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はてなキーワード: トロッコとは

2015-07-12

田舎高校に通っている

 

田舎高校に通っている。田舎というか山村に近い。

卒業生に一人有名人がいるけど、40年も前の話だ。

多分、もう一生この高校から著名人が輩出されることはないと思う。

だって何もないから

 

入学した時に、担任が「日本国見渡してもバカ天才が一緒にいる高校はこことドラマの中くらいだ」

というような冗談を言っていた。このあたりでは事実上、進学先の高校一択しかないからだ。

 

でも違う。天才なんているわけない。

いるのは近所のスーパー駐車場代と称して後輩からタバコ徴収してる普段はやさしい不良と

通信量を気にしながらひたすらスマホソシャゲをやり続ける一般学生だけ。

 

この高校健全学生といえるのは毎日部活動に精を出してる熱心な運動部の人たちだけかもしれない。

ちなみにオタクはいない。(見えない)

 

そんな事を言いながら、僕もワイワイ楽しくソシャゲをやってるわけだけど

本当に人生の貴重な時間無駄にしている感が半端ではない。

このままだと高校生活の思い出は全部ソシャゲになるんじゃないのか。

 

決まって考える。今、東京高校生って何してるんだろう?

おしゃれなお店巡ったり、有名店の食べ物買い食いしたり、何かのイベントに行ったりしてるのかな

高校生でも参加できるようなセミナー勉強会があれば、僕も出てみたいな、と。

別に「ねーよw」とか「夢見すぎ」とか笑われても構わない。

とにかくそういう選択肢がある環境に生まれたかった。

 

中学の頃から荷台に切り株載せた軽トラを乗り回してたやさしい不良連中だってきっと思ってるはずだ。

まれるなら東京が良かったと。

不良だろうが、オタクだろうが、スポーツ少年だろうが、夢は政治家だろうが、結局都会に生まれないとその道に入門することもできない。

ここでの不良とオタクと一般学生の違いといったら、パズドラをめちゃくちゃやり込んでいるか、少しやり込んでいるかの違いだけ。

まり田舎には人それぞれの個性を認めるだけの許容量がないんだ。

 

東京に生まれ高校生には絶対にわからないと思う。

休日友達カラオケに行こうと思い向かっていると、前から来た別の同級生今日閉まってたよと教えられるような世界なんて。

高校に来て変わるかと思ったら、変わったのは今まで無料で入れてくれてた天文台おっちゃんが正規料金を取るようになった事くらいだった。

 

毎日顔を合わせるお隣さんの高校教師に聞いた所、今年の進学率は近年では最低になりそうなんだとか。

そのせいか僕の学年では、春からキャリアパスセミナーかいう名の、大学への進学を促す洗脳授業が増えていた。

僕の両親は高卒、進学したいとは言ってるが父は乗り気ではない。

 

そういう話をする時、決まって都会で一旗あげた田舎まれの中卒爺ちゃんの話をされるが

そんな発展途上だった時代と今を一緒にしないでほしい。

 

今、田舎に生まれることのアドバンテージなんて何もないんだよ

これっぽちも、だたの一つも、ない。

 

田舎しか出来ないこととか、ハングリー精神かいうけど

社会見学と称して近所のじいちゃんのトロッコ枕木直すことが何の役にたつんだよ

しかも危ないからトロッコにのるのはじいちゃんって、こっち何にも楽しくないよ。

 

こんな田舎に見切りをつけて都会の高校野球留学した渡部君は偉いと思う。

小学生の頃、親と一緒に引っ越していった越田さんも楽しく女子高生やってるんだろう。

 

結局、田舎に生まれるってことは3~12年の人生マイナス期間、負債を背負って生まれるってことだ。

 

インターネットはてなブックマークで見る世界と僕の目から見えるこの木ばっかの世界はまったく違う。

大学進学は当たり前、少しくらい英語勉強する気があって、社会問題にもちょこっと関心がある

この程度の条件でさえ、これを満たすような人間は僕のまわりにはまったくいない。

 

インターネットばっか見てるとバカになると母には言われるが

花粉の季節になると親戚から借りてきた防毒マスクを被って鍋を煮込んでいる母よりは普通だと思う。

 

そんな母が家族親戚で唯一、大学東京大阪に行かせてあげたいと強い口調で言ってくれた時は

本当に涙が出るほどうれしかった。

僕が奨学金の話をした時、母の給料からこっそり大学資金をもう何年も前から貯めてるから大丈夫

うちはそんなに貧乏じゃないから、と笑いながら教えてくれたあの日の事は多分一生忘れません。

 

ありがとうございます

 

そんなこんなで、木ばっかのこ風景を時折眺めながら、LINEのお誘いを断りつつソシャゲ封印して

大学生になったら、友達カラマツ乾燥方法やナラダケの美味しい煮込み方を教えてやろうとか妄想しつつ

他では負けても、勉強だけは都会の高校生にも負けないように頑張ろうと、たまに決意を改めながら

カタカタうるさい扇風機の横で2点間を結ぶ線分ABの外分点Cの座標を求める少し熱い初夏昼下がりです。

 

2015-06-22

ファンサ嫌いがファンサ厨になるまで

私が好きなジャニーズアイドルが出演するコンサートには「ファンサ」という文化がある。

それは「ファンサービス」の略で、ステージ上のアイドルがファンに、例えば手を振ったり、指差したり、投げキスしたり等の"サービス"を行うことを言う。

(ちなみに、この「ファンサ」は特定の個人に向けられる仕草を指す言葉で、辺り一帯のファンに向けたお手振りなどは「空気ファンサ」「エアファンサ」などと呼ばれ、ありがたみが一段どころか十段くらい落ちたものとされている。)

ジャニーズコンサートと言ってもベテランから若手まで色々だけれど、このファンサ文化は色濃いものらしく、どのグループにも必ずと言っていいほどファンサをするための時間セットリストに組み込まれている。

それは大体アイドルトロッコに乗って会場のファンの座席近くを移動する曲のときで、トロッコに乗ったアイドルは目の前を流れるファンに、手を振ったり、指差したり、投げキスしたりする。

ツアー名に自分たちグループ名を冠したデビュー組は、会場全部のファンを楽しませなくてはいけない(という建前)に対し、先輩グループの後ろで踊るジャニーズJr.は、自分のファンを増やすきっかけの一つとして積極的にファンサを行う。

…と言うのが、本題に入る前の「ファンサ」のざっくりとした説明。

本題は、「アイドルにファンサを求めるファンを心底バカにしていた自分がファンサを求めるようになってしまう」までの心境の変化だ。

これまで私は、コンサートにファンサを求めるファン(いわゆる「ファンサ厨」)に対して、

構ってもらえれば誰でも良くて大してそのアイドルのこと好きじゃないんだろ、

他のJr.に手厚いファンサもらったらさっさとファン鞍替えするんだろ、

薄情なやつらめ、と思ってバカにしていた。

コンサートでファンサを第一に求めるなんて彼らのパフォーマンスの足引っ張ってるようなものじゃないか、なんて憎々しくも思っていた。

自分は、ファンサなんてもらえなくても良い、ステージで精一杯ダンスしてるアイドルを見ているだけで充分幸せだし、誰かにファンサ貰ったからってサクッとファン止めるとか絶対ない。自分こそが"正しい"ファンだと思っていた。

から、私はコンサートでもアイドル名前が書いてある団扇は持つけど、「○○して」という要望を書いた「ファンサ団扇」的なものは持たなかった。

自分こそが"正しい"ファンだと思っ(ry

そんな私が変わったのは今年の春。

好きなアイドルジャニヲタ的に言うと自分担当するアイドル自担、が出演するコンサートツアーが始まった。

今まではチケットが当たった席でコンサートを観ていたけれど、せっかくのコンサートツアーなんだから自担がよく見える席に座りたい!と決意を新たにして、ここぞと思う場所を選んでチケットを手に入れるようになった。(チケットを定価以上で買っている時点で一般社会を生きる人間として一線堕ちたとも言える。)

自担がよく見える席とは、すなわち自担の視界に入ることのできる席でもあるので、だいたい公演の度に自担が私の団扇を見つけると、「あ、気づいてくれてる」と私が実感することのできる反応が貰えた。もちろん、それは私個人を認識しているわけではなくて、自分名前団扇を持ったファンがいるな、という反応だけれども。

でもこれまでのコンサートでは、自担に気づいてもらうなんて発想はまったく無かったから、「こっち見てる!!!」って実感する衝撃はとても大きかった。

ファンサが手厚いアイドルお手振り差し投げキスに留まらず、エアハグとかエア壁ドンとかファンと2人で指でハート作ったりとかetc、もはやファンサ自体も一つの見せ場であるかのように張り切って色々見せてくれるので、そういうのに慣れている人から見れば私が喜んだ自担のファンサなんてファンサとも言えない仕草かもしれないけれど、でも喩えようのない嬉しさだった。

コンサート自担団扇を持ち、それに自担が気づいてくれる。

それは華やかなステージ上のパフォーマンスと同等か、それ以上の興奮で。

全国に何万人いるかからないファンの一人でしかない私だけど、自担に私が応援しているということを知ってもらえる嬉しさ、あなたのファンがここにいると分かってもらえる喜びは、自己満足だけど抜け出せない快感で。

そのおかげで、今春のコンサートツアー概要ほとんど覚えていない。

いつ自担が私の方を見てくれるか分からないから自担視線から目を離せない。○○くんがバク転したというレポートを読んでも、そのバク転が会場の視線を集めている内にもしかしたら自担はこっち見てるかもしれないなんて思ったらよそ見なんてできない。豪華なステージセットも、今話題Jr.活躍も、迫力ある大人数でのダンスも、全部観れてない。自担視線しか追ってない。

果たして、こんなんでツアーを楽しんでいると言えるのか?

これは"正しいファン"と言えるのか?と疑問が浮かぶようになった頃。

自担に干された。

「干され」とは、わざと自担にファンサしてもらえなかったの意で、私のように自担が私個人を認識していない状況ではわざとも何もないので、厳密に言えば「干され」と言うより、きっとただ単に気づいてもらえなかっただけなのだが、福岡横浜もほぼ同じ席入って反応くれていたことを踏まえるとショックだった。

そして、自担に反応貰えたかどうかがコンサート満足度に影響するようになったことを自覚した。

ただ平穏パフォーマンスを観て自担のかっこよさに感動していた今までの自分とは違ってしまっていた。

もう"正しいファン"ではなくなっていた。

自担も、コンサートに出演している皆も、一回一回の公演に全力で臨んでる。

その努力と熱意のステージを目の当たりにしてもなお、自担が私に気づいてくれなかっただけで、そのコンサートは色褪せてしまう。

自担の気まぐれとサービスである「ファンサ」を何よりも望んでしまう。

これは、自分が何より馬鹿にしていた「ファンサ厨」ではないのか。

「○○して」というファンサ団扇を持たないことで自分はファンサばかり求めるファンとは違うと自負していたが、心の中では誰よりも「自担こっち見て!気づいて!何かファンサして!」と念じて会場に突っ立っている自分は立派な「ファンサ厨」ではないのか。

アイドルグループとしてどんなステージを魅せてくれるのか」よりも「自担が私にどんな反応をくれるのか」なんていう些細でちっぽけなことが自分の中で重要になっていく。

アイドルヲタクなんて、アイドルの夢に乗っかってばかりの自己満足しかないけど、それにしても自己満足自己完結過ぎる。私のファンサ欲を満たした所で自担の道はどこにも繋がらない。自担の道はファンサとは別の場所にあるべきだ。でも、私はファンサが欲しい…。

というファンサ沼に腰まで浸かったところで、ファンサに溺れて初めて気づいた悩みの種がもう一つ。

コンサートツアーで今まで反応を貰えてたのに初めて干されたことで、「応援すれば自担は喜んでくれる」という今まで信じてきたことが揺らいでしまった。もしかしたら、毎公演の様に視界にねじまれる私の団扇自担にとって気持ち悪いものではないのか。自信を持って作り上げるコンサートは一人でも多くのファンに観てもらいたいのに、なんで同じ奴ばっかなんだよ!って憤っていないとも限らない…そう思うと、足がすくんだ。

もし次の公演でまた反応もらえれば「毎回同じような反応を求めるのは贅沢だし、スルーされる時もあるよね」と前向きに思えるけど、次も干されたら、「やっぱり私の応援は必要とされてないんだ!」って気持ちがメキメキ大きくなって、これまで通りに自担を応援できなくなってしまう。

コンサート披露されるパフォーマンスも、自担視線という局所的にしか楽しめなくなってしまうと同時に、自担に干されたら即ち自担は私の応援なんて必要としていないんだぁぁぁわぁぁぁん的な袋小路に突っ走ってしまう私は、きっとファンサなんて知らなかった頃より地雷が多いし、コンサートを楽しめてない。"正しいファン"が聞いて呆れる。

たった半年前までは、ファンサ厨は自分幸せしか考えてないからファンとしての質が低い、くらい思って見下していたのに、自分がファンサを貰ったらその魅力にあっさり堕ちた。

そんな自分をとても情けなく思うし、この先ファンサを貰えなければすぐ「自担にウザがられてるかも...」と疑心暗鬼になってしまうし、何より自担に気づいてもらえる席を買い続けるお金のことを考えると頭が痛い。ファンサ厨なんて自縄自縛の沼だ。

でも、もう戻れない。自分がいることを担当が気づかない席でコンサートなんか観たくない。

時間は不可逆で、自分がいることを気づいてもらえた瞬間の興奮を味わってしまったら、その瞬間が無いコンサートなんて気の抜けた炭酸だ。

こうしてファンサ厨が一人できあがりました。

2015-02-19

http://anond.hatelabo.jp/20150217160846

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「同じ金額ならワクチンの方が助かる人の数は多いよな」と思ってしまう。

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各個人の命の価値は可換で量に還元できるという立場だな。これは功利主義をとる立場であって現代ではよく引き合いに出される価値観だが問題点も多い。それでは「トロッコ線路上に居る5人の作業員」の喩え話をしよう

っていうのが数年前に流行ったな。

2014-04-02

http://anond.hatelabo.jp/20140402095230

まずは病院へ行こう。

それで病気だと診断されたら後がないんじゃないかという危惧もあるかと思う。

ただ、そのまま何もしなければ、先がどうなってるのか分からないトロッコに乗ってるようなものだよ。

現状を把握したら、今よりほんのちょっとでも良くなるにはどうすればいいか考えよう。

辛い時は考えるのも嫌で、何もかも流れに任せてしまいたい時もあるけれど、一歩踏み出さなければ状況は良くならない。

二つ以上考えたら、その中で『他人に相談された場合自分が薦める案』をやってみる。

何もしなかったから何もうまくいきませんでした、と言うよりも、

うまくいかなかったけど、やれることはやったと言いたいじゃない。

2008-02-26

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ジョルダーノ・ブルーノ。地動説を擁護し火刑に処せられた。

1932年ナチス党230議席を獲得し第一党となる

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[集団浅慮]世論に総論なし、整合性のない各論あるのみ。

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公共施設(特に鉄道)での黒人分離は人種差別に当たらないとし、これを合憲としたアメリカ合衆国の裁判 最高裁判決は1896年5月18日に下された 7対1の賛成多数によって判決は下された。

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月収はわずか27ポンド

27英ポンド

多数者の利己主義・・五木寛之氏の引揚体験から

平壌と38度線の中間にあった沙里院(さりいん)のガードポイントトラック突破するときでした。

それまで何度も止められましたが、そのたびに時計万年筆などの貴重品を渡して、見逃してもらっていました。

それがここでは女を出せと言われた。これは本当に困りましたね。

 若い娘はまずい。子持ちはダメ、あまり年上もよくないということで、

結局は元芸者さんなどの水商売をしていた女性や、夫や子供を失った未亡人に、みんなの視線自然と集中するのです。

そのうちリーダー役の人物が土下座して「みんなのためだ、行ってくれ」と頼んだ。

みんなから射すくめられるように見られるのですから、その女性は出て行かざるをえません。

そうやって女性を送り出していった人間が、生きのびて帰ってきたわけですから

(中略)

 さらにひどいことに、女性明け方、ボロ雑巾のように帰ってくると、

ロシアから悪い病気うつされているかもしれないから、あの女の人に近寄っちゃだめよ」と、

こっそり子どもに言う母親がいた。

本来であれば手をとってお礼を言ってもいいのに、そういうことを言って蔑んだ目で見る。

戻ってきた女性の周囲には誰も近寄らないのです。

私は日本人でありながら、日本人に対する幻滅が強く涌いて、いまも後遺症が消えません

文芸春秋5月号 対談 五木寛之 藤原正彦



ジェレミ・ベンサム - Wikipedia

最大多数の最大幸福は「80対20の法則」で崩れる

民主主義とは『多数派(の世論)による専制政治』トクヴィル

[アローの不可能性定理][民主主義][じゃんけん][trade-off]

[集団浅慮][多数決][民主主義]アビリーンのパラドックス

防災心理学、正常性バイアス、多数派同調バイアス、

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多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。セネカ

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[魔女狩り]200万人とも300万人とも

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