はてなキーワード: アセクシュアルとは
元増田です。
トラバで返しましたが、別記事に移そうと思いましたのでこちらに。
まさかこんなに反応が返ってくるとは思っておらず、びっくりしています。
最初に書いた通り、「結婚したいと思う気持ちが分からない」と言ったら話が通じない奴認定されたことに腹を立てて勢いのままに書いてしまったので、言葉が雑であったりしたと思います。お恥ずかしい限りです。
ブコメやトラバを読ませていただきました。同意の言葉や反対意見、提案など様々な言葉をいただけて嬉しいです。ありがとうございます。
その中のいくつかに返事をさせてください。私の自己満足なので読まなくても結構です。
異性を愛する気持ちも同性を愛する気持ちも抱かないけど、かといって人が嫌いなわけではないんだよなあ、というぼんやりとした気持ちのまま色々調べたりするなかで、「アセクシュアル」という観念があることを知りました。
アセクシュアルの観念はだいぶ曖昧だそうで、他のトラバにも書かれていましたが、「性欲を持ち、また、自慰を行うからアセクシュアルではない、と断言することは出来ない」らしいです。たぶん本当にあいまいな観念なんだろうなと思います。人を好きな気持ちは主観的なものに依存するので。
AVや同人誌を見る感覚は、ストーリーとして消費したいという気持ちが強いです。恋愛ものを読むけど恋愛したいとは思わない…みたいな。
性欲自体も持ち合わせていますが(エロティシズムを感じたり自分の中の欲求不満を感じたりするので)ただそれを実在の人間に対し自分自身がぶつけたい訳ではないです。AVも、あくまで画面越しだから自分と切り離して鑑賞できるという感じ。映画とかドラマで際どいモノとかありますよね。あんな感じです。
なのでアセクシュアル寄りの何か…と言った方が正しかったかもしれません。
自分自身がこうしたいなあ、と思う感情に外見は関係ないです。確かに自分の外見は需要がある、無い、で言えば無いだろと自分でも思います。
でもこのコメントをされた方は、結婚したくない=結婚できないブスの僻み という価値観で生きてこられたんだなと感じました。それ以上でもそれ以下でもないです。
「分からないなら分からないままでいいでしょ」という意見もありました。正論だと思います。
私が質問したのは、「自ら結婚したいと思うということは、結婚に対し何か魅力があるのかな」と考えたからです。
結婚している人や結婚したいと思う人を馬鹿にしたり、見下したりしている意図はまったくありません。「結婚の魅力ってなんだろう」という疑問でした。
母親に「なんで結婚しようと思ったの?」と聞いたことがありますが、なんとなく、と返ってきただけだったので、余計に疑問が強まってしまったのかもしれないです。
こうして意見を見ていて、私の質問の仕方に問題があったな…と反省しております。結婚について理解をしたい、と思って聞いてみたのですが、あの聞き方では不躾で理解しようともしないように聞こえますよね。
また、「結婚したくない」という私の意見に対し「結婚したい、と考えられない奴はおかしい」というような態度を取られてしまい、腹が立ってカッとなって書き込んだのもダメでしたね…
まさしくその通りです。
結婚しなくてもいいなあ、結婚したいと思わないし、と考えていても、やはり不安はあります。まだ20と少ししか生きていませんし、結婚をしないでひとりで生きていけるのかな、なんて考えたりします。経済的なことや、老後のことについての不安です。
結婚するなら色々出会いを求めて動いた方がいいのかな、と考えては、でもそこまでして結婚をしたとして、メリットは何なんだ?という疑問が湧く。その繰り返しです。
目からウロコでした。自分ではその違いをわかっていたつもりでも、わかっていなかったんだと思います。
なんとなく、恋愛+性愛=結婚というイメージがあって、結婚をする人はみんなパートナーに恋愛感情を抱いているんだなあと考えていました。
ですが、恋愛や性愛を伴わない結婚もあるし、恋愛感情があるからといって結婚したいとは限らないんでしょうね。
恋愛とか分からないし性愛も抱いたこと無いしむしろ気持ち悪いな~とまで思っていましたが、だからといって結婚したくない、には結びつかないんですね。
色々な結婚の仕方もあるのか、と納得しました。これが答えのような気がします。
様々な意見、ありがとうございます。
子どもが欲しい、寂しさを埋めるため、他にもいろいろな理由で結婚された方々を拝見しました。
確かに、まだまだ人間関係に寂しさを覚えることはありませんが、この先どうなるかはわかりませんよね。
そういった人間関係の構築のための結婚というのもあるんだなと感じました。
本当にありがとうございます。こう思っているのは自分だけではない、と分かることでものすごく安心しました。
様々なコメントを読んでいて、自分の世界はだいぶ狭かったんだなあと実感しました。
周囲にいる人たちが、異性と恋愛して結婚したい、と思っている人たちが多く、雑談のなかで恋愛の話になると肩身の狭い思いをしたり、嫌だなあ、と感じる機会が多々あったので、自分の中で恋愛や結婚に対し、マイナスなイメージが強かった気がします。
これからどうなるかは自分自身分かりませんが、もう少し視野を広げて、自分なりの「恋愛」や「結婚」を探ってみようかなと思います。
ブコメの中にあって、これが一番わかりやすく言語化してくださっているなあと思い、詳しく調べさせていただきました。
乃木坂46の齋藤飛鳥さんのコメントだそうです。こちらから引用させていただきました。
https://www.excite.co.jp/news/article/Asagei_147203/
exciteニュース 「乃木坂46齋藤飛鳥、ネガティブな「理想の結婚生活」発言もファンはホッコリ!」
私も似た気持ちです。
結婚することの利益、メリットは何か?という疑問もここからきていると思います。
他にも多くの反応をありがとうございます。可能な限り目を通させていただいています。
自分のなかでなんとなくの答えはでたものの、やっぱり社会はまだ異性との結婚が幸福で、それがすべてなんでしょうね。(齋藤さんの発言もネガティブと捉えられてしまいますし…)
ですが自分は自分なりに考えていこうと思いました。書き込んで反応をいただかなければ、しっかりと気付くことは無かったと思います。
重ね重ね、お礼を申し上げます。
とはいえやはり、もう少し寛容な社会であればなあ、と思わずにはいられません。
長々と失礼いたしました。それでは。
(追記)
この記事のトラバで追記していたのですが、別記事に移そうと思い掲載し直したので、URLを貼っておきます。
https://anond.hatelabo.jp/20201105221116
ありがとうございました。
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「本当に分からない、純粋な疑問だから教えて欲しい」って聞いたらおぞましいものを見る目で見られたので吐き出す。
私は結婚したくない。したいと思わない。
周りが好きな人を作り、誰々と付き合いたいだの彼氏がどうだのこういう人と結婚したいだの喋っている中で、私一人だけがその話題に一切同感できない。
そもそも人間性としての好意を持つ相手はいても、性愛的な好意を持つ相手に出会ったことがない。
かといって性欲は無いのかと言われるとそういう訳では無いし、AVも見るし18禁漫画も読む。腐女子だから商業も同人も読む。
最初は、自分が恋愛感情を抱くことが出来ないのは腐女子の性が邪魔しているのかな、なんて本気で考えてた。
自分が恋愛するんじゃなくて他の人の恋愛模様を見たいだけなんだよね~みたいな。
でも成人して、周りが異性と付き合っているのを目の当たりにして、本当に私は人を好きになれないのかもしれないと思い始めた。
要は「アセクシュアル」という部類に入るのかもと考えているんだけど、これって自分が死ぬまで「アセクシュアル」かどうか分からないんだよね。
これから人を好きになるかもしれないし、やっぱり好きにならないかもしれない。
死ぬまで分からないからこそ不安だし、老後どうしようかな~…なんて考えたりもする。
まだ20年を生きただけでしょ、って言われたりするし、「死んだ後自分の骨を焼いてくれる業者とか調べてる」って言うとドン引かれる。
結婚しないでいると人間的に欠陥があると思われてしまうこの世の中で、結婚したいけど結婚できないとか、結婚したくないけどしなきゃいけないとか、したいけどしたくないとか、色々な苦しみを持っている人って見えないだけで結構いると思う。
その人たちの苦しみと同じだとは言わないけど、
贅沢な悩みだって言われるかもしれないけど、
それでもやっぱり結婚はしたくない。
なんでみんな「結婚したい」と思うの?
非モテ女性が居るとか居ないとか騒いでいるが、定義や基準を決めずに議論しても水掛け論にしかならないのではないだろうか?
居るor居ないの2値だけで考えるのも良い方法ではない、幾つかのレベルを決めればいい
交際経験0なら「非モテ」だ、非モテ女性もいくらでもいるだろう
ただ、交際経験を基準にすると、確かに「頑張ったらモテるのに頑張ってないだけ」とか「そもそも恋愛する気が無い」場合を上手く処理できない
物凄くイケメンで女性から好かれているが運や積極性の問題で経験0の男性や、アセクシュアルの人も「非モテ」に入ってしまうのは確かに雑だろう
なら、周囲からどれだけ好かれているかを基準にすればいいのではないか
それなら経験0のイケメンや、周囲から恋愛感情を持たれているアセクシュアルも区別できる
ただしここにも問題は存在する。「周囲からどれだけ好かれているか」は測定ができないのだ
なるべく測定可能な基準が良い、定量的でなくてもせめて判断が付くものが
あなたが1週間何も食べていない時、そこら辺の雑草すら美味しそうに見えるかもしれない、しかし満腹状態なら当然食べる気にならない、極上のステーキすら要らないと言うかもしれない
あなたがどれだけ飢えているかは、あなたが何を欲望しているかに依って測れる
ではそれを基準に考えてみよう
(以下、異性愛者の例。同性愛者の場合は「異性」を「同性」に変換する。本当は同性愛者や両性愛者も含めた書き方にしたかったが、上手く出来なかった、すまない)
非モテレベル-1:恋人がいて満足しているor恋人はいないが満足している状態。魅力的な異性にも欲望を示さない
非モテレベル0:恋人はいるが満足はしていない状態。魅力的な異性や、心の隙間を埋めてくれる異性には欲望を示す
非モテレベル1:恋人はいないが恋人候補はいる状態。選択の余地があるため、より魅力的な異性を欲望する
非モテレベル2:恋人はいないが積極的に行動すれば出来る可能性のある状態。より幸福な状態を目指し、より魅力的な異性を欲望する
非モテレベル3:恋人はおらず、積極的に行動しても望む条件の恋人は得られない状態。恋愛は欲望しないか、または魅力的かの条件を問わず、精神的な承認を欲望する
非モテレベル4:妥協しても恋人は得られない、本格的な非モテ。魅力的かの条件は問わず、また精神的な承認が無くても肉体的な充足があれば満足する
非モテレベル5:恋人以前に周囲から嫌悪感を抱かれる、非モテの中の非モテ。もはや異性ならだれでもよい
非モテレベル6:レベル5を遥かに凌駕する神話級の存在。恋愛対象ではない属性(異性愛者なら同性等)でもよい。人間でなくても生物でなくてもよい
どうだろうか、先ずは軽く考えてみた物なので荒削りでつっこみ所も多々あるだろうが、まずは素案として出してみた
これまでの議論を見たところ、男性はレベル4~5の話をし、女性はレベル3辺りの話をしている人が多いような気がする、だから噛み合わないのだ
また、女性による「非モテ男性は非モテ女性を無視している(非モテでありながら、美女だけを欲望している)」といった指摘があったが、あれも鋭い指摘だろう
そういう非モテ男性はせいぜいレベル2か3程度で、非モテとしては修業が足りないのだ、もっと妥協出来なければ非モテとは言えないし、妥協しないでいられる程度には何とかなって居るという事だ
発端となった(?)小野ほりでい氏が書いていた通り、非モテを不幸にしているのは「非モテが不幸である」という認識、つまりモテへの欲望を捨てきれない故だ
(尤も、その原因を解決または排除出来ると考えている点で小野ほりでい氏は楽観的過ぎるというのが私見だが)
つまり、非モテの不幸の本質的な部分は、そもそも「モテ」を欲望していなければ味わえない
どれだけ妥協し基準を下げても、それでも叶えられないからこそ、非モテは不幸なのだ
従って、非モテのレベルはどれほど低い基準の欲望を持っているか、によって測定できる。ステーキを求める者よりパンの耳を求める者、パンの耳を求める者より雑草を求める者の方が貧しいのだ
不幸を比較するべきでないと言う人も居るかもしれない
でもそれは、確かに優しい考え方ではあるのだが、どん底の最も不幸な者達にとっては、不幸さの程度を無化してしまう、この上なく残酷な考え方だ
人に説明する時に・・・と言っても、通常そんなシチュエーションは発生し得ないと思うけど(自分の性趣向言って回るのは基地外)
なぜかその必要性が出たなら、その枠組み乗っかって、適当に枠に入れとけば理解は得やすいのでは?ってだけなので
親しい人には同性愛者かなって思われるだけで特になんも言われんし
そうでない人には、モテないんだな・孤独を愛する人なんだな・なにかトラブルがあったんだなって思われるだけ
セックスする気がないけど結婚のパートナーを探すのは別にいいんじゃないの?
それで見つけた人はそれなりにいるようだし。はてなblogにもいるよ
[新R25] どんな人たちが選択するの? セックスのない「友情結婚」相談所が語る、新しい結婚観
https://r25.jp/article/726256000457387610
あつた
どっちにしても、性行為を望まない人たちなんですね。
中村さん
はい。みなさん昔から違和感はあったけれど「いつかは結婚できるだろう」と思っていて。
でも婚活をしてみて「セックスが前提の一般的な結婚は向いていないのかも」と気づくみたいです。
恋愛感情を持たないという「アセクシャル」は、最近“自分もそうかも?”と感じる人が増えているそう
中村さん
その方々の多くは、積極的にゲイとして男性と交際したいわけではなく、
「女性と結婚したい」「性的なこと以外は一般的な家族を持って家庭を築きたい」などの理由で友情結婚を選択されます。
あつた
中村さん
男女ともに医者や弁護士、公務員や大手企業の会社員など社会的地位が高い方も多いです。「普通のレールから外れたくない」
逆に、ITやマスコミ系、美容師など、自由なイメージのある業界の人は少ないかもしれません。
個人的にはシングルに寛容な日本で結婚しないと社会的地位がとか言ってるのは自己認識がバグってるのでは?って思ってしまう
あと、セックスをしたくないはひとつの性趣向であって、人自体は好きなんだよっては人はいると思う
そういう人向けに、こんなのもあるよ ↓
https://www.huffingtonpost.jp/tsutsu/asexual-interview-2_a_23261562/
これ読んでて思ったんだけど。
まず前提確認として、
ここに異論は少ないと思う。
その上で、元増田で気になったのは、自分の理解では、「同性愛者もかつては迫害されていたが今は改善された。小児性愛者への迫害も同様に改善され得る」と主張していることだ。
確かに、現代日本では、しばしば、小児性愛者の内心すら否定する人を目にするので、それが改善される可能性はあると思う。
一方で、小児性愛「行為」が違法から合法になるという可能性は、ほぼ確実にありえない。
1. 児童には、性行為の持つ意味・リスク・人生への影響が理解できない。このため、性行為についてフェアな合意はありえず、大人から子供への一方的な加害行為である。
2. 特に、人生への影響は深刻である。性体験の原点が犯罪被害である人生を歩むことになる。人生を通して、尊厳を奪い続ける。
3. 児童は行為の意味が理解できずに被害を訴えられない場合がある。このため、保護者が被害に気づかず、メンタルケア等が処置されない場合がある。これは保護者に対し、小児性愛犯罪にたいする慢性的な不安を与える。
この辺りを理解していれば、同性愛行為と小児性愛行為は全く異なり、「同性愛行為と同様に小児性愛行為が合法になるかも」なんて無理筋の発想であると気づくはずだ。
小児性愛行為は、同性愛行為よりは、強制性交等の性犯罪に近い。
逆に、こういう発想をする人は、どれくらい小児性愛行為の加害性を理解しているんだろう、と不安に思う。
小児性愛者自身こそ、特に、小児性愛行為の卑劣さを認識するべきだ。これは小児性愛の内心を否定する主張ではないと思う。男性が性犯罪を犯すことの有害性は、特に男性が認識するべきだし、痴漢の有害性は、特に痴漢依存症者が認識するべきだ。まずは行為主体が行為の有害性を認識すべきだというのは一般的な主張だろう。もし、小児性愛者が、小児性愛行為の卑劣さを認識していなければ、それが非難されるのは当然だし、その非難は差別ではないはずだ。
この辺りをきちんと合意すべきなんじゃないだろうかと思う。
zenkamono アセクシュアル(無性愛者)『性愛者って、性犯罪が「超卑劣」って認識はあるの?』 性愛者『言うても自分ら性犯罪なんてしたことないし・・・』
私は小児性愛者ではない性愛者で、性犯罪歴もないですが、性犯罪の卑劣さは十分に認識していますし、多くの人がそうあるべきだと思います。
>TakamoriTarou
hellshake まとめ手前の例が雑に感じる。男性だけが性犯罪犯すわけじゃないんだから性犯罪の有害性を全人類が認識すべきだし、痴漢依存症を小児性愛者と同レイヤーで語るのは無理があると思うわ。
前半は「男性が」性犯罪を犯すことの有害性としたので、まずは男性が理解すべきというのは普通ではないでしょうか。おっしゃる通りに「性犯罪」一般の有害性であれば、性別問わず認識されるべきだと思います。
後半はもちろん様々な差異があるとは思いますが、今回の文脈で、2つ並列したことに問題があったとは現段階では思っていません。
他人に性的魅力を感じない、あるいは恋愛感情を抱かない(アロマンティック)性的嗜好のことを指すらしい。
あなたは他人に性的魅力や感じない、あるいは恋愛感情を抱かないということを想像できるだろうか。
私は想像できない――自分が他人に性的魅力を感じたり恋愛感情を抱いたりすることが。
誰かとセックスするとき、相手の何に欲情しているのか、何に愛しさを感じるのか、教えてほしい。そこに充足感は、あるんだろうか。
私には学生時代から3年半付き合いを継続している恋人がいる。週末に会えばセックスをする。セックスは好きだ。気持ちいいから。感じやすい身体をしているし、相手を気持ちよくさせることも好きだ。
それでも時々強烈な違和を感じる。場に合わせて自分が口にした「好き」という言葉がひどく空々しく聞こえる。慣れないだけかもしれないと思い何度か繰り返したが、むなしくなるだけだったから今はもうやめた。恋人の欲情した目を見て、すごい目をしているな、と客観的に思う。重なる手や唇の感触が、思春期の頃に感じた離人症のように、画面越しの他人事のように思えた。とめどない身体的な絶頂と息の荒さだけが現実的だった。
恋人とハグをするのは好きだ、温もりや匂いを感じて安心するから。寝顔を見て愛おしいなと思う。
だけど、キスやセックスをするときに、自分を見つめて触れてくる相手に対して、何を感じればいいのかわからない。
この日記を書こうと思った理由は、一昨日ある記事を読んだからだ(恋愛的・性的に惹かれない人たち――「アロマンティック/アセクシャル」にとっての恋愛・結婚像/https://news.yahoo.co.jp/articles/c716935ea75a5eea8369ceae4b01406148ddfd1e?page=1)。
「性行為が一般的に愛情表現としてのコミュニケーションとなることに理解・共感ができず、多幸感を感じない、相手のアクションに対し感情が動かない」という文章を見て、ああこれが自分の違和感の正体か、と思った。
アセクシュアルという単語は以前から知っていたが、それを自分にラベリングしようとは思わなかった。自分の性質をラベリングするのはアイデンティティを確立させるため、ひいては自己承認欲求を満足させるためだと考えているが、私は自己の価値やアイデンティティを考慮する際に恋愛や性別にその重きを置いていない。他人と接するときにも性別を強く意識することはない。
メタ的に計測すると、街ですれ違う人の容姿や仕草に好意を抱く回数は、男性相手より圧倒的に女性の方が多い。メイドカフェに行ってかわいい女の子にどきどきする。生涯、この人以上に好きになることはないだろうと、諦めにも似た憧憬を抱いた相手は女性だった。だから昔は自分のことをレズ寄りのバイなのかもしれないとぼんやり思っていた。セックスは男性としかしたことはないが、おそらく女性ともできる。
魅力的に映る他人の肌の質感を想像することはある。でもその誰に対しても、触れたいだとか、服に隠れた素肌を暴きたいとは思えなかった。その肌の感触を確かめるのは私でなくていい。
他人に恋愛感情を向けられると驚く。付き合うとか、そんなこと想像していなかったから。
付き合って知ったのは、私は嫉妬することが少ないこと、独占欲がほぼ存在しないということ。恋人関係とは男女関係におけるファストパスの進呈で、そういう契約関係だから、期限も終了時の条件もある程度決めておくものだと思ってた。友人にそう話すと計画的すぎると笑われて、みんなはそうじゃないんだと知った。
創作物を読んで相手に恋愛感情を抱いたりの欲情したりすることへ共感はできた。
実感だけが、いまだに手元に降ってこない。
不義については触れずに、話を聞いてほしい。
事情があって、顔が最高にタイプの男性の友人と何度かセックスをした。布団に横たわって、相手の体温を感じると心臓がおかしくなったのかと思うくらいどきどきした。
触れ方が優しくて、ゆっくりだから、すごく気持ちよかった。セックスの最中、暗がりの中で相手の輪郭を視認して、唇を重ねて、高い鼻がぶつかって、快楽を感じて、抱き合って背中を撫でて、試しに耳元へ「好き」とささやいてみて、その後「きみとセックスするのが」と付け足した。何度目でも変わらなかった。
顔が好きな男に抱かれていると意識してみたが、そのことに特別何かを思うことはなかった。ハグをしたときの方がよっぽど滲むような充足感を感じた。
男女問わず魅力的な相手にはどきどきする。でも肌を暴きたいという感情が理解できない。
たぶん私は誰とでもセックスできるから、相手を限定するように気を付けている。そこに"特別"を付与しようとしている。
他人に性的魅力を感じない、恋愛感情を抱かないと恋人に告げたら、きっと恋人を傷付ける予感がしている。
ただ、相手を尊重することができれば恋人関係を維持することに問題はないから、打ち明ける必要もないと考えている。
それでも、教えてほしいと思うことがある。
恋人がいたことはある。複数回ある。その時は、相手のことを好きだと思っていた。でも思い返すと、あれが本当に「人を好きになる」ってことだったのか?と疑問が生じる。
友愛も怪しいもんだ。長く続く友人は踏み込んでこない人で、共通の話題があるときだけ親しくしている。それでいい。付かず離れずくらいの関係が一番心地いい。それ以上を求められると煩わしくなり、離れてしまう。それは、恋人でも同じことだ。
そう考えると、今までの恋人は、多分友愛の延長線上にいただけなんだと思う。好きだと言われたから好きだと返しただけで、友達への感情との違いを答えろと言われたら、答えられない。でも、世間の人を見ていると、友達と恋人は明確に違うみたいだ。なら多分、誰かを恋愛的な意味で好きになったことがない。
フィクションの恋愛は、小説や映画、ドラマで何度も見た。知識として知ってはいるが、理解はあまりできなかった。誰かのことが好きだから、という理由で行動したことは、恐らくない。
その代わり人を嫌いになることもほとんどない。煩わしく思うことはあるが、嫌いとか憎いとか、そうは思わない。そもそも密に関わらなければ、数年経てば存在ごと忘れてしまう。我ながら薄情だと思うが、どうしようもない。
アセクシュアルとか、ノンセクシュアルとか、そういうのも調べてみたけど、よく分からなかった。
たとえ恋愛ができなくても、世間体を求めて結婚することも考えたけど、他人が自分の家にいるかと思うと、多分数年で煩わしさが爆発するなと思った。いや上なしに血という縁がある親族と違って、紙一枚で繋がったパートナーを、そのあとも繋ぎ止める自信はない。
恋愛がしたい。誰かを好きになりたい。たとえ好かれなくてもいいから、誰かを心から好きだと思いたい。芸能人でもアイドルでも二次元でも、誰かを好きになっている人は幸せそうだ。羨ましい。
自分がどこか欠けている気がしてならない。
いまごろデスストランディングをやっている。ゲームプレイはすごく楽しい。ワンダと巨像というゲームが好きで、巨像を倒すパートじゃなくてひたすら放浪して崖を登ったりするのが好きだった。それを思い出している。
よくわからないが古い曲をかけながらプレイすると妙にハマるなあとおもったりしている。
ゲームプレイは楽しいんだけれど、ストーリーパートがどうしても好きになれない。なんというか、たぶんコジマさんがかっこいいと思うものは僕にはかっこいいとおもえなくてそこがつらい。彼のイケてると思うものはなんというかナイーブで、ちょっと気恥ずかしい。演出もなんかちょっと古臭い。セリフがやたらと説明的で演説みたいで、なんかわざとらしい。
ナチュラルにジェンダー観もなんというか偏っていてその辺りが気になり始めるとだめだ。NPCに普通のおじさんはたくさんいるのに普通のおばさんはほとんどいない。女は恋に生きるお嬢さんみたいなやつか、セクハラされるバリキャリみたいなやつしかいない。ベセスダのRPGなんかとくらべると、日本の会社の男女比みたいだ。それにアセクシュアルを不自然で良くないことのように触れていたのもなんかヒヤヒヤした。
だけど私の性欲は異性に向き(処女だから自信ないけど)、そして今まで好きになった人も男女半々なので、多分シスヘテロ?とかいうやつなのだ。
節子、「今まで好きになった人も男女半々」ならシスヘテロやない、バイセクシュアルや。シスかどうかは知らんが筆致を見ればまあシスなんやろ。
「シス」ってのはシスジェンダーの略で、「身体の性と性自認が一致する」って意味や。生まれつきまんこがあって自分は女だと思ってるなら(あるいはちんこがついてて自分は男だと思ってるなら)シスジェンダーや。逆にまんこがあるのに自分は男だと思ってたりちんこがついてるのに自分を女だと思ってるのがトランスジェンダーや。
「ヘテロ」ってのはヘテロセクシュアルの略で、「性的な意味で好きになるのは異性だけ」って意味や。「同性だけ」ならホモセクシュアル、「私は誰のことも好きにならないよ」ならアセクシュアルで、「男も女もどっちもOK」ならバイセクシュアルや。
で、「シスジェンダーでヘテロセクシュアル」な人間(まんこがついてて、自分を女だと思ってて、男が好きorちんこがあって、自分を男だと思ってて、女が好き)が今の社会の多数派であり権力を握ってるから、まとめて「シスヘテロ」とか「シスヘテ」って呼ばれてるんや。
本来シスジェンダーとヘテロセクシュアルは全然違う軸の話で、単にそれを兼ね備えてるやつが多いってだけの話やから、気ぃつけてな。
A シスヘテロ女性 シスアセクシャル女性 シスレズビアン女性 トランス男性 バイ女性
──────女体持ちの壁──────
─────マイノリティの壁─────
以下寸評
A 女体持ちグループ(シスヘテロ、バイ、Aセク、レズビアン、トランス男性)
シスヘテロ女性は長い歴史があり、ポリコレバトルにおいて最大勢力を誇る圧倒的弱者。
女体持ちという汎用弱者スキルに加え、ジョブチェンジし妊婦となることで弱者度を更に伸ばすことが可能。
ただし未婚者が増えたことで同属性からのヘイトを集める可能性もあり、扱いが難しい。
現環境においてトランス女性とのバトルが勃発したが、女体持ちという汎用スキルと数の暴力で、
「マイノリティ優勢」というポリコレバトルの基本ルールすら歪ませかねない活躍を見せた。
その地位は盤石か。
アセクシュアル、レズビアンに関してはヘテロセクシュアルには無い火力の高さを見せるときがあり、潜在能力に期待がかかる。
トランス男性は弱者度では最強クラスのはずたが、数の少なさがネックか。
総じてシスヘテロ女性以外の属性は実力が図りづらく、A評価となった。
今後の展開次第では何らかの属性が頭ひとつ抜け、S評価となる可能性もある。
B 男体持ちマイノリティグループ(ゲイ、トランス男性、バイ)
マイノリティ度ではAクラスと同等だが、男体持ちというポリコレバトルではデメリットしかないスキルが足を引っ張るグループ。
ゲイはシスヘテロ女性同様、このクラスでは安定した地位を保っている。
シスヘテロ女性とも表面的には友好関係を築いており、文化人が多いこともあって発言力もある。
トランス女性は現環境において大きく評価を落としてしまった属性である。
男体持ちでありながらAクラス入りという偉業を成し遂げんとしていたが、
最大勢力であるシスジェンダー女性との相性がとことん悪く、その脆さが露呈してしまった。
Bは良くも悪くもAクラスとの関係に依存するグループと言える。
ポリコレバトルの基準・原点であり、この属性からどれだけ離れているかで弱者度が決まってくる。
調整で「弱者男性」「KKO」といったスキルが追加されたが、根本的にポリコレという土俵では戦えない属性と言わざるを得ない。
持たないタイプだそう。いろいろあるのね。
きっと声を上げたくてもあげられない人たくさんいる。
悩んでたけど、友人がいたから一人じゃないと思えた。
ブログとかもあるみたい。
たくさんいるんじゃないかな。
あと、アラフォー になると、誰も言わなくなるのは本当(苦笑)
年取るのも悪くないです。
調べることができる。
だけど
という診断が出た。
診断をみて、唸ってしまった。
「好きな人に振り向かれると、急に冷める」
かつ、ずっと夢中で追いかけてた夢が
ただ、そうなると外野がうるさい。
こともあって、悔しい思いをしたこともある。
それに、世間はこれでもか、とばかりに、
欠陥があるから、と言わんばかりだし、
思ったこともある。
中身は変わってないんじゃないかと思った。
王子様としてそっと見つめているだけで、満足
できてしまう。
この場に、夢はないと悟って、辞めた。
見えず、無理だった(お互い様)。
いずれ後悔するのでは、と思ってたけど、
診断を読んで、そういう人もたくさんいると知って、
このままでいいんだ、と思った。
無理せずひっそり生きていけばいい。
そう思えたのが何よりの収穫だった。
A シスヘテロ女性 シスアセクシャル女性 シスレズビアン女性 トランス男性 バイ女性
──────女体持ちの壁──────
─────マイノリティの壁─────
以下寸評
A 女体持ちグループ(シスヘテロ、バイ、Aセク、レズビアン、トランス男性)
シスヘテロ女性は長い歴史があり、ポリコレバトルにおいて最大勢力を誇る圧倒的弱者。
女体持ちという汎用弱者スキルに加え、ジョブチェンジし妊婦となることで弱者度を更に伸ばすことが可能。
ただし未婚者が増えたことで同属性からのヘイトを集める可能性もあり、扱いが難しい。
現環境においてトランス女性とのバトルが勃発したが、女体持ちという汎用スキルと数の暴力で、
「マイノリティ優勢」というポリコレバトルの基本ルールすら歪ませかねない活躍を見せた。
その地位は盤石か。
アセクシュアル、レズビアンに関してはヘテロセクシュアルには無い火力の高さを見せるときがあり、潜在能力に期待がかかる。
トランス男性は弱者度では最強クラスのはずたが、数の少なさがネックか。
総じてシスヘテロ女性以外の属性は実力が図りづらく、A評価となった。
今後の展開次第では何らかの属性が頭ひとつ抜け、S評価となる可能性もある。
B 男体持ちマイノリティグループ(ゲイ、トランス男性、バイ)
マイノリティ度ではAクラスと同等だが、男体持ちというポリコレバトルではデメリットしかないスキルが足を引っ張るグループ。
ゲイはシスヘテロ女性同様、このクラスでは安定した地位を保っている。
シスヘテロ女性とも表面的には友好関係を築いており、文化人が多いこともあって発言力もある。
トランス女性は現環境において大きく評価を落としてしまった属性である。
男体持ちでありながらAクラス入りという偉業を成し遂げんとしていたが、
最大勢力であるシスジェンダー女性との相性がとことん悪く、その脆さが露呈してしまった。
Bは良くも悪くもAクラスとの関係に依存するグループと言える。
ポリコレバトルの基準・原点であり、この属性からどれだけ離れているかで弱者度が決まってくる。
調整で「弱者男性」「KKO」といったスキルが追加されたが、根本的にポリコレという土俵では戦えない属性と言わざるを得ない。
特定されない為に以下の記述にはフェイクをいくらか織り交ぜてある。
人が苦しむ姿を見て楽しむのが趣味だ。
そんな俺がここ最近特に観察するのを楽しみにしているなろう作家がいる。
彼は40万字書いてアクセス数がやっと一万五千を超えるかどうか。
対して俺は書籍化にはほど遠いが100万アクセス以上の作品がいくつかある中堅作家といったところか。
その男は別にリア友という訳ではなく、ただのネット上の知り合いだ。
だがその男がエッセイで、活動報告で、ツイッター上で吐き出す苦悩を見るのが本当に好きなのだ。
誤解されないように言っておくが、彼の力量は決して低くない。
むしろ俺などよりもずっと巧みで、彼の作品を読む度に俺にはこんな文章は書けないと思わされる。
そんな彼が何故俺程度すら超えられないのか。
これは単に俺が彼の作品を読んだ感想でしかないが、彼の作品にはいつも何処か寂莫とした感覚が憑き纏う。
読んでいて居心地が悪いというか。座りが悪いというか。
「この登場人物に本当に感情移入していいのか」とビクビクしながら読み進めることになる。
彼の作品には「書きたい」という気持ちも「読みたい」という熱意も篭もっていないからだ。
彼は単純に「書ける」ものを書いている。加えて大衆受けする作品でもない。
だからと言って俺は彼に「自分の書きたいという気持ちや読みたいという感情を大事にしなよ」とはアドバイスしない。
彼はエッセイで絶叫している。
スランプの最中で自分の書きたいものを書けなくなってしまったと。
どんなコンテンツに触れても「作品の為のネタ集め」としか思えなくなって、自分の読みたいと言う気持ちが分からなくなってしまったと。
そんな彼に上記のアドバイスをするのは「お前には絶対に名作は書けない」という宣告に等しい。
俺は彼の筆を折りたくない。彼の苦悩をずっと見ていたい。
だから俺は何故彼の作品がダメかの根本には触れないようにしながら、彼が苦悩を吐き出す度に共感する振りをしつつ、優しい言葉をかけ、当たり障りのないアドバイスをする。
彼がなんとか作品を書き続けてくれるように。
しかし彼も薄々分かっているのだろう。
自分は「書きたい」「読みたい」という感情がないから駄目なのだと。
分かっていながら届かないものに手を伸ばして、それが指先にもかからない人間の苦悩は何よりも価値がある。
彼の人生が上を向くことはあるのだろうかと思う。
彼はフリーターで、もういい年だ。
根っからの無性愛者(アセクシュアル)で他人と恋をしたいと思ったことが無い。
それでも書けるから書いてしまうことが彼の苦しみを助長させている。
もし彼がうつ状態から回復できれば「書きたい」や「読みたい」も生まれるかもしれない。
でも、彼にそんなチャンスがあるだろうか。
そう思い悩み、彼の境遇に思いを馳せ、彼の苦悩をテイスティングする。
俺は彼の苦悩のファンだ。
こんなに価値のある苦悩をしている人間がいる、と誰かに伝えたくてこの文章を書いた。
できれば彼が自ら命を絶つことなく、筆を折らず、無名作家のままでいてくれることを俺は願う。
無茶な願いだろうな。
心情としては全面的に同意するけど、論としては少しズレていると思う。
そもそもの問題は「オタク」という言葉の指す範囲が広すぎかつ大雑把すぎることにあるのでは。
「オタク差別」なる差別問題を存在するとして扱うのは弊害が大きいと思う。というよりも、「名前のない無数のマイノリティ」が「オタク」という一つの言葉に内包されていて、その各々のマイノリティに対する差別問題が「オタク差別」という言葉に置き換えられて語られているのだと考えた方が都合はいい。
つまりは現状の社会学の「手落ち」部分であり、言語化を待たれる部分であり、それ故に論理的でも理論的にでもなく、独りよがりな自分語りに終始しがちな部分である。でもそれはある程度仕方ない。それらは論としては支持することはできないとしても、寄り添うことはできる。
テクニカルな話をすると、「オタク差別」は存在しないとしても、何らかの「名前のないマイノリティ」を「オタク」と蔑んだ瞬間にそれは「差別」になる。故に例えば"「オタク」という語は差別語である"のような言説は成り立つと思う。
【追記】
上の記事みたいに、「名前のない無数のマイノリティ」を包括する用語として「オタク」を採用しよう、という戦略はアリだと思う。ただし、それをやるならまずは大々的な"宣戦布告"から始める必要があるだろう。