はてなキーワード: 正論とは
まずはじめに。彼の犯した事件は許されるべきことではなく、この文章は彼を擁護するために書いている訳では無いことをご理解の上読んでいただければと思う。
連日放送される某アイドルグループY氏の事件。つい先ほど他のメンバーによる会見も開かれた。そしてその一連のニュースを見ていてずっと違和感を抱いている部分がある。
これは正論だ。被害者は紛うことなき被害者であり、彼女自身に責任を問うのはお門違いだろう。
しかしここで疑問に思うのは「夜に外に出ていこうとする娘に対し、両親はなにも言わなかったのか」という点である。私がニュースを見る限り、親という単語が出てくるのは被害者の少女がトイレから連絡したという部分と被害届を提出したという部分でのみだ。
2月の夜8時頃といえば、日が長くなっているとはいえ日没後で暗くなっている時間だ。その時間に未成年の娘がいくら人気アイドルで信頼できそうな相手とはいえ男の部屋に行くのを「そう、行ってらっしゃい」と簡単に送り出せるだろうか。
もしかしたら部活や塾などで外にいる時に連絡が来たのかもしれない。しかしもし自分が未成年であればそういう連絡があったことを一言親に相談しているし、恐らく親も「こんな時間に行くなんてありえない」と怒って止めていただろう。
未成年だから何も出来ないのは当たり前だ。だからこそそれをカバーし守り助けるのが周りの大人であり、保護者ではないのだろうか。
悪いのはY氏、これは揺るぎない事実だ。しかし、呼び出された時点で保護者がなにかアクションを起こしていればこんな重大な事件には発展しなかったのではないかと考えてしまうのも事実である。
まずいじめ問題。
いじめる側の言い分を聞くと、おおよそいじめられる側に原因があってそれを罰することから始まっている。
あいつは周囲に罰せられるだけのことをやった。だから自分たちの罰は許される。
いや、許されないだろう。
何の権利があって個人が個人を罰することができるのだというのか。
あいつは変なことを言った。変なことをやった。だからあいつを罰することは許されている。
そういう勘違いをしている人間が、正論に見せかけた個人攻撃を平然と行っていると言えるのではないだろうか。
当然許されるべきではない。
どんな理由があっても人に危害を与えれば、それは罰せられるべきだ。
それをするのは司法であって、警察ですら罰を与える権利は持ち得ていないはずだ。
もとをたどると、個人的な罰はしつけに遡ることになる。
まだ十分に理解力が発達していない相手に対して、緊急の危険から実を守るために必要なものだからだ。
時代の流れ的には、身内同士でさえ罰を与えることは罪と考えられ始めている。
当事者同士ができることは、唯一、解決に向けた話し合いである。
お互いが罰を与え合えば、それはエスカレートを繰り返すだけで、何も解決しない。
報復したい気持ちをぐっとこらえて、それぞれの罪はどこにあるのかを話し合い、お互いが罪を認め合うことができれば、それ以上の報復は必要としない。
どんな被害を被ろうとも、それが相手に危害を加えていい理由にはならない。
学校ではとっくの昔に教師が生徒に罰を与えることはできなくなった。
罰が与えられないからと言って罪を見逃すのではなく、それが罪であることを認めさせることはできるはずだ。
罪を認めることが出来れば謝罪につながり、被害があれば補償すべきだろう。
しかし、罪を犯したからといって、相手の罰を許してはならない。
それは一見誠実のように見せて、その実は問題解決を棚上げにしているだけに過ぎない。
blackdragon 政治家が指示した証拠がないとか言ってる人たちがいて笑わせる。指示してなくても、指摘されてるのに適正と言い続け放置し続けた時点で指示して隠滅改竄させたのと同じ。
2018/05/01
わかる。
わかるんだが、
左派の人たちは同じ口で朝日新聞の慰安婦報道については「捏造報道ではない」「名誉毀損だぞ」と言う。
百歩譲って最初に記事にした時点では取材対象に騙されてただけ(裏取り不十分を大威張りでいうものではないと思うが)だとしても
その自分で書いた記事を、指摘されてるのに何十年も間違いを認めず放置してデマを広めるに任せた時点で捏造プロパガンダと同じでは?
作業中に誤って火傷をしたらしい
見ると腕に大きなコブのような水ぶくれ
これは労災だろうと思っていると
「大した怪我じゃないし。見た目はひどく見えるけど、すぐ冷やしたし医者の治療費も安かった」
こうやってなんとなく隠蔽されて行くんだろうな
などと思いながら話を聞いていた
労災申請により受けられる保障と、事故を起こさず働き続ける会社員としての評価待遇、後者が勝ったという事なんだろう
同じ事故が起こらないように、報告と対策は必要なんじゃないか、と正論を伝えてはみたが
返事は濁されてしまった
「その仕事だけやってて、会社が潰れてしまったら行くところがない」
「これだけの待遇でずっとやってくると、今更 下げる事は出来ない」
その通りだ
ネットで付近の喫茶店を調べ、他が混んでいたり予算オーバーだったりしたので仕方なく入ったが、30歳童貞の冴えないオタクが一人で立ち入るにはオシャレ過ぎるカフェだったので、少し後悔した。
客層は20代〜30代が多く、カップルだったり女子数人で来ている客がほとんどだった。たまたまスムーズに入れたが、中はほぼ満席のよう。
自分が通された席の隣は、小学生低学年くらいの男の子とその母親らしき人だった。男の子は、何やら問題集を解いているようだった。
ケーキセットを頼み、つい今しがた観た映画を反芻しながらコーヒーを啜っていると、隣から、カフェには似合わない怒り声が聴こえてきた。
見ると、その男の子が問題を解けないことに、母親が怒っているようだった。
「なんでわからないの!」「○○すればいいだけでしょ!考えなくてもわかるじゃん!」「さっきも同じこと言ったよね!」「○○に決まってるでしょ!」「さっさとやりなさい!やれ!」
とてもキツい口調だった。
男の子の方は、「いやだ!」「わかんない!」と口ごたえをしていた。何回か「教えてよ…」とも言っていたが、「さっき言ったじゃん!」で全て怒られてしまっていた。何度も泣きそうになっていた。
よく聞き取れなかったが、小学生低学年には酷な思考や態度のレベルを要求しているようだった。
それがずっと続いていた。
とても、見ていられる状況ではなかった。
30歳童貞コミュ障オタク。女性とまともに会話もできないし、子供とコミュニケーションを取る方法も知らない。
これが創作作品であれば、正論らしきものを言うギャルが出てきて母親がハッとなるか、渋めの初老男性が出てきて母親を諭す展開なのだろうが、あいにくここは現実だ。
店員さんは特に触れようとしない。メンバーを見てもアルバイトらしき人しか見当たらない。まわりの客も、そそくさと帰る人が多いようだった。
真横にいる自分が何とかする?どうやって?なんて声をかける?
もし声をかけて母親がさらにヒステリックになったらどうする?変な言いがかりを付けられたらどうする?もし仮にその場をおさめられたとして、その子が家に帰ったあと、「恥をかかされた!」とさらに怒られはしないか?児童虐待で通報?地元でもないし、その親子の情報もわからない。どうする?どうすればいい?
結局、自分も早めにケーキを平らげ、そそくさと店を出るしかできなかった。
その後もしばらく、あの男の子は怒られ続けているのだろう。
母親の方も、好きで怒っているわけではないことくらいわかる。おそらく、母親の方も相当追い詰められているのだろう。
結局、何も解決することができないまま、儀礼的無関心を貫いてその場を去った。
自分には何ができたのだろうか。どうすべきだったのだろうか。
今晩の寝覚めは悪そうだ。
例の女子高生マンション連れ込みキス事件で正論を言っている人達。
「やっちゃいけないことをしたのは大人なのに、女子高生を責める人間はセカンドレイプ加害者」
その通りだと思うよ。倫理観としては。
でもうるせえよって感じだ。
そんなの当たり前でしょ。当たり前のこと言って気持ちよくなれて良かったね。
女子高生を責めたいわけでは勿論ないし、加害者が悪いなんて当たり前のこと誰だってわかってるわ。
それを理解したうえで避けられたかもしれない事件だったことが悲しくて悔しいんだよ。
だって高校生が夜に、交際してもいない大人の男の一人暮らしの家に・・・行かないでしょ?
行くにしても親に言うでしょ?
親は言われたら止めるでしょ?
脅されてとか道で突然襲われたわけじゃないんだから、事前にどうにか対策だって立てられたのにって思ってしまうよどうしても。
悪い大人を悪いと批判したところで悪い大人は消えてなくならないし、結局は自分で自分を守るしかないんだよ。
そんな大人に出会って目を付けられてしまったこと自体は不運だし可哀想だけど、避けられた事件だと思わざるを得ない。
でもそうじゃないから、これから先同じような被害に遭う女の子が増えてほしくないから、女子高生には何の落ち度もなかったとは言いたくないんだよ。
あと正義感振りかざす人間ってそうじゃない意見の他人を見付けると酷い!お前も犯罪者だ!みたいに騒ぐけど、他人の意見を受け入れられないのはお前の正義感には反してないのか?
ブチ切れ増田を書いて邪気が抜けたので良かったところさがし箇条書き
・むかついたらすぐラッパ吹きたがる高坂さんw
・リズ鳥のソロパートなのはみぞれの煮え切らなさがあーもう! みたいな(普通なら絶対しないチョイスだけど空気読まない人なのでやっちゃうw 悪意ナシw)
・久美子はおそらく強引に誘われた側で「あー」(麗奈がそうなるのはわかるけど、吹いちゃうとまずいんじゃないかなーでもまいっかあ)的なw
・なかよし川の安定感パナイ
・作中もっとも強固な絆を持ってるんじゃないかというぐらいのケンカップルぶり
・慮りつつ言うべきときは言っちゃう優子と彼女の強すぎる正論をフォローする夏紀
・同じ大学よかったですね最高かよ!
・作中の良心を一手に引き受ける剣崎ちゃん! 梨々花ですぅ! とは言わない
・号泣しちゃうのは実は唐突感あるんだけど、あーこの子これだけ本気だったんだなあというのがすっと伝わってくる間のとり方すき。演出ゲロうまですわ
・映像に関しては、見ている側が一意的な感想を抱かないように(見ているひとそれぞれの解釈を許すような)ゆらぎを敢えて残してある感じがよかった。演出家としての山田尚子はすなおにすげーなと思う
・音もすごかった。特に冒頭。あの違和感すら覚える過剰に作られた足音が否が応でも見ている側を作品に引きずり込む。あそこは違和感と心地よさでこれから始まる物語への期待がわきおこってときめいた
「安全地帯から、他人を殴るのが本邦では最高の庶民エンタメ」ってだけの話だと思うよ。
安全地帯ってのは匿名でも不特定多数でもいいんだけど、いまの差別反差別の話で言えば「どうやら正論っぽい陣営」がそれに当たる。別段正論である必要はなく「殴っても反撃を受けなさそう」であれば必要十分なので、その時々で論者の主張が矛盾してるなんてことも起きうる。
セクハラしたり不祥事を起こした著名人を責難するのも全く同じ構造のエンタメで、相手が有名で責める側が無名だと反撃されないんで多数でリンチできるってだけの話。
過去のある時期オタクは社会的に害悪で殴っても良い存在だとされてたタイミングがあって、その頃はそれがエンタメだったけれど、今は社会状況が代わったってだけ。その殴られてきたオタクだって、リンチエンタメが大好きな日本人の一部なわけだから、別のシーンでは別の対象にリンチしてるだろうし、オタクのうちわでのリンチだって別段珍しくない。
どっちにしろ、反差別だのポリコレだのジェンダーだのは、この界隈において手元に転がってた棍棒でしか無くて、「安全地帯から他人を殴るのが最高のエンタメ」っていう心性のほうが本体だし、本体を自覚しないで論の整理をしたところでテクスチャを見栄えよくするだけの話でしか無いよ。
馬鹿が群がった結果スターしか評価基準がないせいで、国会ウォッチャー(共産党作)とかを正論だと思っちゃうだろ
長すぎたので、最後の部分を分割。
とある、それなりに言動については信頼しているSF小説家が、ずいぶんと今回の件について批判的な言及をしていた。そのずらりとRTされてたり自分のキータッチで語られたツイート群の中には、オタク文化が、特にここ15年くらいの間は、差別的な言動や行動をよしとするようなものを内在していた、ということについて気にする形跡は、一ミリもなかった。その当事者性ゼロっぷりに、普段かなり反差別に近いツイートもしている人だが、ようするにそれは「「自分たちの世界」の外側で起きていること、アニメを見ながら実況ツイートしているような扱いなんだろうかな、と考えるととても残念な気分になった。敢えて、実名は上げないけれど。
話はそれるけれど、この小説家氏は、自分の仲間たちがかつて、とあるパソ通フォーラムでリンチしていた一人の参加者からその当時のことについて非難をされたとき、「あかん、こいつほんまアホや」と語り、それについて問いただされたら「おかしいことをおかしいと言って何が悪いんだ」というようなことを言い出した人のはずである。なぜ、そんなにC.R.A.C.の「それは差別ではない」発言に怒れるのかちょっと謎ではある。
それにしても、こんなツイートをRTしていたのには呆れてしまった。
https://twitter.com/kanenooto7248/status/987141171083227136
一人残らず!
そこまで言うからには、もちろん、一人残らずそうなった、という統計があるはずだろう。しかし、そんな資料が上がっている形跡はないしそもそもそんな統計はないはずだ。おいおい、トンデモはあなたのRTしたいものの中にあるんじゃあないのか? だいたいこの発言主は俺とそう年が違わないはずで、そんな俯瞰的な調査をするべくもないはずである。
この小説家氏に限らず、これをRTしているのを見かけた人の相当数が、オタクをひとくくりにして批判されることを蛇蝎のごとく嫌っていた。でも、こうやってひとまとめにされることは嫌ってないどころか大歓迎のようだ。
この小説家氏以外にも、何人か、この件で言及しているクリエイターを見かけた。クリエイターはオタク出身が多いだろうけれど、しかし一人残らず、とまで言えるかは微妙であったけど、相当数が表現の差別性をめぐって議論が持ち上がるとほぼ確実に「そんなのどうした」と切り捨てる側に立っていた人たちばかりである。それ以外のことでは割とリベラルな態度の人でさえそうである。そういう人が、「あれは差別でないなんてけしからん」「あらゆる差別をいけないといいたい」「自分の気づかない差別について提起されたらどんどん理解していきたい」などと言っているのだ。それはあなたが、フェミニズム運動家などの言説に対して取っていた態度である。自分で気づかないのだろうか?
余談ではあるが、後者の主張はすごい正論のように見えるが、相対化に明け暮れて問題点を覆い隠す格好のツールだ、と思う。こんなことを言っている人は、そのうちにあんな差別こんな差別と言い出した末にポリコレ疲れだと言い出す。このダイソーで買った商品名不明の電卓を賭けてもいい。2ch(当時)の人権板は、あらゆる差別をなくすための場だという名目で、部落差別の復活や地名晒しを行っていた場だった。
こんなていたらくの上で、オタクの差別性については雑だ雑だとケチをつけるツイートをRTしていたりする。そしてこの小説家氏はたぶん、相対的にちゃんとしている部類である。
そーいう閉塞感。
あとこれはさらに余談。
俺は野間氏は嫌いなんだけど、関わってる運動が形になることに関しては確かに上手いんですよね。
どれくらい中枢でかかわってたのかとか知らんので「運動を形にする」とまでは言わんけど、例えばしばき隊を軸にしたカウンターは反ヘイトスピーチ法に結実したし、SEALDsは最近のあの手の運動としては異例の存在。反原連だけはよくわからない。自分があんまり反原発じゃないからかもしれない。
そのへんのところは、ちゃんと考えた方がいい気がするんですよね。
というのも、野間を嫌いなあまり、政治的な立ち位置が狂って行ったオタクな知り合い、って何人か目にしてて、そういう社会運動の現状ってよくないなあと思うんですよ。
それまた閉塞感、というか。
趣旨は上の通り。
自分がオタクだと自認するようになってからこっち、10年以上にわたって、オタク差別けしからんと言い続けてきた。
ここ数年、なんとなくそれに違和感を感じることが多くなってきたけれど、それでもやっぱり言い続けてきた。でも今回はっきりわかった。
オタク差別批判とか、ただの害悪でしかない。もうやめたほうがいい。
差別というのは、権力構造に根差すものであるという話をだいぶ前にツイッターで見た。
つまらない約束事のように映ったけれど、まじめに考えるとこれを踏まえないから、差別を相対化して見せては矮小化や言葉遊びにふけるような態度が出てくるのである。日本人ヘイトだの専用車両は男性差別だの在日韓国人による逆差別だの、差別者以外にとってはおもしろくもおかしくもない大喜利パズルでここ何年かでいったいどれだけ無駄な足止めにいそしんでいたというのか。ちゃんとベースを踏まえてこそ、くだらない袋小路にはまらないで済む。これはちゃんと物理を学んでいない人がブルーバックスくらいだけに目を通しただけで「矛盾」を発見し、相間さんと化すときに似ている。
今まで自分が存在していると思っていたオタク差別は、多分差別ではない。それは、いじめであり、パワハラであり、DVである。
そう視点を変えた方が、いろんなものが整合性をもって見える。中学校時代よくいじめにあっていた同級生は、オタクじゃなかった。正確に言うとオタク「も」いた。
でもそれは、そいつと俺が割と仲が良いから知っていた話で、きっかけは別のところにあった。運動音痴だから足手まといだという扱いだったり、成績がよくて生意気だという扱いだったり、DQN憧れの男の子の彼女だからだったりした。
もちろんきっかけが「オタクだから」というケースもあるんだろう。でも、それはこういったきっかけのワンオブゼムでしかない。それを、民族差別や女性差別と並べるのは、視野が広い人間ではなくただの雑な人間だ。
「差別じゃない」というのは、多分そういうことなのだ。そして、差別じゃないから批判の対象にする必要はないという話では、たぶんない。別の枠組で批判すればいい。
なのにもかかわらず、熱心にじゃああれは差別じゃないんだーという大喜利ばかりをしているツイートばかりが「オタク」から流れてくる。いや、どうしてもそこのところをわかりたくないのかもしれない。
わかりたくないのか、わかろうとしないのか、本当にわからないのか、どれなんだ。
いろいろ、「オタク差別の事例」というのが流れてきた。前なら、そうだそうだと怒りをぶちあげたであろうものがたくさんある。でもそれはどれもこれも、オタク差別の事例ではない。
そういうものを引いて行って、ある程度確実にあったんじゃないかと思えるのは、「マスコミを通じたもの」だと思う。特にバラエティやニュースを通したもの。
それで思い出すのだけど、俺の中高時代はあんまりオタクがいいとか悪いとかいう意識を持つことじたいあまりなかった。今思えば自分の机でいつも小説を読んでいて、たまたまホームページの話になったとき「私も持ってる」と言ったのでURLは?と何の気なしに尋ねたらそれはちょっと……みたいに返してきた女の子なんかはオタクだったんだろう。自分だって漫画は好きだったしオタクだったはずだ、今にして思えば。
じゃあ、そこにどうやってオタクキモイみたいな「偏見」の存在を知らされたかっつーと、漫画だったりインターネットだったり、そして「オタク自身の言説」からなんだよね。
だって、バラエティ番組なんて中二病まっさかり(高校になっても中二だったので)でほとんど見てなかったし。ニュースといってもこの手の話ってだいたいワイドショーである。やってる時間は学校にいるんだから見るわけがない。
金田一少年の事件簿には、小太りですぐキレ気味になる、「オタク」が登場した事件があった。こち亀で、美少女フィギュアを専門とする「色白でアニメ好き」なオタクが登場して、硬派フィギュアマニアのつもりな両津が逃げ出すという展開が「オチ」として機能していた回があった。名探偵コナンのホームズフリークの回は……さすがにこの文脈で語るものではないか(でも動機の酷さは「オタクなんてそんなもんだろう」という共通認識が背後にあるような気がする。知らんけど)。
テキストサイトが一世を風靡していたころ、オタクやオタクに向けられたコンテンツは叩かれる「べき」もの扱いだった。非オタク向けの、スポーツとかファッションを語るページに迷い込んだら叩かれたという話ではない。漫画の感想サイトや、漫画やゲームをメインで扱う日記サイトでの話である。
何を言っているか分からない人もいるかもしれない。例えば、ラブひなやいちご100%やBLACK CATは、軟弱な頭の弱いオタクのためのコンテンツであり、あんなものにゲヘゲヘゆってるオタクマジキモイ。ホイッスルやミスフルやテニスの王子様は腐狙いコンテンツであり、あんなものに(ry そういう話である。この範囲は結構広くて、らんま1/2やH2ぐらいでもオタク向け扱いされることがあった(もちろん、当時これらが連載されてたわけではない。あれってオタ向けの駄作だったよね―みたいな扱い)。
もちろん彼らが持ち上げるコンテンツというのもあったのだが、この文脈で実例を挙げるの風評被害でしかないので避ける。俺の好きな作家や作品も混じるし。
テキストサイトだけではなく、2ch(当時)もそんな感じだった。少年漫画板とかそのへんをよく覗いていたのだが、まあ当該作品のスレは愛読者が集まるのでそうでもないこともあるのだが(そうであることもある)、総合系スレでのオタクコンテンツ叩きはかなり強固だったし、漫画とか関係ないジャンルの板だとなおさらだった。
そういうものにどっぷりつか……もとい接しているうちにオタクというのは叩かれるべき存在であるのだなというぼんやりとしたイメージが自分のなかで出来てきた。これにもう一つ後押しするように影響したのが、自分はオタクだと称する人が、迷惑行為や触法行為のようなものを自慢しながら、「ホラ俺たちオタクだからさ」みたいに語っている文章に接する機会があったのも、ああそういう人がオタクなんだなと認識させられた。
ちょっと話はずれるけれど、当時は、オタクとマニアの違いなんていう言い方があって、オタクはそういう迷惑なものを抱えた側の人間やハマりすぎて社会に順応できなくなっている人間、というような線の引き方もあった。
これは、あくまで俺の話である。だから、他の人がどう偏見を植え付けられたかは、また別の話があるかもしれない。でも、オタク差別を煽ったものとして、「漫画」「インターネット」「オタク自身」という声を、この話でオタク差別に怒っている人の口から出てくるのを見ないのだ。
ここで挙げたのは、知る人ぞ知るみたいなのじゃなく、だれもが知る有名漫画、リドミで上位常連の大手サイト、オタク文化人として今でも名前を出せば通じる、みたいなのばかりを念頭においている(まあ当時のインターネット文化がそもそも、知る人ぞ知るなものでしたけど)。みんな、俺とは違う漫画やインターネットを見ていたんだろうか。ワイドショーやバラエティばかりを見ていた「オタク」がそんなにたくさんいたんだろうか。
本当に不思議なのだ。あそこでこんなオタクへの偏見に満ちた報道があったんですよっ!というようなツイートは大量に流れてくるのに。
これが本当に、ここ数年で疑念として大きくなった末に、今回愛想がつきた一番のポイントなんだけど。
オタクが差別を受ける構造が、あったとする。それは、ネットで語られているほどは大きくないかもしれないけれど。
それで、今、オタクってなんなんですか、と。特にネット上では、強者、抑圧する側、差別を行使する側の「集団」として機能してませんか、と。
腐女子叩きは昔からあったけれど、女叩き、中韓叩き、などは当たり前のように横行している。時々流れてくる、弱者の権利をなんとかして奪ってやろう、人権思想じたいを矮小化してやろう、という意気に満ち満ちたツイッター漫画は誰によって大量RTされているのだろう。俺のところにはだいたいオタクさん経由で回ってくるんだけど。
趣味、という切り口でみても、オタク文化を愛好する人が自分たちと関係のない趣味なら平気でdisる光景というのはそんなにたぐいまれだっただろうか。インスタ蠅なるイラストが回ってきたことがある。そもそもインスタに投稿するのが趣味になっているような女性を叩くようなツイートが回ってきたことがある。鉄オタは「池沼」「ガイジ」であるなんて言い方もある(「」内は原文の表記を尊重)。ゴルフや車などを老害の趣味だとバカにしていたりもする。そうそう、スイーツ(笑)なる言い回しはいったいどこのどういう人によって流行したんだろうか。「リア充爆発しろ」というフレーズに何げなく込められた、自分と関係ない集団への軽視に、どれだけの人が気づいてたんだろか(だって「爆発しろ」だよ。あの連中、有明に15万人集まったタイミングで奴等爆発四散しねえかなーって非オタな人が言ってそれがそっちの界隈で大好評を博したら、インターネットな皆さんの間でどういう反応が起こるか考えてみたらいい)。
そんなオタクばかりじゃないというのは分かる。というか俺がこういう文章を書いてる時点で分かれ。でも、個の話じゃないのだ。集団としての性質の話である。あれだけ、全共闘や学生運動について冷笑ぶって叩く人が追いのに、そこに気づかないってどうかと思う。あとリア充爆発しろは使ってましたすいません。
それに、そういったところで、こんなふうにちゃんと抵抗して、こんなふうに批判して、中から自浄する動きを作りました、このコンテンツからは離れましたと胸を張って言える事例、どれだけあるんですかね?俺が、ノットオールオタクと言い続けたところで、結局「自分を批判の対象から外してくださいあいつらは関係ない」と逃亡する以外に何の役回りも果たせなかったから、言っているのだ。この記事は違うよなあ~こういう作風は好きじゃないなあ~こういう物言いはよくないよなあ~と個別の案件に不満ごちてみせ、自分は違うと思う、もっというなら思ってみただけで、肝心なところからは目をそらしていたんじゃないか? そう思うんである。
逆に、そこに自覚的になったんだろうな、と思える人も何人か知っている。そういう人は、結局C.R.A.C.やツイフェミのようなところに接近し、そのやり方すべてに同意はしないまでも、見解や思想に共感するようになっていく人がほとんどだ。おそらく今回「オタク差別」に怒っている人は、この人たちを敵であり、オタク仲間と認識していないと思う。
つまり、オタク文化の加害者としての側面を見ないふりするか、オタクに勘定してもらえなくなるか、二つに一つということだ。
C.R.A.C.の野間氏は個人的には大嫌いだし、たぶん単にオタクが嫌いなんだとは思う。でも今回ツイートの応酬を見ていて、残念ながら主張にそれなりに同意せざるを得なかったのは、こういう背景について理解できてしまったからだ。そこで突然くっちゃべられる「オタク差別」。真面目に反差別を考えている人にとっては(多分そこは真面目なんだと思う。この人)、筆算の横棒がミニ定規で引かれていないから×、レベルの見当違い感があったんではないか。野間氏の真意など知らないけれど。
そういえばその昔、本田透の「電波男」に感銘を受けながら読み進めていて、後半のほうで腐女子やフェミニストについてはずいぶん切り捨てたような言及の仕方なのに疑問を持ったことがあった。いや、フェミニストがオタクを差別している、という文脈で批判してるなら理解できるんだけど、そうじゃなかったから。権利意識を持つ女性自体が許せなさそうだった。その後「電波大戦」で喪女についての話題が出たとき、対談相手の竹熊氏がわりと真面目に実態について話したりしているのに、「困ったモンですね」で終えているのを見て、クジャクヤママユを盗み出した同級生を見る眼つきになったのを覚えている。だってそこで語られてる喪女、本田氏が救済しようとしてやまない喪男と違わないのに。
そのあとしばらくは新刊も買って真面目に読んでたの、それもどうよって話だけど。
10年くらい前に、俺たちの麻生なるムーブメントがあった。別に政治家を持ち上げること自体は好きにすればいいんだけど、そこでは当人が積み上げた迷言失言差別発言をすべからく許容し、批判したマスコミへの叩きが横行していた。正直、あの政治家のどこがいいのかさっぱり分からなかった。
当時はオタク系個人ニュースが全盛期。そういったサイトの管理人は、麻生氏を擁護するまとめブログエントリを紹介しては、叩かれていて困ったものですねぇ、正論なのに、というようなコメントをこぞってつけていた。オタク気質の知り合いなども、熱心に自ブログで擁護していた。
あれから10年たった今も、麻生氏は差別発言や侮蔑発言を繰り返している。あれを見ていて思うのは、この人は息を吸うようにハラスメントをする人なんだな、ということだ。それは、昔も同じだった。だから、どこがいいのかさっぱり分からなかったのだな、と腑に落ちたのだが、同時に当時持ち上げていた人たちにとっては、「だから良かった」んだろうかしら、とぼんやりと邪推してしまう。
今回オタク差別について怒っているツイッター主の中に、表現規制反対などをめぐっての発言をしばしばしているアカウントがいくつかいる。いずれもその界隈ではそれなりに大物だと思う。そして、俺のチェックしている反対派がぼんくら揃いなのかもしれないけれど、ヘイトスピーチの言論の自由を唱え、ポリコレで何も言えなくなることを憂い、自分に関係ないところでの言論の自由に興味がないかむしろ規制されることを望み、性差別についての提起が出てくるとそれについて考えるより先に提起者の揚げ足を取って袋叩きにするような人たちが勢ぞろいである。さすがに全部きれいに当てはまる人は少数だけれど。そんな反差別運動(別にあの界隈に限らず、そういう発想自体)が大嫌いな人たちが、当然のように主張しだすオタク差別批判、いったいなんなのか。ただ、差別社会の中で特権階級になりたいだけじゃないのか。
そういえば、これはある程度年配のオタクということになるけれど、昔(主に90年代くらい)のバラエティはこんなにおおらかだったのに、今はポリコレがうるさいせいでつまらなくなった、というような声が時々ある。なぜか、そういうつぶやきをしている人が「昔はオタクをバカにする表現に寛容でよかったなあ」と語っている声を聴かない。今回オタク差別が話題になって、バラエティなどでのオタクの扱われ方という話はけっこう出てきているのに、いない。どこへ行ったんだろう。
オタクと差別、という組み合わせでオタク文化っぽいものを思い返してみると、そんな案件ばかりが、思い出されてくるのだ。
反差別のために立ち上がったオタク、というのはそれなりの数知っている。そういう人はオタクかそうじゃないかを越えたところのつながりで、反差別をやっている。でも、オタク差別けしからん以外の「反差別」がオタク文化の中心的な動きとしてあったところを、見たことがない。差別を煽り、偏見を煽り、強者に諂い(自分たち以外の)弱者を嘲笑する、そんな動きならいくつも思い浮かぶのだけど。
あ、一つ思い出した。(反差別とは少し離れるかもだけど)フリーチベット、フリー東トルキスタン。
残念ながら、反中のダシ以上のものであった記憶はないけど。ああいうの、真面目なチベットや東トルキスタンにおける人権運動家に失礼だったんじゃないか。
こんな「オタク差別批判」に大真面目に同意したところで、反差別には一ミリもつながらなさそう、むしろ後退させる役割しか果たせなさそうである。メディアを通した差別はもうかなり減ってるといわれるし、それ以外のものはオタク差別というくくりより別のくくりで論じた方が有意義でより広い被害を論ずることができるようだ。となるとオタク差別なるものに拘る理由はない。
もしかしたら、こんなことは本田透の2冊目の著書におかしさを感じた時点で、たどり着かなければならなかったのかもしれないけれど。