子育てが苦痛で、社会的債務みたいな捉え方にどんどんなっていった。
また生活水準がどんどん上がって、多少貧しくても子どもがいて幸せな家族がいればいい、という価値観が昭和だとして蔑まれるようになった。
そして、子供のために自分の人生を犠牲にするという発想がそもそも昭和の極地として蔑まれるようになった。
子どもよりも自分の時間、自分の満足のほうが大事になる大人が増えた。
だから子どもの価値はどんどん下がり、コストとしての側面がどんどん増えた。
昔は幼稚園や保育園で「子どもをしつけてください!」という親が出てきて論争になったが、今やそんなことは論争にすらならない。
子どもはコストだという無意識の共通了解が浸透したため、そのコストは公的セクターに押し付けることが今やカジュアル化した。
つまり、なぜ社会は子育てコストを親に負担させるのか!という意識がどんどん強まった結果だ。
しかし一方で、「じゃあ子ども持たなきゃいいじゃん」って発想はなかなか浸透しない。
もちろん過去より遥かに増えてはいるが、まだカジュアル化とまでは言えない。
やはりこれは子どもがいないとそのうち国や社会が破綻するからだろう。
社会の存続コストと親の子育てコストをそれぞれ押し付け合う世の中になった。
とにかく、親の不幸の原因は簡単。
子を持つ圧力には逆らえないが、子を持つ価値が少なく、コストが高い、と感じているからだ。
上記3点のいずれかが解消すれば不幸はなくなる。