2021-02-10

お礼を言うのがしんどい

子供の頃、親戚の叔父さんからお年玉を貰うと親に「お礼をしなさい」と言われて電話を掛けて何か言わなければならず、それがたまらなく嫌だったのを覚えている。それだけなら俺の人格クズということで分かりやすいのだけれど、最近、「親戚の叔父さん」としてお年玉をあげる立場になってわかったのは、お礼を言われるのも嫌だということだ。

小っ恥ずかしいとかいうことではなく、お礼を言われたのに対して何を言えばいいのかわからず落ち着かない気持ちになるからのようだ。お礼を言うのも、ありがとうございますと言うこと自体が嫌なのではなく、それに何か理由文脈枕詞をつけなければならずそれをどうしたらいいのか分からいから嫌だったのかもしれない。

普段生活「ありがとう」と言うのは嫌ではないしそうするべきだと思っているので積極的に言う。アメリカ人が息をするようにThank you.と言うのは素晴らしいことだなと思ったので、マネして日本人にしてはやや過剰なくらい言っていると思う。でもそういった「ありがとう」お年玉を貰ったときの「xxおじさん、お年玉ありがとうございました。元気にやっています最近は…」という会話とは全然違うみたいだ(この括弧書きの文面を考えるだけでも少ししんどい気持ちになった)。

普通はこういうのは嫌ではないのだろうか。そうだとしたら、俺が「普通でない」根本的な原因は何なのだろうか。一説では、ASD人間ミラーニューロンが上手く働いていないという話があるようだ。相手の行動を模倣するため、目にするだけで自分がそれを行なったのと同じ脳活動が生じる機能ということだ。お礼を言って会話するのも、それによって相手が嬉しそうにしたりする反応を見たミラーニューロンが、自分が嬉しくなったのと同じ反応を生み出すのかもしれない。そういう機能が働いていないからただしんどい気持ちになるだけなのだろうか。

いずれにしても、こういった性質を持っていると社会的にとても困ったことになるので、原因を少しでも理解して対策を考えたいのだ。普通の人はお礼を言ったり言われたりすることでこんなにも不快で落ち着かない気持ちになったりしないのだろうか。そうなのだとしたら俺との違いはどこにあるのか。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん