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はてなキーワード: 弾圧とは

2022-08-28

anond:20220828115235

横だがフランスって平気で宗教弾圧するヤバい国なんだな

しかもシャルリー相手尊厳を貶めた結果キレた相手邪悪扱いとか闇深い

2022-08-26

俺って右寄り?左寄り?

俺の思想はこんな感じ

アメリカ共産主義もどちらも大嫌い。でも強いて言うなら前者の方がまだまし

アメリカという国がクソなので民主共和も目くそ鼻くそ

共産党の一刻も早い解散を望んでいる

日本にはろくな政党が無いので嫌々一番マシな自民投票している。決して自民が好きなわけでは無い

憲法改正はどちらかと言えば賛成

原発賛成

安倍国葬は反対、でも共産れいわ支持者が顔真っ赤にして発狂するのは正直見てみたい

終わったことだけど、東京五輪開催は反対

ウクライナを支持する、でも真珠湾発言天皇陛下戦犯扱いの件もあり、冷めた目で見るようになった。

太平洋戦争自衛戦争東京裁判一方的リンチ裁判とは言えない、パール判事全面的に支持。ニュルンベルク裁判も野蛮な復讐

しかし、東南アジア侵略はどうあがいても擁護不可能で同じ日本人として恥ずかしく思う。東南アジア侵略正当化する人間は心から軽蔑する

アイヌ民族への弾圧についても同様に恥ずかしく思う

東郷平八郎乃木希典大山巌石原莞爾栗林忠道樋口季一郎根本博を尊敬する

東條英機については一方的悪者扱いされるのは胸糞悪いが、戦前戦時中の行動が無能すぎるので正直同情できない

首相靖国参拝全面的に賛成

ヒトラーは悪く言われすぎ。コロンブスコルテス、ピサロレオポルト2世ルーズベルトトルーマンスターリン毛沢東習近平ポルポトの方が遙かに凶悪なのでそちらを非難すべき

フランス革命は野蛮の極み

マッカーサー人間のくず

天皇陛下君が代日の丸日本の誇り

女系天皇でも良いと思う

夫婦別姓選択的ならあり

女性社会進出全面的に賛成、しかフェミは大嫌い

腐女子は死に絶えて欲しい

しかし、たわわに関しては作品も作者も信者気持ち悪いので今回だけはフェミを支持する

青識亜論も黒瀬深もガイ

弱者男性可哀想だけど、女性にも選ぶ権利があるから仕方ないよね。唯一の解決策は各々が妥協婚をやめてこれ以上弱者を産まないこと

LGBT権利向上は賛成

黒人については同情的だったが、アジア人へのヘイトクライムを知ってからは冷めた目でしか見られなくなった

ポリコレは嫌い

日本ロリコン文化も嫌い

アニメ日本の宝

竹田恒泰百田尚樹高須克弥武田邦彦桜井誠は嫌い

米山隆一津田大介香山リカ町山智浩ラサール石井も嫌い

橋下徹ゴミ

イスラエル建国は一切支持しない

イスラム過激派がクソなのは言うまでも無いが、イスラム教徒全般を一括りにして叩く奴は知能が低い

韓国は嫌い

安楽死人工中絶全面的に賛成

ウイグルチベット香港台湾全面的に支持する

外国人日本を褒めさせるホルホル番組はぞっとするほどおぞましい

これを見てどっちだと思った?

anond:20220826191202

いや、当時もたくさんのカルトがあって生き残ったり残らなかったりしてたよ

あの頃の弾圧空気が復活してきたっていうだけ

宗教自由って項目を入れた時代には

異常な宗教弾圧があったせいで

今みたいなカルト蔓延は想定してなかったろ。

時代に応じた新しいルール必要だよね

2022-08-24

anond:20220818211741

統一教会カルト宗教は一旦おいたとして、

政治宗教という点だと、日本人の大多数は仏教関係している人は多い。

政治家本人も大多数が仏教じゃないかな。

地元の有力者に結構割合で寺の住職が居たりして、

そういう人が後援会をまとめたり、支援してたりすることがそれなりにあるはず。

から政治家と宗教と繋がりっていうのを切る事は根本的に不可能で、

その一部がたまたま統一教会関係だったりするだけ。

統一教会洗脳お金を奪い取ってるっていうけど、

仏教だって戒名だったり葬式だったりで、結構大金を払わされてるのも洗脳みたいなものだろう

風習的に仏を有難がって大金払うのは洗脳と何が違うんだって話)

正直グレーなだけで完全な悪と確定してるわけでない統一教会排除ってなると、

宗教弾圧になってしまうし、今の統一教会憎しっていう風潮は、

統一教会側の宗教団体のプロモーションとも取れる。

2022-08-23

anond:20220823103901

Arturo_Ui 以前の設定のまま出して「児童虐待の全肯定」と批判されるのと、どっちがマシですかね。

この人はもう年がら年中何かを弾圧する側の頭で考えてんだなあ

2022-08-20

anond:20220820223057

から法律作ったってそこに引っかからんようにやるだけだろ

法律守ってるのに政治との関係を断つようにするならそれは権利侵害だぞ

影響力に関しても、宗教弾圧されればされるほど内部の結束力は強固になるって歴史証明してるわけで

一時的に影響力弱まっても、落ち着いたら盛り返してくるかもしれんね

多分、お前のやりたいアクションの先には、お前の望みとは逆の結果が待ってるよ

そう考えると、お前を応援したくなってきたな

やりたいことやったのに、おもてたんとちがーうってなった時の悔しい顔みたい

中国宗教弾圧してひどいって話があったけど法輪功もたいがいカルトだよな。

あとは生稲晃子さんが坊主にして涙で謝罪会見開けば宗教弾圧象徴になるし左翼大人しくなって丸く収まるでしょ

逆ばり野郎イライラする

ロシア擁護とかウクライナ人が死んだのはゼレンスキー責任だとか統一教会弾圧するなとか。

2022-08-19

カルト宗教について

アメリカ市民運動フランス法規制… 日本はどう向き合うべきか

なんて簡単なことだと思うけど

とりあえず韓国断交して、私財だろうがいかなる国内資産韓国への流出禁止

普段日本を心から愚弄する国民性なのに、自分たち悪事がバレそうになったら急に「宗教弾圧」だの「差別」だの言い出す程度なんだから、もう金輪際付き合う必要ないよ

2022-08-18

anond:20220818151106

大丈夫じゃなくてふつう違憲バンバン出てるんだよな

大丈夫じゃないことが大丈夫じゃないままなあなあズルズル行われ続けるのはそれこそ自民統一教会でよくわかっただろ

そしてヤクザから山上みたいな手段もとれない、まさにその手段ゆえに弾圧されてんだから

2022-08-17

戦前新聞戦争を煽った」みたいなやつ

為末大氏が戦前メディア国民について連続ツイート(https://twitter.com/daijapan/status/1559307120990093312?t=QMhL-RTW0jVvUeoJUbbbVg&s=19)しており、内容としては「戦前軍部戦争を主導して国民戦争に引きずり込んだと思ってたけど、メディア国民熱狂していた。世論ひとつの方向に染まり社会暴走するのは危険だよね」というもので、これ自体はまあ妥当で、参考文献もしっかりしたものだった。


でもこの一連の主張には重要な前提が抜け落ちていて、それは戦前メディア政府検閲されていた

ということなんですよ。 

為末氏は直接にそこまでいわないけど、「戦前の最大の戦犯新聞だった」みたいなことをいいたがる人が増えてる印象があって、それはかなり過剰だと言っておきたい。要するに現代マスコミ批判に繋げたいんでしょ。


メディア戦争煽り国民熱狂したのは事実なんだけど、そのメディア新聞含め全部政府に内容チェックされて、反政府的なもの修正させたり絶版になったりしてたわけ。それらの著者とか関係者マークされて不当に逮捕されたりしてたんだよ。


だったらメディア翼賛的になるの、当たり前でしょ……国家税金使ってそうなるようにせっせと弾圧してたんだから


ちょっと前にも「東条英機内閣選挙で選んだのは日本人」みたいなこと言ってる人を見かけてずっこけたけど、戦前日本自由度勝手過大評価して「国民にも責任が」みたいに繋げる人が想像以上に多い。

そういった指摘にも意味はあるんだけど、大前提として政府責任を問わないのあればそれはおかしいよ、と改めて書いておく。

 

2022-08-15

共感にあらがえ - 内田樹の研究室を読んで

これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。

ただ、内田が、

感情の器」って、あくまでも個人的身体条件のようなものから

というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。

たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミス道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会規範構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。

そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。

家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。

アレックス・カー20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。

おりしも建設省代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代

アメリカの7倍のコンクリートを使って日本山河コンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。

その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。

「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。


A・カーは、フェアプレイ精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者トップ黒海に豪奢な別荘を保有し、人民実質的農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。

「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司説教ブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖

最近、想起するのはやはり旧統一教会家族価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族崩壊している、といった、「おまゆう問題崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするとき動機付けメカニズムなのだ

内田永井議論テーマひとつである人権平等。あたか普遍的原理についても、

それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。

アメリカ建国者の一人、トーマスジェファーソン人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。

これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。

どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質人民に備わっていると信じて建国者デモクラシー設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権矛盾が、南北戦争北軍正当性を決定的にする。

内田議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要キーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。

自分でうまく整理がつかなかった。内田はいう。

「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。

これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係いかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。

内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。

まず外付けの倫理から。どのように受容されてきたか

舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後憲法のものアメリカ経験に基づいたものだ。

しかし、日本人権教育は、残念なことに、人権普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。

戦後人権を外付け実装してきた日本は、そのルール規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。

現在、旧統一教会問題話題の、国家宗教というテーマにしてもそうだ。

政教分離キーワードとなるのは、恐怖から解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西課題だ。宗教いかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴ勝利した古代ローマ

そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要再確認された。それが言論の自由関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場比喩が生まれる背景ともなった。

他方、旧世界フランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会権威苛烈弾圧が恐怖であった。だから公共空間合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランス言論の自由は、その意味カトリック否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したこと歴史的な背景は深い。

このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。

それは、実は国によって微妙コンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的価値なら、なぜ何千年も克服できなかったか意味を問うというか。

しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後日本裁判所も含めて。

でも、それこそが日本人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。


その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。

内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは自分の国や自分家族自分自身の歴史だと俺は思う。

自分自分先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理けが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本アジア欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。

歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。

自分理想とするもの現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。

自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。

ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要キーになるし、国家宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米経験教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決行政戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料支出したこと違憲とした歴史的判決で、戦争経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。

しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通体験共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代

50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。

「あの頃は」という共通過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。

まり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。

それが、失われ、外付けの価値観だけがカラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。

永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代

「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。

と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。

また、日本憲法に組み込まれ歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。

高度成長期に「あの頃」といえば戦争時代だった。

それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、

視聴者からは、おしん私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。

しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ

しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争記憶との関連が薄まった。当然、日本憲法リアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。

しかし、いずれにしても過去記憶憲法規範が直接に結び付かない、その世代経験、そこに、永井紛争国の辺境の地を自分テーマに選んだヒントがあるように思えてならない。

紛争リアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生ときに知った人権、そして憲法価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。

しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。

永井氏が、内田氏との対話のなかで

私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこから自分母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親単身赴任でしたし。

といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。

全然人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。

動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的ロールモデルとは限らないのだ。

この体験辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。


ともあれアレックス・カー面白い

読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。

A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.

Dogs and Demons, 2002, A

2022-08-14

anond:20220814155117

アボリジニインディアン病原菌によって人口が激減してから白人弾圧がはじまったよね。

人口文明がしっかりしていれば付け入る隙はなかったよね。

2022-08-12

統一教会の「国際会議」で何が行われたか

日本では安倍追悼のプログラムばかり取り上げられたが、もともと毎年のように行われていて、今年は文鮮明死去10周忌で更に盛大に開催されているイベントである事件がなければ安倍も再びビデオメッセージを送り、自民党から安倍に近い議員複数出席していただろう。

追悼やって終わりではなくて「国際会議」がメインイベントである。現地の世界日報レポート記事複数出ている。

今回の会議では特別セッションで「宗教自由」について講演がなされたという。マイク・ペンスに「全ての指導者宗教迫害に遭う全ての人のために正義を実現せよ」と演説させた後で、日本から参加した統一教会幹部が「日本宗教弾圧人権侵害が起きている」と、参加した世界VIPに向けて訴えた。さら統一教会から脱会を求める実の家族らを拉致監禁だと訴えて民事裁判で高額賠償金が認められた後藤徹氏も会場で証言した。そして世界日報統一教会本部トップであるユンヨンホが「日本統一教会信徒への弾圧やめろ」と遺憾の意を表明し、「宗教普遍的人権宣言」が採択されたという。

統一教会日本人に何をやってきたか無視して「我々は被害者だ」と世界の首脳経験者らに必死アピールしている。日本がこれから行わねばならないことは、このような反日政治団体世界政治家が参加することは日本との友好関係で不利になることを伝えて参加させないように促すことであろう。これこそまさに日本政府や本来保守がやらなければならない「歴史戦である

anond:20220812205210

すいません、もう『機動隊』に弾圧虐殺されてるんです

2022-08-11

何故ディズニー同人誌規制されていない事実は広まらないのか

デマを信じているオタク側はプール底のミッキーマウス事件以降の情報更新せず、さらに「リア充巣窟であるディズニーランド」という偏見から

ディズニー全般逆恨みし続けたまま大人になってしまった。二次創作コミケこそ日本オタク文化世界一である理由だと信じているため、そんなアマチュア世界にも

米国大手資本キャラクター文化流入してくる事実を認めたらアイデンティティー喪失するため、何度証拠提示されても頑なに認めようとしない。

更に直近でポリコレ云々による深夜アニメ叩きによる被害者意識アナ雪2ステマ問題によりネガティブな印象が界隈に根付いてしまっている。

一方ディズニーファン側はキングダムハーツに対する印刷所側の一方的印刷拒否ネット上の自治厨から弾圧という理不尽な扱いを四半世紀も受け続けてきたため、

既存同人オタクサイドに対して大なり小なり恨みを抱いてしまっているので、ディズニー同人OKだし普通に刷れるという事実を教える際に喧嘩腰になり、

結局双方に不愉快な思いを残すだけで物別れになってしまうことが多い。

ディズニー本社ではなく、オタク同士の憎悪の連鎖が最大の障壁となってしまっているこの問題 解決するための糸口が欲しい

anond:20220811102350

まり人知人にいないタイプの困難当事者についてはアテクシは差別とは認識していませんので今後も無自覚弾圧していきますよって宣言

anond:20220810154243

元増田だけど、歴史の中では血なまぐさい宗教かとは思うが、現在ではそれなりの歴史信仰を持っているので、わざわざ弾圧したりする必要はないのではないかと。不要なのは新興宗教

現時点で百年も歴史がないような宗教新興宗教いいんじゃないの。

2022-08-09

数年前みたいなおもむろに知識とか単語猿真似する中国人減ったな

自分発言がより民主志向・人道志向になったからかもしれない

民主を真似するイコール存在意義がなくなってしまうから

逆に言うと数年前までは自分虐殺人権弾圧を明確に否定できていなかったということだろう

他人事だったということだね

2022-08-08

日本戦前戦時中に色々な宗教弾圧して来た歴史的経緯がある

治安維持法共産党を潰すために作られたとよく言われているが、同時に神道以外の宗教を潰すことにも発揮されてきた。

そのこと自体の是非には触れないが、その後に日本戦争に負けて戦前戦時中に行われたことすべてが「悪」という価値観になった。

戦後日本では、信教の自由新興宗教を潰すこと自体タブー社会になってしまった。

その結果、50人の死者と6000人の重軽傷者を出したオウム破防法で潰すことは出来なかった。

流石に教団幹部は全員捕まえて全員死刑にはしたけれど。

統一教会問題に手をつけられなかったのも、戦前宗教弾圧反動タブーなんだろうね。

そもそも統一教会自体が、日本統治時代の朝鮮半島にいた日本人(朝鮮人)が作った団体であり、そっち方面タブーでもある。

日本戦後レジームを清算するということは、統一教会問題解決することと同意義だ。

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