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2017-05-27

pixivBL引用炎上の件:腐女子に別方向で頑張ってほしい

長くなったから要約

今回の件をうけて、腐女子の側は一方的被害者とか、弱者という立場を維持するのだけでなく、

自分たちの慣習を、腐女子コミュニティの外の人たちにもわかるような形で

運用可能なところまで頑張ってもっていってほしい。

 

また、腐女子だけでなく、コミュニティ独自ローカルルール抱えてるオタコミュニティの人々は

今回の件は、他山の石となるんじゃなかろうか

今回の事件の推移

めんどいから省略)

今回の事件に対する主要な4つの立場


私の立場

・まず、主張自体への支持について述べるなら、私自身の立場はこの中で選ぶのならBが近い。しかしBそのものではない。AとCについても一定妥当性のある主張だと思う。

・Dの主張にはいろいろ誤解がある。著作権の枠組みで主張をするのであれば「無許可転載」は確かに問題だが、著作権上、正当な「引用」は許可を求める必要はないし、求めるべきでもない。また親告罪云々という話も「転載」と「引用」の違いが把握できていないものと思われる。

なぜ炎上してるのかとか

炎上が続いている仕組みは次のようなものだ。

 著作権法基準(A)の人が、ローカルな慣習(C)のありようを把握していなければ、両者の対立はどこまでいっても平行線である。この人達にずっと不満がたまり続けるので、互いの正当性を主張し続けて炎上は終わらない。また、基準Dのような勘違いを含んだことを言うひとも大量発生していて、これを基準Aの世界にいるひとからすれば「バカじゃねーの」という感じになるし、そう発言してしまう。基準Bの世界にいるひとも人によっては「それはちょっと、落ち着いて整理しましょうか」とたしなめる。なので、またしても火がよく燃える。これが今回の炎上基本的メカニズムだと思う。

 炎上は「誰かが決定的に間違っている」から続くのではなく、「ある立場の人からみると、別の立場の人のやっていることが極めて無作法に見える」ということによって起こり、その行為が「別の立場から見たときには実は何の問題もない」場合に、火が消えるタイミングというのは失われてしまう。

基準Bの態度を採用することは、全体的に見通しがよく相対的中庸温度感のある態度だということになるだろうし、この立場を表明している人は、おおむね良識的に火消しをしているという感じだと思う。

基準Bは、基準Aないし基準Cのみで完結して争っている人々の立場より、バランスのとれたものであろうとしているのは確かだろう。しかし、私は別の基準Eが必要だと思う立場である

基準E:慣習を取り扱える形で、双方向に整備を

 基準Eは、明文化されていない慣習を、きちんと取扱可能にすべきだという方法である。明文化するなりプログラム的に制御するという方法だ。以下に、なぜそのような立場採用するべきかを述べる。

 法がどうであれ、運用の水準で、実質的慣習法を作り上げるということはいくらでもできるということはよくある。そして、ローカルな場にいる人たちは、その場の慣習があたか普遍的適用可能な「常識であるかのような主張をはじめることが多い。だが、そうローカルな商慣習や、コミュニティ内の慣習は多くの場合炎上の温床となってしまう。今回の件だけでなく慣習と法の間での齟齬が「炎上」を生んだことは数多くあった。

 「様々な慣習に対して、可能であるのならば配慮すべきである」という主張は正しいと思う。可能であるのならば配慮するに越したことはない。

 しかし「様々な慣習に対して、常に配慮すべきである」という主張は、どうか。わたしは難しいのではないか、と思う。単純にそれは人間にとって不可能なことを要請しているように思うからだ。

 たとえば今回、火の手があがったのは、801界隈だったわけだけれども、オタク界隈どころかゲーマー界隈に限っても「同人ゲーマー界隈」「格闘ゲーマー界隈」「シューター界隈」「MMO界隈」「東方界隈」「レトロゲーマー界隈」など、細かなコミュニティがそれぞれの慣習をもっていて、自分が属していない界隈での慣習がどうなっているかというのは正直なところ把握しきれない。「私はオタク界隈のほぼ全てのコミュニティの慣習について把握しています」と自信をもって言えるという個人はいないだろう。まあ、それでもオタクコミュニティ界隈のことであれば、長くオタクをやってる人なら「ああ、これだったら何とかさんに聞いとけば温度感わかるっしょ」という人脈による解決はできなくはない。

 ただ、それが、もっと遠い界隈のことになってくると、限界が出て来る。芸術コンテンツまわりでも、現代芸術とかならまだしも、古典芸能世界でのセンシティヴな話題とか言われても、細かなことはさっぱりわからない自信がある。手芸とかもわからないし、動物園のこともわからないし、外食産業のこともわからない。わからないことがいっぱいある。

 で、まったく知らない界隈に飛び込んで、そこで見つけたものをよかれと思って引用しようとしたら、当事者からいきなり激怒されるなどしたら、私はビビるめっちゃビビる。超うろたえる。

 そんで、まあ、たぶんゴメンナサイすると思うけど、なぜキレられたのか、理解が追いつかないだろう。正直、ぜんぜんわからんと思う。小心者なので、とりあえず反射的にゴメンナサイをするでしょう。

 こういう事故を起こさないようにするには、何が重要か。

 「よく知らないもの言及しない」というのが重要だという人もいる。まあ、特にやる気がないなら、あんまりセンシティブそうなものには言及しないほうがいいかもしれない。

 ただし「よく知らないものを知る」ということ自体は、世の中に多様な人々がいるということの相互理解をすすめる上では実は非常に重要なことでもある。たとえばLGBT人種問題というのは、言及の仕方についてしょっちゅう諍いが起こっているが、まったく言及されないよりも「善意に基づく無理解」のような言及は、議論をよびながらも、なされていったほうがいいだろう(まあ、場合によっては無視されたほうがマシということは少なからずあるにはあるだろうが)。

 私としては、「同じ文脈を共有しない人にも、慣習上、重要な点を共有できるようにする仕組みづくり」を行っていくしかないと思う。

 その仕組みづくりにはいくつかの段階があるだろう。

どのように慣習を可視化するか?

 とりあえず、次のようないくつかのステップ提示してみたい。

 以上。STEPと書いてあるが、コレ全部やれという話ではない。まあ全部やれたらすごいとは思う。

 もっとも、慣習によっては標準化が難しかったり、明文化しないことによってこそ意味をもっているような慣習などもあるだろう。そういうものを取り扱うのは確かに難しいが、すべての慣習が取扱い不可能ということもないだろう。

 明文化できる慣習は、明文化して、可能な限りで、コミュニティの外部にいる第三者にも把握可能な形にするというのは、決して無意味なことではないと思う。お互いの不幸な行き違いをなくす基本的方法だとも思う。

 もちろん行き違いをなくすという方法自体を、腐女子コミュニティがいままで模索してこなかったとは思わない。

 腐女子コミュニティ内部にいる人達同士ですら、行き違いはあったのだろうし、そのなかでの行き違いをなくすために、R-18タグは付けることで「ひっそりとやってます」ということを暗に伝えるという慣習が成立したのだろうと思う。その慣習の成立はとても重要なことだったと思う。

 少なくとも腐女子コミュニティの内部では、この慣習はかなり機能していたはずだ。

 そして、今回の事件はその慣習が、実は一般的著作権法の枠組みと整合的なわけではないということによって起こってしまった。コミュニティが大きくなれば大きくなるほど、考慮すべき文脈多様性は広がってくるのだから、近年の腐女子コミュニティの拡大とともに、こういった事件が何かしらの形で起こることはありえたことだろうとは思う。

双方向の「配慮」が可能状態いかに作り上げるか

 それにもう一点付け加えておけば、私は「【基準B】:法的問題はない。しかし、当事者たちにとってセンシティブなことへの配慮が足りなかったという点で、研究倫理上の問題はある。」という態度だけを強調することは、一見配慮をうたっているようでいて、そこまで素晴らしい態度というわけでもないと思う。

 基本的には、この論理だけを強調せざるを得ないシーンというのは「対話することが難しいほど弱っている人たち」とか「西洋文化基準でもって踏み込むべきでもない人たち」、「複雑すぎる背景をもっているので相手に明文化とかをそこまで期待すべきでもない人たち」に対する場合ではないだろうか。

 つまり言及をする側から一方的配慮である。鬱でほんとに今にも死にそうな人とかに対しては確かにそういう形でのコミュニケーションしかできないから、そういう場合は仕方がない。

 もちろん、言及をする側は可能な限り配慮すべきだ。しかし、だからといって、言及をする側だけに配慮要求するというのは、言及される側を馬鹿にした話ではないだろうか。配慮相互になされてよいと思うし、腐女子の方々は、一方的配慮されるだけの弱者とかではないと思う。

 多くの腐女子お姉さまがたは、尊敬すべき人々であると思っている。ぜひとも腐女子コミュニティの今後の拡大にあたって、より受け入れられやすコミュニティ形成をしていっていただければ幸いだと思う。

 

 また、今回はたまたま腐女子コミュニティ一般法との間の問題であったが、これは見えにくい慣習と一般法の間にズレがあるケースでは、似たような問題は何度も起こるタイプの話だとも思う。ローカルライセンスのようなものが増えすぎたら、それもそれで面倒だということもあるとは思うが、何もないよりは、だいぶよいだろうとは思う。

付記1:言論の自由引用について

「慣習は、法の前には下位の基準しかない」という話についても簡単に触れておきたい。

 基本的には法のほうが重要だとは私も思う。ただし、それは慣習と、法とのガチンコ対決回避できないという事態が訪れた場合、法が優先するということであって、ガチンコ対決回避可能場合や、慣習が公序良俗に反するというわけでもない場合は、別に回避してやってけばいいのではないか、と思っている。

 今回、腐女子コミュニティで「引用」に関わるルール特殊な形で扱われていたが、もし腐女子コミュニティにおける「引用ルールを、一般社会全体にまで拡大させようという動きにつながることがあるのならば、これは断固ととして反対する。

 「引用」の自由は、研究にとって重要という以上に、自由言論政治社会にとって重要ものだ。たとえば、それを政治的言論(たとえばヘイトスピーチ)をやっている人たちが「引用ルールの除外適用を求めてきたとしたら、それは素人文章だったとしても、まったく受け入れられない。「公開した俺の政治的発言引用しないでくれ」などありえない。それを引用して批判する自由を奪われれば、政治的なことについて公共の場議論することに多大な支障が出るだろう。

 今回の場合は(1)性的プライバシー問題であるということ(2)腐女子コミュニティの内部で、そのコミュニティに属する人々の合意において特殊な「オープンクローズ概念実効力をもった慣習である、という前提があって、はじめて「それは配慮しましょう」という話がありうるのであって、著作権における「引用」そのものを捻じ曲げるような話であってはならない。

 この著作権における「引用」を捻じ曲げていいかどうか、というの話はすべての人にとっての言論の自由の確保という意味で、致命的に重要ポイントである。これを安易に捻じ曲げるような権利主張は極めて危ういとも思う。

付記2:

 STEP3、STEP4とかはアクション担い手が限られるだろうとは思う。ただ、腐女子コミュニティもだいぶ拡大しているわけなので弁護士研究者経営者などの腐女子の方などが行動すれば決して不可能な話でもないのではなかろうか。

付記3:

 腐女子の人たちについて「二次創作やってる人たちはダブスタなんじゃねーの」問題。この件はダブスタとわかってて、恐縮しながらも、言うべきことは言おうという人と、なんもわかってない人が両方いると思う。

 後者の人たちについては、わかってくださいね、というしかないと思う。自分たちけが弱者被害者という立場でないことは理解してほしいとしか

#あと、二次創作でも「作者公認系」とかもあるので、全てがアウトというわけでもないだろうが、今回問題になったものがどっちだったかまでは調べていない。まあ、おそ松さんとかは、公式問題にしないタイプから公式との関係では、まあどうといった問題もないのだろう。

付記4:

http://anond.hatelabo.jp/20170527202448

このエントリ問題性質をよく示していると思う。

流通プラットフォームが変わるごとにちょっとずつ腐界隈の慣習と、

実態との関係性もちょっとずつ変質していっているという話だと思う。

流通プラットフォームはどんどんと変わっていくので、

その変化にあわせてぼんやりした慣習だと、運用に失敗しました、というのが今回の話なんだと思う。

オタ界隈は、かなり基盤技術の変化がはやいので、この変化に対応できるような基準が成立しないと、この手のことは何度も起こるのだろうなと思う。

2017-05-25

なぜこの世が弱肉強食である理解しないのか

概ねどの記事でもそうだが、「この世は弱肉強食である」とか書くと「適応云々~」だの「人間社会はああだこうだ~」というマウンティングをよく見かける(本人はこれで論破した気になってるのでマウンティングということにしておく)

しかし、現今社会アベ政治であろうがミンス政治であろうが、そこにあるのは強きものが弱きもの搾取して成立する社会であり、これを弱肉強食と言わないでなんと呼べばよいのか、低偏差値の私にはわからぬ。

そもそもの話、所得層のピラミッドを建てれば少なき富裕層が多き貧困層から回収するシステム経済システムは出来上がっており、これ自身が既に格差社会弱肉強食を産まんとする力学が働くだろう。

そうでないとして、これを上流から下流へ流さんとする力は明らかに弱い。なぜか。

貯蓄するからである

企業内部留保はよく批判されるが、これは言ってしまえば企業貯金である

これを切り崩すなり他からなんとかするとして個人に分配するとしよう。個人は消費するだろうか?

消費せず、貯蓄するのは想像に難くない。

結局、法人個人という枠で、どっちが貯金するんですか、というのが今の働き方改革含めての日本社会問題なのだ

まり総量は変わらず、バランス問題であるという。

では新たな問題だが、バランスのよい(良さは解釈によるが)社会弱肉強食は成立し得ないのか。

これは世界的な食糧問題とも直結するが、総量の少ない中でバランスを求めてもそこにあるのは全貧困という絶望だけである

倹しい暮らしなどと綺麗事はいくらでも吐けよう。しかし我々は、我々自身が、資本主義の門弟であり、快楽主義権化であり、自由主義体現である

これを否定して誰が満足しようか。しない。

満足を求めて、争う未来が待っている。

総量を増やさぬ未来平等な、あるいはそれに近しい幸福などありえない。

では総量を増やすにはどうすればよいのか?

一人あたりの総量を増やすために、必要な数を減らすのである

分子は増やして、分母は減らすのである

コレを否定するならば、たとえば一極に富を集めるなどして集積することで、見かけ上の平等を実現するのが適当であろう。

もちろんこれでは地球規模の平等たり得ぬ。あるのは一極を超えた格差であり、弱肉強食である

これを戦後実現せしめた国が存在する。

その国には、衰えを受け入れられぬ民が豊かさを求め、自らが争いの担い手になることを怯えながら暮らしている。

2017-04-21

家に教育費出せるだけの金があるからインテリ気取りの左翼にもなれるわけでね

共産主義革命担い手結構いいとこの坊っちゃんだったりするし

2017-03-31

昔はよかったと言いながら、歴史の魅力を推さない風潮

国際化が進む日本でも、地方のように、歴史的遺産の残る原風景も探せばまだまだある。これは韓国台湾中国も同様だ。大都会から続く現代都市は、必ずどこかで途切れる。

しかしそういう場所を通ると、必ず別のことにも気づく。それは、本来都市と無縁である地域にもかかわらず、ついこの間まで歴史的価値のあったような場所無秩序都市に変貌していることだ。田舎分譲マンション建設されていて、本来学園都市と無縁である地域大学キャンパスがドカドカ建ち、鉄道道路は満員状態だ。

東アジアはよく「欧米東南アジアのように未来志向なだけではなく、歴史もあって田舎もあってバランスが良い」ことを売りにしている。たしか関西中部関東のように、都市無秩序対策にとことん取り組みつつ歴史的遺産をきっちり守る場所もある。どうも大都市圏方面ばかりそういう施策はあるのに、田舎のそれを蔑ろにしすぎだと思う。

日本田舎が都会の何倍以上もあるが、田中角栄政権移行の画一的開発化に伴う開発もあって、もはや「田舎」は残っていない。つまり貴方たちが云う田舎はその地域の片隅にしか残っていない。北関東東北にも歴史スポットはあるが過去の名残もあっても観光地化に適しているとはいえない。

日本都市開発はやたら前時代的と言われる。しか日本において「道路の便利な場所」なら大都市部にもある。例えば札幌新潟だ。ではそれらを資源として活用しているだろうか?新潟市出身の親父の友人いわく帰省がてら訪問したら悲壮感がただよっててやばかったという話である文化人はそんな場所で生まれやすい。

オタク文化担い手地方出身者の多さは、日本ポップカルチャーというものいか社会の暗さを世界に示したように見える。都市中央恩恵を受けず、そこで生まれ人間が学と徳を弁え、現地は都市ほど産業が少ないので自営業が多くなり、中には漫画文学などの作家になってしまう。

こういう系列クリエイター首都圏から輩出することは少ない。まして都会の場合、かつて流行していたアングラ漫画とか、社会風刺もののような、どちらかというと現実風刺路線の、文化的な味がやや薄い作品ばかりだ。

私は少年少女漫画小説の中で東京都市部神奈川県地元民が描いた作品がダサくなっていると思っている(あくまでも数字のみで見た考えで、作品ごとの評価は別)。とくに高校生を描いた物は、往年の不良漫画みたいに野暮になっている。同じ関東でも埼玉北関東のものと比べても悪い意味で飽きやすい。高評価される作品地方民・地方出身者が書いたものが主流。ギャルヤンキーのようなダサいもの地方っぽいが、今のサブカル面は違う。

で、なぜ作品レベルがばらついているというと、やはりそれは地方に行くほど仕事の数が少ないが、時間お金にゆとりのある人が転入するために、作品作りへのゆとりが生まれやすいからではないか。そういう場所では、ありのまま地元を描くことが難しいが、空想もの作品を生むにはうってつけの場所だ。

社会風刺文化的ものが分離されていることが理想であるが、だったらそれがなぜ都会でも出来ないのか。広義の都会人の自分が言うのも説得力いかもしれないが本当はこういったばらつきはないべきで社会風刺と娯楽もの区別が明確になければ文化強国は持続しない。

2017-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20170302145031

金にならないような基礎研究とか、より学問よりの研究とかあるじゃん

あそこらへんの担い手が居ないと思うんだよね

みんな生活あるし、国は金出さねーし

「金が無尽蔵にあったらあの研究ずっとしてたいなー」「老後は好きな研究して暮らしたい」って人を主に迎え入れるイメージ

 

ちょっと怖いのは

競争が激化してポスドク研究者報酬が減るみたいな自体だけど

有能な人が散々稼いだのを大学にツッコんでくれればプラマイゼロくらいにならないかな(適当

 

 

まあ、他の人が言ってるけど、もうありそう(あるいは考えた上で無さそう)

2017-02-27

テレビ必要論

http://izumojiro.hatenablog.com/entry/2017/02/27/194152

テレビ生活必需品ではない、という主旨の記事である

なるほど。たしかに今の時代テレビから取得する情報よりもインターネットで得る情報のほうが価値があるかもしれない。

インターネット情報選択可能性を有している。インターネットにおいて、関心のない情報は見なくて済むし、気分を害するような記事コンテンツ意図的に取り除くことができる。

Twitterを始めとしたSNSも、その強みの本質情報効率化だ。

気が合わない人のアカウントブロックすればいい。馬が合う人とだけ相互フォロー関係を結んだ上で情報を共有する。無駄のない社会、素晴らしい。

では、ここでひとつ知的好奇心を満たすという前提で、テレビは本当に必要ないのだろうか?

リンク先の記事担い手は、テレビ無しで生活をした上で実感を語っているだけである記事書き手に罪はないので、それを言及するつもりはない。

ただ、教養知識を蓄えようとするならテレビ必要不可欠なアイテムだと私は思う。

理由としては、テレビ情報にも価値はあるからである。むしろ、近頃はインターネット掲載された中身の浅い記事wikiよりも、NHKドキュメンタリー放送大学講義のほうが体系化された智慧として有用性が高いように感じられる。

なぜなら、傾向としてインターネット知識は皆一様に同じもの選択することになり、情報が共有できてしまう以上、その情報価値がないからだ。

知人に大学講師が数人いるが、試しに話を聞いてみると、インターネットニュース記事も読んでいれば、テレビ番組もしきりにチェックしている。もちろん熱心に本も読む。

あくまで私の周りの傾向なので、いやいやそれは違うだろと云う人もいるとは思う。

何はともあれ、私はテレビ不要論にはわりと辟易としている。これは個人意見なので、どっちが正しいかいかという線引をすることがこの記事目的ではない。

それでも、インターネットのほうが便利だという意見はげんなりするほど耳にする。一昔前よりもテレビの優先度が減ったことだけは確かだが、そこまで必要のないものだとも思えない。

匿名はてなを居場所にしているような人達テレビ不要なのだろうか?

2017-02-10

逸失利益まで賠償することになると福祉担い手を首を絞めることになる

15歳の息子を障害者施設入所中に事故で亡くしたことをめぐり、親が施設相手取り逸失利益5000万円の賠償を求めているという。

障害者からといって差別しないで」という意見で、これは正論である

障害者差別してはならない。

しかしその差別の解消と、5000万円の賠償金は、イコールでつながるのか?

ただでさえ障害者施設など福祉施設はかぎられた予算運営している状況だ。

それにこのようなリスクまでおうことが当然、ということになると、

福祉担い手はどんどん減っていくだろう。

足りないとされている保育園もそうだ。

リスクのことを考えるとまともな感覚の人は運営なんて考えないだろう。

健常者や障害者というのを問わず私たちには逸失利益なんて権利を持っているのか?

こんなことでは日本はどんどん苦しくなることはあきらかだ。

2017-01-31

皆の誰もが「男性ではなく女性ケアしてほしい」と思うからなのでは

 男性保育士女児おむつ交換をするのは良くない、という話題にて、良くない、という意見を持つ要因とは何か考えた。

 そこで、山田昌弘さんの『モテる構造―男の女の社会学』(ちくま新書2016年、以下本書)の【第7章 ケアは女の役割か―男が触るといやらしい?】(p194-p203)で述べられている、ケアに関する男女の非対称性が関わってくると考えた。

 本書は、【男性は人前で泣いてはいけない】をはじめとする性別の「らしさ規範」や女性における【できる女はモテないのか】問題をはじめとする「男女の非対称性」について分析俯瞰した本である

 第7章は「ケア」における男女について書かれている。

 介護従事者や保育士など、人の身体ケアする仕事についている大部分が女性であり、「女性男性ケアしても許されるが、男性女性ケアすることには心理的抵抗が伴う」という男女の非対称性が見られると書かれている。

 次に、介護における性別の抵抗感に関する調査では、「男性から見た抵抗感:婿・嫁が最も高く、女性から見た抵抗感:"息子>娘"・"婿>嫁"・"若い男性介護士>若い女性介護士"・"中年男性介護士>中年女性介護士"」という結果になったことが書かれている(p.198【図表7-4 介護における性別の抵抗感】より一部抜粋)。よって、看護という多少専門的な分野であっても、男性であっても女性看護師の方が好まれ女性場合は、男性看護師は避けたい対象なのであるということが書かれている。

 そして、「ケア労働本来持つ性格として、ケア相手気持ちを考えながら行う労働であること、そして、ケアは体に働きかけ相手気持ちよくさせる労働であることから、前者が、ケア担い手として女性がより好まれ理由であり、後者ケア担い手として男性が避けられる理由なのであるとされている。そうして、二重のジェンダーにおける差異があるために、家庭内でも、家庭外でもケア担い手女性になりやす理由なのであるともされている。

 続いて、ケア身体性に関連して、ケア相手身体的、精神的に気持ちよくさせる行動なのであり、言葉にしてしまえば、性的コミュニケーションと同じ意味を持っているため、身体ケア行動は性行為連想させてしまうという。よって、ケアでは、配偶者恋人以外の家族他人に裸を見られる恥ずかしさを減少させ、性行為連想させないことがケア現場では重要であり、女性ケアした方が、性行為連想しにくいのであるという。しかし、父親子どもの世話をするのが一般的ではなく、同性の間に親密関係がなかなか築けない文化であることを一因となって、男性はそうはいかないという。その上、性行為においては、男性が主導権を握るイメージが定着していることから男性が、優しい手つきでにこにこしながら、女性を触って気持ちよくさせるということは、どうしても性行為連想させてしまう、だからといって、男性ケアに向かないことや女性ケアして当然であることをを導きたいわけではなく、男性ケア労働進出するためには、「恥ずかしさ」という感情を何らかの形で克服する必要があると結んでいる。

 これらを踏まえて、男性保育士女児おむつ交換をするのは良くない、というのは、自分達が「ケアされる」時がやって来た際に「男性ではなく女性ケアしてほしい」と潜在的にあるいは無意識的に思うことや父親が世話することの延長として捉えられていないこと等に由来するのではないかと考えた。

2017-01-29

「○○で育った者が○○になる」時に起こる異変 ← 何か名前ほしいな

アニメで育った者がアニメーターになる

ゲームで育った者がゲームクリエーターになる

漫画で育った者が漫画家になる

はてブで育った者が増田になる

アニメで育ったもの声優になる

 

クリエイトが以外でもそうだ

 

学校教育で育った者が先生になる

民主主義で育った者が政治家になる

 

ひろゆきの言うコミュニティの一生にも近い

http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%83%86%E3%82%A3%E3%81%AE%E4%B8%80%E7%94%9F

 

まり、何らかの選択可能複数文化があったとして

文化1、文化2、文化3、文化

 

このとき文化5を作るにあたって、最初世代は他の文化経験した人たちなわけだ

なので彼らは文化5で色々工夫するし、改善するし、文化5の良い面と悪い面を、他の文化との差分として知っている

 

ただ、文化5で育った人が文化5の担い手になる時(第二世代)

インプリンティングされた常識が非常に枷になって、宗教じみてくる

それも当たり前で、彼らは文化5が好きだから文化5の担い手になるのだ

そこを変えようだなんて人は滅多に居ないだろう

 

恐ろしいのは第三世代が生まれとき

三世代の誰かが何かを変えようとした時、承認を求める先が第二世代になる

二世代は答えを持っていないので、第三世代の改革を阻止することしか考えない

そうなると、気概のある第三世代は文化から抜けていく

 

するとポスト第四世代は「古い体質で、変わろうとしない文化」という認識を持つ

そして大抵そこで文化崩壊するわけだが

ごく狭い領域で生き残ったり、彼らに権力が生じると延々とゾンビのように生き残ることになる

 

ちなみにこういう状況を打破するのは、破壊神みたいな特異な人材とか、世の中の変化、人の死くらいじゃないかな?

個々ができることとしては、第二世代に耳をかさないことくらいか

2016-12-19

東京メトロの行き先表示器がひどい

最近千代田線ホームにある行き先表示器が新しいものに交換されたんだけど、これがあまりにひどすぎて毎日本当に困っている。どうにかして欲しい。

コレ>http://www.tokyometro.jp/news/images_h/metroNews20160803_64-2.pdf

【ひどい点】

・これまでの行き先表示器より行き先を示す文字サイズが格段に小さくなって、遠くからでは全く読めなくなった。行き先表示器として致命的。

・表示器内に情報を詰め込みすぎて、何が何やらさっぱりわからない。これまでは基本的に「先発列車の時刻」「先発列車の行き先」「次発列車の時刻」「次発列車の行き先」の4つの要素しか表示されていなかったのが、新しい表示器ではこれらの要素に加えて「先発・次発の表示」「行き先のひらがな表示」「先発と次発の駅ナンバリング表示」「電車現在位置」「お知らせの文字スクロール」が常に同じ画面上に表示されるようになった。基本4種類しか表示されていなかったのが常時11種類の表示になったわけで、情報が溢れすぎていてぱっと見の視認性が悪すぎる。

さらに、上記の要素一つ一つを何故か角丸の枠で囲っているデザインにしてあるせいで、一つ一つの文字がより小さくなっていて非常に見辛い。

・これまでは文字自体LEDで発光していたので見やすかったが、液晶画面になって文字が背景に埋もれて見辛くなった。枠の色や背景色メトロの紺色をベースにしていて見辛い。なぜ見やすさより自社のテーマカラーを優先するのか理解に苦しむ。

オリンピックを見据えた多国語対応ということでこの表示器が導入されたみたいだけど、大多数の日本人利用者からすると以前のものよりはるかに見辛くなったように思う。1日何百万人もの目に触れるものをこんな見辛いものに変更するなんて正気の沙汰とは思えない。東京メトロは導入にあたってきちんとモニター調査なりを行なったのだろうか。

営団地下鉄サインが導入された時は、大手町駅で長い時間かけてチェックと改善を行なった後に全駅に展開したというのをどこかで読んだことがある。一方、今回の表示器は2019年までに一気に全駅で取り替えを行うとのことだ。この差は一体なんなのだろう。公共交通担い手としてはあまり仕事杜撰だと思う。はっきり言ってオリンピックロゴなんかよりはるかに影響力のでかいデザインの話だと思うんだけど、どうにかならないもんだろうか。

2016-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20161204122213

少子高齢化社会やばいやばい言われてんのにまだこんなこと言う人いるんだ

もうすでに人口減少社会突入して人手も次世代担い手も足りなくなっていくってのが分かってる状況でそんな悠長な自己責任論でやってたらそれこそ日本死んじゃうよ

2016-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20160803063621

そうだと思うよ。あまりにうるさく言われるものから認識がずれちゃってるんだな。

個人的見解は以下の3点。

少子化絶対悪ではない

そもそも、少子化の原因は結婚数が減ったからで、それは無理に結婚しなくてもよくなったからだ。

女が社会進出すれば男に頼らず生きていける。男だって独身不都合がなければ女を食わせる必要はない。

もし、少子化絶対悪で、他の何を犠牲にしてでも解決すべき問題なら、簡単な話だ。

今すぐ女の雇用を引っぺがして、男にも圧力をかけて、結婚が当たり前だった時代に戻してやればいい。

もちろん、こんなのは現実的ではない。主張する人がいないわけじゃないが、広く支持を得るのは無理だ。

まり少子化対策の優先度は現状、あくまで個人の自由より低いものしかない。

なんでも少子化のせいにしすぎである

では、なぜここまで少子化槍玉に挙げられるのか。

ずいぶん前にどこぞのイタリア人が言ってたが、それは少子化のせいにしておけば楽だからだろう。

内需が先細りして景気に悪影響があるだの、企業が傾くだの、大学が潰れるだの、

介護担い手がいなくなるだの、いろんな問題をひとっところにまとめてしまえる。

そりゃ、少子化がそれらにいい影響を与えることはないだろう。

しかし、もっと大きな要素がある。不景気になったのは金融政策が適切でなかったからだ。

メーカーが傾いたのも少子化以前の問題で、海外メーカーと大して変わらん品質の割に、

無駄に高いモノしか作れなくなったからだろうが。

介護が人不足なのは責任の割に収入が低いからで、それは元々無償労働だった時代を引きずってるからだ。

大学にしても、4年も通ってまともな就職先がないなら、潰れたってしょうがないだろ。

少子化問題現実逃避であり気休めである

けど、それを回避するために、果たして何をしたらよかったのかはわからない。

当時の人間のこともあまり悪く言えない。

何より、これからどう解決すればいいのかについても、意見がバラバラだ。

そんな時でも、とにかく少子化が悪い、今の若い世代子供を産まないせいだーって言っときゃ、

とりあえず一致団結できるわけだ。

気休めなんだよ。要するにね。

2016-07-29

http://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/articles/20160728/k00/00e/040/221000c

労働力担い手としての経済的価値能力人間序列化する社会。そこでは、重度の障害者生存は軽視され、究極的には否定されてしまいかねない。

障害者が軽視されるんじゃなくて、「健常者のくせに障害者よりも活躍できないゴミ」が軽視される世の中になるんですよね。

誰もあなたホーキングベートーヴェンバカしません。「きっと何者にもなれないお前たち」には、ためらわず罵倒します。クズから

しかし、これは障害者に対してだけのことではないだろう。生産性労働能力に基づく人間価値序列化、人の存在意義を軽視・否定する論理メカニズムは、徐々に拡大し、最終的には大多数の人を覆い尽くすに違いない。

こういう主張をする人間は概して「いずれ対象が広がりお前にも振りかかる」という論調をするが、そういう語り方でしか相手を説得できないなら、寛容な社会は滅ぶよ。序列化合理的に、ロジックでなされるが、所詮誰かの感情しか語るものがないなら、それは議論俎上にも上がらず、事前に排除される。

こういう教授東大にいるってのが、素晴らしいね権力を持った障害者だという自覚がないんだろう。権力を持たない健常者は、あなたより劣るんですよ。明確にね。

障害者生存を軽視・否定する思想とは、すなわち障害の有無にかかわらず、すべての人の生存を軽視・否定する思想なのである

なんでそうなるのやら。ポジショントークだというのはわかるけど、雑な声明過ぎて、微妙

その程度の主張では人の心に届かぬ。底辺の健常者には響かぬ。

2016-07-26

セックスレスになるのって、財布を一緒にするのが原因な気がしてきた

近頃増田流行りのセックスレスについて、ホルモンとか子育て負担かいうのを無視して考えたら、

この仮説に行き着いてしまった。

そもそも、日本においては女性社会進出が進んでいない。

最近夫婦共稼ぎの家庭が増えたが、そうはいっても、夫婦両方がフルタイムという例は限られており、

家計の主要な担い手は夫というケースがまだまだ多い。

さらに、日本の家庭に特有なのが、夫の小遣い制である

家計は妻が管理し、夫は一定の額を渡されて、基本的自分のものだけを買うというシステムになっている。

だが、ここに問題があるのではないかと思うのだ。

恋愛において、食事をおごったり、プレゼントを渡したりというのが関係の構築や維持に機能するのは、

その出所他人の財布だからという面もある。

他人の財布だからうれしいのであって、自分の財布から出たら、単なる無駄遣いだ。

こう言うと、セックスの対価みたいに聞こえてしまってアレだが、とにかくそういうことだ。

小遣い制の下では、男はパートナーのために身銭を切るという機会を奪われているといえる。

そう考えれば、女性社会進出が進んでいて、かつ夫の小遣い制が普及していない欧米

セックスレスが少ない理由も、無理やり説明できちゃったりしないだろうか。

2016-06-03

msdbkmは偉いよな

とりあえず1ゲットしといて、後で読むタグは付けないもの

気が向いてあとで読みに来たときにちゃんとブコメ書くんだもんな。

最近msdbkmさん的な担い手なかなかいないよな。

サバカレーさんは増殖するだけしておいて、

ぜんぜん仕事してないし(サバカレーさん本体は忙しいみたい)

って、msdbkmさんをよいしょしておけば僕が書いた増田ブクマしてくれるよね★彡

2016-05-11

街と文化を結び付ける感覚理解できない

新宿がどうだ、原宿がどうだという、街単位での文化を語る人をネットでよく見かける。

自分には街と文化を結びつける感覚が分からない。

どこに行ってもそんなに違うように思えない。

街なんて、それぞれ独立した施設が偶然近くに並んでいるだけのものだ、と思う。

自分鉄道も通ってない山の中で育ち、ずっと引きこもってネットばっかりしていた。

ネットがあればどこにいようが変わらず、ニッチ情報ニッチ商品もなんでも手に入る、という感覚がある。世界は一つだ。

いまどき、住む場所によって文化レベルなんて変わらない。個人差の方がずっと大きい。

インターネットで何かの文化に触れて、それに興味を持つようになったら、誰でも文化担い手だ。

都会に暮らしている今でも同じように考えている。

住む場所によって変わることがあるとしたら、特別施設必要なことをしたい場合だ。例えば劇場なんかは田舎にはないかもしれない。

ただ、そのような特別施設では、個々に全く別々の用途があり、施設単体で十分思い入れを持てる。それらを街単位でくくる意義を見出せない。

2016-04-26

[]4月26日

○朝食:なし

○昼食:おにぎり三つ(ツナ焼き鳥マヨ七味、梅干し

○夕食:袋麺、パン四つ(カスタードクロワッサン、明太チーズポテトソーセージタマネギ

調子

むきゅー?

偉い人たちが出張アンド早めのゴールデンウィーク休暇で軒並み居なくなり、

僕が一番古株でかつ、一番仕様理解していないといけない立場、という絶妙ポジションになってしまった。

そのせいでメンバの、水曜日木曜日、来週の月曜日金曜日の四日間のスケジュールを組むお仕事をした。

まあ、とりあえず水曜日木曜日は単純作業を振って、そのうちに僕が色々準備をして……

段取りを立てつつ、自分自身に振られてる作業をこなすのはどう考えても無理そうだったので、

自分に振られてる作業をバラして、適度にメンバに振れるようにして、となんか普段使わない頭の部位を使って、滅茶苦茶疲れた

っていうか、作業工数見積もりってどうやってすんの!? ってかなりテンパって、仕方ないから一つ自分で実際にやってみて時間計ったりしてた。

帰ってきたのも遅くて、もうクタクタ久夛良木さんです。

久夛良木さんは夢の担い手です。

ゴールデンウィークの予定

有給さんが無いので普通にカレンダー通り。

金、土、日。

火、水、木。

土、日。

飛び石な感じ。

とりあえず、最初三連休は、パンチラインEVEリメイクと新作ゲームをやることにして、

次の三連休は、ずーーーっと積みっぱなしの「吹雪山荘」っていうリレー小説があって、

それに登場する探偵たちの原作から全部読んで、それからようやく「吹雪山荘」本編に突入するっていう、

吹雪山荘」満喫ツアーをやろうかと画策中。

かい事は明日決めよう。

2016-03-22

少子化対策としての移民推進に反対したい

少子化問題の解決に移民推進とか言ってる奴はお金持ちになりたい→遺産目当てに老人と結婚するホストみたいだと思う。

安直だ。

移民根本的な問題を解決しつつ出生率をあげる方法が出せない無能だと思う。

移民を「生産」してる国を日本実質的植民地にして、日本資源産出国になるのがベストだと思う。

帝国主義と言われようと、難民問題解決のために必要コストを支払ってもらう。

日本平和を維持するために多くの制限を受けてきたし、支払いも続けてきた。

同じものを払わないで善人ぶって単純に助けてあげるのは国益に反する可能性が極めて高いのではないか。

国際社会協調しないなら日本難民の受け入れなど拒否するし国連への拠出金も凍結する。

日本が受け取る利益プライマリーバランス改善し、出産育児教育支援への体制を整える。

この主張は当然国際社会から非難を浴びるだろう。

よって現状でいえば国連主導による、移民の国を新たに樹立する方針ベターだ。

要はアメリカをもうひとつつくればいい。

砂漠なかにラスベガスがつくれるのだから、空いてる砂漠アメリカをつくればいい。

そしてかかった費用出資国に還元する。通貨国家運営が安定するまではドルペッグでよかろう。

わたし不勉強もあってか、移民受け入れを行ったドイツがどうなったのか、

どうすればよかったのかを支持者に明確な説明をした移民推進派の論客を見たことがない。

日本単純労働担い手として出稼ぎにきた人々が日本幸福に満ち足りた生活をしているか

その生活実態レポートした新聞記事も見たことがない。

ヘイトスピーチはいけない、差別はいけないというが、移民差別されなかった地域など聞いたこともない。

文化的協和が摩擦になり、隣の町の本国人は楽しく暮らしているさまを毎日見せつけられたら不満を抱くのも当然だ。

結局のところ移民推進派は、机上の空論指標数字を操るゲームをしているだけだ。

現実ゲーム区別がつかないとは、移民推進派の主張に貼られるべきレッテルだと思う。

同時に、育児検定も発足させる。免許ではない。あくまで検定だ。

日本語検定を持っていなくても日本語自由に(当然責任をもって)使っていいように

親になるのは勝手だが、親としての資質他者証明できるシステムがあっていい。

男性育児に協力することが常識となる一方で、

離婚した夫婦親権に関して女親が優遇されている。

これは明らかに性差別だと思うのだが、にも関わらず育児の適性についての明確な指標がない。

教育論はまちまちだが、「栄養の偏りのない食事提供する」「子供との触れあう時間もつ」「子供健康に気を配る」など

常識となっていて議論もされていない部分を明確にすることには意味があるだろう。

アレルギーをいまだに甘えと認識している不勉強人間排除することができる。

地域放置子の問題が発生した時に対処にかかる時間が短縮される。

・周囲の無理解から産後うつ育児ノイローゼに陥る危険性が減る。

など、妊婦新生児の母への協力を促すことが見込まれるので育児放棄の減少が期待できる。

また「妊婦様」などと言われる、過剰な権利優遇を主張するモンスターペアレント予備軍の減少も副次的効果として期待したい。

制度の詳細については各政党省庁の提出する試案を待ちたい。

一級以上の検定所有者は

育児にかかる特定費用を控除申請できる」、

規定以上の割合で検定所有者を雇用している企業法人税減免」などはワークライフバランスを見つめなおすきっかけになるだろう。

2016-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20160315173152

http://anond.hatelabo.jp/20160316231324

女性男性労働結婚出産などの、ここ100年くらいの状況って総括するとどうなるんだろ?

よくまとまってる記事とかブログとか本ってない? なるべく私怨が少ないやつで。

この辺の問題を論じるとき参加者は背景の共有ができているのだろうか。できてないと話ズレるとおもう。

自分の頭の中の認識だとこんな感じなんだけど:

修正・加筆・全部書き直しとか誰かキボンヌ

要点キーワード列挙するとこんな感じ

男女、歴史的経緯政治の無策、教育自分で考える能力のなさ(政治の無関心)、権力構造時代適応して価値観を変えたり次世代に引き継ぐことができない権力

■昔

選択の自由がない単純化されたシステムだった。キツいが、役割を果たせば成立しているシステムであった。でも役割がキツすぎたのか反発が起きていく。

男性労働して家族を養っていた。つまりそれだけの給料をもらえていた。ただ、家庭と職場の両面で社会的重責が課せられた。その反動家庭内では暴力的だった。

女性労働しづらかった。だから一人で生活不可能なので、旦那を見つけて専業主婦するしか選択肢がなかった。たとえ暴力旦那でも。

男女がお見合いで利害の一致によってくっついて家庭になるので必然的子供もできた。

このとき男性側のメリットって何なのだろうか?メリットというよりは社会的圧力だろうか。

まり能力がなくても就職できさえすれば年功序列によって救われた。

女性は生きていけないので、旦那イケメンかどうかとか言ってられない、なりふり構ってられない状況であった。だからブサメン男性も救われていた。

また明治初期は、女性労働どころか選挙権すらなかった。

寿命現代ほどは長くなく、高齢者現代よりも少なかった。

現代

男性給料が減り、家族を養うどころか自分一人を生かすのも危うくなった。男性一人の収入家族を養えるのはごく限られた一部になった。

女性能力意志さえあれば働けるようになり、一人で生活が可能になった。とはい給料男性と同じかそれ未満。給料的に置かれてる状況は同じ。金が無い。

このことから子供を作る場合共働きでないと収入面で辛くなった。それでも働いているので時間がなかったりしてかなり厳しい状況なので子供を作れなくなった。DINKSという。

仕事育児もなんでもこなスーパーウーマンなんかはごく一部である共働きはいベビーシッターを雇えるような状況でもない。

親子間での殺人事件ネグレクト子供騒音問題ベビーカー問題子供への犯罪養育費の高騰、核家族化による育児サポートのなさ、大学まで行かせても低い就職率、ブラック企業日本の将来性など、子供未来にも暗い影があることも出産抑制している。

それに子供以前に、結婚をしなく・できなくなった。女性は自活できるので、結婚への圧力は減り、恋愛自由競争化しお見合いが減った。なので市場価値の高いもの志向するようになった。昔の男性のような家族を養える高収入アイドルブーム二次元の発達による美形、などを志向する風潮。

また、労働能力意思がない女性は、昔の時代女性が受けた暴力反動根拠とするアジテートからか、都合の良いATM旦那家事育児旦那を求めたり、痴漢冤罪恋愛弱者男性迫害といった、婚前・婚後を問わない男性への社会的暴力を開始した。昔の男性の罪など知らない現代男性にとってはこれを不服とし、「イケメン無罪」「※ただしイケメンに限る」「メンヘラ」「(イケメンには良い顔をする)クソビッチ」などの揶揄批判用語を作り出して応戦した。泥沼化している。

昔の男性の罪は、現代男性が負うべきなのだろうか。罪というかみんな別々の辛さだったんだけど。その批判なら男性でなく明治政府に対してすべきでは?

男性に対する結婚への社会的圧力も減ったので、男性側も結婚を選択しないで済むようにはなった。というか市場価値不足によってしたくてもできないのも大きい。女性社会的暴力辟易してしまう成分もあるし、二次元の発達、性風俗従事する女性の美形レベルの向上もある。旦那がガンになったら捨てられたりする。熟年離婚セーフティネット互助機能家族から失われている。「病める時も健やかなる時も〜」という宣誓は何だったのか。昔のところに書いたように、イヤイヤでも仕方なく結婚したケースも多いから仕方ないのか。

労働意思能力があり、自活できる女性DVから救われ自由を手に入れた」わけだが、「労働意思または能力がないので高収入旦那ATM必要とする女性」はあまり救われてない感じであるATM旦那を見つけたとしても、そんな妻をもった旦那のほうはイヤイヤ結婚生活であり苦痛である鉄道模型を捨てられたりするし。

恋愛市場価値の高い男性引く手数多であり、未婚率が男性が高く女性が低いのは、そういった男性再婚をするからである

恋愛市場価値の高い男性と、低い男性との間でも溝ができた。「恋愛アドバイスだって?じゃあさ、まず女の子食事いくとするじゃん?」といった、前提レベルが違いすぎる分かり合えない溝を産んだ。

告白したらフラれたリア充しね。

労働能力意思の無い(低い)男性は、強い社会的圧力さらされている。

昔は年功序列によって無能も救済された。だが、徐々に能力主義になっていくにつれ無能は淘汰され、そもそも入社できなくなっていく。しかし昔の無能年功序列によって上層部になっていくので、能力主義による淘汰を免れた。いまでは上層部の中・高齢者無能と有能が混在し、中堅以下の中年や若年には無能存在できなくなった。そういう組織構成になった。医療進歩寿命が延び、高齢化社会になったのもある。

女性ならまだしも、男性が働かないとはなにごとだ」

それでもニートは200万人くらいいるらしい。「働いたら負け」の名言も産んだ。デイトレード新小岩も産んだ。

ニートはなぜか上限が35歳までで、そこまでしか統計を取っていないようだが、あまり年齢上限の意味はないと思う。

から現代を通じて「男性への労働圧力」はなんら改善されていないし、反発もされていないのだが、ニート200万人が無言の反発ともいえる。

女性労働機会改善」「DV改善」などはなされているのに。

昔の男女の役割固定の価値観は、現代役割生き方自由化しようとしていることと相性が悪い。男だって働きたくない、男だって家事育児したい、女だって働きたい、女だって産みたくない。昔の価値観どおりにいくのはごく限られた一部であり、多くの現代人の足かせになり、もはや適さない。誰も得せず不幸にするだけ。

現代人は昔の人に教育をされたわけなので、昔の価値観教育されている。それがもはや現代人を幸せにしない価値観なのにも関わらず。だから価値観再構成する必要がある。そこに気づくことのできない、"優等生"現代人が、その意味理解しないまま社会的圧力次世代担い手となり、自分自身をも苦しめている。昔の人の誰得価値観を守るために。20代-30代の労働における自己肯定感の低さと自殺率の高さたるや。棄民された氷河期世代も含まれる。

結婚出産への社会的圧力は減ってはいるが、無くなったわけではなく、むしろ昨今の年金問題少子化問題が深刻化するにつれて圧力が復活しているようにも見える。政治的失策国民責任転嫁する形で。

先述の「昔側の男性」に属する為政者による発言にもそういった圧力が増えた。産む機械発言とか。それが、男性へは収入(労働)への圧力女性へは収入(労働)と出産への圧力となっていて、男女間でのさらなる火種となっている。というかすでに炎上しているところに油を注いでいる。

2016-03-13

http://anond.hatelabo.jp/20160229202916

延命はするにしても、しないにしても重い決断だけど、発達が望めないような障害場合選択の機会はあってもいいんじゃないかと思う。

そして、親が考え抜いて決めた答ならどっちも正解だと思う。

(ただし、どの程度の発達が望めるかの判断が難しいケースも多いけれど)

どんな命でも大切に育てるというのはひとつ理想なのかもしれないけど、

現実を見れば、介護担い手福祉リソースもすべて有限だから

でしょう??

俺もう「外野無責任なことを」とか言われてもいいから言うよこういう話を

外野からこそ言うよ

だって親になったら何百倍も自由に言いにくいじゃん


別にニヒリズムでも障害者憎悪でもなく

現在もみんなその有限のリソースを取捨選択して生きてるんだよ

延命せず息を引き取るに任せた親を非難できる奴なんかこの世にいないだろ

老人介護だって残酷延命を避ける方向にある(超遅まきながら)

うちは二人とも最後までフルに介護して見送ったけど、親族全体にその余力と資力があって

老人二人とも最後ボケたけど良性のボケ(キレたり徘徊したりウンコ投げたりしない)だったからで

そうでないケースで子や孫がフルに人生犠牲にする必要はないと思う


医者は老人の胃ろうとかを選択肢として出すことすら倫理に悖る行為だと思うし

まりにも重い障害の発達が見込めない子供延命ルートに乗せるのも同様だと思う

こんなこと書いても迷妄の種かもしれないけど社会の目指すべき方向性としてはどうかって話だよ

2016-03-09

http://anond.hatelabo.jp/20130224175755

うちは教授方針たくさん学外から取ってた。俺は学部東大の工で修士は新領域に行ったんだけど、新領域ってまあ名前の通り新領域なことをやるのが本義なのね。本郷の○○学部でやっていけなかった先生が流れてくる場所じゃいけないんだよ。それ○○学部でできるじゃん、って研究ばっかりな中で尖った研究してたのは外部から入ってきた人たちだった。研究室内でも議論するときにはとてもいい刺激になった。修士くらいってまだまだディシプリン身につけなきゃいけないレベルなことが多くって、やっぱその意味で粗削りすぎるだろって感じになったことは自分研究についても反省するところだけど、まあその分学んだことも多かったよ。

まさに君が問題を指摘している「研究テーマだけは壮大ですが、その実質は…」というやつだね。要はバランスだと思ってる。分散が大きい中で、良いバランス相互作用を出すように配分したら、そういう例が出てきて当然だし、その担い手が「ロンダ」っぽい人に偏るのは必然だね。構造的欠陥ってやつだ。

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ある夜、喫煙所で ―君が言うロンダ組は喫煙率もやったら高いんだよね― ひと悶着あったんだ。あんたみたいな人が、そのままそういう内容を本人たちに向かって口にしたわけよ。結局、みんな適当スルーしたけど。場を離れた後、学部東大出身の先輩がブチ切れてて。「あんなクソみたいなやつらの言葉に耳貸す必要ないわよ!」ってね。他大出身の後輩の中には、萎縮しちゃった人もいたので、迷惑ーって思ったね。

「多様なバックグラウンドを持った学生による、革新的で斬新な分野の研究」という理想の実現はそう簡単じゃない。せっかく賢いなら、その「ロンダ」に対する視線の代わりにもう少し建設的なことをお願いしたい。もし、入ってきた人間が、その研究室に関わりのあることで君が学ぶべきところが全くないとしたら、そもそも十分に研究議論をするような雰囲気を作れていないとかそういうことを疑って改善すべきで、その研究科入試が極端に杜撰だとか、君が perfect human だとか仮説立てるのはセンスが悪いと思うよ。もちろん雰囲気とか機会とかの問題教員問題も大きいのだろうけれど。

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ロンダがしやすいと言われている場所ってのは、教員たちが既存ディシプリン一次元的に測れる能力以外の部分をなるべく推し量って、政府流行用語つかえば「イノベーティブ」な研究教育志向して体制組んでるんだよ。それがロンダ揶揄されるのは、その試みが十分に成功していないという問題でもあるんだろうけれど、少なくとも既存ディシプリンに浸かった上にそれに反省がなさそうな君(「学部継続修士に進み」というあたりを自信たっぷりに言ってるあたり)が批判しているのを見ると、君みたいな学生を取ったことの方が間違いだと思う。それは君が無能だという意味ではなく、相性の問題で。別にディシプリンしっかり身に着けているに越したことはないけれど、「多様なバックグラウンドを持った学生による、革新的で斬新な分野の研究」を目指すのに一緒にやっていける学生を取るべきだから。もちろん、冒頭で少し漏らしたように「本郷の○○学部でやっていけなかった先生が流れてくる場所」という側面もあるし、現実はそう単純じゃないけどね。境界いたことをしてきた大物の先生たちに飲み会でどういう道筋をたどってきたか聞いてみるのも面白いよ、いろんな転換をモノにしてきている先生が多い。

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元増田批判的な書き方になったけど、学際領域が抱えるあるある問題で、ちょっとその点に関する研究教育の在り方が進歩しなさすぎだよね。もう少し研究室間とかで良い相互作用を起こすための知見とかが共有されるべきだとか、研究科としての改善必要だと思う。元増田関係しそうな読者もロンダと言われている人たちへのマウンティングではなく、学際領域での研究教育問題として捉えなおして考えて欲しい。

2016-03-07

キモオタによるフェミニズム概論

フェミニストからキモオタ死ねと言われ、私はもちろんキモオタであるから激昂してクソフェミ死ねと言い返しかけて、そこでふと気がついて困惑した。

フェミニズムとは何だろうか。

私はフェミニズム名前ぐらいしか知らない。しかし知らないものを知らないままにしておくことは、少なくとも私にとってキモオタしからぬ行為である。私は自分に自信をもってキモオタでありたい。クソフェミ死ねと罵られるキモオタであることに誇りを持ちたい。ならばフェミニズムについて知らなければならない。

しかフェミニズムについて知りたかったら何を読めばいいのか。これが意外と分からない。ロールズやセンを読めというのを見つけたので読んでみたが、やはりフェミニズムが分かった気になれない。

そこで手当たり次第に適当にフェミニズム書籍を読んでまとめみることにした結果が本稿である。決して十全ではないが、私同様、フェミニズムをよく知らないオタク諸姉諸兄にとって、フェミニズム理解の取っ掛かりになれば幸いである。

フェミニズムとは

フェミニズムは大きく三種類ある。ラディカル・フェミニズム(以下ラディフェミ)、リベラルフェミニズム(以下リベフェミ)、そしてマルクス主義フェミニズム(以下マルフェミ)であり、それぞれ理論の組み立ては全く異なる。以下順に見ていこう。

ラディカル・フェミニズム

現在のラディフェミ理論的支柱はキャサリン・マッキノンと言っていいだろう。「性の不平等の源はミソジニー(女嫌い)」であり、「ミソジニーの源は性的サディズムにある」(C.マッキノン,"フェミニズム表現の自由",1987,*1)。そして社会に溢れるポルノグラフィ(以下ポルノ)こそが「性差別主義者社会秩序の精髄であり、その本質をなす社会的行為」(*1)に他ならないと喝破する。この諸悪の根源ポルノであるという揺るぎない確信からポルノ法規制を推進する。

ポルノ性犯罪を誘発するという統計的証拠はあるのか。この批判に、しかしマッキノンは自覚的である。誘発するという調査もあり、無いという調査もあると率直に認める。従って彼女が起草した反ポルノ法は「被害をもたらすことが証明されうる物だけが告発できる」(C.マッキノン&A.ドウォーキン,"ポルノグラフィ性差別",1997,*2)。「証明されるべき被害は、強制行為、暴行脅迫、名誉毀損、性にもとづいて従属させる物の取引といった被害でなければなら」(*2)ず、不快に感じた、宗教上の信念を侵しているといった被害は認められない。被害者ではない第三者告発することも認められない。

ポルノには、ホモレズ二次元も、古典文学から芸術作品まで被害をもたらすことが証明される限り全て含まれる。自分が叩きやすゲームマンガだけを槍玉にあげて、自分が叩かれやすい文学や芸術から目を背けるチキンではない。殴るからには全て殴る。それがマッキノである

なお、田嶋陽子はラディフェミを名乗りドウォーキンへの共感を示しているが、ポルノ諸悪の根源とはせず、現実的政策としてはリベフェミに近い内容を述べているため注意されたい("愛という名の支配",1992)。

リベラルフェミニズム

J.ロールズの「公正としての正義」やA.センの「不平等の再検討」をその理論的土台とし、リベフェミは次の点を問題視する。「ジェンダーシステムは、その根を家族における性別役割にもち、事実上わたしたちの生活の隅々まで枝葉をはびこらせた、社会の基礎的構造のひとつ」(S.オーキン,"正義ジェンダー家族",1989,*3)であり、「女性男性重要差異が、家族内で現在おこなわれている性別分業によって作られる」(*3)。

夫婦がともに働いている姿を子供に見せることが教育上望ましいと考え、そして共働きにおいて妻にだけ家事育児押し付けられることは不平等であり、二人で平等に分担するべきであるとする。もし専業主婦なら、夫の稼ぎは夫婦二人で稼いだものとして両者で均等に等分すべきだとオーキンは言う。

このように家庭内賃金労働の不平等の解消によって性差別の無い社会が構築されるとする考えから、リベフェミ女性社会進出を推奨し、出産休暇や託児所の拡充、男性育児休暇取得を推進する。また「子どもたちがなりたい人間になる機会」(*3)を拡大するため――その機会を無知ゆえに狭めないために、性教育重要性を訴える。

なお、「男性を敵視し憎む分派は消滅するだろう」(B.フリーダン,"新しい女性創造",1965)が示すように、フェミニズム男性女性権力闘争化することに否定的立場をとる。

マルクス主義フェミニズム

出産を含む女性の家事育児は明白な労働行為である。にも関わらず男性社会はそれに一切の支払いをしてこなかった。ゆえに女性とは搾取されるプロレタリアートであり、その意味で男性とはブルジョワジーである女性の抑圧は、資本制と家父長制の構造上必然的に生じたものであると喝破し、資本制・家父長制の打倒を訴え、そしてこれが日本の伝統フェミニズムである

女性社会進出に関してはリベフェミの主張とほぼ同一だが、フェミニズムの主要な敵は男性であると断じ、マルフェミでは家事育児という労働に対する賃金の支払いを請求する(上野千鶴子,"家父長制と資本マルクス主義フェミニズムの地平",1990,*4)点で異なる。ただし誰に請求しているのか、また家父長制を崩壊させるために「資本制との新しい調停」を、というが、それが共産制かというとそれも曖昧で判然としない。

日本ではさらにそこに独自思想が入り交ざる。例えば男女混合名簿の推進は「日の丸君が代シンボルとする儀式を撃ちくずす」(河合真由美,"「男が先」を否定することでみえてくるもの――学校の中での性差別男女混合名簿",1991)から良いのだ等、目的が何なのか、いささか混沌としている向きも見受けられる。

その他のフェミニズムと補足

レズビアンフェミニズムブラックフェミニズムエコロジカルフェミニズムポストモダンフェミニズムなど多岐にわたる。マルクス主義フェミニズムの派生であるサイボーグフェミニズム(D.ハラウェイ,"サイボーグ宣言",1985)は読むとつまらないがネタとしては面白い。あとキワモノで言えばスピリチュアルフェミニズムとか。

補足1:クィア理論

同性愛者とフェミニスト関係は、従来男性権力社会に対する「敵の敵は味方」関係に過ぎなかった。そこで登場したのが「フェミニズムと、ジェンダーに関するゲイレズビアンの視点と、ポスト構造主義理論を、政治的ひとつに纏め」(J.バトラー,"ジェンダートラブル",1990)たクィア理論である。これにより統一戦線理論的に張ることが出来るようになった。

補足2:男性差別

リベフェミは広範な男性差別否定するが、アファーマティブ・アクションでの男性差別肯定する。ラディフェミ男性敵視の姿勢を持つが、しかしマッキノンは男性けが徴兵されることは男性差別だとして否定する。「平等とは、ジェンダーの違いではなく、ジェンダーヒエラルキーを問題にし、その根絶をめざすものである」(*1)からである。マルフェミはよくわからなかった。女性兵士に反対しているので、男性差別肯定されるのかもしれない。

フェミニズムが扱う問題

セクハラ家庭内暴力中絶女性兵士等色々あるが、本稿ではオタク、わけてもアニメオタク関係の深い「性の商品化」について取り上げる。

「性の商品化」の法規制

マッキノンは、猥褻として過去に規制された、まさに「性の商品化であるユリシーズ(J.ジョイス,1922)について「ポルノではない」と述べる(*2)。現実の被害が証明されていないからである。「性の商品化」は法規制の理由にならない。

リベフェミであるN.ストロッセンは「子供や妻への虐待強姦日常的な女性への屈辱行為などを正当化する内容が詳細に述べられている」書籍として聖書をあげ、「禁止されない安全思想などほとんど存在しない」("ポルノグラフィ防衛論",2000)とする。そして性教育がかつて猥褻として政府に規制された例を上げ、ポルノ禁止法は政府検閲に利用されると強く批判する。

一方、上野は「性の商品化」だとしてミスコン廃止を訴えるフェミニストについて、彼女らは「法的取り締まりを要求したわけではなく、受け手として「不愉快」だという意思表示権利行使であると言う。そして「性の商品化」は「メディアのなかでも、なんらかの基準がつくられる必要がある("「セクシュアリティ」の近代を超えて",新編日本フェミニズム6,2009)」とする。

ここから見えてくる点として、女性が「不愉快であることが問題なのだということが分かる。「性の商品化」とは何か、それに実害があるかは、おそらく最終的にはどうでもいいのである。さらに求めているのは自主規制であって法規制ではない。自主規制によって発言者は自ら口をつぐむのだから表現の自由は全く関係のない話である

不愉快」による法規制正統性

リベフェミであるマーサヌスバウム嫌悪感を根拠とした法規制を徹底して批判し、ゾーニング妥当性を論じるが("感情と法",2004)、マルフェミである永田えり子は「ポルノ市場が成立すれば、必然的ポルノ市場の外部に流出する。そして流出すると不快に感じる人がいる」("道徳フェミニスト宣言",1997)としてゾーニング効果がないと批判する。

ポルノは「人々に広く不快を甘受させているかもしれない。そして事実不快だという人がいる。ならば、それは公害である」。「性の商品化は多くの人々に対して、確実に何らかの不快や怒りを与えるはず」であるがゆえに規制されるべきだと主張する。

そのような不快感を根拠とした規制は恣意的運用がなされるという批判は当たらない。曖昧な法は他にもあるが、現に警察と司法は正しく運用しているかである。性道徳に根拠が無いという批判も当たらない。「根拠がないということがすなわち不当であるわけではな」く、それは「正しいから正しい」のである

なお、福島瑞穂非実在児童ポルノ規制は法的安定性が保証されないとして反対しており、この永田見解がマルフェミ共通見解でないことは述べておく。が、例えば児童ポルノ法規制に対して日本ユニセフ協会広報室長の中井裕真から司法は正しく運用してくれる旨の見解が述べられており(永山薫昼間たかし,"マンガ論争勃発2",2009)、これがフェミニストの通説でないことは明らかだが、一定存在する見解であるように思われる。

日本草の根フェミニズム

初期の日本フェミニズムには「反主知性主義」があり、「女性であれば(女性としての経験をもってさえいれば)誰でも女性学担い手になれること、専門的なジャーゴンや注の使用を避け」、「プロアマ距離をできるだけ近づけること」が目指されたと上野は述べている("女性学の制度化をめぐって",2001)。

こうした取り組みで女性が声をあげられる空気を作り出すことに成功したが、結果としてフェミニズムは「一人一派」と化した。筆者の私見に過ぎないが、これは同時にフェミニズムと「私」の区別を曖昧なままにしたのではないか。

「私」とフェミニズムが一体化しているとすれば、「私」が不愉快ならフェミニズム上も不公正に決まっている。それが従来のフェミニズム理論と矛盾していたり整合性が取れなくとも関係ない。「「オンナ対オトコ!」なんて言ってるフェミなんて、いないのになぁ」(北原みのり,"フェミの嫌われ方",2000)が示す通り、従来の理論について知識も興味もないフェミニストは珍しくない。知らなければ(当人の中で)矛盾はしない。

理論を欠いた思想は、しばしば信念や信仰へと還元されてしまいがちである」(*4)と上野は言う。そのような啓蒙主義者にとって「真理はつねに単純である。(中略)真理を受け容れることのできない人々は(中略)真理の力で救済することができなければ、力の論理で封じるほかはない」。そうして治安警察国家を招き寄せる人々は「反主知主義の闇の中に閉ざされる」。

これは実は上野によるリベフェミへの批判なのだが、筆者にはリベフェミではないところに突き刺さっているように思えてならない。

おわりに

このようにフェミニズム一言で言い表せるような概念ではもはやない。日本の初期フェミニズムはマルフェミが中心であったが、現代日本フェミニストは必ずしもそうではないだろう(例えば堀田碧は"「男女共同参画」と「日の丸フェミニズムの危うい関係"で一部の若いフェミニスト愛国心に苦言を呈している)。

最後になるが、フェミニズムはクソだという見解に私は全く同意しない。職場上司女性社員の尻を撫でることは強制わいせつ以外の何物でもないし、家庭内暴力夫婦喧嘩ではなく傷害である。どれだけ成果を上げようが性別を理由に賃金を低く抑え、出世コースから排除するといった制度の是正フェミニズムが尽力したことを、私は決してクソだとは思わない。

私がクソだと思うのは、……まぁ、書かなくても察してもらえるかと思う。

いささか長い増田になった。この程度の調査力でキモオタとかw という批判は甘んじて受けるしか無いが、とはいえもし誰かの理解の役に立ったのならそれに勝るものはない。

2016-02-29

追記有)障害児産んだら人生終わったから、日本死ねっつーか死にたい

↓これ読んだら居てもたってもいられなかったから、便乗して日記を書いてみる。

保育園落ちた日本死ね!!!

http://anond.hatelabo.jp/20160215171759

私は数ヵ月前に第一子を産んだ。

20代、夫30代。

二人とも正社員だけど給料は高くない。

まあごく普通夫婦。

共働きならなんとか子育てしながらやっていけると思った。

だけど、生まれたのは口からミルクを飲むことも息をすることもままならない重度の障害児だった。

医師保健師からは、こういう状態の子供を産んで働いている母親はいないと言われた。

人工呼吸器をつけていたり、鼻に入れたチューブから栄養を取っている子はどこの保育園でも預かってもらえない。

みんな子供介護をしながら、手当てをもらって暮らしている。それが当たり前だって

手当てといっても給料と比べればわずかな額だ。

片働きになれば、今の家には住めなくなるし相当切り詰めた生活をしなければならない。次の子を持つのも難しい。

だったら、死のうかなって思ったよね。子供と一緒に。

就活をけっこう頑張って入った会社だったんだよ。

妊娠中、子育てに夢を描いて選んだ家だったんだよ。

そういうの全部なくして、残りの人生、親を親と認識できるかも分からない子の介護をするのかと思うと、絶望が凄い。

子供が可愛くないわけじゃない。でも失ったものが大きすぎる。

あとさ、出生前診断ってよく話題になってるけど、分からない障害の方が圧倒的に多いんだよね。

特に呼吸器とかが必要になるような重障害って、脳の機能問題だったり、出産時の事故だったりが多いか

産んでみるまで予想もつかない。

母親の年齢もあんまり関係ないし。

子供を持つのって待機児童心配とかもあるけど、

こういう思わぬリスクもあるんだなって、産んでから初めて知った。

だって障害児を産む可能性はあるんだから

せめて、どんな子が生まれても普通に生活を続けていける社会になって欲しいと切に願う。

…ってなことを吐き出したくなったから書いてみた。

―――3月7日21時追記―――

凄い数のブクマついてて驚いた。

いろんな人が興味を持ってくれているようでありがたく思う。

医療ケアのある重度障害児育てていると、困ったことがあってもデモとかで訴える余裕もないし(そもそも物理的にあんまり外出できないし)、

どうしたって自分たちが少数派だからと、伝えることを諦めがちになっていた。

からこういう形で吐き出した悩みに、多くの人が意見を寄せたり拡散をしてくれたっていうのは、本当にありがたい。

今、恋をしたり、結婚式をあげたり、妊娠を喜んでいるカップル夫婦

いつか重症児の親になってしまった時、もう少し絶望しないですむよう社会が変わっていくといいな。

それと、いくつか寄せられた障害児の延命への批判や疑問について。

私のケースだと、出産後に異変がわかって、あれよあれよという間に呼吸器がついて経管栄養がついて、

延命について考える機会もなかった。

「命は助かりました。医療ケアがあれば生きて行けます。あとは親御さんが頑張って育ててください」っていう感じで怒涛の育児が始まったw

延命はするにしても、しないにしても重い決断だけど、発達が望めないような障害場合選択の機会はあってもいいんじゃないかと思う。

そして、親が考え抜いて決めた答ならどっちも正解だと思う。

(ただし、どの程度の発達が望めるかの判断が難しいケースも多いけれど)

どんな命でも大切に育てるというのはひとつ理想なのかもしれないけど、

現実を見れば、介護担い手福祉リソースもすべて有限だから

まあ、子を育てていくうちに考え方は変わるのかもしれないけど。

あと、経験者の声には勇気づけられた。ありがとう

http://anond.hatelabo.jp/20160229202916

とりあえず、もうちょっと生きてみようと思います

―――3月8日0時追記―――

takehiko-i-hayashiさんにコメントして頂いたチャリティーリンク先を貼っておきます

すでに寄付してくださった方もいるみたいで、感謝の思いで爆発しそうです。

障害児保育問題フローレンス http://florence.or.jp/solution/#col_3

重病児家族滞在施設マクドナルドハウス http://www.dmhcj.or.jp/support/index.html

―――5月26日追記―――

TBS川畑さんへ、ご本人だという想定で返信

医療ケア児について取材を続けられているとのことで、

マスメディアにそのような情熱を持った方がいらっしゃることを心強く感じます

話を聞かせて欲しいとの件は、大変ありがたいお話なのですが、今回はお断りさせていただきたく思います

ひとつ理由としては、子供医療ケアが頻回で、時間的にも体力的にも余裕がないこと。

もう一つは、この投稿を通して私の状況が多くの人に届いた結果(それ自体ありがたいことなのですが)

副産物として、まとめサイト匿名掲示板などで、私だけでなく障害児の親全体を叩くような書き込みが多く寄せられ、少し参ってしまったことです。

マイノリティが世の中に理解を求めるならば、このようなことも覚悟して声を上げていくべきだと頭では分かっているのですが

すみません…今はまだ勇気が持てない状況です。

私が一時、電話相談をしていた重度障害児の親の団体に「社会福祉法人 全国重症心身障害児(者)を守る会」というものがあります

http://www.normanet.ne.jp/~ww100092/

こちらに取材を申し込まれたら私と同じような立場の方がいらっしゃると思います

私がお話しした方は、入所施設の空きがなく産後30年近く子供介護をされているという話でした。

取材お断りした立場で恐縮ですが、取材されている内容が番組になるのを楽しみにしております

お手数でなければトラバで告知していただけたら必ず拝見します。

2016-01-31

末法の世とバーチャル死後の世界

現代の我々は、盆になれば墓石に水をかけ、手を合わせているが、その行動自体無意味だと知っている。

死んだ人間意思などなく、故に墓に参ったところで喜ぶこともないと理解している。

極楽天国煉獄地獄もなく、最後の審判閻魔様の裁きもないとわかってしまっている。

正確に言えば、ずっと前から、みんなそんなことはわかっていたのだろう。

ただ、わかっていないふりをしていただけで、いずれはそのふりもやめるのではないかと思う。

どんな人間もいずれ死に、その心が消えてなくなるというのは、ある意味で救いでもある。

しかし、現代日本では、それが悪い方向にばかり影響している気がする。

どうせ死ぬのだから、金を儲ける気にもなれない。

家族を作ったところで何の救いにもならない。

下の世代ことなど知ったことではない。

そして、宗教がその説得力を失いつつある今、これに対抗するための代用品も存在しない。

ただ、その辺を深く考えても仕方がないから、努めて触れないようにしているだけである

私の考えはこうだ。ならば、その代用品を作る必要がある。

この界隈に詳しくないので、どういう仕組みでやるかは予想もつかないが、

いずれさらに発展する技術で個人の人格仮想化し、ネットワークに送る。

言わばバーチャル死後の世界というべきものを構築するのである

現実人生生活費必要なように、仮想世界生活にもいくらかの維持費が必要だろう。

そして、生きている間はなんだかんだで政府が面倒を見てくれるが、

死後はそうもいかないかもしれない。

あの世の沙汰も金次第である。結局、頼れるものが己の金(と子供)だけとなれば、

金を稼ぐ気にもなるというものだろう。景気回復一助になるかもしれない。

何より重要なのはシステムの維持には未来世代文明を永続させること、

そして、彼らの手と意思により、自分たち存在を維持してもらう必要があるということだ。

こうなれば、否が応でも下の世代配慮せずにはいられない。

子供がいなければ将来の担い手もいなくなるのだから少子化も一気に解決である

関係が悪ければ放り出されるだろうから虐待もおそらく減る。

政治家有権者も、少しは下の世代のことを考えるようになるかもしれない。

「死んだらしまい」という考えから世代倫理が生まれることはない。

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