はてなキーワード: 専制政治とは
中国の優れているところを話すと必ずこういうニュアンスのこと言ってくる人いるんだけど俺は全然そう思わない。
30年前から日本の硬直化した官僚システムと高齢化社会は問題になるとわかっていたが、結局それは30年以上政治によって是正されなかったわけだ。
今や日本は出稼ぎに他国に行くようになり、高齢化社会 は予想より早く進行している。
経済的にも世界で戦える企業もニッチな技術を持った分野をのそいて、今やなくなっていきつつある。
つまりそれって30年最悪の民主主義を選んできた結果が今の現状なわけでしょ。
一方その頃中国は一人っ子政策をやってブロッキングをやってアリババもウェイボーも自製して日本で爆買いしてるわけじゃん?
それってどうなんって思うのが普通だと思うんだけど。
J Sato
@j_sato
https://michael-hudson.com/2023/04/all-or-nothing-foreign-policy/
要約
・アメリカは、同盟国のドイツ、オランダ、イングランド、フランス等の上層部でカラー革命を起こし、それらの国に自国の経済的利益とそぐわない外交政策を採用させている。
・アメリカは「専制政治に対抗する民主主義の戦争を支援することを約束する」と言うが、そこで言う民主主義とは金融資本家による寡頭政治のことであり、専制政治とは金融資本家による寡頭政治の出現を阻止できるほど強い政治家の国ということ。中国もその1つ。
・地政学の基本的な理解がないまま、欧州人はおとなしい子羊のように屠殺場に向かっている。
michael-hudson.com
All or Nothing Foreign Policy | Michael Hudson
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J Sato
@j_sato
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ShortShort News
@ShortShort_News
※著書の『超帝国主義国家アメリカの内幕』 https://amzn.to/3InkrC9 は、米政府の外交・軍事幹部の教科書として使われていたが、米政府は邦訳出版を30年止めた
(中略)党は、この状況を打破して、まず平和で民主的な日本をつくりあげる民主主義革命を実現することを当面の任務とし、ついで社会主義革命に進むという方針のもとに活動した。
(四)第二次世界大戦後の日本では、いくつかの大きな変化が起こった。
(中略)第二は、日本の政治制度における、天皇絶対の専制政治から、主権在民を原則とする民主政治への変化である。この変化を代表したのは、一九四七年に施行された日本国憲法である。この憲法は、主権在民、戦争の放棄、国民の基本的人権、国権の最高機関としての国会の地位、地方自治など、民主政治の柱となる一連の民主的平和的な条項を定めた。形を変えて天皇制の存続を認めた天皇条項は、民主主義の徹底に逆行する弱点を残したものだったが、そこでも、天皇は「国政に関する権能を有しない」ことなどの制限条項が明記された。
この変化によって、日本の政治史上はじめて、国民の多数の意思にもとづき、国会を通じて、社会の進歩と変革を進めるという道すじが、制度面で準備されることになった。
(中略)国民主権の民主主義の流れは、世界の大多数の国ぐにで政治の原則となり、世界政治の主流となりつつある。人権の問題では、自由権とともに、社会権の豊かな発展のもとで、国際的な人権保障の基準がつくられてきた。人権を擁護し発展させることは国際的な課題となっている。
最初に社会主義への道に踏み出したソ連では、(中略)レーニン死後、スターリンをはじめとする歴代指導部は、社会主義の原則を投げ捨てて、対外的には、他民族への侵略と抑圧という覇権主義の道、国内的には、国民から自由と民主主義を奪い、勤労人民を抑圧する官僚主義・専制主義の道を進んだ。「社会主義」の看板を掲げておこなわれただけに、これらの誤りが世界の平和と社会進歩の運動に与えた否定的影響は、とりわけ重大であった。
(中略)
いかなる覇権主義にも反対し、平和の国際秩序を守る闘争、核兵器の廃絶をめざす闘争、軍事同盟に反対する闘争、諸民族の自決権を徹底して尊重しその侵害を許さない闘争、民主主義と人権を擁護し発展させる闘争、各国の経済主権の尊重のうえに立った民主的な国際経済秩序を確立するための闘争、気候変動を抑制し地球環境を守る闘争が、いよいよ重大な意義をもってきている。
(中略)
(一一)この情勢のなかで、いかなる覇権主義にも反対し、平和の国際秩序を守る闘争、核兵器の廃絶をめざす闘争、軍事同盟に反対する闘争、諸民族の自決権を徹底して尊重しその侵害を許さない闘争、民主主義と人権を擁護し発展させる闘争、各国の経済主権の尊重のうえに立った民主的な国際経済秩序を確立するための闘争、気候変動を抑制し地球環境を守る闘争が、いよいよ重大な意義をもってきている。
(中略)
日本共産党は、労働者階級をはじめ、独立、平和、民主主義、社会進歩のためにたたかう世界のすべての人民と連帯し、人類の進歩のための闘争を支持する。
(一二)現在、日本社会が必要としている変革は、社会主義革命ではなく、異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破――日本の真の独立の確保と政治・経済・社会の民主主義的な改革の実現を内容とする民主主義革命である。それらは、資本主義の枠内で可能な民主的改革であるが、日本の独占資本主義と対米従属の体制を代表する勢力から、日本国民の利益を代表する勢力の手に国の権力を移すことによってこそ、その本格的な実現に進むことができる。この民主的改革を達成することは、当面する国民的な苦難を解決し、国民大多数の根本的な利益にこたえる独立・民主・平和の日本に道を開くものである。
(一三)現在、日本社会が必要とする民主的改革の主要な内容は、次のとおりである。
1 現行憲法の前文をふくむ全条項をまもり、とくに平和的民主的諸条項の完全実施をめざす。
2 国会を名実ともに最高機関とする議会制民主主義の体制、反対党を含む複数政党制、選挙で多数を得た政党または政党連合が政権を担当する政権交代制は、当然堅持する。
3 選挙制度、行政機構、司法制度などは、憲法の主権在民と平和の精神にたって、改革を進める。
4 地方政治では「住民が主人公」を貫き、住民の利益への奉仕を最優先の課題とする地方自治を確立する。
5 国民の基本的人権を制限・抑圧するあらゆる企てを排除し、社会的経済的諸条件の変化に対応する人権の充実をはかる。労働基本権を全面的に擁護する。企業の内部を含め、社会生活の各分野で、思想・信条の違いによる差別を一掃する。
6 ジェンダー平等社会をつくる。男女の平等、同権をあらゆる分野で擁護し、保障する。女性の独立した人格を尊重し、女性の社会的、法的な地位を高める。女性の社会的進出・貢献を妨げている障害を取り除く。性的指向と性自認を理由とする差別をなくす。
7 教育では、憲法の平和と民主主義の理念を生かした教育制度・行政の改革をおこない、各段階での教育諸条件の向上と教育内容の充実につとめる。
8 文化各分野の積極的な伝統を受けつぎ、科学、技術、文化、芸術、スポーツなどの多面的な発展をはかる。学問・研究と文化活動の自由をまもる。
10 汚職・腐敗・利権の政治を根絶するために、企業・団体献金を禁止する。
11 天皇条項については、「国政に関する権能を有しない」などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。
(一四)民主主義的な変革は、労働者、勤労市民、農漁民、中小企業家、知識人、女性、青年、学生など、独立、民主主義、平和、生活向上を求めるすべての人びとを結集した統一戦線によって、実現される。統一戦線は、反動的党派とたたかいながら、民主的党派、各分野の諸団体、民主的な人びととの共同と団結をかためることによってつくりあげられ、成長・発展する。当面のさしせまった任務にもとづく共同と団結は、世界観や歴史観、宗教的信条の違いをこえて、推進されなければならない。
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日本共産党が民主主義的な変革を通じて、ゆくゆくは社会主義を目指している政党だというのは知っていた。
ソ連や中国の方向性に異を唱え、社会主義の前に、まずは民主主義の確立を目指すという意味では、共産党は憲法の擁護者であったし、自由と議会制民主主義の擁護者としてふるまっていると思っていた。
そういうことを知っていたつもりだったけれども、このたび、異論を許さない態度で党首公選制を訴えた党員を除名処分にするニュースはあまりにも自由や民主主義の考え方と乖離する、という違和感が強い。もちろん、50年代、60年代に、ブントからさまざまな新左翼党派が生まれた経緯を反省すると、党の結束重視、分派につながる動きへの警戒は理解できるものの、なんとなく民主主義を擁護している風の皮をかぶりながら、やっぱり統制好きな人たちなのか?という印象はぬぐえない。
そこで日本共産党綱領を民主主義というキーワードがどういう文脈で使われているかを改めて読み直してみた。
まとめると、以下の特徴が読み取れた。
・民主主義的な変革(革命)は専制政治や覇権主義との闘いである
・変革(革命)の担い手は労働者、勤労市民、農漁民、中小企業家、知識人、女性、青年、学生からなる統一戦線である。
民主主義は設計された所与のプラットフォームというより、【変革】により戦った【主体】が勝ち取る動的な運動と認識されている。その主体が定義されリスト化されており、その【統一】には社会構成員全員が含まれているわけではない、というのも注目に値する。はっきり書いてないが打倒されるべき悪しき存在の匂いがぷんぷんする。昔よりマイルドになったとはいえ、人民が戦って勝ち取るぞ的な歴史観がすごい。
綱領は最後に、現在、日本社会が必要とする民主的改革の主要な内容として、国の独立・安全保障・外交の分野から憲法と民主主義の分野、そして経済的民主主義の分野で目指すべき方向性を示している。
この中には安保破棄といったおなじみのものから、ジェンダー平等など最近になって共産党自身が認識を改めたものも含まれている。
経済的民主主義の分野においては、労働規制、食糧安保などが強調されているが、自由主義経済の擁護はやはり、というか、やっぱり記載がなかった。
憲法・民主主義の分野の記載で、もうひとつ特徴的だと思ったのは、民主政にとって、ある重要なメカニズムが全く記載されていないことだった。
ははあ、と腑に落ちたところがあった。なぜ民主政にとって、もっとも重要な概念が抜け落ちてしまうのか。
共産党の考え方では、民主主義は、戦いと表現されることから象徴されるように、そもそも主体的に、イデオロギーの進歩として達成されるべきものと認識されており、しかもそれは社会主義革命に至る途上の段階とされる。
民主主義が革命に向かう運動と理解され、この革命の担い手「主体」がキーワードになるんだな、と改めて気が付かされた。運動主体が【統一】されるべきである、という共産党員の自画像が、今回の件で、党外発言を攻撃とまで罵る背景にあるように思えた。
というのは、いわゆる自由主義社会においては、「主体」について全く異なる理解をしている。多様な主体のもとで、社会が進展するという考え方のほうが支配的だからだ。
広い意味でのリベラリズムでは、リバタリアニズムやレッセフェールなど完全放任まで幅があるものの、経済や社会の進歩は、特定のイデオロギーによって達成されるのではなく、優れたものが自然に選択されるという淘汰圧が客観的な社会のダイナミズムとして理解されている。
表現の自由についていえば、特定のイデオロギーの正しさは、歴史が自然に結果を出すものであって、教会や政府が真理として押し付けるものではない、というのがヨーロッパでもアメリカの政治体制でも共通の前提となっている。
そのような認識の下では、多数の目から一見すると正しくない言論や行い、考え方についても、その考えが社会に存在することを排除しないのが美徳となる。
差別的言論しかりであり、正しくないと思えるものが一定程度、社会に蔓延するのを認容する、というのは、長い目でみて、社会が進歩するための副産物と考える。
したがって、雑にまとめれば、自由主義社会の制度設計では、ブルジョアやプロレタリアートといったイデオロギー的な主体の覚醒は必要とされないし、イデオロギー的な主体の覚醒や人民の団結を呼びかけるような政治体制は、資本主義的な搾取構造以上に、暴力装置である、というのがリベラル側からみた共産主義の問題点といったところだろう。自由主義では、イデオロギー的に多様であっても、そして無自覚であっても成立し、発展しうる社会設計を構想しているのに対し、共産主義では、変革の主体が強く意識され、その主体が統一(戦線)されることが変革のキーだと考えられている。
民主という言葉が登場するたびに、それは専制によって奪われてきた歴史であり、覇権主義との闘いであり、それに抗い変革を進める担い手が強調される。
そして、ひとたび担い手に注目するやいなや、担い手の気づきというか覚醒が求められる。革命は待ってても自然には起こらないということだ。
これは共産主義独特の進歩史観だ。ここに、担い手を教育し、同じ価値観やイデオロギーを共有させようとする契機がある。
これは、党首公選制を唱えた者を破門する、という最近みられた動きと表裏一体ということになる。
綱領に言論の自由の記載が一行も存在しないのも納得である。言論の自由のもつ社会のダイナミズムを理解しつつ、イデオロギーを啓もうすることは自己矛盾だ。
というわけで、社会の変革にとって、イデオロギーに共鳴する主体醸成を重視するか、
それとも自由のダイナミズムを重視するか、ここに分かれ道がある、というありきたりな結論に至ってしまったな。
政治体制 | 言論自由 | 進歩史観 | プレイヤー |
---|---|---|---|
自由主義 | どちらかというと放置 | 蓋然的・客観的 | 多様性重視 |
共産主義 | どちらかというと統制的 | 必然的・主体的 | 一体性重視 |
みたいなイメージになった。
しかし、共産党の皆さんに是非、戦後の世界の歴史をもう一度振り返ってもらいたいと思うのは、
言論表現の自由がもたらす社会の不協和音、暴力という副産物をある程度社会が許容できたからこそ、社会運動が大きく広がった。
この運動はもちろん差別と闘う社会変革の主体抜きには語ることはできないが、過激な言論を民主主義の副産物とする社会のプラットフォームがあることによって、運動の価値が昇華された。
暴力性という点では労働権の暴力性(争議権)も社会改革の進展のかぎだ。今では自明性に埋没して疑いもしない労働者という言葉、実は【労働者の概念】とその暴力性は、革命の概念と地続きり、出自はもちろん自由主義ではありえない。
異なる出自をもつ二つの権利、争議権と言論の自由は、社会変革のダイナミズムに伴う暴力という意味では実は共通項だ。
他者危害原則が基本の社会において、なぜ規範からの逸脱という暴力、そして異端の存在を、広く多様性という価値を認めて、一定程度、許容する仕組みを自由主義社会は構想しているのだろうか?同一コミュニティに閉じている限りは進歩も進化もない、という、それはやはり、進化のプロセスに対する直感が働いているといわざるを得ないだろう。
争議権というのは、学校が停止したり電車を全面的に止めたりと経済に甚大な被害を与える超暴力的な行為を時に伴うが、そのような痛みを社会が許容することによって社会が改善することがある。自由主義社会はこうした社会変革に伴う暴力を一定のコントロールに置いたうえで社会の進歩を進めてきたといえる。
ちょっと余談になるが、日本での社会権の受容はGHQ改革に始まって、やや独特の経緯をたどって欧米とは異なる展開となった。
敗戦直後、それまでの動員される勤労者から主体的な労働者へ突然、主体の変換が起きた。その結果としての、労働者階級の過剰な希望、そして暴力に伴う社会的な混乱は、失望と社会秩序維持へのさらなる圧力を生み、やがて国労と新左翼だけが残った。そして秩序を乱す奴イコール、テロリスト、という空気が蔓延した。
日本は国労が新左翼と一緒になって調子に乗りすぎた結果、争議権は骨抜きになった。日本では社会秩序と暴力が明確に対立概念となり、争議はなれ合いとなり、労使協調という言葉に象徴されるように、労使間の秩序模索にすぎなくなった。ただ一方、ヨーロッパではそんなことはなく、社会権の潜在的なラディカリズムが広く受け入れられている。病院だろうが航空機だろうが、誰が困って死のうがストが決行される暴力性が顕在なのだ。なんなら革命で政府を転覆させるぜくらいの勢いで。
ともあれ、自由主義社会が社会主義的な発想でラディカルな主体の考え方を一部取り込んでいる、という動きは、自由主義VS社会主義と単純に括ることができないことを示している。
絵画にトマト投げみたいな環境急進主義しかり。ヨーロッパになぜあれほどラディカリズムがパフォーマンスを繰り広げられる余地があるかというと、そもそも自由主義社会は社会変革の萌芽を言論統制などによって政府の力で摘まない社会設計になっているからだ。彼らはヨーロッパのニュース上ではResistantと表現されてもテロリストと表現されることは少ない。それは「労働者」という主体を仮構したうえでの争議権の意義とパラレルなのだ。
なんなら、「LGBT」しかり、なのだ。共産党は実は、長い間、同性愛者を差別してきた歴史がある。かつては「労働者」という概念が主役で争議権という武器が社会変革上、最重要な部分だったので性的マイノリティに考えが及ばない時代だった。LBGTというイデオロギー的な主体の意義に気が付き、公式に考えを修正したのはつい3年前の2020年のことだという。
https://www.sankei.com/article/20210706-L4MJ2RSGZFLHJLGW2LWKXILBGI/
LGBTの存在に気が付き、こうした修正が可能になるのは、自由主義社会が、ラディカリズムも含めて、多様な言論を放置できる社会だからだ。そのくせ日本共産党がLGBTをあたかも自分たちの応援団かのように仲間に入れようとするのは、労働運動が退潮し、運動の屋台骨が骨粗しょう症のようになってしまった日本の文脈を思い起こすと、図々しいという気もする。皮肉なことにこの記事を執筆した元板橋区議の男性も、党本部から除名処分を受けている。
結局のところ、共産主義においては、社会変革のための主体を重視し、その統一をもとめるがゆえに、主体そのものの議論が決定論的なものになってしまい、議論されにくい。
その結果、主体自身の変革は阻害される、というジレンマというか自己矛盾をはらんでいるといえるだろう。社会を変革したがるくせにね。これはある意味自らの正義の禍々しさに苦悩するヒロイズムのジレンマだ。自由主義社会でダークヒーローのドラマや映画のプロットが西部劇の昔から最近ではジョーカーに至るまで一定の需要があるのは変革の萌芽は必ずしも正義によって見出されるものではないという世界観の違いに由来する。
でも、自由主義社会にいる日本共産党としても社会の変化にも気が付かざるを得ない。
その過程で、弱体化した【労働者】を補完するべく、新興の主体、LBGTグループを統一戦線の一員として、ちゃっかりと追加したりする、ということが起こったりするわけだ。
であれば、社会主義革命を目指す共産党においても、内なるノイズをある程度、コントロールしつつ許容し、社会変革への考え方をより確実にする、という方向性もありうるんじゃないだろうか。その結果、やっぱ内ゲバをコントロールできなくなって、この調子じゃ人を教育して主体構成を前提とした社会主義化って無理じゃね?となって解散するならそれもよしなんだよ。
今回の除名騒動を受けて、党内で議論すべきことは党内で、というのが統治の基本、という主張が共産党から強調されているようだ。
一見正論だが、しかし、俺はちょっと違うと思う。それは、つまり【寄り合い】だ。
なぜなら、そのようなガバナンスの考えこそが組織の硬直化を招来し、日本の労働運動が労使間の秩序模索に堕落した一因であるし、日本的組織風土に風穴があかない最も大きな要因だからだ。寄り合いといえば、かつて日本の農村漁村を調査した宮本常一は、寄り合いによる時間をかけた合議の意思決定を観察し、他者の信頼醸成のプロセスが共同体のしきたりにない、外部社会の新しい事柄の受容のキーとなっていることを見抜いた。宮本はまた、共同体を飛び出し、放浪の旅を経て戻ってくるようなアウトローの存在を外部の知識をもたらす【世間師】として共同体が受け入れる様子も描写している。寄り合い的なコミュニケーションにおいても、異物を内部化するプロセスはあるということだ。
民主主義という視点に戻ると、言論の価値、そして、争議という変革の手法が組織どころか社会に迷惑をかけることを前提に行われることの意味をもう一度振り返ってもらいたい。
江戸時代の何が優れていたかみたいなテーマで構成されているTogetterの記事。
今の中国がゼロコロナ政策をやってるけど、ああいう抑圧を統治のベースにおいた幕府が300年やり通したようにしか見えないんだけど、あれで優れていたって感覚をもつの?
長期にわたって身分階級に関係なく隷属させていただけじゃないのか。
宗教ガーって言う連中が最近は猛威を振るってるけど、宗教以外に社会思想が何もない時代に、それを骨抜きにされたら公家や武士から被差別民まで自発的に隷属していく人間ができあがるだけだと思うんだが。
専制政治を作り出すことに宗教思想は影響を及ぼすが、それに対抗する人々に影響を与えるのも宗教思想だと思うんだけど。
武士階級が重んじた儒教思想だって支配効率が上がるためのエッセンスだけを抽出されたもの。
大災害、大飢饉が頻発しているのに幕府政権に大ダメージを与えるような公家や武士の反乱、民衆の蜂起がないのもその証明じゃないか?
まだ見たことがないので陰謀好きな人たちはもっと頑張ってもらいたい
・当初は西側との協調を目指していた(これは事実)が、何百というシミュレーションをしても、それでは将来の人類の破滅が不可避だと気づく。
・世界最多の核弾頭を持ち有数の資源国であり、ロシアで権力を持った者は世界に絶大な影響力を持つ。地政学的にはハートランドに位置し、必然的に生存圏の拡大が起きリムランドとの衝突は避けられない。専制政治を好む国民性から民主制が根付くことはなく、西側への被害妄想的な右派を抑えることもできない。いずれ利口なリーダーが再び世界覇権を目論んだ時に、巧妙に世界を二分する対立構造を作り出し全面的な・・(詳しくないので補完してほしい)
・プーチンは決意した。まだ絶対権力と年齢に依る判断能力が残っているこの数年のうちに「ロシアを弱体化」させる。
・ゴルバチョフのように軍部に力を残したまま改革しては潰される。エリツィンのように財界に力があるときに改革しても潰される。
・軍も経済も立ち直れないくらい消耗させる必要がある。急いではいけないが、あまりゆっくりでもいけない。考える時間を与えないまま事態が進行していき、いつの間にかなすすべがなくなっているくらいがいい。
・残るは、世界中の「反米・反民主」ネットワークといえる勢力だ。ソ連から引き継いだ諜報・工作能力、安保理での拒否権、西側に対抗できる安価で優秀な兵器の供給、世界最大の核兵力、それらが、数では世界の第多数を占める専制国家のネットワークに「後ろ盾」を与えている。
・これまでのように傀儡政権を使ってウクライナ東部からじわじわ行くのではだめだ。キーウ斬首作戦と見せかけて西側の軍事援助を引き出す必要がある。
・ロシア軍の弱さと東側兵器のしょぼさを見せつけることで、専制国家ネットワークに動揺を与える。
・「狂人戦略」で核の使用をちらつかせる。ロシア軍伝統の残虐性人権無視の作戦で西側メディアを巻き込む。常任理事国としての正当性を破壊する。経済制裁を少しずつエスカレートさせてロシア経済界の影響力を完全に奪う(財界人の暗殺もちょこちょこ)。
・くわえて原発への攻撃もすることで核保有国の管理能力に疑問を抱かせる。戦後は、中国などの牽制もされることなく、徹底的な査察と核兵器の削減を求められる状況にする。
・ここにいたっても「ロシア人・国民」に侵略の責任を負わせる動きは大きくない(あるけど)。自分か、権力を集中させた体制に非難があつまるムーブをしている。
・「ロシア国家を救うことはもう叶わないが、ロシア国民を将来の破滅から救うことができる」そしてそのタイミングは今しか無いと究極の決断をした。
・「進撃の巨人」のジークのように「ロシア国民を苦しみから救うためにロシアを消し去る」道を選んだ。
みたいなのがもし既出だったら誰か教えてほしい
独裁者とはなにかって話かな。
とりあえず辞書を参考。
https://kotobank.jp/word/%E7%8B%AC%E8%A3%81%E8%80%85-675598
独裁政治とは、「少数者が国家権力を独占し、恣意しい的に行う政治」
どの要件を満たしていたら、より独裁者ぽいのかの定義はよくわからなかった。
この世には、選挙があっても、国名に民主主義が入っていても、民主主義とは呼べない、朝鮮民主主義人民共和国とかあるから、なかなか難しい所だな。
ファシズムみたいに、反議会、反共、侵略政策、秘密警察での弾圧などの要件がわかればいいのだが。
現在NHKでリメイク版も放送されている名作スペースオペラ「銀河英雄伝説」
この作品の中でも特に輝かしい英雄である銀河帝国元帥ラインハルト・フォン・ローエングラム候と自由惑星同盟軍元帥ヤン・ウェンリー提督
この二人が初めて顔を合わせるのは原作小説では5巻の風雲編、OVA版では4クール目のラストにあたる第54話目の事だった
つまり作品の主役でありそれまで幾度か戦場で矛を交えながら面識は無かった二人の主人公がようやく直接言葉を交わすという、ファンなら誰もが待ち望んだ展開だと思うんですが
そこで民主共和制を否定するローエングラム候に対しヤン提督が反論し、逆に専制政治を否定しローエングラム候を唖然とさせた時弁明するようにタイトルの理屈を持ち出したんだけど
僕はこの考え方を初めて聞いた時とんでもなく感銘を受けた
それまで「正義の逆はまた別の正義」「どちらが正義でどちらが悪という訳でも無い」という言葉を聞いてもどうもしっくり来なかったけど、ヤン提督のこの言葉は何故かストンと腑に落ちた
言い換えると「何か一つの考え方が生まれた時それと真逆の考え方もまた同時に生まれる」というちょっとロマンティックな考え方に思えて、そういう所が好みに合ったのかな
余談ではあるけど、銀河英雄伝説には主人公ヤン・ウェンリーに嫌悪されファンに寄生虫とも呼ばれる保身の天才、ヨブ・トリューニヒトという悪役政治家が登場する
彼は読者に非常に高い人気を誇るヤン提督に敵視され、自らの利益のみを追い求め事実上自由惑星同盟が斃れる切っ掛けになった人物だけど、銀河英雄伝説ファンからはそれなりに高い人気があるそうな
悪役であった彼の目的が、主人公ヤン・ウェンリーの養子であり愛弟子であった少年ユリアン・ミンツと全く同じ構想、つまり銀河帝国に立憲体制をしく事だったと終盤明かされたのは、
民主主義のために命を懸けて戦った主役であるヤン艦隊の面々とただただ保身のみを考えた悪役であるヨブ・トリューニヒトの一体どこが違うのか?と少し考えさせられるような気分になった、やっぱり銀英伝って今見ても面白いね
儒教文化では法律は「冷たく不完全」なもので、仁徳のある為政者が法律を超越して善政をなすことが理想的な状態である。
まあ、水戸黄門であり、暴れん坊将軍である。法律の届かないところで悲しむ国民をお上が超法規的に救うことを良しとする価値観である。
つまり、法律を無視して民の声に応じるのが、儒教文化における理想的な為政者であり、法律に則って国民の声を無視するのは儒教的な観点からすると良い為政者ではない。
かの儒教国の政治が法律に則っていない、とか、国民感情第一で国際ルールを無視している、というような批判はだからうまく通じない。
なぜなら「国民感情を優先して、法を曲げること」は儒教文化の中にあると「良い事」だから。
というようなことを海軍旗の話し見ながら思った。