいなイベントがあって、
動物園に行ったのに、そこらに居る鳩書いて、自分史上最高の絵が描けた瞬間でもあったし、めっちゃいろんな人に褒められた記憶がある。
今はもう、その家屋はなく、隣の家の建て壊しのタイミングで、土地くっつけて大豪邸が建ってる。
40年近く前のことだけど、覚えてることは覚えてるなー。(割愛したことも沢山)
またこういうゆるーい雰囲気の習い事が増えていくような国になったらいいなと思ったり。
余談だけどあと習い事で印象強いのは、妹が行ってた個人宅でのピアノ(某超大手略)とか、
いい忘れてた。相続について。子供がいる人はいろいろ工夫しているけど、スタンダードなのは、毎年数百万円とかを渡して、確定申告もして納税しておくパターン。なんだかんだ数十年すると、馬鹿にならない額になる。
海外の保険を使ったり、資産管理会社を作って、子供に株をもたせたりとか、いろいろなスキームはある。ただ、多いのは「子供に大金持たせてもロクなことにならなそうだから、教育とかにつぎ込んで、あとは自分で使う」という思想の人が意外と多いかな。
十年前ぐらいまで、片田舎の小金持ちは何にも考えてなかった(税理士の言いなりでもそれこそ毎年100万円の贈与)けど、今は会社設立が最適解なのかと勝手に思ってる。
海外の保険までは詳しくないけど、保険でも、被相続人にかけておいて、生存してたら退職金にして、万一死んだら数千万円みたいなかけ得の保険あるし。
>いいものを持ち、乗り、住み、飲み食いし、子をいい学校に通わせ、金持ちと交際し、慈善をし…って、人間が人間である限りは結局それくらいなのが切ない。お金があっても身長10mとかエラ呼吸とかにはなれないんだよね
これはみんな言う。大したことないですね、もっと人生が変わると思っていました、というのも。結局、お金がないときにがんばってたことと、ほとんど大差ないと感じる人が多い。お金でできることが思ったよりも少ないらしい。
月100万使えるのと200では全然違うよ。個人でも、我慢するしないが明確。
偽善的方向に広げるなら、月に数万でも援助したら助かる人がいっぱいいる。そこを見て見ぬふり(関わらない)しつつ、贅沢品は要らないわーって人は関係ないだろうけど。
>こういう《打ち出の小づちから無限に金が出てくるような生活》が成り立つ理由って、死ぬまで搾取され続ける貧乏人たちがどこかにいるからだよね。その因果を巧妙かつ入念にロンダリングする仕組みが資本主義で
資本主義はゼロサムじゃないから搾取している、というわけではないと思うんだが、資本主義のおかしなところは、資本家超有利なところ。だからアメリカでも日本でも起業が超ハイリターンになっている。起業のリスクはあれど、リターンが凄まじすぎるっていうのはあるし、一度リターンでたら、ずっと資本家として凄まじい有利な状態でプレイできるっていうのはちょっとおかしいと感じる。株の売買とかは、収入が2000万円とかを超える分は、分離課税20%じゃなくて、50%とか取らないとバランス悪いなーとは思う。
これには(これにも)異論を挟みたい。安定を望まないのであれば、みんな色々チャレンジできると思うのです。数百万あればなんらかの起業はできる。そこが貯まらない人は根本的に向いてないし、それすら集められないのは計画が間違ってるわけで。普通に考えたら資本があるか、チャレンジ精神があるか(そのうち、集金できるプランなり人望があるか)が成功の近道というのはそこまで間違ってないと思う。
暗号通貨に手を出してる人間からしたら株とかの20%は優遇されすぎてるとは思うけど(暗号通貨はMAX60%overね)、そこに重価税して金持ってる人間が株に投資しなくなったらほんとに経済は終わると思う。まあひょっとしたら50%とられても投資する人が多くて成り立つのかもしれないけど。(自分なら不動産とかに投資して無理なら海外に逃がすので。)
>そんな人間も東京だと同じ満員電車に乗っているのが日本の特殊性ですよね。西麻布って雨の西麻布の時代から何も変わってないんですかね...
これはタクシーに一票。タクシー一択。何も気にせず電車に乗る選択肢を思い描かないで済むところが富裕層の境界なのかもと。
そこまで金持ってないうちのばーちゃんでも気軽にタクシー乗るしね。(普通の年金生活者の100倍ぐらいは貯金あるけど、ばーちゃん)
>シャネルのシャツをクリーニングに出したら色落ちしたのでシャネルのお店に電話したら「洗濯を想定していませんので」って言われた話を思い出した。背伸びして使うものじゃないんだな
1人だけ、一度着た服は着ない、という人がいて驚いたことがある。でも後輩とかにあげてたりして、後輩は喜ぶし、本人は、ブランドの上顧客になり、ブランドのレアなものを買えたりするので、一概に無駄遣いでもないらしい。そして、ブランドの超レア品は、転売して収益になったりするらしい。
規模は違うけど似た話はよく聞く。今はマスクなんかでもそう。1日10分ぐらいの外出だからとおんなじマスクを一週間つけられるか、一度外に出て帰宅したらそのマスクは破棄とかで価値観違うなーと思ったことがある。お金持ったら、着けない時計、乗らない車、色々ありますよね。
全然話が違うけど、アイドルオタクでも、ツアーTシャツをそのツアー以外でも着てくるか否かみたいな経済感の違いがあったりする。毎ツアー4000円を払える人は毎回最新のツアーT着れるんだけど、そこの出費がギリギリの人も居るよねーって。
>中央競馬の馬主になれそうに思うが、書いてないのはやっぱりコスパが悪いということなのかな。10億できたら政令市に1LDKぐらいのマンション借りたいな。それで車の免許取って大卒目指して国立の夜学に行くんだ。
馬主もいるけど、趣味に近いかな。成金とかが馬主になると、お作法わかっていないから嫌われたりするのは見る。変に調教に口出したりとか。
馬主はロマン。ほぼ趣味。ほんで、調べたらわかるけど、地方競馬の馬主とかは普通のサラリーマンでも条件達成できるぐらい条件が緩い。
じゃあ何故みんな馬主にならないか、というと、コスパというか利回りというかが読めないということ。&人脈ないと掘り出し物の仔馬さん情報が得られないという。
誰も期待してないのに走るお馬さんもいっぱいいるけど、運よくその子を選べるかというと、普通はそうじゃない。
成金に買われて、無茶なスケジュール組まされるお馬さんが減っていくことを願います。
>それっぽいフィクションとしては納得感があるが家族とかの話は抜けてるな。ストックオプションで10億ってことなら都心に住むのもわかるがそれ以外なら都心に住むこと必要を感じられない
これも、金持ちになった直後くらいに多くの人が言うことなんだけど、富裕層向けのサービス(といっても、ちょっといいパーソナルトレーナーとか習い事とか、ちょっといい個室サウナとか、丁寧目のクリーニングとか、そんなもん)とかが地方になさすぎて、満足いかないというのがあるらしい。
10億あって、使い道に困るような田舎に住むなら、3億でもよかったりする。子育てとか考えたり、老後のことも考えたら都心かそれ相応の地域がいいよ。
逆に、子供は勝手に育つし環境には左右されない、自分たちのことは自分でやる(掃除とかもお金あっても頼まない、老後も引っ越さずに自分ちで老人自身でなんとかする)なら、住む場所は選ばないと思う。
>10億円でS&P500を買うとウェイト最大のアップルでも7000万円。それに比べると一つの不動産に3億円も投資するのはリスクを取りすぎなように感じる。
ああ、不動産を買うときは借金ができる、というメリットが大きいからかな。自宅と、投資用で、5億円くらいひっぱれてしまうし、金利も嘘みたいに安い、しかも円安・インフレ局面から、やらない合理的な理由があまりない。
そりゃ言ってるように、S&Pと500かに突っ込めば、リターンは大きいでしょうよ。
https://anond.hatelabo.jp/20220410232915
こちらの続き。
いい忘れてた。相続について。子供がいる人はいろいろ工夫しているけど、スタンダードなのは、毎年数百万円とかを渡して、確定申告もして納税しておくパターン。なんだかんだ数十年すると、馬鹿にならない額になる。
海外の保険を使ったり、資産管理会社を作って、子供に株をもたせたりとか、いろいろなスキームはある。ただ、多いのは「子供に大金持たせてもロクなことにならなそうだから、教育とかにつぎ込んで、あとは自分で使う」という思想の人が意外と多いかな。
いいものを持ち、乗り、住み、飲み食いし、子をいい学校に通わせ、金持ちと交際し、慈善をし…って、人間が人間である限りは結局それくらいなのが切ない。お金があっても身長10mとかエラ呼吸とかにはなれないんだよね
これはみんな言う。大したことないですね、もっと人生が変わると思っていました、というのも。結局、お金がないときにがんばってたことと、ほとんど大差ないと感じる人が多い。お金でできることが思ったよりも少ないらしい。
こういう《打ち出の小づちから無限に金が出てくるような生活》が成り立つ理由って、死ぬまで搾取され続ける貧乏人たちがどこかにいるからだよね。その因果を巧妙かつ入念にロンダリングする仕組みが資本主義で
資本主義はゼロサムじゃないから搾取している、というわけではないと思うんだが、資本主義のおかしなところは、資本家超有利なところ。だからアメリカでも日本でも起業が超ハイリターンになっている。起業のリスクはあれど、リターンが凄まじすぎるっていうのはあるし、一度リターンでたら、ずっと資本家として凄まじい有利な状態でプレイできるっていうのはちょっとおかしいと感じる。株の売買とかは、収入が2000万円とかを超える分は、分離課税20%じゃなくて、50%とか取らないとバランス悪いなーとは思う。
そんな人間も東京だと同じ満員電車に乗っているのが日本の特殊性ですよね。西麻布って雨の西麻布の時代から何も変わってないんですかね...
東京だとタクシーが呼べば5分以内で来るから、タクシー使うかな。電車も乗るけど。早いから。
シャネルのシャツをクリーニングに出したら色落ちしたのでシャネルのお店に電話したら「洗濯を想定していませんので」って言われた話を思い出した。背伸びして使うものじゃないんだな
1人だけ、一度着た服は着ない、という人がいて驚いたことがある。でも後輩とかにあげてたりして、後輩は喜ぶし、本人は、ブランドの上顧客になり、ブランドのレアなものを買えたりするので、一概に無駄遣いでもないらしい。そして、ブランドの超レア品は、転売して収益になったりするらしい。
中央競馬の馬主になれそうに思うが、書いてないのはやっぱりコスパが悪いということなのかな。10億できたら政令市に1LDKぐらいのマンション借りたいな。それで車の免許取って大卒目指して国立の夜学に行くんだ。
馬主もいるけど、趣味に近いかな。成金とかが馬主になると、お作法わかっていないから嫌われたりするのは見る。変に調教に口出したりとか。
それっぽいフィクションとしては納得感があるが家族とかの話は抜けてるな。ストックオプションで10億ってことなら都心に住むのもわかるがそれ以外なら都心に住むこと必要を感じられない
これも、金持ちになった直後くらいに多くの人が言うことなんだけど、富裕層向けのサービス(といっても、ちょっといいパーソナルトレーナーとか習い事とか、ちょっといい個室サウナとか、丁寧目のクリーニングとか、そんなもん)とかが地方になさすぎて、満足いかないというのがあるらしい。
10億円でS&P500を買うとウェイト最大のアップルでも7000万円。それに比べると一つの不動産に3億円も投資するのはリスクを取りすぎなように感じる。
ああ、不動産を買うときは借金ができる、というメリットが大きいからかな。自宅と、投資用で、5億円くらいひっぱれてしまうし、金利も嘘みたいに安い、しかも円安・インフレ局面から、やらない合理的な理由があまりない。
よくTwitterを見ていると中学受験で辛い思いをした、貴重な遊びの時間を勉強に充てて苦しい思いをした、というネガティブな話ばかり流れてくる。
生存バイアスの逆、というものはあるのだろうか、苦しい思いをした人の話ばかり流れてくるが、少しの才能があれば別に何も大変なものではない(ちょっとお金がかかるくらいである。)
私個人としては、中学受験は全く苦労せずに地域トップの中学に合格したし、そもそも地元の公立中学に行きたくなかったし良いこと尽くしだった。
中学受験するより公立から優秀な公立高校行った方が大学受験良いよね〜なんて話も聞くが、そもそも大学受験目的で中学受験をしていない。むしろ高校受験も無いから中学時代はずっと遊び呆けることが出来たし、内申なんてものも気にしなくてよかった。中学3年時点で下位20%くらいの順位だったが、国立医学部にも合格した。流石にずば抜けて優秀ではなかったので中堅どころだが…。
田舎のことを全く知らない都会の人が都会の公立中学を見て底辺を語るなら笑ってしまう。
なんてことを書いているとやっぱお前中学受験したせいで性格悪いじゃんと言われてしまうのでこの辺にして
ではそもそも中学受験するには本当に苦労して勉強づけの日々を過ごさないといけないのか?
そもそも中学受験をしてまともな中学に行く人間なんて、大抵小学校のクラスじゃ1番のちっちゃな頃から優等生で、他の人が2時間かかる学校の宿題を15分で終わらせられたじゃないか。その余った時間を余分な勉強に充てているだけだ。
週に何日か塾には通わないとは行けないが、他の人がサッカーや習字やピアノの習い事をしている時間をちょっと塾に割かないといけなくなっただけだ。(もちろんそれらを習ったまま受験する人もいくらでもいるが。)
たまたま習い事の選択肢として、Aちゃんはピアノとそろばん、Bくんは水泳と習字、私は塾という選択をしただけである。今になってピアノを弾ける人カッコいいなあって思うけどね。
とは言っても、6年生になれば土日は潰れてゲームをする自由時間はたくさんあるものの友達と遊ぶ時間は中々確保出来ず、1年ほどは本腰をいれて勉強しなくてはならない。
ただここで勉強した分、高校受験する人が中学3年の時にたくさん勉強していたタイミングでひたすら遊び呆けていただけなのだ。
中学受験は極論、受験のタイミングが小6にあるか中3にあるかという違いでしかない。
受験科目に英語も無いし内容も複雑でないし、なんなら高校受験より楽だと言っても過言ではない。(いや、流石に過言だ。ただ高校受験における内申点とかいうゴミみたいな制度を聞くと、やはり過言ではないのでは…?)
失敗した時に浪人が出来ないのも同じだし、最悪失敗したら公立中学に行くという手がある中学受験と違って、高校受験は失敗したら詰んでしまわないのだろうか。二次募集の高校に行くのと公立中学に行くのとでは流石に意味合いが違う。
私が「中学受験をしたんだ」と言うと、「そっか、大変だったんだね〜」と哀れみの目で見て、中学受験をせず大変な思いをしなかった自分を肯定するのを辞めて欲しい。
私だって大変な思いはしていない。
※
私の地域は違うのだが、関東などでは?私立中高一貫校は土曜日にも授業があるのが当たり前らしい。それで「大変だったんだね〜」と思うらしく、大学に入ってから大層驚いたのだが、それならば仕方ない。
地方都市で出生。出生後すぐに父母離婚(ずっと死んだと聞かされていた)。母と祖父母と生活する。
幼少期から習い事ざんまいで、友人と遊んだ記憶がほとんど無い。
小学校に入学。3年生までは楽しく生活していたが、4年目から太ってるという理由でイジメを受ける。女からは菌扱い、男からは殴られ、虫食わされ、はぶられ。なんとか卒業。
中学に進学。持ち上がりだったため、イジメは本格化。不登校になる。
3年生の春に模試を受けたところ、偏差値30ちょい。このままではいけないと思い、勉強し、偏差値70まで引き上げ、全日制の高校に合格。
高校に進学。過去のいじめや、人と関わってこなかったため対人関係能力が皆無だった私は、周りとの接し方などわからず、中退。
中退後、高卒認定を取り、年次的にはストレートとは変わらない18歳で、そこそこの大学に合格。
大学に進学。これまでと違い、クラス制は無く、自由な環境で、人にも恵まれ、失われていたこれまでの人生をややここで挽回した感じ。彼女も出来た。
就活は、これまでの人生や会ってきた人を見返してやろうと思い頑張り、それなりの会社に就職した。
就職。
最初はボロボロだった。やっぱり普通とは違う。まわりはしっかりしてる、私はなにもうまく出来ない。葛藤して、死にたくなった。上司からのハラスメントもあり。でも頑張った。人生、落ちるのは簡単だけど、上がるのは難しいのは痛いほど分かるから。
あるとき、過去の不登校や中退が人事の同期にばらされ、距離をおいたり、陰口を言ってくる同期も結構いた。あからさまな無視をする女もいた。
とはいえ、仕事をするために会社に行っているわけなので、気にせず日々を過ごした。
異動でいわゆる花形部署に。必死に頑張った。社内で認めてくれる人も増えてきた。この頃、結婚し子どももでき。
教育係がマイクロマネジメント、機嫌が悪いとネチネチと詰めてくる。メールの文章や電話対応、仕事の進め方も逐一チェックされ。
人生、こんなに辛いなら終わりにしようかと思ってる。