はてなキーワード: アセクシュアルとは
なにも成さず、なにも残さず、周囲と疎遠になって死ぬことに対して、時々どうしようもない気持ちで窒息にそうになる。
人間関係が下手すぎる。
長く続いた友人は数えるほどしかいない。こちらから連絡を取ればいいのかもしれないけれど、ラインもFacebookもインスタも、なにもかも「続ける」のが苦手。Twitterで吐き捨てている方が気楽過ぎる。
少しでも嫌なことがあれば、解決するまで話したりしないで、すっと離れてしまう。だからもう周りの糸から抜け落ちているようなきもち。自分が悪いのはわかっている。
仕事にしても、よくある仕事について、よくある仕事をして、特にスキルがあるわけでもなく、仕事に誇りがあるわけでもない。私がいなくなっても、代わりの人間はいくらでも出てくるだろう。
そもそも、なんのために働いてるんだろうか。今はエンタメも奪われ、イベントもなく、どんどん人との交流がなくなる。あっても、私は関係を維持するのが苦手すぎる。人を傷付けるし、人を不快にする。みんなごめんね。やって後悔してること、言って後悔してること、たくさんあります。
周りが結婚しはじめた頃は、本当に親が望むような普通の人間になろうとして色々試した。けれと、そんな一生一緒にいたい、煩雑な手続きを踏んでまで一緒にいたい相手は結局見つかっていない。
では同性が好きなのかな?と思ってみても、こちらもたぶん違う。たぶん、アセクシュアルだろうか?定義に当てはめたいわけじゃないけど、自分が何にも所属していないと思うと怖くなるから。
父さん、母さんごめんね。申し訳なさすぎてどうしたらいいかわからない。これも怖いことの一つ。なにも問題がない家庭に育ったはずなのに、私がぶち壊してしまうのだろう。
でも一番悲しいのは、その「普通」を嫌がってるくせに、ずっと執着してしまう自分自身だと思う。
一人の時間も好き。
人との関わりばかり話してきたが、一人の時間が好きなので、会社が休みの日は一人でぼーっと過ごしたかったりもする。でも、一人過ぎるのもなんか辛い。今はいいけど、少しずつ輪が小さくなっていく。みんなパートナーができ、子供ができていく。もし定年が来たら?動けなくなったら?私はどうやって目の前に漠然と広がる時間を潰すの?
パートナーが欲しいわけじゃないけれど、何が欲しいんだろう。なんか、どうしようもない。言葉にうまくできない。自分が矛盾しすぎていて怖い。帰るところが常に欲しいのかもしれない。
人間ってめちゃくちゃに難しい。
「子供を産む」人たちにとっては、自分が死んだあとの世界を子供に残したいわけだから、所謂SDGsが重要になるんだろうけど。
「子供を産まない」人たちにとっては、そういう実感ってあまりないのよな。別に、俺が死んだ後に世界が滅亡しようがどうなろうが、ぶっちゃけあまり関係ないのよな。
「子供を産む」人達がどれだけ「このままじゃ社会を維持できないぞ!どうすんだ!?」と言ったところで、「子供を産まない」人たちにとっては「ふーん、それで?」で終わりなのよ。
「同調圧力をかけ続ければ子供を産ませられる」と未だに勘違いしてる人が多いけど、もはや「子供を産まない」という選択肢自体が脅迫的な政治カードとして機能する時代だと気付いた方がいい。
俺もアセクシュアルだけど、それでも俺個人の趣味としては俺が死んだ後も人類には繁栄して欲しいと思うよ。そういう人は割と多いと思うよ。
でもね、「子供を産む」人達があんまりにも傲慢だと、「じゃあ人類なんて滅亡していいよ」ってあっさり言える程度には薄情だとも自覚してるよ。
白人が逮捕された実例をいくつ上げようが、「黒人の方が逮捕されやすい」という事実に対する反論にはならないのよ。
逆にオタクが叩かれた実例を上げたところで「オタクが叩かれやすい」ことの証明になるわけでもないけど、一つ象徴的な事実としては、たかが「献血ポスターにほんのちょっとえっちな絵が使われた」程度のことを批判するのに、「売血だ」とかいう”過激な”論理が用いられたことは記憶にも新しいよね。主観的なストーリーでしかないけど、そのようなストーリーは強者の側からは見えないのよ。
私のようなアセクシュアル(フィクトセクシュアル)の人間からすれば、フィクションの表現なんかよりも、人格のある生きた異性を性的対象として、あまつさえ性交渉にまで及ぶような人権侵害行為が許容されている社会にこそ恐怖を覚えるのだけれども。こうした対人性愛の特権性が批判されることは無いのだから、いくらなんでも「オタクばかり叩いてるわけじゃない」という言い訳はいつまでも通用しないよ。
私は二次性愛者(アセクシュアルの一種)なので、増田のような異性愛規範擁護者も、「異性愛規範批判」をフィクションに持ち込む人も、等しく対人性愛規範擁護者として軽蔑してますね。
「恋愛や性愛は異性同士」という規範と同じくらい、「恋愛や性愛は人間同士」という規範も批判して欲しい。
生殖に対する姿勢を明らかにした上で異性愛をスタンダードとするなという主張をするならば全く問題ないのだが、してないのにそう言われるとモヤるというか不誠実じゃないかと思ってしまう
「異性愛規範」と生殖は「無関係」(増田自身が例を挙げているように、人それぞれのスタンスがありうる)のだから、それを表明するのは別に義務ではない。
ただまあ、それとは別に、「生殖に対するスタンスを決めあぐねている人が、その選択から逃げるために異性愛規範を批判することで安心を得ている」という事例も少なくはないだろうなとは思う。
増田はその辺を言語が出来てないから、異性愛規範を擁護することしか出来ないのだろうな。
なんなら貴方たちがフィクションの中で同性愛を消費するのを合理化する為に反異性愛規範を名乗っているだけなんじゃないのか……と邪推すらしてしまう(性格の悪い人間)
まあそういう事例も少なくはないだろうなとは思う。
増田も含めて人類は頭が悪いから、自分が何を望んでいて、その為には何をしなければならないのかを言語化することが出来ていないのよね。
ちなみに私自身の生殖に対するスタンスは「現象としてはなるようになる。それ自体は善でも悪でもない。それはそうと個人的には人類には繁栄して欲しい」くらいですね。
「じゃあどうやって人類を繁栄させるつもりなの? やっぱ異性愛規範が必要じゃないの?」という問には、(別に答える義務はないが、答えなければ卑怯というそしりは免れないと思うので、提案という形で答えると、)そろそろ人工子宮も実用化されそうなので、そちらで対応可能じゃないかなと思う。
オナニーをやめてみた
そもそも私には本当に性欲というものが存在するのか?と疑いが起きたからだ。
私は恋はしない。しない、と思う。
新鮮だったし、楽しくはあった。
しかしその人が私を思う意思の強さほどのものを、私は誰にも抱いたことがないなと感じたことをよく覚えている。
「バレンタインのチョコレートをあんなに嬉しそうに受け取った人が恋をしていない訳ない」と言ってくれた。涙と一緒に。
私は今でも悪いことをした、と思っている。
その言葉を届けることはできないけれど。
恋をしない。この想いにそれほど強い確信がある訳じゃない。
明白な初恋がなかったことや、嫉妬を一切しないことや、友達と恋人それぞれに対して感じている想いがどう考えても同じであることからの類推だ。
だから、どうやら恋はしないらしいと今はそう思う。30歳。
二点目、一緒にいる人は恋人を作ると一緒にいれなくなるから、なら私が恋人になればいいと思うから。
今回は色々勘違いだったがアフターフォローはうまくやった。恋をしている訳ではないのだ。
それくらいはきちんとやるのが筋ってものだ。
深くは聞かないが、私はそれでいいと思う。
彼女の心を覗くことは私にはできない。
それならそれでいい。私はただ側にいてあげようと思う。
そして考えてみるとそういった女性と一緒にいて性欲を感じたことがないなと思った。そしてオナニーをやめてみた。
若い頃からそもそも男性にしては非常に頻度が少なく、20代も後半になるとなんとか頑張ってやっていた。
やめてみていくらか経つ。
別にオナ禁するつもりもなく無理してまでやることはないなと思っただけなので、どれくらい経ったか正直よく分からない。
たぶん一ヶ月は経っている。辛いとか何もない。
そう自信を持って言える日がくるのかな。
私にはよく分からないでいる。
ただこれまでずっと思っていたことがある。
職場の先輩と二人で飲みに行って、終電が無くなって、先輩の家で飲み直すことになった。
今まで誰とも付き合ったことがなかったし、キスもしたことも、もちろんその先も経験がなかった。
いつかは経験するだろうと思っていたそれの時が来たんだな〜と他人事みたいに思った。
先輩と喋るのは楽しかったし、趣味も合ったし、だからその日は割と飲んでいた。3軒ハシゴした。
私は酔うと楽しくなっちゃっていろいろどうでも良くなっちゃうタイプなので、
仕事で関わる人と体の関係を持った後のいろいろとかは特に気にしてなかった。その時が楽しかったので。
先輩の家に着いて、おすすめのウイスキーとかをご馳走になってるうちに、隣に座ってきたり、手を握られたりして、だんだん酔いが覚めた。
距離が近くてドキドキとかもないし、手を握られて緊張とか嬉しいとかもなかった。
どう振る舞うのが正解なんだろうな〜って考えてた。
先輩のことは好意的に思ってたけど、その感情は男女問わず友人に対して持ってる感情と一緒だなってその時気付いた。
私は今日先輩と飲んでて超楽しかったけど、先輩的には今のこれがメインだったのかな〜って思ってちょっと残念な気持ちになったりした。
先輩はもう完全にそういうモードに入ってたのでされるがままおとなしくしてた。
私は恋愛経験がほぼ無くて、いつまで処女でいるのかを悩んだりもしてたので、丁度いい機会だからこのまま捨ててしまおう〜とかも思った。
体の関係を持ったら好きになっちゃうタイプが身近な友達にいたので、私もそれかもしれないから成り行きに任せようみたいな気持ちにもなった。
でもいよいよのときになって全然入らなくて、力抜いてって言われたけどどう力を抜いたらそこの力が抜けるのかが全然わからなかった。
こちらとあちらのサイズ感が全然違くて、これどうやっても入らなくない???とか考えてた。
先輩が何回かトライしてたけどやっぱり入らなくて、痛いですって伝えたら止めてくれた。
結局そのまま抱き着かれて眠った。そうやって寝るのは悪くないなって思った。
次の日の朝、会話もそこそこに家に帰ったけど、なんというか感情の整理がつかなくて
そもそも大人がサシ飲みして「この後俺の家くる?」「行きます~!」ってなったらそれはOKの意思表示になるのかなとか、
もしそうなら先輩に恥をかかせたことになるのかなとか、
先輩と飲むのは楽しかったから、2軒目で切り上げて帰ってたらまた飲みに行けたかなとか、
今は幸い一緒のプロジェクト無いけど、次顔合わせるときどんな顔すればいいかなとか、
そんなことを考えながら過ごしてた。2か月くらい。
結構引きずってた。
3か月目くらいからはすごい推せる映画に出会ってそれに夢中だったからあまり先輩のことは考えなくなってた。
昨日、久々の休みだったので手の込んだ料理を作って一人で飲んでた。
なにを飲んだか覚えてないけど家で一人だからべろべろになってしまって記憶が曖昧で、
確か先述の推せる映画の登場人物の一人がアセクシュアルなんじゃないか、みたいなツイートを見かけたんだと思う。
それについて検索したら診断のページが出てきて、軽い気持ちでやったけど、まあ自分は普通の異性愛者だと思ってた。
私には同性愛者の友達がいて、理解してるよみたいな態度で見守ってたけど、
それに対して自分のことは「普通の」異性愛者だと思ってるあたりお前はなんにもわかってねえよと今は思います。
心と体の性が一緒
・ノンバイナリー
診断結果を見たときに、自分の中にあったいろんな経験とか情報とかが正しくあるべき場所にしまわれたな、みたいな感覚があった。
今まで二十数年生きてきてこんなに納得したことはないなって思った。
私の恋愛経験がないことに関して、友達に「いつかいい人が現れるよ~」って言われることが多かった。
これはアロマンティック・アセクシュアルあるあるワードらしい。
でもまあこれはネットの診断であって、そのうち恋愛感情を抱くこともあるでしょうって思ったけど、
これはアロマンティック・アセクシュアルの人が良く思うことらしい。
あることの証明はできるけど、ないことの証明はできないってこういうことかって初めて身をもって知った。
気持ちのやり場がなくてアセクシュアルについて(多分)国内で唯一刊行されてる書籍をポチりました。
ドラマ映画に出てくる「こんなに好きなのに・・・!」的セリフにピンと来なかったり、
全部自分の経験不足故と思っていたけど、そもそもそういうの持ってなかったんだな。
LGBTの人はパトーナーが出来たりとかで周囲の人にカミングアウトの必要が出てくる場合もあるけど、
アロマンティック・アセクシュアルは別に何も言わなくても死ぬまでやり過ごせるかもしれないなって思ったら、
もしも今後パートナーが出来て、相手にカミングアウトしても、「それって俺に対してってだけでは?」となるのでは?
友達に言っても、「それって彼氏ができなさ過ぎての勘違いとか思い過ごしでは?」って言われそう。
私もそう思う。
両親に言って「そんな冷たい/寂しい人間に育ったなんて」なんて言わせてしまったら居たたまれない。
子供が欲しいってずっと思ってたけど、彼氏が欲しいとか旦那が欲しいとか思ったことなかったかも、そういえば。
本が届いて読んだら、やっぱり別に私は異性愛者で勘違いだったかもとか思うかもしれない。
けど、誰にも恋愛感情を抱かないとか性的衝動がないとか二十数年の実績が物語ってますよとも思う。
先輩とは、なんか、私が自分のことを把握していなかった故の事故みたいなものだったんだなって思った。申し訳ない。
先輩は会社の別の拠点の人間だけど、前はちょくちょくわたしがいる拠点に来て仕事してた。
最近見ないけど、来なくても仕事できるように調整してるのか、来てるけど私が気づいてないだけなのか・・・。
どっちにしろ気まずいんだろうな。飲み仲間として好きです。
絶妙なタイミングで必要な情報にぶち当たるあたり、やっぱりこの世は予定調和で出来てるんだなと確信しなおしました。
結局処女は捨てれてないな。
私はアセクシュアルなんですが、性加害の疑いをかけられたら「私はアセクシュアルです」とカミングアウトしてやろうとは思ってる。
幸い私はそういう経験がないし、別にありふれたものだとも思ってないので心配もしてないけど。
「人、特に男性は異性に興味津々である」という風潮には辟易しているので、「スカッとする妄想」として消費している。(我ながらキモイ。)
また「アセクシュアルなら性加害を行わない」とも思ってないけど。
鼻を明かしてやることはできるとは思う。(我ながらキモイ。)
同様に、ゲイの人なら「私はゲイです」と言ってやれるんだろうけど、シスヘテロの人がそれに相当することを言おうとすると「誰がおまえみたいなブス/ババアと」しか言えないから可哀想だね。(「可哀想」というのは、皮肉と本心が半々くらい。)