はてなキーワード: 社畜とは
タイトル通りです。以下は惚気です。
ッッッッハア〜〜〜〜〜最高の15日間だった!!!!!!!!!!!!!!!!
みなさんは好きな人、いますか?シャープペンシルを握る右手の人差し指に触れてみたいとか、ふとした拍子にチラリと見えた控えめなピアスに目が釘付けになったとか、委員会も部活もゼミもサークルも部署も会社も違うけれど、これまでの人生で一度だけ交差したことがあって、ただその交差はわたしにとっては交差だけれども向こうにとってはただのすれ違いで、それでもいい、それでもいいから好きなんだ…………。と片思いし続けて早7年の爆美女と、ついに、お泊まりしました(??????????????)
いや急転直下すぎるな、ソシャゲの公式がおかしくなって投下した期間限定イベントじゃねえんだから。もうちょい流れ、しっかりしてんだろ。
えー、筆者は25歳北の限界労働系女子。朝から晩まで働けません。普通に無理です。限界です。気が狂ってたまに業務用コンドームとかむちむちバキバキ本格ディルドとか買ってます。最近は居住地区のラブホテル全館全室制覇を目指して深夜残業に勤しんでます!
そんな限界労働者ことわたくしにも心優しい友がおり。大学で出会った友人のうち数人とはいまだにやり取りをする仲なのですが、その中に、筆者が7年間恋焦がれた美女が、おるの、で、ございます。あ、あーーーーーーーーーーー、好き。
ほいでね、ある日美女とLINEをしていたところ、彼女は資格取得のために勉学に励んでおり、アルバイトやらなんやらに追われないところでじっくり勉強したいと。そいで、わたしはなんの気無しに「そしたらうちおいでよ!」と送ってしまったわけですよ。来るはずねえよ、だれが津軽海峡渡ってまで勉強しにくんだっつー話よ。したらば返信これ。
「お邪魔じゃなければ25歳労働者ちゃんのお家で、作業してもいいかな?2週間くらい……迷惑だよね……?」
はよ来い!いま来い!すぐに来い!!!
と叫びたくなる衝動を抑えて、いいよ^^と返信し、日程などを調整し、お客様用布団を揃え、お部屋を掃除し、車も洗い、いざ迎えにゆかん空港へ!
危うくひれ伏して神に祈りを捧げるところだった。危なかった。アッラーだかヤハウェだか天照大神だかカムイだかわかりゃせんがとりあえず半径1000キロ以内に存在するそこかしこの神と名の付くものすべて引っ張り出してきて松明に火を灯し三日三晩寝ずに踊り狂うところだった。
空港から帰宅後に始まった彼女との半・擬似同棲生活はもう、幸せでした。と言いたいところだがここで一つ。
わたしは、彼女への想いを伝えたことがなく、彼女もまた、わたしについてどのような感情を抱いているのか、確認すらしたことがなかった。
ジーザス。神は試練をお与えになる。
でも乗り越えられない壁はないってイチローも言ってたし!いざゆかん!斬り込み隊長!
社畜女「えーと、彼女ちゃんって、あれだよね大学のとき彼氏がいたとかなんとか。恋愛しなさそうだったから、なんか意外だったんだけど」
美彼女「ああ、懐かしい話だ。別れたよ、うん。なんか恋愛っていうか枠組みっていうか、微妙かもしれないなって気付いたんだよね」
社畜女「そうかー。ちなみにだけど、その枠組みには男子も女子も入る感じ?」
美彼女「入るね。入るけど、入ったらもう、しんどくなる気がする。だから入らなくてもいいなって思ってる、今は」
おかわりいただけただろうか………🍚
ごはんいただけただろうか………🍚
ンマア、そんなこんなで幕を開けてさっさと閉じかけた半擬似同棲生活。こちらとしてはかなりかなりめちゃくちゃ本当にどタイプで顔も見た目も内面も知性も趣味も彼女を構成するものすべてを吸収して逞しく生きているさまを見るだけでわたしはもう、なにか触れてはいけない神々しさの間近にいるような感覚になってしまうのですが。
神は恋愛については下界へ降りてこられることはなさそうで、25歳北の労働者はあっけなく振られました。結構ストレートに告白したつもりだったんだけどね?!だめでした。
でも告白した次の日も普通に2人でスーパー行って洋梨買って肉買って塩買ってラップ買ってトイレットペーパー買ってアイス買って帰ったよ。たまにドライブもしたよ。わたしの運転で神が酔ってしまわないか若干の心配をしつつ、ハンドルを初心者ばりに握りしめながら北の大地を東奔西走したわよ。楽しかったな。本当に。
夜眠るとき、彼女はお客様用のお布団で寝るのよ。わたしはベッドで。ただの友達だったら女の子同士だし小柄だしってことでベッドで一緒に寝ますけれども今回は事情が事情っていうかわたしがガチすぎたので布団は分けました。正しい判断だったと思います。
彼女がいる間、隙を奪えば手や唇のひとつやふたつ、なんならそれ以上だって踏み込めたはず。優しさのふりをして抱きしめることだって。でもそれをしなかったのは、彼女と構築していきたいのは刹那的かもしれない恋愛としてではなく限りなく永続的な人間関係を続けていきたかったから。
過去の話をする中で、お互い同性同士の恋愛に躊躇いがないことは確認できた。にゃるほどね。そしたらもう、あとは、わたしのことを好きになってもらうしかなくて、でも好きになってもらうために何かするとかは愚かな行為で、きっとわたしがわたし然としていればいつか彼女の目に留まるはずなのだ。そしてそれは彼女の目でなくとも、わたしとのすれ違いを交差だと感じてくれた誰かの目にも、映るはずなのだ。だからわたしは今日も明日も明後日も、美しく軽やかに、確固たる意志を持って、あるべき場所へと戻る人々を空港から見送る。
1)2年間働けば何かしら身に付く
時間に換算すると、8時間×365日×2年で5840時間になる。
5000時間集中して取り組めば何かのエキスパートになれる説があり、
本人のスキルが足りてないからかもしれないし、原因はいろいろ。
ただ、効率が良いからといって、残業せずに済むほど社会は甘くない。
効率が良くても誰かに足を引っ張られて、残業することも多々ある。
僕も、50代のおっさんが頻繁にタバコ吸ってるせいで残業したことがある。
「いい加減にせい、お前は」とキレそうになった。
それだけ、はい。
5)社畜になることは楽をすること
社畜になるというのは楽なことだと思う。
ただし、責任感が身に付いたと思ったら、
めんどくさいルールはあるし、話の合わない人とも話さなきゃいけない。
それを差し引いても、決してすべての飲み会が楽しいわけではない。
頭の中は、業後のことでいっぱいである。
ただし、社畜には休日出勤というオプションがあるのでこの限りではない。
9)歯向かう相手は慎重に選ぶ
それを考えて、会社を利用することが、社畜にできる数少ない抵抗。
11)デキる人ほど辞めていく
12)ただし辞めた人がデキるとは限らない
経験則的に、これは正しい。
より条件の良いところを見つけて移る。
一方、僕のように、デキないのに自分の能力を過信して辞める人間もいる。
デキないのにデキないことを自覚せずに残るよりはマシだと信じてる。
どんなダメ人間でも、外に出ることで、自分のダメさ加減を認識できる。
13)資格なんて役に立たない
~検定1級持ってます!
で?
TOEIC~点です!
で?
ごく一部の難関資格でない限り、持ってるだけじゃ役に立たない。
資格はセルフブランドするためのツール。ツールは使えてなんぼ。
その仕事をやってくれる中国人やインド人は世の中に五万といる。
仕事のベースは信用。嫌な仕事でもやらないと信用は得られない。
飲み会中に言っても忘れられることが大半。
退職するって言って好きに異動できるなら、皆やってるわい。
よほどのことでない限り、自分だけが特別扱いされることはない。
17)親の喜ぶ顔が見れる
一方で、中途の人は優秀であることが多かった。
もう少し一般化して考えてみる。
経験値というものは、社会に通用するものとその会社固有のものに分けられる。
そして、その経験値というのは、1:2くらいの割合で貯まっていく、たぶん。
中途で入ってきた人は、社会に通用する経験値がそれなりにある。
会社がなくなったら、どうするの?
その先輩は同じ会社の二個上。
「(嫌われ先輩を指さしながら)あの気持ち悪いのいるじゃん?あれ殴っていいからな」
「殴っちゃダメだって(笑)でもあれには敬語は使わんでいいよ(笑)」
という露悪ジョークをいきなり投げかけられてショックを受けたことがある。
と勝手に警戒し始めた。
一次会が終わったあと、嫌われ先輩は皆から巻かれてとうとう二次会には現れなかった。
1ヶ月の研修の後、私は本配属となり嫌われ先輩と同じフロアで働くことになった。
そして現在まで嫌われ先輩の振る舞いや言動を見ていて気づいた特徴がある。
例えば、語尾が「~なんよ」だったり、「いや、めちゃめちゃ食うやん」みたいな言い方のツッコミをしたり、他の20代の同僚がそういう感じに言葉を繰り出すのとは対照的に、嫌われ先輩は流行り廃りのない日本語しか使わなかった。
もしも「いや、めちゃめちゃ食うやん」を嫌われ先輩の言い回しに変換するとしたら
「いやぁ、たくさん食べるんだね!
僕も〇〇が好きでさあ、スーパーとかで見かけるとついつい買っちゃうんだよね( ˶ ᷇ 𖥦 ᷆ ˵ )
だから家の冷蔵庫にはいつでも〇〇がたくさんあるんだよ(*•̀ᴗ•́*)و ̑̑」
みたいになる。
同年代の同僚は露骨に項垂れながら「よかったね……」と疲れ切ったように絞り出すとか、
後ろを振り向いて背後の同期に「(こいつぶっ飛ばしてえええええ)」とでも言いたげに握り拳を見せつけたりとかしてる。
・怒らない
・無表情にならない
・悲しまない(落ち込まない)
・同僚の接し方や問いかけに含まれる悪意に対する感度が嫌われ先輩はゼロに近いほど鈍いので、嫌われ先輩の反応で場がめちゃくちゃ変な空気になることがある。
例えば、モロの童貞探りを入れる同僚の質問に対して嫌われ先輩は
「いやあ、情けない話ですがそういうのがないんですよねえ~(´×ω×`)
この間、お盆で田舎に帰ったときも父方の祖母を心配させてしまいました!( ˊᵕˋก;)」
みたいな感じで返すとか。
なので嫌われ先輩は同年代のヘイトを一身に受けているのにも関わらず職場でパワハラは食らっていない。
いつもの調子で繰り出される嫌われ先輩の言葉に、重役が「可愛くて仕方がない」という感じでニコニコと耳を傾けて雑談している光景をたまに目にするのだが、
20代30代の同僚たちはめちゃくちゃ冷ややかな視線を送ったり、お互い目配せして蔑みの微笑みを浮かべ合ったりしている。
ここまで書いてて分かったわ。
軽く30歳以上歳が離れた重役たちが定年退職して会社からいなくなったら、嫌われ先輩の居場所マジでなくなるっていうか普通に中学校みたいな露骨ないじめが始める未来しか想像できない。
うちの会社は都会で生まれ育って裕福で高学歴でしかも美男美女という何不自由無く生きてきた若手がうじゃうじゃいるのに、そんな人たちまで嫌われ先輩に対してクソ意地悪で好戦的に豹変するんだから、嫌われ先輩はもう同世代にとっては異星人なんだよ。
ていうか嫌われ先輩、なんでこんな華やかイメージのミーハーな業界選んだんだよ、全然そういうのとキャラ違うじゃん。
お爺さんお婆さんばっかりがのんびり朗らかに仕事してるような会社行ったほうが絶対良いよ。
正直、私は嫌われ先輩のことは嫌いでも好きでもどっちでもないけど、なんかもう本当に居た堪れない。
誰かに養ってもらうためや世間体のために子どもを作りたい、または虐待の意思を持って子どもを作りたい、
どう考えても毒親確定(子どもの権利や幸せを最優先する能力やつもりがない)なので、流石に止めるけど、
それ以外で子どもを作りたいという人に対して特に何も思うことは無い
健康や経済力に不安があるなら、公費でベビーシッターやヘルパーなどのサービスを利用したり、
大きな仕事をしたいって意気込むくせに、育休取ります、子供が熱出したので会議出れませんと、仕事を放棄し他人に丸投げ。
皆仕事してるなか、Slackに子供との様子をツイッターの如く書き込むやつもいるし、自分が不妊治療で大変だったのに子供を授かり生まれた瞬間に同じような状況のやつを配慮しない幸せアピールするやつ。
社会人なので表面上は仕事を丸投げされても快く引き受けるし、幸せだね〜楽しそうだね〜と返答するけど、心を無にして社畜の如く働く。
こういうこと言うと、社員を冗長化してないのが悪いとか言うやついるけど、よっぽどの大企業でも無理でしょ。
常に既婚者は子供が生まれる・または育てるリスクがあると踏まえて、2倍3倍の人員を確保してくってか?お前は働いたことあるのか??
お、社畜君かな?鎖自慢がんばってね
元生活保護受給者でアスペと鬱で精神2→3級だが、少し前に、ようやく社会人(正職員待遇)ができるところまで戻ってこれた。
社会人といっても某飲食の一兵隊なので、世間一般でいえば「負け組」とか「底辺社畜」の類だと思う。
そして生活保護をそれより上だの下だの、そういう序列をつけて優越に浸りたいというわけでもない。生活保護には大変お世話になり、このセーフティネットがなければI was gone.しているか、生きていても反社勢力の捨て駒か何かになっていたかもしれない。雨風が凌げる快適な部屋で、布団にくるまって眠れて、贅沢しなければ日に三度の食事に困らず、人の道を誤らないように暮らせたのだから、福祉事務所の方角に足を向けて眠れない。
といっても別に変わった経緯でもないと思う。地元の公立小・中・高を経て地元の宿泊業を営む会社に入りホテルマンとして働き始めたのだが、不規則勤務・薄給に加えてお局の係長からのパワハラにより精神崩壊して退職、精神2級判定、実家に帰る、雇用保険の失業給付が尽きる、実家から出される、保護開始……こういう順序だったと思う。
実家での待遇は良くなかった。特に兄が酷かった。両親も最初の頃は同情的だったものの長男(兄)の機嫌を損ねるわけにもいかなかったのだろう、次第に冷たくなり、雇用保険の給付が尽きるときに30万円を渡され、今のていたらくで盆と正月以外は実家に近寄るなという旨のことを宣告された。田舎だけに周囲の目もあるし、やむを得ない措置だと思うし、今更それを遺恨に思ってもいないし、ここでズルズル寄生を許可されていたら今頃は立派なニートのできあがりだったことと思う。もっともそのときは、ああもうこれは死刑宣告だなと目の前が真っ暗にはなったが。
とはいえそう簡単に自殺できるなら何も苦労はない。役場の障害福祉課(精神障害者の手帳の件でお世話になっていた)に話をしたところ、ありがたいことにこんな穀潰しに親身になってくれ、提案をもらえた。
ひとつは「障がい者のグループホームに入居して集団生活を送る」こと、もうひとつは「手持ちのお金でとりあえず単身向けの安い賃貸を契約して住む」ことだった。いずれにしても精神2級の状態で今後の生活にかかるすべての経費をまかなうことは不可能だろうから、生活保護の申請は前提と言われた。一刻も早く家族(特に兄)からの攻撃から解放されたかったので、障害程度区分(介護保険でいう要介護1~5みたいなの)を取ったりするために必要になる時間も惜しみたくて1Kの賃貸アパートを契約してそこに引っ越すことにした。引っ越すといっても冷蔵庫や洗濯機は家族共用なので家電量販店で買ってアパートに届けてもらうことにし、段ボール箱5つ分くらいの荷物を自室から原付のリアキャリアに縛ったりステップに置いて運ぶだけだから、引越し自体もあっけなく終わった。父のワゴン車に積んで運べば1回で済んだだろうけれど、その迷惑をかけるのも躊躇ったのは覚えている。
生活保護で月に支給される額はおおよそ12万円程度。障害基礎年金は無事3級が出たが、年金は収入として申告し、その分減額される(生活保護+年金になるわけではなく、他の生活保護受給者と同じ金額で生活をすることになる)システムなので、年金が出たからといって裕福になるわけではないことを知ったが、とりあえずこれで、贅沢しなければ衣食住が許されるくらいのベースができた。原付(125以下)が、「事故を起こしたときにちゃんと賠償できるように任意保険にも加入すること」を前提に保有・運転してもいいといわれたのは助かった。
『働かずに食う飯』が美味いかどうか……。考え方に個人差はあると思うが、私にとっては何を食べてもあまり味がわからなかった。保護費支給日に、月に1回くらい口の栄養をと思って高い外食(といってもファミレスとか回転寿司くらいだが)をしても、味に感動するようなことはなかった。むしろ高い飯を食べると罪悪感が強かったようにすら思う。
刷り込みとか色々あるかもしれないが、とにかく、『今この時点において、自分より無価値な人間はいない』ということを感じていた。卑屈になりすぎていたのかもしれないけれど、今の自分が生み出せるものといえば二酸化炭素と排泄物しかないわけだから。テレビを持っていなかったのでもっぱらラジオだったのだけれど、野球中継を聴いて贔屓のチームの選手が拙いプレーをして点を取られたときにも、自分ごときが選手を叱咤できる立場じゃない、となって、野球中継さえまともに楽しめなかったくらいになった。
鬱もなかなかその頃は酷く、家事は勿論のことながら入浴すら自発的にできなかったので障害福祉サービスで週3回ヘルパーさんが来てくれるようになり、相談支援専門員さんがついてくれることになった。モニタリングという定期的な面談のときに「ラジオで野球を聴くのすら申し訳ない」というようなことを話すと、就労継続支援B型という作業所を紹介してくれた。見学に行ったところは障害の程度や意欲に応じて、ほとんど遊んでいるに等しいレクリエーションのようなことから集合住宅や公共施設などの清掃まで幅広くやっていたところで、「ちゃんとできるかどうかわからないが、清掃作業をさせてもらえるなら」という条件で通所し始めた。週1日・午後のみから始めて、少しずつ増やして週4・午前午後になり、報酬として工賃を2万円くらいいただけるようになった。まったくの無価値ではなく、月2万円だが自分にそれだけの価値を認められたことが嬉しかった。もちろん収入なので生活保護の支給額は減るのだが、勤労による収入の場合は控除が認められて、2万円工賃をもらえれば月に1.5万円くらいは実質的に自由になるお金が増えた。この頃には、「月1回くらいは口に栄養しても」の罪悪感も少し薄れ、熱々のハンバーグがとても美味しかった。
……とここで、レジで会計をするときに壁に貼ってあったポスターを見て、「アルバイト募集されているんですね。未経験歓迎とありますけど僕みたいなのでもいいんですかね?」などという畏れ多いなんてレベルを超越した暴言を吐いてしまったのだ。
レジカウンターを挟んで二言三言のあとバックヤードに連れて行かれ、店長がいる時間帯に履歴書を持って面接に来てくれという話になってしまい、そこから何をどうしたかよく覚えていない。作業所までそう離れていなかったので、まずは作業所に駆け戻ったのだけは覚えている。
後日、作業所の管理者さん同行で面接になった。店長と施設長が最初に長く話し、最後の方で何か言いたいことはと問われたときに、施設長が言わなかったこと(生活保護受給中とかただの精神2級ではなくアスペルガー症候群もあること)を言った。施設長がいい顔をしていなかった。ここで仮に採用に繋がれば作業所の実績に繋がる大事なところなので、その足引っ張りになることをされたら困るというのが施設長の本音だと思うが。
採用の前にまず実習ということになった。熱々の料理をお客様にぶちまけるような致命的な失敗こそしなかったが、皿は相当割った。14番テーブルに持って行くはずの料理を24番に誤配したり散々だった。高校生の先輩バイトさんに使えないと舌打ちされたのも覚えている。
……が、総合的な評価はそこまでダメではなかったのか、まずは週2日のランチタイム要員として採用された。10時半から15時の4時間半。百戦錬磨の兼業主婦のパートさんにはこき使われたが数多のフォローや配慮をしてくれて感謝しかない。
週2日と4時間半が次第に延び、フルタイムになり、正職員待遇になった。精神の手帳も2級から3級に見直された。生活保護は基準より収入が上回ったため停止され、半年後に打切りになった。福祉事務所に頭を下げに行ったら担当のケースワーカーさんに激励していただいた。
正職員待遇とはいってもあくまで障がい者雇用なので、健常者とまったくの同一条件ではないけれど、少なくとも今は野球中継を素直に楽しめるようになったし、親や兄・妹との関係もある程度戻ったと思う。兄のところには2人子どもがいるし、妹も近々結婚するらしいことを聞くと、私は家庭を持っていないことが兄や妹と較べてレベルが下だが、これはさすがに相手のあることだから自分だけが足掻いてどうにかなるものでもないし、仕方ない。
お金だけがすべてではないが、今は保護費より相当多い給与を貰えているし、そのおかげで保護の頃より僅かだが広く便利がいいアパートに移った。雑誌や文庫本くらいならそこまで財布と相談しなくても買えるようになったし、何より「お天道様の下を堂々と歩ける」ようになった。
もちろん、今後また何かの弾みで生活保護に助けてもらうことにならないとも限らないが、保護に依存しないように、備忘録として残したい。