はてなキーワード: トロッコとは
聡明でかわいらしい、素敵な彼女だった。
酔狂にも俺というオッサンを選ぶくらい、独特の価値観を持つ女性だった。
おまけに脳内存在ではなく、実在しているときた。二次元相手にすら恋愛という感情を覚えることができないままぶくぶくと肥ったオッサンには過ぎた幸福であった。
三十路半ばに降って湧いたように訪れた初恋は一年と少しで消えていった。
仲違いではないし、ケンカをしようといっていたけれど、それも楽しみにしていたけれど、結局できないまま終わっていった。
わかっていたことだが、未来よりも過去が強く、彼女は聡明でやさしく、俺は弱かった。
「いつか、彼女が俺に愛想を尽かすだろう」と、非モテのオタクらしくビクビクした卑怯で惰弱な予防線をはりめぐらせ、それでも卑屈にならぬようにつとめて一年を過ごした。
それは思い返しても幸福で濃密な一年で、一人で過ごしたこの一年はただネトゲとソシャゲの数値を漫然と増やすのと同じ時間であることがにわかには信じられないほどであった。
我々は遠距離であったから、一年の間にともに過ごしたのは実質3週間かそこらといったところではなかろうか。
俺は身に余る幸福を、軽々に疑うことなく、その一瞬をひとつづつ大切に味わい、決して忘れないようにしようと思ったのだ。いつか失われるものだと予感していたから。
別れを告げられる前の、楽しそうだった最後のデートで時折見せた憂いの表情で確信にかわった。
もちろん決裂を回避すべく、さまざまな方策が取られた。しかし、竹ヤリで飛行機は落ちない。俺にできることはこの先のお互いの平穏を用意することしかなかった。
万全の心の準備があった。
傷付かずにいられると思った。
やせ我慢などではなく、こんな甲斐性も主体性もない男に生まれてきたことを感謝させてくれてありがとうな。なんて思っていた。
愛想をつかされたわけではない、しかし、どうしても避けられぬ別れを。一緒になるには俺が俺であること自体が障壁になる理由を、来るべき三行半をLINEでしぼりだすように送られたとき。
ここからの余生が決定された。
このハッピーにもほどがある一年を思い返し、少しずつキャラメルをなめるように溶かしながら生きていくのだ。
それはそれで悪くないと、口を半開きにして漫然と生きてきた自分には身に余る幸福なのだと本気で思った。
恋をしたことがないオッサンは、恋に免疫はなかった。ぶっちゃけ甘く見ていた、ひどくナメていた。今自分にとりついている無情感、寂寥感、つかれ、首の凝り、残尿感、就寝後喉から込み上げてくる胃液で灼ける喉、そういったものは一時的な症状で、一年もたたないうちに治るのだと。
そうしたら、突然推しが自分ちの台所で白米を炊き始めたのを目撃した女子のごとき切ない声をあげてうずくまるようなこともなくなるだろうと軽く考えていた。
これは失われゆくときに効果を発揮し、一生をかけて宿主を食らう猛毒の類であることに。オッサンはようやく最近気づかされてしまった。
余生のはじまりであったこの一年は短いが、人生を支配するには十分な期間だった。
一年には四季があった、ふたりでいろんな話をしながら、様々なところにでかけた。おそらく、ほかのつがいたちがそうするように。我々もさんざんそうした。行こうと約束したきりの場所が、いくつもあった。
ひょんなところで、どうしても、少しのきっかけで思い出してしまう。
つきあっている間から、ちょっとした瞬間にこねくりまわしていた甘い思い出たちが、刃を剥いてオッサンのやわらけえ心をズッタズタに切り裂いていくのだ。
お揃いで買ったボールペンを筆箱から取り出したとき。町中でてんぷらそばの香りが漂ってきたとき。美しい紅葉を見たとき。バスの中が閑散としていたとき。Twitterにネタ画像を貼ろうとしてカメラロールをたぐったとき。カップル用の写真置き場として導入したアプリに「もう別れた」と告げることもできないままだったから「つきあって2年目ですおめでとう」という通知が臆面もなく画面に現れたとき。テレビにサメがでてきたとき。花火の音を聞いたとき。モネの絵を見たとき。映像の世紀のテーマソングが流れたとき。海。いきつけの居酒屋。空が透き通るように青かったとき。ふたりで行こうと話していたその場所への旅行記。机の引き出し。
容赦なくそれらにまつわる我々のイベント一枚絵がフラッシュバックしていく。
思い出がたのしかったほどに、もはやそれらが二度と訪れないことを突きつけていく。無能で怠惰だった自分を上っ面だけなじって、甘い記憶の反芻にくたびれる。
そして文字通りくたびれたオッサンは何度目か忘れた記憶の反芻の果てに、ふと気づいてしまう。
たった一年だ。
たった一年でも、強い記憶でも、そのすべてをわすれないように目に、鼻に、耳に、手がかりをのこして脳の一番とりだしやすい引き出しにこうしてしまいこんだつもりでも。
どうしたって、あせていくのだ。あせていく割に、思い出したときのダメージは軽くなりはしない。ただうすくらがりの割合が増していき重くなっていく。
なんて意味のない自問をして、やめて、また自問して、夜が明ける。
どうすればこの変質を止めることができるのか。
高校生のうちになやんで置くべき事をいまさらやりはじめているから、だれもその無意味な思索を止められない。
俺の印象に沿って変質した思い出を、きっと刻み込んだ瞬間から変質しつづけているその代替品を、いつまで、いつまで舐め続けることができるのか。俺が改竄したのは、いったいどの部分か。彼女の行動か、表情か、懊悩か、それらを突きつけられまいと先手をとって口先で蓋をしていった愚かで卑しい自分の行動か。
傷つけるかもと言おうとして言えなかったうわっつらの言葉か。
いや、それに妥協する自分を、自己愛を自覚していますみたいなメタい達観視点で、別の自分を用意したあげくのいぎたないマウントをキメる惰弱な自分への嫌悪感だ。
こんなものが、二度とこない、見ることのできない美しい追憶の邪魔をする。
しかしこんなものがなければ俺はきっと、こんなこともわかりはしなかった。
冒頭で「フラれたときに、余生を決定した」と言った。
20代のはじめに自分というハードウェアの脆弱性に愕然とした自分は、ここより余生という看板を高々とかがげ、レールにトロッコを設置してゆっくりと坂を下りはじめた。山にぶつかるまでが人生だと割り切ってみると、けっこう空は綺麗だったし、白米は噛むと甘かった。
思い出じゃなくて、君と君と一緒にいる自分自身を。
なんて、ありあわせの後悔を口に出せば、どうしたって、安っぽくなる。
感謝の言葉を書き連ねたいが、それここでやるにはあまりにも浅ましすぎる。
誰の目にもつかず埋もれるか、「貴様の贅沢な懊悩など見る価値ないわ」と吐き捨てるように扱われたいだけなのに。
そうでもされないとやっぱりやってられないくらいにただひたすらに、いまだに、恋しさだけが、こびりついていく。
こんな寒い日に、さびれた地方都市のビジネスホテルで、小さなシュトーレンを分けて食べた。
みんな! 現実には存在しないキモオッサンの気持ちになって書いたキモポエムをここまでよんでくれてありがとうな! 愛してるぜ!
トロッコ作戦を思いついた時点で二手に別れる必要はなくなったんだから、ミスリードっぽく見せただけで、最初から9人で参加する予定だったんじゃねーの?
想ひとは一人欠けただけだからまだいいが、半分いない状態で予選突破してたら他の学校が雑魚すぎてさすがに…。
何にせよ4話は良かったから3話のことは忘れるぜ!
ダイヤさん可愛かったねー。
前回の3話があまりにも話として破綻してて、今回の4話もそーなるんじゃないかと内心怯えながら視聴したオタクです。
けどまさかの良回。よかった・・・。ダイヤちゃんかわいい・・・。贅沢言うとルビィちゃんも絡めてほしかった。
2期3話のはなしになるけど
3話はなんでああなってしまったんだ?あの3話だけで1期の11話とかそのほかの1期の回を否定したような描写があってきつかった。1期もめちゃくちゃだけど好きなのに。
トロッコ(モノレール?)のくだりとかはもうどうでもいい。似たようなことあったじゃん無印で。ファンタジーな部分はあってもいい。
高海千歌ちゃんはみんなにトロッコの説明しろって言うのも、まぁいい。いや、良くはないんだが。百歩譲る。メンバーをびっくりさせたかったんだろで自己解決。
でも、
でもさ、ライブ直前のあのやり取り
9人で4人と5人に別れて全力出し切ろうって決めたのに何で4人組は学校説明会無視して衣装着てライブ前にドヤ顔キメてるんだとか
何でリーダーはそれをみて怒るでもなく安堵の表情を浮かべてしまうんだとか
離れていても思いはひとつだったんじゃなかったのか?想いよよひとつになれとはなんだったんだ?
なぜ、どっちのライブも9人でやり、なおかつストーリーとキャラの感情をスっと落とし込めるようにはつくれなかったのか?王道な話の展開とかでよかったんだよ。
キャラクターの感情とかこれまでのことを蔑ろにしすぎてて正直MY舞君ここどころではなかった。
そんなことを考えながら1週間を過ごしていた。辛かったし後輩にこのことを話しても「まーラブライブのお話はあってないようなものですしブヒィwww」って言うし。いやまぁそーだけど。あの3話はそれにしたってだよ。
ここに書いておくことで気持ち的に整理できたらいいなぁ位の感覚で書いてるからおかしな部分とかあるかも。
とにかく、もーちょっとがんばれサンシャイン!草葉の陰から応援してるからホントがんばれ!!あとできればルビィちゃん回オナシャス!!!
いきいきと歌って、踊って、パフォーマンスをする彼らを見て目がチカチカするぐらい当てられてドキドキしました。
コンサートツアーが終わった今でも、鮮明に脳裏に焼き付いて離れない中にいます。
このなかで、とても心温まる出来事がおきました。正直今も思い出すたびに感動で泣きそうです。
コンサート中、V6のメンバーがトロッコや花道でサインボールとサイン色紙を投げる演出があるのですが、今回アリーナ席だった私のほうに井ノ原さんのサイン色紙が飛んできました。
取られたのは前の方で、いわゆる“争奪戦”もなく、ゲットした方を左右前後でおめでとうございます、とぱちぱち拍手を軽くするような状況でした。
勿論私も最初から自分の方に来ただけで嬉しかったのですが、何やらその方は左右を確認し、真後ろの私を見て「あ」と声をあげました。
何だろう。
そう思ったら、手に取っていらっしゃったサイン色紙を私に差し出してくれました。理由は私が井ノ原さんの団扇を持っていたから、井ノ原担だから、ということでした。
皆がほしがるサインボール。サイン色紙。その公演で貰える人は限られています。
いわゆる「自担」じゃなくたって、メンバーのものだったら欲しい。そう思うのは当然だと思います。
「こっちのほう狙ったの、多分担当さんがいることを分かってたからだと思うので」
そういって、差し出してくださった方は微笑んでくれました。本当に本当にありがとうございます。
今回の出来事を経験して、本当に本当に頭が下がりましたし、あの方に少しでもいいことがありますようにと心から念じているばかりです。
岡田担さんということで、もう本当に岡田さんこっち向いて!!!!!はやくこっちきて!!!!!!ってアンコールのときに思ってました。それはもう全身全霊で。正直自分がファンサもらうことより、この人のために岡田さん早く!ってそわそわしていました。
コンサート終わって、「またどこかで」と微笑まれたあの人に良いことが起きますように。
エコパにも行くというお話もされていたので、エコパで岡田さんからファンサもらえてたらいいなあ。
そして、カウコンチケット、岡田担さんに当たりますように!!これから神社いってひたすらお祈りしてきます。
名も知らぬ岡田担さんへ。本当にありがとうございます。
そして、私もあなたのようにいつかそういうことが起きたときに差し出せる人でありたいな、と心から思いました。素敵な素敵な経験をありがとうございました。
いつかまた、どこかでお会い出来たなら改めて御礼の言葉を言わせてくださいね。
元増田だがすまん、べつにトロッコの話はトロッコ問題が記事の中であったから使っただけでブログ内容とは関係ない。
例え話をして論破したように言ってるけどそんなの例える内容によってはどうにでもできるだろっていうのが俺のいいたいこと。
俺みたいに「家畜の話」にするのも悪手。どう考えても話がネジ曲がり解決不能な方へ、そして歪にしかならん。って思ってる。
そんな状況での正解は作者にしかない。
解いてはいけない問題っていうのも、わかるけど、ぶっちゃけ情報がなさすぎる。(元漫画読んでないのでちゃんといろいろかいてあったらすまん)
情報が少ないから後から情報を足していってどうにでもできる。解いてはいけない。それは正解かもしれないが、Twitterという一対多が当たり前のように起こる場でその正解の出し方をするのはどうなんだとおもった。
ラブライブ!サンシャイン!!ってあるじゃないですか。
主人公の高海千歌ちゃん、先輩スクールアイドルμ'sに憧れつつも、彼女たちのように「輝く」ことなんてできないよ…と悩み続けていたのが記憶に新しいです。
「私ね、普通なの。
私は普通星に生まれた普通星人なんだって。どんなに変身しても、普通なんだって、そんな風に思っていて。それでも何かあるんじゃないかって。
思ってたんだけど。気が付いたら、高2になっていた。」
失礼な言い方ながら、こんな記事を読んでいるあなたのことでしょう。ぶっちゃけそんなに成功した人生を送ってるような方じゃないと思います。
年収が1000万、大切な人がいる、学歴、職歴、持ち家、彼氏彼女、人の価値を人が決める上でのステータスは各々が違います。それが高ければ低い人もいる。その高低で優劣をつけ、普段の生活で「アレよりはマシ」と比較し、なんとか穏やかな生活を送りたいと無意識に思っている。私は22年目の人生で、少ないながらも様々な本やドラマを鑑賞し、そんな人生を送っている人がほとんどなんだろうなと思いました。
年収1000万、大切な人がいる、学歴職歴etc... もしこれを読んでいるあなたが、これらのどれかを実際に所有しているとして、自分のこころに問いかけてほしい。
本当にそれで満足ですか?これまでの人生は胸を張って「満足でした」と即答できますか?
私はできません。
中学でそこそこ勉強を頑張って、そこそこの高校に入り、大学でもそこそこの大学に入り、来たる6月に23回目の誕生日を迎えて23歳になります。
昨年は海外留学も1年経験しました。多くの人とも言語を超えて交流をした気でいます。
来年からは就活が始まります。きっと、そこそこの企業に入るのでしょう。よくわかりません。
前置きが長くなりました。
これを読んでいるそこそこの人生を送るあなたにもうひとつ質問です。
本当に輝いている人をその網膜が捉え、脳裏にその映像が映し出されたとき、人はどうなると思いますか?
応えは、「受け止めきれない」です。
ラブライブ!サンシャイン!!の話に戻りますが、昨日2月25日(土)はAqoursの1stライブが横浜アリーナで開催されていました。
幸運なことに私も参加することができ、座席もセンターステージが近く、トロッコが通る通路真横という最高のポジションで、自分が本当にこんな席に座っていていいのかと思うほど。
はてな匿名ダイアリーで書くようなことでもないですが、私は本当にAqoursのある声優さんと結婚したいと思っています。ガチです。3年以内にLINEアカウントを交換するし、5年以内に結婚する。声優五カ年計画。
そんなことを言いつつも、「やっぱリアルの彼女もほしいよね」という訳で、先日「オタク辞める」宣言を発表したところです。
未だに携帯のアルバムから声優の画像が消えることもないですが、これ以上オタクみたいなイベントに行くのは辞めようという決意。
一方で、「某Aqours声優ちゃんと結婚したら、1stライブの話をされた時に反応に困る。要所要所でポイントを押さえ、共感しないと信用してもらえない。」という推測より、「Aqoursのライブには行こう。あれなら顔も覚えられないし。」という理由で今回のライブに参加した次第です。
結論、甘かった。
一挙手一投足、身体の頭からつま先、手の先の細かいところまで自分でコントロールしつつも、ステージの上で持ち前の若さと経験を武器に誰よりも大きく振る舞う彼女。
普段書かれているブログの文章のように、のびのびとして本当に自由。それでも、時折見せる20歳とは思えない刹那な慈しみの表情。本当に20歳とは思えない。
ライブ中盤。
トロッコを用いた楽曲で、某Aqours声優ちゃんが私のいるサイドへ。残念ながら私がいる方とは反対の、ステージ後方へと私の5m先で舵を切り、網膜がキャッチする彼女はどんどんと離れていってしまいました。
おとなしく切ない曲調だったこと、そしてそのなかでも可憐に踊りながらも私から離れる彼女を見てふと、「あんなに仕草が美しい人類は他にいない、絶対に結婚したい。」と思う。これまで彼女に対して抱いてきた感情で、一番強かった。
「来てよかった。彼女のパフォーマンスを見れてよかった。」そう思っていました。
ここまでは。
2曲目の曲中で、メンバー全員がトロッコに乗り、こちらへと向かって来ました。
私の横には通路、つまりこれから視界に何も遮るものなくAqoursを観れる。ヤバい。死ぬんじゃないか。しかもこの曲だけトロッコのスピードがやけに遅い。めっちゃ真ん前に来るやつ。
そうこうしているうちに、小宮有紗さんを先頭に多くのメンバーが目の前を通り過ぎるものの…私の方向から見えるのは正面ではなく、背中でした。
「それでもやっぱり声優さんってマジ綺麗だな。すげーわ。小宮さんとかあの茶髪どこで染めてんだろ、めちゃ綺麗。」とか油断していたところ、某Aqours声優ちゃんの番に。
「かわいい」
何もできない。
人は無力、何もできない。
あまりにも私の手の届きそうで届かない頭上で輝く彼女の姿を見て、私は何も為すこともできませんでした。
地下ドル現場のオタクみたいに「それ!」って言って指を指せばよかったのか、そんなことできない。思考が追いつかない。
μ'sのときはよかった。ステージの上にはライクの感情はあってもラブの感情を乗せることはなかったから。
南條さんを応援させていただきつつも、ラブな感情が芽生えることもなく、エモい時は「エモいなぁ。すげぇなぁ。」といったところで止まっていた。良くも悪くも。
好きな人がいれば、その動きに魅了され、感情の行き場がなくなる。
それを目の前でインファイト状態でやられたもんだ。無理、輝きすぎ。処理できない。
そしてその瞬間、初めて感じた「ステージ側の人間」と「ファン」の距離。
これまで3年以内にLINE交換したかった私、今思えば本当に甘かった。この両者の距離感を近所にある小川を飛び越えるくらいの難易度だと考えていた。甘い、甘すぎる。
何故なら、ステージで輝く彼女に対して、こちらは何を披露するでもなければ生産してもごくわずかなものしかクリエイトすることのできない「普通の人間」だからだ。
彼女の身振り手振りのひとつひとつには、幼い頃から鍛錬に鍛錬を重ね、養成所に入り私が想像することもできないであろうレッスンに耐え抜き、私の知らない場所と時間にもレッスンをして、私がのこのこと大学でスマホをいじっている時間にもバイトをし、私が暇だ暇だとぐだりながらバイトをしている時間にも練習をしていたその全ての結果が身を結んだオーラを纏っている。
その動きは、私のような普通の人間では手に入れる、意のままに操れるような代物ではなく、それに手を伸ばそうとしても、ホーリーピークという事務所、バンダイビジュアルや子会社のランティスをはじめとして、様々な権利がその手を拒む。
そもそも、何の努力もこれまでしてこなかった普通の人間と、私の経験してこなかったものを多く見て私の頭上で輝く人間が一緒になっていいはずがない。
大学受験の頑張り?留学の経験?そんなものケツ拭く紙にもなりゃしない。
海外留学で得た経験は所詮は蜃気楼みたいなもので、実際に今日あのシーンを脳裏に焼き付けた瞬間、それを受け止めきれることができなかった。
海外で得た経験なんか声優の前では無力だった、何も受け止めきれない、何も理解することができない。そんなもんですよ。
「私ね、普通なの。
私は普通星に生まれた普通星人なんだって。どんなに変身しても、普通なんだって、そんな風に思っていて。それでも何かあるんじゃないかって。
思ってたんだけど。気が付いたら、21歳になっていた。」
今からでも、変われるんでしょうか。
未だにくだらない下ネタを肴に男友達と笑いあえるメンタル中坊な私でも、就職までのあと2年で変われるんでしょうか。
そんなわけで、絶対に一般人ではないであろう、熱愛結婚報道等でよく用いられる「(お仕事の関係者だけど世間で言えば) 一般男性」になりたい、なろうと思います。バンダイビジュアルにでも就職しようかしら。そう思いつつも、帰りの電車で自分の頭上で起きたことがフラッシュバックしてきては、「本当に好きなのに絶対に付き合えない。無理。輝いてるもん。」とこころの下の方の扉を開けた深海へと今宵も意識を沈ませるのでした。
明日から頑張りたい、変わりたい。そう思いつつも、その一歩を踏み出せないまま明日も普通星人として横浜アリーナの1万人以上のファンのうちの1人と化して、流れるビートに身体を預けたまま、明日へと運ばれる電車で気づけば自宅のベッドに全重力を任せて眠るだけなのでしょう。
「某Aqours声優ちゃん、絶対今回のライブで人気出るよね。ライバル増えるよ、頑張って。」
これに関して一言。
それは関係ない。
果たしてそのなかの何人が、今日私が感じたようなキモチを味わうのか。
ひょっとしたら、そのなかには幼少期から彼女のことを応援し、日の目が当たらずよくわからんスマホアプリのCMに出ていたり、ノルマが課された演劇の舞台へと熱心に幾度も通いつめたファンがいるかもしれない。
ありがとうございます、あなたのおかげで彼女の輝く姿を今日拝むことができました。
こんな気持ちになったのは、幼稚園の頃に同じクラスだった知代ちゃん(仮名)を初恋だとするならば、おそらく2度目。
本気です。
彼女の舞台、まだ原石だった頃の彼女を見ているあなたは本当に羨ましい。時間は止められないと知って、君と早く会いたかったよ。本当に早く会いたかった。
所詮はラブライブ!サンシャイン!!という大箱コンテンツの、しかもアニメ放送後からファンになった身。
それでもやらなきゃならない。吐いた唾は飲まない。そこに関しては徹底して彼氏候補ナンバー1の座を意地でも奪いたいと思っています。
満足した人生を送ってますか?という最初の質問から普通の人として生きるまで。
現状、私はそこそこの人生を送っているものの、満足していません。
「幸せは足元に転がっている」
そうです、そんなことは百も承知です。それでも彼女と笑いあいたい、対マンで。サシで。頼むよ。
本当に満足して生活を過ごしたい限りです、過ごすぞ。
そんなわけで、Aqoursのライブが終わった明後日から生きられる自信がないので、どうすれば声優さんと結婚できるのか。「声優さんになる」以外の回答ができる経験談をお持ちの方は是非ともコメントいただきたいです。飲みましょう。
あと、本当に最後の曲が終わってアドレナリンが出まくってたのか、一目散にステージからセンターへと俊足で駆け抜け、おまけに自分の腰の高さまでありそうなくらいにモンキージャンプをしてけらけらと最後まで満面の笑みを見せた彼女。
4時間にも及ぶステージ。映像なんかがありつつも、やっぱり3時間くらいはステージで歌って踊っているわけで。
いくらダンスが好きだ、愛してると言いつつも、本当に他のメンバーを置いてきぼりにするくらい、アクセルベタ踏みで最高速度を叩き出せるあのスタミナは心底恐れ入った。
3時間のライブをして、普段トレーニングをしてるミスチルの桜井和寿さん。
彼もライブ中によく走るけど、彼女のようなスピードを出しているところは見たことない。おまけに、彼女は3時間のアクトを踊りきった後。
マジで怖かった。アドレナリン出まくってたんだね、表情からでもわかったよ。マジでテンション高かった、やっぱかわいい。
マジで身体のラインが出ていたので本当に辛かった。アイドルといえど、公衆の面前で身体のラインを出すのはやめてほしい。
本日ハマのステージで素敵なパフォーマンスを見せてくれたAqoursのメンバー18人の皆様。そして想い人の某Aqours声優さん。
は?
俺の行動である元日記が環境に影響して、お前はトラバ返して、立派に作用してるじゃねえか?www
何が環境に左右される、だ。
環境に左右されてるんじゃなくてお前は俺に左右されてるんだよ。
世の中はお互いがお互いの選択で影響し合ってできてるんだよ、
お前は選択せずに影響を与えずに他の人間の選択に左右されてるだけ。
逆の見方をしたらお前は間違いなく俺に作用して俺にトラバを返させてる。
選択権の争いで勝ち目がないと思い込んでるから運命とか環境とか虚構を作り上げてどうしようもないと思い込んでる病気。
自分で一生かけても選びたい選択肢がないから何かに理由をつけて悲劇のヒロイン気取りたいキショいナルシスト。
それがお前のアイデンティティの全て。
言い訳がお前の全て。
単にそれだけの話。
「環境に左右される」っていうのはな、今日の雨みたいに人間の力ではどうやっても変えようのないことを言うんだよ馬鹿。
お外で最もらしい顔で「ぼくが無職なのは、環境に左右されているから」とか言ってんじゃねーぞw失笑されるぞww
で、トラバ削除するのかな?
左右分かれ道があったら自分でどっちかのレバーを倒しているか、それに気づかず通り過ぎているだけ。
自分でレバーを倒した方向に進んでいるくせに非正規になって文句言う馬鹿、
こいつらは自分のトロッコの行先を自分で決められない、決めてる自覚のない馬鹿ども。
本当にレールから外れた宣言するなら誰も送ったことの無い人生に突き進めよ。
現状では、どこにでもいるし昔からいる文句垂れのカスのレールの上でしかないから。
ちゃんと全員レールの上走ってるし、ある程度予測立つ。
予測が立たないのもレバーを選ばないのもお前の能力ではなく、心の問題。
心というコストゼロに対してお前が自主的に何もしてないから発生してる問題。
そんなに考えて生きたくないならトロッコの中で空だけを眺めて崖に向かって突っ走れゴミ共。
頑張れよ。
(1)
・トロッコがAルートを通ろうとしている。Aルート上には5人の人間がおり、トロッコには気づかない。
・あなたは線路をAルートからBルートに切り替えられる。Bルート上には1人の人間がおり、トロッコには気づかない。
という話だ。
派生として
(2)
・トロッコがAルートを通ろうとしている。Aルート上には5人の人間がおり、トロッコには気づかない。
・あなたのすぐ傍に1人の人間(Bさん)がいる。あなたはBさんを確実に線路上に突き落とせる。
・Bさんを線路上に突き落とせばトロッコは5人の人間を轢く前に停止する。
というのもある。
ではこういうのはどうだ?
(3)
・トロッコがAルートを通ろうとしている。Aルート上には5人の人間がおり、トロッコには気づかない。
・あなたが線路上に飛び出せばトロッコは5人の人間を轢く前に停止する。
もう一つ考えよう。
(4)
・Bさんが(3)の状況下で線路上に飛び出て5人を救ったというニュースが流れた。
・あなたはBさんを褒め称えるか?
(3)と(4)について人がどのような選択をするのか気になる。
5巻収録分から週間連載になったらしく、クオリティや中身が別物になってたら困るので、
ただ朗読するとか地味なだけでしょと思いきや違った。
ただの吹奏楽マンガと思ってソウルキャッチャーズを読んだときに度肝を抜かれた感じと似ている。
あらすじ。
主人公は幼い頃に両親を失った、雲を見て空想するのが好きな女の子。
両親を失ってうまく話せなくなり、周りから浮きがちになるが、
また昔のようにくじけそうになっているところに朗読と偶然再会し、
類まれな朗読の才能で、気づかぬうちに周りと自分自身を救っていく――。
4巻までだと、
花咲山
が取り上げられた。
だからソウルキャッチャーズと同様、音が核であるはずのジャンルを扱う上での難しさがあるため、
生半可なマンガだと逆に朗読自体をコケにすることにつながりかねない。
しかも吹奏楽やピアノ等と違って、朗読はひたすら読むだけで絵面も地味になる確率が非常に高い。
そういった高いハードルをしっかりと助走をつけてきっちり飛び越していく、確かな地力のあるマンガだ。
朗読とは、ただ読むだけではなく、解釈と表現力によって完成するものであり、
一見シンプルだが奥が深く、簡単そうに見えて難しいことが存分に伝わってくる。
やまなしやトロッコをはじめとして、何も知識のない状態で黙読して読み流すだけでは絶対に意識しないような読解の視点が多種多様に呈示され、
すでに知っている物語をより深く味わえる面白さを知ることができる。
朗読という視点を得たことによって、より黙読の読書も奥深くなるという発見すらある。
また、単に朗読のハウツー本にとどまらず、マンガとしての完成度も高い。
超人の主人公によって単純に周りが救われる、下手すると勧善懲悪モノになりかねないようなことはない。
主人公自身も、様々な障害や葛藤を抱えており、朗読によってそれらと向き合い、少しずつ自己実現していく。
ただそれゆえに、主人公のトラウマというか問題のネタが尽きたときの展開のさせ方が心配にはなる。
でもこれだけのものを描ける作者なら、5巻以降もしっかりと中身の濃いものを提供してくれると信じたい。
(重箱の隅をつつくと、1巻のマリコとの出会いのきっかけは少々無理やりすぎるんじゃないかなとか、
選ぶ朗読作品とそれによって状況が解決される人間がいつもいるのが都合よすぎるように思えることもないわけじゃないけど、
実を言うと、だいぶ前に花咲山の3巻あたりまでを初めて読んだときは、面白いとは思ったがそこまで心にこなかった気がした。
それからだいぶ時間がたって、自分の周りの状況が大きく変わった今改めて読むと、ものすごく心にきて、地味だが静かな感動を覚えて涙が出た。