はてなキーワード: 苦痛とは
「公共の場で公正なルールに基づいた取り扱いがなされない」くらい狭い意味で差別を捉えるなら、女性の方がこの種の差別にあうことが多いかもしれない。ただそのことをもってして、「男性は全員女性より恵まれた存在!」とか言われると、男性も職場で見下されたり女性に馬鹿にされたり金がなかったりつらいことはたくさんあると言い返したくなる。このような、男性の持つ苦痛を無視し女性の苦痛だけを問題視する態度には、差別という言葉をあてるそれなりの理由がある。まとめると、人間がツライ思いをしたときには、家、会社、市役所などの「場所」や仕事中、プライベートなどの「時間」、上司や友人や見知らぬ人などの「誰から」などで場合わけしながら議論した方がいい。最低でも公私くらいは。
子育てが苦痛で、社会的債務みたいな捉え方にどんどんなっていった。
また生活水準がどんどん上がって、多少貧しくても子どもがいて幸せな家族がいればいい、という価値観が昭和だとして蔑まれるようになった。
そして、子供のために自分の人生を犠牲にするという発想がそもそも昭和の極地として蔑まれるようになった。
子どもよりも自分の時間、自分の満足のほうが大事になる大人が増えた。
だから子どもの価値はどんどん下がり、コストとしての側面がどんどん増えた。
昔は幼稚園や保育園で「子どもをしつけてください!」という親が出てきて論争になったが、今やそんなことは論争にすらならない。
子どもはコストだという無意識の共通了解が浸透したため、そのコストは公的セクターに押し付けることが今やカジュアル化した。
つまり、なぜ社会は子育てコストを親に負担させるのか!という意識がどんどん強まった結果だ。
しかし一方で、「じゃあ子ども持たなきゃいいじゃん」って発想はなかなか浸透しない。
もちろん過去より遥かに増えてはいるが、まだカジュアル化とまでは言えない。
やはりこれは子どもがいないとそのうち国や社会が破綻するからだろう。
社会の存続コストと親の子育てコストをそれぞれ押し付け合う世の中になった。
とにかく、親の不幸の原因は簡単。
子を持つ圧力には逆らえないが、子を持つ価値が少なく、コストが高い、と感じているからだ。
上記3点のいずれかが解消すれば不幸はなくなる。
我
多忙な日々だった。
1日の勤務は所定で8~6時間だけど、超絶な詰め込みの仕事だった。
完全に、常勤と同じ働き方だった。
ちなみに、私以外の職員はエンジニアでない常勤職員が多かったけど、ほぼ定時に帰っていた。
最初は定時で帰れていた。
自分自身の生き方として、私は病気になった家族と一緒に過ごしたかった。
それに、多少は前職の製造業(IT事業がメインだったが)で貯蓄を作れていた。
裕福では全然ないけど。
人間関係は悪くなかった。
どちらかと言えば、上司・同僚も良い人たちだったと思う。
工数の概念はないし、納期ものんびりペースで調整させてもらうことができた。
開発の経験もあったし、Excelは当然のこと、AccessもVBAもSQLも余裕中の余裕だから、現場の仕事では人気になれた。
だから、常勤職員が絶対にやりたがらない電話対応とか、ヘルプデスク対応も、進んで自分からやった。
最初は定時で帰れるように他部署と調整しつつも、上司に提案したりして、新しい仕事も掴みとっていった。
でも、どんどん苦痛になっていった。
非常勤は基本的に雑用ばかりを押しつけられ、楽しそうなやりがいのある仕事は全部常勤職員が取っていくからだ。
でも、仕事の量はどんどん増やされていく。
「残業をつけずに働いたほうが働きやすいよ」とか、「ここの職場では常勤職員と同じように働いても大丈夫なんだよ」とか、
暗に、常勤職員並みにに働くことを求められたことは頻繁にある。
あと、信じられないことも言われた。
「常勤職員並みに働かないと、来期の契約は結ばない可能性がある」
だって。
情報システム部門の管理職(部長・室長)は、現場の仕事の実態を何も理解していなかった。
これが大きな問題だった。
管理職に、システムの実務を経験したことのあ職員が皆無だったのだ。
職員のスキルの実態については、自分以外は誰もAccessさえまともに使えなかった。
Accessを起動してテーブルを参照できるレベルの職員のことを、上司は「Accessができる」と高評価していた。
Accessが使えればSQLも自動的に理解できる、それくらい簡単なのだと言っていた。
バカかよ。
私とは別に委託業者もいて、ヘルプデスクは基本的には業者が対応していた。
私が辞めたあとは、全部そちらに丸投げするらしい。
ヒラの職員からは、「いなくなったら職場が大変になるね」と言われた。
「下の人間がやる仕事」、「外注に回す仕事」と思っているらしい。
SESを馬鹿にするわけではないが、ヘルプデスクに技術的対応ができるSEなんて、ほぼいないのが現実なんだけどな。
上は、ITの実務・現場対応に関しては、「自分たちの仕事ではない」という意識らしいのだ。
辞めた後、私の個人携帯にはヘルプデスクの外注業者の方から、度々、「教えてほしい」のメールが来る。
でも、自分もそうだったのだ。
私は、これでも、やりがいを持って働いていたんだ。
最初はね。
以下に嘘だと考えられる設定とその理由を述べる。
嘘。本当はレジャー目的で温泉に行っただけなのに、ゴールデンウィーク中に温泉へ出かけるなと批判を受けるから妻を病弱ということにして療養目的にした。しかし、皮膚炎だったら自宅でシャワーを浴びるだけでも苦痛なのに、家族以外の雑菌・ウイルスに触れる公衆浴場へ行くなどあり得ない。その上、温泉はもっとありえない。温泉のpHは酸性またはアルカリ性で皮膚に対する負担が大きいからだ。
皮膚炎の話は抜きにしてもおかしな箇所がある。最初に行った温泉がいつも行ってる温泉のはずなのに、その後行ったのが「地元の人しかいないようなこぢんまりした温泉」で「妻の皮膚炎を気遣ってくれてる顔なじみの受付のおばさん」がいるという箇所だ。貸切風呂のある大きな温泉に人だかりがいて、人だかりは地元の小さな温泉にまで及んでいるという話にしたかったのが見え見えだ。本当の話なら最初から地元の小さな温泉に行くべきだが、そう書いたらその温泉がたまたま混雑していただけだろと批判されてしまうので、最初に貸切風呂のある大きな温泉に行ったという話にしたのだろう。
9割・8割という具体的な数字を出して話に説得力を持たせたのだろうが、すれ違う車のナンバーを注視してメモを取らない限りこんな具体的な数字は出るはずない。そのくせ、緊急事態宣言の発令されている、東京都・大阪府・京都府・兵庫県のいずれも具体的な都道府県名が出てこないのもおかしい。そこを具体的に書いたら、それらの都府県からわざわざ長野県の温泉まで行くわけないだろうと批判されるから、都道府県と抽象的な表記にしたことが容易に推測できる。
2度も温泉に行くのを混雑によって断念したのだから、同様に混雑しているだろう道の駅に立ち寄るのはおかしい。そもそも田舎の道の駅っていうのは、観光客相手にぼったくり価格で金儲けをするための場所であって地元民が買い物する場所ではない。温泉以外の場所も観光客で混雑していたという話を作りたいがために、道の駅に立ち寄ったという話にしたのが見え見えだ。
昨年の緊急事態宣言が発令された時ならその理屈も成り立つだろう。実際にそのような思想の人も多く、他の都道府県民を排斥する動きも多くみられたからだ。しかし、そのせいで観光業が不況になったこととその後のGoToキャンペーンで恩恵を受けたことは都合が悪い(あるいは知らない)から全く書いてないのだろう。本当に観光を主産業にしている田舎に住んでいるなら、コロナ対策による多少の不便や不利益があったとしても、営業を継続すべきだと考えるはずだ。仮に営業を停止すべきと本心から考えているのだとしたら、支援金等の保障の話が出てこないのはおかしい。観光業で生きている田舎は生活がかかっているのだから。
これもできすぎた設定だ。他人が観光で楽しそうにしているのと混雑を形成しているのが気に食わないという増田自身の個人的な感情に過ぎないのに、その感情に社会的な正当性を持たせたいが為に子供と老人を設定したのが見え見えだ。祖父母のうち一人が存命で一人がコロナ禍中に死亡してひ孫に会えなかったというのも出来すぎている。「この田舎も御多分に漏れず高齢者が多い」、「無症状の感染した我が子が高齢者に移すことだってあるんでしょ?」という自身の文章から、大衆に幅広く賛同を受けるであろう、子供と老人が被害者となる設定を盛り込んでしまったことが容易に想像できる。
仮に本当に増田の体験と思想が事実だとしたら、こんな穏当なタイトルを付けるはずも無いし、観光客に対する非難の言葉が文章中に全く無いのもおかしい。タイトル名と最後の段落ではクエスチョンマーク(?)を多用して自身の感情(お気持ち)を書くだけにとどめて、他者・社会に対する要望や意見の表明を徹頭徹尾排除したことから、手練れのお気持ち増田(創作増田)であることは間違いないだろう。おそらく、本当の部分は温泉と道の駅へ行ったことだけだろう。その体験からここまでのお気持ち増田を創作するとは、嘘とは言え感嘆の意を表明せざるを得ない。
おお、元増田が追記している。追記するタイミングも反応内容も、熟練のお気持ち増田職人そのものだな。
元増田の追記内容だったり、元増田や俺に対するトラバ・ブコメに思うこともあるが、そんなことよりはてブのカテゴリが気に食わん。なんで元増田が「世の中」で俺が「おもしろ」なんだよ!?
まるで元増田が「世の中」の不条理を問いただすジャーナリスティックな文章みたいな扱いじゃないか。それに対して、俺はくだらないいちゃもんを付けて道化を演じている「おもしろ」人間みたいじゃないか。
逆だろ!嘘増田で道化を演じているのが元増田で、それに対してジャーナリスティックな視点で追及しているのが俺だろうがよ。
金がないなら貧困は解決されるべきだ。福祉を頼れ→違う!非モテ問題を解決しろ!これだからリベラルは!フェミは!
モテる為にああしろこうしろ→そうできない弱者男性の気持ちを考えろ!クソバイス!
女を無理矢理あてがえってか?→そんな主張してるのは一部だ!弱者男性にレッテル貼るな差別だ!
モテないおばさんだっている→女は恋愛強者だ!男を選んでるんだ!一緒にするな!
これだもんな。
友松直之とかすももとか、一部の弱者男性論者は性被害より非モテ問題が重大事だとほざくし。
同性愛者が引き合いに出されるけど、同性愛者の非モテだっているからな。声を上げないだけで。
性愛の社会的な権利を認めろという話と、相手をくれって話は違うんだよ。
大体、金がない辛さとか腹が減る辛さは万人共通だがモテない辛さは違う。
モテなくてもそれを苦痛に思わない人は沢山いる。だから気の持ちようという話になりやすい。
女には理解不能なんだよ。女を憎み女叩きしながら女を求め、異性を得られないという「(自分達女が)個人的なことだと当たり前にみなしてきたこと」を重大な社会問題だと叫ぶ弱者男性の気持ちは。
性被害に苦しんだり、当たり前のように化粧や身だしなみを要求される女に対して、身だしなみも整えずに(要求したら差別だといわれる)女が欲しい女はクソだ苦しいと騒いでる一部弱者男性はなんて贅沢なんだろうと思うんだよ。
20年ぐらい読み専オタクしてたんだけど今年から突然二次創作文章書き始めた。
当たり前だしそれが自分の今の力量なのはわかってるんだけどへたくそな文章を読み返すのがハチャメチャに苦痛。
完成までには書いた物を何度も何度も読み返さなきゃいけない。
字上手人が書いたおもしれー二次創作読んだ直後とか落差でもう読めたもんじゃない。
今書いてるやつ一生完成しないと思う。
美味しくて本格的で見た目も綺麗な料理が手軽に食べれるところにあるのにどうして私はぐちゃぐちゃの卵焼きを必死で作ってるんだろう。虚無。
初めて書き始めた時は、とにかく他人が読んだ時に意味が通じればいい、話が伝わればいいと思っていたはずなのに、拙さが気になりだすってことは欲が出てきたんだろうな…とは思う。
最初は、材料が集まったからせっかくだから調理してみようかなぐらいの気持ちだった。
初心者ゆえの開き直りみたいな最初の気持ちを取り戻すのが大事なのかもしれん。
やっぱ私創作向いてね~~他人の作品読んで感想文書いてるのが性に合ってる!って思うんだけど、世の字上手人たちだって自分で書くより他人が書いたもの読む方が気が楽だわ(多分)(全員じゃないけど大半の人が)
って思うと「創るより読む方が向いてる」って当たり前すぎてただの逃げだ。
元々漫画でも小説でも創作してる人すげーって思ってたけど自分が半端に手を出してみて改めてすごさを実感する。
みんなすごいな。
読み専期間が長かったから今更自分が創作することになるとは全く思ってなかった。そういうジャンルに出会えたのは幸せだと思う。
自分はインキャのコミュ障で、気づけば適齢期もとうに過ぎて、そこから結婚相談所に入って活動した
結婚は当たり前にするもの・できるものだと思っていたが、どうやら自分は違ったようだ、なんなら最初から無理ゲーだった、と婚活を通して思うようになっていった
異性の伴侶が欲しいからではなかった、むしろ他人と過ごすのは苦痛だった
出産の苦痛は、骨折よりも痛く、指の切断よりはマシなんだそうな。
ということとは、小指のないおっさんとかは、十分に出産にも耐えられると思ってよいのではなかろうか。
男が出産の痛みに耐えられないというのはぶっちゃけ、ウソ・妄想の類ではなかろうか。
なんて思ったり。
だってさ、自らの市場価値が歳をとり若さを失うにつれ下がっていくのに焦って婚活してる女に捕まるなんて、地獄以外の何物でもない。
三十路過ぎて焦って婚活してる女、そもそも若かった学生時代に何してたんだ?と誰もが疑問に思うだろ?奴らは学生時代サークルのイケメンの先輩とか、ハイスぺリーマンに犯されておまんこ気持ちいい状態になってなってたんだよな。奴らと結婚するってのはイケメンやハイスぺによって使い古された穴をありがたく頂戴するってことなわけだ。いや、さすがにそれは俺のプライドが許さない。というか逆に許せる奴いるの?
というか、プライド云々以前に俺の物は短小だから多数のチンポに犯されてゆるゆるになった穴に入れても大して快感を得られないんじゃないか?というアクチュアルな問題もあるわけで。
そうは言ってもかれこれに2年間彼女がいないんで、セックス不足による苦痛が毎日著しく、婚活女が現れたらあっさり篭絡されてしまう可能性がある。それを防ぐために何ができるか?と考えると去勢しかない。キンタマがなければ性欲もなくなるわけで、婚活女が現れたところでおそらく動じることはなくなるだろう。性同一性障害を装えば安全に医者にキンタマとってもらえるかな?MtFの症状を研究するために論文をサーベイしないとなあ。前サーベイしたところによると、MtFはFtMと違って個人間で症状にばらつきがあり同一個人の症状も通時的に安定していないという話だからそこまで頑張らなくてもMtFのフリができる気がする。
「結婚は人生の墓場」が口癖だった大学時代の先輩(コミュ障チー牛。年収一千万)がコミュニティの中でヤリマンとして知られてた小太りの女との結婚報告をFacebookでしててその衝撃のあまりくだらない文章を書いてしまった。
たとえ弱者応援チームであっても、利害関係ある異なる種類の弱者を同時には応援できひんのよ。
若い母親の性被害を強調すると一度方針を決めたら、とことんその性経験は悪しきものとして扱うしかない。
逆に福祉の専門家が絵本の読み聞かせをするようなノリで、生まれた子に「あなたには生まれてきた意味があった」とか言った日には、母親にとって恥と苦痛でしかない日々に肯定的要素を持たせる危険が出てくる。
所沢から横浜あたりまで、片道通勤2時間、往復で1日4時間くらい電車に揺られている。
読書したり勉強したり、アニメやドラマを鑑賞したりととても有意義で豊かな時間だ。
以前の仕事は家から近くて、自宅のドアからオフィスまで30分程度だったが、著しく苦痛だった。
通勤時間を含めた就業時間全てが嫌だった、そのうち翌日の業務のことを考えると退勤後も嫌になり、そのうち休日も嫌になった。
適応障害になった。
同世代にしてはそこそこ給料は良かったが、医療費や療養中の無職期間、自暴自棄になって散財した結果は大赤字だ。
でも稼働時間も半分以下で、何よりのんびり業務に当たらせてもらっているので心静かに暮らしていける。
私は経済的貧困の部類だし、散財したせいで貯蓄もほとんど喪ったが、幸せに思える毎日がとても嬉しい。
手の震えも止まり、愉快な友人を持ち、公私共に意欲と気概に満ちてきた。
チラ裏な話だけれど、今日が誕生日だったので3年前の私を労いたい。
もう少しでずいぶんと楽になります。
今は仕事も通勤時間も、どれも自分の時間として楽しむことが出来ている。
今日の帰りは何を読もうかな。
横増田だけど、マジで生理に伴う苦痛がひどいから摘出したいが、母体保護法により相当酷い病気じゃないと摘出できない
摘出したからといって必ずしも良くなるわけではないし
何が楽しくて1週間股から血をだばだば出さねばならんのか、と言ったところ。
しかもまだ授乳もあるので、今の私の体は上からも下からも血液を出してることになる。
生理があることは妊娠できるであろうといういい事だし、健康のバロメーターのひとつでもあることは承知している。
けど、不快。
ふと、男に肉体的に辛いことはないのか?と思った。
例えば勃起すると痛いとか、射精すると「射精痛」がある人がいるとか、月1で1週間ほど精液か尿辺りが垂れ流しになるとか。
もちろんそんな事は今までの人生で聞いたことがないが、男女別に呼ばれる保健体育で伝えられて秘密にされたりしてないか。
月1で痛みと共に血を流して、妊娠で悪阻や陣痛の痛みを感じ、出産の出血もあるのに更に授乳で血を持っていかれる女と、出すだけで肉体的な負担はほぼ無い男。
あんまりずるいとか言いたくないけど、ずるいなぁと思ってしまった。
(追記)
やっぱり基本的に肉体的に痛みや大変なことはないんだなって思った。
強いて言うなら暴力の欲望が強い人は抑えるの大変だってところかな。(ホルモンが多いと考えるべきなのか)
もちろん他にもフィジカル的に大変なのはあると思うけど、それは女もあるよ。
母乳がどうのとか保育園可哀想だとかいろいろ言われたりもするし。
男も母乳的なの出るとか、月1で金玉が張りまくって歩くと痛いとか、繁殖に伴う苦痛がないよねいいよねって話でした。
ちなみにピルは前まで飲んでて助かってたけど、まだ授乳が必要な子がいるから今は難しい。
終わったら再開してみようかな。
職業は伏せるけど、まだ未手術。
性別適合手術(性転換手術とも言われるけど、今はこの言い方が正しい)が金銭的にできなくてお金を貯めてる状況。未手術と言っても、ホルモン治療はしてるし、睾丸摘出はした。外見もほぼ女。何も言わなければ女としてしか扱われない。
どうせこんな落書き、まともな人は誰も見てないだろうけど、ここ2, 3年ほど未手術の性自認が女のトランスジェンダーが女湯に侵入するやら、女性専用スペースに特攻するだのと、mtfに対する偏見がひどい。こっちから言わせてみれば、未手術で女湯に侵入するやつなんかどう考えてもただの犯罪者じゃん、属性で語るなよとしか思わない。
トランスジェンダーが〜や性同一性(性自認)が女で身体的には男性が〜とか言う主語の大きい言葉は、これだから女性は〜と同じで差別の再生産してるだけだしそれを自覚すべき。特に身体的に男性って何を指して言ってるの?性器のこと?染色体のこと?みたいな当事者を煽るような言葉を使わないで欲しい。
なんでftmが出てこない?っていう疑問もあるけど、ホルモンの不可逆効果が大きくて表層に出てきにくいだけ、つまり、普通の男にしか見えないことがmtfに比べて多いから。
たまにTwitterで拡散されてる銭湯に未手術の性自認女が〜と言う件は、TERF(トランス排除的ラディカルフェミニスト)の扇動だし、海外では〜と語られるそのほとんどは日本では実現されないよ。
トイレや更衣室については、多少の配慮でどうにかなる場合も知らずに発言する人が多い。公衆浴場とは違って直接性器を視認できるわけでもない。未手術だとしても、ホルモン治療などで見た目もほぼ女性になって、女性として日常生活を送ってる人にとってそういった場所に入れないのは苦痛でしかないし、自分の元の性別をアウティングされる行為と等しい。男性用を使うたびに、怪訝な顔やジロジロ見られる苦痛で自分の身体性を再自覚しないといけないのは、本当につらい。
性同一性(性自認)が女でも男の女装にしか見えない人は残念ながら誰でもトイレを使うしかない。
それはまた別の方法で解決すべきだし、今すぐに解決できない問題だよ。
ジェンダーに理解があるふりをする人が多すぎる。わかってないなら、調べてからものを言って欲しいし、調べないならわかったふりをしないで欲しいし、むしろわからない方がマシ。
あと、知り合いが元男と知ってたとしても絶対に他の人に言うな、その一言で1人の人生がめちゃくちゃになるって言っても嘘じゃない。
計画や予定を決めることが苦手だ。シフトを出したり遊びに行く日程を決めたりすることが苦痛でしかたがない。どうしてなのか気になってよーく考えてみたのだが、来週、来月まで自分が元気に予定をこなせている姿が全然想像できないからだと気がついた。その日、明日、明後日あたりまでは元気だとか生きているだとかが想像できるのだが、それ以上になるとそのとき自分が元気なのか生きているのかがわからずむやみやたらに計画を立ててもどうせ出来ないと思ってしまうらしい。常に、自分は死んでしまうのではないか、気分が悪くなるのではないかという不安があるらしい。おそらく本来は、逆なのだと思う。本来なら、計画を立ててその日に向かってコンディションを調整するという順番だから、極論を言えば実行日一週間前まで調子が悪くても一週間で自分の体調を調整し改善して当日には万全になればオールオッケーなのだが、どうやら自分は自分の体調や精神が制御下になく、前日までは元気だったのに当日の朝いきなり泥の様に沈んだり起き上がれなかったりするのだと思う。「自分は一週間後も来月も来年もちゃんと生きている。」と思えるように治さなければいけない。
まず俺のスペックを書く。
・35歳男性
かつては自分の不甲斐なさ、社会の冷たさに涙したこともあったが、ここ数年は比較的平穏に暮らせてる。
何故か。理由はいくつかあるかもしれないが、最大のものはネトゲを始めたからだと思う。
ネトゲに容姿は関係ない。自分の好きなアバターをつかって遊べる。格好いいイケメンも、可愛い女の子も自由自在だ。
俺は格好いいイケメンを作って遊んでいるが、結構褒められる。格好いいねーとか、その装備似合ってるねとか。
それはアバターが褒められているんであってお前が褒められているわけじゃない。空しくならないのか、と思うだろ?
それが案外空しくならない。何というか、自分の子供が褒められている感覚に近いかもしれない。俺に子供はいないけど、そう感じる。
自分の子供が褒められたら、多分嬉しいだろ。誇らしく感じさえするかもしれない。それを通じて自分も褒められているように感じているのかも。
大人になれば、普段の生活で褒められることなんてまず無い。弱者男性ならなおさらだ。
しかしネトゲなら簡単にそれがもらえる。これを知ったときは衝撃だったな。
特に深い考えがあったわけではなく、なんとなく女性キャラで遊んでみようかなーという程度。
そしたら驚いた。ただ単にフィールドを歩いているだけでも声をかけられるのだ。それに答えていたら簡単にフレンドが増えた。
他にも俺のキャラの動作にいちいち反応してくれたり、アイテムをポンとくれたり、ミスしても優しかったり。
男性キャラで遊んでいるときはまずこういうことは起こらない。ネカマにはまる人の気持ちがわかった気がした。
でも何故か罪悪感と違和感がつのり、そのキャラは消してしまった。別に騙していたわけではないんだけど。
そして容姿の問題がクリアできるなら、他者とのコミュニケーションは容易になる。
「俺みたいなのが話しかけて迷惑じゃないかな?」という考えが起こらないから、本当にポンポン話しかけられるのだ。例え初対面の相手であっても。
そのキャラいいね!から始まり、今どこら辺を遊んでいるのか、どこが難しいか、どのキャラが好きか。そのうち他の人も入ってきて、会話がキャッチボールのように飛び交う。
もうすごく楽しい。時間が矢のように過ぎていく。リアルではまずこんなことは無い。俺の人生では。
案外そうでもない。上手いに越したことは無いが、下手でもまあ問題ない。俺だって別に上手くはないしな。
何故なら、最近のネトゲはゲーム下手でも楽しめるように作られているからだ。
例えば生産系。いろんなアイテムをこねくり回して貴重なアイテムを作り出す。これにスキルはいらない。根気さえあれば誰にでもできる。
そうやって作ったアイテムを仲間に提供するだけでマジ感謝される。
最近のゲームはストーリーを追うだけだったらそれほど難易度は高くないし、自分が下手でも仲間が何とかしてくれる。
そしてそういった過程をSNSにアップするだけでもいいねが結構付く。
他にも世界設定を考察したりキャラのロールプレイをしたり。いいゲームは楽しみ方のすそ野が広い。
そういうのを通じて、他にも同じようなことが好きな人たちと繋がっていく。
要はネトゲをやれば俺たち弱者男性が求めてやまない「他者とのコミュニケーションと、それを通じた自己肯定感」が非常に容易に得られるということだ。
俺はこのお陰で日々の苦痛、虚しさをうまく中和できてる。それどころかネトゲ仲間と自分のアバターに恥じない自分でありたいと最近転職活動まで始めた。成功するかは分からないけどな。
以前の俺なら考えられなかったことだ。
ネックがあるとすれば初期投資がそれなりにかかるというところか。
ただはてなに居るならPCぐらい持ってるだろ?低スペックでも始められるネトゲはある筈だ。
まあダメだったらいつでも止めれるんだし、始めてみてもそう損はないんじゃないか?
そういう簡単でドライなところもネトゲのいいところだ。特にコミュニケーションに難がある俺たちみたいな人間には。
ネトゲでは容姿も年齢も経歴も能力も関係ない。ただできるだけ誠実であればいい。
これを読んでいる全ての弱者男性に、幸があるよう祈っている。