はてなキーワード: ウェブサイトとは
文脈がよく分からないので、他での指摘と重複していると思うが、個人的に思ったこと。
文章がMECEでないので「まあそういうことね」という話は措いておいて。
a. 日本語ウェブサイトの記事本数で比較することはフェアではない
新しめの技術を活用している人の情報収集の順番としては、エディタでライブラリの当該部分のソースコードを読む、GitHubにリポジトリがあるのであれば、そこのissuesで検索をかける、Googleで英語(エラー文言等なので必然的に英語になる)で検索する、Stack Overflowで質問するという感じだと思うので、Qiitaでの出現数が減ることは仕方ないと思う。
ミクロで見ると、フロントエンド系の主要な論客がQiitaから離脱していることもある。
SSGの登場によってSPAのネガな部分のほとんどは潰されていると思う。
SPA的な手法を使うのであれば、SSGにしろという指摘であれば、的を射ていると思う。
他にも色々と言いたいことはあるが「SPAのことを言ったら一斉に突っ込まれた」という事象を観測できないので、とりあえず以上。
中期日程の試験に向かう電車はトンネル続きで、当時の二つ折り携帯では合格発表のウェブサイトがなかなか見られなかった、アクセスも集中していたし、なにより通信環境が悪かった。
まあそうだよね、とも思った。
センター試験は散々な出来で、第一志望はほとんど記念受験だった。
中後期は行きたいかどうかではなくて、絶対に現役で受かるかどうかで決めざるを得なかった、
どこも引っ掛からなければ死のうと思っていた。
ひと月前の記録的な大雪がまだ残っていた、
山に囲まれ、曇り空がどんよりとした小さな街で、本当になにも無いな、と思った、
入学してからしばらくして、ちょうど5月の連休の前ころに、あなたは厳正なる審査の結果、入寮選考に落選しましたという通知が第一志望の大学から来た。なんとも言えない気持ちになった。
テレ朝『ワイド!スクランブル』に放送倫理違反 BPO「制作者が歪めることがあってはならない」 | ORICON NEWS https://www.oricon.co.jp/news/2227278/full/
「情報番組『大下容子ワイド!スクランブル』の2021年3月から10月にかけて放送した視聴者からの質問に答えるパートにおいて、番組スタッフが作成した質問を視聴者からの質問であるかのように放送したケースが含まれていたとして、10月21日、番組と番組のウェブサイトで公表し謝罪した」
この手のニュースを見かけるたびに『なんで番組スタッフがこのような行動をとってしまったのか、どうしたら今後こういった行動をしないようになるのか、を放送局内で検証してソレを特集番組にしたら良いのに』と思う。
*追記
「ワイド!スクランブル」6分間にわたり質問捏造を報告…大下容子アナ「重く受け止めています」 : エンタメ・文化 : ニュース : 読売新聞オンライン https://www.yomiuri.co.jp/culture/20220310-OYT1T50141/
当該のシーンを視聴していないので断言できないけど、「視聴者の皆様に誤解と受け取られかねない行為をしてしまい、申し訳ありません」的なコメントで謝罪終了とするよりはマシだと思う。
私は「インターネット上で故人のブログが閲覧できる」ということを知り、廃墟サイトまとめを閲覧していた。
そもそも一体なぜ私が故人のブログに興味を持ったのかということについて述べたいと思う。中学生の頃、図書館で南条さんの本を借りた。当時私はリスカやアムカを常習的に行っていた。そのような自傷行為がきっかけで南条さんの本に辿り着いたと記憶している。
本には、南条さんという人物について、また彼女がインターネット上に残したものについて書かれていた。
「死んだらインターネットで公開したものが残り、さらには書籍化されるパターンもあるらしい」
衝撃だった。
南条さんは、生存した証をインターネット上に残して死んだ。いや、「生存した証がインターネット上に残ってしまった」と言い表した方が正しいのかもしれない。
さて話を戻すと、インターネット上で閲覧できる故人のブログというのが、二階堂さんの「八本脚の蝶」という日記サイトだった。利用されていたのは「@niftyホームページサービス」で、このサービス名から推測できるように、当時はまだ世の中に気軽に開設可能なブログサイトは広まっていなかったのかもしれない。
二階堂さんもまた、南条さんと同様にに生存した証をインターネット上に残して死んだ。特筆しておくべき点が、二階堂さんは南条さんと異なり「自らの意志で生存した証をインターネット上に残して自殺した」という点である。
私は、南条さんも二階堂さんもインターネット上でリアルタイムにて追うことができなかった。そのことについてなぜか「残念だ」と感じてしまうの自分自身の気持ちが不謹慎でたまらなかった。
インターネットではブログサービスの代りに増田が流行り始めた。私は主にメンタルヘルスについて発信している増田を好んで見ていた。そのうちそのクラスタ内のある増田について「どうやらあのアカウントの持ち主は自殺したようだ」と囁かれている場面に何度か遭遇するようになった。
このような場面を目撃し私は、非常にモラルの欠けた発言になるのだが「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と感じるようになっていた。
さて、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化され河出書房新社より発売された。文庫化されるという情報を得た時点で既に私は、自分の心の中で妙にひっかかるものを感じていた。故人の尊厳について考えた。
前置きは長くなったが、本編の日記を読んで感じたことを述べていこうと思う。
私はいつの間にか、2001年当時自分が何をしていたかということについて思いを馳せていた。2001年6月13日水曜日、私は小学6年生だった。私は6年生のゴールデンウィークに旅行先で体調を崩し、風邪をこじらせてしまい入院した。自宅で寝ていると熱がぐんぐん上がり、布団に包まっても寒くて寒くてたまらなかった。後になって改めて親とその話をしていると、どうやら熱性けいれんを起こしていたらしい。
ところで北海道の運動会は春に行われる。私は運動会当日までに退院することができた。当時の担任の先生が「持久走どうする?」と確認してきたので、私は「徒競走だけ出ます」と答えた。グラウンド5周の1キロなんて走りたくなかったのである。
私にとってそんな小学校最後の運動会が終わり、初夏なのか蝦夷梅雨(北海道にも一応梅雨のような時期が一瞬だけ存在する)なのかわからない曖昧な気候の中で、小学校生活を送っていた。おそらくそれが、私の2001年6月13日水曜日だったのではないかと思う。
2002年4月8日、月曜日。おそらくこの日に私は中学1年生になった。中学校に進学したといっても、私が通っていたのは小中併置校だった。わかりやすく説明すると、小学生の教室が校舎の2階にあって、中学生の教室が3階にあるということだ。つまり中学生になると階段を上る段数が増えるだけのことである。
私は新学期の校舎の何とも言えないにおいに敏感な子どもだったので覚えているが、小学生のフロアと中学生のフロアとでは、においが異なっていた。中学生の階の廊下や教室は、やはり中学生らしい大人っぽいとでも言ったらいいのか、とにかく少し変なにおいがしたのを覚えている。
4月も8日頃となると、多くの会社にとっては新年度の区切りを迎えてから数日経過したというところで、まだ新しい環境には慣れていないという時期ではないだろうか。
2002年4月8日の月曜日、二階堂さんにとってのこの日は、ある本に引用されていた詩を見つけることができた日ということになっている。どうしても読みたくて探していたのだという。彼女にとってのちょっとした記念日であるように感じられる。
2002年の3月末~4月初旬の彼女の日記を確認してみると、すっぽりと更新されていない空白の期間になっていることがわかった。年度末から年度初めは、やはり忙しかったのだろう。
彼女は文学部哲学科を卒業した後、編集者・レビュアーとして働いていたようだ。新年度が始まって早々しかも平日に、ずっと探していた本が見つかったという出来事を日記に書くほどに、彼女は本に対してかなり熱心な人物だったんだろうとぼんやり想像する。
2003年4月1日火曜日、この日は平日だ。
平日だが、二階堂さんの日記は「その一」「その二」「その三」「その四」「その五」「その六」「その七」、これに止まらず「その八」「その九」、さらに続き「その一〇」「その一一‐一」と綴られている。私はそのことに気付き、なんだか雲行きが怪しくなってきたと感じた。「その一一‐二」「その一二‐一」「その一二‐二」と日記は続くが、いくら新年度の決意表明にしても長編すぎやしないだろうかと思う。「その一二‐三」の日記の次に、彼女はやっと翌日の4月2日を迎えられたようだ。
しかしその4月2日水曜日の日記のタイトルは「その一」とある。この日は「その七」まで綴られているが、分割されている記事もあることを踏まえるとトータル9回更新されたということなのだと思う。おそらく当時はスマホなど普及していなかったはずなので、勝手な個人的な予想になるが、彼女は自宅で夜中になるまで複数回にわたってブログ記事を投稿したのではないかと考える。もしくは、職場のPCから小分けして投稿していたという可能性も考えられる。しかし、2002年4月8日月曜日の日記から判断する限り、彼女であれば絶対にそんなことはしないのではないかと思う。
一投稿あたりの文字数は、今でいうブログ(いわゆる収益化を目的としたブログ)と比較するとかなり少なく感じられる。
しかし彼女の複数回に及ぶブログ投稿を現代の増田で例えるなら、短文の増田をかなりの回数にわたって連投しているという状態に置き換えられるのではないかと思う。多くの人はそのような増田のことを、はてなーもしくはいわゆる「病み増田(メンタルヘルス系の内容を扱う増田の中でも特に思春期の中高生が該当するように思う)」に分類すると思う。事実私も、一晩にかけてそのように連投しているアカウントを見かけると、どうしてもメンタルヘルス系の悩みでも抱えているのだろうかと見なしてしまう。
さて連続して投稿された日記の内容はというと、私が生きてきた中でそのタイトルも作者も聞いたことがないような本からの引用である。また、彼女が数年前に受け取ったと思われる知人からの手紙を引用している投稿も見られる。
ふと私は、おそらく二階堂さんは思考の整理のためにブログを使うというやり方をとるタイプの人間ではないだろうかと感じた。というのも私も時たまTwitterをそのような用途に用いるからである。そしてどういうときにその思考の整理をするかというと、それは「ものすごく死にたいが、どう対処していいか方法が見当もつかないとき」である。これについては、もしかするとピンとくる方もいるかもしれない。そのようにしばしば私はTwitterで思考の整理を行う。なぜなら自分自身の脳内の回転及びそれによって生じる思考をインターネットに吐き出さなければ、到底処理しきれない状態に陥っているからだ。
そしてなぜあえてインターネットに吐露するのかというと、リアル社会には私の話を聞いてくれる人が存在しないからだ。私にとって、リアル社会で相手の様子を窺いつつ的確なタイミングでふさわしい言葉で相談を持ちかけるという動作は、極めて難しい。過去に何度も相談時のコミュニケーションに挫折する経験を重ねたことがきっかけで、そのような事態に辿り着いてしまったのではないかと疑っている。
彼女の本心は今となってはわからない。そのため私のような人間が、勝手に彼女と自身を重ね合わせ、どこかに類似点があるのではないかとあれこれ想像してしまう。
ふと、彼女の死とはこのような在り方でよかったのだろうかと思わず考えてしまう。死後に自分の作品が残るとは、そういうことなのだと思う。
2003年4月に私は中学2年生になり、無事に厨二病を発症した。インターネットに本格的に参入したのは、この時期だったかと記憶している。休み時間には、情報の担当教諭がヤフージオシティーズのアカウント取得を手伝ってくれた。
やはり、当時はまだブログがそこまで一般的なものではなかった。私はまずは無料レンタルスペース(現代でいうレンタルサーバーのようなもの)を契約し個人サイトを作っていた。そしてレンタル掲示板を設置し、同盟バナー(ハッシュタグで繋がる文化など当然存在しなかったため、共通の趣味で繋がる同盟という文化が主流であった)を貼り、繋がっていた。あの頃はそのような時代であった。
私は夜な夜な日記(これはノートに綴った日記であった。というのも夜はインターネットができない家庭環境にあったのだ)を書き、アムカをするようになっていた。田舎特有の地域性、そこで生じた問題、そして本来の私の性格と一体何が根本的な原因であるのかはわからないが、ちょうど家庭内でもそこそこ大きな出来事が発生し、私は混乱のさなかにあった。
やがて私は個人サイトの別館を作るようになった。それはおそらく現代でいうTwitterの複垢(サブアカウント)のような類に非常によく似ているのではないかと思う。私はやがて、いかにも「メンヘラポエム(笑)」と晒されそうな文章を拙いながらも公開するようになっていた。
私は日本におけるインターネット内でポエムが馬鹿にされる風潮にいまいち納得がいかないので補足するが、あの頃は「テキストサイト」とカテゴライズされる個人サイトが充実していた。現代詩ともエッセイともいえない、インターネットならではの文章をポートフォリオのようにまとめた個人サイトは、当時かなり多くみられたように思う。
このように、思春期も相まって私は何かと思いつめて過ごす時間が多かった。先に述べたアムカをするようになったのは、確か半袖を着なくなった秋頃だったかと記憶している。
二階堂さんの日記は2003年4月26日の土曜日で更新が途絶えている。4月26日というと私の誕生日の翌日なのだが、そんなことなど今はどうでもいい。4月26日の日記は、6回更新されている。「その一」「その二」「その三」、そして「お別れ その一」「お別れ その二」「お別れ その三」という題で投稿されている。
そしてその後に、おそらくこれは投稿時間を設定したことによる自動投稿なのではないかと思うのだが、「最後のお知らせ」が更新されている。その内容は、「2003年4月26日のまだ朝が来る前に自ら命を絶ちました」という旨を報告するものである。
人の死についてあれこれ憶測することが心苦しいが、おそらく夜中のまだ朝が来る前に、最期のまとめとお別れの言葉を、何人かの対象に向けてそれぞれ投稿したのではないかと思う。そして、2001年から更新が続いていた日記をありがとうございましたという言葉で締めくくり、パソコンをシャットダウンしたのかどうかはわからないがきっと彼女のことなら身支度を整えてどこか高い建物へ向かい、そして亡くなったということだと思う。
断っておくと、私は『八本脚の蝶』すべてを読破したわけではない。二階堂さんが好んだ幻想文学などの専門分野について私は詳しくないため全文の理解が困難であるという言い訳により、私は挫折した。しかし何とも言えないモヤモヤとした疑問が残った。
冒頭で私は「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と述べた。再度ここで明記するが、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化された。
もしかするとインターネットに生きた証を残して自殺するということは最悪な選択肢なのではないかと私は思った。というのも、自らの意志に構わず書籍化され、需要や編集者の熱意があれば数年後に改めて文庫化されるというパターンもあり得るということが今回わかったからである。
果たして彼女はそのようなことを望んでいたのだろうかと、厚かましくも疑問に感じてしまう。世に広まるということは、全く想定していないターゲット層にまで届いてしまうということだ。もしかすると「自殺なんて弱い人間が行うことだ。自殺をする人間は敗者だ」などと主張する層に触れ議論を呼ぶこともあり得るかもしれない。
事実、書籍化された『八本脚の蝶』は私のような読者にまで届いたし、加えて私は今こうしてこのような文章まで書いている。果たして私のこのような行為は許されるものであろうか。
文中で軽く触れたが、私にとって増田は思考の整理のためのツールとして役立っている。
私は物心ついた頃より、「この子はぼんやりと過ごしているねぇ」と周囲から見なされることが多かった。しかしその一方で、「あなたは随分と真面目だね」などと言われる場面もたびたびあった。その理由について私は、私の脳は必要以上に過剰な思考を行っているためではないかと考えている。
私にはストレスや言いたいことを溜め込む傾向がある。「我慢しちゃだめだよ」とかなりの数の人たちから言われた経験がある。しかし、言える相手に言える範囲で相談をし、さらに増田で大量に噴出しても追いつかないのが残念ながら現状なのだ。
私は、増田を含むインターネットとは「最後の砦」であると考えている。リアル社会で捨てきれない期待をインターネットに託している。もし私がインターネットに見捨てられたなら、どうにかして確実な方法で間違いなく命を絶つと思う。それほどまでに私はインターネットに縋り付いている。
果たしてインターネットは苦しみの最中に置かれた人間にとっての救いとなるのだろうか。
今となっては、様々な利用目的によりインターネットは利用されている。インターネットで事業を興し収入を得る個人も随分と多く見かけるようになった。しかしインターネット上に人が増えたわりに、一向に私はそこで救われることがないように感じる。
私はリアル社会の中で、絶望に絶望を重ねている。冷静に振り返ると自滅して傷ついている場面が多いようにも感じられるが、何らかの救いを求めてインターネットに入り浸っている。もしも私がインターネットに絶望しきってしまったのなら、それは完全に終了の合図だ。「死」以外に何もあり得ない。
インターネットを彷徨っていると、「死ぬ以外の選択肢が無いために死ぬという選択を取った」という人間が多数存在することに気付かされる。
二階堂さんが一体どうして「八本脚の蝶」というウェブサイトを立ち上げたのか私にはわからない。もしかすると彼女の日記のどこかで触れられているのかもしれない。
しかし、私にはそのことについて何時までもこだわっている時間は無い。正直に言うと、小康状態を保ちながら生きていく上では、他人のことを気にかける余裕など皆無なのだ。そして当然なことであるのかもしれないが、健康な人間にとっても同様に、いわゆる「生きづらい人」を気にかける余裕というものは本当に無いらしい。最悪の社会だと思う。
しかしその「最悪な社会」だからこそ、インターネットは救済希望者を受け入れて欲しい。私の意図することをより明確に言い表すなら、「すべての利用者がインターネットを通じて他者を救済する世界であって欲しい」。
相変わらず私はぐちぐちと思考の飛躍や感情の上下運動に振り回される様子を、増田のしかも匿名で披露している。どうかこのことに何らかの意味があって欲しい。
私は自分自身の人生について、「あまりにも辛く、ほとんどの時間を疲れ果てた状態で過ごし、さらに今にも死にたくなる瞬間がたびたび勃発してしまう」ものであるように感じている。それならば、私の不幸によって同じようにどこかで苦しい思いをしている誰かが救われて欲しい。
「自分自身とよく似たパーソナリティの人物の言動や思考を知ること」は、抱えている苦しみを解消することにかなり役立つのではないかと思う。そのような情報を医療機関で提供してもらう機会が少なく、私はインターネットに救いを求めている。そういうわけで私は毎日欠かさずインターネットを利用している。
私はインターネットヘビーユーザーのまま亡くなっていったすべての人たちを観測したわけではないが、目にした限り彼らは社会に対する憎しみを叫ぶことなどせずにこの世を去っていったように思う。彼らに共通することとしては、後世に何らかの表現方法でアドバイスを残し、そして希望を託して亡くなっていったように感じられる。
私は彼らから希望を託された側として生を続けたいと思う。そしてそれがいつまでの期間になるかはわからないが、インターネットに救いを求めつつも、積極的に自分自身の不幸を開示していこうと考えている。
私はウェブサイト運営者に敬意を払っているので運営者の貴重な収入源になる広告をブロックせずにブラウジングを楽しんできたのだが、先日ついにスマホに広告ブロッカーを導入した。
というのもいわゆるスワイプ広告に我慢ならなくなったからである。スワイプ広告とは何かというと、スマホユーザーはスクロールをスワイプで行うわけだが、スワイプを開始する指がその広告に乗ったときにスクロールを阻止して誤タップを誘うタイプの広告である。
あるとき銀座のある歯医者の広告が表示され、それがスワイプ広告だった。スワイプ阻止のトラップにはまって誤タップし広告先のウェブサイトに誘導せれたが最後、あなたこれに興味があるんでしょうと言わんがばかりに他のサイトでも同広告が表示されるようになった。
銀座の歯医者に興味はないが、興味がない広告が表示されること自体は問題ない。変にこちらの興味にパーソナライズされた広告が次々に表示されても気持ち悪いからな。問題は、スワイプ広告がいろいろなウェブサイトで表示されるようになり、ブラウジング生活にストレスを感じて仕方ないようになったことだった。
銀座の歯医者にスワイプ広告はやめてほしいと問い合わせメールも送ってみたが、あちらさんも業者に委託してそうしたウェブマーケティングをしているんだろうし、まさか自分のところの広告がいちスマホユーザーに多大なストレスを与えているとは思いもするまいが、まあ返事はなかった。
しかしスワイプ広告が何度も表示されるとストレスがたまるし、例の歯医者にはヘイトがたまるし、そういう広告表示を許容しているウェブサイト運営者にもとばっちりで不満がたまるしで、全方位にヘイトを向けるようになったらいよいよ精神的健康が悪化している予兆だと思い、ついにスマホに広告ブロッカーを導入した。
広告ブロッカーはNextDNSという特定のドメインを無効化するやつね。導入したら即座にこのストレスから解放され快適ブラウジング生活に戻った。
グーグルアドセンス側もスワイプ広告が増えると広告ブロッカーを入れるユーザーが増えるんだから規制を強化して欲しい。スワイプ広告なんて機械的に判定できるんだから。
2011〜2015辺りで「チャレンジ」の小学生講座取っていた人に聞きたい。思い出せる限りのキーワードで検索しても出てこないので、もはや自分が記憶をねじ曲げて、ありもしない幻のゲームを追い求めているような気がしてきた。
通信教育チャレンジのウェブサイトから遊べるゲームだった。二足歩行の猫が主人公で、自分のプラットフォーム(星)でアイテムを調合し(ここに「割合」のお勉強要素があった)、新しいアイテムを作り出す…というのが基本の遊び方。
自分の星では「ぺんぺん草」と「星のカケラ?」しか採取出来なくて、新たな材料を手に入れるには他の星に行かなければいけない。
真っ赤な炎の星とか、緑が生い茂ってる星とかが沢山あって、それぞれに1匹ずつ住人が住んでいる。
新たな星を解放するには何かしらのクエスト?を達成しなければならない。
シンプルだけど出来ることがドンド増えていくから、全く飽きなかった。
通信教育サイトのいちゲームにしては楽しすぎて、毎日欠かさずやっていた記憶がある。あれって何だったんだろう。もう1回ゲームの画面を見たい。誰かタイトル教えてください。
だからもし、法定通貨が打ちのめされてブロックチェーンが覇権をとったら面白いと思う。
RDBのボトルネックを解決するかもしれないブロックチェーン技術というのにもかなり興味を持ってる。
いつかは必ずこっちが勝つとは思うんだけど、、、、
今の界隈に関して少し違和感がある部分に関してまとめておく。
よく批判に挙がる早い者勝ちとかガス代に対する批判は個人的には別にそんなに気にならない。
どんな市場も早い者勝ちだし、ガス代だってある程度歪でも広まっているんだから問題ないし、ビットコインの信頼性を担保に法定通貨が取引されてる現状だって、個人的には全然ブロックチェーンの勝利だと思っている。
それよりも、ブロックチェーン需要はどこにあるのか?というのに違和感がある。
以前からdappsと呼ばれるものには興味があるんだけれど、dappsの多くは需要ドリブンで利用されてるんだろうか??
ゲーム自体が楽しいからやるのではなくて、投機目的でアイテムを手に入れたいとかってゲームをやってたりしないだろうか?
Defiもそう。供給側がたくさんの価値のある通貨を持っていたり、なんらかの市場に対する投機なり投資目的で参入してきていないかな?
ここまでの認識が間違ってるなら間違ってるって教えてほしい。
でも、間違ってないなら、ちょっと供給過多な市場って気がするんだよね。
もちろん、一部では優れたゲームやブロックチェーンベースならではの優れたdefiの仕組みがあるなら教えてほしい。
Braveやaudiusは需要ドリブンになっていそうでおもしろいなぁと思っている。
ウェブサイトの広告以外の収益源はずっと課題だし、アーティストにとってSpotifyやiTunes収益分配は課題だと思う。
ブロックチェーンって需要はこうやってみるとそんなにないかもなぁって気がするんだけど、DXという需要は確実にあるよね。例えば電帳法の改正とかは確実に需要がある。
で、これらって技術的にはブロックチェーンが得意な分野だと思うんだけど、普通のWebアプリで解決しちゃう人が多いと思うんだよね。Web3で解決しようぜ!っていう人も中にはいるかもしれないけれど、需要がWeb3までまだ辿り着いていないんだと思う。
Web3はどんどん盛り上がってほしいと思うけれど、「素人が手を出してこれ全然役に立たない!最悪」って空気にはなってほしくないんだよな。
逆にプロの人にはどういう需要に対して、何を解決できるか?というのを真剣に考えて、いい感じに市場にしてほしいなぁと思います!
それが起こったのです。ゼロクリックの脆弱性と特別なコードを使用して、Webサイトを介してあなたのデバイスをハッキングしました。
このエクスプロイトは、特別に作成された一意のコードを使用してチェーンで機能し、このようなタイプの攻撃は検出されません。
Webサイトにアクセスしただけで感染してしまいましたが、残念なことに、私にとっては非常に容易いことです。
あなたは標的にされたのではなく、そのWebページを介してハッキングされた多くの不運な人々の一人になったのです。
これはすべて8月に起こりました。そのため、情報収集には十分な時間がありました。
数ヶ月間、私のソフトウェアは、あなたの習慣、あなたが訪問するウェブサイト、ウェブ検索、あなたが送るテキストなどの情報を静かに収集していました。
他にもまだまだありますが、これがどれほど深刻であるかを理解していただくために、いくつかの理由を挙げました。
明確に言うと、私のソフトウェアはあなたのカメラとマイクも制御しました。
あなたを主演とした価値あるPORNHUBビデオをいくつか作成しました。
すでに十分に待ったので、これに決着をつける時が来たと思い立ちました。
こちらが私からのご提案です。 これを、私が希望するコンサルティング料金と名付け、これまでに集めてきたメディアコンテンツを削除したいと思います。
そうでなければ、私はあなたの連絡先に最も有害なコンテンツを漏らし、変質者が見ることができるようにそれを公開ウェブサイトに投稿します。
あなたも私も、これによってあなたが被る損害の大きさを認識しています。あなたのプライバシー保護にあたってそれほど多くの金額は要されません。
私はあなたに個人的な関与をしません。そのため、私が所有するあらゆるファイルやあなたのデバイス上のソフトウェアが、転送を受けた直後に削除されることについてご信頼ください。
私の適切なコンサルティング料金は、ビットコインで送金される1750ドルです。 振込時の為替レート。
この金額をウォレットに送る必要があります BTC 1muUe7DXGm3bs2XtbhYwYYH6aUWCASsSN
定められた料金は変更できません。2営業日以内に支払うものとされます。 支払いを受け取る事だけが重要です。
言うまでもなく、プライバシーを侵害されたく無ければ、誰かに助けを求めようとするのはやめてください。
支払いを受け取るまであなたの動きを全て監視しています。 契約の期限を守れば、二度と私から連絡が来ることはありません。
どうぞ良い一日をお過ごしください。