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2017-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20170302145031

金にならないような基礎研究とか、より学問よりの研究とかあるじゃん

あそこらへんの担い手が居ないと思うんだよね

みんな生活あるし、国は金出さねーし

「金が無尽蔵にあったらあの研究ずっとしてたいなー」「老後は好きな研究して暮らしたい」って人を主に迎え入れるイメージ

 

ちょっと怖いのは

競争が激化してポスドク研究者報酬が減るみたいな自体だけど

有能な人が散々稼いだのを大学にツッコんでくれればプラマイゼロくらいにならないかな(適当

 

 

まあ、他の人が言ってるけど、もうありそう(あるいは考えた上で無さそう)

2017-02-27

テレビ必要論

http://izumojiro.hatenablog.com/entry/2017/02/27/194152

テレビ生活必需品ではない、という主旨の記事である

なるほど。たしかに今の時代テレビから取得する情報よりもインターネットで得る情報のほうが価値があるかもしれない。

インターネット情報選択可能性を有している。インターネットにおいて、関心のない情報は見なくて済むし、気分を害するような記事コンテンツ意図的に取り除くことができる。

Twitterを始めとしたSNSも、その強みの本質情報効率化だ。

気が合わない人のアカウントブロックすればいい。馬が合う人とだけ相互フォロー関係を結んだ上で情報を共有する。無駄のない社会、素晴らしい。

では、ここでひとつ知的好奇心を満たすという前提で、テレビは本当に必要ないのだろうか?

リンク先の記事担い手は、テレビ無しで生活をした上で実感を語っているだけである記事書き手に罪はないので、それを言及するつもりはない。

ただ、教養知識を蓄えようとするならテレビ必要不可欠なアイテムだと私は思う。

理由としては、テレビ情報にも価値はあるからである。むしろ、近頃はインターネット掲載された中身の浅い記事wikiよりも、NHKドキュメンタリー放送大学講義のほうが体系化された智慧として有用性が高いように感じられる。

なぜなら、傾向としてインターネット知識は皆一様に同じもの選択することになり、情報が共有できてしまう以上、その情報価値がないからだ。

知人に大学講師が数人いるが、試しに話を聞いてみると、インターネットニュース記事も読んでいれば、テレビ番組もしきりにチェックしている。もちろん熱心に本も読む。

あくまで私の周りの傾向なので、いやいやそれは違うだろと云う人もいるとは思う。

何はともあれ、私はテレビ不要論にはわりと辟易としている。これは個人意見なので、どっちが正しいかいかという線引をすることがこの記事目的ではない。

それでも、インターネットのほうが便利だという意見はげんなりするほど耳にする。一昔前よりもテレビの優先度が減ったことだけは確かだが、そこまで必要のないものだとも思えない。

匿名はてなを居場所にしているような人達テレビ不要なのだろうか?

2017-02-10

逸失利益まで賠償することになると福祉担い手を首を絞めることになる

15歳の息子を障害者施設入所中に事故で亡くしたことをめぐり、親が施設相手取り逸失利益5000万円の賠償を求めているという。

障害者からといって差別しないで」という意見で、これは正論である

障害者差別してはならない。

しかしその差別の解消と、5000万円の賠償金は、イコールでつながるのか?

ただでさえ障害者施設など福祉施設はかぎられた予算運営している状況だ。

それにこのようなリスクまでおうことが当然、ということになると、

福祉担い手はどんどん減っていくだろう。

足りないとされている保育園もそうだ。

リスクのことを考えるとまともな感覚の人は運営なんて考えないだろう。

健常者や障害者というのを問わず私たちには逸失利益なんて権利を持っているのか?

こんなことでは日本はどんどん苦しくなることはあきらかだ。

2017-01-31

皆の誰もが「男性ではなく女性ケアしてほしい」と思うからなのでは

 男性保育士女児おむつ交換をするのは良くない、という話題にて、良くない、という意見を持つ要因とは何か考えた。

 そこで、山田昌弘さんの『モテる構造―男の女の社会学』(ちくま新書2016年、以下本書)の【第7章 ケアは女の役割か―男が触るといやらしい?】(p194-p203)で述べられている、ケアに関する男女の非対称性が関わってくると考えた。

 本書は、【男性は人前で泣いてはいけない】をはじめとする性別の「らしさ規範」や女性における【できる女はモテないのか】問題をはじめとする「男女の非対称性」について分析俯瞰した本である

 第7章は「ケア」における男女について書かれている。

 介護従事者や保育士など、人の身体ケアする仕事についている大部分が女性であり、「女性男性ケアしても許されるが、男性女性ケアすることには心理的抵抗が伴う」という男女の非対称性が見られると書かれている。

 次に、介護における性別の抵抗感に関する調査では、「男性から見た抵抗感:婿・嫁が最も高く、女性から見た抵抗感:"息子>娘"・"婿>嫁"・"若い男性介護士>若い女性介護士"・"中年男性介護士>中年女性介護士"」という結果になったことが書かれている(p.198【図表7-4 介護における性別の抵抗感】より一部抜粋)。よって、看護という多少専門的な分野であっても、男性であっても女性看護師の方が好まれ女性場合は、男性看護師は避けたい対象なのであるということが書かれている。

 そして、「ケア労働本来持つ性格として、ケア相手気持ちを考えながら行う労働であること、そして、ケアは体に働きかけ相手気持ちよくさせる労働であることから、前者が、ケア担い手として女性がより好まれ理由であり、後者ケア担い手として男性が避けられる理由なのであるとされている。そうして、二重のジェンダーにおける差異があるために、家庭内でも、家庭外でもケア担い手女性になりやす理由なのであるともされている。

 続いて、ケア身体性に関連して、ケア相手身体的、精神的に気持ちよくさせる行動なのであり、言葉にしてしまえば、性的コミュニケーションと同じ意味を持っているため、身体ケア行動は性行為連想させてしまうという。よって、ケアでは、配偶者恋人以外の家族他人に裸を見られる恥ずかしさを減少させ、性行為連想させないことがケア現場では重要であり、女性ケアした方が、性行為連想しにくいのであるという。しかし、父親子どもの世話をするのが一般的ではなく、同性の間に親密関係がなかなか築けない文化であることを一因となって、男性はそうはいかないという。その上、性行為においては、男性が主導権を握るイメージが定着していることから男性が、優しい手つきでにこにこしながら、女性を触って気持ちよくさせるということは、どうしても性行為連想させてしまう、だからといって、男性ケアに向かないことや女性ケアして当然であることをを導きたいわけではなく、男性ケア労働進出するためには、「恥ずかしさ」という感情を何らかの形で克服する必要があると結んでいる。

 これらを踏まえて、男性保育士女児おむつ交換をするのは良くない、というのは、自分達が「ケアされる」時がやって来た際に「男性ではなく女性ケアしてほしい」と潜在的にあるいは無意識的に思うことや父親が世話することの延長として捉えられていないこと等に由来するのではないかと考えた。

2017-01-29

「○○で育った者が○○になる」時に起こる異変 ← 何か名前ほしいな

アニメで育った者がアニメーターになる

ゲームで育った者がゲームクリエーターになる

漫画で育った者が漫画家になる

はてブで育った者が増田になる

アニメで育ったもの声優になる

 

クリエイトが以外でもそうだ

 

学校教育で育った者が先生になる

民主主義で育った者が政治家になる

 

ひろゆきの言うコミュニティの一生にも近い

http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%83%86%E3%82%A3%E3%81%AE%E4%B8%80%E7%94%9F

 

まり、何らかの選択可能複数文化があったとして

文化1、文化2、文化3、文化

 

このとき文化5を作るにあたって、最初世代は他の文化経験した人たちなわけだ

なので彼らは文化5で色々工夫するし、改善するし、文化5の良い面と悪い面を、他の文化との差分として知っている

 

ただ、文化5で育った人が文化5の担い手になる時(第二世代)

インプリンティングされた常識が非常に枷になって、宗教じみてくる

それも当たり前で、彼らは文化5が好きだから文化5の担い手になるのだ

そこを変えようだなんて人は滅多に居ないだろう

 

恐ろしいのは第三世代が生まれとき

三世代の誰かが何かを変えようとした時、承認を求める先が第二世代になる

二世代は答えを持っていないので、第三世代の改革を阻止することしか考えない

そうなると、気概のある第三世代は文化から抜けていく

 

するとポスト第四世代は「古い体質で、変わろうとしない文化」という認識を持つ

そして大抵そこで文化崩壊するわけだが

ごく狭い領域で生き残ったり、彼らに権力が生じると延々とゾンビのように生き残ることになる

 

ちなみにこういう状況を打破するのは、破壊神みたいな特異な人材とか、世の中の変化、人の死くらいじゃないかな?

個々ができることとしては、第二世代に耳をかさないことくらいか

2016-12-19

東京メトロの行き先表示器がひどい

最近千代田線ホームにある行き先表示器が新しいものに交換されたんだけど、これがあまりにひどすぎて毎日本当に困っている。どうにかして欲しい。

コレ>http://www.tokyometro.jp/news/images_h/metroNews20160803_64-2.pdf



【ひどい点】

・これまでの行き先表示器より行き先を示す文字サイズが格段に小さくなって、遠くからでは全く読めなくなった。行き先表示器として致命的。



・表示器内に情報を詰め込みすぎて、何が何やらさっぱりわからない。これまでは基本的に「先発列車の時刻」「先発列車の行き先」「次発列車の時刻」「次発列車の行き先」の4つの要素しか表示されていなかったのが、新しい表示器ではこれらの要素に加えて「先発・次発の表示」「行き先のひらがな表示」「先発と次発の駅ナンバリング表示」「電車現在位置」「お知らせの文字スクロール」が常に同じ画面上に表示されるようになった。基本4種類しか表示されていなかったのが常時11種類の表示になったわけで、情報が溢れすぎていてぱっと見の視認性が悪すぎる。



さらに、上記の要素一つ一つを何故か角丸の枠で囲っているデザインにしてあるせいで、一つ一つの文字がより小さくなっていて非常に見辛い。



・これまでは文字自体LEDで発光していたので見やすかったが、液晶画面になって文字が背景に埋もれて見辛くなった。枠の色や背景色メトロの紺色をベースにしていて見辛い。なぜ見やすさより自社のテーマカラーを優先するのか理解に苦しむ。



オリンピックを見据えた多国語対応ということでこの表示器が導入されたみたいだけど、大多数の日本人利用者からすると以前のものよりはるかに見辛くなったように思う。1日何百万人もの目に触れるものをこんな見辛いものに変更するなんて正気の沙汰とは思えない。東京メトロは導入にあたってきちんとモニター調査なりを行なったのだろうか。



営団地下鉄サインが導入された時は、大手町駅で長い時間かけてチェックと改善を行なった後に全駅に展開したというのをどこかで読んだことがある。一方、今回の表示器は2019年までに一気に全駅で取り替えを行うとのことだ。この差は一体なんなのだろう。公共交通担い手としてはあまり仕事杜撰だと思う。はっきり言ってオリンピックロゴなんかよりはるかに影響力のでかいデザインの話だと思うんだけど、どうにかならないもんだろうか。

2016-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20161204122213

少子高齢化社会やばいやばい言われてんのにまだこんなこと言う人いるんだ

もうすでに人口減少社会突入して人手も次世代担い手も足りなくなっていくってのが分かってる状況でそんな悠長な自己責任論でやってたらそれこそ日本死んじゃうよ

2016-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20160803063621

そうだと思うよ。あまりにうるさく言われるものから認識がずれちゃってるんだな。

個人的見解は以下の3点。

少子化絶対悪ではない

そもそも、少子化の原因は結婚数が減ったからで、それは無理に結婚しなくてもよくなったからだ。

女が社会進出すれば男に頼らず生きていける。男だって独身不都合がなければ女を食わせる必要はない。

もし、少子化絶対悪で、他の何を犠牲にしてでも解決すべき問題なら、簡単な話だ。

今すぐ女の雇用を引っぺがして、男にも圧力をかけて、結婚が当たり前だった時代に戻してやればいい。

もちろん、こんなのは現実的ではない。主張する人がいないわけじゃないが、広く支持を得るのは無理だ。

まり少子化対策の優先度は現状、あくまで個人の自由より低いものしかない。

なんでも少子化のせいにしすぎである

では、なぜここまで少子化槍玉に挙げられるのか。

ずいぶん前にどこぞのイタリア人が言ってたが、それは少子化のせいにしておけば楽だからだろう。

内需が先細りして景気に悪影響があるだの、企業が傾くだの、大学が潰れるだの、

介護担い手がいなくなるだの、いろんな問題をひとっところにまとめてしまえる。

そりゃ、少子化がそれらにいい影響を与えることはないだろう。

しかし、もっと大きな要素がある。不景気になったのは金融政策が適切でなかったからだ。

メーカーが傾いたのも少子化以前の問題で、海外メーカーと大して変わらん品質の割に、

無駄に高いモノしか作れなくなったからだろうが。

介護が人不足なのは責任の割に収入が低いからで、それは元々無償労働だった時代を引きずってるからだ。

大学にしても、4年も通ってまともな就職先がないなら、潰れたってしょうがないだろ。

少子化問題現実逃避であり気休めである

けど、それを回避するために、果たして何をしたらよかったのかはわからない。

当時の人間のこともあまり悪く言えない。

何より、これからどう解決すればいいのかについても、意見がバラバラだ。

そんな時でも、とにかく少子化が悪い、今の若い世代子供を産まないせいだーって言っときゃ、

とりあえず一致団結できるわけだ。

気休めなんだよ。要するにね。

2016-07-29

http://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/articles/20160728/k00/00e/040/221000c

労働力担い手としての経済的価値能力人間序列化する社会。そこでは、重度の障害者生存は軽視され、究極的には否定されてしまいかねない。

障害者が軽視されるんじゃなくて、「健常者のくせに障害者よりも活躍できないゴミ」が軽視される世の中になるんですよね。

誰もあなたホーキングベートーヴェンバカしません。「きっと何者にもなれないお前たち」には、ためらわず罵倒します。クズから

しかし、これは障害者に対してだけのことではないだろう。生産性労働能力に基づく人間価値序列化、人の存在意義を軽視・否定する論理メカニズムは、徐々に拡大し、最終的には大多数の人を覆い尽くすに違いない。

こういう主張をする人間は概して「いずれ対象が広がりお前にも振りかかる」という論調をするが、そういう語り方でしか相手を説得できないなら、寛容な社会は滅ぶよ。序列化合理的に、ロジックでなされるが、所詮誰かの感情しか語るものがないなら、それは議論俎上にも上がらず、事前に排除される。

こういう教授東大にいるってのが、素晴らしいね権力を持った障害者だという自覚がないんだろう。権力を持たない健常者は、あなたより劣るんですよ。明確にね。

障害者生存を軽視・否定する思想とは、すなわち障害の有無にかかわらず、すべての人の生存を軽視・否定する思想なのである

なんでそうなるのやら。ポジショントークだというのはわかるけど、雑な声明過ぎて、微妙

その程度の主張では人の心に届かぬ。底辺の健常者には響かぬ。

2016-07-26

セックスレスになるのって、財布を一緒にするのが原因な気がしてきた

近頃増田流行りのセックスレスについて、ホルモンとか子育て負担かいうのを無視して考えたら、

この仮説に行き着いてしまった。



そもそも、日本においては女性社会進出が進んでいない。

最近夫婦共稼ぎの家庭が増えたが、そうはいっても、夫婦両方がフルタイムという例は限られており、

家計の主要な担い手は夫というケースがまだまだ多い。

さらに、日本の家庭に特有なのが、夫の小遣い制である

家計は妻が管理し、夫は一定の額を渡されて、基本的自分のものだけを買うというシステムになっている。



だが、ここに問題があるのではないかと思うのだ。

恋愛において、食事をおごったり、プレゼントを渡したりというのが関係の構築や維持に機能するのは、

その出所他人の財布だからという面もある。

他人の財布だからうれしいのであって、自分の財布から出たら、単なる無駄遣いだ。

こう言うと、セックスの対価みたいに聞こえてしまってアレだが、とにかくそういうことだ。



小遣い制の下では、男はパートナーのために身銭を切るという機会を奪われているといえる。

そう考えれば、女性社会進出が進んでいて、かつ夫の小遣い制が普及していない欧米

セックスレスが少ない理由も、無理やり説明できちゃったりしないだろうか。

2016-06-03

msdbkmは偉いよな

とりあえず1ゲットしといて、後で読むタグは付けないもの

気が向いてあとで読みに来たときにちゃんとブコメ書くんだもんな。

最近msdbkmさん的な担い手なかなかいないよな。

サバカレーさんは増殖するだけしておいて、

ぜんぜん仕事してないし(サバカレーさん本体は忙しいみたい)

って、msdbkmさんをよいしょしておけば僕が書いた増田ブクマしてくれるよね★彡

2016-05-11

街と文化を結び付ける感覚理解できない

新宿がどうだ、原宿がどうだという、街単位での文化を語る人をネットでよく見かける。

自分には街と文化を結びつける感覚が分からない。

どこに行ってもそんなに違うように思えない。

街なんて、それぞれ独立した施設が偶然近くに並んでいるだけのものだ、と思う。



自分鉄道も通ってない山の中で育ち、ずっと引きこもってネットばっかりしていた。

ネットがあればどこにいようが変わらず、ニッチ情報ニッチ商品もなんでも手に入る、という感覚がある。世界は一つだ。

いまどき、住む場所によって文化レベルなんて変わらない。個人差の方がずっと大きい。

インターネットで何かの文化に触れて、それに興味を持つようになったら、誰でも文化担い手だ。

都会に暮らしている今でも同じように考えている。



住む場所によって変わることがあるとしたら、特別施設必要なことをしたい場合だ。例えば劇場なんかは田舎にはないかもしれない。

ただ、そのような特別施設では、個々に全く別々の用途があり、施設単体で十分思い入れを持てる。それらを街単位でくくる意義を見出せない。

2016-04-26

[]4月26日

○朝食:なし

○昼食:おにぎり三つ(ツナ焼き鳥マヨ七味、梅干し

○夕食:袋麺、パン四つ(カスタードクロワッサン、明太チーズポテトソーセージタマネギ



調子

むきゅー?

偉い人たちが出張アンド早めのゴールデンウィーク休暇で軒並み居なくなり、

僕が一番古株でかつ、一番仕様理解していないといけない立場、という絶妙ポジションになってしまった。

そのせいでメンバの、水曜日木曜日、来週の月曜日金曜日の四日間のスケジュールを組むお仕事をした。

まあ、とりあえず水曜日木曜日は単純作業を振って、そのうちに僕が色々準備をして……

段取りを立てつつ、自分自身に振られてる作業をこなすのはどう考えても無理そうだったので、

自分に振られてる作業をバラして、適度にメンバに振れるようにして、となんか普段使わない頭の部位を使って、滅茶苦茶疲れた

っていうか、作業工数見積もりってどうやってすんの!? ってかなりテンパって、仕方ないから一つ自分で実際にやってみて時間計ったりしてた。

帰ってきたのも遅くて、もうクタクタ久夛良木さんです。

久夛良木さんは夢の担い手です。



ゴールデンウィークの予定

有給さんが無いので普通にカレンダー通り。

金、土、日。

火、水、木。

土、日。

飛び石な感じ。

とりあえず、最初三連休は、パンチラインEVEリメイクと新作ゲームをやることにして、

次の三連休は、ずーーーっと積みっぱなしの「吹雪山荘」っていうリレー小説があって、

それに登場する探偵たちの原作から全部読んで、それからようやく「吹雪山荘」本編に突入するっていう、

吹雪山荘」満喫ツアーをやろうかと画策中。

かい事は明日決めよう。

2016-03-22

少子化対策としての移民推進に反対したい

少子化問題の解決に移民推進とか言ってる奴はお金持ちになりたい→遺産目当てに老人と結婚するホストみたいだと思う。

安直だ。

移民根本的な問題を解決しつつ出生率をあげる方法が出せない無能だと思う。

移民を「生産」してる国を日本実質的植民地にして、日本資源産出国になるのがベストだと思う。

帝国主義と言われようと、難民問題解決のために必要コストを支払ってもらう。

日本平和を維持するために多くの制限を受けてきたし、支払いも続けてきた。

同じものを払わないで善人ぶって単純に助けてあげるのは国益に反する可能性が極めて高いのではないか。

国際社会協調しないなら日本難民の受け入れなど拒否するし国連への拠出金も凍結する。

日本が受け取る利益プライマリーバランス改善し、出産育児教育支援への体制を整える。

この主張は当然国際社会から非難を浴びるだろう。

よって現状でいえば国連主導による、移民の国を新たに樹立する方針ベターだ。

要はアメリカをもうひとつつくればいい。

砂漠なかにラスベガスがつくれるのだから、空いてる砂漠アメリカをつくればいい。

そしてかかった費用出資国に還元する。通貨国家運営が安定するまではドルペッグでよかろう。

わたし不勉強もあってか、移民受け入れを行ったドイツがどうなったのか、

どうすればよかったのかを支持者に明確な説明をした移民推進派の論客を見たことがない。

日本単純労働担い手として出稼ぎにきた人々が日本幸福に満ち足りた生活をしているか

その生活実態レポートした新聞記事も見たことがない。

ヘイトスピーチはいけない、差別はいけないというが、移民差別されなかった地域など聞いたこともない。

文化的協和が摩擦になり、隣の町の本国人は楽しく暮らしているさまを毎日見せつけられたら不満を抱くのも当然だ。

結局のところ移民推進派は、机上の空論指標数字を操るゲームをしているだけだ。

現実ゲーム区別がつかないとは、移民推進派の主張に貼られるべきレッテルだと思う。

同時に、育児検定も発足させる。免許ではない。あくまで検定だ。

日本語検定を持っていなくても日本語自由に(当然責任をもって)使っていいように

親になるのは勝手だが、親としての資質他者証明できるシステムがあっていい。

男性育児に協力することが常識となる一方で、

離婚した夫婦親権に関して女親が優遇されている。

これは明らかに性差別だと思うのだが、にも関わらず育児の適性についての明確な指標がない。

教育論はまちまちだが、「栄養の偏りのない食事提供する」「子供との触れあう時間もつ」「子供健康に気を配る」など

常識となっていて議論もされていない部分を明確にすることには意味があるだろう。

アレルギーをいまだに甘えと認識している不勉強人間排除することができる。

地域放置子の問題が発生した時に対処にかかる時間が短縮される。

・周囲の無理解から産後うつ育児ノイローゼに陥る危険性が減る。

など、妊婦新生児の母への協力を促すことが見込まれるので育児放棄の減少が期待できる。

また「妊婦様」などと言われる、過剰な権利優遇を主張するモンスターペアレント予備軍の減少も副次的効果として期待したい。

制度の詳細については各政党省庁の提出する試案を待ちたい。

一級以上の検定所有者は

育児にかかる特定費用を控除申請できる」、

規定以上の割合で検定所有者を雇用している企業法人税減免」などはワークライフバランスを見つめなおすきっかけになるだろう。

2016-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20160315173152

http://anond.hatelabo.jp/20160316231324

女性男性労働結婚出産などの、ここ100年くらいの状況って総括するとどうなるんだろ?

よくまとまってる記事とかブログとか本ってない? なるべく私怨が少ないやつで。

この辺の問題を論じるとき参加者は背景の共有ができているのだろうか。できてないと話ズレるとおもう。


自分の頭の中の認識だとこんな感じなんだけど:

修正・加筆・全部書き直しとか誰かキボンヌ

要点キーワード列挙するとこんな感じ

男女、歴史的経緯政治の無策、教育自分で考える能力のなさ(政治の無関心)、権力構造時代適応して価値観を変えたり次世代に引き継ぐことができない権力



■昔

選択の自由がない単純化されたシステムだった。キツいが、役割を果たせば成立しているシステムであった。でも役割がキツすぎたのか反発が起きていく。

男性労働して家族を養っていた。つまりそれだけの給料をもらえていた。ただ、家庭と職場の両面で社会的重責が課せられた。その反動家庭内では暴力的だった。

女性労働しづらかった。だから一人で生活不可能なので、旦那を見つけて専業主婦するしか選択肢がなかった。たとえ暴力旦那でも。

男女がお見合いで利害の一致によってくっついて家庭になるので必然的子供もできた。

このとき男性側のメリットって何なのだろうか?メリットというよりは社会的圧力だろうか。

まり能力がなくても就職できさえすれば年功序列によって救われた。

女性は生きていけないので、旦那イケメンかどうかとか言ってられない、なりふり構ってられない状況であった。だからブサメン男性も救われていた。

また明治初期は、女性労働どころか選挙権すらなかった。

寿命現代ほどは長くなく、高齢者現代よりも少なかった。



現代

男性給料が減り、家族を養うどころか自分一人を生かすのも危うくなった。男性一人の収入家族を養えるのはごく限られた一部になった。

女性能力意志さえあれば働けるようになり、一人で生活が可能になった。とはい給料男性と同じかそれ未満。給料的に置かれてる状況は同じ。金が無い。

このことから子供を作る場合共働きでないと収入面で辛くなった。それでも働いているので時間がなかったりしてかなり厳しい状況なので子供を作れなくなった。DINKSという。

仕事育児もなんでもこなスーパーウーマンなんかはごく一部である共働きはいベビーシッターを雇えるような状況でもない。

親子間での殺人事件ネグレクト子供騒音問題ベビーカー問題子供への犯罪養育費の高騰、核家族化による育児サポートのなさ、大学まで行かせても低い就職率、ブラック企業日本の将来性など、子供未来にも暗い影があることも出産抑制している。


それに子供以前に、結婚をしなく・できなくなった。女性は自活できるので、結婚への圧力は減り、恋愛自由競争化しお見合いが減った。なので市場価値の高いもの志向するようになった。昔の男性のような家族を養える高収入アイドルブーム二次元の発達による美形、などを志向する風潮。

また、労働能力意思がない女性は、昔の時代女性が受けた暴力反動根拠とするアジテートからか、都合の良いATM旦那家事育児旦那を求めたり、痴漢冤罪恋愛弱者男性迫害といった、婚前・婚後を問わない男性への社会的暴力を開始した。昔の男性の罪など知らない現代男性にとってはこれを不服とし、「イケメン無罪」「※ただしイケメンに限る」「メンヘラ」「(イケメンには良い顔をする)クソビッチ」などの揶揄批判用語を作り出して応戦した。泥沼化している。

昔の男性の罪は、現代男性が負うべきなのだろうか。罪というかみんな別々の辛さだったんだけど。その批判なら男性でなく明治政府に対してすべきでは?

男性に対する結婚への社会的圧力も減ったので、男性側も結婚を選択しないで済むようにはなった。というか市場価値不足によってしたくてもできないのも大きい。女性社会的暴力辟易してしまう成分もあるし、二次元の発達、性風俗従事する女性の美形レベルの向上もある。旦那がガンになったら捨てられたりする。熟年離婚セーフティネット互助機能家族から失われている。「病める時も健やかなる時も〜」という宣誓は何だったのか。昔のところに書いたように、イヤイヤでも仕方なく結婚したケースも多いから仕方ないのか。

労働意思能力があり、自活できる女性DVから救われ自由を手に入れた」わけだが、「労働意思または能力がないので高収入旦那ATM必要とする女性」はあまり救われてない感じであるATM旦那を見つけたとしても、そんな妻をもった旦那のほうはイヤイヤ結婚生活であり苦痛である鉄道模型を捨てられたりするし。

恋愛市場価値の高い男性引く手数多であり、未婚率が男性が高く女性が低いのは、そういった男性再婚をするからである

恋愛市場価値の高い男性と、低い男性との間でも溝ができた。「恋愛アドバイスだって?じゃあさ、まず女の子食事いくとするじゃん?」といった、前提レベルが違いすぎる分かり合えない溝を産んだ。

告白したらフラれたリア充しね。

労働能力意思の無い(低い)男性は、強い社会的圧力さらされている。

昔は年功序列によって無能も救済された。だが、徐々に能力主義になっていくにつれ無能は淘汰され、そもそも入社できなくなっていく。しかし昔の無能年功序列によって上層部になっていくので、能力主義による淘汰を免れた。いまでは上層部の中・高齢者無能と有能が混在し、中堅以下の中年や若年には無能存在できなくなった。そういう組織構成になった。医療進歩寿命が延び、高齢化社会になったのもある。

女性ならまだしも、男性が働かないとはなにごとだ」

それでもニートは200万人くらいいるらしい。「働いたら負け」の名言も産んだ。デイトレード新小岩も産んだ。

ニートはなぜか上限が35歳までで、そこまでしか統計を取っていないようだが、あまり年齢上限の意味はないと思う。

から現代を通じて「男性への労働圧力」はなんら改善されていないし、反発もされていないのだが、ニート200万人が無言の反発ともいえる。

女性労働機会改善」「DV改善」などはなされているのに。


昔の男女の役割固定の価値観は、現代役割生き方自由化しようとしていることと相性が悪い。男だって働きたくない、男だって家事育児したい、女だって働きたい、女だって産みたくない。昔の価値観どおりにいくのはごく限られた一部であり、多くの現代人の足かせになり、もはや適さない。誰も得せず不幸にするだけ。

現代人は昔の人に教育をされたわけなので、昔の価値観教育されている。それがもはや現代人を幸せにしない価値観なのにも関わらず。だから価値観再構成する必要がある。そこに気づくことのできない、"優等生"現代人が、その意味理解しないまま社会的圧力次世代担い手となり、自分自身をも苦しめている。昔の人の誰得価値観を守るために。20代-30代の労働における自己肯定感の低さと自殺率の高さたるや。棄民された氷河期世代も含まれる。


結婚出産への社会的圧力は減ってはいるが、無くなったわけではなく、むしろ昨今の年金問題少子化問題が深刻化するにつれて圧力が復活しているようにも見える。政治的失策国民責任転嫁する形で。

先述の「昔側の男性」に属する為政者による発言にもそういった圧力が増えた。産む機械発言とか。それが、男性へは収入(労働)への圧力女性へは収入(労働)と出産への圧力となっていて、男女間でのさらなる火種となっている。というかすでに炎上しているところに油を注いでいる。

2016-03-13

http://anond.hatelabo.jp/20160229202916

延命はするにしても、しないにしても重い決断だけど、発達が望めないような障害場合選択の機会はあってもいいんじゃないかと思う。

そして、親が考え抜いて決めた答ならどっちも正解だと思う。

(ただし、どの程度の発達が望めるかの判断が難しいケースも多いけれど)

どんな命でも大切に育てるというのはひとつ理想なのかもしれないけど、

現実を見れば、介護担い手福祉リソースもすべて有限だから

でしょう??

俺もう「外野無責任なことを」とか言われてもいいから言うよこういう話を

外野からこそ言うよ

だって親になったら何百倍も自由に言いにくいじゃん




別にニヒリズムでも障害者憎悪でもなく

現在もみんなその有限のリソースを取捨選択して生きてるんだよ

延命せず息を引き取るに任せた親を非難できる奴なんかこの世にいないだろ

老人介護だって残酷延命を避ける方向にある(超遅まきながら)

うちは二人とも最後までフルに介護して見送ったけど、親族全体にその余力と資力があって

老人二人とも最後ボケたけど良性のボケ(キレたり徘徊したりウンコ投げたりしない)だったからで

そうでないケースで子や孫がフルに人生犠牲にする必要はないと思う




医者は老人の胃ろうとかを選択肢として出すことすら倫理に悖る行為だと思うし

まりにも重い障害の発達が見込めない子供延命ルートに乗せるのも同様だと思う

こんなこと書いても迷妄の種かもしれないけど社会の目指すべき方向性としてはどうかって話だよ

2016-03-09

http://anond.hatelabo.jp/20130224175755

うちは教授方針たくさん学外から取ってた。俺は学部東大の工で修士は新領域に行ったんだけど、新領域ってまあ名前の通り新領域なことをやるのが本義なのね。本郷の○○学部でやっていけなかった先生が流れてくる場所じゃいけないんだよ。それ○○学部でできるじゃん、って研究ばっかりな中で尖った研究してたのは外部から入ってきた人たちだった。研究室内でも議論するときにはとてもいい刺激になった。修士くらいってまだまだディシプリン身につけなきゃいけないレベルなことが多くって、やっぱその意味で粗削りすぎるだろって感じになったことは自分研究についても反省するところだけど、まあその分学んだことも多かったよ。

まさに君が問題を指摘している「研究テーマだけは壮大ですが、その実質は…」というやつだね。要はバランスだと思ってる。分散が大きい中で、良いバランス相互作用を出すように配分したら、そういう例が出てきて当然だし、その担い手が「ロンダ」っぽい人に偏るのは必然だね。構造的欠陥ってやつだ。

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ある夜、喫煙所で ―君が言うロンダ組は喫煙率もやったら高いんだよね― ひと悶着あったんだ。あんたみたいな人が、そのままそういう内容を本人たちに向かって口にしたわけよ。結局、みんな適当スルーしたけど。場を離れた後、学部東大出身の先輩がブチ切れてて。「あんなクソみたいなやつらの言葉に耳貸す必要ないわよ!」ってね。他大出身の後輩の中には、萎縮しちゃった人もいたので、迷惑ーって思ったね。

「多様なバックグラウンドを持った学生による、革新的で斬新な分野の研究」という理想の実現はそう簡単じゃない。せっかく賢いなら、その「ロンダ」に対する視線の代わりにもう少し建設的なことをお願いしたい。もし、入ってきた人間が、その研究室に関わりのあることで君が学ぶべきところが全くないとしたら、そもそも十分に研究議論をするような雰囲気を作れていないとかそういうことを疑って改善すべきで、その研究科入試が極端に杜撰だとか、君が perfect human だとか仮説立てるのはセンスが悪いと思うよ。もちろん雰囲気とか機会とかの問題教員問題も大きいのだろうけれど。

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ロンダがしやすいと言われている場所ってのは、教員たちが既存ディシプリン一次元的に測れる能力以外の部分をなるべく推し量って、政府流行用語つかえば「イノベーティブ」な研究教育志向して体制組んでるんだよ。それがロンダ揶揄されるのは、その試みが十分に成功していないという問題でもあるんだろうけれど、少なくとも既存ディシプリンに浸かった上にそれに反省がなさそうな君(「学部継続修士に進み」というあたりを自信たっぷりに言ってるあたり)が批判しているのを見ると、君みたいな学生を取ったことの方が間違いだと思う。それは君が無能だという意味ではなく、相性の問題で。別にディシプリンしっかり身に着けているに越したことはないけれど、「多様なバックグラウンドを持った学生による、革新的で斬新な分野の研究」を目指すのに一緒にやっていける学生を取るべきだから。もちろん、冒頭で少し漏らしたように「本郷の○○学部でやっていけなかった先生が流れてくる場所」という側面もあるし、現実はそう単純じゃないけどね。境界いたことをしてきた大物の先生たちに飲み会でどういう道筋をたどってきたか聞いてみるのも面白いよ、いろんな転換をモノにしてきている先生が多い。

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元増田批判的な書き方になったけど、学際領域が抱えるあるある問題で、ちょっとその点に関する研究教育の在り方が進歩しなさすぎだよね。もう少し研究室間とかで良い相互作用を起こすための知見とかが共有されるべきだとか、研究科としての改善必要だと思う。元増田関係しそうな読者もロンダと言われている人たちへのマウンティングではなく、学際領域での研究教育問題として捉えなおして考えて欲しい。

2016-03-07

キモオタによるフェミニズム概論

フェミニストからキモオタ死ねと言われ、私はもちろんキモオタであるから激昂してクソフェミ死ねと言い返しかけて、そこでふと気がついて困惑した。

フェミニズムとは何だろうか。

私はフェミニズム名前ぐらいしか知らない。しかし知らないものを知らないままにしておくことは、少なくとも私にとってキモオタしからぬ行為である。私は自分に自信をもってキモオタでありたい。クソフェミ死ねと罵られるキモオタであることに誇りを持ちたい。ならばフェミニズムについて知らなければならない。

しかフェミニズムについて知りたかったら何を読めばいいのか。これが意外と分からない。ロールズやセンを読めというのを見つけたので読んでみたが、やはりフェミニズムが分かった気になれない。

そこで手当たり次第に適当にフェミニズム書籍を読んでまとめみることにした結果が本稿である。決して十全ではないが、私同様、フェミニズムをよく知らないオタク諸姉諸兄にとって、フェミニズム理解の取っ掛かりになれば幸いである。

フェミニズムとは

フェミニズムは大きく三種類ある。ラディカル・フェミニズム(以下ラディフェミ)、リベラルフェミニズム(以下リベフェミ)、そしてマルクス主義フェミニズム(以下マルフェミ)であり、それぞれ理論の組み立ては全く異なる。以下順に見ていこう。

ラディカル・フェミニズム

現在のラディフェミ理論的支柱はキャサリン・マッキノンと言っていいだろう。「性の不平等の源はミソジニー(女嫌い)」であり、「ミソジニーの源は性的サディズムにある」(C.マッキノン,"フェミニズム表現の自由",1987,*1)。そして社会に溢れるポルノグラフィ(以下ポルノ)こそが「性差別主義者社会秩序の精髄であり、その本質をなす社会的行為」(*1)に他ならないと喝破する。この諸悪の根源ポルノであるという揺るぎない確信からポルノ法規制を推進する。

ポルノ性犯罪を誘発するという統計的証拠はあるのか。この批判に、しかしマッキノンは自覚的である。誘発するという調査もあり、無いという調査もあると率直に認める。従って彼女が起草した反ポルノ法は「被害をもたらすことが証明されうる物だけが告発できる」(C.マッキノン&A.ドウォーキン,"ポルノグラフィ性差別",1997,*2)。「証明されるべき被害は、強制行為、暴行脅迫、名誉毀損、性にもとづいて従属させる物の取引といった被害でなければなら」(*2)ず、不快に感じた、宗教上の信念を侵しているといった被害は認められない。被害者ではない第三者告発することも認められない。

ポルノには、ホモレズ二次元も、古典文学から芸術作品まで被害をもたらすことが証明される限り全て含まれる。自分が叩きやすゲームマンガだけを槍玉にあげて、自分が叩かれやすい文学や芸術から目を背けるチキンではない。殴るからには全て殴る。それがマッキノである

なお、田嶋陽子はラディフェミを名乗りドウォーキンへの共感を示しているが、ポルノ諸悪の根源とはせず、現実的政策としてはリベフェミに近い内容を述べているため注意されたい("愛という名の支配",1992)。

リベラルフェミニズム

J.ロールズの「公正としての正義」やA.センの「不平等の再検討」をその理論的土台とし、リベフェミは次の点を問題視する。「ジェンダーシステムは、その根を家族における性別役割にもち、事実上わたしたちの生活の隅々まで枝葉をはびこらせた、社会の基礎的構造のひとつ」(S.オーキン,"正義ジェンダー家族",1989,*3)であり、「女性男性重要差異が、家族内で現在おこなわれている性別分業によって作られる」(*3)。

夫婦がともに働いている姿を子供に見せることが教育上望ましいと考え、そして共働きにおいて妻にだけ家事育児押し付けられることは不平等であり、二人で平等に分担するべきであるとする。もし専業主婦なら、夫の稼ぎは夫婦二人で稼いだものとして両者で均等に等分すべきだとオーキンは言う。

このように家庭内賃金労働の不平等の解消によって性差別の無い社会が構築されるとする考えから、リベフェミ女性社会進出を推奨し、出産休暇や託児所の拡充、男性育児休暇取得を推進する。また「子どもたちがなりたい人間になる機会」(*3)を拡大するため――その機会を無知ゆえに狭めないために、性教育重要性を訴える。

なお、「男性を敵視し憎む分派は消滅するだろう」(B.フリーダン,"新しい女性創造",1965)が示すように、フェミニズム男性女性権力闘争化することに否定的立場をとる。

マルクス主義フェミニズム

出産を含む女性の家事育児は明白な労働行為である。にも関わらず男性社会はそれに一切の支払いをしてこなかった。ゆえに女性とは搾取されるプロレタリアートであり、その意味で男性とはブルジョワジーである女性の抑圧は、資本制と家父長制の構造上必然的に生じたものであると喝破し、資本制・家父長制の打倒を訴え、そしてこれが日本の伝統フェミニズムである

女性社会進出に関してはリベフェミの主張とほぼ同一だが、フェミニズムの主要な敵は男性であると断じ、マルフェミでは家事育児という労働に対する賃金の支払いを請求する(上野千鶴子,"家父長制と資本マルクス主義フェミニズムの地平",1990,*4)点で異なる。ただし誰に請求しているのか、また家父長制を崩壊させるために「資本制との新しい調停」を、というが、それが共産制かというとそれも曖昧で判然としない。

日本ではさらにそこに独自思想が入り交ざる。例えば男女混合名簿の推進は「日の丸君が代シンボルとする儀式を撃ちくずす」(河合真由美,"「男が先」を否定することでみえてくるもの――学校の中での性差別男女混合名簿",1991)から良いのだ等、目的が何なのか、いささか混沌としている向きも見受けられる。

その他のフェミニズムと補足

レズビアンフェミニズムブラックフェミニズムエコロジカルフェミニズムポストモダンフェミニズムなど多岐にわたる。マルクス主義フェミニズムの派生であるサイボーグフェミニズム(D.ハラウェイ,"サイボーグ宣言",1985)は読むとつまらないがネタとしては面白い。あとキワモノで言えばスピリチュアルフェミニズムとか。

補足1:クィア理論

同性愛者とフェミニスト関係は、従来男性権力社会に対する「敵の敵は味方」関係に過ぎなかった。そこで登場したのが「フェミニズムと、ジェンダーに関するゲイレズビアンの視点と、ポスト構造主義理論を、政治的ひとつに纏め」(J.バトラー,"ジェンダートラブル",1990)たクィア理論である。これにより統一戦線理論的に張ることが出来るようになった。

補足2:男性差別

リベフェミは広範な男性差別否定するが、アファーマティブ・アクションでの男性差別肯定する。ラディフェミ男性敵視の姿勢を持つが、しかしマッキノンは男性けが徴兵されることは男性差別だとして否定する。「平等とは、ジェンダーの違いではなく、ジェンダーヒエラルキーを問題にし、その根絶をめざすものである」(*1)からである。マルフェミはよくわからなかった。女性兵士に反対しているので、男性差別肯定されるのかもしれない。

フェミニズムが扱う問題

セクハラ家庭内暴力中絶女性兵士等色々あるが、本稿ではオタク、わけてもアニメオタク関係の深い「性の商品化」について取り上げる。

「性の商品化」の法規制

マッキノンは、猥褻として過去に規制された、まさに「性の商品化であるユリシーズ(J.ジョイス,1922)について「ポルノではない」と述べる(*2)。現実の被害が証明されていないからである。「性の商品化」は法規制の理由にならない。

リベフェミであるN.ストロッセンは「子供や妻への虐待強姦日常的な女性への屈辱行為などを正当化する内容が詳細に述べられている」書籍として聖書をあげ、「禁止されない安全思想などほとんど存在しない」("ポルノグラフィ防衛論",2000)とする。そして性教育がかつて猥褻として政府に規制された例を上げ、ポルノ禁止法は政府検閲に利用されると強く批判する。

一方、上野は「性の商品化」だとしてミスコン廃止を訴えるフェミニストについて、彼女らは「法的取り締まりを要求したわけではなく、受け手として「不愉快」だという意思表示権利行使であると言う。そして「性の商品化」は「メディアのなかでも、なんらかの基準がつくられる必要がある("「セクシュアリティ」の近代を超えて",新編日本フェミニズム6,2009)」とする。

ここから見えてくる点として、女性が「不愉快であることが問題なのだということが分かる。「性の商品化」とは何か、それに実害があるかは、おそらく最終的にはどうでもいいのである。さらに求めているのは自主規制であって法規制ではない。自主規制によって発言者は自ら口をつぐむのだから表現の自由は全く関係のない話である

不愉快」による法規制正統性

リベフェミであるマーサヌスバウム嫌悪感を根拠とした法規制を徹底して批判し、ゾーニング妥当性を論じるが("感情と法",2004)、マルフェミである永田えり子は「ポルノ市場が成立すれば、必然的ポルノ市場の外部に流出する。そして流出すると不快に感じる人がいる」("道徳フェミニスト宣言",1997)としてゾーニング効果がないと批判する。

ポルノは「人々に広く不快を甘受させているかもしれない。そして事実不快だという人がいる。ならば、それは公害である」。「性の商品化は多くの人々に対して、確実に何らかの不快や怒りを与えるはず」であるがゆえに規制されるべきだと主張する。

そのような不快感を根拠とした規制は恣意的運用がなされるという批判は当たらない。曖昧な法は他にもあるが、現に警察と司法は正しく運用しているかである。性道徳に根拠が無いという批判も当たらない。「根拠がないということがすなわち不当であるわけではな」く、それは「正しいから正しい」のである

なお、福島瑞穂非実在児童ポルノ規制は法的安定性が保証されないとして反対しており、この永田見解がマルフェミ共通見解でないことは述べておく。が、例えば児童ポルノ法規制に対して日本ユニセフ協会広報室長の中井裕真から司法は正しく運用してくれる旨の見解が述べられており(永山薫昼間たかし,"マンガ論争勃発2",2009)、これがフェミニストの通説でないことは明らかだが、一定存在する見解であるように思われる。

日本草の根フェミニズム

初期の日本フェミニズムには「反主知性主義」があり、「女性であれば(女性としての経験をもってさえいれば)誰でも女性学担い手になれること、専門的なジャーゴンや注の使用を避け」、「プロアマ距離をできるだけ近づけること」が目指されたと上野は述べている("女性学の制度化をめぐって",2001)。

こうした取り組みで女性が声をあげられる空気を作り出すことに成功したが、結果としてフェミニズムは「一人一派」と化した。筆者の私見に過ぎないが、これは同時にフェミニズムと「私」の区別を曖昧なままにしたのではないか。

「私」とフェミニズムが一体化しているとすれば、「私」が不愉快ならフェミニズム上も不公正に決まっている。それが従来のフェミニズム理論と矛盾していたり整合性が取れなくとも関係ない。「「オンナ対オトコ!」なんて言ってるフェミなんて、いないのになぁ」(北原みのり,"フェミの嫌われ方",2000)が示す通り、従来の理論について知識も興味もないフェミニストは珍しくない。知らなければ(当人の中で)矛盾はしない。

理論を欠いた思想は、しばしば信念や信仰へと還元されてしまいがちである」(*4)と上野は言う。そのような啓蒙主義者にとって「真理はつねに単純である。(中略)真理を受け容れることのできない人々は(中略)真理の力で救済することができなければ、力の論理で封じるほかはない」。そうして治安警察国家を招き寄せる人々は「反主知主義の闇の中に閉ざされる」。

これは実は上野によるリベフェミへの批判なのだが、筆者にはリベフェミではないところに突き刺さっているように思えてならない。


おわりに

このようにフェミニズム一言で言い表せるような概念ではもはやない。日本の初期フェミニズムはマルフェミが中心であったが、現代日本フェミニストは必ずしもそうではないだろう(例えば堀田碧は"「男女共同参画」と「日の丸フェミニズムの危うい関係"で一部の若いフェミニスト愛国心に苦言を呈している)。

最後になるが、フェミニズムはクソだという見解に私は全く同意しない。職場上司女性社員の尻を撫でることは強制わいせつ以外の何物でもないし、家庭内暴力夫婦喧嘩ではなく傷害である。どれだけ成果を上げようが性別を理由に賃金を低く抑え、出世コースから排除するといった制度の是正フェミニズムが尽力したことを、私は決してクソだとは思わない。

私がクソだと思うのは、……まぁ、書かなくても察してもらえるかと思う。

いささか長い増田になった。この程度の調査力でキモオタとかw という批判は甘んじて受けるしか無いが、とはいえもし誰かの理解の役に立ったのならそれに勝るものはない。

2016-02-29

追記有)障害児産んだら人生終わったから、日本死ねっつーか死にたい

↓これ読んだら居てもたってもいられなかったから、便乗して日記を書いてみる。

保育園落ちた日本死ね!!!

http://anond.hatelabo.jp/20160215171759

私は数ヵ月前に第一子を産んだ。

20代、夫30代。

二人とも正社員だけど給料は高くない。

まあごく普通夫婦。

共働きならなんとか子育てしながらやっていけると思った。


だけど、生まれたのは口からミルクを飲むことも息をすることもままならない重度の障害児だった。

医師保健師からは、こういう状態の子供を産んで働いている母親はいないと言われた。

人工呼吸器をつけていたり、鼻に入れたチューブから栄養を取っている子はどこの保育園でも預かってもらえない。

みんな子供介護をしながら、手当てをもらって暮らしている。それが当たり前だって

手当てといっても給料と比べればわずかな額だ。

片働きになれば、今の家には住めなくなるし相当切り詰めた生活をしなければならない。次の子を持つのも難しい。

だったら、死のうかなって思ったよね。子供と一緒に。

就活をけっこう頑張って入った会社だったんだよ。

妊娠中、子育てに夢を描いて選んだ家だったんだよ。

そういうの全部なくして、残りの人生、親を親と認識できるかも分からない子の介護をするのかと思うと、絶望が凄い。

子供が可愛くないわけじゃない。でも失ったものが大きすぎる。

あとさ、出生前診断ってよく話題になってるけど、分からない障害の方が圧倒的に多いんだよね。

特に呼吸器とかが必要になるような重障害って、脳の機能問題だったり、出産時の事故だったりが多いか

産んでみるまで予想もつかない。

母親の年齢もあんまり関係ないし。

子供を持つのって待機児童心配とかもあるけど、

こういう思わぬリスクもあるんだなって、産んでから初めて知った。

だって障害児を産む可能性はあるんだから

せめて、どんな子が生まれても普通に生活を続けていける社会になって欲しいと切に願う。

…ってなことを吐き出したくなったから書いてみた。

―――3月7日21時追記―――

凄い数のブクマついてて驚いた。

いろんな人が興味を持ってくれているようでありがたく思う。

医療ケアのある重度障害児育てていると、困ったことがあってもデモとかで訴える余裕もないし(そもそも物理的にあんまり外出できないし)、

どうしたって自分たちが少数派だからと、伝えることを諦めがちになっていた。

からこういう形で吐き出した悩みに、多くの人が意見を寄せたり拡散をしてくれたっていうのは、本当にありがたい。


今、恋をしたり、結婚式をあげたり、妊娠を喜んでいるカップル夫婦

いつか重症児の親になってしまった時、もう少し絶望しないですむよう社会が変わっていくといいな。


それと、いくつか寄せられた障害児の延命への批判や疑問について。

私のケースだと、出産後に異変がわかって、あれよあれよという間に呼吸器がついて経管栄養がついて、

延命について考える機会もなかった。

「命は助かりました。医療ケアがあれば生きて行けます。あとは親御さんが頑張って育ててください」っていう感じで怒涛の育児が始まったw

延命はするにしても、しないにしても重い決断だけど、発達が望めないような障害場合選択の機会はあってもいいんじゃないかと思う。

そして、親が考え抜いて決めた答ならどっちも正解だと思う。

(ただし、どの程度の発達が望めるかの判断が難しいケースも多いけれど)

どんな命でも大切に育てるというのはひとつ理想なのかもしれないけど、

現実を見れば、介護担い手福祉リソースもすべて有限だから

まあ、子を育てていくうちに考え方は変わるのかもしれないけど。

あと、経験者の声には勇気づけられた。ありがとう

http://anond.hatelabo.jp/20160229202916

とりあえず、もうちょっと生きてみようと思います

―――3月8日0時追記―――

takehiko-i-hayashiさんにコメントして頂いたチャリティーリンク先を貼っておきます

すでに寄付してくださった方もいるみたいで、感謝の思いで爆発しそうです。

障害児保育問題フローレンス http://florence.or.jp/solution/#col_3

重病児家族滞在施設マクドナルドハウス http://www.dmhcj.or.jp/support/index.html

―――5月26日追記―――

TBS川畑さんへ、ご本人だという想定で返信

医療ケア児について取材を続けられているとのことで、

マスメディアにそのような情熱を持った方がいらっしゃることを心強く感じます

話を聞かせて欲しいとの件は、大変ありがたいお話なのですが、今回はお断りさせていただきたく思います

ひとつ理由としては、子供医療ケアが頻回で、時間的にも体力的にも余裕がないこと。

もう一つは、この投稿を通して私の状況が多くの人に届いた結果(それ自体ありがたいことなのですが)

副産物として、まとめサイト匿名掲示板などで、私だけでなく障害児の親全体を叩くような書き込みが多く寄せられ、少し参ってしまったことです。

マイノリティが世の中に理解を求めるならば、このようなことも覚悟して声を上げていくべきだと頭では分かっているのですが

すみません…今はまだ勇気が持てない状況です。

私が一時、電話相談をしていた重度障害児の親の団体に「社会福祉法人 全国重症心身障害児(者)を守る会」というものがあります

http://www.normanet.ne.jp/~ww100092/

こちらに取材を申し込まれたら私と同じような立場の方がいらっしゃると思います

私がお話しした方は、入所施設の空きがなく産後30年近く子供介護をされているという話でした。

取材お断りした立場で恐縮ですが、取材されている内容が番組になるのを楽しみにしております

お手数でなければトラバで告知していただけたら必ず拝見します。

2016-01-31

末法の世とバーチャル死後の世界

現代の我々は、盆になれば墓石に水をかけ、手を合わせているが、その行動自体無意味だと知っている。

死んだ人間意思などなく、故に墓に参ったところで喜ぶこともないと理解している。

極楽天国煉獄地獄もなく、最後の審判閻魔様の裁きもないとわかってしまっている。

正確に言えば、ずっと前から、みんなそんなことはわかっていたのだろう。

ただ、わかっていないふりをしていただけで、いずれはそのふりもやめるのではないかと思う。



どんな人間もいずれ死に、その心が消えてなくなるというのは、ある意味で救いでもある。

しかし、現代日本では、それが悪い方向にばかり影響している気がする。

どうせ死ぬのだから、金を儲ける気にもなれない。

家族を作ったところで何の救いにもならない。

下の世代ことなど知ったことではない。

そして、宗教がその説得力を失いつつある今、これに対抗するための代用品も存在しない。

ただ、その辺を深く考えても仕方がないから、努めて触れないようにしているだけである



私の考えはこうだ。ならば、その代用品を作る必要がある。

この界隈に詳しくないので、どういう仕組みでやるかは予想もつかないが、

いずれさらに発展する技術で個人の人格仮想化し、ネットワークに送る。

言わばバーチャル死後の世界というべきものを構築するのである

現実人生生活費必要なように、仮想世界生活にもいくらかの維持費が必要だろう。

そして、生きている間はなんだかんだで政府が面倒を見てくれるが、

死後はそうもいかないかもしれない。

あの世の沙汰も金次第である。結局、頼れるものが己の金(と子供)だけとなれば、

金を稼ぐ気にもなるというものだろう。景気回復一助になるかもしれない。



何より重要なのはシステムの維持には未来世代文明を永続させること、

そして、彼らの手と意思により、自分たち存在を維持してもらう必要があるということだ。

こうなれば、否が応でも下の世代配慮せずにはいられない。

子供がいなければ将来の担い手もいなくなるのだから少子化も一気に解決である

関係が悪ければ放り出されるだろうから虐待もおそらく減る。

政治家有権者も、少しは下の世代のことを考えるようになるかもしれない。



「死んだらしまい」という考えから世代倫理が生まれることはない。

2015-12-12

何のためにはたらく?

よくある論争。

人材系の企業がしきりに「自己実現」とか「キャリアアップ」とかいって煽るが、会社員しろ公務員しろ、ある組織集団に属している以上、「その組織集団を利するため」の1点に尽きる。

「こうやればキャリアアップにつながる」ということでも、会社として利益にならなければ、仕事にはならないし、まず承認されない。

公務員場合営利を追求するわけではないにしろ行政サービス担い手として最善の行動を取らなければならない、職員キャリアとか自己実現とか、役所にとっては一切が知ったことではない。

まあ当たり前の話だ、ビジネスなんだし。



現実って厳しいね(;¬_¬)

企業が「人を育てる」ってことを見失った結果かな。

2015-10-11

中年ってネガティブ文脈しか使われないけど

実際人生でみたら何不自由なくて一番楽しい時期だと思ったりした

体力も十分、社会的役割担い手の中心世代

子供も持てて育ててと

やろうと思ったら大抵のことはできる年代

もっと自信持って楽しんだらいい

2015-08-22

http://anond.hatelabo.jp/20150821111821

デザイナーの卵を教えることが多い立場増田だけれど、今回の件(サノケンというか、世間デザイナーに対しての無理解に関して)で、美大デザイン科の学生モチベーションは大きく下がってるよね。


「この職業デザイナー)は、こんなに世間理解されてないものなのか」という言説はよく聞く。


そんな中、客観的に状況を分析し、統デに対して、デザインに対してあくまポジティブ姿勢である元増田は偉いな〜と思う。


数日前に別の増田が、「ものづくりに対する無理解とリスペクションの無さが問題」と言ってたが、まさにその通りで、今デザインを学んでいる学生さんたちを取り巻いている状況は決していいものではないと思うんだけれど、是非未来日本のために頑張って欲しい。


デザインに限ったことではなく、どの分野においても担い手すらいなくなってしまったら、文化死ぬので。

2015-08-14

佐野研次郎騒動・第二幕について

こんな事情だったのではないかと想像できなくもなかったので、少し書いてみようと思う。仮定の上に仮定を重ねたものなので、もちろん盛大に間違っている可能性は大いにある。諸賢には割り引いて読んで欲しい。答え合わせは、現在調査中とされるMR-DESIGNの結果報告を待とう。


 今回のトートキャンペーンは、オールフリーの常飲習慣化の推進が目的だろう。習慣化してしまえば、ビールと似ていることが幸いして、ケース買いへの抵抗も少ないだろう。

 ビールテイスト飲料は、夏場の渇いた咽を癒すには、ビールより適しているとも言える(個人の感想)。渇きに任せて一気飲みしても酔わないし、最も暑く咽が渇く昼間でも飲めるからだ。しかし現状はまだ、ビールテイスト飲料あくまビール代替飲料としての側面が強い。シェアNo1のオールフリーとしては、ビールとは別の、大人の麦茶のごとく夏の常飲飲料化できれば、シェアの奪取ではなくパイの拡大で売り上げ拡大を見込めると踏んだ(以上妄想)。


 サントリーとしては、続けて飲んでみてもらうことさえできれば、習慣化できるという自信があるのだろう。そこで「何十本か飲み続けさせること」をキャンペーンミッションとしたのだろう。ただし、何十本=何千円分も買い続けさせるには、消費者に対してそれなりのインセンティブを用意する必要がある。「本当に欲しい・使ってみたいと思える景品」でないと、何千円も使ってくれない。そこで、「デザイン性の高さを優先して、ださくなりがちな商品訴求を排除デザイン好き嫌いターゲットを取りこぼさないように多様な図案数を用意した景品」というコンセプトを立てたのだろう。「佐野研次郎デザイン」を謳うのは、タレントADブランドデザイン性の高さを保証するため(結果的にこれがクリティカルであり、今となっては皮肉ではあるが)。トートなのは、夏に使うことの多いアイテムで、いくつ在ってもあまり困らないものとして。そして、どれかはきっと気に入るだろう30のデザイン


 問題は、30という図案の数だ。準備期間に半年もあれば問題は起こりにくかっただろうが、機動力が物を言うセールスプロモーション施策にそんな時間が与えられることなどほぼない。上記の通り、この施策は夏に行うことに意義がある。キャンペーンサイトを見ると7月頭に応募受付開始だから広告を打つの6月からトートデザインを含めた制作が始まったのは、贅沢に時間を取れたとしてもゴールデンウィーク前、場合によっては…考えたくもない期間しか与えられていなかった可能性もある。

 30の何が問題かというと、その短期間にこなすには数が多いことと、数が多い分、図案ひとつ当たりの予算が低いだろうこと。

 デザイン作業そのものについて簡単に言うと、タレントクリエイターたる佐野研次郎がすべてデザインしている時間はないし、それでは割に合わないのだ。ましてや、東京オリンピックエンブレムも並行して走っているし、きっと他にも案件を抱えていて、彼や彼の子飼いの主力デザイナーをこの案件だけに注力させるわけにはいかない。となると、デザインをするのはまだ主力を張れるほどではない若手のデザイナーたちで、彼らが挙げる山ほどの案の中から使えそうなもの佐野ピックアップし、ディレクションする、という形になる。あるいは、佐野管理の効かない他の制作会社にもデザイン案を頼んだかもしれない。その制作会社でも、低予算納期案件に主力を充てるわけにもいかず、こちらも若手が主な担い手だったろう。自由度は高いので、「修業にちょうど良いし、楽しんでやってみてよ」というような塩梅で振っていたのではないか。ではその若手はというと、まだ権利関係意識も低いまま、短い時間で案の数を出そうとするあまり、ついついインスタにプールしてある資料からアイデア画像のもの拝借、みたいなことをやってしまったりしたかもしれない。あるいは、アイデアを形にする素材探しに、フリー素材を当たる時間もなく手っ取り早くググって出てきたものを使ってしまったり。パンやサングラスの件は、そんな感じでカンプ(完成イメージ制作の段階で使ったものが、予算的に本制作用の撮影もできない中、そのまま本番に行ってしまったんじゃないだろうかと想像する。

 さらに、数は多く時間が短く予算もないと、広告代理店権利関係の裏取りも当然粗くなる。すべてのデザインフォローをしている余裕はなかったんじゃないだろうか。


 もし佐野デザインしているのでないのならば、そもそも「佐野研次郎デザイン」と銘打つことも欺瞞なのではないかという批判も出ると思う。確かに、本来は「佐野研次郎ディレクションであるべきだっただろう。けれども、英語がさっぱりの人も多くいるだろう一般消費者にとって、横文字として「デザイン」と「ディレクション」のどっちが取っつきやすいかというと、答えは自明だ。つまり、「デザイン」のほうがわかりやすく、訴求力が強いのだ。そんな広告表現上の理由で、「佐野研次郎デザイン」を謳ったのだろう。


 我ながら長い。こんなに長く書くつもりはなかったのだが。


 佐野研次郎を擁護するつもりはない。誰がしでかしたのであっても、どんな理由や経緯があったとしても、「佐野研次郎デザイン」として広告主に案を買わせて世に出したのだ。その不正についても「佐野研次郎」の名の下で引き受けるのが筋というものだ。気の毒だと思う面もあるにはある。が、同じ業界で飯を食う者として、一定責任は果たした上で決着を付けてくれることを切に願うものである

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