まあ、端的に言って……
これに言及してる自称「フェミニズム」の人達、これ全て偽物の「エセミニズム」ですわな。
例えば、今や日本では見られない「ブルマー」。これ、そもそもは女性解放運動が元ですわな。
この言葉も「女性」などという言葉が付くのも気に食いませんが、それを一概に否定するのも先史の日本で戦った者たちへの侮蔑でしょうし、今は問いません。
まあ、斯様な運動に微塵の興味も無い方は知らんかもしれませんが。元々は、そういうもので御座います。
まあ、その丈が不要に一律で短くなるのは実際問題よろしくない事で御座いましょう。それに関しては構いません。徒に性別で衣服を統一し、剰え羞恥を与うるするなど、フェミニズムの意向に真っ向から叛逆するもので御座いましょう。
然し乍ら、そこから選択の権を奪うならば、それはそれでまたフェミニズムに真っ向から叛逆するものに御座います。
何故なら、そもそものフェミニズムとは「女性が肌を晒し、剰え、その衣服を煽情的なものにするなど端ない、怪しからん」という意向に対して異を唱えたものでありませば、決してその逆ではないからで御座います。
そもそもに於いてミニスカートも同じくフェミニズム運動の賜物であるという事を、今の日本人はご存知無いのでしょうか。
男性は上体とはいえ裸体を晒しても問題はなく、女性は規制せねばならない。これを何故に許すのか?
フェミニズムの本質とは、男女同権にて男女平等。あくまで人間の尊厳に拘うものであります。
「それは男性の性欲が問題なのである」「男性が性的な目で女性を見るが故に、その自由を我々は妨げられるのである」……剰え、「これに同意しない者は名誉男性であり、女性の敵である」と。
果て、上記の話を全く聴いていないのでしょうか?と問わざるを得ません。
「女性が肌を晒し、剰え、その衣服を煽情的なものにするなど端ない、怪しからん」
貴方方の仰ることは、「なので、そのような端ない恰好をする事は許さない」としか聞こえませぬ。それが女性の締め付け以外の何であるというのでしょうか?
無論、その間には数々の論理を入れているのでしょうが。全く以て意味の無い無理屈としか思えません。
真に男女同権を志すなれば、そこで唱うるべきは最低でも「男性も性を隠し、女性と同様に慎め」であり「女性の姿や格好に文句を言う」などというものでは無いでしょう。
或いは「男性も今以上に性的魅力を解放し、性的消費されよ、そうやって虎視眈々と狙わるることを粛々と受け入れよ」というのが男女同権なのではと思われまする。
そして、そのように男性を性的な目で見るような創作は今や無数に存在する。これが数十年も前なら考えられなかった事です。
また、昔と異なり医学の発達した今、まだ技術的には難しく、一般的な制度や倫理も今は許さぬとはいえ、男性でも出産をするという可能性も見えてきております。
あらゆるリスクも、コストも分け合う未来というのは、近くなっていると考えて良いでしょう。そういった自由を常に勝ち得てきた。
だのに未だに我々はフェミニズムを唱えながら、その口で男性だ女性だで区別を為す。
真のフェミニズムとは、男女なる概念を社会通念から消し去ることだと言っても過言ではありません。
無論、その自由を奪う事は許されません故、あくまで名乗るのも志向するのも自由でしょう。
然し、真のフェミニズムとは「どのような身体を持とうとも、その意は自由に選べること」であり、決して人の嗜好を怪しからん端なしと規制することではない。
それこそ、人の衣服を規制する名誉男性の仕業と言って差し支えないでしょう。そうやって、子供の服まで勝手に規制するような親の役割に終始していれば満足なら、一人で人形遊びしているのがお似合いでしょう。永久に締め付けの再生産をすれば宜しい。
されど、そのように本質を損なった批判や非難は、何を述べ立てようと偽善であり、偽のフェミニズムである。
それを言う側も聞く側も履き違えるなというのが、私の結論であります。このような存在を自称でも「フェミニズム」と取られられる方が迷惑なのですから。
本当に恥を知ると良い。としか。
前のは消えました哉。滑稽。
なんで昭和時代の頑固じじい口調なの? ひょっとして、その口調が権威的で人を従わせられるとでも思ってるの? それともそれも含めてネタ?
ブルマって本来の物と廃止されたオタクが大好きなアレとはまったく別物だろ しかもあのパンツ型ブルマは一部の利権者の都合でだけ導入されたものでしかない よくその程度の知識で他...
落ち着け、もうそんな痛い話はしなくていいんだよ。 フェミ憎しで何か言ってやらないと気がすまないんだろうがそれで散々否定されまくってることを得意げに語ってるのを見るのはも...