はてなキーワード: 恩恵とは
リーマン倒産の余波の四次被害位を受けて会社の資金繰りが大分苦しかった頃、
かなり細かいところまで経費削減せよって厳命が下ったんだけど、
レンタルサーバー代や独自ドメインの維持費用も削減しろって話になって頭を抱えたなぁ
それもプランを変更とかそう言うのではなくて、電話か突撃訪問で担当と直接交渉して
うちみたいな個人向けプランを使ってる1ユーザーに対応してくれる訳無いでしょ!って返したんだけど
やりもしないうちから何で諦めるんだ!お前には高い給料払ってるんだから結果を出せ!ってキレられて
笑っちゃうよね
年休100日月間100時間以上残業してるのが高いお給料なんだから
結果として阿呆らしくなって辞めたんだけど
年休88日の日給月給制で手取りが18万・昇給なし・ボーナス無しまで下がったので
Aさんがかつてやっていた仕事を
BさんがAIを使って奪い取る
ここで考えて欲しい点は、既にある仕事を代替するだけであるのだから
ではなぜここで不幸が増えることが想定され、AIに反対したり、危機感をあおる言説がまかり通るのか?
というアナクロな思想をBさん、ひいては社会の大多数の人間が持っており
仕事がなくなったAさんに(Aさんが他に何か価値を持つ仕事をしない限り)Bさんが生産した富を回そうとしないからである
つまり仕事を奪って富を生み出す存在がこのアナクロな思想を持っていることが問題なのであって
この思想を社会的に克服できればAIによる仕事の代替は全く恐るべきではなく、むしろ歓迎すべきことなのだ
では具体的にどのようにすれば社会が克服できるのか、というと、宗教やらなんやらしか思いつかないわけだが
AIに聞いてみるか
ワイ:
Claude 3 Opus:
AIの導入により一部の仕事が代替されることで、短期的には失業や格差の拡大といった問題が生じる可能性があります。しかし、ご指摘の通り、これを乗り越えるには社会全体の意識改革と適切な施策が必要だと思います。
「アナクロな思想」を克服し、AIによる恩恵を皆で享受するための施策アイデアをいくつか挙げます。
・ベーシックインカム(最低所得保障)の導入 働けなくなった人の最低限の生活を保障する。これにより、AIに仕事を奪われた人も尊厳を保ちつつ、再教育の機会を得られる。
・教育システムの抜本的改革 AIにはできないクリエイティビティ、問題解決力、人間性を育む教育を実施。失業のリスクが低く、AIと協働できる人材を育成する。
・AIの利活用による産業構造の変革 AIにより自動化される分野と、新たに人手を要する分野を明確化。効率化で生まれた富を、新産業の育成と雇用のシフトに活用する。
・労働時間の短縮と余暇の充実 AIの導入で生産性が向上した分、労働時間を短縮。自己啓発や社会貢献活動などに時間を使い、働かなくても人生を充実させられる社会を目指す。
・多様な価値観の尊重と包摂性の向上 ステータスを仕事だけで測るのではなく、社会貢献やボランティア等も尊重する意識を育む。多様性を受け入れ、誰もが居場所を見出せる社会を創る。
AIの本質的な目的は人間を豊かにすることです。そのためには、AIを脅威ではなく味方として活用し、社会のあり方をアップデートしていく発想が欠かせません。一朝一夕では難しいかもしれませんが、一つ一つ着実に、みんなで議論を重ねながら理解を深めていくことが肝要だと考えます。
”教育”というのはつまりはなんらかの「価値のある知識技能を得る」ということであるからClaude 3もアナクロな思想に染まってしまっているといえるし
あとは「ホームランを全選手が打てば勝てます」という、そのホームランを全選手が打てるようにする方法を聞いてるんだが~~~という話である
働かずに暮らせる世界は遠そうだ
PHEVをEVにカウントしているのを知らない人が多くて驚いた
件の記事にあるように、基本的にプラグインかどうかでEVかどうかを判定している
PHEVの場合はEV走行距離が一定以上(ヨーロッパはたいていは50km以上)可能なことも必要になる
(趣味性の高い車の中にはプラグイン可能だけどEV走行距離は50kmに満たないものもある)
なんでプラグインかどうかがEVの分かれ目になるかっていえば、そりゃあ充電インフラ整備するため
物価上昇と賃金上昇の関係で、賃金上がってから物価上げろみたいな意見を開陳する人いるけど無理だよね
どちらか一方じゃなく、どっちも少しずつ上っていくのが理想でしょう
EV普及率と充電インフラ(さらに言えば発電の二酸化炭素排出量)も同じで、充電インフラだけどかんと整備してからEV普及率上げるってのは現実的ではない
プラグインを増やしながら充電インフラも一歩一歩整備していくって流れになっている
PHEVをEVに含めるのも、世界のEV推しも日本のハイブリッド潰しじゃないよ
AI推進派はもっと「日本語モデル開発の重要性」を説いたほうが良いんじゃないかな
英語ではなく母国語で教育が行えるのは日本の強み、みたいな話があるが、将来AIが普及した時に精度の高い日本語モデルが存在することは国民全体に恩恵を与え得る
AI規制派は「どうせOpenAIやGAFAMには勝てないのだから、国内でAI推進する意味はない。それならコンテンツを学習させないようガチガチに守って、海外産AIで類似物を出力させないようにしたほうが良い。」と考えているように見える
ついでに何故か返答消されたけど、その前に用意したので投げるね……
なんか関係ない話くっつけてるだけに見えるな 画像認識の進歩のために画像生成は遠慮する? そもそも事業主体が違うだろうというね
Xでは絵師が反AIとして姦しいから勘違いされがちだけど、AIの用途ってそもそも画像生成だけじゃないんですよ!
入力をAIに投げて、AI側で加工して投げ返すという基本的な機序は、文章や画像を入力することで画像生成するAIでも、
画像や他のパラメータを入力して、それが何であり、どのような状態であるかを返すような認識用AIでも一緒なのよ。
で、加工内容を左右する学習データをどのように作るか、作って良いかが喫緊の課題の一つなんだけど、「そもそも無断学習するな」というのが反AIの主張なわけ。
なので、画像生成AIでも、データ分析AIでも、対応する法律はモロ被りします。
とはいえ、14年前に合法化され、あることを前提に動いている現代社会で無断学習禁止なんて、無理に決まってるじゃん! インターネット壊れるぅ!
今日も今日とてX(旧ツイッター)が生成AIのあれこれで燃えている。
直近の一週間だけでも、ゴールデンボンバーの配信音源ジャケット絵・プリキュア20周年・文化庁のパブコメ公開第一段……と、もはや日替わり定食かという勢いで話題が移り変わっている。
生成AIの推進派(親AI)と規制派(反AI)が互いの陣営の行儀が悪い行いをつるし上げ、ファンネルを飛ばし、お気持ち表明を行い、相手をバカにし、互いを憎み合っている。
反AIの一部ネームドアカウントを中核とした集団は先鋭化&晒し&引用リプライ爆撃を続けており、また親AI側も徹底的に文化庁資料や現行法を基礎とした理詰めロジハラでの徹底抗戦を継続。
反AI側の言動が、過去にXで繰り広げられていたツイフェミ・悪質撮り鉄・限界左翼・反ワクチン界隈の言動と重なりつつあるのだ。
そして、反AIを正面から叩き潰そうとする親AI側もまた、上記4界隈の敵対サイドに重なる要素が見えてきた。
この増田では、生成AIを巡るインターネットバトルを蚊帳の外から傍観する自分が上記の様に感じた理由を述べ、その上で生成AIを巡るインターネットバトルについて今後の進展を予測したいと思う。
温泉や献血の広報活動への二次元美少女起用やサイゼリヤで喜ぶ美少女絵への攻撃を中心にX上での活動をしていたツイフェミ界隈。
ツイフェミの電凸攻撃のせいでキャンペーンが中止となった事もあっただろう。例えば、マイメロママの発言をまとめたグッズの発売中止などである。
そんな過去の栄光(?)はどこへやら。もはや昨今では発言力を失い、2024年に至っては三重交通への物言いをした程度しか記憶に無い界隈である。
こんなシーンに覚えはないだろうか?
それまでは特に問題ないとして世の中で扱われていた広告や広報コンテンツに対し、ツイフェミ界隈の大御所が苦言を呈すると、まるでゾンビ映画のワンシーンの如く大量のツイフェミアカウントが群がって攻撃をする。
半年以上当たり前のように掲示されていたポスターや、一年以上サービスを継続していたゲームに対し、突如として大量のツイフェミアカウントが群がり、襲い掛かり、電凸を行う。
襲い掛かるツイフェミアカウントの中の人にとっても、もっと早くからそれら攻撃対象は目に入っていただろう。
何なら、ツイフェミアカウントの中の人の通勤経路上にそれらコンテンツの広報ポスターなどはあたりまえに掲示されていただろう。それを一切問題としてとらえる事なく、平穏に日常を過ごしていただろう。
そんな、静穏な日常を送っていたツイフェミアカウントたちが大御所ツイフェミの攻撃指示を受信するなり、
突如狂暴化して攻撃的になり、「ツイフェミのルールで攻撃して良い存在」めがけて攻撃を開始する。
この行動を、「犬笛を吹くと突然ファンネルが襲い掛かる」と形容した次第である。
某イラストレーターや某同人作家や某漫画家、あるいは正体不明のよくわからないネームド反AIアカウント(もやし、水玉、赤髪、モノクロ男性など)が取り上げるやいなや、
彼らが取り上げた存在は「攻撃して良い存在で社会悪」と認識され、無数の有象無象によって攻撃が行われる。
言いたい事があるのならば、犬笛や攻撃指示の有無にかかわらず、個人として行動をすれば良いのだ。
しかし反AIもツイフェミも、鉄砲玉が自らの意思で攻撃をする事はない。鉄砲玉は鉄砲玉として、攻撃指示を待っているのだ。
ネームドの攻撃命令によって「攻撃して良い存在」と化した相手へのみ攻撃を行う習性が見受けられる。
まるで日頃から攻撃して良い存在をギラギラとした血走った眼で探し求め、攻撃して良い存在が出現するなり暴力性を解き放つ怪物の様だ。
はっきり言って、異常である。
まず、感情を持つ事は問題ではない。好き嫌い、支持不支持、良いと思う悪いと思う…など。人は感情を持つ生き物だ。
筆者にも好き嫌いはある。パクチーは嫌いだし、きのこの山派だし、野球はオリックスファンだ。
擬人化ゲーではアズレンが好きだし、ブレイバーンは正体判明後も気持ち悪いと思う。
ウマ娘ではヒシアマゾンが好きで、スマホはiPhoneの方が好き。FateシリーズではZeroがイチオシだったりする。
何が好きか? 何が嫌いか? という感情を持つ事。それ自体を筆者は否定しない。
二次元美少女イラストが嫌いだ。生成AIが嫌いだ…そういう感情を持つ事自体は、特段問題ではない。
問題となるのは、何か世の中のシステムを変える(=社会運動をする)時に、感情をベースとする事だ。
「私が嫌いなものは社会悪だ!ケガレだ!この世界から排斥しなけれはならない!死刑にしろオオオオオオ!!」……こんな主張をする政治団体が存在したら、貴方はどう思うだろうか?
例えば、某漫画家はかつて、生成AIを批評する際にケガレ思想に通じる発言をした事がある。
あるいは、某イラストレーターや某説教騎士アカウント(凍結済み)については、生成AI利用者を盗人・泥棒・反社・スジモン…と形容した事がある。
生成AI問題を追い続けている人であれば、そんな事もあったなぁと懐かしい気持ちになるのではないだろうか。
ここで断言したい。現代日本で社会変革を求める際、ケガレ思想を持ち出して対抗勢力を叩くというのは最悪中の最悪。悪手である。
なぜケガレ思想を持ち出してはいけないの? あいつらはケガレだぞ? 人権の無い存在だぞ? など真顔で言い返す人はいないと思うが…もしいるのならば、道徳の勉強をして頂きたい。
議論をするのであれば、感情を表向きでも排し、徹底的に理詰めで話をしなければならないのだ。
「キモいモンはキモい!」「ケガレはケガレ!」「キモ男はタヒね!」「生成AIは犯罪者だから死刑!」……先鋭化した人物の言葉は、やすやすと社会通念上許されないラインを超える。
そうなれば、もはやその発言者は社会運動の場から排さなければならなくなるのだ。
少なくとも、謝罪を行い、過去の無礼を詫び、相手側がその謝罪を受け入れるまでは議論の場からは出禁処置が妥当であろう。
……それが、できない。感情一辺倒のケガレ思想混じりでは、冷静な議論ができない。敬語も使わず相手に罵倒の言葉を繰り返すのみである。
その結果、ツイフェミ界隈は「話を聞くだけムダな人達」「どうせウチの客じゃないから電話ガチャ切りでOK」……という認識をされてしまったのが現在である。
筆者としては、このままでは先鋭化した反AI界隈が「話を聞くだけムダな人達」「あいつらは無視してOK」という認識をされる様になるのではないか…と思う次第である。
もちろん、礼儀を尽くし、感情的にならず、相手を敬い、発言は常に敬語で接し、その上で徹底的に理論的で理詰めの会話ができるのであれば、反AI界隈も議論の場に参加できるだろう。
なので、まず、感情的になっている反AI貴兄らにおかれては、常に敬語で相手に接するという人間社会の基礎中の基礎から学んで頂きたい次第である。
言わずもがな、パブコメに喧嘩腰で罵倒文章を書くなんてのは論外である。
殺したいくらい憎い相手であっても、八つ裂きにしたい存在であっても、文をしたためる際は常に敬語と丁寧表現を心掛ける。それはもう、義務教育を終えた人間の基礎であろう。
悪質撮り鉄……電車撮影に熱意を燃やし過ぎた結果、迷惑行為や危険行為に及ぶ一部撮り鉄の存在である。
例を挙げると、電車撮影のために田畑や私有地に入る。ホームに脚立を立てる。街路樹や柵を破壊する。子供を恫喝する。江の島自転車ニキに罵声を飛ばす…など。
定期的に問題行動がインターネットを賑わせ、時にニュースでその姿が取り上げられる集団。それが、迷惑撮り鉄である。
これは驚くべき事なのだが、迷惑撮り鉄界隈というのは独特の秩序は敷かれており、一応の平定が為されている。というのも、昔の上司が撮り鉄だったので、そこで聞いたのだ。
場所取り一つ取っても、現地撮り鉄界隈の大御所センセイに顔を覚えて貰わなければ良いポジションには陣取れない……らしいのだ。
また、新参者が先輩方よりも高いレンズを使うのは失礼。まずは陣取った撮り鉄集団の後ろの方で撮影を行い、大御所の撤収準備や車の運転を務め、徐々に顔を覚えてもらうことでベストポジションでの撮影が許されるようになる。……らしいのだ。
昔の上司がいた撮り鉄集団が独特のルールを敷いていた可能性はあるが、
少なくとも、こういった先輩・大御所優先の風潮というのは、撮り鉄以外の界隈でもある程度共通して敷かれているものである。
例えば、芸能界や体育系の部活などだ。先輩がクロをシロと言えばシロになる。社会通念や法律よりも、目の前の大御所の言葉や感情が優先される。そこには、一定の秩序が存在している。
……その結果、時に芸能界ではとんでもないスキャンダルが起き、体育会系の部活では暴力や薬物の蔓延がニュースになるのだが……。それはつまり、彼らの秩序・ルールが法律を侵してしまったという事であろう。
反AI界隈、特に絵師・同人作家を中心とするメンバーの中では、こういった傾向が散見される。
大御所センセイが言っているから正しい。法的な正当性は二の次。だって〇〇万人フォロワーで〇〇の案件を受けて、企業Vの〇〇のママであるセンセイの発言なんだから、正しい!
あの先生の発言の邪魔となるルールは間違っている! 法律がおかしい! 即売会のルールがおかしい! 文化庁がおかしい!
愛があれば二次創作は合法! コミケでウン百万の利益が出ても合法! skebで小遣い稼ぎをしても合法! 著作権は親告罪だから権利元が文句を言わなければ合法!
生成AIは愛が無いから違法! こんな技術は違法! コミケから叩き出せ! 権利者が誰かは知らないけど違法! 生成AI使用罪を作れ! 非親告罪だ!
……いや、ちょっと待ってくれ。
大手企業Vのデザイナーである事と、著作権法に精通している事は何の関係もないではないか。
フォロワー50万人の大手絵師で、ソシャゲで絵を描いていて、同人誌にプレミアが付く事と、法解釈の妥当性については何の因果関係も無いではないか。
大手絵師のセンセイが今まで十年単位で絵を描き続けた修練の期間を、文化庁の職員は法律の勉強を行い、法解釈と政務の実践をしていたのだ。
なのになぜ、大手絵師のセンセイの方が文化庁の職員よりも著作権に詳しいと言えるのか? 私には分からない。
そういった学習、勉強のプロセスも経ず、なぜいきなり法律の新解釈を叩きつけられるのだ?
絵師界隈であれば、あなたのお言葉は法律であり、教典であり、条例であり、判決だったかもしれない。
だが、フィールドが違うのだ。界隈が違うのだ。界隈のローカルルールは通用しないのだ。
なのになぜ、あなたは絵師界隈のルールで戦おうとするのか? 法律の世界に対して、なぜ絵描きとしての実績で殴り込むのか? 私には分からない。
端的に言うと、生成AIを著作権侵害で叩き潰そうとするのであれば、相当抜本的な法改正が必要となる。
その結果、著作権侵害の非親告罪化や絵柄・画風・アイエデアの保護……あるいは類似性と依拠性といった判断基準の見直しが発生する可能性があるのだ。
そうなると、同人誌は権利元以外から著作権侵害として叩かれる可能性がある。(非親告罪化である)
また、類似した絵柄や画風、塗りや作風、ストーリー展開について、先駆者しか書けなくなる可能性がある。(画風やアイデアの保護である)
現在の日本で二次創作がおおっぴらに認められており、堂々と著作権侵害コンテンツで金稼ぎができるのは、現行の著作権法がユルユルであるという特殊な状況の恩恵を受けているからに過ぎないのだ。
その著作権法をAI憎しで締め付けるとなると、回り回って全ての二次創作作家が焼き払われる……など。
……これで理解できれば良いのだが、「愛があれば合法」のムラルールで動いている界隈に響くのか、不安である。
後半戦、限界左翼界隈・反ワクチン界隈との類似については以下の通り見出しだけ書いておくので……。
まあ、こういうことだよね…と思っていただければ幸いである。
ちょっと遠いスーパー(ケッタで10分)だと、デブでも満足できる大盛りナポリタンが300円くらいで買えるけど、最寄りコンビニ(徒歩2分)で「大盛り」がついたパスタを買うと900円くらいする上、量は三分の一位しかないので、満足度単価が3倍くらい高いのでさすがに買えない…。デブは徒歩圏内にコンビニがあっても恩恵を受けるのは難しい…。
俺は家族に男だから女だからと優遇も差別もされた記憶はないし、学校でもあんま(もちろん小粒なのはあるが、そこまで露骨かつストレートなのは)なかった。
女性専用車両とか、女性だけ着替えにキレイな建物があてがわれるのも納得する。性的価値が違うからね。
ただ、大学の女子枠とか、男女の親権とか、女性管理職の割合とか、そういう制度自体で露骨に男女差つけてこられると、「不平等」と思う時が正直ある。
特に大学の女子枠なんかは、医大の女子一律減点みたいなものと何も変わらなくてガッカリした。女子一律減点で炎上した医大あったけど、あの医大が男性医師増やす為に男子枠作っても文句言えないじゃないかよアレ。
でもネットでこういうこと言っても、「お前は無意識に男尊女卑の恩恵に預かっている」みたいなこと言われて抑圧されるしね…
俺が文句言ったりデモしても鼻で笑われるだけで特に社会が変わるわけでもないので、今日も俺は
◯◯という政治家が悪い、××という悪い奴が悪いことをしている、俺たちの仕事はもっと待遇を良くすべきだ、サラリーマンは搾取されている、などなど。テレビから発せられる内容を見て、自分なりの意見を語っている。酔っ払った姿とは対照的に、そのスーツはよく整えられていて、「正装」と言って差し支えないものだった。
しかし彼は、本気で社会を変えようと思っているわけではないだろう。
もし本気なら、今すぐ居酒屋を出て選挙に立候補し、政治家になってこの国を背負って立つだろうから。だから、彼のそれは単なる社会への愚痴に過ぎない。不平不満を言いながらも、社会に何とか適応しようとして、それでも溜まった不安を酒の場で吐露しているだけ。
向こうのテーブルにも、同じようなことをしている酔った男がいる。しかし、彼の服装はおよそ社会人とは思えないものだった。先程の「正装」とは比べ物にならないほど、乱れている。おそらく、ニート。少なくとも、仕事をしていない人。社会から逃げながらも、その社会に対する不平不満を吐露し続ける人間。おそらく彼も本気で社会を変えようとしているわけではないだろう。
彼は今不満を口にしているが、それに意味はあるのだろうか?
もし彼の言う通りに社会が変わったとして、おそらく彼の立場はそう大して変わらないだろう。労働環境が改善されても、その恩恵を受けるのは企業に勤めている人間だけ。長年ニート生活をしていた彼に光が差すことはないだろう。
別に、不満を吐露すること自体はいいと思う。社会にはいくらか不合理なところはあるだろうし、それを是正すべきなのかもしれない。酔っ払いのサラリーマンが言っていることも、ニートの彼の言っていることも、もしかしたら正しいのかもしれない。
しかし、サラリーマンには帰る場所がある。同僚に連れられて帰る彼の左手薬指には、結婚指輪が輝いていた。「社会に適応しようとしている」彼の社会批判は、そこで止まった。
ニートには、ない。おそらく彼の親らしき人が、騒ぎが最高潮に達したときに彼を回収し、店に謝罪して足早に去っていった。「社会に適応しようとしていない」彼の社会批判は、それでも止まらなかった。
政治家になれ、とまでは言わない。
それが彼の限界だったのだろうか?
万が一、そこに為政者がいたとして、彼の話を聞くかすら怪しいのに。居酒屋にいる一人二人を啓蒙したところで、社会を変えるのには程遠いと言うのに。そんな事をしているなら、「社会に適応しようとする努力」をすべきなのではないか?
社会が変わるとき、おそらくサラリーマンの彼は生き残る。ニートの彼は、もしかしたら生きる道があるかもしれない。
社会が変わらないとき、サラリーマンの彼は当然生き残る。ニートの彼に、生きる道はない。
なら、ニートの彼が今すべきなのは、社会批判ではなくて、変わらなかった時への……。
そんな事を考えていたとき。
「生成AIは悪だ!」
背後から、怒鳴る人の声。
そこに、別の誰かの声。
「生成AIがもし生き残ったら、どうする?」
その人は答える。
「決まってるだろ!消えるまで批判するだけだ!」
あえて、振り返ることはしなかった。
◯◯という政治家が悪い、××という悪い奴が悪いことをしている、俺たちの仕事はもっと待遇を良くすべきだ、などなど。テレビから発せられる内容を見て、自分なりの意見を語っている。酔っ払った姿とは対照的に、そのスーツはよく整えられていて、「正装」と言って差し支えないものだった。
しかし彼は、本気で社会を変えようと思っているわけではないだろう。
もし本気なら、今すぐ居酒屋を出て選挙に立候補し、政治家になってこの国を背負って立つだろうから。だから、彼のそれは単なる社会への愚痴に過ぎない。不平不満を言いながらも、社会に何とか適応しようとして、それでも溜まった不安を酒の場で吐露しているだけ。
向こうのテーブルにも、同じようなことをしている酔った男がいる。しかし、彼の服装はおよそ社会人とは思えないものだった。先程の「正装」とは比べ物にならないほど、乱れている。おそらく、ニート。少なくとも、仕事をしていない人。社会から逃げながらも、その社会に対する不平不満を吐露し続ける人間。おそらく彼も本気で社会を変えようとしているわけではないだろう。
彼は今不満を口にしているが、それに意味はあるのだろうか?
もし彼の言う通りに社会が変わったとして、おそらく彼の立場はそう大して変わらないだろう。労働環境が改善されても、その恩恵を受けるのは企業に勤めている人間だけ。長年ニート生活をしていた彼に光が差すことはないだろう。
別に、不満を吐露すること自体はいいと思う。社会にはいくらか不合理なところはあるだろうし、それを是正すべきなのかもしれない。酔っ払いのサラリーマンが言っていることも、ニートの彼の言っていることも、もしかしたら正しいのかもしれない。
しかし、サラリーマンには帰る場所がある。同僚に連れられて帰る彼の左手薬指には、結婚指輪が輝いていた。「社会に適応しようとしている」彼の社会批判は、そこで止まった。
ニートには、ない。おそらく彼の親らしき人が、騒ぎが最高潮に達したときに彼を回収し、店に謝罪して足早に去っていった。「社会に適応しようとしていない」彼の社会批判は、それでも止まらなかった。
政治家になれ、とまでは言わない。
それが彼の限界だったのだろうか?
万が一、そこに為政者がいたとして、彼の話を聞くかすら怪しいのに。居酒屋にいる一人二人を啓蒙したところで、社会を変えるのには程遠いと言うのに。そんな事をしているなら、「社会に適応しようとする努力」をすべきなのではないか?
社会が変わるとき、おそらくサラリーマンの彼は生き残る。ニートの彼は、もしかしたら生きる道があるかもしれない。
社会が変わらないとき、サラリーマンの彼は当然生き残る。ニートの彼に、生きる道はない。
なら、ニートの彼が今すべきなのは、社会批判ではなくて、変わらなかった時への……。
そんな事を考えていたとき。
「生成AIは悪だ!」
そう叫ぶ声が、背後から聞こえる。
あえて、振り返ることはしなかった。
そんなことに、大して興味はないから。