はてなキーワード: 民主政とは
民主制において、政治責任を背負うのは有権者全員である。政治家が、勝手に物事を決めてしまい、その責任だけを有権者である国民が背負うというのでは、任期制の王制と変わらない。民主政体における政治家の役割は、有権者のコンセンサスを形成する事であり、独裁をする事ではない。戦後、2回以上の解散総選挙を行って連続して信任を得た首相は、吉田、池田、佐藤、中曽根、小泉の5人だけであり、これらの権力者は、独断専行をやれる立場にいながら、私利私欲の為にそれを望む官僚や同僚議員、支援者からの要求を、世論に諮ってからでなければやれないと、拒絶する事に多大な労力を費やしていた。
それゆえに、国民からの支持が集まって、二度目の解散総選挙においても支持を得られたと言えるし、二度目の選挙で勝った後でも、独断専行を避け、国民主権を実現する為に働いた為に、任期満了によって辞任した後でも、政界において多大な影響力を残せるようになっていった。
独裁者になれるのに、その権力を自分達の為に使ってくれなかったという逆恨みを持つ者は官界を始めとするあちこちの業界に居るが、それらは少数派である。それらの口車に乗って便宜を図っても、国民からの支持を失って地位を奪われるだけという実例が沢山あるのに、それをやってしまうというのは、学習能力が無いか、自分だけは大丈夫という過信があるかのどちらかであろう。国民主権という本質を理解していないだけなのだが、そこに、過信や無能が加わると、悪影響は留まるところをしらない。
政治家が自分の頭で判断して、正しい結論が出せるというのであれば、王制でやっていける。それができないほど、世界が広く、社会が複雑になっているから、王制でも貴族制でもない、民主制が必要とされている。民主制によって選ばれた議員は、人民の代弁者であって、頭脳ではない。代弁する為には、人民の声を聞かなければならず、声を聞くには、十分な情報の公開と、議論の記録によって、堂々巡りや不確実な情報による憶測を排除していかなければならない。
情報の公開と言論の自由、そして、議事録の記録と公開は、国民に意思表示を求める際の、必要条件である。争点を形成し、民意を問うという技術こそが、選挙で勝つ為の技術なのだが、利権を独り占めして選挙区にバラ撒きをやりたいという目的においては、それらは邪魔な事となってしまう。
日本の民主党は、社会主義者と自民党を追われた土建族の野合政党であり、どちらも、民主主義とは相容れない体質であり、民主主義国家の与党には、ふさわしくない。独裁しておいて、頑張っていると主張しても、その頑張る方向性が明らかに間違えている以上、国民は認めない。民意を形成するという手続きを行わなければ、国民の支持は得られない。これは、政治だけでなく、事業においても同じである。良い製品を出荷し続けていても、それだけでは国民の支持を得られない。民意を味方につけなければ、外資系企業と同じ扱いにしかならない。
Togetter - 「地震に対する発言で蓮舫のTLが大炎上 」
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/110626
こいつらも普段は同じことをしてるだろ。代表的なのに、こんなのがあるが。
blackdragon 社会, ネット社会学 こんな言いがかりは、むしろ嫌いな政治家を叩くチャンスとして災害発生を喜んで利用しているわけで、非常に不快。 2011/03/12
嫌いな対象を叩くために、今回の甚大な被害である大地震を利用しているのは、はてなサヨクも同じ。例えば、また、産経叩きに利用してる。
はてなブックマーク - 阿比留瑠比の菅政権考「致命的な国家観の欠如」+(1/2ページ) - MSN産経ニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/politics/news/110312/plc11031207000005-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110312/plc11031207000005-n1.htm
こいつらは、新聞の全ての記事を大地震だけにしろということか?というか、こいつら、ネットばかり見て紙面を見てないのか?新聞の紙面は地震の被災とは関係なく、スポーツの記事とかも書いているわけだが。普段は、挙国一致の全体主義を批判しながら、地震以外のことで産経「だけ」を批判するところに、この大震災に乗じて産経を叩いてやる!というのが透けて見える。
それじゃ、アニメ報道しているテレ東は何か?菅政権考「致命的な国家観の欠如」というのは、実際に国家間が欠如しているのだからそれが新聞に載るのは当たり前。むしろ、産経の姿勢は正しい。この震災に乗じて挙国一致だからと、変な予算を通せば、それこそ国民の生活に直結する悪政になる。普段は、権力批判をしているつもりが、こういう大震災の時には都合よく政府に利用されるようになる方向性になるのは、普段の権力批判の底の浅さが知れる。こういう非常事態の時こそ、政府の誤った行動は監視するべき。
しかし、産経の紙面では大地震が殆どになってるのは当たり前だが。他の朝日とかも大地震以外の記事も載せてるんだが。お前らバカサヨクは、震災でどれだけの人命が奪われているのかも考えずに、産経叩き、阿比留瑠比叩きに利用するのはいい加減にしろよ、クズサヨクが。
地震以外の記事を批判するのなら、産経「だけ」を批判するな。テレ東のアニメとか、批判しないといけなくなるところがかなり出てくるな。整合性が取れないから。ほら、さっさとゴミクズサヨクは産経以外も批判しろよ。
他にも、原発問題が出たら、変な平和団体とかの奴らが、被災者の命なんかどうだっていいから、「反核!」とか言い出しているんだが。産経の記事以外にも、震災とは関係ない記事で、まさに批判されるべきところはある。嫌いな対象を震災を利用して批判するなと蓮舫の件で言うなら、「産経が叩けるから、大震災が起こってくれて嬉しい!」というのが透けているはてなサヨクのゴミクズどもも批判しろよ。
靖国に代わる国立追悼施設建設へ 民主政権発足後に有識者懇を設置
http://sankei.jp.msn.com/politics/election/090813/elc0908132359017-n1.htm
なぜ「追悼施設」というものが必要なのか?
と感じる私は別に「靖国神社があるからそこに参拝するべき」だなんてことをいいたいわけではない。どうして追悼するために新しい「追悼施設」というものが必要なのか、ということに疑問を感じるのだ。
そもそも「追悼施設」とはなんのための施設なのか。
「国家として死者の霊を祭祀する」ための施設だとすれば、そのような「国家的祭祀」が現代において必要だとは思われない。「死者の祭祀」ではなくて「追悼のための儀式祭典」を行なうためならば、千鳥が淵だっていいし、あるいは武道館みたいな別の広い施設でもいい。既存の施設を儀式祭典ごとに使えばいい話で、専用の施設を作る必要性はあまりない。
靖国神社のように個人が集って参拝するような施設を作るのならば、そのような施設を国家が用意する意味が分らない。個人としての「追悼」をするのならば、神社でも教会でも心の中ででも、個々人の好きなところで好きな形で追悼すればいいわけだから。
そうだとすれば、どうして特別な「追悼施設」というものが必要なのだろう。
新しい追悼施設の話がいつも出てくるけれども、私にはどうしてそれが必要なのかよく分らない。
靖国神社だっていまでは国営でもない一宗教法人にすぎない。どうして国家がいまさら国立の特別の追悼施設を作る必要があるのだろう?
突然持ち出して失敗した7%の「国民福祉税」については「内閣支持率の高さを利用しようという大蔵省の魂胆があった。霞が関が(小沢氏を含む)与党代表者会議と一体になって攻めてきた」と証言。ただ、民主党の「官僚支配の打破」の主張には「官僚機構を使いこなさないと政権は成り立たない。官僚退治は愚の骨頂」と疑問を呈した。
さらに民主党政権誕生を念頭に「ひとつの内閣で何もかもいっぺんにはできない。限られた目標と期限を明確にして、断固やるかどうかだ。民主党は大丈夫か」と注文をつけた。
細川氏はもともと二大政党制でなく「穏健な多党制」が持論で、「大きな政党は総花的なテーマを掲げざるを得ない。それでは政治は進まない」と述べ、民主党の提唱する衆院の比例区削減には明確に反対した。
細川 政権交代が軌道に乗るまでという条件で留任していただきました。いまの民主党で心配するのは、官僚機構への敵対的な傾向が少し強く出過ぎていることです。われわれも官僚とは随分やりあったが、官僚機構を使いこなさないと政策の立案も実行もできない。政権は成り立たない。「官僚退治」は愚の骨頂だと思います。政権交代が常態化すれば官僚機構も当然、中立化します。石原さんの留任は唯一の継続性でした。政権交代はあくまで断絶が目的ですからね。
私は選挙制度は一神教の小選挙区より多神論の中選挙区連記制がいいとずっと思っていました。日本人のメンタリティーからすれば、小選挙区で「白か黒か」「AかBか」という選択をし、敵対的な政治になるのは好ましくない。しかし、あの時点で実現可能な選挙制度としてあえて推進したのです。が、現状をみるに、小選挙区に張りついて選挙運動ばかりしている人、あるいは人気だけのタレントみたいな人が目立ちます。賢明な政治判断ができる立法府にはならない。中選挙区で「Aさんもいいけど、Bさんもいい」という選択、複数の名前を書けるほうが、日本的なよい政治になるのではないでしょうか。
http://chinachips.fc2web.com/argue/090706.html
さて、わたしは様々な事を「考える」ようにしていますが、このように「考えない」方もおられるようですので、代わりに考えなければいけないのかなぁ‥という気もします。 問題は2パラ目にあります。 ドイツのナチスのケースも、ソヴィエトの共産党のケースも、出発点では多数決だったのです。ーーーその多数決で「多数決をやめて、総てあなた方の判断で進めてください」と決めたのが「一党独裁」という結果になったわけです。 古い例を見れば、古代ギリシャで、直接民主制最盛期に、保守派の「キモン」を失脚させて登場した「ペリクレス」の、事実上の独裁を許したのも「民主政体」です。つまり、 この意見がいうところの「多数決原理そのものが否定されかねません」は、無責任な「他人事・評論家風」発言であり、その政局の当事者達の想いとは乖離しているのです。 これは「多数決原理」が正しい、という誤解が土台にあります。 しかし、歴史を見ると、世情が混乱し多数決では纏まらず、「民主政体」では結果的に国が滅ぶケースもあり得るのです。
先日の都議選でもつくづく思ったのだが、どうしてみんなこう、右へならえが大好きというか
勝ち馬に乗りたがるというか、一党をバカ勝ちさせるような投票行動に出てしまうんだろうねえ。というか、よくこんなことが可能だなと、むしろ結束の強さに感心する。
それも60年近く似たような事を続けていて、一向に良くなってないのだから学習能力がというものがない。
上の方も言うように、議会があればいいというもんではない。
こう考えているのは少数派なのかもしれませんが、議会というのは意思決定の場であると同時に(実は)討論のための場でもあって、まともに討論するには各勢力が均衡していることが望ましいのだから(ゲームと同じで、1000対3とかでサッカーとかそんなのゲームと言わん)政権云々ではなく、等しく力を持っている、あるいは等しく無力であるべきであり
一党バカ勝ち戦略はどう考えても頭悪いし、現にあっちこっちにツケが回りまくっているよ。つまり皆さん意思決定の面しか見ていないんでしょうな。
その結果が拙速に次ぐ拙速で、出てきた法律は互いに殺しあってたりでわけがわからんです。
背脂で米炊いてるようなもんですよ。それを60年続けている。老舗の味ですかそうですか。いい加減にしてくれよ。
ねじれ国会とか言われましたが、この時期に少なからぬ膿を搾り出せたことには大いに意義があったし
しょっちゅうバカやらかしているとはいえ、そこそこ良いものを見せてもらったと思うのだがどうだろう。
このままねじれっぱなしでも構わないのだが、別にねじれてあるのにどの政党でなければならないという必要もありませんわな。
というわけで、今必要な調節機能とはむしろ団結しないこと(笑)、乱数的であることだろう、と
従って積極的に負け馬に賭け続ける戦略にも大いに意味があるのである。
(あまりに知性が感ぜられない候補者は勘弁だがのー)
http://blogs.itmedia.co.jp/mm21/2008/04/post-003c.html
民主主義的に意思決定する際、最後は「では、多数決で」と決議することが多いと思います。 しかし、多数決そのものは、民主主義ではありません。 私自身は、民主主義とは、異なる立場の意見をお互いに話し合い、理解しあい、相手のよい部分は取り込み、自分のよい部分は相手に認めてもらい、より高いレベルの解決策を見出していくプロセスである、と理解しています。このためには論理的な議論が必要です。 多数決に持ち込まざるを得ない、ということは、このようなプロセスが十分に働かず、より高いレベルの解決策が見出せなかった場合に起こります。
我々はそのレベルに達していないということですねわかります。
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20090603AT3S0300N03062009.html 中国の崔天凱駐日大使は3日、民主党の鳩山由紀夫代表と党本部で会談し、北朝鮮の核問題について 「対話を通じて交渉していかなくてはならない。強硬に出ればいいという問題ではない」と述べ、制裁強化に否定的な考えを伝えた。 靖国神社参拝問題については鳩山氏が「首相になったら参拝しない」と言及。崔氏は「民主党のこれまでの歴史認識は正しい」などと語った。
よく分からないんだが、もし民主政権になっても中国側にスケープゴートの役割としての日本が必要なわけでしょ?
最初の頃は追ってたが、多すぎて飽きた。とりあえず就任から2ヶ月くらいはこんな感じだった。
一方日本のマスコミは「バー通いけしからん!」と連日麻生を叩いていた(笑)。そして翌日小沢がインドのシン首相会談をドタキャンしたのはスルー。小沢自身は「私は総理大臣じゃないから」と釈明。
数年後に認められれば、海底資源の採掘権を主張できる範囲が拡大する(日本国土の約2倍)。
給付金はその中の2兆円、中小企業支援対策には20兆円強が割り振られている。が、テレビで連日騒がれているのは給付金だけ。
就任直前に秋葉原での麻生フィーバーを「戦前のドイツ・日本のようだ」と言った民主党議員はなぜかメディアからは「失言」扱いされなかったし、小沢の巨額の金銭スキャンダルはメディアは全部ほったらかしだし、児童手当出す代わりに扶養者控除と配偶者控除を縮小する民主案を誰も取り上げないし。
IMFへの1000億ドル貸し付けも、下手に動かせず塩漬けになってる外貨準備高(ドル)を有効利用する(日銀金利の3倍で貸す)名案なのに、なぜか「10兆円規模」と意図的にレート変換されて、税金が無駄遣いされてるかのように言ってのける奴もいたっけな。
インド洋給油問題も、小沢は一貫して現地で武力行使を行う(そして現地では参加国の兵士が結構死んでる)ISAFを頑なに主張していた(多分今も)。それに永住外国人参政権問題もある。民主政権成立後に公明党が民主に合流したら誰にも止められないし、マスコミも誰一人として報じないだろう。
まあ、元々麻生自身が根っからのマスコミ嫌いだから、どんだけ叩かれても無視して任期満了までやる気なんじゃないの?子供の頃から「お前のジジイが死ねば日本は良くなるんだよ!」と自宅に群がってる新聞記者に小突かれてたらしいし(笑)。
続きは各自で調べてちょうだいよ。
http://anond.hatelabo.jp/20081026161635
疑問なんだが、解散すべきでないって人は「先送りした方が色々ほとぼり冷めて自民が有利になるから」という理由以外に、本気で考えて言ってるのだろうか。
いまだに日経平均は1日に1000円近い乱高下を繰り返していて円高は異常な水準で推移している。日経平均9000円に落ち着くのか6000円に落ち着くのか、ドル相場は100円に落ち着くのか80円に落ち着くのか、全く見えない状態にある。この状態は短く見積もっても来週一杯では収まらないだろう。更に韓国の状態が全く不透明。普通に考えて今手出し出来る状態にない。実際麻生内閣の出した「緊急経済対策」も身も蓋もなく言えば「赤字国債刷って金をバラ蒔く」というものでほとんどめくら撃ちに近い。
現実的に考えるなら財政政策を打てる程度にカオスを脱出するのは最低でも2週間は先。日本は相対的に実体経済が堅調なので、派手に狼狽に付き合うのはかえって危険だ。実際の懸念として韓国がとんでもない誘爆を起こした時に切れるカードが無くなるのはまずい。
仮にオバマが勝利した場合、政策がオバマ色に染まるまで1-2ヶ月掛かったとして来年初頭からは本格的に世界がブッシュ路線からの軌道変更という大きな潮流に入る。マケインが勝った場合は政権掌握はすぐになるがどちらにしてもマケインもブッシュ路線を完全には踏襲しないことを表明している。来年初頭からは良くも悪くも経済も外交も荒れる。
そんな時に「長く見積もってもあと半年で任期が切れて選挙に入る、劣勢が伝えられる日本のトップ」がどのツラ下げて出て行く気だ。他国だってどう付き合っていいか分からんし、日本との本格交渉は選挙で勝った方とやらないと意味がない以上、選挙までは他国も日本に対して儀礼的なことしかできない。
それ以外の内政的にも、自民の議員からして選挙運動モードに入っていて、どのみち後半年で選挙なんだからまともに政治が出来る状態にない。
何とかチームとか一応作っているが実際問題何か出来ると本気で思ってる奴いるんだろうか。そんなの本気で思う奴はそれこそ議員としてヤバい。
結論を言えば、解散そのものが既に手遅れと言える。本当なら今月中に総選挙を済ませて来月頭までに新内閣が発足出来れば良かった。
丁度アメリカ大統領選と釣り合うし、経済の混乱もある程度着地点が見えてくる、どちらが勝つにしろ少なくとも任期4年分は一貫して動ける。
今から解散するのは結局のところ手遅れ感が漂うが、それでもこのままグダグダと続けるよりはマシだ。現状グダグダ続けて良いことが無い。
どのみち任期満了まで引っ張っても半年先までしかなく、この先半年のことを考えたらまだ今が一番平穏(アメリカ大統領選のため)だ。むしろ今以外にいつ選挙できるタイミングがあるのか。
正直なところ自民もそのことは痛いほど分かっているだろう。実際、閣僚の自爆続きで支持率が暴落しなければ、躊躇無く解散に踏み切っていたと思われる。党利と言えばそれまでだが、多少の経済的犠牲があっても民主政権になるよりはマシだという考え方は(少なくとも彼らなりに日本を思ってそう信じているということは)理解できる。
色んな意味で、もうだめかもしれへんね、と言わざるを得ない。
解散なんてけしからんとか言ってる人はそもそもどう転んでもこの先半年ちょいの間に選挙はしなければならないというのは認識しているのだろうか。
解決する際のコストが効果に対して重すぎる。
消費税15%になってもいいから、戦争でもなんでもして竹島や拉致被害者を取り戻せって論調が起こるのかしらね?
悲しいけど予算がなくちゃなんにもできないし、これからそんな余裕ができるなんてまったく想像できない。
拉致問題は北朝鮮の気まぐれでもない限り拉致被害者家族がみんな亡くなって終わりだし、
竹島はのらりくらりとかわしてずっとこのまま。
底辺連中もお偉いさん方も、解決してほしいと言いながら、みんな解決する気なんかない。
そう言っておけば、拉致被害者を見捨てたって罪悪感が薄くなるからね。
やっと言いたいことがわかったのでまともに話ができるかもしれん。
俺はその反論1の質にしか興味がない、というか、その例1を引き出すための挑発として最初の質問を仕掛けてる、という側面があるんだよね。で、案の定真っ先に例1で応じてんだから世話がない。
だったら釣られた俺が馬鹿だったし、あんたも相手を間違えた。それだけのことだな。
あと、興味はないとはいえ一応指摘しておくと、その例1例2例3といくつも用意するやり方においては、例1と例2と例3が矛盾対立するようなものであってはならないはずだろう。でなければ、ためにする議論になってしまう。話者に一貫したスタンスというものがなくなってしまうからね。
言いたいことはわかる。ただし、俺のスタンスはいわばメタなもので、「この前提は絶対に正しいからまず認めろ」というのがまず嫌なんだよ。むしろ、「あんたが絶対と信奉している価値観は別に万人が無条件に認めるような絶対的なものではない。あんたと相対立する価値観にもそれなりの合理性があるはずだ、例1、例2、例3など。さて、どこを議論の出発点にしようか?」ということを誰に対してもまずやる。逆に言うと、俺が信奉している価値観を正しいと押し切る根拠なんてどこにもないと思っているから、価値判断の源泉については「見せろ」と言われなければ見せない。宗教論争になるのがいやだからね。
ちなみに、こんな話もある。細部は違ったかもしれん。
釈迦が人に「神はいるのか」と問われて、「いない」と答えた。ところが、次に人が来てまた同じことを問うたとき、「いる」と答えた。これを見ていた弟子が「どうして矛盾する答えをするのか」と問うと、釈迦は「あの二人が『神』という言葉のもとに思い描いていたものは違うではないか」と答えた。
別に自分を釈迦と並べているんじゃなくて、「神」の定義が違う人間が二人で言い争うのは嫌だということね。相手の土俵を推定して、相手の土俵でものを言わないといかんだろうと。
あんたに納得してもらいやすい話を選んだつもりが裏目に出たというだけだよ。正直、あんたのことを当初の言動から「学校の勉強なんか役に立たん、英語とコミュニケーション能力だけがあればよいのだ!」的な反知性主義者だと想定したもんでね。さすがにそれが釣りだとは想像できなかったが。
俺が言いたいのは、あなたのように公平性を重んじる価値観からは、英語を採用する理由は全く出てこないだろうということ。言語の性能(性能というより習得の容易さだな)はその中の例示の一つにすぎない。
廃止と言わぬまでも、量を減らせとは言っただろう?なし崩し的にゼロになってしまう論法だから反対したわけだ。正直、「上を下に合わせさせる」というのは暴力的だと思う。
「情報工学」全般の話をしているのに企業社会だけを想定する必要などなかろう。大雑把な言い方をすれば、大規模情報システムだけがITの全てではないということだ。
だいたい、Cやアセンブラが使える人間がJavaやらC++を覚えて標準的な書法で書くことは、好き嫌いはともかく本質的には難しいことではないわけで。道具の使い方を覚えるということに対して「必要があればやるけれど、必要がなければやらない」というのは非常に当たり前の立場だと思うがね。
で、どのC++のクラスライブラリが重いというのか、とか、C++とFORTRANについての議論については、君は全面撤退ってことでいいのかな? 具体的に質問に答えなくなっちゃったからなあ。
どっちでもいいよ。だいいち、数値解析の専門家がC++で書いたコードと普通の数値実験屋がCで書いたコードの性能の比較なんて問題は非常に枝葉末節じゃないか?そもそも、「普通の数値実験屋」がどういう奴かという範囲の取り方でいくらでも恣意的な結論が出てくる話だから、議論して実になるとも思えない。
そもそもそんなことを言えば、FizzBuzzすら書けない奴がCで書いたコードより速いコードをPerlなんかで書くことさえできてしまうかもしれないが、そんなの別に自慢にもならないし、(たとえば)数値計算でPerlを使っていい理由になんてならんだろ。俺も論旨を混乱させた責任はあるが、そもそも話がずれすぎている。俺が言っているのは、「速いコードを書くことが理論的に可能かどうか」ではなく、「速いコードを書くために本人が持っているべき素養」の話をしているわけで。
そしてそもそもこの話自体「素養」というものが必要か否かという点から分岐したものだから、その意味でもこの話は必要なかろう。
以下蛇足。
あと、ギリシャの民主主義については明確に誤解。ギリシャに伝統を引いてくるのは反王権主義者が持ち出した大義名分的なものであって、明治維新で倒幕派が天皇を担ぎ出したのと同じこと。
それ相当偏った歴史観じゃね? ためにする反論なのか、それとも本気なのか、どっち?
俺はむしろ君の方が相当偏ってると思うけどね。だって古代ギリシャの民主政が途絶えてから一体何年経ってたわけ?それに、市民革命の基盤になったのはむしろ封建議会の方なわけで(これもいちゃもんはつけられるけど)、これはむしろゲルマン文化のはずだよ。それをどうギリシャ文化の伝統と理解するのかかなり不思議。明治維新だって王政復古を唱えていたが、どう考えてもあの政体は西洋からの輸入品でしょ。同じことだよ。あんな政体が歴史上日本に存在したことはなかった。なんで戦前、あんなに後醍醐天皇があんなに高く評価されたと思う?
いや、貴族階級は言いすぎだろ。市民階級でいいと思うんだが、そこは。元々民主制って始まりはそういうもんだろ。惣とか寄合から近代民主主義を導けるというならやってみてくれよとしか。
ちょっと調べてみたが、貴族階級は余り適切でなかったようだ。そこは撤回。
導けるわけがないから聞いてるんだよ。ただし、始まりはそういうもんに決まっているが、それが本当に現代と連続性があるのか、と俺は聞いているわけなんだが。
そもそも、都市が自治を行うのはギリシャのポリスじゃなくても歴史的に普遍的な話なわけで(英語版Wikipediaを引いたら戦国時代の堺が挙げられていてびっくりした。さすがに思いつかなかった)、誤解してるかも知れないけど日本の江戸時代でさえ町役人って町人階級だからね。つまり、民主主義にとってはギリシャ思想が必要不可欠なものであるという根拠はますます疑わしいと思うんだ。だいたい、それを言い出したらアメリカはなんなの?あれこそ、草の根民主主義たる植民地自治政府の発展じゃない?
あと書き忘れ補足
あと、ギリシャの民主主義については明確に誤解。ギリシャに伝統を引いてくるのは反王権主義者が持ち出した大義名分的なものであって、明治維新で倒幕派が天皇を担ぎ出したのと同じこと。
それ相当偏った歴史観じゃね? ためにする反論なのか、それとも本気なのか、どっち?
ギリシャの民主政というのは市民階級(貴族階級と言おうか)だけのものであって、そんなことを言えば日本の惣とか寄合の方がよほど民主的かもしれない。
いや、貴族階級は言いすぎだろ。市民階級でいいと思うんだが、そこは。元々民主制って始まりはそういうもんだろ。
惣とか寄合から近代民主主義を導けるというならやってみてくれよとしか。
未熟なハンターは迷惑なだけじゃなくて危険なんだよな。人を間違って撃つおそれがあるから。
ネット見てると疑似科学叩きとか歴史修正主義叩きとかやってる人がいるけど、後者はともかく前者についてはそういう意味で俺はかなり苦々しい思いがあるんだよね。なぜなら、疑似科学ハンターやってる人間自身が科学的思考法をろくすっぽ理解してなかったりして、これもまた科学哲学をろくに理解してない「科学主義者叩き」の温床になってたりする。で、そういう奴らが科学であろうと歴史学であろうとあるいは科学哲学であろうとそういう分野への偏見を増殖してるんだから、専門家にとっては迷惑この上ない話だよ。
それで、君は何が目的なのかな?ウヨあぶり出しとか言ってたけど、わかっててわからんふりをしてるのか、本当にわかってないのかどちらなのか。
俺が言っているのはあくまで「君の意見には反論がいくつも考えられて、たとえば例1、例2、例3・・・」という話だ。君はその中で、俺が「例1」まで言ったところでそこに延々と噛み付いて、それを元に反動主義者だとかウヨ認定だとかしてくれてるわけだよね、俺に。正直、確かに「例1」は粗雑な議論なんだが、自己啓発厨やネトウヨみたいな反知性主義者なら一番簡単に料理できる論法なんだよ。ところが君は反知性主義者じゃなくて素朴近代主義者だったわけで、その意味ではかえって逆効果だったかもしれん。ただそこを見誤ったというのはディベートの戦術としての問題ではあっても、勝ち負けで議論しているわけではない俺としては別になにも痛くないわけだ。
これがわからんのだったら、正直本気で頭が悪いと思うぞ。君はswitch文で最初のcaseに引っかからなかったらswitch文を抜けると思ってるのかね?
で、いつまで撤回した仮定を引きずるわけ?w
つまり、君が絡まなくなるまでだ。
別にITに限ったことではない。だが、英語である必然性はないと言っているんだ。むしろ、近代科学の初期の頃にラテン語が用いられたことに比べてこの点では退歩している。英語という言語は公平ではないし、習得が容易なわけでもないんだから。
ナショナリズムの浸透によって各国で自国語が用いられるようになり、第二次大戦の時にヨーロッパの有力な科学者がこぞってアメリカに亡命したことが結果的に英語一極支配を作ったというだけのことだ。つまり、英語支配というのはアメリカのナショナリズムの勝利ということなのだ。
で、それを「韓信の股くぐり」で受けいれるというのなら俺は反対しない。しかし、文化資本(英語も文化資本あるいはそれと類似の構造の産物だぞ?)による階層格差を否定する君が、「英語帝国主義で構わん」というのだから、これは明らかなダブスタだろう。それを俺はおかしいと言っているんだ。
底上げをすることと、古典をやめるなどして内容を減らすことは全然関係がないだろう。それからもう一つ、俺は「普通の東大生数百人のレベルをギリギリにチューンする」なんて話は一度もしていない。
それは、特にアセンブラが必要でもないケースでか? ちょっと勘弁して欲しいなw まあ仕事としてうまくやれてるならそれでもいいけどさ、特殊ケースだろ?
特殊ケースじゃない。大多数の人にとって計算機やプログラミング言語というのは単なる道具だからだ。字を書いてる人間はいくらでもいるが、みんなが書道を習っているわけではないというのと同じこと。計算機自体が目的ではないのだから、不便を感じなければ勉強しない、他にすることはいくらでもあるという人は多い。だから、それ以上の領域は趣味と考えるべき。その意味で、明らかに筋の悪い無駄なコードを書かないようにするための感覚だけが身に付いていればそれでよしと考えるのは割と普通のこと。
以下は枝葉末節。
具体的に挙げてくれる? 君の議論の最大の弱点って多分具体性がないことだから。
いや、君の「役に立つ」の基準がわからんと、また筋違いな方向から噛み付かれるだろうからうんざりしてるんだよ。君は何をもって「役に立つ」としているのか、それを挙げてみてくれ。率直に言えば、普遍的な観点から「役に立つ」なんて断言できるものはほとんどないと思うが(洋の東西を問わず)、絞ってくれれば答えもできよう。
そりゃ「影響」はしてるだろうがな。別にキリスト教の神である必然性などない。/いや、親鸞の書いたものは当然古語で書かれてるでしょ?
一神教文化圏で「神」といえば論理的に当然限定されるわけだが。まして、冠詞がある欧米語では"the God"のようにそのことは明示される。で、日本の古典というのは君にとって親鸞以外読む価値がないのか?ちなみに親鸞というのはむしろ江戸時代以前の過小評価の反動で明治以降に過大評価されているんだが。正確に言うと過大評価というより、君のような近代主義者が、日本にプロテスタンティズムの代替物を無理に求めた結果親鸞を再発見したということだ。
いや君がニュートンを引き合いに出したんでしょうに。民主主義に関してはギリシャにまで遡って意義深い書籍を見つけることは出来るだろうなあ。
さすがにニュートンより古いものを引用する奴はいないからなあ(ガリレイとかならあるかも)。あと、ギリシャの民主主義については明確に誤解。ギリシャに伝統を引いてくるのは反王権主義者が持ち出した大義名分的なものであって、明治維新で倒幕派が天皇を担ぎ出したのと同じこと。ギリシャの民主政というのは市民階級(貴族階級と言おうか)だけのものであって、そんなことを言えば日本の惣とか寄合の方がよほど民主的かもしれない。