2021-08-18

コロナ下に戦時を思う

コロナとの戦いが非常時つまり戦争であると言われて久しい。戦時中日本人の大半の日常生活はこんな感じで正常バイアスから逃れられない憂鬱で平坦な日々だったのかなーと考える

一部の人しか緊張感はなく、戦いの現場テレビ越しに映るけれども放送倫理規定抵触することなモザイクを掛けて届けられる。意識の高い人達戦意高揚アジテーションSNSとう媒体で行い反対派を論破していく。一見そちらが主流に見えるけれども職場の隣の席や商店街店員・客など日常的に出会う人々の戦意はそれほど高くない。

年齢層の違う人達が次々と戦場に送り込まれ死亡するが家族に該当者はいない。ごく身近な戦場に送り込まれた負傷者たちも後遺症なく帰ってきて、戦場を喜々として語る。隣の隣の隣の部署大事が起こったという噂も聞くがテレビ有名人の死亡よりも興味は薄い。

一部の施設は封鎖されるが、職が違う人達にとっては日常生活に困るほどではなくいくつかの娯楽が失われた程度。国を上げてサーカスが開催され我が国が優秀であることが証明されて気分が紛れる。株価は上がり続け景気は回復していると報道される。

マスクワクチンなどの品不足に一喜一憂行列ができるがすぐに供給が安定し安堵して忘れる。危機ニュース行列によるストレス、そこから解放クリア可能ゲームイベントのようにワクワクさせる。

リモートワークなどこれまでなかった未来的な手段が入り込み嬉々として飛びつくも、思ったほど新しい生活様式効果を挙げられず企業社員の出社を促し、我々はい罹患するともわからない満員電車で「命の危険を冒して(笑)」で憂鬱通勤する。

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