はてなキーワード: イスラームとは
https://twitter.com/hanapuepue/status/678021785414074368
一言でまとめると、「急な欠航でJALに振替搭乗したイスラーム教徒に、JALが豚肉を含む機内食を提供した」。
これに対し、「(髪を隠しており、ジャカルタからの搭乗で)イスラーム教徒と分かる乗客に豚肉を含む機内食を提供する前に本人に確認すべき」
「そもそもイスラーム教徒の多い国発着の便で豚肉を使った機内食を出すべきでない」というのが佐伯氏の主張である。
イスラーム法において許される行為、狭義にはイスラーム教徒が口にできる食材を指す。
対義語の「ハラーム」はしてはならないこと、禁止された行為を指す。
日本人にも馴染みがあるものとしては、豚肉を食すことなどが該当する。
このようなハラームでない食事として、ハラール食が提示される。
確かに、国民のほとんどがイスラーム教徒である国のナショナルフラッグキャリアでは機内食はすべてハラールであり、豚肉等は一切使われない。
インドネシア航空、エミレーツ、エティハドなどがその例である。
今回のケースは、当初予定したキャセイの欠航により急遽JALに振替搭乗した乗客に関して起きた。
(彼らはキャセイに対しハラール食の希望を出していたが、JALにはそれが伝わっていなかった。)
それを考慮するに、今回のようなケースではCAが魚を選んだ乗客に豚肉の伝える配慮があってもよかったのかもしれない。
一口に「イスラーム教徒」と言ってもハラームの捉え方は個人により異なる。
また、クルアーンはやむを得ない場合にハラールでない食事を摂ることを許している。
勿論希望する人すべてにハラール食をいつでも提供できればそれがベストだろう。
イスラームの聖典の一つであるハディースには「イスナード(伝承経路)」と呼ばれるセンテンスがあって、各パラグラフは次のような構成になっていることが多いんだ。
「「「「「~」と、ムハンマドが言った」と、アル・ナントカが言った」と、アブドゥル・ナントカが言った」と、イブン・アル・ナントカが言った」
本文だけ読みたい非イスラーム教徒が見るとうんざりするような引用の入れ子だけど、当時においてはこのイスナードの存在が「出典の担保」という重要な役目を果たしていたんだ。ムハンマド死後の神学者の重要な仕事は、イスナードに現れる学者の名前をすべてクロスチェックし、信用できる引用とそうでない引用を分けることだった。だからイスラーム神学は実証主義的歴史学の走りだと言う人もいる。
さて我々が倫理や価値観などについて議論を戦わせる時は、引用を重ねるよりも意味を確かめることを重視するよね。「つまりこういうことかい?」と言い換えて理解のすり合わせを行うこともあるだろう。論理の妥当性をめぐって話し合っているのだから、論理が正しく伝わるかぎり表現には変化の余地がある。間違って伝わっていたなら改めて別の表現で伝え直してもいい。
しかし究極に高まった存在である高能様のお言葉を読むときには、「こういう意味かな?」などと自分なりの解釈を試みてはいけない。それはお言葉に論理の枷をあてはめようとする冒涜的行為となる。そうではなくお言葉をテクストと捉えて歴史学的アプローチを採用し、他分野の人にとっては冗長とも見えるような引用を用いてでも、「一言一句誤りなく伝わっているか?」を重視する必要があるんだ。伝承の真正性さえ確かならば意味や角度について思い悩む必要はないんだよ。それらは人生の中でおのずと明らかになるはずだから。
イスラームの教義における性
婚外セックス・レイプ
一般的なシャリーアの解釈では、同意の上での婚外セックスを犯した男女は、既婚者の場合投石による死刑、未婚者の場合100回の鞭打ちである。またレイプに対しては、加害者は投石刑に処される。
実際のイスラーム世界における性文化
婚外セックス
(略)
上に挙げたとおり、同意の上での婚外セックスへの刑罰は、シャリーアの規定上は男女平等であるが、実際はこのような場合、男性の側は『女が誘惑した』と言い逃れをするのが常道であり、司法部もかなりの事例においてこれを認めるので、男女ともに死刑になるべき事例であっても、実際は男性の側は酌量により鞭打ち100回、女性のみ死刑となることが少なくない。
(略)
それに加え、上記にあげたレイプ被害者に対して求められるイスラーム教徒男性4人の証人の確保も現実の男性中心的な社会では難しく、意を決して性的被害を訴えても、同意の上での婚外セックスであるにもかかわらず、男性を落としいれようとしたとして、逆に姦通罪や偽証罪に問われ投石刑で処刑される事例が少なくない。
(略)
また国法での罰則とは別に、未婚者の女性の婚外セックスは、同意・レイプ問わず、家族の名誉を穢した汚らわしい行為として見られ、私刑として殺されてしまう事例が少なくない。
イスラム教的には、現代社会に合わせてコーランを何とかマイルドに解釈しようとしているほうが「牽強付会」なんだよね、たぶん。
もちろん、非ムスリムからすれば、どんどん牽強付会してマイルドになってくださいって感じなんだけど。
自由主義者の「イスラーム国」論~あるいは中田考「先輩」について - 中東・イスラーム学の風姿花伝
ジハードに関する中田考氏の立場は、イスラーム世界の中で、少なくともアラブ世界においては、さほど極端な意見ではなく、一つの有力な考え方であると見られます。ただし実際に実践することができる人はそれほど多くないとされる立場です。
中田考さん(イスラム法学者でムスリム)が叩かれてるようなので、ちょっとだけフォローしたい。
(なお自分はムスリムではないし、かの美しいと有名なクルアーン(コーラン)も注釈でしか触れたことがない)
六信五行なんて訳されることもあるが、ムスリムは義務としての決め事が多い。
判りやすいところでいくと、ザカート(Zakat)というのがあって、これは義務的な施しにあたる。
翻訳の難しいところで、これは税金として解釈されることもあるし、喜捨つまり寄付の一種と看做されることもある。
財産税による社会福祉と言うのが実体に近く、アッラーフに寄進して、それを皆が使う、という再分配機能になっている。
と、言うようにイスラームというのは宗教であるのだが、その根幹が社会制度になっている。
王様が世捨て人を経て悟った宗教とか、大工の息子が突如悟って国教になっちゃった宗教とは違い、
砂漠のど真ん中で戦国時代やってたような連中をまとめ上げてサバイブしてきた宗教なので、
政(まつりごと)やってる連中に好きに利用されちゃう宗教とは違って、
なので、イスラーム共同体を作り守り広げるぞ、いう感じなわけだ。
ウンマ・イスラーミーヤ(ummma islamiya)とか言われるものがそれになる。
で、ジハードのことを聖戦と訳すとまたややこしいことになるんだが、
「アッラーフのための奮闘努力」が多分一番近いニュアンスになる。
意外(?)な事に、大ジハードとは個人的な内面の戦いになる。現実の戦争とか小ジハードなのね。
ラマダーン(断食月間)だとか、宗教的に正しい行いをするのはより困難で重要である、というわけ。
これは、大体の法学者が見解を一致する数少ない部分でもあって、かなり重要な概念なのです。
宗教というよりは生活様式というかまんま国是みたいなものですというのを理解してもらった上で、
さらにムハンマドにもたらされたクルアーンは絶対、というのが義務として五行に組み込まれていて、
ムスリムはみんなそれを守るのは重要だと考えている、という前提をおいた上で、
ダール・アル=イスラームと呼ばれる、イスラーム世界というのがあるわけです。
ダール・アル=ハルブと呼ばれる、非イスラーム世界というのもあるのです。
自分たちのルールとは、違うルールを使ってる世界、というニュアンス。
すると、当然、自分の家を守るのは義務、ということでイスラーム世界を守るのは義務なわけです。
宗教は自由なので無理強いはしないけど、イスラーム世界のルールには従おう、みたいなのがあるのです。
結果、非ムスリムは許容するけど、非イスラーム世界をイスラーム世界に組み入れる努力を怠ってはならない、
という、ワリと複雑なことになっているわけです。
まあ、正確にはアラビア語のクルアーンを読むべきなんだけれども、
不信仰者の攻撃を受けて背を向けてはならない、戦略的撤退等を除いてはアッラーフの怒りを被り地獄に住むことになる、とか書いてある。
そうすると、非イスラーム世界からの攻撃に、ムスリムは防衛する義務があって、背を向けてはならないわけです。
そして、非イスラーム世界の代表例とも言えるのがアメリカ合衆国で、これに背を向けられないと。
ただし、害がない場合(イスラーム世界と和平を結びたがってる異教徒)には、和平を結んでも良い、とされている。
ムスリムである中田考さんの会見は、同胞であるムスリムに対する呼びかけになるわけですね。
イスラーム国をムスリムでないと断定できれば攻撃したり非難したりすることは簡単なんだけど、それは出来ない。
すると、非イスラーム世界と戦っている!と言われれば、背を向けよ、とは声掛け出来ない。
日本政府側には「ムスリムは異教徒と戦って背を向ける事は出来ない(地獄に落ちる)ので、戦うとか言わないで」とまず言ったと。
テロリスト、非テロリストという枠組みではなく、まずイスラーム世界と非イスラーム世界との枠組みの話ね。
で、トルコ経由で人道支援に限って渡すことも出来るよ、仲介するよ、と。
「日本政府の資金は、人道支援に限ってるよ(戦うために使っているわけではない≒非イスラーム世界だが敵対中ではない)」
「(君らも知ってると思うが、安部総理はトルコ・レバノンへ支援すると言ってるわけで)トルコ経由で渡すこともできるよ」
「双方にとって時間が短すぎるよ、そこはなんとかならんかね。自分もそっちに行くよ」
「ヤージディー教徒は解放したよね。そういう態度の方が、主張は通りやすいよ」
ムハンマドにもたらされたクルアーンは絶対、という前提のもとでは、攻撃に折れよとは絶対に言えないわけです。
ただ、テロリストとは交渉しない、テロリストに金を払わないという日本政府側の前提も曲げられないと。
すると、日本は非イスラーム世界だが、人道支援に限って金を出しているので敵対中ではなく、和平を望んでいると、
イスラーム国もムスリムなら、小ジハードを止めろとは言わないから、異教徒に寛大でも良くないか、
そもそも時間も短すぎるし、ちょっとムスリムの法学者たる自分が間に入るから話を聞いてくれまいか、
と、そういう声掛けになるわけです。
質疑応答でも、身代金を払うんじゃない人道支援だ、と繰り返し言ってるのが、板挟みの回答になってるわけですよ。
まあ、ワリと中田考さんはイスラーム国側に立った物言いしてるわけですね。どちらかと言うとメッセージになってる。
敵対すると同じ派閥であっても即処刑する人達なので、非難して即斬首とか困るわけですよ。当然ながら。
(もちろん、ムスリムがみんなこうかとういとそうじゃなくて、過激派は認めないとか、イスラムの名を利用した単なる侵略だ、とか言ってるトコロも多くある)
とういわけで、ワリと詰んでる状況で、譲歩を引き出す限界ギリギリのところだったんじゃないかなあと思うわけです。
だって、日本は米国と協調路線で、ガッツリ名前出してISIL壊滅の為にイラク政府に手を貸すとか言っちゃってるわけで。
本来なら政府はテロリストと交渉しないので、引き伸ばしつつ救出(奪還)作戦を展開して成功させないといけないわけで。
家族とか所属会社経由で身代金に応じるっていう裏取引(政府は目をつぶる)も、時間が短すぎると。
すべての物事には必ず難癖がつけられるというのがポリシーです。こんにちは。
さて、人質事件無事解決すると良いですね。
特に腹案もないのでそれについては何も言えませんが、リテラシーを見るに良い題材なので、具体的に書いてみたいと思います。
プロのデバッガーになると、症状を聞いただけでバグってるところのアタリが付けられるそうですが、
なんか変だな?と思うポイントというのも、実はアタリが付けられます。
身も蓋もないですが、素人がある一定の信頼を置くのはどこかというと、書き手の所属だったりします。
はい。聞こえそうな非難は百も承知ですが、確率的に「自称専門家」と「大学教授」なら正しいのは教授です。
(ただし、専門領域に限る。工学部教授が医学に口出す時は「自称専門家」扱いしましょう)
*今回の殺害予告・身代金要求では、日本の中東諸国への経済援助をもって十字軍の一部でありジハードの対象であると明確に主張し、行動に移している。これは従来からも潜在的にはそのようにみなされていたと考えられるが、今回のように日本の対中東経済支援のみを特定して問題視した事例は少なかった。
(中略)
そうであれば、従来から行われてきた経済支援そのものが、「イスラーム国」等のグローバル・ジハードのイデオロギーを護持する集団からは、「欧米の支配に与する」ものとみられており、潜在的にはジハードの対象となっていたのが、今回の首相歴訪というタイミングで政治的に提起されたと考えらえれる。
という記述を観た時に、リテラシー的にまずおさえておくべきことは、
普通は、この程度で「ふーん、そんなもんか、他のニュースではどう言ってるのかな」と思えば良いわけです。
が、自分の主義主張とは違うので難癖つけしたい時は、見るべきポイントが実は違います。
(まあ、リテラシーとして「変な偏向がかかってないかな?」と確認したいとき、でも良いわけですが)
*「集団的自衛権」とは無関係である。そもそも集団的自衛権と個別的自衛権の区別が議論されるのは日本だけである。
現在日本が行っており、今回の安倍首相の中東訪問で再確認された経済援助は、従来から行われてきた中東諸国の経済開発、安定化、テロ対策、難民支援への資金供与となんら変わりなく、もちろん集団的・個別的自衛権のいずれとも関係がなく、関係があると受け止められる報道は現地にも国際メディアにもない。今回の安倍首相の中東訪問によって日本側には従来からの対中東政策に変更はないし、変更がなされたとも現地で受け止められていない。
さて、さっきまで言ったとおり専門領域外については、自称専門家扱いするのがリテラシー的には良いわけです。
なので、2番の「従来の対中東政策に変更はないと現地で受け止められている」は正しそうでOKですが、
1番の「集団的自衛権と個別的自衛権の区別が議論されるのは日本だけ」というのは、ナンカ変だな?と思った方が良いわけです。
ブログ筆者は、(自称)池内恵さんであって、イスラム政治思想が専門なので、国際法の専門家では無いからです。
つまり、「素人が専門家の予測にケチをつけるのは難しい」と言うのが大前提な上でケチをつけるには、
イスラム政治思想研究を専門にやってる人よりも精度良く予測できると思うだけのナニかがなければいけないわけです。
(たまにそういうこともある。自分の専門領域で、相手よりも情報を多く入手できる立場にいる等)
もしくは、「素人が素人にケチを付ける」状態まで持って行くことが必要です。
同じ土俵でなら、技のかけようもある。
例えば「集団的自衛権は、個別的自衛権よりも適用範囲が曖昧な為、国際司法裁判所沙汰になることもある。当然日本以外でも区別されて議論されている」等。
(逆に言えば、なんか礼儀知らずの記者にその辺煩く突っ込まれて専門外なのにキレてんだろうな、という予測をした上で、塩をすり込むワケです)
あーなんか気に入らない、なにか反論したいと思った時、大抵の場合他の人が先にやってくれています。
これは「俺は素人だけど、なんとなく違う気がする」というレベルでOKです。自分の感性は大切にしましょう。
taro terahara @srgmtaro 2015-01-21 07:39:09
池内恵のこの意見は強弁。安倍晋三はイスラエルで、どうみても「従来からの政策」とは言えない「イスラム国に対抗する国々への支援」を名言してる訳だし、イスラム国からの声明にもそれははっきり示されている。従来通りの支援を継続することが理由ではなく敵対する立場の表明が理由じゃないの。
この人はどういう人かというと、http://srgmtaro.jimdo.com/profile-1/ にあるようにバーンスリー(インドの横笛)奏者で有名な人ですね。
なので、インド音楽とか、横笛の演奏技法については信頼して良いけど、今回のは専門外だなあ、と思うのがまず一歩目。
直接的にISと対峙するトルコやレバノンなどの国々にISと戦う兵力や施設を整えるためのお金を提供すると読むのが当然です。今までの政策を変更したというメッセージに受け取られても仕方ありません。
前衆議院議員の三谷英弘さんです。(残念ながら専門は知的財産権、個人情報等)
専門外だけど、流石に元議員さんなら変なことは言わない訓練を受けただろうと予測して、この発言を使いたい。
裏取り、と言うか、証拠集めですね。
なんか難癖をつけたい。既に反論書いてくれてる人がいる。使いたい。
今回は、元議員さんがヒントをくれてるので、外務省のページをググりましょう。
イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します。
安倍総理大臣は「ISIL対抗の為に支援します、総額で2億ドル程度」と明確に言ってる。
次は、「従来の政策と違う」事を示したい。
が、探せども探せども出てこない。
両者は,ISILの脅威に一致して対応する必要があるとの認識を共有した。 岸田大臣からは,ISILの脅威に対抗する国際社会の連携が強化されている旨述べ,活発な広報活動への対抗,資金調達と人員流入の阻止,暴力的過激主義対策といった取組も重要である旨述べた。
米国と一致してって言っちゃってる。米国はISILには結構強気なのはご承知の通り。
(過激なオバマさんの2014年9月10日のスピーチはこちら→http://japanese.japan.usembassy.gov/j/p/tpj-20140911c.html)
イラク政府を含む国際社会のISILに対する闘いを支持し、必要な協力は惜しまない考えであり、ISILが弱体化され壊滅されることにつながることを期待する旨述べました。
更に岸田大臣から、今般、イラク国内避難民への人道支援として、新たに約2,000万ドルの支援を国際機関を通じて行うことを決定し、他の周辺国支援と合わせ、総額約2,550万ドルのISIL対策支援を決定した旨述べ、イラクの安定と国家的統一に向け、支援を継続していく旨伝達しました。
やはりイラク政府に岸田文雄外務大臣が、ISILの壊滅を期待するし総額約2,550万ドルのISIL対策支援をするよ、と言ってる。
ダメか。
ISILの脅威に対抗するため,日本は,軍事的な貢献はできませんが,人道支援やテロ対策に積極的に取り組んでいきます。今般,日本は,新規に約2550万ドルの支援を行うことを決定しました。
事務方じゃなくて、政治屋側の補佐官も「軍事的な貢献はできませんが」とハッキリ口にしつつ、ISILの脅威に対抗するために金を出すと言ってる。
テロはいかなる理由によっても正当化できず,我が国は,このようなテロ行為を断固として非難し,イラク政府によるテロとの闘いを支持します。
((文中に『テロ組織である「イラクとレバントのイスラム国(ISIL)」が』と言及有り))
そもそもテロ組織から(自称)イスラーム国に転換したのが2014年6月下旬だもんなあ。
さて、そういうわけで、残念ながら難癖の付け所は「集団的自衛権」の部分のみになってしまいました。
こういう時には「イスラム文化に関連の深い人」が、「今までは2000万ドルなのに、今回は2億ドルと桁が違う」と一気に10倍にしたところが方針変更だ、と強弁してくれるのを待ちましょう。
閑話休題。
さて、結論としてははてな村の皆さんに最も嫌われそうな「誰が発言しているかで信頼性を担保する」という結論に落ち着きました。
その道の専門家が、その道の話をしている件に対してケチを付けたい時は、慎重にしたほうが良いよ、
意外にググれば裏取りも出来なくはないよ、というお話でした。
まあ、本当は専門家も複数の見解があるはずで「この専門家って本当に専門家として大丈夫かなあ」と素人は判断できないので
「偶像崇拝の禁止!」 だから、イスラーム映画では弟子や信徒たちが「画面の外にいるムハンマド」に話かけたりしながら物語が進む。「提督」がぜったい画面に映らない仕様なのは、絶対にムハンマドを写さないイスラムの宗教映画みたいだった。
ムハンマドが画面映らないのは、ムハンマドの「偶像」なんかを、ムハンマド本人であるかのように崇めてはいけないからである。
「汝らのために大地を置いて敷床となし蒼穹を建立し、蒼穹から雨を下して種々の果実を実らせ、それで汝らの日々の養いとなし給うた御方。されば偶像のたぐいを、それと知りつつアッラーと等し並に崇めたりしてはならぬ」(コーラン2.21)。アッラーは唯一神なので、偶像みたいな複数あるものはダメとも言える。ムハンマドも最高の預言者なので(ry
艦これの場合は、もともとの意図は「艦娘という偶像を楽しむには唯一特定の提督は不要」ということなんだろう。でも提督が映らないことで提督の「唯一性」を確保することになり、それは結局、「提督は艦娘にとってはアッラーにも等しい存在なんである」なんていう男性視聴者の痛い妄想が暴露されっちゃったようで、ちょっと気まずくなった。男性視聴者「たち」の一人だから、この自分は。
日本は宗教に寛容な国であるので、境界線もあやふやで、曖昧だったりする。
例えば、イスラム教徒のことをムスリム(Muslim)と呼ぶということは知っていても、
その認識は、回教徒と呼んでいた頃から変わっていなかったりすることが多い。
襲撃を受けたフランスの新聞が、ムハンマド(Muhammad)を風刺画に書くことの何が問題か、
できるだけ、テロとは距離をおいた形で、少し話してみたい。
イスラームの話をする前に、我が身を振り返ってその曖昧ぶりを思い返してもらいたい。
まあ、宗教のテクニカルな話をすると、はてな村のギーク達は「あとで読む」を付けるだろうから、ちょっと例えてみよう。
まず、仏教には「世界はこういうものだ」という物理層がある。輪廻だとか解脱だとかだ。
モノリシックカーネルもマイクロカーネルも、OSの設計思想も、
結局のところ、ノイマン型アーキテクチャを基にした世界観の上に構築されているわけだ。
宗教とは、目の前に存在する「現実」をリバース・エンジニアリングしている。
その構造分析の結果、あるモデルにピッタリハマれば「悟った」と言われる。
般若心経は、Z80の手書きのニーモニック表と同様だと思えば、親しみも湧くだろうか。
さて、「現実世界」は中々簡単にディスアセンブル出来ないので、
できればインテルから直接、回路図なんかの技術資料をもらうみたいに、
「現実世界」を作り上げたり、その内部構成を知ってる相手に教えを請いたい。
その教えを請うことに成功したのが、預言者であるムハンマドだ。
大天使ジブリールに出会い、アッラーフの啓示を受けたとされている。
電気屋で悩んでたら嶋正利さんにCPUの論理設計について教えてもらえた、みたいなものだ。
まあこのへんでやめとくが、この教えてもらった世界の仕組みを書き留めたものが、クルアーン(コーラン)だ。
血なまぐさい話になるのでさらっと流すが、まあ日本でも大覚寺統と持明院統とが大揉めに揉めて南北朝同時成立したりしてたわけだ。
さて、「現実世界」を理解しハックしたのがムハンマドってことは、クルアーンに従って生活するのが良いわけだ。
つまり、本質的に宗教は「現実世界への関わり方」を示していることになる。
(残念ながら注釈でしか読んだことがなく、その美しいアラビア語による原典に触れたことはないが)
世界への関わり方は、時として人によって酷く違った解釈をされることがある。
デヴィット・フィンチャーの「セブン」という映画を観たことがあるだろうか?
キリスト教の七つの大罪をモチーフにした連続猟奇殺人事件と、それを追う刑事達の物語だ。
フィクションでは分が悪いと思うのであれば、エド・ゲインを思い出しても良い。
母親が狂信的なキリスト教信者であり、女性は悪魔だと教わって育ったと言う。
彼らは、その教えを忠実に守り、どちらかと言えば善意からその行為を行っている。
こうした連続殺人を観て、キリスト教信者をなじったり、キリストを風刺するのは、あまり面白いとは言えない。
彼らは、キリスト教信者ではあったかもしれないが、本来の教えとは異なる解釈をした、単なる犯罪者だからだ。
まあ、現代でもキリスト系のパロディー映画には苛烈な抗議文が届いたりするようだが、
過去、キリスト教会に対する風刺や批判は、即刻刑罰の対象になっていた時代が確かにあった。
「聖☆おにいさん」を書いたら暗殺され、それを民衆が支持する時代だ。
これは信教の自由と、表現の自由の、長い戦いの歴史がもたらした冷戦構造でもある。
表現者は、今回のフランスの新聞社への襲撃は、反対の異を唱えるだろう。
端的に言えば「オマエの意見には反対だが、それを主張する権利は命がけで守る」だ。
疎い人ほど、「ムスリムはそういう過激な宗教の人なんでしょ」という理解をする。
また、「その風刺はいかがなものか」と「表現の自由を守る」が、矛盾なく同時に主張できると判らない人も居る。
そうすると、「表現の自由を尊重しない宗教が、テロに走った」と捉えられてしまう。
「表現の自由を守るためには、テロに屈せず、また風刺画を描く」のが正しいと思われてしまう。
人は理屈ではなく感情で行動するので、こうした時に、出来る事はほとんど無い。
淡々と、「その風刺は侮辱なので訴えます」とフランスの法律の範囲内で行動するしかないのだろう。
ブリジット・バルドーは、何度もそうやって訴えられ、フランス司法はキチンと刑罰を下している。
(またフランスはユダヤ人に対する人種的差別には敏感で、割とちょくちょく出版社に罰金刑を出している)
日本人が日本を馬鹿にした出版社を襲撃する事件があれば、その日本人を非難し、襲撃された出版社側に立つだろう。
その後、日本を馬鹿にした出版社の表現の自由を守りつつ、淡々と法律に則って侮辱されたとして訴えるしかない。
今回、欧州の各種ムスリム団体がテロ行為を非難している事は、忘れてはいけないと思う。
Je suis Charlie(私はシャルリー)とつぶやく前に、Je suis Ahmed(私はアフメド)として呟いたムスリムの言葉も聞いて欲しい。
I am not Charlie, I am Ahmed the dead cop. Charlie ridiculed my faith and culture and I died defending his right to do so.
id:oktnzm シャルリーの風刺が表現の自由の枠外なら諸国の言っている表現の自由とは一体なにをさすのやらw一番守りやすいとこ守っても切り捨て行為にしかならんよ。
前者に関して、シャルリーの風刺はヘイトスピーチであるので、それを表現の自由から外すことに何が問題かよく分かりません。後半に関して、主張するところの意図が分かりかねますが、後半部は「一番守りやすい弱者であるイスラーム系移民を守ったとしてもそれは表現の自由の切り捨て行為にしかならない」ということでしょうか。でしたら、そもそも表現の自由の枠内に収まらないヘイトスピーチである以上、切り捨て行為ではないと思われます。
ご本人ではないので推測が混じりますが、後半については「私は共産党員ではなかったので」の一連の詩を思い浮かべましたがどうでしょう。
アレは表現の自由ではない、コレも表現の自由ではない、と都合良く?切り捨てていくと最後に残るものは、という問いかけではなかろうかと。