はてなキーワード: クリアとは
・ゲーム初心者(25になって初めて家庭用ゲーム機と言うものを買った。マリカをやると逆走するくらいのレベル感)
・いままでクリアしたゲームはゼルダBOWとピクミン3と深世海、在宅なので運動用にリングフィットもやってる
・特にゼルダはオープンワールドでいろんなとこに行けるのと、馬に乗って旅できるのが楽しかった
・多分マップ広げていくところとか探索していくのが好き。
長いこと親友だった子と距離を置くようになった。その子と喧嘩したとかではなく、言動に違和感を感じるようになったというか。
私も彼女もそんなに社交的な方ではなく、趣味が絡めば外に出るが、そうでなければ家にこもりがちだ。友達も多くない。
彼女の言動に違和感を感じるようになったといっても大したことではない。きちんと整理して書けるか分からないけど、モヤモヤして仕方ないので書いてみようと思う。
これまで彼女はしきりに「一人は寂しい」「出会いがほしい」「理解者がほしい」「どんな人でもいい、安心できる人なら」と言うので、それならばと私の知り合いや私の夫の友達を紹介してきたのだけど、自分よりも賢くないと無理と言う(単に大卒じゃなく誰が聞いてもわかるような良い学校を出ていないとダメとのこと)ので、話がまとまることがなかった。全然「どんな人でもいい」ではない。
紹介できる人も尽きたので、アプリなどを使って出会えばよいのでは?と提案すると「でも......ちょっとねぇ」「怖いじゃない、アプリなんて」「婚活がしたいわけじゃない」と尻込みをする。私はアプリを使って出会ったことがないので、マッチングアプリのどの辺りが怖いのかが分からないまま勧めたことは悪かったと反省したのだけど、恋人や結婚相手をアプリで見つけることは、このご時世そんな特別怖がることでもないんじゃないか?やたら広告を見かけるし、もうみんな当たり前に人と出会うための手段として使用しているものだろうと思っていた。というか、コロナ禍で気軽に出かけられない状態でどうやって人と出会うかといったら、アプリを利用するくらいしか思いつかない。
私も彼女ももう40代なので、彼女のお眼鏡にかなうような良い男性が独身のままでいるとは思えず、付き合う付き合わないの前に、条件を並べて「これらをクリアしなきゃダメだよね」というのは流石に無理があるような気がする。
どこかで妥協しなきゃというか......妥協という言い方がダメなら、他人に条件をつけるのなら、逆に自分がかなり磨き上げられていないと相手に求められないんじゃないかと思う。彼女は仕事で体を壊して、ここ3年くらい働いていない。果たして、現在進行形で無職の人はパートナーを見つけられるのだろうか。また、働いていないから昼夜逆転の生活を送っているそうなので、いよいよ人と出会うのは難しいような気がする。
で、私が彼女と距離を置こうかなと思ったきっかけがなんなのかというと、結局、
私「アプリとかどうかな。それか、インターネットで趣味の会合みたいなの見つけるとか。外に出ないと難しいんじゃないかな」
彼女「うーん......でも......ちょっとねぇ......」
というやりとりを、ここ数年もう何万回もやってる、ってところ。何の進歩も無さ過ぎて、面倒くさくなってしまった。歳をとると同じようなことしか言わなくなるのかもしれない。共通の趣味など他の話をしようとしても、結局パートナー不在の話に持っていかれるのだ。自分からは何の行動もしないのに、ずっと同じことばかり言っている彼女。
流石にもうだいぶしんどい。
そんな訳で、こちらからはもう連絡しなくなっていたのだけど、昨日久しぶりに『コロナで気軽に外に出られないから困っている。あなたは家族がいるから話し相手がいていいわね。ワクチン打った方がいいかしら?こういう時、パートナーがいればいいなって思うんだけど、どうしたらいいと思う?』と連絡がきた。
「俺ファイアーエムブレム全部やってるファイアーエムブレムオタクだよ」って言ってる人が全部初級しかやってないとしたら「こいつ浅いな。ファイアーエムブレムを1割も理解してないエアプか」って思うものだろうか?
・一度に全部を片付けるのは難しいので、今週は机周り、来週は本棚、再来週はクローゼット…と徐々に手を付ける。
・片付ける際は、①要らないもの、②要るもの、③即断できないものにまず分ける。
・①要らないものから処理する。具体的には、捨てる、誰かにあげる、売るなどする。
・②要るものは使用頻度で整頓する。よく使う物ほど手近に置く。あまり使わないものほど奥地に仕舞う。
・③即断できないものは、今まで三年間使う機会があったか?これから三年間で使う機会があるか?と自問する。両方、あるいは片方でも当てはあるものは要らないものに分類して良い可能性が高い。処分したところで困ることはほぼない。処分して万一必要になったらまた買い直せばいい。
・要るものの中で、「思い出の品」枠は別枠にしたほうが良い。卒業アルバム、記念の品、その他思い出の詰まった何か。こういったものについては大型のクリアボックスなどを思い出ボックスとして一つ用意し、それに詰まる分だけを保管する。それ以外は写真を撮るなどして思い切って捨てる。
タイトルがすべてなんだけど、『スマホの影響?映画に集中できない人続出「スマホOK映画館」待望論も』というNEWSポストセブンの記事とネットの反応について思ったこと。
俺は映画館(上映中)でスマホ使う観客については光害の観点からわりと不快感を覚える側の人間だ。しかし俺自身はスマホを使いたくなる局面がしばしばある。もちろんスマホは触らないぞ。
でもそれは映画館の内規に反するからしないというだけ。スマホを禁ずる内規が無かったとしても迷惑に感じる人がいるということは容易に想像できるから、やはり使わないと思う。
決して映画鑑賞における「お作法」とか美意識のようなものに基づいてスマホを使わないことにしているわけではない。
だからスマホを使うことを認める上映回を待望する声が存在することについては違和感は持たなかった。そりゃそういう奴は少なからず居るだろう、考えてもみろ。
会社組織においてさえ一対一の会話中にスマホをいじる人間は今では珍しくない。最近では東京オリンピックの開会式でも選手がスマホをいじってる光景が見られたはずよ。
野球場ではどうか?試合中に外野席でスマホをいじってる観客は当たり前のように見かける事だろう。みんなスマホが手放せないのだ。
ところが思った以上にスマホOK映画館を許せないという趣旨のコメントが見受けられたのよね。それも自分の中の強固な映画鑑賞像に基づいてるものが大半だと思う。
いや、君がそういう映画館に行かなければ良いだけの話だし需要が小さければサービスはすぐに廃れるだけなのだから何も文句をつけるような話ではないと思うんだけど、それにも関わらず文句を言うってことは「映画鑑賞とはこういうものだ」という勝手な美意識を振りかざしているだけの話でしかないよ。
スマホ禁止なのを廃止して全部スマホOKにしろという話ではなく、スマホOKの上映の場も作ってくれという話なのだから。盗撮という著作権上の懸念(これはわかる)はあるけど、ここがクリアできるならそういうサービスがあっても良いと俺は思う。
確かに上映中にスマホは野暮だという言い草はわからんでもない。こういう「野暮な光景」は昔からあった。
キャンプ場にゲーム&ウォッチやゲームボーイを持ち込む子供に批判的な大人は多かったはず。でも今、NintendoSwitchをキャンプ場や海水浴場に持ちこんで遊んでいる子供に「喝!」と言うおっさんが居たら、反発する奴もまた多いんじゃないか?俺は映画館も同じことだと思うぞ。
かつて映画館では喫煙することが当たり前だったらしい。これは俺の想像なのだが70年代に「禁煙の映画館も欲しい」なんて声が出たら今回と同じように「映画館に来るな!」と言われた時代なんじゃないだろうか。
でも現代の映画館における喫煙のガイドラインはご承知の通りである。時代によって映画鑑賞のあり方は変わってきたはずだし、変わっていくのだろう。
「すみ分けたい」という声にまで文句を言うのはいささか身勝手だ。嫌なら選択しない自由がある。誰も行かなきゃ廃止されるだけなんだから。
かつて「家族間のコミュニケーションが損なわれる」という理由でテレビを持ち込まない家庭があったことについてどう思うだろう?あるいは、デートの最中で双方がスマホをいじる光景を見てどう思うだろう?
俺は、どちらについても違和感を覚えないが、これに異を唱えるのはおっさんだと思ってる。そんなことに文句垂れるのは常々おっさんのやることだと思ってきた。こういう話なら理解できる若い奴は多いんじゃないか?スマホOK映画館なるものを待望する声に対して似たような了見で異議を唱える人は、アレになりつつあるぞ。あれになったらおしまいだ。そんだけ
子供は家族でなく社会で育てる(例えば、何才までは地域の集団保育施設で育ててもらえる)という規範がもっと定着すれば、こんなもめ事にならないのに。少子化だってクリアできるのに。
日本全国からアーティスト関係者客があの規模で集まっているわけだから、客数を減らしてるとはいえ隠れ陽性者による感染が発生しないわけがないのは前提として、
フジロックを叩いてる人は自分の加害性をどのくらい意識しているのだろうか。それとも自分は潔癖だと信じているのだろうか。
「フジロック行くやつらは地獄に落ちろ」なんてエントリとか、「フジロックに行くやつらは人殺し」というツイートを見かけたけど、
例えば、そういう人たちって自動車に乗らないのかな?
流通だったり救急車だったり、現代社会にとって限りなく必要である場合もあるけど、個人である自分たちは車に乗って仕事に向かったり不要不急の買い物や旅行に使ったりしているのがほとんどではないだろうか。
自動車ってハンドルやアクセル捌きを少しでもミスったら他人を一瞬で殺せる機械だけど、みんな当たり前の顔をして乗っている。
もちろんそんなことがないように免許というシステムがあるし、事故を起こした場合は刑事罰が課せられるわけだけど、殺された人が帰ってくるわけではない。
テレビをつけると、東京に住んでいるはずの芸人が当たり前のように地方の朝の生放送の番組に出ている。
しかも、彼らの仕事は密室でマスクせずに喋ることだ。ロケ行く時は効果あるかわかんないマウスカバーしてるし。
もちろんPCR検査を日常的にしているのは分かっているけど、コロナを地方に広める可能性は否定できない。
仕事で出張によく行く人とかも同様。リモート会議で済む場合もあるだろうけど、わざわざコロナ禍で感染する/させるリスクを冒して出張する理由を説明できる人はいるのだろうか。また、満員電車に乗っている人たちはいいのか。
俺の職場ではリモート会議だとマスク外して喋ってる人たくさんいて末端の自分は恐怖。
百貨店とかスーパーに行けばマスクつけているけど店員がベラベラと喋りかけてくるし、レストランでは酒がなくても複数人で会食している人はザラにいる。
アーティストのお前はオリンピックに反対していたくせにフジロックに出るのか!ダブルスタンダードだろ!という意見もよくわかる。
でも実際オリンピックのどこに反対していたかは人によって違うので、ひとくくりにできない。
オリンピックに反対だけど選手は応援してる人もいれば、選手は辞退すべきだと主張をする人もいる。反対の理由も賄賂疑惑や感染問題などそれぞれだ。
オリンピックとフジロックの違いも無視すべきではない。オリンピックの運営の多くは税金(とスポンサー等)を使用しているがフジロックは基本的にはチケット代(とスポンサー等)で賄われている。オリンピックでは世界中からたくさんの選手と関係者が来るが、フジロックの人流は基本的に日本国内に限られている。
公費か公費ではないか。また、規模の違いを考える必要はあるだろう。
実際、ラムダ株に感染したオリンピック関係者が来日していたことが大きな問題になっている。
実際フジロック関係者がどのくらいの補償をもらっているかは分からないが、おそらく「フジロックを開催しなければいけない」切実な理由が存在しているのだと思う。
https://www.festival-life.com/85475
上の記事にあるようにフジロックの場合の関係者とは運営側だけではなく、開催する湯沢町の宿泊施設なども含まれる。
そうなると「湯沢町の人が困ってる・フジロック関係者が困っているから、感染拡大必至のフジロックを開催していいと思っているのか!」という話になるかと思うけど、
最初に言った通り、その加害性の線引きをどこに持っていくかという話になる。現代では会社がお金を稼ぐためだったり、一個人が個人的な理由で車に乗っているわけだよ。
「自治体がOKしてるから問題ない」なのか、「できる限りの感染症対策をしているから問題ない」なのか、「ルールを厳罰化しているから問題ない」なのか、「危険でも社会にとって有益であれば問題ない」なのか、とかね。
「音楽」とか「娯楽」だから、とか「オリンピックやGo Toキャンペーンを叩いてたダブスタ野郎」だから安易に叩いていいみたいな風潮をものすごく感じる。
@lr_ishy
「フジロックに出演するか辞退するかアーティストに悩ませてる政府が悪い」みたいなツイート見たけど、いくらなんでも責任転嫁しすぎじゃないか?旅行行くかどうか、自分で決めてるよ?私たち。
https://twitter.com/lr_ishy/status/1428688588691017741
こんなツイートに1700件以上もいいね!がついている。客はともかく出演者にとってフジロックは「仕事」である。旅行に行って金もらえるかよ。
じゃあフジロックが開催されないためにはどうすればいいのか?
つまるところ「金がない」に尽きるのだと思う。彼らも自分たちの仕事や生活を守るためにフジロックを開催するしかない。そうなると帰結する場所は政府の補償とかの対応への不満になってしまうのではないだろうか。
無観客開催でいいだろという意見もよく見るけど、町への還元がない、、
@YuSuganami
コロナ禍の文化芸術への支援策は公演を企画することでの助成金です。中止や延期の可能性があれどイベントを企画するのは当然です。国が推奨しています。
そしてトリクルダウン方式なのでアーティストやスタッフは公演が立たなければ助成を得られません。
https://twitter.com/YuSuganami/status/1428654102695710722
実際フジロックの関係者がこの1年以上どのような支援や補償を国から受けて生活していて、今回の開催にあたってどのような支援を受けているかはわからないが、考え抜いた末の当事者の結論が「人数減らしての有観客・酒禁止・国内アーティスト限定・アーティストPCR検査必須・客への抗原検査の無料配布等での開催」だ。
その条件を国も地方自治体も承諾した結果が、この3日間なのだと思う。
感染者の管理のためにアプリを開発までしているそうだが、実際追えきれない部分もあると思う。香川のMONSTER BaSHというイベントは参加者の感染状況を追うことを地方自治体から要請され、善処したが、より強い要請が県から出たために中止となった。フェス中止への自治体への補償はないとのこと。
少し前に話題になったロックインジャパンは医師会とのコミュニケーションが取れていなかったことを問題視されたが、おそらくフジロックはその辺りをクリアしていると思われる。ガイドライン等をクリアしないと開催できるわけない。
自分の意見としては「感染状況を鑑みてフジロックは開催すべきではないと思うが、関係者が可能な限りの感染対策を行い、国と地方自治体が許可しており、なおかつコロナ禍で音楽業界の受けた損害や、中止になった場合の補償がないのであれば、開催も仕方がない」という認識。
車に乗ったり、ウレタンマスクつけて満員電車に乗っている人殺し候補のあなたにフジロックを叩く権利がない、と言いたいのではないし、不織布マスクつけて買い物はネットスーパー、リモートワークで1週間に1度の散歩しか家を出ないという人だけ叩いてもいいよと言うのでもない。
自分の考えや加害性を丁寧に問うて、批判すべき対象に適切な批判をすべきだと言う話です。
フジロックの感染症対策に問題があるならそこを叩けばいいし、出演者の発言に問題があるならそこを、開催せざるを得ないまでに追い込まれた補償の対象や条件に問題があるなら国を。開催の承諾に不満があるなら自治体や医師会を。
フジロックに問題がないわけがない。叩けば良いのである。でも、「人殺し」なんて、あまりにも雑で暴力的な批判だ。自分の加害性を棚に置いていないだろうか。
いずれにせよ、フジロックに限らず、コロナ禍にある今の私たちの状況は(仮に神の視点から世界を俯瞰して、日本政府が最良の選択をしていたとしても)政府が必ず関与しているのは断言できる。良いことも悪いことも、フジロック開催できるのもフジロック関係者への補償が少ないことも、問題は大小はあれど政府のせいなんだよ。
行動というものの多くは誰に不利益を与える可能性があり、それでも行いたい理由を、自分も批判する人もフジロック関係者も含め全ての人が想像力を持って意識すべきだと思う。
コロナとの戦いが非常時つまり戦争であると言われて久しい。戦時中も日本人の大半の日常生活はこんな感じで正常バイアスから逃れられない憂鬱で平坦な日々だったのかなーと考える
一部の人にしか緊張感はなく、戦いの現場はテレビ越しに映るけれども放送倫理規定に抵触することなくモザイクを掛けて届けられる。意識の高い人達は戦意高揚のアジテーションをSNSとう媒体で行い反対派を論破していく。一見そちらが主流に見えるけれども職場の隣の席や商店街の店員・客など日常的に出会う人々の戦意はそれほど高くない。
年齢層の違う人達が次々と戦場に送り込まれ死亡するが家族に該当者はいない。ごく身近な戦場に送り込まれた負傷者たちも後遺症なく帰ってきて、戦場を喜々として語る。隣の隣の隣の部署で大事が起こったという噂も聞くがテレビの有名人の死亡よりも興味は薄い。
一部の施設は封鎖されるが、職が違う人達にとっては日常生活に困るほどではなくいくつかの娯楽が失われた程度。国を上げてサーカスが開催され我が国が優秀であることが証明されて気分が紛れる。株価は上がり続け景気は回復していると報道される。
マスクやワクチンなどの品不足に一喜一憂し行列ができるがすぐに供給が安定し安堵して忘れる。危機のニュースと行列によるストレス、そこからの解放はクリア可能なゲームイベントのようにワクワクさせる。
リモートワークなどこれまでなかった未来的な手段が入り込み嬉々として飛びつくも、思ったほど新しい生活様式で効果を挙げられず企業は社員の出社を促し、我々はいつ罹患するともわからない満員電車で「命の危険を冒して(笑)」で憂鬱に通勤する。
正確に言うと大学に入る前であるが。自分は大学の「学部」で大学を選んだし、勉強のモチベに繋がったしそれは良かったと思う。
ただ元々将来芸術系に進みたいと思っていたのに、勝手に一般大学の方が良いという固定概念があった。
「芸大何て就職先が無い、1年じゃ目指せない」よく言われるが大嘘である。芸術系の職に就く際に「芸大卒」はそれだけで就職し採用されるほど重要な肩書き。
芸大卒で一般職に行く事は出来るが、逆は非常に難しい。「やりたいこと」かつ「つぶしが効く事」で大学を選ぶのが大事。ここでズレてしまってニートになってしまった。
●やってよかったこと
「人生において若いうちにクリアすべきものは遊びとセックス」なんて言葉があるが、大学生活においてクリアすべきものは飲み会とサークルである、と思う。
多分飲み会は入学して3か月くらいで飽きるけれど、将来道端で酔いつぶれてる大学生を見て「あんな時代あったなぁ、正直友達数人としっぽり飲むのがいいわ」と見つめるのと、嫉妬で見つめるのはストレスが違う。
サークルに関しては異性が沢山居るところに入った方が良い。これも正直「異性なんて大したことないんだな」と思えて将来の心持が大きく変わる。
正直大学の勉強なんて単位すら落とさなきゃよくて(理系以外)サークル活動に打ち込んで色々体験をした方が、就職やおじさんおばさんと話す時に有利になる。
大学の勉強は「本格的な勉強のやりかた」つまり論文を読んだり、論文があるサイトをいくつか頭に入れたり、レポートを書いたりする事を学ぶつもりで良い。
サークル活動とはつまり人間関係のやり方である。サークルで知り合った人間関係は、後々の人生に大きく響く。ここで知り合って仕事を紹介してもらったり、依頼されたり、苦しい時は助けてくれる友達が出来た。
●やらなくてよかったこと
・将来に繋がらないバイト
バイトをやったが、バイトでの人間関係はあまり役に立たない(事が多い)。いろんな人が居るという事は、底辺から上辺まで居るという事で、大体の大学生が入れるバイトは底辺が多い。
真実として同じ年代の人はサークルの人間関係とバイトの人間関係はサークルの方を優先するし、「二番目の人間関係」に甘んじる事になるし、立場が低いし給料も低い。
ただサークルに入るのに失敗した人は、バイトに打ち込んで人間関係を学んだほうが良い。
●やるべきだった事
・個人事業主として働く事
バイトをやらない一番のデメリットは、周囲に叩かれる事。実家住みや親に家賃払ってもらってる人が何故かマウントを取ってくる。
そういう場合に一番いいのは、個人事業主として働く、つまりランサーズとかに登録して個人として案件を受ける事である。ぶっちゃけて言うとバイトより立場も給料も低く買いたたかれるが、
将来ライターやイラストレーターや諸々、「場所や時間に縛られない副業」を将来する場合に、「実務経験」と「経験年数」は選ぶ側にとって強い指標になる。
大学生は忙しい時間も多いが、同時に暇な時間も多い。こういった「将来につながる副業」をすることで、将来仕事を変える際の「心理的な負担」が大きく減る。
・女遊び
「人生において若いうちにクリアすべきものは遊びとセックス」とは言うが、遊びがサークルやバイトだとするなら、セックス、つまるところ大学生のうちに「異性をリードする経験」を積んどく必要がある。コンプレックス云々出なく、結婚を見据えた計画のうちの女遊びである。風俗遊びとかそういう事じゃない。
女性の場合は待ってれば男は来るが、男の場合ある程度経験を積まないと異性は捕まえられないし、結婚なんてその先である。
大学卒業後に初めて女性と付き合ったが、その時絶望した。女性と付き合うにはかなり技術が居るし、その技術の習得はかなり時間がかかるという事だ。「可愛くて性格良い」子は大体22歳までには絶滅する。
とにかく「セックスまでありつく技術」を18歳くらいから磨く事。「自分は童貞のまま、可愛くて性格の良い子を見つけて結婚するんだ」なんて幻想は高校生までに捨てる事。
逆に女は「異性を『リード』する経験」か、若しくは「婚約相手」を見つける方が良い。ヤリサーで男と乱れたり、間違ってもクラブでナンパされたり、マッチングアプリでイケメンと遊んだりしない事。ホストやキャバ嬢を飼わない事。飼われてるのはお前な。
「リード」されてしまうと、人間関係を維持する技術が逆に衰える。
周りを見ると、「異性にリードされる経験」を積んでしまった男女は、後々男女関係に「詰んで」しまう。例えばガールズバーで働いてしまうとか、パパ活をやってしまうとか。年上女のヒモになるとか。彼・彼女らがやってるのは「不幸になる技術」出会って幸せになる技術じゃない。
人間関係で「主導権を握る技術」を鍛える事。「主導権を握られる技術」なんて無いからマジにするな。「他人から」ブスと言われるなら整形して主導権握れるようになれ。
「大卒」より重要な肩書、「まともな大企業の入社経験」である。どんな企業も3年居ろ、と言うのは嘘だ。名前の売れてない企業に3年居ても意味はない。「フリーランス3年やってました」の方がウケがいい。そういう世界だ。
年5000円だから月に4本でも1本100円の計算だし、最新作も3年遅れとかで入ってくる。
見逃したなら戻せばいいし、聞き取りづらいなら字幕出せばいい。
音や映像もなんだかんだクリアだから田舎のメンテもしてなそうな映画館で見るぐらいなら家で見たほうがどっちも上まであるね。
周りに人がいないから退屈パートはスマホやネット巡回しながら見れるし、飽きてきたら一時中断もオッケー。
観てる最中にスマホがなっても安心だし、見に行くまでの時間もクリック5回ぐらいだから家の隣の映画館に行くよりも早いレベル。
余計なCMも入ってこねーし、お前映画泥棒する気だっただろって難癖つけられることもない。
なんなら上映前にカレー煮込み始めて15分ぐらいしたら一度止めてカレー食べるとかまで出来ちゃう。
圧倒的だよね~~。
不便な思いして一本1000円かけて、鑑賞者ガチャによっては目の前の巨人だとかキッズだとかに台無しにされるリスクありの映画館って本当時代遅れよ。
マジで最強っすわ。
つうか最新作が来るペースが最近加速し過ぎよね。
ロマサガシリーズでは戦闘回数を重ねるごとに雑魚的も強くなっていく
従って詰まったら戦闘を繰り返してレベルを上げるという単純な戦略が通じない場合が多い
レベルを上げようとして戦闘を繰り返すと敵が自分のパーティーを超える速度で強くなって対処できなくなるからだ
強敵にぶつかるまでに如何に強い技や装備を揃えるか、作戦を完成させておくかが大事だ
クリアまでに効率良くパーティを強化する戦略を考える必要があるのだ
初めてプレイした小学生の時はそこまで考えることができないので、
慣れてくるとそれが面白い
気づいたら全部スキップするようになってた。
飛ばせないタイプのムービーが来たらトイレ行ったり家事したり遠くを見て目を休めてる。
QTEが入るゲームだったら画面ウッスラ見ながらスマホ弄ってる。
移動や戦闘中にキャラが喋るタイプのゲームだったら話は大体わかる。
クエストの説明文だけは読むようにしてるので大まかな流れは知ってるけどオチでどんでん返しがあってそれがムービーパートだと完全に理解せずに終わる。
同じゲームの話をしてても「あのキャラのあのイベントいいよね」って言われても俺は飛ばしてるから知らない。
なんだろう。
相手と同じところにいようとしないよって示してることだよね〜〜〜
価値観同じ人で集まることができても結局、同じところにいるわけじゃなくてそれぞれ一人でいようと思ってるし、困っても手を差し伸べられんわね。
まあそれで自力で乗り越えようとするのもええけど、それでまた都合のいいこと言ってると身動きとれなくなってくわ、乗り越えられる土俵は否応なく小さくなっていくんだから。
でも金があって一人でいられたら一人相撲にも気づかずにいられるもんね。
でも小さい土俵で一人相撲とりながら自分に都合のいいこと言うだけの人を、医療福祉のスタッフが一人で何人も看ながら走り回らなあかんのめまいがするわよ。
ここは拝金主義の悪さですわね。
まあそういう祖父母や親類を持つだけでも私は嫌だな。
そうしてお前は不必要だ遺産だけ必要だってなるから拝金主義は終わんないわね。
高齢の人が政治しがちなのになんで拝金主義に歯止めかからないんだろうってたまに思ってる。
切ない。
その人自体は不必要なのにその人絶対自分が必要とされてるって勘違いしちゃうじゃん。
いや金は要るけども、金で買えるものしか欲しがれないふうにもなりたくないなあ。
負け惜しみなのかなあ。
金の問題クリアして都合のいいことだけ言ってられたなら、ストレスレスな一人相撲で幸せに一生終えられるんだろうな。
実際そういうふうに生きてそうな人はよくいるし。
全能感ってなんなんだろ。
だって土台全能は無理じゃん。
土台一人きりの発想じゃん。
全能感抱いて生きてる人って全能感を抱くために全能感抱く自分のありようを人に薦められないよねって思ってる。
自分は矛盾してて金を至上のものにしてしか自分がいる意味が成り立たないから金にばかり頼る価値観でものを言わなあかん。
切ない。
いや実際、金がなくても与えにくくても君はいていいとかは言われにくいけど、言われにくいから逆を言いやすいってことにはならないじゃん。