はてなキーワード: 樋口季一郎とは
俺の思想はこんな感じ
アメリカも共産主義もどちらも大嫌い。でも強いて言うなら前者の方がまだまし
日本にはろくな政党が無いので嫌々一番マシな自民に投票している。決して自民が好きなわけでは無い
憲法改正はどちらかと言えば賛成
原発賛成
安倍の国葬は反対、でも共産、れいわ支持者が顔真っ赤にして発狂するのは正直見てみたい
ウクライナを支持する、でも真珠湾発言や天皇陛下戦犯扱いの件もあり、冷めた目で見るようになった。
太平洋戦争は自衛戦争、東京裁判は一方的なリンチで裁判とは言えない、パール判事を全面的に支持。ニュルンベルク裁判も野蛮な復讐劇
しかし、東南アジア侵略はどうあがいても擁護不可能で同じ日本人として恥ずかしく思う。東南アジア侵略を正当化する人間は心から軽蔑する
東郷平八郎、乃木希典、大山巌、石原莞爾、栗林忠道、樋口季一郎、根本博を尊敬する
東條英機については一方的に悪者扱いされるのは胸糞悪いが、戦前、戦時中の行動が無能すぎるので正直同情できない
ヒトラーは悪く言われすぎ。コロンブス、コルテス、ピサロ、レオポルト2世、ルーズベルト、トルーマン、スターリン、毛沢東、習近平、ポルポトの方が遙かに凶悪なのでそちらを非難すべき
フランス革命は野蛮の極み
女系天皇でも良いと思う
腐女子は死に絶えて欲しい
しかし、たわわに関しては作品も作者も信者も気持ち悪いので今回だけはフェミを支持する
弱者男性は可哀想だけど、女性にも選ぶ権利があるから仕方ないよね。唯一の解決策は各々が妥協婚をやめてこれ以上弱者を産まないこと
黒人については同情的だったが、アジア人へのヘイトクライムを知ってからは冷めた目でしか見られなくなった
ポリコレは嫌い
イスラム過激派がクソなのは言うまでも無いが、イスラム教徒全般を一括りにして叩く奴は知能が低い
韓国は嫌い
外国人に日本を褒めさせるホルホル番組はぞっとするほどおぞましい
これを見てどっちだと思った?
本来のアジア人は古モンゴロイドつまりインディアン、アイヌ、琉球人のように二重で目がぱっちりして、顔の彫りが深く、輪郭もくっきりした美しい顔立ちをしていた。
しかし、ある日朝鮮人、弥生人のように一重、目が細く吊り目、面長、鼻が低く、アデノイド顔貌の醜い集団が発生した。
新モンゴロイドだ。
純粋なアジア人の一部はアメリカに渡り、インディアンとして高度な文明を気づいた。
一方、旧大陸では本来の美しいアジア人が新モンゴロイドの遺伝子に汚染されてしまい、醜い顔になってしまった。
日本人も本来はアイヌのような顔の彫りが深い美しい民族だったのが、朝鮮からの渡来人に汚染され、今日に至る。
温厚で心優しい一方、好戦的で勇敢という一見相反する基質を兼ね備える
彼らは敵対しない者に対してはお人好しとも言えるレベルで優しいが、一度敵対すれば極めて攻撃的で恐ろしい相手となる。その例はいくつかある。
・東北の蝦夷安倍氏は、一度朝廷との対立関係に陥ったが、すぐに恭順の意を示し、争いを避けた。しかし、陸奥守が口実をつけて、蝦夷を挑発すると恐ろしい敵となり、その鎮圧に12年を要した(前九年の役)
・アステカの王はスペインの征服者コルテスを神の化身と考え丁重にもてなした。しかし、スペイン人がそれをいいことに破壊・略奪・虐殺に走ると、怒り狂いスペイン人を一度撃退した(悲しい夜)。更にスペイン人は大軍でアステカの首都テノチティトランを包囲するが、激しい抵抗に遭い陥落に3ヶ月を要し、コルテス自身も危うく死にかけた。
・スペインの征服者ピサロはインカの皇帝アタワルパを殺し、その弟マンコ・ユパンキを擁立する。しかし、スペイン人の残虐行為に堪忍袋の緒が切れ、スペイン軍に蜂起を起こした。その後36年間にも及ぶ激しい抵抗を続けた。マンコ皇帝自身は度々和平を申出たが、スペイン人の不当な要求を飲めず抵抗を続けた。ピサロが仲間割れで暗殺されると、マンコは寛容にもその暗殺者たちを庇ったが、裏切られた暗殺された。インカの王族たちはスペイン人に虐殺され、抵抗は終わりを告げたが、アンデスの先住民たちはその後も幾度かスペインに対して反乱を起こした。
・ワンパノアグ族は飢え、寒さ、病気に苦しむ白人を助けた。しかし、白人が彼らの土地や命を奪ったため、白人と激しく闘った。(フィリップ王戦争)
・アイヌ人は松前藩と平和に取引をしていたが、不当な為替に激怒し、シャクシャインの元で蜂起した。
・アパッチ族の戦士ジェロニモは本来は心優しい性格であったが、白人に家族を虐殺され、その後は好戦的な戦士として恐れられた。
・スー族の勇者シッティング・ブルは心優しく非常にモテた。その一方で勇敢な戦士として誉れ高く、リトルビッグホーンの戦いでは米軍の騎兵部隊を全滅させた。最後まで白人に屈することを拒み、射殺された。
・日露戦争の名将、東郷平八郎、乃木希典、秋山好古、秋山真之と太平洋戦争の名将、本間雅晴、牛島満、樋口季一郎はいずれも縄文人顔の美形である。白人との戦いで活躍した一方、平時は温和な人格者であった。
以上の例の通りアジア人とは本来顔が美しいだけで無く、勇敢と温和という美徳を備えた優秀な人種なのだ。
一方、新モンゴロイドはどうか。
・弥生人顔の香淳皇后は陰湿な性格で美人であった美智子様に冷たく接した。
・悠仁も両親がお辞儀しているのに、自分だけ頭を下げなかったり、女子生徒から水筒を奪ったりした。
・東名高速煽り運転の犯人も、名古屋アベック殺害事件、市川一家殺人事件、光市母子殺害事件、コンクリ殺人事件の犯人弥生人顔だ。
しかし、東南アジアの人々は朝鮮人よりも更に残虐なことを日本軍にもされたにもかかわらず、それを許し現代は親日的だ。これは宗教も一つの原因だろう。
だが、それだけでは仏教国のビルマ・ベトナム、イスラム教国のマレー、インドネシアが日本を許したことは説明できるが、キリスト教国のフィリピンが日本を許したことは説明できない。
朝鮮人は純粋な新モンゴロイドだ。一方、東南アジアの人々は一部新モンゴロイドの遺伝子の汚染されているが、本来のアジア人としての性質も持っている。
これもアデノイド=弥生人顔が害悪な遺伝子である証明だ。勿論発達障害だから口呼吸してアデノイド顔貌になりやすいという事実を考慮してもだ。
本来は美しい民族だったアジア人が新モンゴロイドに汚染され醜くなってしまったのは嘆かわしい。
これからのアジアの繁栄のためにはそういった醜い遺伝子を少しでも減らし、アジア人の優秀な遺伝子を後世に残すことが大切だ。
縄文人顔の諸君は同じく縄文人顔の同士と結婚し、その遺伝子を残して欲しい。
そして弥生人顔の諸君はもし僅かでも良心があるなら、子作りは辞めて頂きたい。
縄文人と結婚すれば、その美しい遺伝子を汚染してしまう。だから頼む。
https://anond.hatelabo.jp/20211113201646
横田だけど、ちょっとググったらそれっぽいストーリーが立てられたので共有しておく。
三行でストーリーをまとめると
・「屍山血河」という言葉を考案したのは大日本帝国陸軍の文官で、陸軍教授の地位にいた樋口石城なる人物である。
・「屍山血河」は、旅順戦を記録したロシア軍人М. И. Костенкоの日誌 "Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"を邦訳する際、邦題として発案された。
・この邦訳を読んだ人々が邦題を熟語として認識。そのうち、司馬遼太郎が小説内で多用したことで日本中に広がった。
「屍山血河」の由来はなにか。まず、中国語で言うところの「成語」にそれらしい言葉はない。
かといって「屍山」とか日常言語で使う単語という感じではないし、自然発生した四字熟語でもないだろう。
普通に考えたら、中国語以外の言語にある熟語を、明治以降の文化人とかが邦訳するときに成語っぽく整えた、とかが一番ありそうなパターンだ。
しかし、「屍山血河」という単語は辞書に載っているが、用例として記されているのは司馬遼太郎の小説ばかりだ。後は三島由紀夫だが、司馬遼太郎の用例が古い。
辞書を作ったときにそれより古い用例が見つからなかった可能性が高い。
普通、辞書の用例はその用法で一番古いものを採用する。だれか他の文学者が創作したならそっちが採用されないのは奇妙である。
もちろん、司馬遼太郎が独自に考案したと考えるのは早計だろう。
司馬遼太郎が勝手に創作したとされていた史観や、事実関係が怪しい記述も、近年ちゃんと調べてみると「元ネタ」があるものばかりだったらしい。
もちろん、だからといって、それらが歴史的事実だというわけではなく、「元ネタ」を書いた人が勝手に創作したり、誤認識していたということらしいのだが。
ともかく、司馬遼太郎は無から発想したり、自分で説明なしに訳語を創作するような人間ではないと思う。
用例として採用しづらい対象で、司馬遼太郎が興味を持つ題材の日本語の資料で「屍山血河」を使ったものがあるはず。
この条件に合致しそうなのが "屍山血河" コステンコ 著,樋口石城 譯 [1]である。
ちょっと調べてみると、これは旅順戦を記録したロシア軍人М. И. Костенкоの日誌 "Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"[2]の邦訳だ。
М. И. Костенкоは旅順攻防戦に少将として参加した後、戦後は軍事法廷の議長とかをやった、とwikipediaに書いてあった。
旅順戦の日誌は貴重な資料であり、ロシアで広く読まれた。これが邦訳され、1912年に出版された。
しかしそれにしては邦題がおかしい。おかげでググっても原著がすぐ出てこなくてちょっとイライラした。
"Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"を機械翻訳すると、"旅順要塞の包囲と降伏:私の印象"となる。
実際、この本は1973年に田崎与喜衛に再訳されており、そのときの邦題は"旅順攻防回想録 "となっている[3]。
泥沼の旅順戦で主に大量の兵士、とくに日本兵が死んだ様子を描写して「屍山血河」と言っているのだろうが、戦闘記録の題名にするには文学的にすぎるだろう。
М. И. Костенкоが序文とかサブタイトル的な位置にこの単語を使っているのではなく、樋口石城が勝手につけた邦題である可能性が高い。
ロシア語でも Горы трупов (死の山)とか реки крови(血の川)という表現は戦争を表現する際、よく使うようだ。
熟語とまでは行かないが、並列して使われる例もググればそれなりに出てくる。
原著に直接この組み合わせが出てくるかはちゃんと調べていないので不明だが、本文検索してみたら、Горы труповは単体で積み重なった日本人の死体の表現として使われていた。
もしこの記録が文学作品だったらこの題をつけるのは適当かもしれない。
これ以降は完全に当て推量である。
陸軍教授、樋口石城がどういう人物なのかはググっても出てこないが、樋口季一郎の親戚とかだろう。しらんけど。
まあ、軍教授なのだし名家出身の学者で、ロシア語を含む文系の教養があって、仕事はロシア関連の軍事資料の邦訳を大量にやらされていたのだろう。
だから文学作品とかを書く暇もないので、やらされた邦訳の仕事で、多少のオリジナリティを発揮してみたくなったのではないだろうか。
そこで少し文学風に気取って成語っぽい「屍山血河」という語を創り、戦闘記録の邦題としてつけたのだ。
それを司馬遼太郎が資料として閲覧。そういう成語が既にあると認識、戦争小説で多用。
小説を読んだ人間もそういう語があると理解し、大量の死者が出る戦争を語る際に一般的な単語へと一気に昇格してしまった。
そしていざ辞書に載せようとすると、用例として明記できる古い例が司馬遼太郎以前にないことに気づく。
樋口石城の訳書も発見はされたのだろうが、題なので用例としては不適であり、スルーされた。
結局、遡れるのは司馬遼太郎の小説しかなかったのではないだろうか。
無論、上記は全てネット上で手に入る資料の断片からの推測であり、だいぶお粗末なものだが、もし当たっていればなかなか面白いストーリーではないだろうか。
以上、「屍山血河」の由来について横田が調べてみました。
[1]https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024298307-00