はてなキーワード: 矮小化とは
と書いたらそこそこ反応をいただいたのでもっと具体的に書いていこうと思う。
あくまで弱者男性を語って社会問題として扱う話ではなく、趣味のオススメ程度に思って欲しい。
掘る掘られるは準備が大変なので実はあまりメジャーじゃなくて、
お触りプレイがメインだよ。
女装さんが集まるエッチなお店やハッテン場として有名な映画館でできるよ。
Twitterなどで出会って、ホテルでオフパコすることもあるよ。(ハッテンの定義と違うかもしれん)
公園をハッテン場としてる人もいるけどやめたほうがいいよ。
気持ち良いことできるよ。場合によっては可愛い(男の)娘とえちえちできるよ。
普段の自分とは違う存在になって気分転換にもなるし、チヤホヤされたり男性としては経験できないことができるよ。
弱者男性として嫌気がさしている人はいっそ女性として扱われる環境に身を置いてみればいいかも?
そんなことないよ。まず男性としてモテる人と女装でモテる人は違うよ。例えば背が低い方が女装向きだよ。(もちろん高くてもOK)
顔も化粧でどうとでもなるよ。年齢は20代ならもれなくチヤホヤ、30代でも人気、40代50代でも需要があるよ。
「女装同士でセックスすることと、オッサンに犯されてメス堕ちすることにはだいぶ性癖の隔たりがある」
私が最初に女装にハマったのは小学生の頃にスカートを履いてみた時だった。
女の子の格好にもともと興味があったのですごく興奮し、鏡を見ながらしこってしまった。
それから女装のクオリティがどんどん上がり、鏡をみてしこり、時には2chなどに画像をアップするようになった。
2chで「可愛い」「えっち」と褒められると自己肯定感が満たされて、普段モテない自分はどんどん沼にハマっていった。
鏡の中の自分、写真の自分とエッチしたいけどできない……そんなわけで他の女装さんと女装レズをすることになった。
女装レズをしばらくしていくと、男性の肉体に抵抗がなくなった。
というのも、エッチの過程で服をはだけさせていくとだんだん男になるからだ。
それで女装さんの集まるお店に行くと男の人に声をかけられたり、周りの女装が男性とやってたりしている。
相性が合う合わないはあるが、ぶっちゃけ体を触れるなら女装も男性も同じだった。
むしろ自分を女性扱いしてくれて積極的に気持ちよくなれるようにしてもらえる分よかった。
このころには「女装さんがいない時は男性でもいいか」ぐらいにはなっていた。
今までは女装さんが集まるお店で遊んでいたが、新しい刺激が欲しくなったのでハッテン映画館に行ってみた。
そこは暗闇で女装子が映画を見ていると四方からオッサン(爺さん?)が集まってきて体中を触られたり舐められたりする。
私はそこでハマった。
女装子を相手する時みたいにこちらから気持ちよくなるように奉仕する必要もないし、
男性と一対一でやる時みたいなコミュニケーションも必要ない。(別にコミュ力がなくても男性が盛り上げてくれるから関係ないが)
4,5人の人に同時に責められて、可愛いねって言われて、頭がぼーっとして、肉体も精神も気持ちよくなった。
事が終わったら「ありがとね~」と感謝されて、たまにジュースをごちそうしてくれたり。
別に相手が女だろうが男だろうが女装だろうが、性感帯を刺激されるだけなら関係はないのだ。
だったら男性、特に高齢の男性の性的価値が暴落しているところで若い女装の私が無料で大勢の男性をはべらせて気持ちよくなるのはコスパがいい。
しかも男性たちは大喜びだしいいことをした気分になる。これほどいいことはない。
女装の新人さんがハッテンをしたら女装レズ人口が増えてみんな幸せになる!
まず第一に私は「ゲイ」「ホモ」については本記事において一切言及していません。
なのになぜこのような意見が出るのだろう……と思ったのですが、
これは世間の人がヘテロセクシャル以外「LGBT」という一つの人種であると誤解しているからではないでしょうか?
界隈で遊んでみての感覚ですが、レズとゲイは決して交わることはない世界にいるし、女装とゲイも明確に区分けされています。
考えてみれば当然だと思いますが、ゲイの方は男性のことが好きであるので女性として扱われる(ことの多い)女装と相手したいわけではないのです。
そこでお店やハッテン場ごとにジャンルが分かれ、界隈ごと分かれているのです。
またゲイの人は男性が好きな人であって、ハッテンと安易に結びつけるべきではないです。
ハッテン好きはハッテン好きという趣味の話であって、性的指向とは切り離さなければなりません。
ヘテロセクシャルの人が全員ハプニングパーに行っているわけではないのと同じです。
私は今まで女性にモテなかったし、モテていたらハッテンもしなかったでしょう。
弱者男性である私が性的に満たされた趣味の一つとしてハッテンをオススメしました。
やりもしないことを「せいぜいお前はこれやってろw」というのはバカにしていますが、
私はハッテンを身をもってやっているので本心でオススメしています。
これがジェンダー論の論文や国連の宣言ならまだしも、はてな匿名ダイアリーの記事に対して影響力が本当にあると思っているのか疑問です。
どうせ来月には電子の山にうずもれてしまう議論の中で、匿名での弾糾が社会を大きく変えられるのならば、私たちはこんな苦労をしていないのです。
私は匿名でのレスポンスのやり取りの中で社会が変わるとは信じていません。
この駄文を読んで「ハッテン場、興味があったけど行ってみようかな」という人や、
私のお尻を触って「今日は女装子ちゃんのお尻を触れて性的に満たされた」というオッサンがいたら、私個人でできる範囲の救済だと思います。
これは大事なので守りましょうね!
触るだけでもゴムをつけよう!
話を矮小化してるのは君だよ
下方婚した女性(すでに一定数いる)も家事・育児・教育まで負わされれば必ず上方婚になってしまうんだ
少子化解消のために下方婚する女クレがあてがえでないというのならそっちだって問題にするのがスジだよな
だって「あてがい」か「意図して結婚」かを問わず下方婚した女性はすでに下方婚し終わってるんだから無視しちゃだめだ
この芽を摘まずに伸ばそうとなるのがスジだよな 少子化解消も結婚だけじゃなく妊娠出産育児まで手当するべきだよな
ならその解決手段としてまずは育児・教育を「男女みんなで」負担すればいいよね
高収入だった賢い・体力ある女性も弱点たる子供を性犯罪者に狙われれば一発でキャリアは終わり
そういう事実に怯えないために弱者男性よりさらに弱者な子供を保護する体制ができればいいよね
ついでにうまく教育がいきわたって弱者男性になるはずだった男性が強者男性にそだてあがればいい それを延々とやってるのがラノベ転生ものだろ フィクションに逃げてないで現実をラノベなみにする方向に頑張れよ 前世で無職でランク上げ作業してたことが無駄にならなかったな、じゃねえんだよ
結婚だけが問題じゃないってわかったか?「弱者男性の結婚」という一瞬で終わる人生行事だけ援助しても意味がないよな、おまえらも以前は弱者幼児でこれからは老害になるんだよ
しかしこのような調子のツイートであっても問題はないということをMGTOW NEWSは示している(ダブスタなんてするはずないからね)。換言すれば「このような悪質な憎悪文書を茶化し結果的に矮小化することは不謹慎だ」という非難はそれ単体では適用できないということだろう。
フォロワー1000人程度の300リツイートしかされていない削除済みツイートが炎上しなかった事例はそういった内容のツイートが倫理的に何も問題がなく批判に値しないことを意味しません
スピード違反をしても捕まらなかった人がいるからといってスピード違反をしていいわけではないように
cinefuk 「(エロワードで検索してきたスケベ親父が)このテキストを読んだらギョッとするだろうね!そう思うと楽しいな!」と書いたら、なぜかヘイトスピーカー呼ばわりされてしまう。ネット右翼は日本語能力が著しく欠ける
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210403192438
エロワードで検索してきたスケベ黒人が黒人皆殺しを掲げるテキストを読んでギョッとする様を思うと楽しいな!なんて書いたら一発でキャンセルされそうですけど
フィクションのキャラクターの定番属性の一つに『極端な低身長の天才』というものがある。
実年齢自体が周囲より低い場合もあれば同年代にも関わらず異様に身長が低い場合もあるが、どちらの場合も非現実的な存在、フィクション性の高い存在としてキャラクタライズされているケースがほとんどだ。
何故非現実的な存在として扱われるのか。フィクションと異なり現実日本の教育制度は年齢主義であり、優秀な生徒の飛び級が存在しない事も理由の一つとして挙げられるだろう。しかし、本質はおそらくそこにはない。
『天才』『極端な低身長』という属性がそれぞれ独立している状態なら「身近にはいなくても、一つのパラメータが極端なだけなので現実の延長線上で想像がつく」が、『天才かつ極端な低身長』ともなると「極端なパラメータが複数あるので人となりを想像出来なくなる」、これが本質ではないだろうか。
ゆえに、フィクション性を纏わされる。謎のひみつ道具を持ち歩かされ、こんな事もあろうかと用意周到が過ぎる人物にされる。
だが、私はそのようにフィクションを纏わされる『極端な低身長の天才』達に、親近感を覚える。
何故なら、私がそうだからだ。
私は極端な低身長だ(った)。
「成長ホルモン分泌不全低身長症」、これが私の健康診断票にいつも書き込まれていた病名だ。
症状は文字通り。原因は分かっていないらしい。
治療法も、成長ホルモン製剤の注射という対症療法的な物だ。極度の低身長という症状が明確に現れないと発覚しないものだから、身長が一般的な範囲に盛り返すまで時間がかかった。故に少年時代はチビなショタだった。治療を終えた今でも、身長は低く童顔な方だ。
毎晩の成長ホルモンの皮下注射というものは、子供心に結構辛かった。自分だけが遭わされる不条理というものと隣り合わせで育ったものだから、随分世の中は不公平なものだと絶望してしまった。
あと注射をしていたケツと太ももが心なしかデカくなった。安産体型ショタだぞ、抜けよ。
そして、私自身これを自称するのは鼻について好きではないが、少なくとも周囲からの評価を総合すると、私は天才だそうだ。
個々人の積み上げた好奇心と歴史と研鑽と努力と熱意を不可視化し、天からのギフトなどと矮小化する天才という単語はこの世で最も嫌いな単語なのだが、はてさて秀才ではつよそう感がイマイチ足りないので仕方なく天才という単語を使う。
3歳の時には、お遊びでジグソーパズルを裏面を向けたまま完成させて大人を驚かせたそうだ。私自身、出来そうだと思って挑戦し実際に成し遂げて満足した記憶がある。
看板から成分表まで活字があれば何でも読み込む子供で、よく迷子になっていた。漢字も自然に覚えたため、小1の時点で小6の教科書を漢字含め読めていた。
大人しくさせるために買い与えられたマンガ、百科事典や国語辞典の類は、それはもう食い入るように読み込んだ。寝食を忘れて読み込んだ。寝食忘れの自己最高記録は、確か留守番中に叩き出した27時間連続だったか。中国の8日間絶食読書兄貴には敵わないが、中々な記録だろう。勿論それが健康に悪いことも理解していたので、以降は気をつけるようにしたが。
全国模試でも算数や理科で何度か1位を取った。満点なのだから当然同率1位だ。中高以降は恩師のおかげで現代文も得意になったので数学、現代文、物理で経験した。
そんなんだから、大した勉強もする事なく通学圏内最高峰、数十年東大進学者数首位の開成中学校に受かった。なんか受かったから行くわ!wが正直な感想だった。
真剣に受験勉強をしていた、しかし活字中毒などの変態性はなかった学友が残念ながら麻布や東邦止まりで(勿論これも十分凄いのだが)、この時に適性の無い者へも無意味な苦難を強いる学歴社会への明確な嫌悪感を覚えた。
開成の同級生は大きく3タイプに分けられた。勉強する事が大好きで大好きで仕方がない変態と、私のように勉強は好きでも嫌いでもないが活字や知識にのめり込む気質のある変態と……学歴の威光に取り憑かれた愚かな親の犠牲者となった、凡人だ。
学歴主義を刷り込まれた凡人達に、私は恐怖と憐れみを感じた。真面目に勉強した事もなく学校や塾も寝がちだった私にとって、青春を擦り潰して校外でも毎日8時間勉強するという価値観は理解出来なかった。
そこまでして一体、一体何になるというのだ。毎日1時間、1ヶ月ほど勉強するだけで適当な資格は彼らなら余裕で取れるだろう。職に困らないために学歴を取る、なんてのはおよそコストとリターンが釣り合っていない。
私は彼らが怖くて、大学は全く関係ない某美大に学歴パンチで進学した(ここを詳細に書くとマジで特定されそうなので勘弁してくれ)。そもそも私の夢自体、漫画家とかゲームクリエイターとかのクリエイター方面だったし。
私が開成に通った途端に学歴に取り憑かれた金だけしかない親には美大進学は猛反対されたが、教育虐待で警察に駆け込むと脅したら反対しなくなった。中高当時に親から受けていた拘束を思えば、実際駆け込めば成立していただろう。
ここまで見て分かるように、私の『極端な低身長』属性と『天才』属性に、一切の因果・相関関係はない。だからこの属性が偶然重なる確率は非常に低い。
開成中学合格者数は一年ごとに400人弱、当時の小6男児の日本人口約60万人で割ると1500分の1。そこに成長ホルモン分泌不全低身長症の15000分の1を掛けると2250万人に1人となる。ちなみにそこに、『開成高校から私の行った美大にいく変人』の数、大体3年間……1200人に1人ぐらいらしい?を掛けると270億人に1人だ。地球人口こわれる!
2250万人だか270億人だかはもう大差ないし、スキーn級とか小4?だっけ?で夏富士登山完遂(同級生の平均よりも遥かにちっこい身体でだぜ!すごくね?)とか付け足せばいくらでも数字を伸ばせるのでもうどちらでもいいが、まあとにかく私は客観的に見れば超激レアキャラだという事になる。オラッ喰らえ世界に一つだけの花パンチ!
ただ、これらは全て私の大事なアイデンティティの一つだ。私にとってのそれらは見たことのない激レア属性ではなく、いつも自分自身と隣り合わせのアイデンティティだった。
どんなに希少な属性が重なっていようが、偶然の悪戯が起こればSSRキャラクターはこの世に生を受けてくる。アフリカの貧しい子供達にもたまたまマックにいた桜蔭JKにも想像を及ばせられない、二つ要素が違うだけです〜ぐ想像出来なくなるインターネッツ愚か者共に嘘松呼ばわりされようとも、激レア属性がたまたま重なった私は今ここに間違いなく存在している。マックにも行くし高校生時代に時代遅れな価値観のオッさんに物申した事もある。喝采ってほどじゃないけど周りの人本当に拍手してくれるんだね。
だというのに、ロリショタ天才達は常にフィクション上の、架空の存在として扱われている。
ならば、ここにいる私は一体何なのだ?
私はフィクションなのか?匿名の増田ですらない、完全なる架空の存在なのか?
有り得ない嘘松だけの存在として、想像力の埒外にいなければいけない存在なのか?
ただのゲーム好きな子供だった私はここに、この世に存在してはいけない存在なのか?
なあ。答えてくれよ。
長くなったが、言いたい事は一つだ。少しの想像力を働かせてほしい、これに尽きる。
そこの道を歩いているくたびれたオッさんは、もしかしたら自由研究で賞を取った事があるかもしれない。そんなちょっとしたかもしれない運転が、他者への敬意を払う第一歩となる。勿論何も前提無しに他者の歴史と人生に敬意を払えられれば、それが一番だ。
空腹を感じた時には、アフリカの貧しい子供達はいつもそれ以上の飢餓に苦しめられている事に思いを巡らせてほしい。そして思い出した時にでも、コンビニ募金にお釣りを入れてくれればいい。
激レア属性の天才や奇才たちと接しても、更なる激レア属性の……私含めた疾病や障害を抱えた天才や奇才たちと接しても、たまたま希少な属性を引いただけの、ごく普通のありふれた存在として接してほしい。
本人が殊更に主張しているケースでも無い限り、恐らくわざわざ言い出したりはしたがらないはずだろう。傷に触れないであげてほしい。天才たちは目立つこと、特別扱いによる疎外にもういい加減ウンザリしているだろうから。
というか私の知人の天才たちは大体皆そうだった。そして私もそうだ。もう、奇妙奇天烈な見世物小屋の人外として扱われるのは沢山だ。
目の前にいる相手は雲の上の存在ではなく、マリオとポケモンが好きだったり、でんぢゃらすじーさんで爆笑したりしていたかもしれないただの人間だと思って接してほしい。
フィクションの箱に押し込んで、相手を遠ざけることをしないでほしい。ロリショタ天才を、フィクションだと思わないでほしい。
私をフィクションにするな。
私をフィクションにするな。
私をフィクションにするな。
誇張、極大化がひどい
矮小化がひどい
でも100%調べるわけでもないので障がい者にだけそれを指摘するのは明らかな差別
但しこれも調べなくても利用できる、という話であり、調べなかったとしてもネットリンチのような状態になるまで批判されたりはしない
またお腹の弱い人がうんこを漏らしてしまったとしても(あるいはネットでその経験を開陳したとしても)バッシングされることはない
・能力を得る機会が平等ではないから問題(どの家で生まれるかによって、受ける教育が変わってくるなど)
・能力を正しく公平に測れないから問題(仕事の成果を上司が評価してくれないなど)
というように、能力による差別を肯定した上で、能力を得る機会やその評価が正しくないから問題なのだと読み直す人が多い。
能力主義に対する批判については、障害者に関わる福祉の分野や教育の分野などで昔から言われていることで、
そこでの論点は、
・能力が高い者が富を独占してもいいのか?
ということだ。
たしかに教育の機会均等とか、仕事の成果に対する公正な評価とかは、それ自体としては大切ではあるが、
じゃあ、機会や評価が公正・公平なら、
・能力の高い者がより富み、能力の低い者がいっそう貧しくなる社会でいいのか?
という問題がある。
障害者に対する偏見が一切なくなった社会においても、存在しうる。
知的障害者は、どれだけ教育の機会が均等になり、障害者への偏見がなくなったとしても、
よって、低賃金の仕事に就くのがせいぜいで、貧しい生活を強いられる。
なぜなら、障害者を雇うと、健常者を雇った場合にはかからなかったコストが発生するから、
障害者に対する偏見がゼロの企業であっても、わざわざ障害者を雇うメリットがないからだ。
障害者という例を出さなくても、人間は能力が高い人から低い人までいろいろあり、
・いや、良くない、社会から発生した富は、能力の高低によらずに、なるべく平等に分配しましょう。
共産主義や社会主義のリアリティがあった世界においては、結果の平等を求めることはそんなに変なことではなかったが、
資本主義オンリーの世界においては、機会の平等だけが重要であり、結果の平等は悪、低脳が貧しいのは自己責任。
そんな考えをナチュラルに持っている人が多い。
だから、能力主義批判について、そもそも何を言っているか理解できないし、
今度出るサンデルの本についても、
・能力の測定に関わる不公正
他人の楽しみを茶化すような言葉であり、問題の矮小化をしている言葉であるからだ。
ただ「この悩みは私にしかわからない!」とか「他人のことが理解できない」って方面まで茶化すのは何か違う気がするのである。
最近の話だが私はすこし人とは違うことがわかった。
私は精神障害だったのだ。
考え方も行動も、どれも一般の範囲内で私のような悩みは誰でも抱いているよくある人間だと考えていた。
それについて悩みもしなかった。だがそうではなかったらしいのだ。
お医者様曰く私のような人は100人に1人か2人はいるらしい。
要するにたくさんのたくさんの人間に接しないかぎり、自分と同じような人間とは接することができないのである。
特別な人間だとは考えていない。1万いれば100人もいる。1憶いれば100万はいる。
ついでに言えばプラス方面に働くといいのだが、マイナスばかりが働く特別だ。心の底からこんな特別は払い下げたい。
私は私の考えは誰にもわからないと、少しぐらいはいってもよかったのである。
もういっそこのレアな精神とやらをアイデンティティしてやろうか、此畜生が。
診断を受けた1、2か月は落ち込んだが最近は気にしないことを心掛けている
障害者だろうが健常者だろうが、通常業務から外れる範囲でかつかなり時間的な負担の大きい業務を30分前に依頼するのは非常識でしょ
障害者に「事前連絡」という不均衡な労力を強いるのは「常識」的ですよねぇ、うんうん
障害者が駅を利用するのも「通常」ではないもんね、うんうん
末端の駅員を批判して
末端の駅員の話に矮小化しているのは批判者(差別主義者)側です
小田原駅の職員が法律を理解していなかったのも120kgの車椅子を人力で運ばせたのはJRという企業の無策のせいです
具体的な改善案を出してほしい
それも考えるべきはJRですよね
フェミにも弱者男性とその支持者にも自分の固めたスタンスに関して言いたいことは色々あるだろうが、こちとら一人一派()のクソフェミなんで以降はこれでいく。
どうして弱者男性の問題を自助や互助のレベルに矮小化するのですか?
きもくてお金のないおっさんに都合よく親身な友人がいると思うのですか?
「女をあてがえ」と「ケアする友人をあてがえ」ではどう違うのですか?
どうしてはてなブックマーカーは何も考えないでブコメするのですか?
結局「弱者男性」って誰なんだよ。みんな好き勝手なこと言いやがってクソが。
それぞれ全然違う問題なんだから、その処方箋だって全く違ってくるだろよ。次元が違う話を全部一緒くたにして「弱者男性論」みたいに雑にくくるから、話が全然まとまらねえんだ。アホか。経済力の話なら再分配とか福祉とか新自由主義批判でいいだろ。容姿の話ならルッキズムでいいだろ。他の能力の話ならノーマライゼーションとか社会的ケアでいいだろ。最後の非モテ要素以外は全部わざわざ「男性」なんて性別を絡めずに語れるじゃねーか。そうじゃない「弱者男性」ならではの特別な事情があるなら、そこをちゃんと説明しろよ。
弱者男性論をぶちあげる連中の多くからは「俺は弱者なのに弱者性を認めてもらえない」という心の叫びは感じるけど、その「弱者性」ってのがどういう状態なのかぜんぜん共有できてないのに「弱者性のつらみ」という被害者感覚ただ1点で結束しようとするから、話が支離滅裂になってんだよ。
「男が強くあらねばならない社会的規範の中で苦しんでますぅ〜」みたいな男性学っぽい話なら、性別問わずその規範を再帰的に強化してる社会的強者たちに異議申立しろ。「女性にモテないことは弱者男性問題の本質じゃない」と思ってるやつは、白饅頭みたいに弱者男性を非モテの問題に矮小化してる非弱者男性 https://togetter.com/li/1692506 をちゃんと批判しろ。そういう深掘りができねーなら、どんなに「弱者男性論」が盛り上がっても、みんなで目隠しして象を撫でてああだこうだ言い合ってるようなもんだ。そっから生産的な結論が出てくるわけがない。