はてなキーワード: 枕詞とは
数ヶ月前「ワクチンは副反応がヤバイよ!看護師でも接種を拒否することがいるんだって!」
⇒ リスクを極度に恐れて(諸外国では普通やっていないような)慎重に慎重を重ねた国内治験を行い、供給スケジュールが大幅に遅れる。
現在「日本は先進国で最も接種率が低いんだって!マジで遅すぎるだろ!政府は何をやっているんだ!」
⇒とにかく接種を急ぐことを優先した結果、電話は繋がらず、窓口は長蛇の列で、現場はパンク状態。
これまで報道してきたことを考えれば、「副反応への厳しいリスク対応を求めてきたのは私たちなので、遅れるのもまあ仕方がないのかもしれませんね」くらい言わなきゃダメだろう。あまりに無責任すぎる。
この20年あまりを振り返っても、メディアは「税金の無遣い」の名の下に人件費が高すぎるという声を煽ってきて、それに乗っかった政治家がたくさん出てきてしまい、コロナ以前から医療や行政の現場は深刻な人手不足になっていて、普段から余裕はまったくなかった。それに対する反省もまったくない。「日本はもともと人口あたりの医師や公務員の数が先進国最低なので・・・」くらいの枕詞はつけてほしい。
あと左派の人たちの「無能」とか「やる気がない」という批判も非常に筋が悪いのでやめてほしい。そうした声で最も追い込まれるのは政権幹部ではなく、すでに疲労困憊しきっている現場の人たちだから。自分が書いたツイートを読んだ人の何%かが、保健所にクレームの電話をして対策業務を妨害している可能性を、少しは想像して欲しい(それも菅政権が悪いと言うんだろうけど)。
橋下が反省しないのは
一例として挙げていましたが、他のほとんどの方が同じだと思います。
横田さんは、元増田を読んだだけでなく、きちんとそれまでの拾える限りの情報を読んで、そこに含まれてるニュアンスや偏向的な報道は見抜いて客観的に評価されてる方だと思いますが(もしくは記憶力に自信がおありか)、そうではない方が沢山いるんだろうな。と思っただけです
反省もしない奴
政治家さんほとんどがそうですよね。主義主張や陣営に関わらずそうだということは、それでまかり通る世の中にしてる、誰が? というと、横田さんのように、きちんと調べた上で意見を言うのではない人だということでしょう。
同じ事を反維新の議員でも、車椅子の人でも、自民党でも立憲民主党でもできますよ。客観的に見てるので。
悩んでいることがあって。
友達にはなんか相談しにくいのもあるし、半分くらい愚痴かもしれないし途中下ネタの話もあるんですけど、つらつら書いてみようと思います。
別にこれといって嫌なところはないけど、いいなと思うところも見つからなくて、また会いましょうって言われたからいいですよって数回会った。
何度目か忘れたけど、告白された。今は好きな気持ちは1ミリもないなあって思って正直に伝えたら、徐々にお互いを知っていくうちに好きになっていくと思うから付き合ってくださいって言われて、特に断る理由がなくて付き合った。
晴れて久しぶりに彼氏ができて、その後も何回か会ったけど別に気持ちが変わることはなくて、むしろ考え方や価値観に対して、"へー、わたしとは違うな"、"うーん、そういう考え方するんだ"と合わないところには気がつくことができたけど、いいなあと思うところは優しいな、くらいだった。ただこのタイプの優しさを好きだと思う人間じゃなかったのでいいなあというより彼の長所を見つけたという感じ笑 合わないのもこれを理由に別れるほどのレベルではないかなとそのままにしてた。
そんなこんなで、ある日の食事の後2人になれるところ行かない?って、まあ誘われたんですよね。
別にしたいとは1ミリも思ってなかったからやんわり微妙な空気を出したけど、地図を見ながら歩き始めどこか(多分ラブホ)に向かっていたので、女はヤったら好きになるって言うし賭けてみるかーという気持ち半分、まあやりたいならやらせてあげるかー(上から目線でごめん)と言う気持ち半分で、承諾したわけです。
そんな気持ちなので勢いでやってしまいたかったのに、所謂ラブホ女子会みたいなのもできるリゾート風のラブホで、混んでて30分くらい待ったんですよね。
ここでラブホ女子会をしたことがあって、ロビーで待ってるの嫌じゃない?と待ち客を笑ってた過去があるので(性格が悪い)、シンプル待ちたくなかったし待ってる間やる気が削がれていったので、個人的には初めての子と行く時はここじゃない方がいいと思いますと男性諸君にお伝えさせていただきます。(突然何の話)
いざそういう感じになって、まあ色々触られますがなんかこう、膣がキュンとならなかったんすよね。(言い方)
逆に触ってともなりますが、なんかこうサイズでびっくりしちゃって。
経験人数はそんな多くないので普通がどうなのかはよくわからないけど、サイズが全てじゃないよなと気持ちを切り替え、事は進んでいったものの、最終的にはあっちが緊張してたようで、できずに終わりました。
できずに終わったことは全然いいんだけど。事後(してないけど)あっちはらぶらぶすきすきみたいなモードだったけどこっちはスンとしてしまったな。笑
その日の帰り道、色々ネットで調べてて。
まずは"緊張してできない"みたいなところからネットサーフィンしてるうちに"彼氏のあれが小さい"に辿り着いて、この悩みを持つ人って"彼氏のことはすごい好きだけど"っていうのが枕詞のように付いていることに気づいちゃったんですよね。
多分これから先も、彼に対して好きだなと思うところが見つからない気がしています。
次回を迎える前に別れを告げた方がいいんですかね?笑
次回もサイズが全てじゃないよなって気持ち切り替えられるかが心配なんです。切り替えて成功(性行とかけたみたいになっててなんかやだな?)した先に好きは待っているのだろうか。
その前に好きって何。
短かったし色々トラブルがあったけどもストレスでメタメタになる心にはいい寄り処だったし推しの別の可能性とか掘り下げられた一面とか良かったなぁ。
そのソシャゲ知ってる人にはあれかとバレるだろうけどぼかしたまんまにする。
サ終するにあたってデータの保存とか偲ぶかなんてまだ期間あるからな〜と心の整理も兼ねて思っていた。
他の一部のユーザーは違ったみたいでこんなサ終の仕方ありえないとか、公式タグ付けたりゲームの名前出したまんま保存データ他の人に見せます〜とかもうとっくに引退してたけど〜って砂かけにわざわざ来るとかやってて頭が痛かった。
見なきゃええやろっつー話なんだがタグで思い出話みたいなのをしてないかなって軽い気持ちで検索したんや。
そもそも別のソシャゲのサ終と比較してTwitterで声でか主張するにしてももう引退してたけどとか枕詞にわざわざ付けて言う?なんなん?接点全然無いご近所さんの「インタビュー」?ハゲタカなん?
あのソシャゲは終了日までこうだったからその対応してくれないとおかしいとかいや会社別やから。たとえ同じ会社だとしてもそうあるべきだと叩くのはどうかと思う。
煽るみたいな声がでかいのとまぁ運営のサ終にあたってアイテムやグッズの救済がなくて色々また不満が出ている。商品としてそのソシャゲを出していたのだからと運営の過去のやり方も叩く声もある。つーか砂かけても別に運営動いてくんね〜〜だろ別に。インフルエンサーとかでもないし?つか図々しい要求じゃん?いや要望出すのはいいと思うよ?でも当たり前として要求すんの違くね?逆にその砂こっちにまでかけてくんなよ。要望としてメールの数が集まるとかすりゃなんかまた違う動きあるかもしれないけどさ。
後輩たちの理想になることは諦めた。
だからせめて、少しくらいは続くたくさんの後輩が働きやすくなるように。
本当は、性別なんて関係なく、なるべく多くの人が健やかに生きていける社会になるのが一番だけど、日本というジェンダーギャップが大きい国に生きる女のひとりとして、女性が輝ける社会になりますようにと願いたいと思う。
塩谷舞さんのnote記事を読んで、私も筆を執ってみようと思った。あんな風に前を向ける記事ではないけれど。(リンクのつなぎ方がわからなかったので気になる人は探してみてほしい)
小学校の時は、男友達とよく遊んでいた。一番仲良しだった幼馴染は女の子だったけれど、年の近い兄弟がいたせいか、外でフットベースやどろけいに明け暮れていたように思う。リカちゃん人形やたまごっちにはあまり興味がなくて、ハイパーヨーヨーとミニ四駆は持っていた。そして単純に身体を動かすことが好きだった、そういう小学生だった。
小学校4年生まではスカートが嫌いでズボンばかり履いていたし、つまるところあまり「女の子っぽくなかった」のだと思うが(そもそも女の子っぽいとかぽくないとか、そういうのが時代錯誤なのはさておき)、幸か不幸か男の子と仲良くしていても、とやかく言われずに済んだのは幸いだったと思う。男の子と仲良くしている女の子の中には男好きだと陰口を叩かれている子もいたのだが、「まあAちゃんだし」と言われて女子から目の敵にされることはなかった(と、思う)。今になって思えば、女の子たちから「女」と認識されていなかったのだろう。要は、あの子は恋愛対象にはならないからOK、ということだ。
お互いを好き合った男女がカップルになったりしていて(同性カップルもいたのかもしれないが、私の耳に入ることはなかった)、仲が良さそうな男女がいれば噂になった。そして私は相も変わらず休み時間は割と男友達と話していた方だったと思うのだが、「Aちゃんだし」という理由で特に噂の対象にはならなかった。おかげさまで僻まれることもなかった。
やっぱり、「女」ではなかったのだと思う。そしてそれは私としても自覚している。
そういう環境で育ったので、「男」だとか「女」だとか、そういうものには鈍感というより興味がわかないまま中学3年になり、進学先を決めることになった。私の出身都道府県には、今では珍しい公立の男女別学校があった。こだわりがない故に別学校を選ぶ必要もなかったのだが、当時私を可愛がってくれていた先生が、「あなたは絶対に女子高が合うと思う」と言ってくれたという単純な理由で、私は女子高を目指すことにした。
結論から言えば、私は本当にあの時にあの女子高を目指した自分を褒めてやりたいと思っている。
ギャルもヲタクも皆一緒に学校行事に参加して勉強で競い合って最高の3年間だった。楽しかったというのもあるが、何より変な気を遣う必要がなかったのだ。当時から制服はスカートとズボンが選べたし、当たり前だが誰と仲良くしていようと噂されることだってなかった。
強くて逞しい人が多かったから、比較して自分の小ささに凹むことはあったけれど、とても刺激を受けたのもまた事実だ。
共学校が駄目だと言いたいわけでも、男女別学であるべきだ!と思っているわけでもない。
ただ、あの3年間は間違いなく私の自立心を育てていて、「女だから」は理由にならないし、する必要がないことを学んだ。
日本という国において、絶対に、女子校が担っている役割は大きい。
そういう、とても私にとって意味のあった3年間を過ごし、大好きな分野の学問を学ぶため大学に進学し、こんなにも文理で男女差があるのかと驚いた。
高校では半々とまではいかなくとも、どの学年も大体文系の方が少し多いくらいで、理系の女子も多かった。(どうでもいい余談だが私はゴリゴリの文系である)自分も文系なのでとやかく言えないのだが、何で女子は文系が圧倒的に多いんだ?と不思議に思ったものである。
入学してから数日、久しぶりに皆で連れ立って食事をし、皆で一緒に次の教室へ移動した。
多分1週間も持たなかった。
一瞬で最初のグループからは離れ、ひとりで食堂に向かったら、浮足立つ新入生のグループが多い食堂で、明らかに新入生であろう女子が、ひとりラーメンを啜っていた。
そうだよなあ、好きにお昼くらい食べるよなあ、と安心し、少し離れたところで同じくラーメンを食べた。彼女とは今でも連絡を取る仲である。
女子高を卒業し、大学は学部もバイト先も女子が大半を占めるコミュニティの中で過ごし、たまたま男女比9:1の会社に就職した。
総合職を選んだ以上、男も女も関係なく業務に邁進するのみ!という心意気だったのだが、割と早々にしんどくなって泣いた。ひどいセクハラを受けたわけでも女を捨てることを強要されたわけでもないのだが、「男も女も関係ない」という自分の意識と、「圧倒的に男が多い集団の中にいる若い女子」である事実を上手く融合させることが出来なかった。
どうしたって「女」を上手く利用している子の方が可愛がられる。可愛がられたいわけではないが、「女を捨てる」ことも出来なくて(いやしなくていいんだけど)、何とも中途半端な位置になり、色んなバランスが崩れて勝手にしんどくなった。
男社会の中で女であることに甘えられない・出してはいけないのだというプレッシャーはあるのに、貴重な女子社員として意見を求められるという矛盾した立場にいて、「女」を肯定すればいいのか否定すればいいのかわからなくなっていった。
「女」が主語になるコミュニティで生きていると、自分の意識もそれに近づいていくのだと気づいたときが、一番怖かった。
「女は女に厳しい」「女は気まぐれだからやりづらい」「女は甘えればいいと思ってる」「女はすぐ子どもを産むからここから離脱する」「女は…」
前述のとおりあまり「女」としてカウントされない私は、そういう声もよく耳に入った。要は男性がそういう話をしている場面に出くわしやすいし、そういう話題を振られることが多かった。「Aさんは違うけど、」という枕詞を挟んだ上で、「女は…」と語られる。
今でこそ「それ、女じゃなくて〇〇さんでしょ(要は個人の話)」と言えるようになったけれど、しばらくの間は擁護をすれば自分もそう思われるのではないかと思うと怖くて、この手の話題が出た時に否定することが出来なかった。ずっと悔やんでいる。
会社の人が噂をする「女は…」に自分が入ることが怖くて、これは私を少しずつ蝕んでいき、この立場でこの仕事を続けながら「結婚」と「出産」を選ぶことは出来ない、と思うようになってしまった。
性自認は確かに女なのに、自分が女であることを肯定できなくなっていった。
もちろん、活躍している女性だっているし、今の現状に満足出来ている女性がいるのもわかっている。
自分が気にしなければいいのだとも思うけれど、30年生きてきていい加減わかっている。私は他人の声を気にせずいられるタイプではない。
いっそこの業界が嫌いになれたら良かったなと思う。
女性の採用も増えたけれど、まだまだ圧倒的に男が多いこの業界を飛び出していけば、もう少し気楽に働けるのかもしれない。
でも、会社のことは変だと思っているし、決して誰もが働きやすい会社ではないと思っているけれど、この業界が担っている社会的役割だとか、やりがいだとか、そういうのは好きなのだ。
だから、やっぱり続けたい。
優遇してくれとは思っていない。
ただ、男性と同じところに立たせてほしい。
男だってつらい、という声も聞くけれど、男優位に作られた社会で、女と同様男にも悩みがあるだなんてどうして言えるんだ。立っている場所が違うということをわかっているんだろうか。
結婚適齢期で子どもを持つ同期が増えた。「やっぱ子育てもしながらっていうのは大変だよ」と言った彼は、毎日残業していた。彼は優秀な同期で、残業しなければ終わらないような会社の仕組み自体どうなんだとは思っているけれど、彼が毎日残業出来るのは奥さんが子どもの面倒を見ているからだ。他人の家庭に口を出すつもりはないし、1人が稼いで1人が家事を行うと決めているのであればそれも良いと思う。
ただ、この状態の総合職(男性)が圧倒的に多いこの会社で、この人たちと同じようにキャリアを積んでいくには、同じように働くしかないのだ、と思うと、まだまだ社会的に女性が家庭を守るべきという風潮が強い中でそんなことが可能なのか?と絶望する。
「キャリアと子育ての両立に男だって同じように悩む」と言っていたけれど、本当に同じなんだろうか。
同じだったら何故男女でこんなに差が出るんだろう。
「女は昇進させない」というほどひどい会社ではない。女だってちゃんと昇進できる。ただし、子育てを優先せざるを得なかった人たちの昇進スピードが落ちるから、見渡した時に男女で差があるように見えてしまうのではないか。だって男で子育てを優先した人は圧倒的に少ない。子育てを頑張りながら同じように昇進していくことはかなり大変なのではないか。周りを見渡してそう感じ、夜中に大泣きするくらい悩んだ。悩んで、今はとりあえず結婚・出産は考えられない、と判断した。
男性も本当に同じように悩むんだろうか。
大多数の男性社員と同じようにキャリアを積めた女性の、独身・子どもはいない率に茫然とする。
きっとこの人たちも大変だった。この人たちはもっともっと苦労して、女性が活躍できる場を広げてくれた。
ただ、こうでなければたどり着けなかったんだな、と思うと、自分が思い描いていた将来とは違うのだ。
一緒に頑張ろうと言っていた同世代の女性が、何人も「もういいかな、仕事は。子ども産んで適当にやっていくよ」と言うようになった。あんなにたくさん将来のことを話したのに、もう話せなくなってしまった。そういう道を選んだ、というよりは、諦めたんだな、と思った。
幸いなことにと言えばいいのか、この会社は「子どもを産んで適当にやっていく」ことも出来る。制度は整っているし、相談すれば配慮もしてもらえる。
そうだ、確かにたくさんいる。でも多分、男性の同期と同じようにキャリアを積んだ人は少ない。
だって私は現時点で、お子さんがいる先輩方を結構な人数追い抜いている。
それでいい、という女性がたくさんいるのもわかっている。でも、それでいい、と思わせるような構造になってしまっていることが、そもそも問題なのではないか。
男は、子どもがいようがいまいがほとんどが同じようにキャリアを積んでいくのに。
気が付けば私も、昔の私がその姿を見て茫然とした人たちと同じように、仕事だけを取る方の道に進み始めている。
これだけ家庭と仕事の両立が叫ばれる時代に、家庭を持たずに道を進んでいくことは、きっと後輩たちの光にはなり得ないのだと思う。私が昇進したところで、私が思ったのと同じように「あの人独身だしな…」と感じるんだろう。自分も思ったんだから、自業自得なのはわかっているが、なんて地獄だここは。
男性諸君は、諸先輩方を見上げて、「あの人独身だしな…」と思うことがあるのか?女性の待遇が上げられないというのなら、いっそ男性も同じように悩む社会になればいい。
そういう呪いにも近い気持ちが渦巻いている。出さないように、細心の注意は払っているけれど。
後輩たちの目標にはなりづらいかもしれないけれど、せめて家庭と両立を頑張ろうとする女性たちが働きやすくなるように、手助けが出来る社員にくらいはなろうと思う。
そもそも平等に働くことさえ出来なかった時代に、女性の社会進出の場を切り開いてくれた先人のように、後に続く後輩たちのために粛々と働くのだ。
自分がラッキーなのもわかっている。男性優位な社会で、男が圧倒的に多い会社に、総合職として入れたのだから。
それなりに力がある立場になろうと思えばなれる。トップダウンと言われようとも、権力を駆使して変えてやりたい。大企業が変わることは、多分それなりに意味を持つ。
私の心がそれまでに折れなければの話だけど。
日本社会のジェンダーギャップを埋める、ひとつの駒くらいにはなれるように。
なれるかな。
なれたらいいな。
この国に対してくそくらえとも思うけど、たくさんお世話になった人もいるから。
少しでも社会がよくなれば、それが一番の恩返しになると信じている。
エヴァの劇場版ってこれで6作目ですけど、その半分ぐらいが賛否両論です。
手放しで褒められているのは序と破ぐらいです。
他は「は?」「突然の意味不明シーン」「全編が意味不明」と散々な評価を受けています。
「満足の行く作品だった」と口にした時点で、それは既に「意味不明すぎて意味不明だった金返せ」ではなかったことを意味してるんですよ。
たとえばガリガリ君やペプシのニューフレーバーに対して「美味しかった」も「ナポリタンだった」もネタバレになるのと同じです。
YES!
「エヴァを見たけど」は「これからネタバレをするから耳を塞ぐか俺を止めてみろ」を意味する枕詞です。
それこそ「この人が見終わったのに必死にアンチ行為をしていない……妙だな……」の時点でもうネタバレです。
「エヴァ」と口にするときの言葉に込められたオーラで内容の良し悪しや方向性が滲み出てしまいます。
百人一首がテーマの漫画なのですが、この漫画には「感じの良さ」という概念が出てきます。
これは凄いシンプルにいうと「最初の1文字目を聞いた瞬間にその呼吸によってどの詩を読んでいるのかを理解してしまう」という能力です。
キャラによって大きく「呼吸と発声の仕方によってフレーズ全体の音の流れが分かる」タイプと「声の雰囲気によってどういう詩を読んでいるかを理解する」タイプに別れます。
オタクの口から「エヴァ」という言葉が出た瞬間、そこに込められた「愛しさ」「開放感」「嘲り」「怒り」「憎しみ」「親しみ」を人は感じ取ってしまいます。
その時点でもう『致命的なネタバレ』なのです。
これは何も音声によるものだけではなく、言葉の使い方にも現れます。
「エヴァ見たんだけども」
「エヴァ見てきたよ」
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版……鑑賞して仕った……」
「エヴァ見た?」
「なんつうもんを見せてくれたんや……」
「エバー」
これら全てに、どういったキャラが出てきたのか、思わずネタバレしたくなる要素はどれぐらいあるか、良かったのか、そういったことが匂い立つんだよ。
分かった?
子供の頃、親戚の叔父さんからお年玉を貰うと親に「お礼をしなさい」と言われて電話を掛けて何か言わなければならず、それがたまらなく嫌だったのを覚えている。それだけなら俺の人格がクズということで分かりやすいのだけれど、最近、「親戚の叔父さん」としてお年玉をあげる立場になってわかったのは、お礼を言われるのも嫌だということだ。
小っ恥ずかしいとかいうことではなく、お礼を言われたのに対して何を言えばいいのかわからず落ち着かない気持ちになるからのようだ。お礼を言うのも、ありがとうございますと言うこと自体が嫌なのではなく、それに何か理由や文脈や枕詞をつけなければならずそれをどうしたらいいのか分からないから嫌だったのかもしれない。
普段の生活で「ありがとう」と言うのは嫌ではないしそうするべきだと思っているので積極的に言う。アメリカ人が息をするようにThank you.と言うのは素晴らしいことだなと思ったので、マネして日本人にしてはやや過剰なくらい言っていると思う。でもそういった「ありがとう」とお年玉を貰ったときの「xxおじさん、お年玉、ありがとうございました。元気にやっています。最近は…」という会話とは全然違うみたいだ(この括弧書きの文面を考えるだけでも少ししんどい気持ちになった)。
普通はこういうのは嫌ではないのだろうか。そうだとしたら、俺が「普通でない」根本的な原因は何なのだろうか。一説では、ASDの人間はミラーニューロンが上手く働いていないという話があるようだ。相手の行動を模倣するため、目にするだけで自分がそれを行なったのと同じ脳活動が生じる機能ということだ。お礼を言って会話するのも、それによって相手が嬉しそうにしたりする反応を見たミラーニューロンが、自分が嬉しくなったのと同じ反応を生み出すのかもしれない。そういう機能が働いていないからただしんどい気持ちになるだけなのだろうか。
いずれにしても、こういった性質を持っていると社会的にとても困ったことになるので、原因を少しでも理解して対策を考えたいのだ。普通の人はお礼を言ったり言われたりすることでこんなにも不快で落ち着かない気持ちになったりしないのだろうか。そうなのだとしたら俺との違いはどこにあるのか。
森さんがオリンピックの委員会の責任者を辞任した。理由は女性に関する発言である。女性蔑視の発言で許されないとか、いやいやこれは身内の人を持ち上げるだけの枕詞だとか、いますぐ辞任しろとか、次の人が気に食わないとか、いろいろ話が出てきているが、その反応のなかで気になるのは「老害」とか「老人」をあげつらうことばである。
許すべきではない発言というのは、基本的に個人が生まれつき持っている属性や、変えることが難しい属性に関してそれを持たない人が行う場合だ。これには次のような例がある。
現代社会ではこのような変えることができない、もしくは帰ることが著しく難しい属性に対して、それを持たない人が批評すべきではないのだ。心の中で「男は頭が悪いな」と思っても、それを言葉にして男は頭が悪いと発言することは悪であるという認識を持たないといけない。その瞬間、ミイラ取りがミイラになっている。ダークサイドに入ってしまうのだ。
子供の頃、親戚の叔父さんからお年玉を貰うと親に「お礼をしなさい」と言われて電話を掛けて何か言わなければならず、それがたまらなく嫌だったのを覚えている。それだけなら俺の人格がクズということで分かりやすいのだけれど、最近、「親戚の叔父さん」としてお年玉をあげる立場になってわかったのは、お礼を言われるのも嫌だということだ。
小っ恥ずかしいとかいうことではなく、お礼を言われたのに対して何を言えばいいのかわからず落ち着かない気持ちになるからのようだ。お礼を言うのも、ありがとうございますと言うこと自体が嫌なのではなく、それに何か理由や文脈や枕詞をつけなければならずそれをどうしたらいいのか分からないから嫌だったのかもしれない。
普段の生活で「ありがとう」と言うのは嫌ではないしそうするべきだと思っているので積極的に言う。アメリカ人が息をするようにThank you.と言うのは素晴らしいことだなと思ったので、マネして日本人にしてはやや過剰なくらい言っていると思う。でもそういった「ありがとう」とお年玉を貰ったときの「xxおじさん、お年玉、ありがとうございました。元気にやっています。最近は…」という会話とは全然違うみたいだ(この括弧書きの文面を考えるだけでも少ししんどい気持ちになった)。
普通はこういうのは嫌ではないのだろうか。そうだとしたら、俺が「普通でない」根本的な原因は何なのだろうか。一説では、ASDの人間はミラーニューロンが上手く働いていないという話があるようだ。相手の行動を模倣するため、目にするだけで自分がそれを行なったのと同じ脳活動が生じる機能ということだ。お礼を言って会話するのも、それによって相手が嬉しそうにしたりする反応を見たミラーニューロンが、自分が嬉しくなったのと同じ反応を生み出すのかもしれない。そういう機能が働いていないからただしんどい気持ちになるだけなのだろうか。
いずれにしても、こういった性質を持っていると社会的にとても困ったことになるので、原因を少しでも理解して対策を考えたいのだ。普通の人はお礼を言ったり言われたりすることでこんなにも不快で落ち着かない気持ちになったりしないのだろうか。そうなのだとしたら俺との違いはどこにあるのか。
テレワークしてる?それとも出社してる?後者の人は現場じゃないと仕事が出来ない職種かもしれないから私とエアー握手しようね。
あんまり突っ込んでは言えないからふわっとした感じで愚痴るよ。
割と大手の製造業に従事してるんだが、ここ1年で転属した部署の上司が本当にクソオブクソなんだ。不人気上司の最悪なところを全部凝縮したと言っても過言じゃない。
上司のクソな部分で1番殺意の波動が漏れそうになるのは、固有名詞を言わずに仕事の指示出しをしてくるところ。
『アレやって』『あっちどうなってる』ってやつだ。
こういう話をするとよく、「察せないお前が悪い」っていうタイプのやつもいるけど、うるせーーーーーばーーーーーーか!!!!ってだけ先に話しておくね。
そうそう、あれとかこれとかそれとか、よくそれで通じると思ったよな?って感じちゃうんだ。私は上司の嫁でもなければ母親でもないしそもそも身内でもそんな口利くやつに慈悲なんてないけども。
セクハラモラハラパワハラは通過儀礼、デスクが隣だからいっつも攻撃受けてそれを左へ受け流す毎日。
口癖はみんながよく知ってる安定の『普通は』『どう考えても』を枕詞に。
そして極めつけは、独り言と鼻歌と貧乏ゆすりが酷いのなんのって。音に過敏な人だったら20分待たずに上司の頭シバいてると思うくらいにはうるさい。控えめに言って公害。精神衛生に悪すぎて現世からボッシュートされてほしい。
この上司にこれまで何人か部下が付いていたらしいけど、みんな速攻で辞めていったのも納得。
そんなクソの部下に付いた私が無能って意見出てたら許さない。逆らわなさそうな女ってだけでピックアップされたんだよこっちは!
まあそんなこんなで1年は我慢したからいよいよ反撃に出ようと思う。
もちろん暴力は振るわないよ!昔はついつい口より先に手が出ちゃうタイプだったけど(突然のイキリ)、社会の仕組みを利用すれば自己肯定感の低い独身女でもちゃんとなんとかできるシステムあっからね!
パッションだけはしこたま詰めた愚痴だけど正直言い足りないからまた上司への隠せない衝動訪れたら書きに来るね。ご清聴ありがとうございました。