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はてなキーワード: 矮小化とは

2021-06-03

anond:20210603134218

これ系でいくとコーネリアスとか?

詳細なイジメ描写が読ませる

http://koritsumuen.hatenablog.com/entry/20061115/p1

ブクマカトップコメが「小山田よりもインタビュアー品性が出ている」という責任ずらしのうえ「サブカルなんてそんなもん」と矮小化させてる奴だし、他にも「渋谷系的な露悪に過ぎない」「一種の芸」と別にいいじゃないかムーブが人気コメだし

https://b.hatena.ne.jp/entry/koritsumuen.hatenablog.com/entry/20061115/p1

2021-06-02

モテないのがそんなに辛いっていうのがわからない」

フェミ系の人がこんなこと言ってて、怖くて泣いちゃった

貧困と比べて、って文脈ではあんだけど、ひとが苦しいって言ってることを他の苦しみと比べて矮小化するのってダメじゃないか…?

俺は正直彼女できた時点で完全にFAKE野郎になってしまったので、非モテ問題に参加することはできんし、非モテ時代もそんなにキツいとは感じてなかった

でもあのときって所詮20歳そこらの若造だったし、まだ確実に余裕あったんだよな

40歳かになって、これまでの人生で誰の1番にもなれてねえな?ってことに気がついたとき感情とか俺には想像できんし、それをくさす気にはなれない

非モテに妙に厳しい雰囲気、どうかと思うんだよな

たぶん実存問題っすよ

2021-06-01

アスペなんだけど大坂なおみ気持ちめっちゃ分かる。多分アスペなんだと思う

世界が全部自分の敵って感じがして、でも上手い具合に論破してやったら拍手喝采で負けを認めてくれるといつも信じてる。

実際には、子供の頃に良心教師相手に癇癪を起こして見せれば周囲があれこれと配慮してくれただけの思い出を自分の手によって権利を勝ち得た成功体験として深く刻んでしまってるだけ、ってことに気づけてはいる。

でも頭に血が上るとついついやってしまうんだな、不機嫌アピールによって周りを自分に従わせようとする赤ん坊帰りみたいなことを。

それもこれも俺の前頭葉辺りが生まれつきアルツハイマー症の老人並みに貧弱で、自制心というものを生み出す機能がまともに備わっていないせいなんだと思う。

言い訳を言ってるんじゃなくて、むしろ逆で、私は無能で、はっきり言えば生まれついての悪党だと自白している。

大坂なおみも多分同じなんだと思う。

一応今の医学では病気障害ということになってるが、単に社会が許容する定型発達の枠が狭いだけの代物だ。

一番上の皮を虫がちょっとかじっただけのキャベツを歩留まりとして畑の肥料としてトラクターで埋め直してしまうような。

社会が持っている豊かさの総量が低いがゆえの余裕の無さというものが、非定型発達の絶対数を見かけよりも増やしてしまっているというただそれだけ。

なんて言うには自分たちの人格が極めて粗暴で傍迷惑で、はっきり言えば人権が全人類に備わっているから生き延びているだけで時代時代なら迷惑防止条例違反感覚で打首にされてたのかもとは思う。

だが違うんだ聞いて欲しい。

そういう人間でも普通に生きなきゃいけないっていう時代要望が厳しすぎるんだ。

おとぎ話の隊が一律の26cmの靴を配って、23cmだろうが29cmだろうが靴を足に合わせろと言い張るような、そんな余裕の無さからくるえげつなさばかりが社会構成するブロックとして積み上がりすぎている。

もっといろんな生き方があっていい。

大坂なおみみたいにキレるスポーマンがいてもよくて、それについて私達がスポーツマン聖人から税金で援助してやってるのになんて言い方をすべきじゃない。

それを言ったら、多くの人は単なる凡人のくせにIQマジで200とかあるような天才発明してくれた色々なもの享受して社会を行きているわけで、それもある意味では身の程知らずの援助を受け続けているってものだ。

これは何も大坂なおみ多様性象徴になるべきという話ではなくて、単なるスポーツ選手に戻るべきって話でもなくて、誰がどういう風であるべきか押し付けたり一度誰かが演じたキャラクターの再演ばかりを求めたりしててもしょうもないってことだ。

くそうだしょうもないんだ。

人間他人に対して興味があるけど興味がないから、他人キャラクターについて単純で分かりやすくて理解するのに使う脳のメモリが少しでも少ないことを求める。

悪人純粋悪人死刑妥当であってほしいし、親愛なる友人はどこまでも自分に都合がいいが本人はそれを喜んでやっていて欲しいと思っている。

話がこんがらがっているが、こんだけこんがらがれば俺がアスペということは嫌でも信じてもらえると思うし、俺もこんな形で信じてもらえるんだろうなと確信しかないことに嫌気が差す人生だ。

大坂なおみはもしかしたらアスペとはまた違うのかも知れないが、そうであってもきっと普通の人より前頭葉が生み出す我慢強さが脆弱か、脳の他の部位が生み出す衝動性の強さに対して凡人レベルしかないんだと思う。

早く走るF1カーにはそれ相応のコーナーリング性能やシャーシの耐久性必要で、そうでないなら自分の加速力を自分コントロール化に置くことが出来なくなるように。

一流スポーツ選手テストステロンアドレナリンの分泌量が常人とは全く別の生物レベルであることは想像に難くない。

だがそれに相応しいだけの制動力を脳組織が身につけることまでが出来るかというと微妙なんじゃないだろうか。

まり大坂なおみものすごく興奮しやすいけど、それを御するだけの自制心がないんだ。

これは悪口とかじゃなくて、そういうデザインの肉体を持って生まれただけなんだ。

そう私はこれがいいたかった。

脳筋だの瞬間湯沸かし器だの言われてしま人間は、人格が劣悪で生来神仏の視線意識したり他人を慮ったりしてこなかったから怒りっぽいのではなく、身体DNAレベルでそういう風にデザインされてしまっているだけなんだ。

それがもちろん赤の他人からすれば単に迷惑なだけで、ナチス的に言えば10秒後にガス室域が決定して10日後には死体処分も終わっているような人間のクズという扱いなのだとしてもだ。

大坂なおみが何をしたいのか理解できないなんて安易にあれこれ言うべきじゃない。

単にカッとしたというだけだろうし、そして単にカッとしたというだけのことを他人があーだこーだ言っていいのはそれで人が傷ついたときだけだ。

補足するが、大坂なおみ発言によって私は傷ついたとあなたが主張するなら、それはあなたを傷つけているのはあなた自身の中にあるプライドの高さだったり自分に対する誤魔化しの繰り返しで起きた歪だ。

相手の中にある後ろめたさを内側から爆発させることで、相手の中から出た毒によって自家中毒を起こし、それによって生ずる不快感を取り除くための代償行為として誰かに忖度してみたくさせようとすることが、アスペにはよくある。

アスペ的な人間がカっとすることで他人コントロールする時にこれはよく使われる手だ。

だがこれには弱点があって、本当に良心の呵責がない人間には効かないし、トリガーの起こし方が的外れすぎると完全に意味不明で終わる。

多くの場合はお互いに非がある状況で、自分の非をことさらに認めることで相手相手から非があることを主張しないと人道にもとるかのよう雰囲気を醸し出していくことでそれは行われる。

もしそれが綺麗に刺さってしまったのなら、それはつまり自分が後ろめたさを持っているということだ。

この自家中毒攻撃の最悪なところは、それを爆発させられたことに対してアスペを恨むと結局はその毒がどんどん自分に回るということだ。

やるべきことは落ち着いて自分の中にある毒を解毒するような方向に動くことで、焦って反撃をするほどに自分精神社会立場も苦しくなるようにそれは作られている。

大坂なおみのブチギレアクションによって傷ついたと思うのなら、距離を取れるならとにかく距離を取ることが最適だ。

アスペの一人としてハッキリ言うが、こういったことをする場合はやった側の作戦目標の一つに距離を取る方針同意させるというものがある。

とにかく距離を取りたいんだ。

カメムシスカンク悪臭によって威嚇するのと同じだ。

それはある意味では大坂なおみ作戦勝ちとなるのだが、こんな手を使った時点ですでに負けのようなものなので、そのまま勝たせてやればいい。

形としては1-1のイーブンになるが、引き分けなら別に何のデメリットもない。

もしも引き分けデメリットがあると感じるのなら、それはあなた自分特別で誰に対しても勝利しなければいけないと誇大妄想に陥っているか自分以外の人間矮小化しすぎているだけで、あなたもまた心の病気、生まれつき脳の構造定型発達に失敗した悲しい現代なのだ

anond:20210531235415

違います

それは単なる差別矮小化です

白人至上主義者が法的に平等から白人黒人差別してるなんて嘘だと言ってるのと同じ

2021-05-28

anond:20210528202248

>そういう基準は明文化されない文化の中で規定されていて、違う文化圏ではそのルールも大きく変わる。

どこの文化でもスポーツの用具を腹いせに破壊するのは喜ばれない

普遍的価値観を"おらが村"って単語一つで矮小化するの無理があるよ

2021-05-21

anond:20210521131044

「お前は理解しているか差別主義者だ」という決めつけによって排斥して問題矮小化しようとしてるやん

お前こそが真の差別主義者だぞ

男性からといって優遇されているとは限らないように、揶揄をしているように見えたとしても弱者である場合もあるだろ

ほんと差別主義者って無自覚差別差別と思ってないよな、ホント最低な人種だと思うわ

anond:20210521122948

は?

弱者男性全体の問題から俺らを弾き出すことこそ矮小化だろ

分化して差別を無いもののように扱うのはやめろ

2021-05-17

コロナ禍における五輪開催支持不支持について

保守とかリベラルとか政治で語るのなんで?最近どんなことでも保守リベラルの分断でコトを進めようとするけど単純化矮小化するなよ。

2021-05-14

漫画男性向けと女性向けに分かれているのはなぜですか

漫画雑誌文化の一部であり雑誌には男性誌女性誌があるからというもっともらしい説明を聞きました。

それにくわえて漫画は娯楽性が高くて男には戦いと美女、女には恋愛イケメンを主な目玉にやってきたから男女の偏差が生まれやすいからということだそうです。

けれども雑誌文化ということであれば日本近代文学雑誌文化です。同人誌です。

しかラノベなど一部のジャンルを除いては男性向けだとか女性向けとか公式にあるいは読者が言う傾向は見られません。

それについて調べてみると文学そもそも女が見るようなもんじゃなかった時代販路なりが成立したんだろうといいます

(漫画手塚リボンの騎士赤塚がアッコちゃんやってた通り勃興早々に少女漫画分岐していた。 )

しか見ていないからわざわざ男性向けと自称するまでもなかった。そこから女性が参加するようになれば、余計なラベリングがされていなかった雑誌はおのずと総合誌的な色合いを帯びるようになったということでしょう。

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しかし「販路の成立の仕方」ということで見ると、映画音楽小説と似た事情だと思います

映画音楽を男や女しかしまなかった時期があったとは考えにくいですね。

映画 男女比」と検索するとハリウッド映画の男女不均衡が調査で浮き彫りに」という見出しも出てきます。男女不均衡を話題として取り上げること自体が、映画はかつで男女に等しく楽しまれたものだったという前提を示唆しています

(ちなみに、男女差が当たり前にある漫画文化目線で見ると男女不均衡を記事にすること自体にも違和感を禁じ得ないでしょう)

音楽にしてもそう。伝統音楽典型的でしょう。ケルト音楽ケチャ中国音楽を男女の一方しかしまなかったということがあったでしょうか。

(まあ中国音楽ドラマで悪の皇帝宮廷音楽を楽しんでるのを見てるから男の娯楽みたいに見えてきますが)

他にも伝統音楽というのは数多ありますが、このようなもの部族みんなで囲んで楽しまれるようなものだっただろうから目的的にも性差が組み込まれようがないわけです。

現代でもCDショップに行ってもアイドルのを除けば男女で棚分けされていることもありませんしね。

ちなみにゲーム場合ハクティビズムが源流にあってこれはギーク趣味、男に偏った文化だったしょう。事情として小説(=文学)に近いと思います

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映画音楽場合では娯楽性という面でも漫画と近接していると思います

けれども娯楽本位だから、チープな文化から男女差が起こりやすいという言説は退けられるべきでしょう。

映画でもマーベル系は男性客に偏ってるのかなという印象もありますが、恋愛主題としてきた多くの映画別に男性向けとか女性向けとか言われていません。これらはたとえば崇高なメッセージが込められていたか作品としても高尚なものへと昇華し鑑賞者の性別凌駕したのでしょうか。

そういうこともあるかもしれませんが、そうじゃないものも十分多いと思います

映画は高尚だから自分の性に関わらず楽しめ、漫画はそうじゃないから性に依存するというのは、漫画側に対する不当な矮小化に思えます

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音楽だって純粋な娯楽でしょう。上手い人のピアノ即興曲は男女に関係なく人を魅了します。またその旋律に男女の物語を乗せることができるという点でも映画漫画との違いはありません。

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媒体という表現のあり方が性差を生んでいるかもしれないとも考えました。

その意味では音楽を除き映画漫画が同じ視覚表現なので近似しているように見えます

また美術館に展示されるような絵画についても、このような芸術もまた上流階級の主流である男性にもっぱら楽しまれていた点では小説に近い事情ですが、引き合いに出したいと思います(現在美術に男女差が見られない理由過去販路の成立の仕方に限る必然性がないから)。

映画は実写。小説デフォルメされています。この点はむしろ絵画に近いでしょう。

また小説との比較では、小説は文が主体漫画は絵が主体という違いがあります

これらを総合すると、絵による視覚的な刺激は文章と違って刺激が強く、男性に好まれるような描き方は女性にとっては関心を呼ばないばかりか嫌悪感すらを抱かせやすい(逆も然り)という意味排他性が強い表現なのかもしれない、ということがまず言えそうです。

しか問題主体が絵であること自体ではなく、絵画との相違点としての、漫画における絵の特徴が関係しているのだというところに焦点が絞られると思います

ではその違いは何か、そこが難しいところなのです。

漫画は実写と比べてもかけ離れたデフォルメを使っているから」と言ってみても、それは程度問題しかなく、特徴を質的に捉え切れたことにはならないでしょう。今の私の頭で考えられるのはここまでです。

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蛇足

ちなみによく考えるとテレビなんかは男女差のないこれ以上ない卑近な例ですよね。男女差があるように作っては最高でも人口の半分程度しか視聴者を期待できないということで、視聴率の点でテレビ局が困るのです。

もちろんドラマなどには二兎を追う者は一兎をも得ず式の一方の性別によく愛されるような内容に仕上げる制作方法も見られると思います

しかしたとえばNHKゴールデンタイムバラエティーなんかわかりやすいと思いますが、(ためして)ガッテン日本人のおなまえの視聴者に男女の有意差があるとは到底思えないでしょう。

それには「ためになる内容を提供する」テーマ的な部分と、人材的な部分があるのかもしれません。

名前雑学とか医学知識かいうことのお役立ち度合いに男女差はないでしょう。

人材的な部分というのは、アイドルでもイケメン美女でもなく、とにかく無難ルックスの人たちで出演陣を固められてる傾向があるということです。

男女の一方に好かれるような人を起用すれば、その人数が奇数であればどちらかの性別に向けた色合いを帯びてきてしまうのは自明でしょう。

しかもたとえ人数的に均等であったとしてもパワーバランスの点で完全に均衡させるのは難しいから、やはりおのずと偏りが生まれしまうと思います

逆に特に容姿の端正さで採用されたわけでもないアナウンサー適当バラエティタレントにはそういう意味でのフックがありませんから、そういう人たちで絵面を構成させることで、ポリコレも真っ青なTHE中性的番組が生まれるのだと思います

anond:20210513154226

・同じ言葉を繰り返せば答弁は乗り切れる(同じ答弁しか引き出せないほど、決定的なネタがないのね。悲しい)

批判されている問題とは別の箇所を謝罪すれば手仕舞いにできる(本ネタがショボすぎて、変な謝罪しかしようがないんだわ)

・「辞職する」と本人が言わなければ、実質的に辞めさせる手段はない(野党マスコミも、そもそも辞職に追い込めない程度のネタで攻めるなよ)

時間稼ぎすればするほど問題矮小化される(そもそも問題がないから、自然消滅するわ、そりゃ)

問題解明のコスト相手が払うので、徹底的に妨害すれば消耗していく(問題のものがほぼ存在しないから、追及すればするほど消耗するよ、不毛すぎる)

議員会館に呼びつければジャーナリズムは黙る(呼びつけられる程度でビビるエセジャーナリストしか動員されていない)

汚職しないよりも、汚職して謝罪する方が得るものが大きい(汚職といいたいだけで、本当に事件だったら検察を動かせ)

2021-05-09

池江選手騒動で、いまいちまとまらないが、箇条書きで書いてみた。

調べ切れてないので、間違いがあるかもしれない。

そもそも五輪自体、今、何が何でも開催しなければいけないものなのか。

 変異種が広まりつつある日本で、文字どおり全世界から入国を許すべきなのか。

 各種国際的イベントが中止になっている中、パンデミック下でオリンピックをするのは疫学的に、人道的に正当性があるのか。

選手選手まわりのスタッフコーチとか)、マスコミスポンサー関連など、9万人近い入国者があるという。それらのワクチン接種は各国の問題だが、国内だと、ボランティアスタッフワクチン接種の問題がある。ボランティアスタッフ分のワクチンは用意されておらず、ボランティアスタッフからその家族や同僚など一般人への二次感染が予想される。島国で、水際対策がやりやすいのに(できていないが)、すでに選手五輪関係者でも、またルール違反者なかにコロナ感染者は出ている。

・池江選手は「平社員」であり、一選手に言うことではない云々。

 たしかTwitterなどで直接伝えることではないとは思う。SNSなどで直接、矢面に立たされてしまうのは、いい傾向だとは思わない。ただ、ここまでの騒動になっているのが、逆説的に池江選手の影響力の大きさを証明している。彼女が「参加しない」といえば、相当な影響力があるだろう。だんまりを決め込んでいる他の選手も何かしらの態度表明をし出す可能性もある。

 たとえば、今度のオリンピック(出場予定)選手で、名前を5人あげろ、といわれたら、多くの人が彼女名前を挙げるだろう。有名税というと言葉が悪いが、各種スポンサーバックアップも得ており、「優秀な選手でありながら、難病を乗り越え五輪を目指すけなげな女の子」と矮小化するのは返って彼女への侮蔑である

選挙で「自分の一票なんて意味がない」と投票さえしないのと同様に、「一選手に言っても仕方がない」というのは、おおよそ民主主義的な態度ではない。一選手の一票が、世論を大きく動かす可能性がある。

また五輪自体、国の金も掛かっているのも頭の片隅には置いておきたい。

医療従事者にも満足にワクチン接種が進んでいないにも関わらず、それを押しのけて「アスリートファースト」でワクチン接種ができ、いざコロナに掛かっても入院できる。特権しか言いようがない。

医療リソースワクチン、金、その他諸々、日本は十全な態勢とはとてもではないがいえない。五輪リソースをかけるより、コロナ対策リソースを割くべきではないかリソース無限に出てくるわけではなく、限られている。直接は見えないだろうが、五輪が開催されれば、その期間中一般市民コロナになっても、五輪選手関係者が優先され、前者は見殺しにされる。一般市民を後回しにしてまで、五輪に参加するのであれば、せめてもっと人殺しの顔をしろ。「暖かく見守っていてほしい」は、「一般市民は見殺しにされても黙ってろ」と変わらない。近代五輪の「参加することに意義がある」という精神が、痛烈な皮肉になっている。

追記です。弱者男性を名乗る一部の?人達精神障害者女性サンドバッグにしてきたことについて

anond:20210506234730追記しようかと思いましたが、思いの外長くなったので別にしました。

 

わたしの見たこと、聞いたこと、知っていることは①発達障害男性をはじめとする多くの男性弱者男性自称した②弱者男性自称する人々は「障害持ちでも女は理解のある彼くんがいるからイージー」と言い③弱者男性自称する人の中に苦言を呈す人が殆ど、全くと言っていいほどいなかった。ということだけです。

全ての弱者男性でないことはわかります。誰よりも「こんなこと言うのは一部の人だけだ」と思いたかったです。でないと、辛すぎるじゃないですか。でも残念ながら、思えませんでした。今は一部ではなく、半分もしくはそれ以上だと思っています

 

発達障害と躁鬱に対して、前向きに対処し、生きていくために、Twitterで同じように障害を持つ人たちとつながっていました。同じ困難を抱える仲間だと思っていました。

ある日「理解のある彼くん」のあのツイートが流れてきて、それ以降男性フォロワーが口々に「女の方がイージーだ」と言い始めました。皆それに同調し、下衆なツイート積極的リツイートしはじめました。彼らがいいねをつけたツイートが山ほど流れてきました。誰一人否定する男性がいないことが、とても残念でした。

リアルであったことのある男性で、アセクシャルを打ち明けた人さえそちら側でした。分かり合えたと思っていましたが、間違いでした。

 

発達障害ではない男性アカウントで、苦言を呈してくださった方が1人だけいましたが、弱者男性から「ちんぽ騎士」呼ばわりされ晒されていました。それをリツイートしたのも、リアルでも知り合いの男性でした。

「女には股を開けば理解のある彼くんがゲットできるだろ」という発言が正しく、それを耳にする女性気持ちを慮るのは性欲目的以外ではあり得ないと思っていたのだなと知って、気持ちが悪くなりました。

その発言のあった頃から、もう、弱者男性というもの嫌悪を覚えるようになりました。仕事で関わる軽度の障害のある男性に対しても、この人もそうかもしれないな、あのツイートいいねしてたのかもしれないな、と考えるようになりました。

 

弱者男性を名乗って精神障害持ち女性サンドバッグにする人たちがいたとしても、わたしは「全ての弱者男性ではない」と信じ、嫌な思いをさせられても「辛いから仕方ないですよね」と許す「べき」だったんでしょう。そう出来ないわたしが悪いです。多くの人の心は差別してしまもので、わたし例外ではないのだと思います。(それについては、わたし自身、残念に思います。)

 

 

 

「全ての弱者男性ではない」と主張する人は、「すべての障害持ちの女性に彼くんがいるわけではない」とは言いませんでしたよね。なぜ弱者男性自称する人達が、女性精神障害者を叩いているとき一言でも止めなかったんですか?あの「女はマンコパワーがあるから」と言い張る下衆な人達弱者男性でないなら、何故そういう人たちを野放しにし、弱者男性社会的信頼を貶めたのですか?わたしには、全く理解できません。

 

全ての弱者男性が悪いわけではなくとも、弱者男性を名乗る人に攻撃される側がどう思うか想像してみてほしいです。

全てでないことはわかります

理屈ではなく、気持ち問題です。

それでいて、論理的な話だと思います

ある属性を名乗る人たちに何度もバッシングされたら、その属性の人々を嫌いになるのが、多くの人間基本的感情の在り方ではないですか。

 

沈黙は同罪、共犯というつもりはありません。

弱者男性を名乗る人が「女は彼くんがいるだろ」という中で、弱者男性あなた沈黙していたら、弱者男性犯人に見えます

わたし増田へはこんなにも反応できるのに、なぜ、あのとき沈黙したのですか?

 

男性の困難を語る上で、男性場合女性より支えになるパートナーが得にくい(これは必ずしも事実でないようにわたしは思いますが)ことを受け止め、真剣に考えていくのならば尚のこと

その言説をねじ曲げて、精神障害持ちの女性への当て擦りやバッシングに使われることを憂い、否定していくべきではないですか。

弱者男性差別されるように仕向けているのは、弱者男性自称して他の人達を叩いてる人じゃないですか。

これはわたしの我儘ですが、パフォーマンスでもいいから、「弱者男性ですが、私はこれに反対です」と言って欲しかったです。そう言っている人を信じたかったです。

 

わたしのことはどうでもいいです。福祉仕事をしていましたが、離れることを決めました。転職活動コロナが明けるまで様子を見ようと思いますが、弱者男性への嫌悪が芽生えてしまった状態で続けていくのは無理だと思います。(給料の安さや、鬱がマシになったかステップアップを目指したいなど他の理由もあります。)

わたしは、あれを無かったことにしたくなかっただけです。

改心するつもりもないです。トーンポリシングだとも思ってないです。だって弱者男性いくら態度を改め「わきまえた」ところで、もう耳を貸すつもりはないですから

 

ただ、みなが「すべての弱者男性ではない」と思ってくれる聖人ではないと思いますよ。

弱者男性」という言葉を使って、「女はマンコがあるからイージーなんだ」「弱者男性女性よりもずっと辛いんだ」という人たち、弱者男性自称して発達障害持ちの女性の辛さを矮小化する発達障害男性たち、「女の自殺未遂は気を引くため。女の自殺自殺未遂の失敗。」と叩く鬱持ちの男性たちを放っておくかぎり、わたしのような狭量で愚かな人間が「すべての弱者男性はこういいう人間なのだ」と思うようになるでしょう。いい気味です。

いい気味です、が、同じ障害者として、障害者への風当たりを強くする言動迷惑です。

ですからやはり、弱者男性を援護するならば、弱者男性として、女性精神障害叩きに反対して欲しかったです。

あれは俺たちじゃないから、全員が言ってるわけじゃないのに、といっても「言ってる人が沢山いること」はきちんと受け止めてくれませんか?

あなたたちがあれを野放しにしてきた結果、1人の障害者の女に嫌われるようになったというだけの話です。

女の1人や2人、障害者の1人や2人、どうでもいいですよね。それならそれで結構です。

 

sekiryo 弱者男性確証もないし全員というデータも出せないのに同一視するの?それやめてって言われてるのにまた聞く耳持てないの?悪人を叩いてもgrgdsやらのヘイト愉快犯が善人にはならないし罪は消えないぞ?向き合えよ。

弱者男性という確証はありませんが(そもそも弱者男性自体定義不明ですし)自称しているのだからそうなのだろうと思いました。弱者男性のフリをしている偽物か、「極一部」の弱者男性なのかもしれませんが、わたしには判別不能です。(発達障害男性弱者男性に入りますか?発達障害ウソかもしれませんが……。)

同一視したくはありませんが、彼らは日本のどこかで生きているわけで、今目の前で関わっている人が「それ」の可能性があることは、常にわたしの頭によぎってしまます聞く耳は持たないです。今は持ちたいとも思わなくなりました。

全ての障害女性の彼くんがいるわけじゃない、データもないのに、漫画で見ただけのくせに、やめてと言ってるのに……わたしも思いましたよ。

あなたのような人が、女性精神障害者叩くのはやめようよと言ってくださればよかったです……。

 

madogiwahirasyain 別に積極的に手を差し伸べてくれなくても構わない。弱者男性からという理由迫害しなければそれでいいけど、この増田弱者男性全体に精神障害者を叩いてきたというレッテルを貼って迫害しようとしてるのでアウト

全体にレッテルを貼って迫害しようとはしてません。全体に対して嫌悪感があるので、もう関わらないで生きていこうとは思います

弱者男性全体は女性精神障害者を叩いていませんが、弱者男性を「名乗って」女性精神障害者を叩く人々が大勢いて、弱者男性を名乗ってそれを止める人が殆どいなかった。というのは、わたしが見た一面的事実です。いわゆる弱者男性論壇に立つ人も、それを批判したり咎めたりしませんでしたよね。

わたし私怨から、このことは記して置かなければならないと思いました。

deamu 増田私怨により貶めたい属性があって、それを根拠なく主語にしてサンドバックにしようとしてる増田行為は新たな差別。男憎しで差別正当化する増田が連日投稿され、いつもの人達同意を繰り返す加害性の祭り

根拠はあります。どのように提示すれば気が済むのか教えていただければ可能な限り対応しようとは思いますサンドバックにしようとはしていません。私怨により弱者男性貶めたいわけではなく、私怨により「弱者男性を名乗ってこちらをバッシングしてきた人々」の存在を周知したいです。

弱者男性は〜なんて言っていない」という主張を数多く見ました。そう主張する人々は、あれが目に入らないか批判しないのか、目に入っているのに批判しないのかずっと疑問でした。弱者男性論壇の方に、「理解のある彼くん」の件を周知し、批判していただきたかったのが1つ。無かったことにされるのが腹立たしかったのが1つですね。

差別正当化はしていないつもりです。わたし差別的な感情が芽生えるに至る過程を書きました。そうすることで、弱者男性差別を解消しようとする人や弱者男性当事者が、自分たちの主張が誰かの心を踏み躙っていることを自覚し、やめてくださるかもしれないと考えたからです。特にASD男性には伝えなければ分からないのかもしれないと思いました。

また、わたし感情を中心に書いたのは、それが明白な事実からです。女性障害者を叩く人が本当に弱者男性なのかは分かりませんが、弱者男性を「名乗って」女性障害者を叩く人の発言を読み、わたしが嫌な気持ちになったことは事実です。そのことを受け止めていただきたかったです。

 

 ただ、わたし差別的な感情正当性はありません。その事は明記しておくべきでした。すみません

 

わたしに関して言えば、男性別に憎くはありません。ただ恋愛感情を抱かない以上、深い関わりが女性相手よりも持ちにくくはあります

あの増田を書いたのは、男性が憎いからではありません。「女は理解のある彼くんがいるから」と言う人達が憎いから書きました。そこは混同して欲しくないです。弱者男性を名乗ってやってきたこと、(それが貴方でないなら)やってきた人たちがいたことは受け止めて欲しいです。

 

一部の人おかしなことを言うのはどこでもあり得ることです。それに対して、他の人たちが咎めなかったことが1番残念です。今からでも咎めて欲しいですが、過去のことは水には流しません。

 

最後にずっと、思っていたのは

女に生まれればイージーだった、遺伝子レベル運命を呪うのならば、「そもそも障害者に生まれなければよかった」でいいんじゃないですか。なぜ、女性障害者ばかりがターゲットされるのかわからないです。健常者の男性は狡いと言えばいいじゃないですか。

女性には理解のある男性が現れやすいとして、だから何なんですか。男性あなたには現れないと思うのならば、現れないなりに対処していくだけの話でしょう。現れないなりの福祉を求めていくだけの話でしょう。「女はこうだけど」と言うことに何の意味があるんですか?

 

わたしあなたと同じですよ。理解のある彼くんはいませんが、自分で働いて自分で生きていくつもりですよ。

ただ障害者だからって、みんながあなたと同じなわけではないんですよ。女性の、既婚の精神障害者は、障害者のくせにいい目を見てる狡い人達ではないです。同じ障害者でもあなたと同じように不幸になる義務はないです。

2021-05-07

みんなもう好きにすればいいと思う

コロナ収束に対して、緊急事態宣言あくまでもワクチンができるまでの時間稼ぎでしかなかった。

何年かかるかと思っていたがワクチンは驚くべきスピードで出来た。これは素晴らしいことだ。科学勝利だ。

  

ただ、日本政府はできたワクチンをまったく確保できなかった。

これはもっと深刻な国もあったので、情状酌量余地は多少はあったかと思う。  

  

どうやらワクチンは確保できるという話が出てきた。

そうしたら今度は1日1万人とかい単位での話に矮小化している。

1億2000万人に接種するのに何日かかるのか。単純な割り算もできないのか。

  

こちらには情状酌量余地はない。

自分たち努力でどうにかできることに取り組んでいない。

ただ、これもお馴染みの姿だ。国民自粛要請しておきながら、

自分たちはそれを顧みることなく会食をしていた政治家役人である

  

恥を知れと思うが、恥を知る脳みそがあればこんなことはしないだろう。

バカは死んでも治らないというやつである。どうしようもない。

  

日本政府は、国民生命を守るという基本の部分を違えている。

こうした脳なしに殺されないためには、各自が生き残るための方策を探るしかない。

  

みんな好きにすればいいと思う。

弱者女性精神障害者男性サンドバッグにしてきたことについて

anond:20210506234730を読んで、書いておこうと思った。

弱者女性を名乗る人々が精神障害持ち男を「でも理解のある彼女さんが」と、積極的に叩いて来たことは忘れないし、いくら弱者女性が辛そうにしていても「所詮弱者女性自分の不幸を理由に人の不幸(精神障害)を軽んじ、嘲笑する人間性からな」と思い続けるだろう。

そして今現在の心境としては、弱者女性いくら辛そうにしていても絶対に手を差し伸べたくないと思っている。

思っている、というよりは

思ってしまうようになった、というのがより適当だ。

わたし普段生活において、「人に親切にしよう、人に気を配ろう、(いくらかの定型発達の人々が無自覚にするような)人を追い込むような真似はやめよう」と積極的に気をつけて生きているつもりだ。別に、不幸な人々を負け組嘲笑し生きるような人柄ではない。しかし、弱者女性を名乗る人々の言動を見るうちに、「弱者女性は、こんな言動をしていたんじゃ差し伸べられる手も差し伸べられないだろうな」という感情が「誰が手を差し伸べるか」という気持ちに変化していた。

正直なところ、わたしは手を差し伸べられると、差し伸べるほどの余裕や能力があるとは言い切れない。だからわたしがどう思おうと関係のない話かもしれない。

 

弱者女性には弱者女性なりの辛さがあるのだろう。それは、男性であるわたしには男性なりの辛さがあって、発達障害であるわたしには発達障害なりのつらさがあるのと同じだろう。わたしの辛さが弱者女性に完全に理解できるものだとは思わないし、わたしもまた弱者女性の辛さは理解できない。

弱者男性たるわたしと、弱者女性どちらが辛いかはわからない。測り、比べられるものだとも思えない。

しかし、弱者女性たるあなたがが辛いのだと主張すれば、辛いのだろうなと思うことぐらいはできる。「そうなんですね」程度の相槌は打てるだろう(それがわたしコミュニケーショ能力限界だ)。

これがわたしの線引きだ。これ以上はもう手を差し伸べたくない。

 

わたしが男だからか、は知らぬが「理解のある彼女さん」を作ろうと思えば作れるだけの性的価値とやらはあったかもしれない。

だがアセクシャル、アロマンテイックの自分にとって、理解のある彼女さんは不要だった。欲しいと思えなかった。

高校時代に鬱で心療内科にかかり、(ずっと怖くて診断を避けていた)発達障害の診断を受け、障害を受容し、社会で人並み程度に働けるようになるまでには多大な苦しみと努力があった。

わたし普通には働けないのではないか障害者雇用を選ぶべきではないかそもそも社会に出るべきではないのではないか、周囲が言うようにわたし女性に養われるべきなのか、そのために好きになれない異性相手理解し難い恋愛感情偽装結婚するべきなのだろうか……

からすれば大したことのない悩みかもしれないが、わたしにとっては生涯を通して付き纏うだろう悩みだ。

結婚という逃げの選択肢があるだけマシ」と言われるかもしれないが、その選択肢を負わねばならない人間にもそれなりの辛さがある。

結婚したくもないのに、結婚しなければ嘲笑される。養われたくもないのに、養われれば良い、養われるべきだ、養われないなんて、選べるのにこれを選ばないなんてバカだ、選べたのに選ばなかったなんて大バカだ、と謗られる。その風当たりは歳を取れば取るほどきつくなるのかもしれない。

辛いことだ。

弱者女性の「でも男は理解のある彼女さんが」は、大変不愉快で腹立たしく、そして不安気持ちにさせるものだった。誰に対して言ったわけでもない、自嘲混じりの嘆きだったのかもしれないが、実在個人に当たる弾だったのだ。

 

わたしは、許さない。

 

わたしのようにアセクシャルでない障害男性にとっても、失礼な言葉だと思う。

女性から恋愛対象に該当するような男性になることは、フリをすることは努力必要だ。金も服装も、正しい話題選びも、普通男性らしいふるまいをすることも、普通男性らしいコミュニケーション能力を身につけることも、とても困難な男性はいる。普通男性に、普通に価値がある」男性に、擬態する努力は何も異性から好かれるためではない。人並みに扱われるために不可欠な努力だ。「理解のある彼女さん」も「性的価値」も男ならば必ず初めから手に入るものではない。努力あってのものだ。

 

理解のある彼女さん、に好かれ、関係を維持している障害持ち男性は、自分努力を語るにも周囲への感謝を欠かさない素晴らしい人だろう。

(正直な話、わたしだってアセクシャルとして、恋愛脳の異性愛者は結局「彼女さん」か、とうんざりしていたし、理解のある彼女さんに頼る甘えたバカ男のせいで自分の辛さが矮小化されるわけで恨みしかないわけだが、)理解のある彼女さん持ちの障害者男にとっても「お前らは理解のある彼女さんがいるからいいよな」は不快言葉だったろう。

 

さまざまな精神障害認知され、発達障害を持っていても療育によって働ける男性は増えていくだろう。異性に頼らずに生きる障害だって、この世にいるのだ。

 

あなたがたは、ーーーあなたではないかもしれないが例えそうだとしても、弱者女性の名で、精神障害持ちの男性にたいして発してきた言動は、無かったことにはできない。

弱者女性の辛さを、弱い立場男性を叩く正当化材料したこと自分の辛さを人への加害の理由にする、品位の無さ。

弱者女性論を歪めてきたのは誰か、よく考えて欲しい。

弱者女性は、弱者女性を名乗る幾人かの言う通り、ごく一部の自称弱者女性がそうした言葉を発しているだけなのかもしれない。

弱者女性に寄り添う顔をして、(※フェミの反対の概念がない)叩き男叩きに興じる悪がいるだけなのかもしれない。

しか弱者女性が、はっきりと、それを否定批判しているは見たことがない。

 

例えたった1人でも、過去の(あなたもしくは弱者女性を名乗る他人の)発言批判するならばわたしも考えを変える努力をしようと思う。

 

それでもやはり、あれらの発言絶対に許さない。

anond:20210506234730

まず前提として女性というカテゴリに属する弱者が『理解のある彼くん』という手段で救いを得やすい傾向にあるのは事実でしょ。

かに理解ある異性を得るのにも努力必要だろうだけれど弱者自助努力により救済を得る方法の中では比較的イージー手段であることも事実だし、男女の性欲差によって男性よりも女性の方が理解ある異性を得やすいのもまた事実

そして、『理解のある彼くん』という手段を選ぶと選ばざるとに関わらず、不幸から脱出手段選択肢が一つ多いということ自体はやはり恵まれていることだよ。

流石にそれを否定するのが現実が見えていなさすぎる。

その上で、アセクシャルという増田のような『理解のある彼くん』が救いにならない、あるいは所謂『穴モテ』ができないレベルのブスみたいに『理解のある彼くん』にすら救ってもらえない、そういう『女性でありながら女性の持つ優位傾向を活かせない人々』が「女性というだけで恵まれいるかのように語るな! 私たちの辛さを矮小化するな!」と憤るのは、差別に対する正当な怒りだと思うよ。

ただまあ、増田がそうした差別を受けているという事実を認めた上で、それでも増田に対しては欠片も同情心は湧かないな。

だって増田弱者男性にも女性に対して加害性のある人もいればそうでない人もいるという事実無視して、弱者男性という属性を叩いているんだから

自分差別するけど、人に差別されるのは嫌です」なんて我儘が通るハズもなし。

差別主義者は差別主義者同士で仲良く差別し合っていれば良いんじゃないですかね?

anond:20210506123407

それは本当に女性の辛さを矮小化しようもしている人たちが言ってるんでしょうか?

別人ではないのでしょうか?

よくあるブクマ羅列記事にしてもいいんじゃよ

2021-05-06

追記しました。弱者男性精神障害者女性サンドバッグにしてきたことについて

anond:20210509075626追記を書きしました。

 

anond:20210506123407を読んで、書いておこうと思った。

弱者男性を名乗る人々が精神障害持ち女を「でも理解のある彼氏くんが」と、積極的に叩いて来たことは忘れないし、いくら弱者男性が辛そうにしていても「所詮弱者男性自分の不幸を理由に人の不幸(精神障害)を軽んじ、嘲笑する人間性からな」と思い続けるだろう。

そして今現在の心境としては、弱者男性いくら辛そうにしていても絶対に手を差し伸べたくないと思っている。

思っている、というよりは

思ってしまうようになった、というのがより適当だ。

わたし普段生活において、「人に親切にしよう、人に気を配ろう、(いくらかの定型発達の人々が無自覚にするような)人を追い込むような真似はやめよう」と積極的に気をつけて生きているつもりだ。別に、不幸な人々を負け組嘲笑し生きるような人柄ではない。しかし、弱者男性を名乗る人々の言動を見るうちに、「弱者男性は、こんな言動をしていたんじゃ差し伸べられる手も差し伸べられないだろうな」という感情が「誰が手を差し伸べるか」という気持ちに変化していた。

正直なところ、わたしは手を差し伸べられると、差し伸べるほどの余裕や能力があるとは言い切れない。だからわたしがどう思おうと関係のない話かもしれない。

 

弱者男性には弱者男性なりの辛さがあるのだろう。それは、女性であるわたしには女性なりの辛さがあって、発達障害であるわたしには発達障害なりのつらさがあるのと同じだろう。わたしの辛さが弱者男性に完全に理解できるものだとは思わないし、わたしもまた弱者男性の辛さは理解できない。

弱者女性たるわたしと、弱者男性どちらが辛いかはわからない。測り、比べられるものだとも思えない。

しかし、弱者男性たるあなたがが辛いのだと主張すれば、辛いのだろうなと思うことぐらいはできる。「そうなんですね」程度の相槌は打てるだろう(それがわたしコミュニケーショ能力限界だ)。

これがわたしの線引きだ。これ以上はもう手を差し伸べたくない。

 

わたしが女だからか、は知らぬが「理解のある彼くん」を作ろうと思えば作れるだけの性的価値とやらはあったかもしれない。

だがアセクシャル、アロマンテイックの自分にとって、理解のある彼くんは不要だった。欲しいと思えなかった。

高校時代に鬱で心療内科にかかり、(ずっと怖くて診断を避けていた)発達障害の診断を受け、障害を受容し、社会で人並み程度に働けるようになるまでには多大な苦しみと努力があった。

わたし普通には働けないのではないか障害者雇用を選ぶべきではないかそもそも社会に出るべきではないのではないか、周囲が言うようにわたし男性に養われるべきなのか、そのために好きになれない異性相手理解し難い恋愛感情偽装結婚するべきなのだろうか……

からすれば大したことのない悩みかもしれないが、わたしにとっては生涯を通して付き纏うだろう悩みだ。

結婚という逃げの選択肢があるだけマシ」と言われるかもしれないが、その選択肢を負わねばならない人間にもそれなりの辛さがある。

結婚したくもないのに、結婚しなければ嘲笑される。養われたくもないのに、養われれば良い、養われるべきだ、養われないなんて、選べるのにこれを選ばないなんてバカだ、選べたのに選ばなかったなんて大バカだ、と謗られる。その風当たりは歳を取れば取るほどきつくなるのかもしれない。

辛いことだ。

弱者男性の「でも女は理解のある彼氏くんが」は、大変不愉快で腹立たしく、そして不安気持ちにさせるものだった。誰に対して言ったわけでもない、自嘲混じりの嘆きだったのかもしれないが、実在個人に当たる弾だったのだ。

 

わたしは、許さない。

 

わたしのようにアセクシャルでない障害女性にとっても、失礼な言葉だと思う。

男性から恋愛対象に該当するような女性になることは、フリをすることは努力必要だ。メイクも、服装も、正しい話題選びも、普通女性らしいふるまいをすることも、普通女性らしいコミュニケーション能力を身につけることも、とても困難な女性はいる。普通女性に、普通に価値がある」女性に、擬態する努力は何も異性から好かれるためではない。人並みに扱われるために不可欠な努力だ。「理解のある彼くん」も「性的価値」も女ならば必ず初めから手に入るものではない。努力あってのものだ。

 

理解のある彼くん、に好かれ、関係を維持している障害持ち女性は、自分努力を語るにも周囲への感謝を欠かさない素晴らしい人だろう。

(正直な話、わたしだってアセクシャルとして、恋愛脳の異性愛者は結局「彼くん」か、とうんざりしていたし、理解のある彼くんに頼る甘えたバカ女のせいで自分の辛さが矮小化されるわけで恨みしかないわけだが、)理解のある彼くん持ちの障害者女にとっても「お前らは理解のある彼くんがいるからいいよな」は不快言葉だったろう。

 

さまざまな精神障害認知され、発達障害を持っていても療育によって働ける女性は増えていくだろう。異性に頼らずに生きる障害だって、この世にいるのだ。

 

あなたがたは、ーーーあなたではないかもしれないが例えそうだとしても、弱者男性の名で、精神障害持ちの女性にたいして発してきた言動は、無かったことにはできない。

弱者男性の辛さを、弱い立場女性を叩く正当化材料したこと自分の辛さを人への加害の理由にする、品位の無さ。

弱者男性論を歪めてきたのは誰か、よく考えて欲しい。

弱者男性は、弱者男性を名乗る幾人かの言う通り、ごく一部の自称弱者男性がそうした言葉を発しているだけなのかもしれない。

弱者男性に寄り添う顔をして、フェミ叩き女叩きに興じる悪がいるだけなのかもしれない。

しか弱者男性が、はっきりと、それを否定批判しているは見たことがない。

 

例えたった1人でも、過去の(あなたもしくは弱者男性を名乗る他人の)発言批判するならばわたしも考えを変える努力をしようと思う。

 

それでもやはり、あれらの発言絶対に許さない。

anond:20210506160620

真面目に生きてきた人が道を踏み外したり、犯罪に手を出してしまうほどの苦しみがどんなものちょっとは考えてみればいいのにね。

自分の性欲とは全然質が違うという想像力が足りない。

あと、女性の辛さを矮小化しようとする奴はいたんだろうけど、そいつ弱者男性が同一人物というのはどうやって裏をとったんだろうね。

もしかして決めつけの刃?

弱者男性差別の辛さを認めろとは言うけどさ

普段とあるごとに女性の辛さを矮小化しようと躍起になってる人達から言われると随分と都合がいいなあと思ってしまう。

全員とは言わないけどね。ただ女性障害者等の訴えを冷ややかに見てた人もいるだろう。


からと言って男の辛さを否定する気なんて元からないよ。

例えば前に女性生理の辛さが話題になった時、男だって性欲が発散できなくて辛い!男の生理!みたいなふざけた事言ってた奴等がいたじゃん。

そういうふざけた主張で女の辛さが矮小化されるせいで女は辛さを強く訴える必要があったんだよ。

こんな事言われたら当然怒るじゃん。

その怒りや批判弱者男性否定に見えてしまったんだろうな。


具体的な弱者男性差別の内容について質問するのもふざけた事言って弱者を装い女性を腐したいだけの輩がいるから。

アンチフェミニスト界隈の有名人ミルキーにパパの味がないのは差別だ!とか言って不二家に抗議した件があったよね。

あれ明らかに本気じゃない。フェミニストを腐したくてやっただけだししかもパパのミルクとかわざと下ネタ連想させようとしてて酷かった。アンチフェミ逆張り企業迷惑をかけただけだった。

から本気で悩んでんの?ただ女性逆張り冷笑をしたいだけなんじゃないの?ってどうしても懐疑的なっちゃうんだよ

別に男の辛さを否定したい訳じゃないよ。


女性が何か意見するとお気持ち〜とか感情論が〜とか 揶揄されるけどさ

連日上がってくる弱者男性の辛さが綴られた日記の数々はなんなんだよとw

こんだけ差別されるのが嫌だと思っているのなら、どうしてその気持ち女性や「弱者」とされている人達に分けてあげられなかったんだ。

2021-05-05

差別の透明化

弱者男性話題差別の透明化が気になった。

差別をやめて欲しいと訴えても、曲解されたり、矮小化されたり、一般化されたりでまともに受け取ってもらえないわけだ。

表現が拙くてもやはり辛さを打ち明けてくれたものへ寄り添うのがマナーかなとも思ったが、まあそこは人それぞれだ。

興味を持ったのはそのテクニックの多様さだ。

弱者男性関係披露された透明化のテクニックは恐らく、そのほかの差別の訴えにも使用されるだろうな。

なんだが兵器がずらっと並んだ光景のようで、壮観でしたね。

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