「安心感」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 安心感とは

2024-04-22

anond:20240422230800

心理的安全性という単語意味を何も理解できてないポスト

いきなり暴行されない安心感はあるんだろ?

清潔感を強いられる抑圧は女性の方が強いデータもあるんだけど低い次元で何言ってんだ

2024-04-21

anond:20240421155948

知ってる範囲匂いが気にならないと思ったやつ

2024-04-19

他人一方的愛情を向けることの気持ちよさと恐ろしさについて

一方的愛情を向ける」というのが何を指しているのかというと、まあ端的に「自分と今後一切関わりを持つことがないであろう有名人」とか「2次元キャラクター」だとか、そのあたりのことだ。

から愛情を向けられるというのはとにかく恐ろしい。私は、自分というものを正しく認識することができるのは他の誰でもない「自分自身のみである」と思っていて、そこにひとを介入させること、それどころか私を解釈する余地を人に与えること自体がとにかく末恐ろしい行為だと思っている。

近日、「蛙化現象」という言葉があたかミームのように流行った。流行ったそれ自体誤用ではあったが、いっとき社会現象にまでなった。

あるとき自分分析してみたら、単に自己肯定感がすこぶる低いだけという訳ではなく、その自己肯定感の低さの中に同じくらいの「自身の持つ気高さへの陶酔」を抱えていることに気づいた。

これが、適当意味で使われた時の「蛙化現象」を自身が引き起こすとき根底にあるんだろう。

己のことを、何よりも愚かでおぞましくて汚いゴミみたいな人間だと本気で思っていて、だけどそれと同時に「そんな自分のことを理解し寄り添ってくれるのは自分だけ」だとも思っている。改めて文章に起こしてみるととんでもない自慰行為である

から、「自分いちばん近くで自分理解し寄り添ってくれる」、所謂恋人のような存在を作ることが怖い。

ここまで話した上で怖い、という言い方を今更しても自己保身でしかないので、言い換えると 「嫌」 なのである。紛れもなく。

から、「私を瞳に映すことがない」「私の本性に介入することがない」「こちらもあなたを知ったような顔で語るつもりもなければ知るつもりもない」ような存在に陶酔することがいちばん心地よくなる。前述した「一方的愛情を向ける」ということを長々と噛み砕いてみると、恐らくこんな感じ。

本題。

私は、ひとりの人間のことがすごく好きだ。 仮にAと置く。

特定されることは意図していないので、この記事を書く上で必要な最低限の要素だけ取り出して、尚且つ暈しを加えながらAのことを説明すると、主に言葉を書いているアーティストである

ただ、私は自分のことをちゃんちゃら性善の擬人化のような人間であると思っていて、そうなるとここで既に矛盾が生じている。

自分がされて嫌なことを人にしてはいけない」、凡その人が義務教育中には会得するだろう一般論である。性善の擬人化なので、勿論日頃からこれを踏まえた行いを心がけている、のに。

私は、なんの関わりも無ければ何も知らない他人に、Aに、心底惚れている。

元々はAの紡ぐ言葉けが大好きだった。

世に出ているAの書いた言葉は辿れる限り辿った。特に好きなフレーズ自分の中に書き留めて、反芻してをひたすら繰り返していた。

そもそも私は頭のいい人が好きなのだが、それだとアバウトすぎるので最近は「素敵な言葉を紡げる人が好き」と形容している。

要は、私はAのことをきわめて頭のいい人間だと思っている。

から凄く辛い。

自身尺度他人の持つポテンシャル性格を測る」ことって、きっと凄く馬鹿馬鹿しいことなのに。

なのに、私はAの持つ性格上の性質や口調、趣味、その趣味を持つにあたっての根本の考え方、友達への接し方とファンへの接し方の違い、それを産んでいるであろう根底の考え方、その全てが好きで、そんな自分盲目さと当人への申し訳なさが、果てしなく苦しい。

Aが紡いでいる「言葉」というものをもう少し詳しく話すと、架空人物言葉の代弁だったり、まあカテゴライズするのであれば「詩」だろうな、というものが多数。

ただ、その中に、さながら自伝のようなものがチラホラと存在する。

自分特に好きなAの言葉は、主に後者だ。

とどのつまり、どうしてもその言葉を紡ぐに至った、その考え方に至った思考回路バックグラウンド空想してしまう。

まあ、ただ考察するくらいなら至って個人自由だとも思う。ただそれを「Aのことが好きな理由」として自分の中でつらつらと並べている自分自身が恥ずかしくて苦しいのだ。

どの角度から見ても考えすぎである。これを書きながら自分自身でも「素直に好きって言えばいいじゃん」と思っている、が、プライド自分性質がそれを許してくれない。

薄々感じている方も居るだろうけれど、これだって「厄介ファン」だ。紛れもなく。

私がAの言葉を好きなことは事実で、それを産んだA自身のことが好きなのも事実だ。

だけど、「自分と関わりのない人に心酔することで得られる心地良さと安心感」を求めている節が、間違いなく存在している。

私は、自分が仮に有名な活動者だとして、自分の全く知らない人が水面下で自分に対してこんな感情を膨らませてつらつらと文章を書き連ねていたら、そりゃまあめちゃくちゃに恐ろしいなと思う。

拗らせ具合に対してもだが、やっぱり「例えその考察事実であろうと、他人が私の秘めたる感情時間をかけて推察している事実」に不快感を抱く。

Aの言葉は、結構これに類するものが多い。

自分を測られることへの不満や知った口を聞かれる不快感、「特定の誰かに宛てた言葉では無い」ということを全面に押し出すような書き方。

そんな書き方をしているのに、分かり易く示してくれているのに、その言葉自分の中で大事大事仕舞っていることが極めて愚かであると感じる。

あくまでも自伝であるのに、その言葉共感したり感銘を受けている私が。

だけど、好きなのである。どうしても。

人に測られたくないから、きっと私と同じような考え方を持っているAの言葉性格に惹かれる。

けど、この「きっと」こそが人を測っているに他ならない。

から絶対にAに近寄りたくない。 答え合わせをしたくもない。 これはほんとうに仮の話だが、何かの縁でAと知り合いになり、友人になり、推察が上手いこといって、同じような考え方なんだね!なんてことになってしまったら。

私はこんなにも好きなAのことを好きなままでいられるのか、わからない。

乱雑でこんがらがったままだけれど、自分感情を推察する余地他人に与えられるようになるまで、きっと今後とも手の届くことの無い誰かにひたむきな好意を向け続けるのだろうなと思う。

最初の方に綴った通り、自身を高尚な人間だと奥底の方で謳っていることがこの現象の原因だと考えられるので、まずはその傲慢さを取り払わないことには私は一生ひとりぼっちである

他人一方的にひたむきな愛情を向ける」ことは、すごく明瞭だ。ただ、そろそろ成長したい。ひとから好意を受け入れたい。自身根本を推察されることを拒絶したくない。

とにかく、この半ば依存のような好意をとやかく向ける行いはそのうち卒業する予定だ。

このジレンマから抜け出せて、しがらみが解けきったときに、私が至って健全な「好き」をAに向けることが出来ていたらすごく嬉しいなあ、と思います

2024-04-18

anond:20240418211548

のだめカンタービレの作者の家は、妻が漫画で稼いで旦那専業主夫して息子二人を育てている

旦那に全部任せられる安心感で、妻は赤ちゃん夜泣きしても全く起きられず爆睡して旦那徹夜してミルクを与えていた

たまに旦那子連れできない店で買い物したいという時には妻が子供の世話をするが

「いやああああパパアアアアアパパがいいいいい」と子供は妻の腕の中で号泣して海老反りになって抵抗するという

anond:20240417195407

自分感情意見言葉にするのが苦手な人にとって、インターネット上に溢れる様々な意見は、とても便利な存在になっています

言語化するのが難しいと感じる人の中には、自分の考えがまとまらなかったり、適切な言葉が見つからなかったりして、フラストレーションを抱えている人もいるでしょう。そんな時、ネット上で自分と似た意見を見つけると、「あ、これだ!」と膝を打つ経験したことがある人も多いのではないでしょうか。

ネット意見は、自分感情や考えを代弁してくれる心強い味方です。うまく言語化できない気持ちを、他の誰かが既に言葉にしてくれているのを見ると、安心感を覚えます。「自分だけじゃない、同じように感じている人がいる」と共感できることで、自分感情肯定されるような気持ちにもなれます

ただし、ネット意見に頼りすぎるのは危険です。自分感情意見言語化する力を養うことは、とても大切なことです。他人意見鵜呑みにするのではなく、あくまで参考にしながら、自分言葉表現する努力を続けることが重要だと思います

anond:20240417195407

自分感情意見言葉にするのが苦手な人にとって、インターネット上に溢れる様々な意見は、とても便利な存在になっています

言語化するのが難しいと感じる人の中には、自分の考えがまとまらなかったり、適切な言葉が見つからなかったりして、フラストレーションを抱えている人もいるでしょう。そんな時、ネット上で自分と似た意見を見つけると、「あ、これだ!」と膝を打つ経験したことがある人も多いのではないでしょうか。

ネット意見は、自分感情や考えを代弁してくれる心強い味方です。うまく言語化できない気持ちを、他の誰かが既に言葉にしてくれているのを見ると、安心感を覚えます。「自分だけじゃない、同じように感じている人がいる」と共感できることで、自分感情肯定されるような気持ちにもなれます

ただし、ネット意見に頼りすぎるのは危険です。自分感情意見言語化する力を養うことは、とても大切なことです。他人意見鵜呑みにするのではなく、あくまで参考にしながら、自分言葉表現する努力を続けることが重要だと思います

anond:20240418072231

大学教員職階について、ちょっとだけ解説してみる。

大学教員で、専任の(常勤の)職階は、以下の順序になる。

・(助手)→助教専任講師准教授教授

助手()付きなのは単独では授業や研究室をもてず、特定研究室のお手伝いをすることが多い役職から場合によっては、単年契約だったり年限付きのパートタイムだったりする場合もある。大学院生がアルバイトでやっていることも多いね

なお2007年ごろまでは、以下のような順序だった。

助手専任講師助教授→教授

助教授」だと教授下働きのように思われるので、そうでないことを強調するために、「助教授」→「准教授」という名称2007年ごろ国の方針で変わった。

現在助教授」はほとんど存在しないのではないかな。たいてい准教授だと思う。

なお、「助教」という役職が新しく増えたのは、人手不足の中、助手に授業をやらせるためという説を聞いたことあるけれど本当かどうかは知らない。

さてここから大学の闇なんだけど、大学専任ポストは非常に限られていて、そのため非常勤であったり年限付きの役職が増えている。

まず、毎年の契約更新という最も弱い立場なのが非常勤講師特定の授業を受け持つために契約するのだけど、授業の人気がなかったりカリキュラムの変更があったりするとあっさり来年契約更新ありませんのでと言われる悲しい職階です。

そして、大学が5年間計画などを立てて、独自予算を確保したり、国からお金をもらって作る年限付きのポストが特任ほげほげという職階です。

特任助教、特任准教授、特任教授。こういう名称は、5年間などの期限のあるプロジェクトのために作られた臨時ポストですから、そのプロジェクトが終わったら職を失うことになる。

その意味で、数年たったら職を失う特任准教授よりも、専任講師助教の方が安定感と安心感が上みたいな逆転現象も起きてしまう。

から、色々な大学非常勤・特任職を渡り歩きながら、なんとか常勤専任)のポストに潜り込むことが大学系の定番キャリアパスとなります

レアケースだけど、私立大学の特任准教授(30代後半)から国立大学専任助教になる人もいます。そのような人はたいてい優秀なので助教准教授教授とすぐに昇進するけどね。

ちなみに、私立大学教授国立大学旧帝大)の准教授はどちらが・・・みたいなお話もあるけれど今回は省略しましょう。

こういうのって、たとえ大学生だったとしてもわからないよね。間違いがあったら有識者ツッコミよろしく

2024-04-14

映画名探偵コナン100万ドルの五稜星

安心感安定感すごい 

緋色弾丸と紺青の拳の監督と聞くとなんとなく話の感じ(流れというか色んな人わちゃわちゃ感はなんか通底するものは確かにある気がする ラブコメの感じとかもなんとなく)

ジャンルの違うオタクが観に行ってもニッコリ

・すまん、ヒジリさん初期安室さん思い出した

垂れ目太め眉

・誰?誰なのお?!

 YAIBAの人?!

・「しっかりしろ沖田」ドクン もなにか「ある」のはわかる わかりてえ 

・おおむねゴールデンカムイ

もういくつかの品を集めてそれをヒントに北海道のどこかに隠されたお宝を〜とか土方さんとか五稜郭とか北海道の各地名所とか

・お二方、そういう関係でしたんですね…

・青子ちゃんの声、かわいらしいな…

opの土方さんで青山剛昌神の思う「一番カッコいい男性キャラ像」はマジで赤井さんなんだな…

一番カッコいい男性キャラ造形+シャアによって構成される赤井さんってマジで作者の寵愛(歪んでない)を受けてるんだな…って思った

・客、アラサーオタク大半やろと思ったら親子連れとか小中キッズのがわりといて驚いた

少年探偵団がでるとなんか安心する

映画恒例クイズの「映画といえばこれがくる安心感」+視聴者年代アラサー以上で停滞してない(子供目線向けてる感)を感じさせてくれるからかな

・ちょいちょい務まってなかった

来年マ?

みるわ

2024-04-12

anond:20240412105256

わかるわー老若男女漏れなく着てるよね

みんな着すぎてて、逆に絶対買わないブランドになってるわノースフェイス

別にノースフェイスじゃなきゃいけない物もないし

逆にみんな着てるから選ぶとき安心感があるのかな

少子高齢化について適当に考える

適当BIGLOBEに載ってた子供を持ちたくない理由から考える。

 

経済的不安があるから

人間誰しも、ある生活水準キープしたがるんだから、大体みんな経済的不安があるのは当たり前。これは本質ではなく、「分かりやす子供を持ちたくない理由」。つまり、使いやすい嘘。本当に「金ないか子供持てない」なんて考えてる人は少ないと思う。

 

・育てる自信がない

逆に育てる自信がある人なんていないと思う。子育てなんて学校で習わんからね。初めてのことなんだから自信がなくて当たり前。

これは核家族化がマジで悪さしてると思う。家にジジイババア特にババアがいる時の安心感半端ない子育てで何か困ったら助けてくれるだろう。そう思わせるくらい、ババアはそこにいるだけでパワーになる。

要は、頼れる人間がいないことが問題核家族化で同居してる人数が減ってるんだから、当然、「同居してる人で頼れる人がいる割合」も下がる。4人暮らしだと3人しか「頼れる人間候補」がいないが、ジジイババアがいて6人暮らしなら5人も候補がいる。

他にも原因はあると思うが、とりあえず、核家族化は止めるべきだと思う(一方で、医療が発達して老人が長生きしてしまうため、介護しなきゃいけない世の中になってるのはマジでだるいと思う)。

 

子供が好きじゃない、苦手

きじゃないなら持たなくていいと思うが、苦手なら持ってみろと思う。他人の子供と自分の子供では、愛情全然違うんだから。恐らく、子供に嫌われることを恐れているんだろうと思う。苦手っていうのは、嫌いというのとはまた別な話。嫌われてもいいか子供には元気に育ってほしい…みたいな、こういうのが嫌なんだろうなと思う。言い方は悪いが、もう大人のくせに、いつまでも子供に嫌われるから子供を叱れない」って言ってるようなもん。

どういう仕組みでそうなってるかまでは分からんが、昔より、精神年齢が、実年齢と比べて育つ速度が遅くなってるんじゃないか?と思う。

 

自由がなくなるから

言いたいことは分かるし、それなら持たなくていいと思う。こんなわがままな人が子育てできるとは思わないから、持たなくて正解。

 

終わり。寝る。

2024-04-11

きのこたけのこ論争ってウザくね?

最近きのこの山たけのこの里食べた?食べてないでしょ?

きのこたけのこ論争にはみんな嬉々として参加してるけど、あのお菓子に特段愛着があったり思い入れがある人ってそう多くはない。じゃあ、みんな何がしたいかってロールプレイがしたいだけなんだよ。「私はたけのこ派でありきのこ派は絶対に許さない」みたいな、実生活ではまず機会のない強烈な派閥ロールプレイが。そんできのたけ論争って極めて無害じゃん。強い態度示しても誰も傷つけない安心感をみんなで共有してるから気楽で楽しいんだよね。

まあそれはそれでネットの、今では珍しくなった割と健全なノリだとは思うけど……面白くない。去勢された羊の群れの戯れでしかない。「お前は攘夷派?開国派?」みたいな刹那の間に殺し合いに発展しそうな緊張感がない。それは極端だとしても、なんていうか「どっち派みたいな論争は好きだけど他人対立するのは良くないことだからきのたけでガス抜きしとくわ~」みたいな自意識コンプレックス微妙に混ざった不味いカフェオレみたいな苦みを感じるんだよ。きのたけにかける熱量を、もっと自分が本気で好きなジャンルに捧げればよくね?

2024-04-08

2024年4月7日 凛として時雨×syrup16g SYNCHRONICITY'24 Wonder Vision supprted by ライブナタリー @LINE CUBE SHIBUYA

2024年4月7日 凛として時雨×syrup16g SYNCHRONICITY'24 Wonder Vision supprted by ライブナタリー @LINE CUBE SHIBUYA

2024年シロップ初め!指定席でも安定のマキさん側で嬉しい笑 めちゃくちゃ久しぶりに渋公に行った気がする。

バンド毎の感想(と言っても時雨に関してはあまり書けないけど…)

時雨を観るのは2008年ライジング以来…。軽く予習はしたけど何せ#4とFeeling your UFOしか通ってきてないのでほとんど知らない曲だった…。知ってる曲は最後にやった傍観のみ。傍観好きだから聴けて嬉しかった。やっぱ良い曲。傍観TKギター軽く投げ捨てて去ってたの尖ってんな〜って思ったけどそういう演出?なのかな?誰も居ないステージから流れるギターフィードバッグで終わるのカッコいい。TKが「今日はお客さんの一人として楽しみに家から来ました」って言ってて可愛いなと思ったし中野さんが「シロップ時雨対バンしてそうで今までなかった、待望の対バンですね!」って言ってて確かにありそうでなかったよなと思った。これ書くと本当失礼かもだけどTKギター上手いな〜って感じたし中野さんのドラム思ってたよりこってりしてなくて良かった(ツーバス踏む系のドラムが苦手なので…)

この日を楽しみに頑張ってきた所があるので無事にこの日を迎えられて良かった。久しぶりに見た五十嵐さんは結構短めの髪型になってて(教えてもらった所、刈り上げてたそうです)あと何かちょっとムチムチしてるような…遠巻きだからこの時は確信なかったけどアンコールTシャツ姿を見た時に確信した。私が見てきた中で一番ムチムチしてた!!笑 まぁ50歳だし健康ならムチムチしてても全然良いのだが、お酒飲み過ぎで…とかじゃないと良いな…とは思う。本当健康第一なので。マキさんがより一層細く見えるよね…。全身黒で統一してるマキさんカッコ良すぎる…。中畑さんはいものツナギ鬼太郎(と私が勝手に呼んでる)の髪型だった。

1曲目から新曲。だろうなとは思ってたけど本当にそうくるとニヤニヤしてしまう笑う 新曲聴けるの嬉しい。ちょっとスローテンポの曲でした。例えるならI Will Cameっぽい感じかな?

2曲目はお台場でもやった「〜の君が好きだった」って歌詞がある曲。この曲は新曲の中でも一番完成度高かった様に感じた。この曲、本当に良い曲なので早く音源化して欲しい!!2回聴いてようやく頭にメロディが定着した。

3曲目も新曲。あまり記憶にない…けど新曲イマイチだったな〜って思う曲は一曲もなかった。本当にどれも聴けて嬉しいって感じれる曲ばっかり。

4曲目から突然既存曲に。五十嵐さんのギターで直ぐにソニックだって分かった(曲の入りが工夫されてて五十嵐さんのファルセットギターから入った)私がシロップライブ行き出してからセットリスト入りしてる曲…笑 定番曲は安心感あるけど最新のアルバムから一曲でも良いから聴きたかったな〜。

5曲目は生活。これ上手く説明出来ないんだけど歌詞の「そして」の部分を異様にはっきり歌ってた気がした笑 はっきりと言うか何かこうそこだけが強調されるような…笑

6曲目はセンチメンタルちょっと声厳しそうだけど大丈夫かな…って心配になったけどその後割と持ち直したので安心した(心の中で頑張れ五十嵐さん…!って思ってたら後ろから小さい声で頑張れ…!って言ってる声が聞こえて皆そう思ってるんだなと感じた笑)センチメンタルっていつ聴いても良い曲。

7曲目は負け犬。何故この対バン負け犬!?と思ったけど負け犬すごく良かった。中畑さんのドラムが格好良い。あと負け犬聴くと未だに武道館での「負け犬だけに」が頭を過る…。あの時感じた空気感忘れられないんだよなぁ(そこまで客席側も固唾をのんで観てる感じだったけどそれで空気が良い意味で緩んだ)

8曲目からまたいきなり新曲笑 でも新曲聴けるの嬉しい!!一回聴いただけじゃ覚えられないスカスカ脳みそなので具体的な感想が言えないのが本当…申し訳ない…。

9曲目がマキさんのベースから入る曲だったと思うんだけどこの曲めちゃくちゃ良かった!!とにかくマキさんのベースが格好良い…!!

10曲目はcoup d'Etat〜空をなくす。中畑さんのドラムがめちゃくちゃ走ってた。まあまあの走り具合いだったので若干ハラハラしたり…。あと、この曲聴くニコニコ密録音源が頭を過る…笑 好きな曲なので聴けたの嬉しい。

11曲目は落堕。この曲、本当に中畑さんのドラムとマキさんのベースが格好良い。特にマキさんのベースが入ってくる所、カッコよすぎて「カッコいい…!!」って声出た笑 五十嵐さんが曲入り間違えたのか「皮膚感覚ぅ!」って言ってしまったのをフゥ!みたいな声で誤魔化してたの笑ってしまった。久々にファンが「寝不足だって言ってんの!」って叫んでるの聞いた。五十嵐さんもそこは歌わずにあけてて何かこう言う関係性良いな〜って思ったし(昔はこれ何なの?とか思ってたけど…笑)途中に入る中畑さんの煽り(手をくいくいってやるやつ)本当いつ見てもカッコいい。私は気付かなかった(と言うかスーパーベーシストキタダさんを見ていた)けどマキさんのベースに合わせて五十嵐さんが踊ってたらしい笑 見とけば良かった笑

アンコール真空アンコール中畑さんとマキさんが先に出てきた後、五十嵐さんが中々出てこなくて中畑さんが「…一人いない!!」って繋いでるの可愛かったしドタドタ感溢れる走り方で出てきた五十嵐さん、すごくムチムチしてた…笑 真空の「ロックンロール!!」聴くシロップライブ来たなって感じる。

MC等覚え書き

五十嵐さーん!って声に「はい!」って反応する五十嵐さん笑「待たせたね」って言う五十嵐さん珍しいなと思ってたら「待ち時間長くて…疲れちゃった」って言うのやめて欲しい…笑 対バンとはそういうものから笑 「短い時間だけど楽しんで」って言ってたなぁ。気合い入りすぎてチューニング狂いまくっててすみません的な事言ってた様な気がしたけど…あまり聞き取れてないから違うかも。

中畑さん「初めて観るって方もいらっしゃると思いますので…syrup16gです。見ての通り若くはないです…笑 まぁ若いって言うのは人それぞれの定義なので…」「こう言うの(対バン)には中々呼ばれないので…出たくないわけじゃないんですよ」って話してる時に五十嵐さんが話に割って入ってきて何か喋ってたけど全然聞き取れなかった…笑

中畑さん「もうちょっと喋っても良いですか?ピエール中野君とアクリルドラムをおソロにしようと思ってアクリルの持ってきたけど中野君のドラムアクリルじゃなかった!話合わせとけば良かったね、アクリルで!って笑」って話してる中畑さん可愛いし「MCしてる感じ出してますけど休憩してます…若くないので」って話してたけど、五十嵐さんの休憩時間だよね。手持ち無沙汰で手を太ももにパチパチさせてる中畑さん可愛かった。

「また新曲を沢山やってしまいました…笑」って言う五十嵐さん。「普段誰とも喋らないから…音楽しかコミュニケーション取れなくて…」「お見苦しい所をお見せしてしまって…あの、友達が居ないってのが悪い訳じゃないですよ」って自分発言自分フォローしてた笑

シーンとした会場に五十嵐さんの「ハァ…ハァ…ゴホッ…!ハァ…ハァ…」って息切れが響き渡ってるの懐かしすぎた。昔もよく静まり返ったライブハウスでこのハァ…ハァ…を聞いたな…笑 しかしながら本当息切れすごいので本当に普段引きこもってるんだろうな…と思わずはいられない…笑 フジロック大丈夫かな…笑

タオルで顔をめちゃくちゃゴシゴシしまくる五十嵐さんに何時まで顔ゴシゴシしてんの!?って心の中で突っ込んだ。めちゃくちゃゴシゴシしてた。いくらふわふわタオルでも肌が荒れそう…。中畑さんがカウントしてるのにまだ顔ゴシゴシしてて笑った。

私の耳が悪いのかもだけど五十嵐さんが喋ってる事ほとんど聞き取れなかった…笑 本当に普段人と話したりしてないんだな…って言う喋り方と言うか…テンパり具合がすごい…。

最後捌ける時に両手でお手振りしてた五十嵐さんと中畑さん可愛かったな。

五十嵐さんが元気そうで良かったし(正直バンド自体のコンディション絶好調って感じではなかったけど)何よりシロップ音楽が目の前で鳴ってる事が嬉しかった。あと既存曲も曲の入り方とか工夫してあってそう言うのもバンドとして良い方向に感じられて嬉しい。新曲どれもすごく良いのでどんな形でも良いか音源にして欲しいよ〜!!ライブしか聴けないの悲しすぎる。

はいシロップが観れるのだろうか…。舞台の上で必死ギター弾いて必死に歌ってる五十嵐さん見るとめちゃくちゃ励まされると言う…笑 しかし、もうちょっとスパンあけずにライブして欲しい…と言う欲望は常にある…。

最後セットリスト

1.新曲

2.新曲

3.新曲

4.Sonic Disorder

5.生活

6.センチメンタル

7.負け犬

8.新曲

9.新曲

10.coup d'Etat〜空をなくす

11.落堕

E.N 真空

サウナ推し活、筋トレ

最近は、時間ができると「サウナ行きたい」と思うことが多くなった。

中年にさしかかった年齢のせいなのかもしれないが、最近世間的にもブームになっているから、きっとみんな、昔より、サウナに行きたがっているということなのだろう。だが「行きたがっている」というのは本当だろうか。みんなただ単に、やることがないだけではないのか。

現代自分を含めたある種の人々には、やるべきこと、欲しいもの価値のある行為が何もない。SNS時代にはすべてが細分化され、相対化されてしまう。映画音楽文学も、たくさんの人がそれを見たり聞いたり読んだりすることで名作になるのではないかしかし、そういうことはもう望むべくもない。あらゆることは、単なる好みの問題しかない。

それが楽しめるなら、幸せだろう。しかし誰も自分の好みだけで生きていけるはずがない。「推す」なんていうのも、すべてが相対化されてしまったあとに何かを信じるために、自分を「推し」に明け渡す、ある意味宗教的自己犠牲のような行為だと思う。

「推す」というのは、自分を信じられない人間が考え出した、自己否定による「好み」の止揚だ。

そして、現代におけるサウナとは「推す」ことの裏面ではないだろうか。

「推す」が、自己否定から他者を経て創造される「生きる意味であるとすれば、「サウナ」は、自己否定自体の緩やかな肯定である

あらゆる価値が相対化され、何も信じられなくなった人間には、本当の意味欲望がない。やりたいことも、欲しいものも、行きたい場所もない。しかし、そのことに向き合ってしまうのはとても危険だ。それ自体フィクションに過ぎないとはいえ「生きる意味」がなくなってしまうからだ。

そこでサウナとは「何もしない」ということであり、サウナに行くとはつまり「どこにも行かない」ことだ。つまり欲望すべきものがないということを、「何もしない」をすることで、無理なく肯定する。「すべきことがないので、何もしたくない」という恐ろしい事実に目を背けつつ、何もしないままで何かしたような安心感が得られる。そういう効果サウナにはあると思う。

自分は縁がないけれど、おそらく筋トレにも近いものがあるだろう。「筋肉は裏切らない」というキャッチコピーがあるが、それは、ほかに確かなものが何もないという絶望しか聞こえない。

信じるに値する価値がないということを、他者を通じた自己犠牲で埋め合わせるのが「推し」、信じないこと自体を信じることによってやりすごすのが「サウナ」、自己をモノとして信じようとするのが「筋トレ」といった感じだろうか。

なんでもいいから何かを信じて生きたいと思っているが、とても難しい。

2024-04-02

anond:20240402012055

既婚者だから変に狙われたり恋愛対象に見られたりしないであろうという安心感があるから気軽に話したり、残業時一緒にご飯行ったりできるというのはある

不倫する気満々の既婚者もいるが……

2024-03-31

anond:20240330141247

うちも似たようなレベル感だが、金融資産1.5億くらいいかないと安心感ないよね

もう一踏ん張りだ

2024-03-26

anond:20240325134852

増田パンティ話題とは珍しいですね。男性がなぜパンティをありがたく思うのか?その仮説を3つほど考えてみました。

エンドコンテンツ

女性が体を許す印でありその通過点であるパンティ

女性といちゃいちゃすると気持ちが良く、その手前の通過点としてのパンティ

パンティイチャイチャパンティイチャイチャという経験を繰り返すうちにパンティの先にあるエンドコンテンツとの条件付けが強化されパンティのものに興奮してしまうというもの

この説は女性のエンドコンテンツ想像もいたらない小学校低学年がパンティ大好きという事実をうまく説明できない。

御簾の向こう説

パンティはあの部分を隠すもの。それでも隠し足りないのでスカート等で更に隠す。

隠れているからこそ気になり気になるからこそ見えたらご褒美感が出てパンティに執着するもの

見てやったぞという攻略感・達成感からパンティに執着してしまうというゲーミフィケーション要素がある。

この説は小学校低学年でもパンティ大好きという事実もよく説明できるし、一部の強者男性が「ただの布」という引いたスタンスを取るのもパンティを見る程度のことにレア感がないからとすれば符合する。

ポケモン

パンティはそれ単体でバリエーション豊富である

まず単体ではこのような観点がある。

パンティ単体のスペック

付属物との組み合わせの観点ではこういった観点がある。一部に特に強い執着を見せる人たちが存在する。

アンダーコンビネーション

パンティオーナーにもこのような観点がある

ボディライン
コーデ

(略・・・ワンピスカートや靴とのコーデ)

本尊

(略・・・お顔、お仕事、お声、お胸、性格女子カースト、など)

ポケモン説の前置きが長くなったため一旦このあたりに留めておくが、パンティ及びその周辺に関して概ねこういったバリエーション存在する。パンティの面積は狭いながらその選択肢や履きこなしは男性スーツに近い楽しみ方があることが分かる。更にこの外に通常衣服としてのワンピスカートや靴のコーデがあり、またお姉さんが強そうなのか甘目なのか、お仕事中のアパレル店員さんなのか有名人に呼ばれたらほいほいアテンドされる港区女子なのかといった人となりの部分も存在する。

ポケモンにハマると能力値や色柄にこだわって収集活動が止まらなくなってしまうように、パンティもさまざまな条件が組み合わせ爆発を起こしており、理想パンティを追求してしまものである

例えばオーダーコールは「白系のサテン生地で縁取りは約5mm間隔のざっくり目で濃色の見せるステッチ。形状はフロント・バックともややゆったり寄りのノーマルでクロッチシームレスフロントリボンは黒の土手はふっくら系マシマシ」あたりとなります

またお越しくださいませー

2024-03-25

宮崎駿次回作

岡田斗司夫はどうもナウシカ映像化(庵野秀明もしくは山崎貴によるもの、あるいはジブリ美術館用の短編)という線を捨てきれないようだが、

宮崎駿の中では漫画ナウシカのお焚き上げはもののけ姫で済ましてしまっているので、もうあまり興味がないのではないかと思う。

しかに本人じゃなく庵野秀明あたりにやらせるのはあるかもしれないけど、どうせ俺のもののけ姫は超えられないけどねという安心感をもって任せるんじゃないかな。

原作に忠実な映像化みたいなのは特に求めなさそう。

anond:20240324163949

おれは逆さね

田舎に住む人間ってのは大抵田舎家業があって、ヤバイ時に帰って農業すっかなぁみたいな事が言える

実際に逃げた人間が出来るのか?みたいな話はどうでもい

家族という枠で、拾ってもらえるという安心感が奴らにはある

実家埼玉サラリーマンだとこうはいかない

仕事ができないやつを馬鹿にする風潮

理解できん

できるやつばかりの集団だと自分ハイパフォーマンスが求められるから精神にしんどくないか

できないやつがいてくれると、サボっててもまだ全然あいつよりマシだっていう安心感が得られる

できないやつのせいで残業増えるとかクレームが来るとかなら嫌なのはわかるが、それはできない奴に仕事をさせる会社が悪い

anond:20240325085959

そういう奴は「自分は一番下ではない」という安心感をみんなに与えて職場心理的安全性を確保してくれてるんやで

2024-03-22

anond:20240321180603

80年代まれおっさんだけれど、恋人同士で送りあう定番なんてものはなかったと思う。

自分で考えて、自分でよいと思うものを送るしかなかった。

さらに上のバブル世代だとブランド装飾品なんかがいい感じのプレゼントだったんだろうか。

あるいは、ブランド装飾品はいつでもいい感じのプレゼントなんだけれど、自分相手もそういうのに興味がなかっただけなのか。

マクドナルドデフレ象徴という印象。

同じく、安かろう悪かろうだったけれど、時々ハッピーセットのおまけがいい感じのだったりしたので、そういうときだけ買ってた。

ユニクロも一段落ちるレベルというイメージだったけれど、品ぞろえ豊富からそれはよかった。

Appleマニア向けブランドみたいな感じだったのがスティーブジョブズが帰ってきて、iMac出したあたりからおしゃれブランド認識され始めたという印象。

携帯音楽プレーヤーなんてiPodよりも安くて軽くて電池の持ちも音質もいいものなんてあの時代普通にあったけれど、すでにステータスだったから買われていたと思う。

OSMacOSからDarwinに変わったところで潮目が変わり始めたというイメージ。単なるおしゃれブランドではなく、ハイセンスな人から技術者まで使える端末になった。

iPhoneを取り扱えるように携帯キャリア間でし烈な争いがあって、Softbankしか当初取り扱ってなかったというのもブランド戦略には寄与したと思う。

中身大して変わらないと思うんだけれど、Androidは格下みたいな感じだったよね。

キャラクタービジネス別にからそう変わらないと思う。むしろ、お高く留まっているものから市中で手に入るものに変わってきていると思う。

キャラクターグッズはかつては専門店しか見かけなかったのが、西松屋しまむら100均とかでも見るので、暴露率はすごく上がったなとは思ってる。

いや、むしろそういうところがコラボ商品しまくりなのかな。

かつての若者ハイソなブランドで身を包むことでステータスを感じていたけれど、

今の若者はどこでも出会えるブランドで身を包んで安心感や快適さを得ているって感じなのかな。

その意味ではマイルドヤンキーって感じなのかもしれない。

経済がしぼんできたということかもしれないし、そこそこの生活でそこそこ楽しく生きられるようになったともいえるかもしれないし。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん