はてなキーワード: 特殊相対性理論とは
マイケルソン・モーリーの実験は光速度不変の原理を確かめたわけじゃないでしょ。エーテルの存在を示そうとしたけど存在しないことが分かった実験で、ついでに示唆されたのが光速度が不変である可能性。
まず「特殊相対性理論」からやけど、これは光の速さがどんな状況でも変わらんってことが基本やねん。
たとえば、電車が走っとる中で懐中電灯を前に向けて光らしても、外でじっとしてる人が見た光の速さも同じやねん。
でも光の速さだけは、どんなに速く動いても変わらんのや。
ほんで、この理論やと「時間」や「空間」も相対的に変わるっちゅうことになる。
速く動くほど時間が遅くなるんや。これを「時間の遅れ」っていうねん。
例えて言うたら、宇宙船でめっちゃ速く移動してる人は、地球におる人に比べてゆっくり年を取る、みたいな感じや。
次に「一般相対性理論」やけど、こっちは重力が関わってくるねん。
簡単に言うたら、重いもんが空間をぐにゃっと曲げるっちゅうことや。
たとえば、地球みたいなでっかいもんがあると、その周りの空間が曲がって、そこに他のもんが引っ張られるから「重力」が生まれるんや。
まあ、ざっくり言うたらこんな感じやけど、ほんまはもっと複雑なんやで。
(もう少し詳しく教えてください)
ほな、もうちょっと深くいこか。
まず、「特殊相対性理論」についてやけど、これを理解するには「光の速さが一定」っちゅうのがどんだけすごいことか、ちゃんとわかっとかなあかん。
普通の物体は、速く動けば動くほど、その速さは他のもんに足されるやろ?
例えば、車が時速50キロで走っとって、その車の上からボールを前に時速20キロで投げたら、ボールは時速70キロで進むことになる。
せやけど、光は違うんや。どんな状況でも、どんなに速く動いとっても、光の速さは毎回秒速約30万キロメートルで一定やねん。
ほんなら、何が変わるんや?って話やけど、答えは「時間」と「空間」や。
速く動けば動くほど、時間は遅く流れるし、移動してる方向の長さは縮んでしまう。
具体的な例を出すと、もし君が光の速さにめっちゃ近いスピードで宇宙船に乗って1年旅したとしようや。
地球におる人らからしたら、その1年が例えば10年にも20年にも感じられるかもしれん。
つまり、君は歳をとらんけど、地球では時間がめっちゃ進んどるわけや。これが「時間の遅れ」や。
ほんで、次は「一般相対性理論」やけど、これはもうちょっと難しい話やねん。
特殊相対性理論は光とかスピードに注目してたけど、こっちは「重力」に焦点を当てとるんや。
重力っちゅうのは、普通に考えたら物体が引っ張り合う力やと思うやろ?でもアインシュタインはそれを「空間と時間が曲がるせい」やって言うたんや。
地球みたいな大きな質量を持っとるもんは、その周りの空間をぐにゃっと曲げるんや。これを「時空の歪み」っちゅうねん。
で、その歪んだ空間に沿って、他の物体が動くことで、まるで引っ張られてるように見えるっちゅうわけや。これが「重力」の正体や。
ゴムシートの上に重いボールを置いたら、シートがへこんで周りにくぼみができるやろ?そのくぼみに他の小さいボールを置くと、転がって重いボールに引き寄せられる。これが重力のイメージや。
太陽とか地球みたいなでっかいもんが周りの時空をへこませて、そこに他の天体が引っ張られるわけやな。
重力が強い場所ほど時間はゆっくり流れる、これを「重力による時間の遅れ」っちゅうねん。
例えば、地球の表面におる人と宇宙の遠くにおる人では、地球の表面のほうが重力が強いから、時間がわずかに遅く流れるんや。
これらの理論がなんで重要かっちゅうと、GPSとか人工衛星みたいなもんは、めっちゃ速いスピードで地球の周りを回っとるやろ?
そのために時間が遅くなってるし、地球の重力も影響を与えとるんや。
せやから、相対性理論を使ってそのズレを計算して補正せんと、正確な位置情報は得られへんねん。
ほんなわけで、相対性理論っちゅうのは、宇宙全体の「時間」や「空間」、そして「重力」がどう動くかを説明するめっちゃすごい理論なんや。
(では最後に、相対性理論と超ひも理論の関係を教えてください)
まず、相対性理論っていうのは、さっきも話した通り、重力を扱う理論やね。
特に「一般相対性理論」やと、重いもんが時空を曲げることで重力が発生する、っちゅうふうに説明しとるわけやな。
これは大きなスケール、例えば星とか銀河、宇宙全体を説明するのにめっちゃ強力な理論や。
けどな、宇宙には重力だけやなくて、他にも4つの基本的な力があんねん。
重力に加えて、電磁気力、強い核力、弱い核力っちゅうもんがあるんや。
相対性理論は重力には強いんやけど、他の力、特に小さいスケールの話になってくると話がちゃうねん。
原子とか素粒子みたいなめっちゃ小さいもんを扱うのは量子力学っちゅう別の理論が必要になる。
ここが問題なんや。相対性理論と量子力学っちゅうのは、どっちもめっちゃ成功してる理論やけど、整合性が取れへんねん。
大きいスケールやと相対性理論、小さいスケールやと量子力学、って分かれとるわけや。
でも宇宙全体を一つの理論で説明したいなら、両方をつなげる必要がある。
これを統一理論とか万物の理論っちゅうんやけど、これがまだうまくいってへんねん。
そこで出てくるんが超ひも理論や。
超ひも理論っていうのは、宇宙にある全ての物質や力が、ひも状のものからできてるっちゅう考え方やねん。
普通、素粒子は点みたいなもんやと思われとるやろ?でも超ひも理論では、実はそれがめっちゃ小さい「ひも」やっていうんや。
このひもが振動することで、違う性質の粒子になったり、力を生み出したりするっちゅう考え方や。
なんでこれがすごいんかっていうと、この理論は重力と量子力学を一緒に扱えるんや!
つまり、相対性理論で扱ってた重力も、量子力学で扱ってる小さいスケールの現象も、ひもの振動っていう一つの仕組みで説明できるようになるかもしれんって話や。
相対性理論と量子力学の一番の問題は、重力を量子化できひんってことや。
量子力学は確率的な世界やけど、相対性理論は連続した空間を扱う理論やから、この2つが衝突してしまうんや。
特に問題になるんが、ブラックホールとかビッグバンみたいなめっちゃ極端な状況や。
そこでは重力もめっちゃ強くなるし、量子効果も無視できへん。せやけど、これらを同時に説明できる理論がまだないんや。
そこで超ひも理論が登場するんやけど、ひもがめっちゃ小さいスケールでは、重力の量子化も可能になるっちゅうわけや。
つまり、相対性理論が扱ってる「大きなスケールでの重力」と、量子力学が扱う「めっちゃ小さいスケールの力」を同時に説明できるっちゅうことや。
ただしやな、超ひも理論はまだ理論段階で、実験で直接確認されたわけやないんや。
それに、超ひも理論が正しいと仮定すると、宇宙には我々が感じ取れん11次元も存在するっちゅう話になる。
今のところ、わしらが日常的に感じるのは3次元の空間と1次元の時間だけやけど、残りの次元はめっちゃ小さく「巻き込まれて」るから見えへんらしい。これが正しいかどうかもまだわからんのや。
まとめると
•相対性理論は重力を説明する強力な理論やけど、量子の世界では問題がある。
•超ひも理論は、相対性理論と量子力学を一つの理論でまとめようとするもんで、ひもの振動で全てを説明できるかもしれん。
•ただ、超ひも理論はまだ理論の段階で、実験的には確かめられてへんし、11次元の宇宙とか、ちょっと奇抜な要素も含まれとる。
超ひも理論がほんまに正しいんかどうか、まだまだ謎が多いねんけど、もし解けたら宇宙の全てが一つの理論で説明できるようになるかもしれんって、めっちゃ壮大な話やな!
科学的実在論の中核的主張は、成熟した科学理論が記述する観測不可能な実体や過程が実在するというものだ。この立場の具体的な論拠を詳細に検討する。
Putnam と Boyd によって提唱された無奇跡論法は、科学の予測的成功を説明する最良の方法は、理論が真理に近いと考えることだと主張する。
1. ニュートン力学では説明できなかった水星軌道の異常を、アインシュタインの一般相対性理論が高精度で予測した。
2. この予測成功は、時空の曲率という観測不可能な概念の実在性を示唆する。
1. 過去の成功理論(フロギストン説、エーテル理論など)が誤りだったことを指摘。
2. 理論の経験的成功と真理性の相関関係に疑問を投げかける。
Worrall によって提唱された構造実在論は、理論の数学的構造のみが実在を反映すると主張する。
具体例:Maxwell の電磁気学からEinstein の特殊相対性理論への移行
1. エーテルという実体は否定されたが、Maxwell 方程式の数学的構造は保持された。
2. この構造の連続性が、より深い実在の反映だと解釈できる。
発展:Ontic Structural Realism (Ladyman, French)
1. 物理的対象を関係の束として捉え、実体概念を完全に放棄。
2. 量子力学における粒子の非個体性や、一般相対性理論における点事象の背景独立性と整合的。
量子力学の解釈は、客観的現実の存在に関する議論の核心だ。主要な解釈とその含意を詳細に検討する。
Bohr と Heisenberg によって提唱されたこの解釈は、測定問題を中心に据える。
1. 波動関数の確率的解釈:|ψ|^2 は粒子の位置の確率密度を表す。
2. 補完性原理:粒子性と波動性は相補的な性質であり、同時に観測できない。
問題点:
Everett によって提唱されたこの解釈は、波動関数の客観的実在性を主張する。
1. 分岐する宇宙:測定のたびに宇宙が分岐し、全ての可能な測定結果が実現する。
2. 相対状態の形式主義:観測者の状態も波動関数の一部として扱う。
利点:
問題点:
Zeh と Zurek らによって発展したデコヒーレンス理論は、量子から古典への移行を説明する。
1. 環境との相互作用により、量子的重ね合わせが急速に古典的な混合状態に移行。
2. 選択された基底(ポインター基底)のみが安定して観測される。
含意:
情報を基礎とする物理学の構築は、客観的現実の本質に新たな視点を提供する。
Susskind と Maldacena による ER=EPR 対応は、量子エンタングルメントと時空の構造を結びつける。
1. Einstein-Rosen ブリッジ(ワームホール)と Einstein-Podolsky-Rosen 対(量子もつれ)の等価性を示唆。
2. 量子情報と時空構造の深い関係を示唆し、量子重力理論への新たなアプローチを提供。
1. ブラックホール内部の時空の成長が、量子回路の計算複雑性の増大と対応。
2. 時空そのものが、より基本的な量子情報処理から創発する可能性を示唆。
客観的現実の存在問題は、現代物理学の最先端の問題と密接に結びついている。量子力学の基礎的解釈、構造実在論、情報理論的アプローチなど、様々な視点からの探求が進んでいるが、決定的な答えは得られていない。
今後の研究の方向性としては、量子重力理論の完成、意識と物理的実在の関係の解明、そして情報理論と物理学の更なる融合が重要になるだろう。これらの進展により、客観的現実の本質に関する我々の理解が大きく変わる可能性がある。
現時点では、客観的現実の存在を単純に肯定または否定するのではなく、我々の認識と独立した実在の可能性を探求しつつ、同時に観測者の役割や情報の本質的重要性を考慮に入れた、より洗練された存在論的枠組みの構築が必要だ。
歴史の勉強の時間だ、増田。ブラックホールを直接関係を持つ歴史上の事件はないけれど、人類が宇宙や物理学についてどのように理解を深めてきたかを考えると、1970年代の「スティーブン・ホーキングのブラックホール研究」を知っているか?
スティーブン・ホーキングは、ブラックホールが蒸発する可能性があることを提唱したことで有名で、これが「ホーキング放射」として知られている。ブラックホールの生成については、増田の疑問も非常に興味深い。ホーキングや他の科学者たちが研究を進めた結果、ブラックホールが有限時間で生成されることが理論上示されている。ただし、視覚的な観測者から見ると時間が無限に引き延ばされるという特殊相対性理論の効果がある。
具体的な生成時間については、これはブラックホールの質量やその周囲の状況に大きく依存する。太陽の1万倍の質量を持つ星(約10太陽質量の大質量星)は、核燃焼が終わって短期間で超新星爆発を起こし、その中心部分がブラックホールとなる。このプロセスは非常に早く、数秒から数分程度でブラックホールが形成されると考えられている。ただし、宇宙の膨大な時間スケールを考慮すれば、この過程も一瞬の出来事だ。
この考え方に基づいて、増田の疑問に答えると、観測者の視点の問題からもブラックホールは有限の時間で形成される。ただし、そのプロセスの詳細はまだ完全に解明されておらず、未来の研究が進展することでさらなる理解が得られるかもしれない。
周りの男たちは仕事や年収の話をしており、女性陣は興味津々で彼らの話を聞いている。
そして彼らが一通り話し終えると視線は俺へと集い、俺は彼らとは全く違う話をしようと決めていた。
「僕の趣味は数学です。特に、Lie群の理論に興味があります」と切り出した。
すぐに女性たちの顔が少しずつ曇り始めたのがわかった。「Lie群って聞いたことありますか?」と続ける。案の定、誰も首を縦に振らない。
「Lie群は、数学の中で非常に重要な概念で、特に微分幾何学や物理学での応用が多いんです。例えば、特殊相対性理論や量子力学でも使われているんですよ」と言うと、相手の女性は困惑した表情を浮かべた。
その表情を見る度、俺は心の中で悦に入る。
この中で俺だけが理解している高尚な知識。それを理解できない彼女たち。その優越感に酔いしれ、俺に悦楽を与える。
男の一人は貧乏ゆすりを始めた。だが構わない。俺は自分の話を続けることにした。
「具体的には、Lie群は連続対称性を持つ幾何学的構造を研究するんです」とさらに詳しく説明する。
女性の一人が不安そうに目を泳がせる。別の女性は微笑みを浮かべているが、その目に理解の色はない。
「えっと、つまりどういうことですか?」と女性の一人が勇気を振り絞るように質問してきた。
俺はニコッと笑い、「簡単に言えば、物理学での対称性の理解に重要な役割を果たしているんです。例えば、回転や平行移動といった操作を数学的に扱うことができるんですよ」と、できるだけ易しく説明を試みるがそれでも彼女たちの表情は固いままだ。
その時、俺は思う。
しかしそれでいいのだ。
俺の世界に足を踏み入れることができる人は少ない。
街コンが終わり、家に帰る途中、俺はふと考える。
俺の人生はこのままでいいのだろうか?
道中、そんな疑念はすぐに消え失せる。
といった式について、素粒子では後者が支配し、天体では前者が支配する。
近距離における強い力のために、電子は原子核に螺旋状に落ち込むが、明らかに事実と違う。
というハイゼンベルグの関係式に従う。このため、r=0となることはなくなり、問題は回避される。
多様体上の楕円型作用素の理論全体が、この物理理論に対する数学的対応物で、群の表現論も近い関係にある。
しかし特殊相対性理論を考慮に入れるとさらに難しくなる。ハイゼンベルグの公式と同様の不確定性関係が場に対して適用される必要がある。
電磁場の場合には、光子というように、新しい種類の粒子として観測される。
電子のような粒子もどうように場の量子であると再解釈されなければならない。電磁波も、量子を生成消滅できる。
数学的には、場の量子論は無限次元空間上の積分やその上の楕円型作用素と関係する。
量子力学は1/r^2に対する問題の解消のために考え出されたが、特殊相対性理論を組み込むと、この問題を自動解決するわけではないことがわかった。
といった発展をしてきたが、場の量子論と幾何学の間の関係性が認められるようになった。
では重力を考慮するとどうなるのか。一見すれば1/r^2の別な例を重力が提供しているように見える。
しかし、例えばマクスウェルの方程式は線型方程式だが、重力場に対するアインシュタインの方程式は非線形である。
また不確定性関係は重力における1/r^2を扱うには十分ではない。
物理学者は、点粒子を「弦」に置き換えることにより、量子重力の問題が克服できるのではないかと試した。
量子論の効果はプランク定数に比例するが、弦理論の効果は、弦の大きさを定めるα'という定数に比例する。
もし弦理論が正しいなら、α'という定数は、プランク定数と同じぐらい基本的定数ということになる。
ħやα'に関する変形は幾何学における新しいアイデアに関係する。ħに関する変形はよく知られているが、α'に関する変形はまだ未発展である。
これらの理論は、それぞれが重力を予言し、非可換ゲージ対称性を持ち、超対称性を持つとされる。
α'に関する変形に関連する新しい幾何学があるが、理解のために2次元の共形場理論を使うことができる。
ひとつは、ミラー対称性である。α'がゼロでない場合に同値となるような2つの時空の間の関係を表す。
まずt→∞という極限では、幾何学における古典的アイデアが良い近似となり、Xという時空が観測される。
t→-∞という極限でも同様に時空Yが観測される。
そして大きな正の値であるtと大きな負の値であるtのどこかで、古典幾何学が良い近似とはならない領域を通って補間が行われている。
α'とħが両方0でないときに起こり得ることがなんなのかについては、5つの弦理論が一つの理論の異なる極限である、と説明ができるかもしれないというのがM理論である。
自然界の法則の探索は、一般相対性理論と量子力学の発展の中で行われてきた。
相対性理論はアインシュタインの理論だが、これによれば、重力は時空の曲率から生じることになり、リーマン幾何学の枠組みで与えられる。
相対性理論においては、時空はアインシュタインの方程式に従って力学的に発展することになる。
すなわち初期条件が入力データとして与えられていたときに、時空がどのように発展していくかを決定することが物理学の問題になるわけである。
相対性理論が天体や宇宙全体の振る舞いの理解のために使われるのに対し、量子力学は原子や分子、原子を構成する粒子の理解のために用いられる。
粒子の量子論(非相対論的量子力学)は1925年までに現在の形が整えられ、関数解析や他の分野の発展に影響を与えた。
しかし量子論の深淵は場の量子論にあり、量子力学と特殊相対性理論を組み合わせようとする試みから生まれた。
場の量子論は、重力を除き、物理学の法則について人類が知っているほどんどの事柄を網羅している。
反物質理論に始まり、原子のより精密な記述、素粒子物理学の標準模型、加速器による検証が望まれている予言に至るまで、場の量子論の画期性は疑いの余地がない。
数学の中で研究されている多くの分野について、その自然な設定が場の量子論にあるような問題が研究されている。
その例が、4次元多様体のドナルドソン理論、結び目のジョーンズ多項式やその一般化、複素多様体のミラー対称性、楕円コホモロジー、アフィン・リー環、などが挙げられる。
量子論と重力理論を統合するのはもしかしたら直接できないのではと考えてる。
「直接」ではなく近似や条件を付ければなんとかなるが互いの影響を100%成立させるのは無理筋ではないか。
重力のもたらす影響を物理的に計算はできるが重力そのものはまだ何なのかよくわかっていない。
一般的に重力は質量による空間の歪みとされている。空間は既存物理から大きく外れる性質を持っている。
空間は光速を超える。特殊相対性理論では光より速いものは存在しないことになっているが空間は別だ。
確かに今ここに空間は存在すると感じることはできるが文字通り「空」なので何もない。何もないものをどう捉えればいいのか。
空間がエネルギーを持っているように見えてもそれは本当に空間の持つエネルギーなのか空間の中の何かのエネルギーなのか今のところ区別が付かない。
まだまだわからない謎がたくさんある。
空間の及ぼす結果を観測したり計算したりはできるかもしれないが空間がどういったものなのか理解する力は人間にはないのかもしれない。
空間が理解できなければ重力も理解できないし、仮に理解できたとしてもやはり既存物理から外れる性質であれば統合は難しい。
空間に関する私の予想は
空間の歪みが重力という力で表れるのは何かしらのエネルギーが力に変換されているからだ。
大きな天体の重力は強力なのでそれだけエネルギーを消費すると考えると短時間でエネルギーを消耗し尽して重力は消失してしまう。
空間は常に一定のエネルギーを持っているからこそ重力は維持されると考えるとしっくりくる。エネルギーをいくら使ってもなくならないということだ。
そう考えると宇宙膨張の加速も納得がいく。
空間エネルギーが空間を押し広げ押し広げれば空間が増える。空間が増えれば増えた分だけ空間エネルギーの総量も増えていき膨張を加速させる。
以下、ネタバレ+不満
ただ、不思議な理論すぎて納得はできない、というのが面白いところなんだけど
大学生工学部レベルの事前知識を前提とした上で講義が展開されるので
大半の人は最初の30分も待たずに脱落したと思われる
相対性理論が生まれた背景を丁寧に説明しているあたりは人によっては分かりやすいのだろうけれど
大半の人は
「アインシュタインはいきなり光速度不変っていうのを思い付きました」
という小学生レベルの知識で光速度不変にすれば特殊相対性理論は導けるのに
わざわざ難解な式やローレンツ変換とかの話を持ち出して難解にしてる
ただ、番組の構成を見た限りだと講師の教授は番組側からそれを指示されてやっているように感じた
1時間目で大学生レベル、2時間目で一般教養レベルという感じで2時間目の方に簡単な内容を持ってきて分かりやすく説明していた
ただ、そもそもの「距離=速さ×時間」だ、というところから導出していないので
結局は良く分からない宇宙語の世界、みたいな感じになってしまっていて
相対性理論に対してサンシャイン池崎だけではなく視聴者にも難解なイメージを持たせてしまっている
E=mc^2の導出過程はさておき、その式のもつ意味をサンシャイン池崎は最後まで理解できていなかったように見える
としつこく言っていたが、その意味を理解できていないし、あの説明だと理解はできない
「質量を減らそうと何かを燃やしたところで灰や煙になって質量はほとんど変わっていない」
みたいな説明を加えておいて、質量をそのままエネルギーにする方法として核分裂とか核融合っていうのが編み出された、みたいな話にした方が良かった
そうすると対消滅みたいな話もできるし、仮にサンシャイン池崎の体を対消滅させたらどうなるか、みたいな話もできて面白かったと思う
最後にアイドルの女性にサンシャイン池崎が3分で説明する、というのが番組の趣旨だったのだが
サンシャイン池崎も言っていたように
「そんなのアインシュタインでも無理」
である(かなり頑張っていたけど)
とはいえサンシャイン池崎も準備を整えていざ説明、となったのだが
肝心のアイドル女性は登場せず、パネルが持ち込まれてそこに向かって3分間喋り続けることになった
さんざん引っ張っておいて最後コレかよ!という怒りというか呆れというか、かなり時間の無駄を感じてしまった
アイドル女性のスケジュールの都合、などと番組側は説明していたが
番組の冒頭ではアイドル女性が登場していたので、だったらそれより2時間前にサンシャイン池崎を呼び出して講義をすれば良かっただけなのだ
つまり番組側はアイドル女性に相対性理論を教えよう、などとは微塵も思っていないし
そもそも相対性理論を教えることなど無理、と考えていたのだろう(なので3分しかない)
「最後にサンシャインに『無理!難しい!』って言わせて終わり」
こういう構成というか演出の前提があったにも関わらず、登壇した教授は非常に分かりやすく献身的に講義をしてくれたと思うのだが
やはり全体の構成を覆せるほどではなかった
「細かいところはさておき、特殊相対性理論なら小学生でも数式レベルで理解できる」
ということを分かっていると思う
そして理解した上で時間が伸び縮みしたり距離が伸び縮みしたり同時の相対性が起きたりなどいろんな現象が起きる不思議なことを伝えて
それを踏まえてSFを楽しもう、という話にも出来るのだ
それを「相対性理論なんて難しすぎてどうせ無理」という前提を置いて番組を構成するとこうなってしまう
NHKはもっと簡単に相対性理論を教えている番組があるのに非常にもったいないと感じた
いや、酷かった マジで
それほど相対性理論は有名だけど、実は相対性理論には二つある。
最初に発表されたのは特殊相対性理論であることを知る人は案外少ない。
そしてこの二つの違いについても。
数式やらで解説しても分かり易いとは思われないであろうから、その違いを簡単に説明すると
特殊相対性理論はその名のとおり、特殊な状況下でなければ成立しない理論だ。
そうなのだ。
だからこそアインシュタインはこれを実際の場において応用・活用できるよう一般相対性理論を作ったわけだ。
これもあまり知られていない事実。尤も、それはあくまで彼は物理学者で、数学者じゃないというだけの話だけど。
でだ、増田を見ていると歪な主張が多い。
その前に、特殊相対性理論を教えてくれよ
日本の大学、特に文系の学問に対する風当たりが厳しい昨今、文系の学者達は自分たちの存在意義を示そうと必死だ。大学で行われている文系の研究は、どう役に立つかはともかく、それ自体研究としてちゃんとしたものなんだ!ということは前提となっているし、みんなそう信じている。文系の先生達は決してSTAP細胞のようなデタラメをやっているのではないと。
だが、それは本当か? 証拠はあるのか? 最先端の研究は専門家でさえ評価が難しい。たとえばアインシュタイン。一般・特殊相対性理論を作ったけど、時代の先を行き過ぎていて正当な評価がされなかったそうで、ノーベル賞は他の業績に対して与えられた。文系の研究も基本的には同じで、研究の良し悪しを判断できる人は極少数だ。だから、知らないうちにトンデモない研究がはびこっていて、それに社会的評価が伴っていても、ほとんどの人にはわからない。専門家が厳正に評価してくれていることを信じるしかない。
本題に入ろう。最近、1つの書評論文が東大の言語学研究室発行の紀要に出た。
田中太一「日本語は「主体的」な言語か―『認知言語類型論原理』について―」『東京大学言語学論集』 41 (2019.9) 295-313
https://www.amazon.co.jp/dp/4814001177/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_6P9YDbPVN9WJ2
著者は、関西外国語大学 短期大学部 英米語学科 准教授の中野研一郎先生。
普通、書評というのは基本的にほめるものだ。批判はあっても最後にちょっとだけ。しかし、この書評は、冷静な筆致でありながら、酷評も酷評、ボロクソ、クソミソ、ケチョンケチョンのフルボッコだ。一個もほめてない。批判が当たっているなら、トンデモ本に違いない。
一番ヤバいのは、この本が博士論文を元にしたものということ! 一応説明しておくと、博士論文とは、最高の学位である「博士」の学位を取るために大学院生が何年もかけて書く長大な論文で、大雑把に言って本1冊以上の分量がある。もちろん、何でもいいからテキトーに書けばいいわけではない(はずだ)。自分のオリジナルで、学術的に価値のあること、つまり、これまで誰も知らなかった知見を新たにもたらして人間の知識を拡大するような研究の成果でなければいけない。どの分野でもそうだ。
そして博士論文の原稿は、3~5人の審査委員が審査する。審査委員は全員、その分野に詳しい大学の教員だ。審査は3回くらいある。まずは博士論文の大枠ができた後、本格的な執筆にゴーサインを出すかを決める一次審査、そして論文が大体書けた後、論文を大学に提出していいかを審査する二次審査、最後に論文が完成し、大学に提出された後、博士の学位を与えるか否かを決める最終審査がある。それぞれ少なくとも1時間はかかる本格的なものだ。ディフェンスと言われる最終審査の口頭試問は、公開で行われる。最後に別室で結果を審議した審査委員が会場に戻ってきて厳かに合格が伝えられると、みんな拍手で心から祝福する。
ミサト:おめでとう!
アスカ:おめでとう!
レイ:おめでとう。
研究者人生のフィナーレではないが、1つのピークである。こうやって研究者の能力にお墨付きを与えるのが大学の存在意義の大きな一部分だ。
要するに、博士号を取るのはとても大変なのだ。日本だと博士号を持っている人は1万人に1人くらいしかいないらしい。日本の大学は入るのは難しいのに出るのは簡単だとよく言われるけど、大学院の博士課程はそうではない。入るのも修士課程ほど楽ではないし、文系では入っても博士号を取れない人の方が多いくらいだ。これだけ大変だから博士号はアカデミアでは評価される。大学教員になるなら、博士じゃないとエントリーすることさえほぼほぼ不可能。『認知言語類型論』の中野先生は、フェイスブックを見たところ、以前は高校の先生だったみたいだけど、博士号をとってから、50歳を過ぎて関西外国語大学の准教授になったようだ。周知の通り、大学の終身雇用教員の座をめぐる争いは非常に激しい。博士号がなかったら就職できなかっただろう。
博士号はどこの大学でとっても価値は同じ、みたいなことを何度か読んだことがあるけど、あれはデマ。真に受けてはいけない。いい大学の博士号ほど高く評価される(Why not?)。中野先生がお持ちの京都大学の博士号は、京大が超一流なのと同様、超一流の博士号だ。50歳を過ぎて大学に就職できたのも不思議ではない。しかも、中野先生の師匠は、日本言語学界の大物中の大物、山梨正明先生だ。『認知言語類型論原理』に山梨先生が解題を寄せているから間違いない。この大先生は、「日本を代表する理論言語学者の一人」([wikipedia:山梨正明])。中野先生が在学していた頃には、日本語用論学会(2008〜2011)や、日本認知言語学会(2009〜2012)の会長を同時に務めもした大物中の大物だ。ちなみに、山梨大先生は2014年度に京大を定年退官して、2015年度からは中野先生より一足早く関西外国語大学で教鞭をとっている。ちょっとややこしい話だが、博士論文の審査が終わる前に京大を定年退官したようで、審査の主査ではないが、審査委員には名を連ねている。https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/199376 博士論文を書くのに何年もかかるから、こういうことはよくある。
さて、超大物お墨付きの博士論文(を元にした本)はどんなもんなんだろうか。書評から拾っていこう。2節は専門的な議論でよくわからないからパス。3節「日本語に存在しないとされるもの」から見ていこう。まず、1節に同書のまとめらしき部分からの引用がある。
「日本語(やまとことば)」を深層とする日本語において、「形容詞 (adjective)」・「主語 (subject)/目的語 (object)」・「態(voice)」・「時制 (tense)」・「格 (case)」・「他動詞 (transitive verb)/自動詞 (intransitive verb)」といった、従来ア・プリオリに前提とされていた統語・文法カテゴリが妥当していないことも論証した。さらに、「膠着」言語の一つである「日本語」においては、その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしていることを論じた。
(『認知言語類型論原理』[以下、中野 2017] p. 308、書評論文[以下、田中 2019]p. 295から禁断の孫引き。以下、同書の引用は全て孫引き)
昔、『日本語に主語はいらない 百年の誤謬を正す』[amazon:日本語に主語はいらない]という本が出て、言語学者に酷評されたことがある。金谷武洋『日本語に主語はいらない』批判記事一覧 - 誰がログ https://dlit.hatenadiary.com/entry/20071216/1197757579
主語がいらないと言っただけでそうなったのに、『認知言語類型論原理』は、ミニマリストの断捨離なんてもんじゃない。主語だけじゃなく、形容詞、態、時制、格、自動詞/他動詞も、いらない、何も、捨ててしまおう~♪と謳っているらしい。全部なしで日本語の文法はどうなっているのかというと、「その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしている」ということらしい。
これは熊倉千之氏の「音象徴」理論に基づいているそうで、熊倉氏は、
膠着語にかんして、「イメージとイメージを膠でつけるように、ことばができているのです。ですから、具体的なモノとモノをつなげると、言語(コト) としての「抽象」 性が生まれ、新しいことばが作られるのです (熊倉 2011: 18)と述べた上で、日本語の音素はそれぞれ何らかのイメージを持つという観察を根拠に、やまとことばの「音声と意味」には、ソシュールの説に反して、「恣意的」ではなく、密接な繋がりが感じられる」 (熊倉 2011: 30) と主張している。
とのこと。
近代言語学の父、ソシュールの一番有名な恣意性の原理を否定しているが、それ自体はない話ではない。音象徴が当てはまる例として、ポケモンとか怪獣の名前は、音と意味の関係が全く恣意的なわけではない、みたいなことが最近よく言われている。ただ音象徴は基本的にオノマトペ(擬音語・擬態語)や新たに名前を付けるものについての話、しかもあくまで傾向性。言語全体の「語・語句・節の生成メカニズム」になるようなものとして扱われてはいない。しかし、中野説はそういった主流の音象徴研究とは一線を画する。具体的に見てみると、
「あ/a/」は「空間出来の語基」 として、「い/i/・居」 は「様態化の語基」 として、「う /u/・続」 は「プロセス化の語基」 として、 「音象徴」 により語彙を創発させる機能を担っているのである(中野 2017: 247) 。
知らなかったー、日本語ってすごいですね(棒)。たとえば、「合う・会う」は、「あ/a/」+「う /u/」だから、「(出来)動詞」だそうだ。書評子が、
「「出来」が「プロセス化」すると「合う・会う」になるという説明は到底理解できるものではない」(田中 2019: 309)
と言う通りだ。「あい」(愛とか藍)はどうなるんだろう。中野先生によると、音象徴は
「日本語(やまとことば)」の同音異義の語の数の多さと、またオノマトペの豊穣さの、母体にもなっている」 (中野 2017:232)
この主張は、本書の議論を決定的に破綻させるものである。もし「音=意味」という恣意的でない結びつきが存在するならば、同じ音を(同じ順序で)組み合わせれば同じ意味になるはずである。同音異義語の存在が極少数に限られるならともかく、その数が多いのであれば、日本語の全体を「音象徴」に基づいて分析することが不可能であることは自明である。(田中 2019: 310)
確かに。他にも、中野先生は「確かに」・「達する」・「頼みます」・「たった、これだけですか」・「立つ」・「経つ」・「絶つ」・「裁つ」などを例に、
「日本語(やまとことば)」では、音部分が同根であれば、「音象徴」に基づき、その意味・機能も通底している 。 [中略] 「た/ta/」音を語頭とする語は「心的確定(確信)」を基に語彙が生成していることが理解できる。「日本語 やまとことば」の「た/ta/」音は、「音象徴」において「確信」を「意味」とする「音」なのである。 (中野 2017: 255)
と言っているそうだが、「立つ」とか中野先生自身の例でさえ、どこが確信と関係があるのかわからない例もある。この説が無理なのはよく考えてみるまでもない。
そもそも、「音象徴」なんて流行りのタームを中野先生や熊倉氏は使っているが、こういう説は「音義説」[wikipedia:音義説]と言うのがより正確だ。近代以前に唱える人がたまにいたけど、今ではググるとわかる通り素人が唱えているだけのものだ。ちなみに、このような形で同書に大きな影響を与えた熊倉千之氏とは、
1980年「『源氏物語』の語りの時間」でカリフォルニア大学バークレー校にてPh.D.取得。ミシガン大学、サンフランシスコ州立大学などで日本語・日本文学を教える。1988年に帰国後、東京家政学院大学教授、1999年金城学院大学教授。2007年退職。
という人。ウィキペディアでは一応「日本文学者・日本語学者」となってはいるけど、専門はどう見ても文学。言語について言語学界とは関係なく自由に思索・著述をしている人のようだ。そういう独自の言語論を唱える文学や思想の研究者はよくいるけど、普通の言語学者はそういうのはまともに相手にしない。『認知言語類型論原理』もその類の本だったなら、東大で言語学を学ぶ書評子も取り合わなかっただろう。でも、これは京大の言語科学講座で博士号をとるために書かれた論文(が元になった本)なのだ。
他にも同書には、業界震撼の主張が満載みたいだ。是非同書を買って私の代わりに確認してみてほしい。
ちなみに、なんで日本語が英語などと違ってこうなってるかと言うと、中野先生によると、日本語は歴史的に文字を持たなかったからだそうだ。とはいえ、英語だってそうだし、文字で残っている歴史の長さも日本語と同じくらいなんだけど。っていうか、どの言語も昔々は文字がなかっただろ!
ということで、書評の内容は変な言いがかりではないようだ。そもそもこんな空前絶後の激辛書評論文を大学院生が書くこと自体大きなリスクを伴う。(書評子、いろいろ大丈夫か?)無理なイチャモンをつけるためにそんな危険を冒すわけがないし、出版前に東大で止められるだろう。ま、『認知言語類型論原理』は、博士論文の審査から本の出版にいたるまで、誰にも止められなかったみたいだけど!
もう終わりにしよう。書評の批判が当たっているなら、こういうことだ。超大物教員の指導の元、こんな博士論文が書かれ、専門家達が「厳正な」審査をし、超一流の博士号が授与され、それをテコに大学で職を得た人がいる。これがわかったのは、本が出版されたおかげだ。ちなみにこの本、名もない出版社からではなく、京都大学出版会が出している。もちろん、本の出版は著者が勝手にできることではない。本の最後に超大物元指導教員が「解題」を寄せているから、知らなかったはずはない。解題を見てみたところ、基本的にほめていて、特に批判らしい批判はなかった。実はその解題、公開されている博士論文の審査結果の要旨とほとんど同じ。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/199376/1/ynink00705.pdf
本論文は、個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式・文法カテゴリが創発する根源的理由の説明を試みた意欲的研究であり、認知言語類型論という新た