はてなキーワード: 物言いとは
「モルカーは面白いらしいけど勧めてくる人がつまらない人ばかり」という物言いが横行しているらしい。
そのつまらない人間は勧めてくる人のセンスを信じられないという意味だろうか? それとも純粋に「センスが悪い」という意味だろうか?
もし「人としてつまらないけどセンスは悪くない」という意味なら観るべき。
なにより「作品としては面白いのにあいつらのせいで台無し」と被害者面したいのなら「こっちだって悪質韓流ファンに名作してんだ!!」というしかない。
つまり、これが言いたかっただけなんだよ。「せっかくのいいアニメがキモオタのせいで台無し」と被害者面するなら日頃から正しい感想を言うまでネトウヨ連呼の駄々っ子に襲われ続けている方の身になってくれ。
っていうか底抜けに「作品としては面白いのにあいつらのせいで台無し」論法の人達ってさぁ、誰かに信用された事ある? 「そういうおまえはどうなんだ」って? 何故、オタクが一般人という言葉を使うか真剣に考えてくれ(あんたらが思っているより気を使ってんだよ)
個人が受ける印象は解釈論でしかないからどうでもいいが、批判と中傷の違いはわかっているか?
批判は対象の良いところと悪いところを分けて、検討を加えて評価する事。つまり物が対象。
中傷は根拠のない事を言いふらして、他人の名誉を傷つける事。つまり人が対象。
敬意の有無は関係ない。例えば丁寧な物言いだったとしても、人の名誉を傷つける発言だったらそれは中傷になる。
歌は人じゃない。だから歌には人種もないし、何かの宗教に入ってるなんてこともない。まぁ当たり前だわな。だから歌に対する批判は批判でしかない。歌手に対する批判は、名誉毀損すれば中傷だ。
発言っていうのは基本的に自我の延長線上に存在するわけだが、今はメディアが発達しすぎて容易に発信できる。これが一番の理由。
発信する前に発言内容を一考すれば良いだけの話だが、多分不可能だ。職場に必ず嫌なやつが一人いるのと一緒だ。みんなそれが出来てりゃ日本の自殺率はもっと低い。
君に出来る事は、異常発達したメディアと距離をとって、それらが自分とは別の存在だという事を認識する事だ。
実際彼らは自分と今後顔すら合わせない他人だ。スピーカーから出る音が耳障りだと思ったときには、スピーカーから距離を取るといい。
行動を抑える規範が何一つないんだよな
逆に今まで規範に縛られてたからこれからは何してもいいんだみたいな物言いばっかり
朝起きると、障子の隙間から雪が舞っていた。またお前か。もうお前の顔は見たくない。叱りつける様に、障子をピシャリと閉めたい衝動に駆られるが、布団から抜け出す気力がない。
そうはいっても、仕事である。雪に備えて、目覚ましはだいぶ早くにセットしてある。布団から出て、長靴を履いて、車に積もった雪を落としにいく。道路が混むから、早くに家を出ないといけない。気忙しく身支度を整える。鬱屈とした心情とは裏腹に、自分の行動は手馴れ、随分と雪国に調教されたものである。そんな自分に、どこかで嫌気が差す。
車を走らせながら、私は、1月前半の大雪と、その時に出会ったある女のことを思い返していた。
1月の3連休は、ひたすら雪をかいた。前半は家の周りの雪かき、そして後半は除雪のための休日出勤である。集中除雪を行うため、対象の道路を一時通行止めにする。信号や曲がり角に人が立ち、入ってこようとする車を迂回させる。そういった作業である。
車のいなくなった道路に除雪車が流れ込み、集中除雪が始まった。作業が順調に進んでいるその時、女は家の前で喚いていた。70歳くらいの女であった。最初は、ぶつぶつと何を言っているのか分からなかったが、どうやら、せっかくきれいに除雪した自分の家の前が再び汚くなったことに腹を立てているようである。家の前の除雪を常に完璧にしておかないと気のすまない人間は少なからずいて、女もどうやらその人種であった。そのまま聞き流しておければよかったのだが、どうやら、怒りの標的は近くに立っている私にも向けられているようである。いつまでも背中を向けているわけにもいかない。
「すみません」振り返ってそう言ったが、そんな言葉では済みませんとばかり、女はさらに喚いた。除雪に来るのが遅い、今までなにをやっていたんだと怒りは違う方向へと広がっていった。「ご迷惑をおかけしています」そう言ったが、焼け石に水である。迷惑だ、本当に迷惑だと叫ぶ。焼け石に水ではなく、火に油を注いでしまったか。
このままでは埒が明かないと踵を返す。女はまだぶつぶつと何かを言っていたが、念仏だと思うことにする。思うことにしたかったが、途中でインパクトのある言葉が耳を衝いた。「あんたらは、雪が降って、じゃぶじゃぶのくせに」そう聞こえた。
「じゃぶじゃぶ」とは何だ?一瞬だけ思案するが、すぐに合点がいった。ああ、金か。雪が降って、除雪をすれば、金が「じゃぶじゃぶ」に入ると。そういう意味か。
たしかに、今回の出動により、懐には金が入る。じゃぶじゃぶという程には多くないが、金は入る。そのことも、女には気に食わなかったのだろうか。労働の対価がなぜ断罪されるのかはよく分からなかったが、自分はただで雪をかいている、お前らは儲けている。そんな意識なのだろうかと思った。さすがに、もう振り返る気は起きない。除雪車に向かって、「雪はこの家の前に捨ててください」と叫びたい衝動に駆られたが、心にとどめておく。ここで黙っておけば、後はじゃぶじゃぶ。後はじゃぶじゃぶ。
何だか、女を極悪人のように書き立ててしまったが、女の名誉のために言えば、こういうやり取りはどこにでも溢れている。雪国は陰湿で、鬱屈としている。除雪が遅い、怠慢だ。なぜ自分の地区には除雪が来ないのか。まだ雪が残っているではないか。道路だけでなく、家の前もついでに除雪してくれ。思い返したくはないが、思い返せばきりがない。迂回の指示に従わない者もおり、除雪車の間をすり抜けていく。急いでいるだとか、この先に家があるだとか、そんな言葉を吐き捨てていった。もちろん、感謝をされることもあるにはあったが、割合としては少なく、感謝をされると比喩でなく後光が差して見えた。
あえて雪国の名誉のために言えば、久方ぶりの大雪で、町全体が苛立っていた。雪をかけどもかけどもまた雪。怒りと雪のやり場がない。そんな状態であったから、女の物言いにそこまで怒りを覚えることはなかった。むしろ、「じゃぶじゃぶ」とは凄い言葉を口にするものだ、と感心した。そんなことに感心するのはおかしいが、感心した。
雪国とは陰湿である。東京で雪が降ると、なぜか嬉々とする人間がいる。あんなに少ない雪ですっ転んで、騒ぎ立てて馬鹿みたいだと罵る。馬鹿はどちらだ。そういうところである。こんな場所に、こんなことを書き込む人間がいる。そういうところである。己の陰湿さを呪えど、長年染みついたものはなかなか取れない。こういうことを繰り返して生きていくしかないのだろうか、と思う。人生は気の持ちようだという人もいるのかもしれない。しかし、大雪であり、コロナである。正直、気の持ち方が見つからない。
夜になって、また雪が強まってきた。雪の降る夜は雪明りで随分と明るい。しかし、心はどこまでも昏い。
私には、他人が分かりません。何を考えているのか。どれくらいの能力があるのか。そして、私以外の人間は、私と違って他人のことが分かっているのか。全てが分かりません。
「他人が何を考えているのか」は、今までの経験とその場の状況から推測できる場合が多いです。したがって、テンプレ化した会話では問題なく応答できる(と自分では思っている)のですが、あまり遭遇しない場面になると途端に難しくなります。
ある時タバコを吸っていると、友達から「それ新しいやつだよね?気になってたんだよね」と言われました。これに対する返答として適切なのは「1本要る?」なのですが、私の口からその言葉は出ませんでした。
これは、空気を読む力が先天的に欠けているせいなのでしょうか。それとも、発言の意図をくみ取ることをサボっているということなのでしょうか。「普通」の会話がどうやって行われるのか知ることができればこの疑問に答えが出るのですが、いまだ他人に会話の方法を尋ねたことはありません。
他人の「能力」について考えるようになったきっかけは、受験勉強です。私はペーパーテストに関しては優秀で、「まじめに勉強すればいい点数はとれる。成績が悪い人は、勉強時間が足りない」と考えていました。しかし、世の中には、一所懸命に勉強しても第一志望の大学に入れない受験生がいます。高校時代のクラスメイトに私よりも遥かに勉強熱心な人がいましたが、結局その人は志望校に落ち、私は東大に進学しました。非常に傲慢な物言いで恐縮ですが、能力の差を感じました。
人によって能力に差があるということを知った私は、世間の中の自分の立ち位置を考えるようになりました。世間には仕事やそれ以外の分野で素晴らしい業績を上げている方が大勢いて、それぞれ優れた能力を持っています。その一方で、四則演算が怪しい人や、怒り狂って支離滅裂なクレームをする人がいるとも聞きます。色々な人の話を聞いているうちに、何が普通なのか分からなくなり、自分の位置も分からなくなりました。
自分の位置を知ろうとすることは非生産的だと思いますが、それでも時々考えてしまいます。(結局、自分が高い能力を持つことを確認して自己肯定したいだけなのかもしれません)
コメントで「豚に呪われるよ」ってあるけど、やっぱみんな動物のこと悪いと思いながら喰ってんだなと。
けど美味いからやめられないんだなと。
それでそれを指摘すると「ウルセー!わかってんだよコノヤロー!」となる。
だからヴィーガンは何も言わず、黙っているのがほとんどである。
我慢できない人々が、過激派ヴィーガンになりすましている、という認識である。
日本では0.1%以下の超マイノリティなので、シーンとしているのがほとんどである。
カルトと思われたくないしな。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210123192708
“「侮辱罪だ! 謝罪させろ!」逮捕された“マスク拒否おじさん”は東大出身の研究者だったらしい。
東浩紀の存在からずっと仮説を持ってたけど、本当に「東大に入って学問を志ざせるぐらいの人って結構な割合のアスペルガー症候群がいる」説がまた正しいと証明されてしまった…
別にアスペルガー症候群的な人が悪いって話じゃなくて、本来は「今の受験制度は若くてできのいい子を選抜する(中高一貫校はかなり有利)」というシステムが、早熟のアスペルガー的な人と相性いいって話ね。
だから、東大や学者の人がネット炎上したり、テレビでこどもっぽい振る舞いすることがある…
私、研究など理系分野の人材を選ぶ時にはこのシステムで全然いいと思ってるよ?
ただ、文系の仕事は調整などのバランス感覚を要するから「学歴フィルターで本当に正しいんですか?」ってのがずっとあるわけ。
単純に数字に強い、強い物言いで注目を集めるのが目的ならそれでいいと思うけど…
「学歴フィルター的/学閥的な採用をする企業・官庁が多いなら、その根っこは受験制度でどんな人間が選ばれるかをもっと真剣に考えたほうがいいのでは?」
ってとこに繋がってくるわけ。
直接文句言えたかって言うと多分無理だけど俺は2回目も拍手しなかったと思う。
「みんなが黙るまで〇分かかりました」とか勝手にキレて職員室に帰る先生(謝罪に来るのを待ってる)みたいじゃん。
学生と来賓っていう圧倒的にわかりやすい上下関係の上であんな偉そうな物言いで
「どうする?俺は別にこのままでもいいけど?」って言われたら口には出せないけど「帰れよ」って思うもん。
1対1とか、グループワークとか個人が認識できるところだったら目を付けられることを避けて拍手したかもしれないけど、
真宗宗派は「門徒」で合っております。よくご存じでと申しましょうか、よくお寺での説法を聞いていただいているようで、謹んで敬意を表します。
横からの増田さんからのお返事も拝読して、私も少し分かってきたことがあります。
僧侶増田さんに違和感を感じたり反発したりされている方は、この言葉が非常に不快に刺さっているのだろうと思います。
私の受け取り方(そのおそらくは、真宗宗派の考え方を下地にした受け取り方)は、「切り捨ててしまう」ほど強権的な物言いではなく、しいて言い換えるなら「去る者は追わず、来る者は拒まず」というような意味合いです。
元増田の話でいえば、反発されるご親戚の方々を元増田がいくら説得しようとも、ご親戚の方々が聞く耳をもとうとされないのであれば、元増田もまたそのご親戚の方々の態度・考えを尊重されて、無理矢理にでも納得させるようなことはおやめなさい。無理に引き込んだり、引き込まれたりしても、お互いにわだかまりが残ってしまってはよくありません。・・・僧侶増田の説かれたいところは、そんな説法だと私は受け取っておりました。が、たしかにそれに続く説法の中で、ご親戚の方々に強く当たるような表現もまたあり、そこまで言わなくともという感想は私増田も理解するところです。
宗教・宗派・背景によらず、みんなが分かる考え方・言葉遣いが求められるのでしょうけれども、私増田はどうしても個々人の背景の上に成り立った考え方・受け取り方からは逃れられないとも考えています。
同じ言葉でも受け取り方が、宗派・宗教が違ったり、仏教用語として理解されるか現代日本語として捉えるかによっても変わってきます。真宗宗派でよく話題にされるのは「他力本願」という言葉です。Wikipediaにもある通り、真宗宗派のことば(Wikipediaの前者)として理解されるか、現代日本語(Wikipediaの後者)として捉えられるかによって大きく意味が変わってきます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%96%E5%8A%9B%E6%9C%AC%E9%A1%98
・・・などと長々と書いておりますが、私増田は真宗宗派のお寺にお墓があるだけのごく普通の家に生まれた者です。少しだけ、お寺さんでの勉強会に通っていた時期はありますが、正信偈も冒頭が読めるかどうかの程度です。寺の生まれでも、檀家でも、熱心な門徒でもありません。
お近くのお寺で、よいご縁の中で、仏法に出会えるとよいですね。もしくは、ある程度大きなお寺であれば、月1回とか週1回のペースの勉強会を行っているところもあります。なんでもなしにお寺に行くことが難しいのでしたら、そうした勉強会をきっかけに仏法に触れられて、またご同朋やお寺の方とお話するご縁が見つかればと思います。お寺による・檀家によると言ってしまえばそれまでですが、真宗宗派のお寺の多くは、ご縁のある方は暖かく迎え、ご縁のつながらなかった方にもまた暖かく送られる姿勢です。
何かを重ねて見知ったような物言いですが
・言い換えてみた
・価値観は人それぞれ
・事を知れ
発言した委細を言葉として取り合うために話すことではないので文中にあるとかないとかで言った言わないは勘弁してください
まず最初に名乗りをあげている身上ですが、これは何か必要あることでしょうか
何教徒のどんな立場であるかを相手に告げて言説になにかの意味を含ませようとするのはその言葉が立場によっては意味がない言葉であるということでしょうか
乞食に化けた聖人は乞食が行ったことであるので聖人のそれとは関係がないはずだとするならばそれはその価値観をお持ちであることについて理解できます
物乞いに施しをする姿をみて聖人がとされない理由は何でしょうか
次に事例を引用するにあたって出典を前述の教養からとしやすくしただけであれば自ずと宗教関係の事例を挙げてこられると思います
過去の事例からして正しい行いをしたと評価してあげるために何かしら評価にまつわる根拠のない話をいくつかされていますが意味があるというその意味が何であるか宗教を出した上でされているのだからご自身の範疇でその評価をしてさしあげるのが道理ではないでしょうか
それぞれ個人の何か大切なものを見つけていけるし見つけていってください と突き放すのではそれを支えるべく教えを用意しているはずの宗教の救済の意味がすべて喪失していませんか
当人個人の判断で自身を救えるのならば初めからそんな長い話を聞かせて要点が何点ありどうすべきで基準のそれを「基準」と呼んでいるそれは何なのかひけらかす必要はないでしょう
相手に情報を押し付けることについてのみ思考されているため視点が抜けているように見えます
相手に選択肢の存在を示すのであれば自らの身上を述べ参考にしてもらうだけで充分ではないでしょうか 自分が信じているものや自分を信じてもらえたら出来ること等あるはずです
最後にいろんな方の心の内を勝手に想定してイタコをされていますがどのような宗教でどんな戒律があればそのような事が行えるのでしょうか
生きている人の本音を霊体を呼び寄せて聞くという宗教もあるかもしれませんがそれでしょうか
少なくとも浄土真宗は死者の例を呼び寄せ思考を読み代弁できるという能力が存在したという話はないと思いますがこれはもの知らずの浅知恵でしたでしょうか
仏教というものに僅かでも関わり僧侶という立場にあるのだとしたら頭をまるめ結婚をせず肉食を控え私財を蓄えず物を乞うて生きるの意味くらいは深くご理解があるかと思います
そもそもそのための組織といっても過言ではないしその意義によって成り立っている組織ですよね
坊主になるのは個を無くすため ファッションや外見的特徴で教えの元にある者を区別しない 僧侶の格好をしていればみな同じ教えの元に対応ができることを示す
どの坊主が良いとか悪いとか誰のせいだとかどんな格好をしているから偉いとかありません 皆が同じ仏の教えの元に集っているのです
至らぬ者があればほかの同門がそれを補う 個人で新しく独自路線を開拓したわけではない 常に仏に帰依する現実的なスタンスが外見的特徴の喪失ですよね
髪の毛はやしてますか? ファッションに気を付けてますか? アクセサリーとかつけてますか?
結婚せず肉食をせず肉食を控え私財を蓄えず物を乞う
人の里にあって人の営みをするものと離れて生活します 里の人と同じ世界という規模で共存するにあたってそれらを得るという選択肢を無くします
もし僧侶と娘が結婚したら 人の里において娘と結婚する人が一人減ります 私財を蓄えるとその取引によって人の里から失われるものがあります
営利目的で僧侶をやっていいなら営利団体が宗教的なものを発布してもよいはずです 従業員がまるで宗教のような企業に労働を強いられていることもあると思いますが宗教となれば「その労働者の家族も含め」となります
価値があるものとしてその知識を村や人が保有するために支払うコストが必要ならばそれは村や人が金庫にいれたり資産を投じて運用すべきです
そうすると運営元が恣意的に内容や情報を変更する可能性があります 伝承や歴史が歪められる可能性があります
できるかぎり中立で正確な情報を残していくため それを得ることができるようにするのには公平で自由に接することができなくてはなりません
だれかの資産で運営するわけにはいかないのです だれか一人のトップ僧侶の能力で人の判断を歪めてはいけないのです 独立した公平な組織となるためにはその戒律が必要なのです
肉食は生物を殺さないという根源的な保証のために行っているものです 実際にはどうのという話ではなくただのタンパク質ならどうなのかという話でもなくだれも殺さない むしろ殺すくらいなら死ぬというものであることの証明のためです
これらをこなしたうえで極楽浄土がある 死後に苦しむことになるので現世での苦しみを耐えよの言葉に意味がでてくるわけなので 意味のない言葉を聞きかじったままに伝播するのでなければ当然されているかと思います
ご自身が常に戒律によって自覚しているあたりまえの日常の最低限の事ではあるでしょうけれども 人に道を示すのにこれだけしておかなければ中立であると言えない 恣意的に利己的に利益を求めて助言をしていると言われないようにできないですよね
名乗られている浄土真宗はそんなものではなく営利目的の団体で 顧客獲得のためのセールス手段の一つをここでお話させてもらうと良い話なので是非聞いてくださいというのならば納得もします
あくまで浄土真宗の何派かわかりませんが宗教にあって僧侶をされている方の立場と名誉について 今一度そんなに金がほしいのか人に知がありと説いて健やかなれと願っているのかお聞かせいただきたい
なぜ一人を救うのに何人も汚名の淵に蹴落とさなければならなかったのか その判断は公平で平等に判断したその何かにおいて当然だったのか
拙文にもかかわらず、お読みいただき、またもったいないお言葉をありがとうございます。このような形でご法縁を賜るのは初めてのことです。
仏教の最大の目的は、抜苦与楽(ばっくよらく)にあります。苦しみを抜き去り、喜びを与えるという意味です。
特に日本では死別の悲しみを和らげることが重視されてきた面があると言えますから、(我々浄土真宗の場合は)他宗の49日間という習慣を仮に使わせていただき、その期間中ご遺族の心と向き合い、教えに従って慰めていくことも法務活動の一環としております。そうした意味でも、「見送った人の心を整える」というあなた様の解釈は誤りではありません。
「生きることは即ち苦である」、という大前提の上に仏教は成り立っています。
様々な出来事に直面し、悩み苦しむ方々にとって、その方を照らす光となるような、その方を温める熱となるような教えをもたらすことが我々僧侶の使命であると言えます。
ですから、このように謝意を向けていただけると、私自身もまた苦しい日々の中に光をいただける思いです。これがお釈迦さまの目指された「自利利他円満(じりりたえんまん:相手も私も喜びに満ちる)」ということなのだろうと感じ入ります。
また、お恥ずかしくも増田さんのご親族への批判じみた物言いに終止してしまった私に代わって、現実的かつ理想的なアフターフォローの形をご提示いただいたこと、ありがとうございます。観念的な話だけではなく、具体策も伴った上でご遺族を慰められるようになりたいという思いをいただきました。
悲しみはいつ訪れるか分かりません。
その痛みがいつ引くのかも分かりません。
後悔のないように生きたくとも、現実生活の前では様々なことがおざなりになってしまいます。
それでも、「わたし」も、先立ったあの人も、いつかまた出会える場処を夢見て、今日を明日を進みましょう。
心が揺さぶられる時ほど、足元がぐらつく時ほど、「わたし」と人生が問われている時です。
いつか、自分に問うてくださるこの痛みにも、苦しみにも、心からありがとうとごめんなさいの気持ちを持って、手を合わせてゆきたいものですね。
合掌
去年の11月ごろ、父親が特別養護老人ホームのような施設に入ったのだが、その後、父親から頻繁に電話が掛かってくるようになった。
施設の人にいじめられている、というような話なのだが、色々な事情で携帯の所有時間に制限があり、それをイジメとして捉えている。
施設の担当者やケアマネとは連絡しており、事実としてのイジメは99.9%ないと思っている。
(ヤクザに命を狙われてるということを何十年も言っていた人なので。)
それで、電話に出るのがしんどくなって、出ないでいたら毎日のようにストーカーのように電話をかけてきて、留守番電話に被害妄想の話や私に対するクレームを残している。
私のメンタルのダメージも大きいので、無視して聞かないようにしている。
これが地味に自分の罪悪感に訴えてくる。
精神病とはいえ父親の電話を完全に無視するのは、人としてどうなんだろう、とかもやもや考えてしまう。
今日も電話が何度もかかってきたので、いい加減にしてもらいたいと思い、「何の用?用もないのに電話しないでほしいんだけど」と答えたら、「そんなこと言わないでくれよ」と弱者的な物言いでブチッと電話が切れた。
こうやってまた被害者側に立って罪悪感に訴えてくるわけだ。
私には姉がいるのだが、姉は完全に無視をしていて、絶対に電話を取らないようにしている。その徹底ぶりは残酷なようであると思っていた。
だが、私の姉は私が通った道を先に通っていただけだと分かった気がした。
親が精神病だけあって、自分の精神も弱くできてるので、とても相手にしてられないし、自分の思考に父親が入ってくるだけで苦しい。
結局、父親がしたいことは寂しさから来るストレスを電話が掛けられる先にかけて解消したいだけなのだ。
父親は友人ができてもお得意の被害妄想で怒りに燃え急に説教をしたりするため、すぐに友人がいなくなり、親戚にも説教をしてウザがられ、姉からも徹底無視され、完全に孤独なのである。
そこで、電話の連絡先に残った少ない連絡先である、姉と私にマシンガンのように電話してくるのだ。
どうにかできないものだろうか?
ジャストアイデアだが、命の電話に掛けてもらうように施設の人にお願いしようかと思っている。
だからこういった電話を受けることで、彼らのボランティアとしてのやり甲斐があがり、父親は終わりのない被害妄想を訴えてストレス解消できるので、ウィンウィンの関係になれるのではないだろうか?
増田やってて久しぶりに社会に届いてほしいと思えるような日記に出会えた。
しかも、俺みたいな人に感謝してる人って見たことないんだよね。
「自分を犠牲にした協力に感謝します」みたいなこと誰か言ってる?「自分勝手な若者が」って言葉ばっかりじゃない?
今日も「成人式に行くやつは自分で状況判断できないガキ。大人なんだから自制しろ」って岩田教授がブログに書いてたけど、こんなのしかなくない?
それか、良い話を持ってこない?「これをしてくれれば、もっと得ですよ」って。
これは本当にそう思う。
コロナがどんなものか社会でだいたい知識を共有されてきた頃から、俺もずっと政治家とかコメンテーターとかの態度には疑問を感じていた。
政治家も医療界のお偉いさんも民衆は自分の意のままに動いて当然の駒としか見てないんだろうなって何度も思った。
自分たちは社会のためにマイナスを負う気持ちなんてさらさらない癖に。
増田は思考の上での不満にとどめているけど、テレビ中で取り上げられるような「街を行く若者」たちの中には上世代の傲慢な物言いに愛想を尽かし、言うことを無視することを決めて遊びにいっている人が相当数いるんじゃないかなと思う。
まあ、中には傲慢さからでなく、本気で若者に感染して苦しんでほしくないと思って強い自粛を呼び掛けている人もいるかもしれない。
ただやっぱり、若者世代の発症確率、重症化確率、死亡確率を考えたら、できる範囲で感染対策してクラスターが起きるような高リスクの場所さえ避ければ現実的な確率としての安全は得られるし、それ以上の徹底はコストや機会損失の方が勝るんだよな。
それに、ちゃんと思いやりから言っている人は言葉を選んで呼び掛けるだろうし、増田が不満に思っている傲慢なクズ共の中にはカテゴライズされないか。
テレビ越しに国民の代表面して発言してるジジイ共があの調子じゃあ永遠に「街を行く若者」との歩み寄りは不可能なんだろうなぁ……。
今の世の中の人出の多さは世間を代表して呼び掛ける立場の大人が大人として相応しい品格を以て行動できなかったツケでもあるんだろうな。
※ド自分語りです
分かりやすく言えば「好きになるのに性別なんて関係ない」と思っている、人間だ。
どう繋がんのか、って話だよね。
ある意味情勢が理由になるのかな、とも思うが、匿名でない限り、友達にも、ましてや恋人にも言えないことだから、この匿名で言わせてほしい。
自分にとっては言わないとあまりにも辛いが、誰に言えたことでもないから。
ちょっと引っ張るとあるある言いたい〜みたいな感じになってくるからそろそろ本題に入ろう。
言ってしまえば、今は実家暮らしに近いものだ。というか、母方の実家に暮らしている。祖母と私の二人暮らし。生活に必要な金は、医療費以外は祖母が出してくれるような、そんなぬるい環境だった。とあるところから逃げ帰ってきて今までおおよそ一年間、それにずっと甘えてきた。
私は祖母が大好きで、ここに来た当初は支えていこうとすら思っていた。
しかし結論から言えば、その意思が無くなってしまった。今ではもうどうでもいいとすら思っている。
何故か?
受話器を持ちながらそう言われた。
んで、びっくりした私はこう答える。
朝だよ? 何なら寝起き。返答の判断なんてつかないじゃんと思って聞いてほしい。それにしても不注意だったなとは思うけど。
前提として私自身は女であり、この時には女の子の恋人がいて、それをうっかり言ってしまった。一般人には理解がないから、なるべく言わないようにしていたのに。
それと、前々そういう題材を取り上げている番組とかを観て、そういう時代だよね〜とか言ってた祖母を見て、私もうっかり大丈夫なんだと、無意識に大丈夫だと思っていたのかもしれない。
ただ、それが一番の間違いだった。
それ以降、祖母からその話をされることは無くなったんだが、ある日、受け入れられてると思い、とある話題で、「私にも守りたい人くらいいる〜」みたいなことを言った訳さ。
笑いながら、そう言われた。
頭に重石が乗っかったみたいな感覚、目頭が熱くなっていく。悔しさのせいで。ここまで悔しかったのは一生でこれ以上ないかもしれないってくらい、悔しかった。
うっかりカムみたいなことになってしまった自分が一番悪いかもしれないけど、その時ばかりは普段から直球な物言いしか出来ない祖母に苛立ちを感じてしまった。
けど、その時の私は何故か、一晩だけでどうにかこの気持ちをおさめようとして、次の日からは明るく振舞おうと思ったわけ。で、実際そう振舞ったと。
問題はその次の日から、定期的に電話で出された見合いの話を言われるようになったこと。
それと度々「○○ちゃんなら素敵な人に出会えるよ」って言われるようになったこと。
日々ふざけんな、と思いながら苦笑いで済ませてきたけど、後者は朝ドラのいいシーンが来る度に行われたから、さすがの私も気が狂いそうになった。故に朝ドラがちょっと苦手になった。作品に罪はないんだけどね。
あと覚えてる語録で言えば、ちょっとお高めのアクセサリー買った時に、
「それを買ってくれるような人がきっとできるよ」
とか、
世の中でBLが流行ってると(タイミング悪く)テレビで流れた時に、
こんなん、いくら悪気がないと言えど、言葉の暴力だと思うんですよね。
ここまで言われた私は当たり前に辛くて、もう耐えられないと思った訳よ。
だからつい2,3ヶ月くらい前に、ちゃんとセクシュアリティも含めた、この日記の冒頭みたいな説明をしっかりした訳ですよ。全性愛者であること、(言い方はアレだが)好きでこうなった訳ではないこと。
だから偏見みたいなことは言わないでほしいし、結婚の話ももうやめてほしい、と言った。普段から都合の悪い話を聞かない祖母に、度々「話を聞いて」と声を上げながら、伝えた。
でも、もう、多分1ヶ月くらい経った頃には忘れられたのか、以前と同じ頻度で言われるようになった。
それでいて、私が自主的に、生活費のほぼを支えてくれているからという理由でやっていた家事も、徐々に要望が上がっていき、最近では夜に突然「これ買ってきたから煮てほしい」とか、そんな急なレベルで頼まれるようになった。
ルーティーンに縛られる生活があまりにも嫌な自分の性格のおかげで、その辺の歯車も段々と狂いつつあった。
あとは、在宅で仕事をしているから、密接になりすぎて嫌になった、とか、そんなところもあるのかもしれない。
で、耐えられなくなったのが、年の瀬、大晦日前日。この日もイマイチやる気が起きない上に「唐揚げの下準備を〜」と言われていた日。
ただどうしてもその日に下準備をしたくなくて
「明日の朝とかでも良くね?」
って言ったら、
「唐揚げは一晩つけなきゃダメだから、今日風呂入る前にやらなきゃね」
何か、その一言で急に耐えられなくなった。
今まで色々散々に言われた上、そいつの手伝いどころかほぼをやって、それで風呂の時間までそれに縛られて……?
私は一体、誰の時間を生きているのだろう。
そう思った瞬間にはもう無理で、気がついたらあのクソ寒い夜に、河川敷を歩いていた。風がすごく強かった。
間近で水面を見ながら、ぶっちゃけ波にさらわれてもいいとすら思った。
それから渋々祖母の言う通り、唐揚げの下準備をしていると、母親から折り返しの電話がかかってきた。
もう、わんわん泣いたよな。
母親の前で泣くとか何年ぶりだよってくらい、泣いた。もう20代も半ばに差し掛かるのにぼろっぼろ泣きながら、もう頼まれるのが辛い、無理だ、って訴えた。
当たり前だが、恋人のくだりは伏せた。なんもねーのに結婚だの、素敵な人が〜の話されるのが辛いって話はしたが。
したら母親は、
「辛いなら帰ってくれば?」
この一言で、また泣いた。
だから私は、皆が我慢している中すまない、と思いながら、今年も実家に帰った。
もちろん、混んでいない早朝を狙って、実家へと向かった。大晦日でこのご時世ということもあり、人はほぼ、誰もいなかった。
まあ帰省の話は長くなるから割愛するが、家族が全員食卓に揃った瞬間にも泣きそうになったとだけ……(ひたすらに涙もろい)
で、また祖母宅に帰る時も、うだうだ言っている私に対して母が「あの人は身近にいる人をすぐ使うから、たまには嫌だって言うしかない」「もうある程度諦めるしかない」と助言をいただいた。
でも、それって同居しててほしいっていう母親の気持ちの表れじゃん? いや分かるよ。いくら近くに親族がいると言えど高齢者を一人で住まわせたくない気持ちは。私もそうだったからこの家にいたわけだしね。
けど、誰だったかはもう分からないが、こんな名言を残した人がいた。
「辛い時は、逃げてもいいんだよ」
うん、すまんが、逃げるわ。
ってことで、家に帰ってからすーぐ祖母に「最近よく頭働かないし、その理由は多分頼まれるのしんどいからだと思うので家を出る」と説明。
「私が邪魔なのね」
とか言ってきたが、知らねー。それより私は色々嫌なことされてきてんだ知らねー! と遅れてきた反抗期みたいなことを思いながら部屋に帰った。
そこからの私の行動は早かった。言ったその日のうちに物件を探して、その内見を近い日付で取り付けた。
まだ見れていないが、余程悪くない限り、そこで決めたいと思っている。
と、現状がここまでなんですが、最後に
調べると体験談がそこそこ出てくる
FTMトランスジェンダーの人が男性ホルモン注射受けたらかなり性欲が増すらしい
治療受ける前の人が「性欲が増すって話もありますが」みたいなことを書いてたりして、トランスの人たちの間ではそこそこ知れ渡っていることらしい
オナニーが「気が向いたらときどきやる」から必須習慣になった、なんて記述もあった
これ、「男は女より強い性欲に常に振り回されている」をポリコレ棒にするチャンスやんけ!
あんま定量化して書いてある資料とかが出てこないのがネックだけど、ぜってえいいデータだよ
「女性にも男性と同程度の性欲があるが、社会的に抑圧されていないので表に出ないだけ」みてえな物言いが俺はすげー嫌いなんだ
そら個人差はあるだろうが、全体として見て男の方が性欲つええじゃん、絶対!
男のキモさ、結構性欲由来だと思うんだけど、その性欲って生まれ持ってしまった弱者属性のひとつなのではないか?と
そういう話になってほしいんだよな
ええ感じの論文とか出てこねえかな!