はてなキーワード: 京都精華大学とは
いいよね! 西日本の美術館・博物館! 関西というくくりからは外れちゃうけど、ワイは以下が好き。
琵琶湖の「生活の場」としての人文的側面と古代湖としての自然的側面を両方堪能させてくれる超贅沢な博物館。琵琶湖湖畔で営まれた長い年月にわたる人々の暮らしを堪能したあとに、古代湖という環境で育まれた多種多様な固有種が展示されていて、歴史も生物も好きなワイは大歓喜だった。ビワコオオナマズとかイワトコナマズとかホンモロコとかワタカとかニゴロブナとかの琵琶湖固有種、どれもここで初めて見たし、水槽での遊泳の展示だけじゃなくて固有種を使った郷土料理についての展示もあるのがもう文理融合って感じで素晴らしいのよ。さらにさらに古代湖繋がりで世界各地の古代湖の生き物が展示されていて水族館としても楽しめる最高の施設。マラウィ湖の色とりどりの熱帯魚キレイ~~~~~バイカルアザラシかわいい~~~~~!!1!!! ……あれ? ヴィクトリア湖の展示には1種類の魚しかいないぞ? あっ……(察し)
言うまでもないやつ。1日じゃ足りない。早足で回っても6時間以上かかったんだけどどうなってるんですかね。日本にいながらにしてこれだけの美術品の原寸大レプリカを見ることができるの、最高すぎますわ。おいおい西欧だけじゃなくてウラジーミルの生神女とかの正教文化圏のやつまであるのかよ。世界史の資料集で見たことある名画が勢揃いしすぎていて興奮せずにいられない。しかもレプリカだから傷めないように大事に遠いところで保管されてる本物と違って鼻がくっつきそうな距離でまじまじと見れるというのも良い。西洋美術史を一望できる素晴らしい美術館。ありがとう大塚製薬。
これも言うまでもないやつ。山奥の宗教儀式から現代アフリカの都市生活まで幅広く世界の民族文化が扱われていて最高。ヨーロッパから南米・アフリカまで、はたまた朝鮮・琉球から日本の山村まで、ありとあらゆる地域がカヴァーされていてまったく飽きない。あと途中にある世界の様々な言語で書かれた『はらぺこあおむし』とか、日本各地の方言で読み上げた『桃太郎』とか面白い。
ここほんとすき。四国各地から移設した伝統的な建築物が立ち並んでいて、海沿いの漁村から山奥の秘境まである四国という島の多様性を体感することができるし、そもそもの「日本家屋」自体の地域性を感じられるというか、気候や生業や階級によって家屋の形って違ってくるんだよなぁっていう当たり前かもしれないけど忘れちゃいがちなことを思い出させてくれるというか、いやー、良い博物館です。日本文化について勉強してますっていう海外の学生さんにはぜひここを訪れてほしい。源氏の君や富嶽三十六景とはまた違った日本文化の多様性を目にすることができるので。
銅剣の展示がすごすぎる。圧巻というほかない。荒神谷遺跡しゅごい……他にも、出雲神話についての展示が充実していたり、石見銀山の展示があったりと、神代~中世くらいまでの出雲国の歴史を知る上ではすごく良い。タタラ場体験コーナー良かったです。あとワイが行ったときはちょうど隠岐についての企画展やってて、なかなか知る機会のない隠岐諸島の歴史も勉強することができて大満足だった。明治維新のときに松江藩の郡代を追放して島民が自治政府を結成した(隠岐騒動)とか、もうたまらないよね。わぁい離島の自治政府。あかり離島の自治政府大好き。
日本に古代オリエントの研究拠点を整備したかった某皇族が県立美術館に対抗して市立美術館を持とうとした岡山市に声をかけてできたという由緒のある美術館。古代メソポタミアからペルシャ美術まで、各地域各時代の中近東の美術品が並べられていて目の保養になる。えっペルシャに影響受けた中央アジアの陶器のデザインめっちゃ好きなんですが……
平安文学の世界に入り込める博物館。ここ古文の授業でやったところだ! とか、古文の授業でやったあれってそういうことだったんだ! とか、えっ何それ知らない……みたいなのがいっぱい押し寄せてきて楽しい。あとトイレのマークが平安装束なのオシャレでいいよね……女子トイレが十二単で、男子トイレはどんなんだったっけ? 直衣? 狩衣?
京都精華大学の本気を見た気分。日本が誇るマンガ文化についての圧倒的な展示。『キャンディ・キャンディ』とか、超レアなやつじゃん……オタクなら一度は行っておきたい博物館っすね、はい。
城下町だけあって武家屋敷を模した建物(そして敷地内には実際に家老屋敷が現存している)で大変よい。やっぱ博物館は展示品だけじゃなくて雰囲気も大事っていうか、西洋の博物館が靴のまま上がりこむのが普通なら日本の博物館では靴を脱いで畳の上で展示を見るんだよ! っていうコンセプトを感じられて好もしい。そして中世後期~近世以降の松江の歴史が丁寧に展示されていて、たぶん古代出雲歴史博物館とセットで見てまわることで出雲国の通史がわかる構造になってるんだと思う。面白かったです。
美観地区の高台にある旅館を改装した美術館。和風の町並みの真ん中にある和風建築で浮世絵を見るの、雰囲気があってとてもよいし、展示されてる絵がどれも贅沢。さらにキャプションが完全な日英バイリンガルなので「インバウンド狙ってます」感が強く(なおオープンしたのはコロナ禍の真っ最中だった模様)、実際外人さんにはウケると思うので日本に行く人には紹介してあげたい。ミュージアムショップも充実しててよき。相馬の古内裏Tシャツ買っちった。
小豆島の町中にある古い家屋を改装して美術館にしたやつ。1つの家屋じゃなく、ご近所に点在する複数の家屋が1つの美術館になっているので、順路に沿って巡るイコール小豆島の街歩きになるという、一石二鳥な美術館。実際ワイも順路に沿って見て回ってる最中に美味しそうな和菓子屋さん見つけて名物の大師まんじゅうとか『からかい上手の高木さん』とのコラボお菓子とか買っちゃったもんな……。注意点としては、あくまで「博物館」ではなく「美術館」、つまり妖怪アートを展示しているところであって妖怪の学術的展示をしているわけではないということ。なので現代の作家が考えたオリジナル妖怪とかSDGs妖怪(何だよそれ)とか妖怪コンテストの入賞作とかも展示してあるんだけど、いや現代美術の展示として見るとめっちゃ楽しいなこれ。妖怪に仮託したイマジネーションを楽しむ施設です。上の国芳館と同じくインバウンドの外人さんに強くオススメしたい。あと入館方法がハイテクで良い。
この規模の美術館にしては立地がパーフェクトでは。マジでJRの駅の真横とかにあるぞ。そして外観がまず目を惹きつけられるし中に入ると濃厚な現代美術空間で、日本のあまり広く知られているとはいえない現代美術作家の作品が色々あるし、瀬戸内国際芸術祭で展示された作品なんかもあったりして(そういえば丸亀市の市域にはけっこう離島があるんだよな)、いや自分の知らない文化っていっぱいあるんやなと。夭折した作家や認知症にかかった作家の特別展とかもやってて、作家の人生込みで味わえる美術館になってるなぁ。
小さくてすぐ見終わってしまうけど、竹久夢二の絵に包まれて大正ロマンに浸ることのできるプチ贅沢な美術館でしゅき。ミュージアムショップは夢二グッズが充実していて何を買おうか悩んでしまう。クリアファイルとか普通に普段遣いできるオシャレさだわ。猫のイラストのやつ買っちった。
日本酒の作り方に関する展示がすごい丁寧な上に、酒蔵直営だからミュージアムショップという名の酒屋がめっちゃ充実してて良き。酒が飲める飲めるで~酒が飲めるで~♪ いや本来の意味でのミュージアムショップもいいんだけどね。日本酒グッズがいろいろ置いてあって楽しい。
展示品が1つでも美術館を名乗っていいんだ、っていう勇気をもらえるよね!
小説の世界と現実の世界が渾然一体となった感がすごい幻想ミュージアムとして見るとなかなか面白いよね!
小学生が書いた竹島についての学級新聞とかが飾ってあってドン引k……いやいや、日本の領土を守ろうとする姿勢に好感が持てるし、アンケートに答えると無料で竹島が描かれたエコバッグをもらえるから、松江城とか松江歴史館とかを観光する前にここに立ち寄るとついもらって荷物になっちゃうパンフレットとかを持て余さずに済むから便利だよ! めっちゃオススメ!
千里市じゃないよ吹田市だよ。恥ずかしい。訂正しときました。いや知ってたんですよ? 吹田市だっていうのは知ってたんですよ? でもなぜか書くときに千里市とかいう謎の自治体が出現してしまったんだ……
監事として「小原 正敏 きっかわ法律事務所 代表弁護士」の名前が書かれてるんだけど
調べると、大阪弁護士会会長、日本弁護士連合会の副会長の経歴があり、
https://www.kikkawalaw.com/professionals/p-4497/
こういう弁護士会のトップに居る方が監事を務めているのに、なぜ
「時間外労働の上限規制を建設業界に適用しないよう政府に求めた」
という事案が起きたのだろうか?
弁護士という立場で監事として名を連ねてるなら、何かしら声明を出してほしいんだが。
鳥井 信吾 関西商工会議所連合会 会長・大阪商工会議所 会頭
福本 ともみ サントリーホールディングス株式会社 顧問 CSRアンバサダー
芳野 友子 日本労働組合総連合会 会長
監事
TVアニメ『ウマ娘 プリティーダービー ROAD TO THE TOP』監督の廖程芝は、2018年に公開された中国のアニメサイトのインタビュー ( https://www.gcores.com/articles/102967 ) によれば、大学卒業後に日本にわたり、語学学校、東京デザイナー学院を経てアニメ業界入り。撮影としてキャリアを積み、2018年の『アニマエール!』で撮影監督。2023年の『ウマ娘RTTT』が初監督作品となる。
インタビューによれば東京デザイナー学院では生徒の1/3が中国人だったという。『ウマ娘RTTT』の撮影監督も中華系らしき名前だが中国出身なのだろうか。
TVアニメ『機動戦士ガンダム 水星の魔女』のコンセプトアートを担当する林絢雯は、イギリスの芸術学校を卒業後、2020年に京都精華大学のアニメーションコースを卒業
( https://twitter.com/negita_Ad/status/1652582625301893120 https://www.kyoto-seika.ac.jp/news/2022/0901_4.html )、ゲーム会社を経て現在はフリー。『水星の魔女』ではコンセプトアーティスト、小説版の表紙イラストを手掛ける。
→中国人女性を受け入れ、彼女らに重要な立場を任せる、多様性にあふれた日本のアニメ業界すごい
→俺すごい
オアシスのDon’t look back in angerは爆弾テロ事件を悼む人たちが自発的に歌った経緯があり、決して遺族だけが歌ったわけではない。
京アニ事件だけでなく京都精華大学事件や爆弾テロ事件などを示唆するように描いているわけで、どんな事件であれ理不尽な暴力で命を奪われた被害者を悼む作品であり、それは遺族にしか許されない表現ではないはず。
自分は犯人に対する感情移入は作品として意図してないように感じたな。感情移入して読んだ人もいるのかもしれないけれど。
京都アニメーション放火殺人事件だけを想起するとクリエイターを目指して目が出なかった精神疾患の犯人像を重ねてしまうけど、美術系大学の学生が理不尽に殺された京都精華大学生通り魔殺人事件もおそらく下敷きにしているし、タイトルやコマ中の書き込みで引用を示唆しているオアシスの「Don't Look Back In Anger」はマンチェスター・アリーナに於ける爆発物事件のテロを目の当たりにした人たちに歌われてきたという経緯がある。
これらの事件に共通するのは理不尽な死だ。犯人の思想や動機に共通点はない。つまり犯人像はわりとどうでもよく、ただ訳もわからず被害に遭ったということが重要だったのではないかと読んだ。
理不尽に大切な人やこれから多くの作品を生み出すはずだった才能を失ったときに、残された人は怒り狂うでもなく、嘆いたままでもなく、つらい思いを抱えたまま日常を進む物語だと感じた。
自国である日本の問題に結びつけずに、他国である中国の問題にしか結びつけないことが問題だね、という話をしている。だから、ディストピアを自分の社会と連続性のある概念と捉えるためのディストピア発見実習をしようか、という話をしている訳だ。
学生が「中国の問題にしか結びつけない」かどうかは、学生とやり取りした北村紗衣先生本人しかわかんないことじゃない?いや本人にすらわかんないよね。元増田が書いているように、日本にも関連はあるけど、中国のほうが関連が強いという理由で、(日本については言及せずに)「ディストピア作品って中国みたい」って発言した学生がいる可能性が十分ある。なのに、学生が日本に結び付けなくて問題だって、北村紗衣先生が勝手に誤解してる可能性もありますよ。
「内容が中国より日本に合致するディストピア小説」の話だ、というのは増田が言い出したことで、saebou氏がいっていることとは関係ない。というか、とんちんかん。
そういう関係ないと決めつけて多様性を許さないのがディストピア。作品の内容との類似性より、自国である(他国でない)ことを絶対視しなければならないなんて、そんな決めつけが当然なの?読書は自分なりにできる自由なものだって、早稲田大学や高橋源一郎先生は言ってますよ(後述)。
ディストピア作品の内容が、日本より中国にあてはまってると考えた学生が日本と関連づけないのが問題になるのが、武蔵大学ってことなのかな。
(北村紗衣先生を「saebou氏」って書くの、すごいっすね。)
まず、ニュースピークや二重思考の話をしているから、具体的な例としてオーウェルの『1984年』が想定されているよ。具体的な例を挙げていないという批判は的外れ。
教えてくれてありがとう。ニュースピークによる語彙の制限は金盾、二重思考は社会主義市場経済とすれば、中国に当てはまるディストピア作品だから、学生が中国を挙げることは自然だね。もちろん、日本にも当てはまる事柄がないという意味ではなく、中国の方がわかりやすいという意味で自然だね。具体例があると、学生の考えに一理あることがわかりやすくなるね。
最近出版された「まんがでわかる 1984年」の宣伝では、中国にあてはめたり(支配層が都合のよい形で人々に「何が当たり前か」を刷り込み、疑問に感じる力を奪いながら、感情を「型にはめていく」様を描いた小説『1984年』。コロナ禍を経て、今一度、権力と個人のあり方について考える状況にあるといえます。今回のコロナの感染源・中国のITによる超監視社会は、『1984年』の世界を彷彿とさせます。)、日本のようだ(自粛・正義・幸福追求・相互監視の暴走!世界文学の名作を新解釈!まるで今の日本のようだ!)となってる。「ディストピア文学の読み方が分かってないですね。ディストピア文学は読み手がどこに住んでいようと、「今、我々が住んでいる場所」を描いたものとして読むんですよ。」という北村紗衣先生からすれば、宝島社は文学の読み方がわかってない(中国を思い浮かべた)担当者が宣伝してると断言していますね。
実際、1984年が共産主義国における全体主義の批判であるのは間違いないとしても、1984年がソ連とかの社会主義国とかだけの話で、西側諸国は関係ない、みたいな読み方されても、オーウェルも困ると思うよ。
そんな読み方を誰がしてるの?元増田は日本にもディストピア作品に関連する要素はあると書いてるし、学生は「中国みたい」と言っていても、「西側諸国は関係ない」なんて言ったとはどこにも書いてない。もし言っていたとしたら、それがわかるのは、北村紗衣先生本人だけだよね?
それに、作品を理路整然と解釈した結果、作者の意図と異なることだってあり得るのに、作者が困るから作者の意図通りに読まなければならない、って、武蔵大学はそんな権威主義の学問しか学べないんですか?
早稲田大学だと、「自分だけの読み方を見つけ、人を納得させる。「自由に読むことの楽しさと厳しさ」を学べる」のに。高橋源一郎先生は「個人が読むということは、僕は書くよりもクリエイティブなことだと思っています。そこには「社会」の「声」といったものがまったくない。「こう解釈されているけど、僕は違う」と読むようになることが「何かを読む」ことじゃないかと思うんです。」と話しているのに。
で、誰とも知らない学生がディストピアを日本にあてはめないと先生が愚痴っていても、どの学生にも不利益ないよね。どこがディストピアなんだろ。言葉尻をとられて混ぜっ返しても意味ないよ。
二重思考ができてるね。(支配層が都合のよい形で人々に「何が当たり前か」を刷り込み、疑問に感じる力を奪いながら、感情を「型にはめていく」様を描いた)小説『1984年』を教材にする北村紗衣先生(支配層)が、ディストピア作品は日本に関連付けるのが当たり前だということを刷り込み、中国みたいと思う学生の感じる力を奪うんだから、リアルディストピア。これがノンフィクションってやばみしかない。これが学生の不利益ではないって、二重思考すげえ。
あ、学生が日本と関連付け(られ)なかった理由がわかった。「1984年って、武蔵大学を描いてて、北村紗衣先生がビッグブラザーですね」って、もっとも身近な事柄に関連付けたら、単位もらえないもん。学生さんも二重思考を身につけなきゃですね。
北村紗衣先生のやりたいディストピア発見実習って、松任谷由実さんでおなじみ京都精華大学白井聡先生の単位のために学生に忖度させるパワハラみたいに先生のご機嫌取りになるだけでは。学生さんかわいそう。
良くも悪くも「日本だけが特別」という話は全て眉唾物だと思ったほうがいい
https://togetter.com/li/1444850
関連:日本よ、いい加減オリンピックまでに「ロリコン・ショタコン」をやめないとこの国は全世界から「病的決定」になる!?
https://togetter.com/li/1444490
レイチェル・ソーン氏が人種差別発言を非難されて、それから逃れるために自身を非難してきた人物等をロリコン扱いして、攻撃されていると逆に全く関係の無いオタクまでバッシングをした件把握。
こう言う事なのな。
何にしても攻撃してきた相手をロリコンと差別発言をして、英語垢等で被害者ぶった時点で、自身が逆にオタクに対して差別をしている差別主義者であると認めている様なものだ。
フェミやジェンダー関係ってこの手の他罰的主義な人間本当に多いよね(呆)
また今回の発言は見る限り、漫画家やアニメーター、ゲーマー、オタク等の人種に対して、真正面から喧嘩を売っている代物そのものだし、この様な人間がマンガの教育に関わる事自体、問題があると思う。
何にしても子供の権利はお前らの気に入らないものを潰す為のツールではないし、お気持ちを押し付ける為の道具でもないんだよと言う感想。
ほっんと創作物潰しの為に子供の権利やら児童ポルノやらを悪用するのはもう良い加減にしてほしい。
こいつらのお気持ちのせいで規制ばかり進められ、児童保護予算がつかなかった事実があるからな。
「海外で言ったら逮捕だよ?」‥‥雑。とにかく全ての主張が雑。10代後半、初めての海外留学でカブレ気味の欧米出羽守という感じ。が、現実には京都精華大学マンガ学部教授。京都精華大学マンガ学部って人材難なんですかね。— marion_ko (@marionko_) 2019年12月16日
ほんこれ。
彼の独特な作風は間違いなく評価されるべき才能であると思うのだが、ものすごい不遇。圧倒的に不遇。
地味な作家ならいろいろ打ち切られても当然だと思わなくはないのだが、彼に関しては間違いなく光る何かを持っている。それでいて埋もれている。
まずデビュー作の「少女奇談まこら」という作品があるのだが、これは未だ完結していない。
この作品は原作付きで、原作は平野俊貴(魔法騎士レイアースなどの監督)植竹須美男(アニメ脚本家)の2人。
「ゲゲゲの鬼太郎」をオマージュした妖怪漫画で、妖怪皇の血を引く少女まこらが、お供の妖怪と共に父母を探す旅に出るお話。
2006年にリイド社の月刊少年ファングで連載を開始したのだが、1年後にその雑誌は休刊。
作品自体は好評だったようで、その後、講談社のピテカントロプスというウェブコミック誌で「まこら〜ひひひ怪々伝」に改題して連載再開したのだが、これも08年の終わりあたりに突然の更新終了。無念。
その間に、講談社の別冊少年マガジンで「バニラスパイダー」が連載開始(2009年)。
別冊少年マガジンの創刊号の連載陣としてラインナップされ、そのおどろおどろしい世界観とSF的なストーリーでそこそこ注目された。
原作無しの完全オリジナルの連載は初めてだが、きちんとストーリーも書けることを証明してみせたわけだ。
だが、別マガには他に同じようなおどろおどろしい雰囲気を持った怪物的な作品があった。
こちらの作品は瞬く間に注目され、あっという間に人気作に。
一方バニラスパイダーの方は一部で話題に出るものの特にブレイクはせず、地道に連載を続けていたのだが、結局3巻で打ち切られることになった。
別に「巨人」に何の罪もないのだが、完全に陰に隠れてしまった感がある。
実はこの作品、3巻でものすごくきれいにまとまった傑作なので、最初から3巻の予定だったのでは?という疑問も浮かぶのだが、
序盤に出された伏線が回収できていないことと、3巻での作者のコメントを見る限り「打ち切り」だったのは間違いないと見ていい。
とまあここまでならありきたりな話だが、阿部洋一の不遇はまだ続く。
バニラスパイダー終了後、2010年末に今度はアスキー・メディアワークスの電子コミック誌・電撃コミックジャパンで「血潜り林檎と金魚鉢男」を連載開始。
コミックジャパンという名が付いてる時点で嫌な予感がするのだが(過去に短命に終わった同名の雑誌が2つある)、先に言ってしまおう。これも休刊する。
しかも、こともあろうに阿部洋一はこの雑誌で2つの連載をしていたのだ。
1つは前述の「血潜り~」、そしてもう1つはなんと連載を休止していた「少女奇談まこら」だったのである。
「まこら」連載再開時には大きく「復活」と取り上げられ、それまで発表された話数に加筆修正を加えた「完全版」の刊行、そして最後まで連載するという宣言もあり、ファンを歓喜させた。
そして「血潜り」と並行して連載されることになったのだが、結果は御存知の通り休刊で連載中断である。ひどい。
「血潜り~」は奇抜な設定の漫画で、第15回文化庁メディア芸術祭マンガ部門審査委員会推薦作品に選ばれたりとなかなかの高評価を得ていた。
「まこら」も連載再開後のエピソード「夢華族」が傑作中の傑作で、この作品はもう名作になること間違いなしだな、と勝手に思っていた。
それが休刊で2つ同時に中断である。「まこら」に関してはぬか喜びもいいところである。
休刊時の発表では、打ち切りではなく今後の動向は追ってお知らせするとなっていたが、いつまで経っても発表はされず、ついにはサイトまで消滅してしまった。
1つの連載作品で3つも休刊を経験するなんてなかなか無いことで、よくわからない称号を得たような感じすらある。
その後はまた別マガで2013年に「橙は、半透明に二度寝する」を連載開始したり(2015年中に完結予定、打ち切りかは定かでない。既刊1巻)、
集英社のウルトラジャンプで短期連載の「オニクジョ」を含め読切が複数回掲載され、短編集が発売されたり、
デジタル版に完全移行したコミック・アーススターで「新・血潜り林檎と金魚鉢男」として連載が復活したり(これまた新装版が発売されるようだ)(雑誌が雑誌なだけにまた休刊するんじゃないかとの声もある)
と、なんとか漫画家を続けてこられている。(しかし「まこら」は音沙汰なし)
ネット上でオススメの漫画とか紹介するのが流行ってたりするみたいだが、そこにもほとんど顔を出さない。
「少女奇談まこら」はマジで傑作。「橙は、半透明に二度寝する」もとてつもない怪作。オムニバスなんでとりあえず1話だけでも。(http://www.shonenmagazine.com/bmaga/daidaiha)
というわけで、皆さん是非読んでみてね。(わざわざ言わなくてもいいと思うけど、本人じゃないよ)
(追記)
ブコメに「総合マンガ誌キッチュの話はしないのかい?」とありましたが、はい。
「キッチュ」は同人誌に近いマンガ誌で、編集長が阿部洋一氏と同じく京都精華大学マンガ学科ストーリーマンガコースの一期生であるという繋がりからか、作品がよく掲載されています。
このたびはわたしの個展にお越しいただきましてありがとうございます。お忙しい中すみませんね本当。みんな忙しいよね? 授業とか就職活動とか美術展とかそういうの。この上さらにバイトやってる人はすごいと思うよ実際。うんうん。
で、個展やるからには作品解説!あと、私友達が本当にぜんぜんいないので、自己紹介を兼ねてなんか文章でも書こうかなと思います。暇だったら読んでみてください。
そういうわけで私の作品って何なんだろうって考えてみたんですけど、何なんでしょうね本当。テーマとか意味とか必然性とかないですよそういうの。楽しければいいじゃん。私が。というまあご覧のとおりのゴミ野郎です。排泄物です。カスです。オヴィリヨンダストです。そんなゴミ野郎がなぜ個展なんて開きやがったのかとお思いになるかと思いますが、要するに露出趣味です。私を見て!というやつです。こういういわゆる非コミュ・非モテ属性の人間というのは、人一倍自分を見てほしいと思うものなのです。でも傷つくのがいやだから直接見てください、どう思いますかって聞けないんです。
えーと私の作品ってだからアートじゃないと思うしむしろ「作品」ですらないんじゃないのかっていうのはありましたね去年くらいから。誰にも何も問うてないし社会?時代?なんですかそれはという感じなんですよね。どうにか意味づけをしようとしても無理でした。まさにゴミ野郎。でもそんなゴミカスでも一応人間だからいろいろと思ったり考えたりするんです。最近やっと東さんの本読みました。僕エロゲ大好き!YU-NOってマジ最高じゃね?って言ってるあの本ね。んなことブログにでも書いてろよ!!!!!!!たちまちはてなブックマークでホッテントリになれますよ。てめーなんか狭い村社会でせいぜいはしゃいでろよ。というような感想を抱きました。肝心の内容は理解できたようなできてないような感じです。ここ一年くらいで特に印象に残った本は「戦闘美少女の精神分析」(全部読んでないけど)「電波男」「1000の小説とバックベアード」の三つでしょうか。とまあこういう風に印象に残った本とかにかなり影響は受けてるつもりですが、どこがどう印象を受けているのかと聞かれるとさっぱりわかりませんのでやはり私の作品は「作品」たりえないのだろうしそもそもアート(笑)に思い入れなんぞないのです。私はアニメとか漫画とかが好きなんです。好きな小説家は舞城王太郎と江戸川乱歩と佐藤友哉です。じゃあなんで芸術学科に入ったの?って聞かれたけど、絵を描くのは好きなんです。いやーほんとまじめにアート勉強したいって方からすると邪魔でしょうがない人種だとは思います。なんで京都精華大学を受験しなかったんでしょうかね。富野とか竹宮先生とかいるのに。いや、高校生のときは今ほどオタk……漫画やアニメに熱心ではなかったので、ちょっとまじめに絵をやりたいかなーと思っていたんです。でも所詮「かなー」程度で大学受験してんじゃねえよって感じですよね。ハイハイすみませんね私みたいなやつが存在してて!!!!!!!!!!中学生のときギャル入った子が前の席にいてその子に「どうしたの?暗いよ?」と聞かれて「いやもともと暗いから」と答えたらあやうくシメられかけたことがあります。ほんとこれだからリア充はいやだよ。例えば教室で私が一人で座ってて後ろにギャル数人がいるとしますね。で、後ろでギャルとかが笑うたびに「私、笑われてるんだ……」と思うわけです。そうです、被害妄想です。わかってます。でもそう思ってしまうんです。私という人間の根本的な問題ってそういうところにあるんじゃないかなと思っています。こういう思考回路が理解できない、という方のために説明すると、こういう人は社会に一定数います。さっきの中学時代の話も「どうしたの?暗いよ?」のあとに(笑)がついているような気がしてならなかったんですよね。というかそうじゃなくても超普通にしてんのにそんなこと言われたら誰だっていやな気分になるだろ……でも一応心配してくれたわけだから、やっぱり「ありがとう、でも大丈夫」とか言っとけば良かったんだよね。普通にしてて暗いって言われるとかどんだけ根暗なんだよって話ですよね。友達にも真顔が怖いといわれたり話しかけづらいと言われたり、普通にしてるのに……と思います。でも友達にすらそう言ってもらえないよりはまだマシだし、一応友達と呼べる人たちはいるので(でもすんげー少ない)幸せなほうなのだと思います。
あと私が自分のことを最低だなと思うのは、誰かのために怒ったり泣いたり喜んだりできないという点です。舞城王太郎の「好き好き大好き超愛してる。」で登場人物が「メタ化された友人関係」について言及するシーンがありますが、私のそういう他人に共感するというプロセスがまさにそういった感じで「ここはこうするべきなんだろうな」というのはわかるんですが感情としてついてこないんですよね。これは本当に最悪だと思います。友達とか家族とか私のために何かしてくれたりするのに、私は本質的な意味で何も返せないんです。こういったことを書くと今後の友人関係が気まずくなりそうな気もしますけど。
とまあそんな感じで私個人の抱える問題というのをとりあえず書いてみました。こういうのも絵に少なからず反映されていると思います。というか、私がそういう人間だからこそ、文章や絵の中ではとても饒舌になれているのだろう、と思います。だからつまり、私が要するに根暗な人間でなかったら、絵を描くのも文章を書くのも苦手だったのではないかなと思うわけです。私の描く絵は、自分の気持ちのなかでかなり過激な部分が反映されてるような気がしています。言葉に出来ない分、がーっといけるのかもしれません。
というわけでここまで読んでくれた皆さんありがとうございました。これからも最下層なりに真剣に生きていけたらいいなと思います。