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はてなキーワード: レッセフェールとは

2023-02-06

共産党民主主義理解について考えた。

日本共産党民主主義的な変革を通じて、ゆくゆくは社会主義を目指している政党だというのは知っていた。

ソ連中国方向性に異を唱え、社会主義の前に、まずは民主主義確立を目指すという意味では、共産党憲法擁護者であったし、自由議会制民主主義擁護者としてふるまっていると思っていた。

そういうことを知っていたつもりだったけれども、このたび、異論を許さない態度で党首公選制を訴えた党員を除名処分にするニュースはあまりにも自由民主主義の考え方と乖離する、という違和感が強い。もちろん、50年代60年代に、ブントからさまざまな新左翼党派が生まれた経緯を反省すると、党の結束重視、分派につながる動きへの警戒は理解できるものの、なんとなく民主主義擁護している風の皮をかぶりながら、やっぱり統制好きな人たちなのか?という印象はぬぐえない。


そこで日本共産党綱領民主主義というキーワードがどういう文脈で使われているかを改めて読み直してみた。

まとめると、以下の特徴が読み取れた。

民主主義的な変革(革命)は専制政治覇権主義との闘いであ

・変革(革命)の担い手労働者、勤労市民、農漁民中小企業家、知識人女性青年学生からなる統一戦線である

民主主義が達成されたのちは社会主義を目指す


民主主義設計された所与のプラットフォームというより、【変革】により戦った【主体】が勝ち取る動的な運動認識されている。その主体定義されリスト化されており、その【統一】には社会構成員全員が含まれているわけではない、というのも注目に値する。はっきり書いてないが打倒されるべき悪しき存在匂いがぷんぷんする。昔よりマイルドになったとはいえ人民が戦って勝ち取るぞ的な歴史観がすごい。

綱領最後に、現在日本社会必要とする民主的改革の主要な内容として、国の独立安全保障外交の分野から憲法民主主義の分野、そして経済的民主主義の分野で目指すべき方向性を示している。

この中には安保破棄といったおなじみのものからジェンダー平等など最近になって共産党自身認識を改めたものも含まれている。

経済的民主主義の分野においては、労働規制食糧安保などが強調されているが、自由主義経済擁護はやはり、というか、やっぱり記載がなかった。

憲法民主主義の分野の記載で、もうひとつ特徴的だと思ったのは、民主政にとって、ある重要メカニズムが全く記載されていないことだった。

それは言論表現の自由記載だ。

ははあ、と腑に落ちたところがあった。なぜ民主政にとって、もっと重要概念が抜け落ちてしまうのか。

共産党の考え方では、民主主義は、戦いと表現されることから象徴されるように、そもそも主体的に、イデオロギー進歩として達成されるべきもの認識されており、しかもそれは社会主義革命に至る途上の段階とされる。

民主主義革命に向かう運動理解され、この革命担い手主体」がキーワードになるんだな、と改めて気が付かされた。運動主体が【統一】されるべきである、という共産党員の自画像が、今回の件で、党外発言攻撃とまで罵る背景にあるように思えた。

というのは、いわゆる自由主義社会においては、「主体」について全く異なる理解をしている。多様な主体のもとで、社会が進展するという考え方のほうが支配的だからだ。

広い意味でのリベラリズムでは、リバタリアニズムレッセフェールなど完全放任まで幅があるものの、経済社会進歩は、特定イデオロギーによって達成されるのではなく、優れたもの自然選択されるという淘汰圧客観的社会ダイナミズムとして理解されている。

表現の自由についていえば、特定イデオロギーの正しさは、歴史自然に結果を出すものであって、教会政府が真理として押し付けものではない、というのがヨーロッパでもアメリカ政治体制でも共通の前提となっている。

そのような認識の下では、多数の目から一見すると正しくない言論や行い、考え方についても、その考えが社会存在することを排除しないのが美徳となる。

差別的言論しかりであり、正しくないと思えるもの一定程度、社会蔓延するのを認容する、というのは、長い目でみて、社会進歩するための副産物と考える。

したがって、雑にまとめれば、自由主義社会制度設計では、ブルジョアプロレタリアートといったイデオロギー的な主体覚醒必要とされないし、イデオロギー的な主体覚醒人民の団結を呼びかけるような政治体制は、資本主義的な搾取構造以上に、暴力装置である、というのがリベラルからみた共産主義問題点といったところだろう。自由主義では、イデオロギー的に多様であっても、そして無自覚であっても成立し、発展しうる社会設計を構想しているのに対し、共産主義では、変革の主体が強く意識され、その主体統一戦線)されることが変革のキーだと考えられている。

翻って、共産党綱領を拾い読みすると、文脈としては

民主という言葉が登場するたびに、それは専制によって奪われてきた歴史であり、覇権主義との闘いであり、それに抗い変革を進める担い手が強調される。

そして、ひとたび担い手に注目するやいなや、担い手気づきというか覚醒が求められる。革命は待ってても自然には起こらないということだ。

これは共産主義独特の進歩史観だ。ここに、担い手教育し、同じ価値観イデオロギーを共有させようとする契機がある。

これは、党首公選制を唱えた者を破門する、という最近みられた動きと表裏一体ということになる。

綱領言論自由記載が一行も存在しないのも納得である言論自由もつ社会ダイナミズム理解しつつ、イデオロギーを啓もうすることは自己矛盾だ。

というわけで、社会の変革にとって、イデオロギー共鳴する主体醸成を重視するか、

それとも自由ダイナミズムを重視するか、ここに分かれ道がある、というありきたりな結論に至ってしまったな。

政治体制言論自由進歩史観プレイヤー
自由主義どちらかというと放置蓋然的客観的多様性重視
共産主義どちらかというと統制的必然的主体一体性重視

みたいなイメージになった。


しかし、共産党の皆さんに是非、戦後世界歴史をもう一度振り返ってもらいたいと思うのは、

例えば、黒人差別撤廃をめぐるダイナミズム

言論表現の自由がもたらす社会不協和音暴力という副産物をある程度社会が許容できたからこそ、社会運動が大きく広がった。

この運動はもちろん差別と闘う社会変革の主体抜きには語ることはできないが、過激言論民主主義副産物とする社会プラットフォームがあることによって、運動価値昇華された。

暴力性という点では労働権の暴力性(争議権)も社会改革の進展のかぎだ。今では自明性に埋没して疑いもしない労働者という言葉、実は【労働者概念】とその暴力性は、革命概念と地続きり、出自はもちろん自由主義ではありえない。

異なる出自もつつの権利争議権言論自由は、社会変革のダイナミズムに伴う暴力という意味では実は共通項だ。

他者危害原則が基本の社会において、なぜ規範からの逸脱という暴力、そして異端存在を、広く多様性という価値を認めて、一定程度、許容する仕組みを自由主義社会は構想しているのだろうか?同一コミュニティに閉じている限りは進歩進化もない、という、それはやはり、進化プロセスに対する直感が働いているといわざるを得ないだろう。

争議権というのは、学校が停止したり電車全面的に止めたりと経済に甚大な被害を与える超暴力的な行為を時に伴うが、そのような痛みを社会が許容することによって社会改善することがある。自由主義社会はこうした社会変革に伴う暴力一定コントロールに置いたうえで社会進歩を進めてきたといえる。

ちょっと余談になるが、日本での社会権の受容はGHQ改革に始まって、やや独特の経緯をたどって欧米とは異なる展開となった。

敗戦直後、それまでの動員される勤労者から主体的な労働者へ突然、主体の変換が起きた。その結果としての、労働者階級の過剰な希望、そして暴力に伴う社会的な混乱は、失望社会秩序維持へのさらなる圧力を生み、やがて国労新左翼けが残った。そして秩序を乱す奴イコールテロリスト、という空気蔓延した。

日本国労新左翼と一緒になって調子に乗りすぎた結果、争議権は骨抜きになった。日本では社会秩序と暴力が明確に対立概念となり、争議はなれ合いとなり、労使協調という言葉象徴されるように、労使間の秩序模索にすぎなくなった。ただ一方、ヨーロッパではそんなことはなく、社会権の潜在的なラディカリズムが広く受け入れられている。病院だろうが航空機だろうが、誰が困って死のうがストが決行される暴力性が顕在なのだ。なんなら革命政府転覆させるぜくらいの勢いで。

ともあれ、自由主義社会社会主義的な発想でラディカルな主体の考え方を一部取り込んでいる、という動きは、自由主義VS社会主義と単純に括ることができないことを示している。

絵画トマト投げみたいな環境急進主義しかり。ヨーロッパになぜあれほどラディカリズムがパフォーマンスを繰り広げられる余地があるかというと、そもそも自由主義社会社会変革の萌芽を言論統制などによって政府の力で摘まない社会設計になっているからだ。彼らはヨーロッパニュース上ではResistantと表現されてもテロリスト表現されることは少ない。それは「労働者」という主体を仮構したうえでの争議権の意義とパラレルなのだ

なんなら、「LGBTしかり、なのだ共産党は実は、長い間、同性愛者を差別してきた歴史がある。かつては「労働者」という概念が主役で争議権という武器社会変革上、最重要な部分だったので性的マイノリティに考えが及ばない時代だった。LBGTというイデオロギー的な主体の意義に気が付き、公式に考えを修正したのはつい3年前の2020年のことだという。

https://www.sankei.com/article/20210706-L4MJ2RSGZFLHJLGW2LWKXILBGI/

LGBT存在に気が付き、こうした修正可能になるのは、自由主義社会が、ラディカリズムも含めて、多様な言論放置できる社会からだ。そのくせ日本共産党LGBTをあたか自分たち応援団かのように仲間に入れようとするのは、労働運動が退潮し、運動屋台骨が骨粗しょう症のようになってしまった日本文脈を思い起こすと、図々しいという気もする。皮肉なことにこの記事執筆した元板橋区議の男性も、党本部から除名処分を受けている。

結局のところ、共産主義においては、社会変革のための主体を重視し、その統一をもとめるがゆえに、主体のもの議論決定論的なものになってしまい、議論されにくい。

その結果、主体自身の変革は阻害される、というジレンマというか自己矛盾はらんでいるといえるだろう。社会を変革したがるくせにね。これはある意味自らの正義の禍々しさに苦悩するヒロイズムジレンマだ。自由主義社会ダークヒーロードラマ映画プロット西部劇の昔から最近ではジョーカーに至るまで一定需要があるのは変革の萌芽は必ずしも正義によって見出されるものではないという世界観の違いに由来する。

でも、自由主義社会にいる日本共産党としても社会の変化にも気が付かざるを得ない。

その過程で、弱体化した【労働者】を補完するべく、新興の主体、LBGTグループ統一戦線の一員として、ちゃっかりと追加したりする、ということが起こったりするわけだ。

変革主体の変遷は、共産党自画像の変遷でもある。

であれば、社会主義革命を目指す共産党においても、内なるノイズをある程度、コントロールしつつ許容し、社会変革への考え方をより確実にする、という方向性もありうるんじゃないだろうか。その結果、やっぱ内ゲバコントロールできなくなって、この調子じゃ人を教育して主体構成を前提とした社会主義化って無理じゃね?となって解散するならそれもよしなんだよ。


今回の除名騒動を受けて、党内で議論すべきことは党内で、というのが統治の基本、という主張が共産党から強調されているようだ。

一見正論だが、しかし、俺はちょっと違うと思う。それは、つまり寄り合い】だ。

なぜなら、そのようなガバナンスの考えこそが組織の硬直化を招来し、日本労働運動が労使間の秩序模索堕落した一因であるし、日本組織風土に風穴があかない最も大きな要因だからだ。寄り合いといえば、かつて日本農村漁村調査した宮本常一は、寄り合いによる時間をかけた合議の意思決定を観察し、他者の信頼醸成のプロセス共同体のしきたりにない、外部社会の新しい事柄の受容のキーとなっていることを見抜いた。宮本はまた、共同体を飛び出し、放浪の旅を経て戻ってくるようなアウトロー存在を外部の知識をもたらす【世間師】として共同体が受け入れる様子も描写している。寄り合い的なコミュニケーションにおいても、異物を内部化するプロセスはあるということだ。

民主主義という視点に戻ると、言論価値、そして、争議という変革の手法組織どころか社会迷惑をかけることを前提に行われることの意味をもう一度振り返ってもらいたい。

そうであれば、組織内の問題に対しても、規範からの逸脱に対する寛容度はかわってくるのではないかな。

以上が、今回の件を機に、日本共産党綱領を読み直した感想だ。

2022-07-02

anond:20220702011605

近代自由主義は、自己他者自由尊重する社会的公正を指向する思想体系のことをいう。レッセフェール自由放任)を基本原理とする古典的自由主義自由至上主義とは異なり、それが人々の自由をかえって阻害するという考え方が根底にある。現代において個人自由独立した選択実質的保障し、極度の貧富差における経済的隷属や個人社会的自由侵害する偏見差別などを防ぐためには(中略)、政府地域社会による積極的な介入も必要であるという考えに基づく。

2021-05-13

アカデミックを諦めて外資ゴロをやっている白痴妄想

Libertarian の私は国による免許制度とか国の機関というものが嫌いなので、あたり前に医師会なんてものに好感がある訳ないのですが、そもそも前提がそれのため、スキャンダルが出てきてまぁ当たり前だよね、うん。としか思いませんでした。今更なにを言っているのかがよく分かりません。Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely.ですよ。腐敗は権力を与えられた者の責任ではありません。腐敗は権力属性です。腐敗は権力というものの側面です。側面ですから必ず付随しています

そもそも論としてあらゆる組織はその構成員のためにのみある。もっと言えば人間組織を作る理由自分を守るため以外に何もありません。医師会組織です。組織であるなら構成員の為にの医師会が行動を取ることは当たり前の話です。人間すべからく利己的なので、医師利己的です。そしてあらゆる集団利己的な目的にのみに基いて組織されます。そこに例外はあり得ません。そのために医師会利己的です。利己であることは悪いことではありません。むしろ利己であることこそが、自身自身として力強く地を踏む最低限のものです。

スキャンダルが悪いとしても、悪いのは政治家医師ではない。権力監視できない全ての責任だ。

私は政府中央というものが大嫌いですが嫌いだからと言って、叩いていいとは思わない。無駄だとも思わない。不正義だとも思わない。ただ嫌い。私の政治思想合致しない。でも私の政治思想は正しくないので、社会がどうあってもそのままそれでいい。

そんなことを思う。政府なんてものシュリンクの極限で、機能しなくなるくらいが丁度いい。レッセフェール社会は良くなることはないかも知れないが、レッセフェールで良くならないならそれはそれで歩むべき道なんだよ。国家なんて要らない。それで人類が滅びても、歪な状態で生き長らえるよりはずっと良い。それが私の政治思想です。完全自由主義です。ノーランチャートの右上です。が、しかしそんなことを思う人がこれ以上増えてはいけないと思う。

とりあえず良識のある市民の方々はがんばって libertarian というダークサイドまで堕ちてこないようにして欲しい。

2020-03-22

[] 英国集団免疫カルトから離脱しています

小野さんの記事でも読んどけガイ

英国在住研究者 「集団免疫獲得という出口は変わってない」

ガイジ 「集団免疫獲得じゃないもーーーん」


たぶん本気なんだろうな

ちなみにそれがキミの教祖かい

[MIT Technology Review] 英政府独自の新型コロナ集団免疫戦略修正

https://www.technologyreview.jp/nl/the-uk-is-scrambling-to-correct-its-coronavirus-strategy/


英国政府に助言するため専門家グループが新たな

報告書をまとめた。英国政府が出した新型コロナウイルスSARS-CoV-2)に対する「集団免疫アプローチは、結果として25万人もの命を奪う可能性があり、保健医機関崩壊阻止にほとんど役立たないと、厳しく評価している。


インペリアルカレッジ感染症疫学を率いるアズラ・ガーニ教授3月16日に、「集団免疫を獲得できると期待していましたが、集団免疫アプローチでは事態対処できないことがわかりました」と記者団に語った。新たな報告書代替策として、他の多くの国と同様に、一貫して感染者数を低く保つ積極的政策ウイルス抑制することを提唱している。

[BBC]Coronavirus: UK changes course amid death toll fears(3/17)

なぜイギリスは方向転換したのか

https://www.bbc.com/news/health-51915302

https://www.bbc.com/japanese/amp/features-and-analysis-51996098


方向転換をするか、さもなくば25万人が死ぬか。このまま行けば新型コロナウイルスの「破局的な流行」で、国内でそれだけの大惨事になる。これほどはっきりした警告など、そうそうない。


新型コロナウイルスによる感染症COVID-19」がどう伝染し、それによって国民保健サービス(NHS)がどうやってパンクして、その結果として何人が死ぬのか――。これの展開をシミュレートしてコンピューターモデルを走らせていた研究チームが、イギリス政府にそのように警告したのだ。


そのためイギリスでの状況は劇的に変化した。平時において自分たち生活がこれほど変化させられるなど、私たち経験したことがない。


冷や水を浴びせられたような認識の変化は、 16日の政府発表 までの数日間であっという間に起きた。


しかしそのずっと前から、多くの科学者世界保健機関WHO)は、ウイルス対策には総力戦で臨まなくてはならないと警告していたのだ。




[BBC] イギリス独自ウイルス対策、「国民の命を危険に」と多数の科学者反対(3/15)

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-51894727


なすがまま」的態度

公開書簡署名している英バーミンガム大学のウィレム・ファンシャイ教授微生物学)によると、集団免疫効果を目指すには、イギリス国内だけで少なくとも3600万人が感染回復しなくてはならない。これが最大の問題になると教授は言う。

「どれほどの人的コストがかかるのか、予測ほとんど不可能だ。しかし、控え目に見ても数万人、場合によっては数十万人が死亡する」

対策成功させるには、NHSがパンクしてしまわないよう、数百万人の感染長期間わたり散発的に起きるように流行期間を引き伸ばすしかない」

ファンシャイ教授は、「ウイルスに対して、なすがままのレッセフェール自由放任主義)的な態度)」をとっているのは欧州イギリスだけだと指摘する。




[人民網] 鐘南山氏、感染対策集団免疫に頼ってはいけない

http://j.people.com.cn/n3/2020/0319/c95952-9670037.html


感染対策集団免疫に頼ってはいけない

政府主席科学アドバイザーであるサー・パトリック・バレス氏はこのほど、英政府感染拡大を防止する策略の一つとして、十分に多くの人に免疫力をつけさせること、すなわち「集団免疫であると述べた。鐘氏はこれについて、「コロナウイルスによる死亡率が高い。今回のウイルスが1度の感染永遠免疫力をつけられるという証拠は今の所ない」と述べた。


集団免疫ワクチン必要

「急性感染症について、最終的に集団免疫形成するにはワクチン必要になる」。

(略)

鐘氏は、「どの国がワクチンを開発するとしても、全世界供給する量はないに違いない。相互補完することで、全世界供給できるようになる」と強調する。


免疫とはなにか?の説明をしても理解が得られる気はしないのですごくシンプルにお伝えしたい


中国武漢の封じ込めに成功、終息に向かっていますが、これは中国人の7割が感染たからですか?もちろん答えは、『いいえ』です



なお、集団免疫を唱えた人物(Sir Patrick Vallance)はちゃんとプレッシャーをかけられましたし、撤回した後、庶民からツッコミを入れられましたが、アカデミアの人間として恥ずべき言動は取っていません。でも日本は?

参考になりましたでしょうか?

anond:20200323174138 anond:20200327223447 anond:20200328223821 anond:20200330123824 anond:20200406181442

2019-01-28

anond:20190128170946

近代自由主義モダンリベラリズム、英: Modern liberalism, Reform liberalism)は、自己他者自由尊重する社会的公正を指向する思想体系のことをいう。レッセフェール自由放任)を基本原理とする古典的自由主義自由至上主義とは異なり、それが人々の自由をかえって阻害するという考え方が根底にある。現代において個人自由独立した選択実質的保障し、極度の貧富差における経済的隷属や個人社会的自由侵害する偏見差別などを防ぐためには政府による制限や介入をなくしたりする(無政府資本主義リバタリアニズム新自由主義)のではなく、政府地域社会による積極的な介入も必要であるという考えに基づく。

(中略)

日本語では消極的自由を重視する古典的自由主義とのニュアンスの違いを表すため、また、混同を避けるためにあえて自由主義ではなくリベラリズムと呼ばれることが多い。英語圏ではSocial liberalism(社会自由主義)と表現される。

2012-05-12

君に欠如しているものを4点にまとめた

http://anond.hatelabo.jp/20120511214417

ブクマじゃ突っ込みきれないからここに書くよ。


1.論理の欠如

昔墜落事故で遭難した人が横たわる仲間の死骸を食べて生き延びたという話を聞いた。

この場合は既に死んでいたが、絶海の孤島に遭難して他に全く食物がない状態で、

仲間の遭難者を殺して食べたらその人は殺人罪に問われるのだろうか?

私は、食べるための殺害は殺生ではなく、自分の体内で他者の命を育む再生行為だと解釈している。

3行目までと4行目がまったく繋がってない。

論理をチェックしながら文章を書く癖をつけよう。

 一貫性の無さや話があっちこっちに飛ぶなどの欠点は文全体に見られる。)


「食べるための殺害は殺生ではない」を言いたいのであれば

別に遭難の極限状態を引き合いに出す必要は無い。

今日マックより人肉の気分だな」と街中で人を捕食してもよいわけだ。


もし逆に「極限状態で初めて人肉を食うオプションが有り得る」ということが言いたかったのであれば

私は、食べるための殺害は殺生ではなく、自分の体内で他者の命を育む再生行為だと解釈している。

は繋がってこない。


2.知識の欠如

どんな種族も自己の種族の存続と繁栄を目的として生きており、だからこそ自らの命をつなぎ子孫を残すのであり、

同種族同士で捕食しあったらその目的の達成が阻害されてしまうことと、

「種の保存」なんて何十年も前に否定されてる。

動物が”同種”同士でどれほど殺しあうものかも学ぼう。

(全体的に高校生チラ裏日記と言うか

 賢しげにゴチャゴチャ考えてる割に物を知らなすぎる。

 つまり読書勉強が足りてない。)


3.思考力の欠如

然るに、なぜ今多くの社会人肉食禁忌とされているか

その種族を捕食する動物植物が減ってしまい、またその種族が捕食する動物植物が増えてしまい、

最終的には生態系全般が崩れ、すべての種族の存続が脅かされるからである

経済レッセフェール原則と同様、各種族が自種族の繁栄という動機に基づいて「利己的に」振舞うことにより、

結果として自然界全般が守られるからである

あなたがおっしゃる自然界全般」てどこの自然かしら?

自然は均衡してるのではなくサバイバルと滅ぼしあいの過渡期に過ぎない。

 知識がゼロでも少し考えればわかるはず、これまで環境生態系もどれほど激変してきたことか。)

 

また、同種殺しを「忌む」理由について説明しだした筈なのに

見えざる手の均衡みたいな所に着地する脳のボンヤリ具合もひどい。

要するに「自然界の維持」は各生物種にとって意識的なことか無意識的なことか?

自説の一貫性すら構築できないのは本当に頭が弱いとしか言いようが無い。


結論を言えば守られるべき普遍的「自然界」なんてもの存在しない。

かろうじて個々の”種”にとって都合のいい環境が有り得るだけ。


4.羞恥心の欠如

次の理由は、自由に人を食べてよいという社会になると、自分自分の大切な人が食べられてしまう恐れがあり、

(中略)

先進国では医療科学技術進歩したため本来自然状態では死んで然るべき老人や障碍者が生き延び、生まれてくるべき子供が生まれてこなくなった。

引用するに耐えない「中学生のボクチンが考えた未来課題」をネットに貼り付ける理由は何か。

もう羞恥心の問題になる。

君のお母さんでもダチでもない、仮にも世間様たるインターネッツで公開する文章がこれでよいのか。

自覚と羞恥心人間の成長の原動力になる。


以上のように、人肉食禁忌とされている理由は

「種族の存続を目指すため」と「自分が食われたら嫌だからそういうルールを決めた」

という非常に単純な2点しかない。

倫理的理由などない。

その前に、君は「倫理」という言葉意味すら知らない。

倫理無意味に空中から降ってくるものではなく

必要性があって作られていくもので、

要するに君は何も言ってないのと同じ。


食物連鎖をはずれ生態系管理する責務をも負わされている人間にとって、

もはや「なすに任せよ」原則は適用されない。

(中略)

「種族の存続を目指すため」という目的にかなうのであれば、上記の後者の「社会的ルールはいくらでも柔軟に変更して然るべきであろう。

中学生小学生かどっちなのか。


結局何が言いたかったのか

自分が生きるために別の人間を食べる。そいつを食べなければ自分死ぬ

このような状況は上記の「各個体が時に他の生命を奪いながら利己的に振舞うことにより、結果として種族の存続が実現する」という自然界の原理原則の縮図である

このような場合、食べるために殺した人間は、殺人の罪に問われるのだろうか?

この締めの段落全然まとめになってない。

これは君自身、何を書いてるのか全然整理できてないから。

こういう文章を読まされる側は一読して混乱、再読してチンプンカンプン

ブックマークコメントが君の話を半ば無視したものばかりなのも、

ほとんどの人間には君の文が読めないから。




アドバイス

・君の脳はこのボリュームの文をまとめる知力がまだ無い。

 5分の1の文字数できちんと意味が通る文を書くほうが訓練になる。

もっと本を読もう。たくさん本を読めば材料が増えるし思考力も向上する。

 どちらも足りないうちに大上段の議論を世に問おうとしてもゴミ生産しかならない。

・気負いはわかるが「私は」とか「然るに」なんて文体は使わなくてよろしい。 

 読む人間を赤面させる以外の効果は無い。

2012-05-11

食べるために人を殺したら犯罪になるのだろうか

昔墜落事故で遭難した人が横たわる仲間の死骸を食べて生き延びたという話を聞いた。

この場合は既に死んでいたが、絶海の孤島に遭難して他に全く食物がない状態で、

仲間の遭難者を殺して食べたらその人は殺人罪に問われるのだろうか?

私は、食べるための殺害は殺生ではなく、自分の体内で他者の命を育む再生行為だと解釈している。

と考えると自殺が許されないことの理由も論理的に説明できる。

自分の命は自分だけの所有物ではなく、自分が奪ってきた数々の他の生き物の命も含有されており、

自らの命を絶つことはそれらの生命をも絶つことであるからだと。

然るに、なぜ今多くの社会人肉食禁忌とされているか

まずひとつの理由は、人間に限ったことではなく「同種族同士で捕食し合わない理由」と読み替えると、

どんな種族も自己の種族の存続と繁栄を目的として生きており、だからこそ自らの命をつなぎ子孫を残すのであり、

同種族同士で捕食しあったらその目的の達成が阻害されてしまうことと、

その種族を捕食する動物植物が減ってしまい、またその種族が捕食する動物植物が増えてしまい、

最終的には生態系全般が崩れ、すべての種族の存続が脅かされるからである

経済レッセフェール原則と同様、各種族が自種族の繁栄という動機に基づいて「利己的に」振舞うことにより、

結果として自然界全般が守られるからである

次の理由は、自由に人を食べてよいという社会になると、自分自分の大切な人が食べられてしまう恐れがあり、

これは嫌なので、動機はなんであれ基本的に殺人犯罪と決めたかである

動物人間法律にしたがって行動することはできない。

から動物は食べるために殺してもよいということになった。

もし今後人間法律を守れるような動物が現れたら、

その動物との交渉次第では、その動物は食べるためといえども殺してはいけないというルール施行されるかもしれない。

この場合既に食物連鎖から逸脱することになるので、自種族の個体数を生態系を壊さないために自分たちで調節しなければいけなくなるが、

目下人類が直面する最大の課題がこれである

天敵や自然条件に左右されることが少なくなったため、途上国では人口が食い扶持を超えて爆発的に増加し、

先進国では医療科学技術進歩したため本来自然状態では死んで然るべき老人や障碍者が生き延び、生まれてくるべき子供が生まれてこなくなった。


以上のように、人肉食禁忌とされている理由は

「種族の存続を目指すため」と「自分が食われたら嫌だからそういうルールを決めた」

という非常に単純な2点しかない。

倫理的理由などない。

食物連鎖をはずれ生態系管理する責務をも負わされている人間にとって、

もはや「なすに任せよ」原則は適用されない。

生態系を自らをも巻き込んで破壊しかねない人間は、

種族の存続と繁栄に貢献できない個体を殺すとか、

あるいは再度食物連鎖に組み込まれるべく他の動物に捕食されるという選択肢を考える覚悟をしなければいけないのではないか

「種族の存続を目指すため」という目的にかなうのであれば、上記の後者の「社会的ルールはいくらでも柔軟に変更して然るべきであろう。



自分が生きるために別の人間を食べる。そいつを食べなければ自分死ぬ

このような状況は上記の「各個体が時に他の生命を奪いながら利己的に振舞うことにより、結果として種族の存続が実現する」という自然界の原理原則の縮図である

このような場合、食べるために殺した人間は、殺人の罪に問われるのだろうか?

2008-10-29

[][]クルーグマン米国日本になってしまった」

http://www.business-i.jp/news/bb-page/news/200810220019a.nwc

ポール・クルーグマン氏(55)と初めて出会ったときのことは忘れられない。男子トイレでの出来事だった。

 1998年8月、シンガポールトイレで手を洗っていると、隣に(著名な)エコノミストがいることに気づいた。クルーグマン氏が今しがた講演した「流動性の罠(わな)」による日本経済の弱体化について、ちょっとした雑談をしながら、私たちはトイレの流し台が壊れているのをみた。

 「これこそまさに、流動性の問題だ。世界中どこに行ってもつきまとってくる。」クルーグマン氏は顔色一つ変えずにそう言った。

 そのときのクルーグマン氏のジョークを思いだしたのは、彼がノーベル経済学賞を受賞したからというわけではなく、国際金融システムが陥っている状況と関係があるからだ。問題は各国中央銀行が信用、ひいては経済コントロールする能力を失ってしまうのかどうかにある。

 ≪アジア危機を予言

 「経済活動における貿易の傾向と拠点の分析」によってノーベル賞を受賞したクルーグマン氏は、日本バブル崩壊後のいわゆる「失われた10年」に関する研究でも知られる。

 アジアクルーグマン氏に対する評価が高まったのは1990年代半ばのことで、当時、同氏は1997年のアジア危機を首尾一貫して予言した人物の一人だった。その数年後には、クルーグマン氏はアジアが目覚ましい回復を遂げると予測し、的中させた。

 日本金融政策の停滞に関する調査研究が、アジアやその他の地域にも通じることを証明した。日本の「失われた10年」が、例外ではなく世界中蔓延(まんえん)するリスクだ。

 米国も例外ではなかった。1月以降、米連邦準備制度理事会は主要政策金利を4.25%から1.5%まで引き下げてきた。そうした政策が米国経済の支援となっただろうか。

 ≪「米国日本に…」≫

 中央銀行金融政策を施してからその効果が経済に表れるまでに相当な時間差はあるものの、米国消費者は信用危機の予期せぬ影響を完全には体感し始めてはいない。バーナンキFRB議長は一段の利下げ圧力にさらされるであろう。

 クルーグマン氏は、ブルームバーグインタビューに対し「あらゆる点から考えて、われわれは“流動性の罠”の領域にいる。バーナンキ議長はあと何回か利下げを実施できるが、実体経済に影響を及ぼさないだろう。ええ、そう。伝統的で従来型の金融政策が奏功する余地はない。弾切れだ」と述べ、さらに「米国日本になってしまった」と語っている。

 ≪ケインズ主義浮上≫

 クルーグマン氏はまた、経済において政府が果たす役割を重視するケインズ経済学ケインズ主義)の提唱者でもある。12日に米NBC放送のインタビューに対して、ニュージャージー州知事ゴールドマン・サックス会長のジョン・コーザイン氏の発言を補足して、「恐らく肝心なのは、われわれが実体経済に対する刺激を必要としているということだ」と語っている。

 王立科学アカデミーが期を逃さず現時点でクルーグマン氏への授賞を決定したのは、ケインズ主義が過去の遺物ではないとの認識が高まっていることと関係があるように思われる。

 現状はケインズ主義が葬られたとする向きにはほど遠い。米国金融システム国有化しているのと同様に、航空会社自動車メーカー、大手小売業者が政府資産としてバランスシートに計上されるのも時間の問題のように思える。

 グローバリゼーション世界に、国有企業民営化され、そして再び国有化されるといった循環をもたらしている。レッセフェール(自由放任)型資本主義の信奉者である経済学者フリードマン氏の政策よりも、長きにわたってケインズ提唱し、最近ではクルーグマン氏が主張する経済政策に軍配があがるように思われる。

 しかし、やはり最大のリスクの一つは、中央銀行の(存在)意義が危機にひんしていることだ。日本の信用システムはいまなお罠にかかったままだ。他の国が日本と同じ羽目に陥れば、事態はさらに悪化しかねない。(William Pesek)

                  ◇

 William Pesek氏は、ブルームバーグニュースコラムニストです。このコラムの内容は同氏自身の見解です。

2007-06-19

もっかいさいしょっから

憲法権力の暴走を止めるためにできた(中世イギリス)。作らせたのは議会(という名の業界圧力団体。女子供貧乏人は入れない)

民主主義は、愚民どもが王様資産を食いつぶす制度だとしてずっと忌み嫌われていた(ちょっと前のアカと名まえは反対だが実質同じ扱い)

民主主義には直接制と間接制がある

民主主義プラスイメージに変わったのはアメリカフロンティア開拓で「経済的に成功」して、国を大義名分でうごかしてから。議会(という名の商工会みたいなヤツ)にはやはり女子供はいない。経済団体。

直接民主主義は昔のギリシャスイス、新しいところではEUの加盟投票アメリカ大統領選挙(票のごまかし多発)。あまりうまく機能していないのは間接制とどっちこっちいわん程度。アメリカのも、イラン戦争からこっち軍国主義の兆し(石油圧力団体がやらせた)、結局古代ギリシャと今まで、数が力なのは同じことか

・名まえと大義名分はどうあれ、戦争暴力経済システムに打撃を与える。戦争技術を発展させるってのは、核ができるまでの話。戦争レアメタルを絞られたらコンピューターの1つさえ作れないんじゃね。日本BIOSつくってないし。

・自由市場レッセフェール最強と思うのだがどうよ。

中国支配したいならフツーに有り金で中国株買えばいいじゃん。株主だから経営に口出しさせろ、ちっとはマシな企業人、国際人になれっていってやれ。

韓国もフツーに主婦ビジネスマンの国でしょ。

 
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