はてなキーワード: 悪感情とは
しかも金のため。
どっちが私怨だよ
@mogura2001
そう、「暇空茜は私怨からColaboと仁藤夢乃さんを攻撃してる〜!」って、実は温泉むすめに同じく個人の好悪感情からイチャモンつけたのが仁藤夢乃代表。
でも、自分たちがゼニもらってる赤い羽根の漫画やアニメのコラボは、父袋も影もスルーしてたのがバレちゃった。
@nekoarc190
あの人や擁護する人達って温泉むすめの設定を問題視してるけど、温泉地に行ったらあの人が温泉むすめのポップを見つけて
「なんでこんなもの置いてるの?💢」っていうアニメに対する偏見から始まって、設定がどうこうは後付なんだよな twitter.com/gerogeroR/stat…
世の中にキモいおじさんが実在することは間違いないしそれに悪感情を抱くことは同情するしそれに共感する人が居るのまでは非難しないけどけど、動画で堂々と喧伝して見てくださいと人に勧めたりするのは賛成しかねる。
クラスの男子どもが「臭いブス」の悪口を言って盛り上がっていたら賛同できるだろうか。自分がその臭いブスではないという確信があってもいつ彼らにとって自分がそういう存在になっているかわからないし、なんなら会話の輪に加わった時点で既に自分がそういう存在側だったという可能性すらある中で、わざわざそんなルッキズム全開の会話に参加しても自らの格が下がるだけで得るものは無い。自分が女性ならそんな奴らとは距離をとるだろう。
と、ここまで書いてこれはつまりフェミニストたちが嫌悪するホモソーシャルそのものであり、それのミラーリングをそのまま実施してる仁藤夢乃は嫌悪対象と同じ土俵で同じレベルのことを実践してるだけなのだなと納得が行った。つまり男は自信を持って「ホモソキモい」と言えば良い。
共産は被害者意識が爆裂すると、突然カルトっぽくなるんだよな…。普段関係隠す割結束固いし。聖教新聞か何かみたいだ。日共関連団体の数々の支援活動は尊重するし、colaboが攻撃されてるのも事実でしかないが何とも…
俺個人で言えばこの件含め表現規制などに舵を切った共産党に対して起きた段階的な失望は痛いほど深刻で、かつて新聞を複数取っていた時に赤旗が含まれていた時期すらあった事を考えると……でももう支持できないな。
この人たちはどう見ても「活動家への悪感情が原動力になってる人たち」じゃないでしょうよ。
彼らが何を問題にしてるかって、赤旗がここまで来て会計の問題に一言も触れないという一点だよ。
そういう共産党しぐさがアンフェ以外を巻き込んで延焼してる原因になってることを認められないの、何でなん?
デブの少佐みたいに本気で「私は戦争が大好きだ」と言う正直さはないが、あのシーンを冗談ごかしに取り上げてふざけるくらい戦争は好きなのだ。
軍オタが嫌いなのは「自分たちが負ける戦争」で、例えば後世から見れば勝てる要素はほぼ無く、不利な条件で講和できる可能性すら高いとは言えなかった太平洋戦争は大嫌いで、当時の政府や軍を平気で馬鹿にして「だから自分たちは本当は平和主義者なのだ」と疑いもなく信じている。
でも、現在で米国が絶え間なくやってきた「勝利できないことはあれども、決して負けない戦争。銃後の人民(軍オタたちも含まれる)は安全な所で見物できる戦争」は大好きで、それが起これば喜んで解説し、戦況予測であたった外れたと賑やかにお祭りする。もちろん不敗の米国やその軍隊は大好きでほとんど批判しないし、批判が避けられない様な事例(アブグレイブ刑務所での事例など)でも、軍内で処分があったことを引き合いに出して「モラルの高い最強の米軍」の結論を引っ張り出したりする。
そういう事例を挙げて叩く、米国米軍に極めつけの悪感情があるブサヨの平和団体などへの悪意も極めて強い。自分たちが敵とみなす軍隊に殺された戦死戦傷者、民間人の被害については(単なるポーズに過ぎない場合も多かろうが)悲しいという感情を表すが、それが敵側の犠牲者であればろくに憐憫を示さず、あざ笑う様な態度で評論して「これも悪い指導者に従った結果ですね。かわいそうですねwww」みたいな態度がごく普通なのが軍オタ。
外交による戦争回避の有効性も「強大な軍事力の裏付けがあるから成立しているだけ」と必ず付言する(だが軍事力は単独で成立しうると思っている)し、近隣諸国(古株の軍オタは特亜と呼んでいたりする)に対する視線は非常に厳しく、事実上の敵国と見なして「国際法上の適法性さえ満たすなら、軍事攻撃をためらうべきではない」くらいの感情を持っている。
ネットで見かける軍オタの半分はこういう連中だ。 これはかなり希望的観測であって「半分くらいはそうではないはずだ」って俺が思ってるだけなので、全然根拠はないんだが。
ちなみに朝鮮語の起源が日本語であるという意味でなく、逆に日本語の起源が朝鮮語という意味でもない。
日本語と朝鮮語は同祖の可能性があるという学説。
更に言えば同じ民族だったということも意味しないので、未だに嫌韓こじらせていたり、日本叩きを続けてる連中は巣に帰って良いぞ。
そんなことで好悪感情を昂ぶらせても俺たちの祖先みんなアフリカ出身なので学問の邪魔になる党派性は巣に持って帰ってくれ。
これで何がわかるかと言えば、古代朝鮮人と古代倭人はかなり密接に交流していたってのがわかる。
まぁ言語学から見ると過去の朝鮮半島は多民族な地域だったので古代朝鮮人と呼んで良いのか悩みはするが、ここはわかりやすく古代朝鮮人として定義する。
お前らがいくら韓国へ好悪感情持ってても過去の時代から影響されあっていた間柄なんだよ。
言語学が日韓祖語を証明したとき、それをその瞬間の事実として受け入れ、より良い未来と選択し、過去の時代の研究が進んだほうが世の中がほんの少しだけ楽しくなるはずだ。
北村氏は一貫して版元を批判してる。ただ、訳者本人に対して悪感情があるのは事実っぽい。そもそも、以下ツイートをRTしてからその呟きだし。
https://twitter.com/koheisaito0131/status/1599927813234393088
https://twitter.com/Cristoforou/status/1600392912927600640
https://twitter.com/Cristoforou/status/1599969809978257409
ピケティ『21世紀の資本』は英語からの重訳です。訳者本人が「下手な直訳よりうまい重訳のほうがずっと歪曲は少ない」って自己弁護していますけれども。ピケティをちゃんと訳せるうまいフランス語翻訳者がいないとでも?
https://twitter.com/Cristoforou/status/1600420864217952256
個人的には、「翻訳の速度優先して仏語訳できる訳者探さなかったのは版元の怠慢じゃないの? それやってるとフランス語翻訳の文化どんどん衰退しない?」は的を射た批判だと思う。
ただ、この増田を書いている自分は経済学には門外漢なので、山形氏はブログを読んでいる範囲で経済学の知識がめちゃくちゃある分、「重訳でも内容に極端な間違いが発生することはあるまい」と版元が判断したのはそれほどおかしくはないようにも感じる。結局本が売れなかったら出版文化自体が続かないし。
ユーリィ・イズムィコがHanadaに対談を載っけて失望したとか、いや赤旗にも記事を載せたから左右どっちかに肩入れしたわけじゃないとか、いやHanadaがダメなのは右派だからじゃなくて倫理的に悪いことを扇動する雑誌だからで……みたいな話さ。
右派が赤旗への寄稿をスルーしてるのって、別に赤旗が倫理的には問題ないと判断してるからじゃないだろ。
たぶん右派は右派で、なんか理屈をつけて赤旗が悪いことしてるって考えに至っている。
その理屈はもともと反ネトウヨの俺からすれら間違いが多く含まれているだろうが、本人たちが赤旗を嫌うには十分だろう。
つまりおたがいのメディアへの悪感情は、その悪感情に至る理屈の正誤とは関係なく、各々の心の中には実際に存在するわけだ。
その上で右派は赤旗掲載をまあまあ許容し、左派の方が「あんなメディアに出るな」という声が大きい状況って、最近話題になってる、リベラル左派が悪とみなした他者に不寛容だとか、潔癖で断罪したがるみたいなことの表れになってないか。
その人たちに言いたいんだけど、あんたら自分の意思でその男を選んだんだろ?
例えば……
風邪で嫁が寝込んでるのに
「いやいやちょっと待てよ……月曜までには治してよね。俺仕事始まるんだから困るわ」
なんて呆れながら言い放つ旦那。
いや、クソだよ?
庇える要素これっぽっちもないクソ旦那だよ、間違いなく。
でもさあ……
こういう暴力振るうわけでもなければ、普通に問題なく働いてる、だけど嫁への言動が無邪気にクソな男って同時に
でもあるんだよ。
こういうクソ感覚の既婚男って本当に多い。
実際、嫁が旦那に対して悪感情抱くエピソードとしてありふれてるし。
でも自分でそういう男を選んだんだよ。
お前らそういう男を好きで選んたんだよ。
難なく結婚できるタイプの男特有の無邪気なクソさを都合よく無視してたんだよ。
シグナルはあったんだよ。
そんでさあ、そういう無邪気なクソさを絶対に振りまかないであろうタイプの男を虫みたいに嫌悪してきたんだよね。
これ責めてるんじゃなくて単なる指摘ね。
自信たっぷりに「あんなモノは全然ダメ」って断言してるものが多い。
まあ数年前に登場して騒がれてアカウントも作ってみたけど結局楽しくもなく実用性もないので放置って人がすごく多いんだろうな。
一時の煽りに騙されたって悪感情が強すぎて「あんなモノは絶対に成功しない」って確信・信念に繋がってるんだろう。
俺も多分、ツイッターは半年ぐらいグダグダになりながらもなんとか復活して、来年の今頃には何もなかった様にサービスが続いてんだろうと思うし、マストドン系の分散SNSも多少ユーザは増えるかもしれないが、ツィッターと立場が入れ替わるなんてことはないだろうなと思う。 ツィッターはなんだかんだと腐されながらも愛されているし、実用性もあるんだろう。
俺の家族は揃って露悪的だった。
フィギュアスケートを家族で見ていて、テレビに鈴木明子選手が映ると、母さんは「デメキンが出てきたよ」と言った。
それを見て俺や兄弟もデメキンと呼んでいた。愛称というよりも蔑みが入っていた。
フィギュアスケートはシーズンになると何度も見ていた。鈴木明子は毎回出ていた。
もう分別がついていたはずの俺も、家族に交じってデメキンと呼んで馬鹿にしていた。最悪な冬だった。
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冬は別の意味でも最悪だった。
小学校からずっといじめられていたが、中学になっていじめはより苛烈になった。
田舎の学校で、スマホも出る前で、娯楽なんてものはテレビしかなかった。
学校という小さな社会の中で、出ることも許されない俺は耐えるしかなかった。
俺の荷物が捨てられたり、鼻をかんだティッシュを机の上に置かれたり、
俺がどこのトイレでシコっただの意味不明な噂を流されて、そこのトイレがネームドトイレになった。
ある年の冬に、露悪的な連中が俺の暴行事件をでっち上げて、先生に呼び出されたこともあった。
俺が反論すると、先生は「火のない所に煙は立たない」とか「どっちもどっち」とか言っていた。
そういう冬だった。
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家でフィギュアを見て、鈴木明子の容姿をなじることで、鬱屈とした気持ちを晴らそうとしたのかもしれない。
俺は家で気持ちよくなっていた。母さんや兄弟もそうだったかもしれない。
インキャな俺は人の容姿をあげつらうためのボキャブラリーを持っていなかったが、
これが唯一の武器だった。
俺にしかできないことを頼みに俺のところへ来た。
お願いする立場でありながら、全員が俺のことを小馬鹿にしていた。
頼みを断れば何をされるか分からない俺は怯えていた。
結局俺は頼みを聞いたのだが、聞いた瞬間に棟梁格の女から信じられないことを言われた。
まわりも「そうだ」と言わんばかりで俺を見てくる。
その中に、ひときわ目の大きい女がいた。
その女も周りと一緒になって、ツンケンした態度で俺を見ていた。
棟梁格の女がそのまま引っ込むと、周囲の女も散らばりはじめたが、
目の大きい女は最後まで残された。
俺は何を思ったのか、あるいはやり返したい一心で「デメキンがよ」と言った。
女は泣き出した。散った女たちが戻ってくる。
女たちがデメキンを慰める。理由を聞くまでもなく女たちは俺を睨みつける。
この件は10:0で俺が悪いことになった。俺は中学校に行かなくなった。
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俺は個別塾で勉強して、知り合いが誰も来ないような遠くの高校を受験した。
家は裕福ではなかったが、同情した親が頑張って働いてくれた。
背伸びをして交友関係を広げた。すんなり輪に入ることができた。
いじめはされる側も原因があるとよく言われるが、俺に過失があったとはどうしても思えない。
俺は都心の、まあまあ自慢できるくらいの大学に入ることができた。
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大学では遊んでいるほうだった。
悪い先輩についていって、大人の遊び方をいくつか覚えた。
女のいなし方も覚えた。実践を重ねて身に着けた。
なんとなく付き合って、なんとなく別れることを繰り返した。
こんなところに出てくる中学の同級生は、どれだけいただろうか。
俺は悪い優越感に浸っていた。風の噂だと、そのころに中学の連中はポコポコ結婚していた。
こんな早く結婚するのは田舎者のすることだと思って馬鹿にした。
-
ある女性と知り合うことになった。
この人の目は少し出っ張っていた。
でもそんなことが気にならないくらいの速度で、この人を好きになっていた。
仲良くなりたい。お話したい。
俺はこの人がいる、若干アカデミックな界隈に顔を出す頻度が高くなった。
恰好もおとなしい感じに寄って行った。
チャラいのを経由して落ち着いた男はモテるとよく言うが、実際ちょっとモテた。
俺は調子に乗っていた。このまま行けばこの人は落とせると思った。
でも俺がモジモジしている間に、この人には素敵な彼氏が出来た。
-
少しして、また俺はオラつくようになった。
オラついた界隈で遊び相手を作った。
そこで別の女と知り合い、仲良くなった。
さっきの女と雰囲気が似ていた。俺のタイプはこういう感じになっていた。
目が飛び出ていて素敵だった。
俺がモジモジしていたら、女は俺の友達とイチャイチャしはじめた。
あとから聞いた話だと、このころからセフレとも恋人とも言えない関係になっていたらしい。
俺はただ遊びでイチャイチャしているだけだと思ってそれを眺めていた。
眺めながらいつ突撃するかモジモジしていた。
そんなときにほかの女が俺に近づいてきた。
俺はその女を抱きながら、先の女を想像していた。
毎回果てる時は、大体その女が脳裏にあった。
-
俺は俺の経歴に満足している。
たまに合コンとまではいかないくらいの、男女混合の食事会に呼ばれる。
事故みたいなフリをして体を触ったり触られたりしている。
触られるほうが多いかもしれない。
こんなことで喜んでいる、底の浅い人間として天寿を無駄にしている。
ウェーブがかった綺麗な髪、赤くてキッとした唇、
そして一際大きな、宝石のような瞳。
真面目なお付き合いをしたい。
何も真面目なお付き合いを知らない俺ではない。今回はこの人としたい。
そう思って近づいて、仲良くなってすぐに、
-
俺は容姿や経歴でピックアップされた、誰かのスペア。誰かの人生のバーター。
俺に抱かれているときでも、違う男の夢を見ているようで、
俺がどれだけ言い寄っても、もの悲しさをごまかすような顔をしていた。
そして数か月後に、彼女は返信をしなくなった。
本命クンとうまくいっているのか、俺よりマシなスペアを見つけたのか、分からない。
けれども、それでも、と二週間くらい我慢してから、俺は泣いた。
ヤリ部屋みたいな自室に洗濯物が散らばり始めて、
その中心に座り込んだ時に、突然涙が込み上げてきた。
俺に涙を止める力はなかった。
冬の寒い日だった。
-
いま、人生の岐路に立たされている。
素敵な女性と付き合っている。お互いに腰を落ち着けたい感じがある。
このままパワーカップルとしてタワマンに住んで、子供を何人か持つのが、最適な人生だとも思う。
でも彼女は目が出ていない。
このまま彼女と結婚して、そのあとに目の出た女性に押されたら、俺はどうする。
不誠実な自分を思って胸がキッとなる。
胸がキッとなるのはこう逡巡するときだけではない。
俺は俺がかつて罵った容姿に近い女性を前にして、毎回尻込みしてしまう。
俺は俺がかつて罵った時の感情を一生涯一度も相手に向けずにいられるのか?
俺は俺がかつて罵った相手と似た人の近くに居座ろうとする自分を許せるのか?
でも俺には前科がある。
自衛としていじめに加わったであろう加害性の低い女を泣かせた。
-
俺はずっとトラウマを抱えている。
帰責性のない女たちへ向けた悪感情が、今の俺にぶっ刺さって苦しめている。
トラウマが原因で尻込みしている節は大いにある。
たとえ男女の出会いは時の運だとしても、そのすべての持ち駒を俺は棄ててしまう自信がある。
それくらい自分に自信がない。
そして今、新しいトラウマとして、
「好みのタイプの女性を一度も自分のものにできなかった」という事実が、
俺に、俺が、植え付けようとしている。
俺は結婚するかもしれないこの女性を、そして生まれてくるかもしれない子供たちを、
幸せにできる自信がない。
-
ヤフーニュースを見ていたら、イスラエルでスケート指導をする鈴木明子の記事があった。
写真を見てため息が出た。美しい。
次に涙が出た。俺はこんなに素敵な女性を罵っていたのか。
涙がポタポタと出た。少し熱っぽくなるのを感じた。
俺があの時に呪ったのは俺自身だったのだ。
-
必ずだ。
俺はどういうジジイになるんだろう。
分からない。
キショい説教を唱えながら、煙たがられながら死ぬのかもしれない。
何でもいい。何でもいいけど、
俺みたいな過ちを、だれもおかさないようになればいい。
最近流行のCoC(と言っても、俺自身がTwitterオンセメインだから、そこんところしかわかんないけど)シナリオ、CoCじゃなくてもいいよなって学級会がたびたび起こる。
実際、神話生物や狂人による、常識をぶっ壊される恐怖を描いたホラーではないシナリオは多い。多いというか、そうでないのがほとんど。
で。そういったシナリオに対して「CoCでやらなくても良くね?」というツイートはたびたび見かける。
それ自体は割と納得しているけれど、わざわざ言わなくてもいいよなあと思う。それで楽しんでるんだから、水を差してやるなよ。
自分たちで楽しんでいる分には好きにさせてやればいい。人のセッションに口を出しちゃいけない。
「初心者に悪影響」と口をそろえて言うが、何をもって悪影響だというのか。楽しんでいるならそれでいいし、楽しめない初心者がいるなら手を差し伸べてやればいい。
いま楽しんでいる人を傷つけたり、ないがしろにしてまでやることじゃあないだろうに。
逆に「クトゥルフらしい」と呼ばれているシナリオで、ほんとうにクラシック(原作風味、あるいはルールブック掲載シナリオ風味)なものってほとんどないと感じている。
狂気山脈やネームレスカルトをクトゥルフらしいかと言われると、360度首をひねってしまう。面白さの話じゃないのは置いておいてくれ。
だから、「これこそがCoC!」などと言われると、それはそれで反感を持つ。実際に何か言ったりはしないけどね。けど、他のシステムでやってくれとは思う。
他のシステムを見つけるのだって大変だってのはわかる。イニシャルコストはかかるしな。仲間が見つからないのも分かるし。
CoCをやりたいようにいじくりまわすことを肯定はしないけれど、邪魔はしたくない。BRPと名乗れとは思うけれど、そもそもBRP自体わかる人が少ないものな。
仲間だとは思わない、他のグループの人たちだなというぐらいが落としどころだと思っている。いずれ飽きて別のところに行く人たち、てのが悪感情も含めた感じ方かも。
「CoCでやるしかないんだ!」に関して言うなら、CoCの軒先借りて何を言ってるんだと思いはする。
反感を買わずに遊びたい、ってのはワガママだろう。何も言われたくないなら、歓迎してくれるところ(システム)に行くか、自分たちで正しく作ればいい。
別に引け目を感じる必要はないけれど、自分たちは本来的な遊び方はしていないってのは抑えておいてほしい。そのうえで楽しんでいるなら、それでいいと思う。
備忘録代わりにここに書く
数年前ニートやっててな。珍しくもないけど
どんどん金も余裕もなくなってきて、
一人暮らし辞めて親の所に厄介になってたんやけど
なるべく親とは会わないような生活を過ごしてたのよ
毎日図書館とかの無料の公共施設利用したり、自転車であちこち回ってたんだけど
まあどうにでもならんでな。当然にもほどがあるけど
ふと、なけなしの金使ってなんとなくコメダに入り、
アニメか何か見ようかと思って探していたら
ようやく本題だけどこの「ツキアカリのミチシルベ」って曲や
高校の時同級生から「洋楽は歌詞なんて気にしてない。日本の音楽は遅れて~」
アメリカは多国籍な国だから歌詞を読めないか、貧困で歌詞をわかるほどの教養を持てなかった人が多いってだけじゃないか?
とにかくまあ「これ私のこと歌ってないか?」って錯覚したの初めての経験でな
しばらくそのOP延々とリピートしてようやくアニメの本題見てな。
内容はさておき、それを半日ほどきいて数年ぶりにCDで聞きたくなったのよ。
それで久しぶりに欲が生まれて、配達のバイトを初めながら就職活動を行って
今は色々あってシステムの奴隷として謎の輪っかをグルグル回してる生活を過ごしている(比喩表現)
親とは働き始めたら険悪感情が激減して、半年前には兄弟含めて旅行に行った
上司に意地悪されたので今度退職する者だけど、大人が意地悪をするっていうのが衝撃だった
しょーもない理由で嫌って意地悪するってダサすぎて嫌にならない?と思ったけど
そもそも成人してて意地悪はダサい、というのが個人的な価値観でしかないということに気付いた
結局、自分の中に「部下に意地悪をして妨害したい」という気持ちが少しもなかったために、上司の気持ちを推し量れず、上手くやっていくことも難しかったけれど
大人になっても意地悪が好きな人間もいるという、理解しがたい事実を理解する下地ができたと思う
しかしまあ、見た目は普通で若い(20代後半の)上司だったけど
今どきの人であまり自分を取り繕わない人もいるんだな、っていう驚きと
もしかして私が上司の悪い側面を引き出してしまったのか?という疑念と
自分もいつか、思いもよらない悪感情を抱いて意地悪をやめられなくなるような相手に出会う日が来るのだろうかという漠然とした不安が渦巻いている
色んな人が「本土の人は基地問題にずっと無関心だったのに、急に不正確とか言い出すのはおかしい」と指摘しているが、それは間違いだと思う。
本土の人間は、基地問題に多少関心を持ち続けてきたように私には思える。
ただしそれは、基地反対派が期待するであろう「現地の人がんばって」という肯定的な関心ではなくその逆、「めんどくせえなあ、必要なんだから基地を受け入れててくれよ」という否定的な関心である。
だがこの本音を表に出すのはお行儀が良くないことはわかっているので、一部の右翼・ネトウヨ系の人をのぞき、普段は隠している。
それでも基地反対運動への反感は人々の心の中にあったので、ひろゆきの悪ふざけで心の鍵が開き、彼のおちょくりに乗っかりたくなる人たちが少なからずいるのである。
もしかしたらひろゆきはそれがわかっているから意図的に、人々が隠してきた本音をくすぐったのかもしれない。
とはいえ現状では「必要なんだから基地を受け入れてろよ」と言い放つほど反対運動を嫌っているわけではないし、反対運動側にも理があるのを理解しているので、ひろゆきもそれに乗っかる人も、直接的には看板の誇張を批判して、反対運動自体へは間接的な悪印象を匂わせるにとどまっているが。
増田の『基地反対の沖縄県民から見たこの騒動(anond:20221008001255)』では、
と語られているが、実際は本土の人間はチラッチラッと沖縄を見ていたのだろう。
「反対運動、うっとうしいな。それにニュースやネットで映像を見ると、ああいう運動って盛った表現とか大袈裟なスローガンとか使ってるよな……言わないでおくけどさ」と本土人は思っていた。
それをひろゆきがはっきり口にしたから「あ、言ってもいいんだ」となったのだ。
もしかしたら増田は、基地反対運動を内心で嫌っている層も指して「SNSでネトウヨみたいなのが増えてて悪化してる」と表現しているのかもしれないが、それらはネットやSNS以降に発生したものではないと思う。
そしてこの反対運動への否定的な関心というのは、沖縄基地問題だけでなく、反原発デモや護憲デモ、平和教育などへの冷ややかな眼差しとも似ている。
沖縄やそこに住む人といった、地域に対しての悪印象があるわけではないと思う。
だが、「なるほど、全共闘の失敗以降の日本人の左派嫌いか」とまとめると、それはそれで取り落としがある。
左翼全体への悪感情は確かに影響しているのだが、それが全てではない。
たとえば裁判などで「全面勝訴」とか「不当判決」とかを墨書きしたものを出す瞬間が冗談のタネにされることが結構ある。あれは、大袈裟さや表現の盛り方が面白がられているのである。
主張の内容によらず「活動家」的なアピールの仕方が胡散臭いと思われている面もあり、きっかけがあると反感が噴き出るのであろう。
(右翼の集会も当然嫌われているが、あれらは活動家的な嫌われ方というより、暴走族やヤの字的な嫌われ方だと思う)
また、本土内にも米軍基地はあり、反対運動をしている本土人のグループもいて、それを別の本土人たちは否定的に見ていることからわかるように、普遍的なNIMBY(Not In My BackYard)問題としての衝突という面もある。
話をまとめる。
本土の人間は基地問題に対して無関心ではなく、そこには否定的関心があった。
NIMBY的に地元には基地のない状態を保ちたい自己保身、左派嫌い、活動家的誇張嫌いなどなどが絡み合った、否定的関心を本土人は基地反対運動に対して隠し持っており、今回の騒動はその一端が露わになったと考えた方がいいのではないだろうか。
「関心がある」という言葉は、修辞技法的に使われて、ただ興味を持っているだけでなく、賛同しているという意味を含むことも多い。
「理解がある」という言葉が、知識が有るだけでなく、心情的な賛同もしていることを含みやすいのと近い。
(余談だが、このような修辞には、ある物事に十分な知識や興味があれば当然それに肩入れするはずだという、人間の楽観性があって面白い。
また、「犯罪者心理に詳しい」だと犯罪者を冷徹に分析するプロファイラーのようだが、「犯罪者心理に理解がある」だと支えたりカウンセリングする人のようなニュアンスが漂うのは不思議でもある)
今回の騒動における関心という言葉もまた、賛同を修辞的に含んでいたり含んでいなかったりするだろう。
なんなら同じ文章の中で、基地反対運動に賛同していないという修辞的用法で「本土の人は基地反対運動に賛同していない、つまり無関心だ」という言葉を使い読者に受け入れさせたうえで、関心を興味や知識を意味する用法にさらりと切り替えて「本土の人は基地反対運動に無関心だ、つまり興味もないし無知だから勉強しろ」という主張に繋げる人もいるように見える。
まあ、このような、修辞的な用法と素朴な用法を繋げることで何らかのイメージを与えるやり方は、意図的というよりも無意識的なことが結構あり、私自身も文章をまとめようとするうちに自分のレトリックに自分で飲み込まれてズルい書き方をしてしまったことが結構あるので、強く非難するのは躊躇われる。
あるいは逆に、ある言葉がレトリック的に使われているのをわかっていながら、素朴な使い方として受け取って反論する、というズルさもよく見るし、これまた私自身やったことはある。
なんにせよ、文章を書く側でも読む側でも、ある意見を主張する側でも反論する側でも、ある言葉を修辞として使ったり素朴に使ったりすることで印象を誘導していないか、というのは気をつけた方がいいと思う。