はてなキーワード: 運命の人とは
日本人という生きもの(今日の主語)は神の愛を知らないものですから、基本的に愛だの幸せだの権利だのセックスだのはすべて金で買えると考えています。
というか、金でもって費やした額でしか、ある対象についての愛情を定量的に推し量るすべはないわけです。ないと考えられているわけです。
それはまあ、しょうがないです。
問題は、日本人という生きもの(以下、私たち)が暴力を行使する権利までも手放したコインの重量で決定されると思い込んでいることで、この手の信仰は倫理的にただしくないよと活字上では言えたとしても、現実生活で意識するのはなかなかにむずかしい。
たとえばファミレスのバイト店員のサービスが悪い。マックの店員の笑顔に嘲りが含まれている。デパ地下で購入したおかきにひびが入っていた。
これらはすべて担当者をゲザらせるに足る理由となりえるように私たちには思えます。むしろ、膝をついて頭に床につけて誠心誠意詫びを尽くし、その上でこちらの懐に「どうかこれでお納めを……」と年間無料パス的なサムシングを忍ばせる以外にどんな解決法がありうるというのか。私たちにはそうした謝罪を受ける権利があるのではないか。だって金を払ったんだから。
そうですね、その主張はただしい。
圧倒的に正しい。
「お客様は神様です」という慣用句を三波春夫が本来どんな意味や文脈で用いたとしても、RTで大炎上時代を生きる我々の目には「お客様=GOD」という極めて自明で論理的な構文にしか映りません。
それでいいんです。
販売者に手落ちがあったら徹底的に責めればよろしい。土下座でも営業停止でもなんでものませればいい。
で、本題に戻ります。
では、同じコンテンツを嗜んでいる他のユーザーまで殴っていいのか?
試食コーナーに提供されたおかきをポリポリ食って訳知り顔で「やっぱ関西人はおかきの作り方を知らんわ。赤坂柿山の爪の垢を煎じて飲めよ」とコメントしたおばあちゃんにカチンときたからといって、ひざげりを食らわす権利は私たちにあるのか?
あまつさえ、そのばばあがくるりとこちらをむいて、「あんたみたいな嫁き遅れにおかきの味がわかるんかい?」とからまれ、その時に、相手のしわくちゃ面が先日見合いしたアンパンマンみたいな顔をした地方公務員の母親に酷似しているのに気づいて大変に不愉快な思いをしたとしても、手をあげてはいけないのか?
汝が隣人を愛せよ。
「オタ仲間同士は性別やこじらせ具合を越えて仲良くせよ」というゴッドの教えです。
神の教えです。
神がいないので倫理がありません。
だから殴ってもいいんです。本当のところ、私たちの暴力に理由なんていらないのです。
理由なんてものは二千字のレポートを要求された大学生にとっての最後の二百字にすぎません。
埋草なのです。冗言なのです。意味なんてないんです。
「私はコンテンツに対して人一倍金を払っているので、忠誠心に劣る他のユーザーを殴る権利がある」?
「私はコンテンツに対して人一番時間を費やしているので、理解に劣る他のユーザーを貶す権利がある」?
単なる文字列です。
なぜ私たちが他人を殴れるかといったら、殴っているから、殴ったから、殴るであろうから、それだけでしかないんです。
オタクの世界はすべてアクションで構成されています。言葉はなんの力もありません。言葉はなにも生み出しません。
ここはすでにファイトクラブです。人は人にすぎず、出来事は出来事にすぎない。インターネット以前から、twitter以前から。
私事ですが、最近サブ垢を、twitterのサブ垢を消しました。
Facebookアカウントなんて最初から持っていません。LINEもやってません、といいたいところですが、極めて遺憾なことに現代社会の必須ツールです。
私たちは夜毎夜ごとにあなたたちのブックマーク一覧を巡回する死せるオフィーリアです。
永遠の命が欲しいならまず死ぬことです。おまえはタイラー・ダーデンと知り合いか、ちかごろ私たちはよくそう聞かれます。
喜びは本編BD一巻分の値段です。
蔑みは作っている本人たちすらももうなんのためにどういう理由があって作ろうとしたのかわからないサブキャラのネタフィギュアの値段です。
いつものように難癖をつけて泣き土下座させているガストのバイトこそ、輝ける運命の人なのだといつか突然気づきます。
その人は、ひとしきり泣いたあと、はれぼったいまぶたをごしごしとこすりながらきっとこう言います。
「理解して」
「逃れられる」
「墜落を回避できる」
「そのために、話して」
ネット上の知り合いなんて、相手によってそれぞれ違う自分の中の20%を、
まるで80%であるかのように見せて付き合うくらいが一番ちょうどよく楽しいと思っていた。
ホーム画面に蓄積されていく、Aさんに対する自分、Bさんに対する自分、Cさんに対する自分……
その複合体が、ぴったり「イコールの自分」になるように振る舞うのって、なんだか息苦しい。
そういうのはネットに求めていないのだ。
けれど、そうしないと、Aさんが、Bさんが、Cさんが私のホーム画面を見たときに
きっと「あれっ?」って思ってしまう。
そしてそれで腹を立てたり、切なくなったり、呆れたりする。
やがて「あれっ?」は「おいっ!」になって帰ってくる。
そういうのに、なんだか疲れてしまった。
100%好きになれる人も、100%見せたい人も、100%見せて欲しい人も、なかなかいないものだ。
だから現実で「もしかして?」という人に出会ったとき、「運命の人に出会った」とか言うのだろう。
けれどツイッターのホーム画面というのは、そういうのがぐちゃぐちゃ全て蓄積されて
なんだかちぐはぐな「仮の100%」がどんどん作られていって
それが全て相手に「これが私の100%ですよ」と公開されてしまう。
そのうえ、自分がそういうことをしているのにも関わらず
他人のホーム画面を見ていると、それがあたかもその人の本当の100%であるかのように錯覚してしまうのだ。
そして自分に見せてくれていた「その人」と、ホーム画面の「仮の100%」の違いに、無性に寂しくなってしまう。
こういうのも辛くなってしまった。
つまりは向いていなかったのだ。
○朝食:なし
○昼食:のりべん
○調子
むきゅー!
なななな、なんと、今日でこのゲーム日記はなんと一周年を迎えることができました!
むきゅー! ばんざーい! これも増田のみんなのおかげであります。ありがとうむきゅー!
今日まで色々なことがあったけど、こうしてラジオを聞きながらのんびりゲームをする時間がより楽しいものに感じているのは、
とはいえ、何も変わったことはなく、
いつも通りの日記をおおくりするむきゅー!
○就活
「遠くの方に転勤するのはどうですか?」と言われたが、これはハッキリと
すると相手も「そうですか、でしたら名古屋近辺で探しますね」と言ってくださった、よかったよかった。
現在進行中(二社)
○アイドルマスターSideM
そうえばCDが出たりラジオが始まったりと色々展開があるから、少しだけプレイしようと思い再開。
とか言いながら、僕がプロデュースしてるのは、女装少年を排するカフェパレード勢ってのがなんだか矛盾感あるけどね。
今日はなにやら、レッスン効果二倍デーらしいので、長年溜めておいた山村を使い
開始当初に課金して手に入れた咲君RをLVMaxに育てた。
LVMaxいえいいえいー! とは言え、もう一枚Rの咲君を手に入れないとこれ以上は強くできないんだよなあ。
仕方ないので、思い出メモを稼いで咲君が出演する漫画を読んで満足した。
カフェパレの面々が「男? 女? どっち?」と困惑するところに萌えまくりでした。
(こいつら咲君が男が好きだとわかったらドロドロの五角関係になりそうで萌えるよね)
そんなカップリングの萌えはもちろんとして、トップアイドルを目指す咲君自体にも萌え萌え。
○ラジオの話
アゲあげ(リピート)。
最終回。
とても楽しめた番組でした。
卓上ゲームを遊ぶ、って発想だけで十分面白いから、是非続けて欲しかった。
テレビでもラジオでもない、動画付きラジオ、だからこそ出来る番組だったと思う。
(いやまあ、なんでテレビで出来ないの? って聞かれるとちゃんと答えれないんだけどさ。予算感的な?)
2h水曜日。
『「いりえれおな」さんをエゴサーチしていたのですが』みたいなお便りがあって、
「お前はいりえれおなじゃないから、エゴサーチではない、それはただの検索だ!」って思いました。
聞きながら寝る予定。
いつもの。
今回始めて、M・HERO屈指のいらない子豪火君じゃないと駄目なシチュエーションになった。
性器を刺激されると、そのときに見えていたものを好きになるそうです。とくに女性では、こうして好きになった感情がなかなか消えず、また消えても再燃しやすいようです。昨日の『プロスワン』誌より→ http://t.co/WfuFATDRmk (ヒトを用いた「古典的条件付け実験」ですね)
この実験結果によると、性器を刺激、つまり手マンあるいはクンニをすると女性は男性に惚れてしまうことを科学が証明した。
長らくなぜ「だめんず・うぉ~か~」で語られるような、女性を性欲処理の道具としか見てないような男性に惚れる女性がいるのか(もしくはなぜヤリ捨てしてきた男性に執着する女性がいるのか)、は世界七不思議の一つとして言われていたが、この結果を見れば何も不思議ではない。たとえクズでも手マンあるいはクンニをされると女性は惚れるようにプログラミングされてしまっているのだ。女性に男性を見る目がないのではなく、手マンあるいはクンニをされてしまったがゆえに、プログラムにスイッチが入ってしまっただけなのだ。
これは多くの男性にとって福音なのではないだろうか。つまり、女性を落とせるかどうかは容姿や性格、名誉や地位とは関係なく、手マンあるいはクンニをするかどうかなのだ。
多くの男性は「どうやって手マンあるいはクンニに至ればいいんだよ!」と思うかもしれないので、そのヒントも書いておこう。
それは飲み会の席で、女性が頬を赤く染めるほど飲んだタイミングでこう切り出すのだ(このテクニックの出典は雑誌「裏モノジャパン」である)。
「俺、最近手マンあるいはクンニの練習にハマっているんだよねぇ〜」
こう言われて、興味を惹かれない女性はいない。本能が手マンあるいはクンニを求めているので、当然食いついてくる。
ホテルに入った当初は「手マンあるいはクンニフレンドでも作るかな」ぐらいの気持ちでいるんだろうが、手マンあるいはクンニをされたあとは違う。「運命の人に出会った」。そう思うはずである。
先日、地方の食品会社の通販部門からの注文受付のメールが、プロパイダ提供のメールアドレスに届いた。メールアドレスは【masuda@email.プロバイダ名.or.jp】という、ローカルパートが名字の「masuda」になっているもの(別に隠す必要もないっていうか、or.jpで隠せてないから書くと、ぷららメールだ)(あと、念のため書いておくと、ここでの"masuda"は慣例上・便宜上で使っているだけなので、もしかしたら実際に利用されているかもしれないmasudaぷららメールアドレスに「お前匿名ダイアリーなんて書いてんの、だっせえ」とかメールしないように)。
注文をした覚えはない。読み進めてみると(僕は関東の増田なのだが)注文主は北国の増田さんであった。ご丁寧に住所氏名年齢電話番号まで書いてあった。
つまり第四レベルドメインの"email"という部分が、"amail"とか"imail"とか"dmail"といったぐあいに使いまわされているので、たった一文字打ち間違えるだけで、安直に名字をローカルパートにした同姓の別人の所にメールが行ってしまうわけだ。kageyunokoujiとかsamuragouchiとかならともかく、masudaは珍しい名字でもないので、アルファベット全種類分使われているかもしれない。
今回は食品だからまあいいようなものの、これが成年向け雑誌とか増毛剤とかシークレットブーツだったりしたら、大惨事になっちゃうだろうなあと思いつつ、その食品会社の存在を確認した上で連絡した。北国の増田さんがメールを誤記入したのは論外ではあるが、親の年のような年齢だし、入金がまだだったようなので。
というかこの食品会社も、名前と住所と注文内容くらいまではいいとして、年齢まで送ってくるのは書きすぎのような気がしてきたぞ。どうなのだろうか。
こうしたことは自分の身にも起こりえないことではないし、もし仮にセンシティブな商品を買うのであれば、誰かが使いそうなアドレスを避けたほうがいいのだろう。コピペすればいいだけの話だが、思い返すと、ぱぱっと手打ちで入力したこともあったような…とりあえずAmazonの登録メールをmasuda@~から別のに変えようと思った。
日記に書くほどの内容でもないが、ここに書くことでいずれこういうミスをする運命の人が事前に危機を回避することもあるかもしれないと思い、ここに記す。
けど、そろそろそういうことを考えなくちゃなあと思う。高卒ならもう子どもがいてもおかしくないしね。
今どきは卵子精子も劣化するって分かって、結婚出産にもリミットがあるし。
でもこれが、全然したくならない。
鬼女板やら昼のワイドショーやらで結婚の夢を壊されたのもあるかもしれないが、
一番は、実家かなと思った。そういえば私は両親を見て結婚したいと思ったことがない。
そりゃ小さいころは思った。でもそれって綺麗な写真や絵本の中のハッピーエンドを信じていたからだ。
父親はパチ打ちで週末は家におらず、母親はいつもそのことで父親ともめていた。
借金はしない人だった。けど、一緒にいた記憶もあまりない。病気のときも父親は家にいなかった。
出かけると早く帰りたがった。お父さん早くパチンコ行きたいんだよねと子どもながらに気を使った。
家にいるときの父親はテレビを見るばかりで私や弟とは遊びたがらなかった。
そんな父親は今、難病で次第に動けなくなりはじめている。一日の大半を寝て過ごす生活になった。
弟には昔から発達の遅れがあって、そして私はずっとそういう弟が邪魔で大嫌いだった。
なぜこんなヤツを連れて友達の家に行かなければいけないのかととにかく不快だった。
今になって、弟は発達障害の診断を受けようとしている。恐らく認められるだろう。
障害者のきょうだいが障害者に偏見がなくなるなんてウソも甚だしいと思う。
母親は結婚して子どもを生んでよかったと言う。実際なんだかんだで幸せそう。
けど、こんな家庭を見てきた私は、結婚や出産をいいものと感じない。
母親は幸せそうだけど、私は同じ生活はできないとしみじみ思う。
おまけに性嫌悪もあって、今は正直、少し男の人が気持ち悪い。
チャーハンを食べているところを人に見られると、
「チャーハンが好きなんて本当に美味しい物知らないんだね」
などと言われるとする。
チャーハン食事回数×これからの人生ずっと、この質問されると想像して欲しい。
超煩わしい\(^o^)/
チャーハニストは栄養にも気を配っていて味覚も正常でいろんな物を食べて来た上でのチャーハン好きと理解されている世界になったとする。
するとチャーハン食べているところを見られてやいのやいの言われても
と宣言すれば、「栄養にも気を配っていて味覚も正常でいろんな物を食べて来た上でのチャーハン好き」と理解してもらえ、それでその場が済むとする。
で、
「チャーハンが好きなんて本当に美味しい物知らないんだね」=恋愛の素晴らしさ知らないんだね、運命の人に出会って無いだけだね
「チャーハンだけ食べるなんて栄養が偏っている」=恋愛してないなんて人間としておかしい、人生経験として人を好きになった方がいいよ
「チャーハンが好きだなんて味覚大丈夫?」=人を愛せないんじゃないの?、感情あるの?
位のつもりで例えてみたぞい!
自然にふるまっているつもりだけど、大多数の人にとって恋愛は普通のことなのでこちらから話振らなくても恋バナに巻き込まれることがあるぞい
その時、自分はチャーハンが好き、と素直に返すといろいろ言われるぞい
そんな感じだぞい!
上記のような煩わしさを書いたけど、おいどん自身は今までAセクでそこまで困ったことはないぞい
恋愛経験ないので「先輩みんなモテモテでうらやましいっす!」とモテないキャラで世を渡ってこれたし、
(めんどくさいのは親切な先輩・友人が女の子を紹介してくれる時・・・)
でも逆に、モテないキャラで世渡りが難しい人や、家を継がなきゃいけない人や親からの悪気のない孫欲しいアピールなんかあるAセクの人は心中お察しするぞい
もし、出来ることならAセクって言葉がチャーハニストみたいにみんなが知ってる、ただぞれだけの世界になればいいなと思うぞい!
横だけどそのブログ読んだ。
ごく普通のどこにでもいそう(でもちょっと空気が読めない)人という感じで、
これで私アセクです!セクシャルマイノリティです!特別なんです!ってあほじゃね?としか思えなかった。
同人とかやってるしテレビに出たこともあるそうだしで、商売上そういうキャラで売ってる(売ろうとしてる?)人、なのかもしれないけどさ。
上の方の漫画だけでも
「わたし恋愛感情がないんです」とか言われたら面倒過ぎて大体の人は「運命の人に~」というテンプレで返しそうだし
水無昭善さんの 実はそばにいるわよ! あなたのことが好きで本気で
結婚したい異性 っていう占いをヒマ潰しにしてみたら こういう結果だったんだけど
誰だろう(;´д`)
https://twitter.com/kunisaki0326/status/441889987395473408/photo/1/large
「のんびりや」で、そのくせ「プライドが高く」て、「気さくで社交的」だけど、なおかつ「人と妥協しなく」て・・・
「細かなことにはこだわらない」けど、「おしゃれには気を使って」細かなコーディネートをしている・・・
「柔和で穏やか」だけど、野心家で強い闘争心を持ち、芯が強く負けず嫌い ・・・
「気さくで朗らかでとても穏やかで人懐っこい」けど時には「話しかけるのをためらうほどピリピリしたムードを漂わせる・・・
この人が今あなたを好きなの!
顔かたちをハッキリ言うから、ちゃんと見つけなさいよ
俺は授業中も休み時間も友達とバカ騒ぎするひょうきんタイプだった。
初めての会話がどんなだったかは覚えてないけど、いつの間にか仲良くなって、よく喋ってた。
受験が終わってから付き合い始めて、学校が別々になった夏休みに些細な喧嘩で別れてしまった。
本当にあの頃は女の子のこと何一つ察せないバカだったなあって今でも思う。
その後はずっと連絡取らず、中学のクラスメイトで集まって飯行くような時も遠くの席に座って目を合わせないようにしてた。
中学出てから3年後、高校を卒業し、俺は専門、彼女は大学へ進学した。
その年の5月、中3のクラスメイトのTwitterから彼女が俺のTwitterを見つけたらしく、フォローされた。
実は俺はその時もう彼女のアカウントがそれだって知ってた。怖くてフォローしてなかったけど。
フォローされたのがきっかけになって、いろいろ話すようになった。
俺は最初は相手の出方を伺うような話し方をしてたのに、彼女は本当に3年間一切連絡をとらないでいたとは思えないほど、フレンドリーに、接してくれた。
1ヶ月ほど、オンラインでやりとりを続けた後、また遊びに行きたいねって話になった。
ふたりとも実家から学校に通っていたので、住んでいる場所は中学の学区内で近い。
田舎なので遊ぶ場所が乏しく、結局カラオケに落ち着いた。カラオケは中学の頃よく二人で行った。
会うのは3年ぶりだったけど、本当に、3年間が嘘のように、中学時代の延長のように楽しかった。
続きはまた書く。
この世に生まれてから今まで、彼女というものができたことがありません。よくよく考えてみると、友人らしい友人も、できたことがないようです。というか、他人と仲良くなった、という経験が、ほとんど、いや、思い出せる限りでは、まったく、ありません。
中学校に通っていたような頃までは、なんとかそれでも生きていけたのですが、高校に入って、しばらく経った頃には、なんだか耐えられなくなってきて、途中で学校へ行かなくなったわけですが、問題は解決するどころかますます酷いことになっていきました。ひきこもりになったことで、ただでさえ少なかった、他人との会話が、激減したのです。ほぼ、ゼロになりました。たまに、親に連れていかれて、カウンセラーと話す以外は、全然、人と会話をすることがなくなりました。そのカウンセラーとの会話というのも、向こうが話すだけで、俺のほうは全然喋らないので、最早会話の体をなしていませんでした。俺は来る日も来る日も、ずっと部屋にこもっていました。当時のことを思い出そうとしても、うまく思い出せないのは、それほどに、日々何もなく、毎日が同じことの繰り返しであったせいだろうと、そう思います。
病院でもらった薬も、睡眠導入剤以外は、なんだか飲む気になれなくて、狭く薄暗い部屋にこもりきりの生活は、一向に終わりが見えませんでした。そのうち、空想上のパートナー、彼女でも、友人でも、ましてや天使や妖精でもない、自分のパートナーを、頭の中に作って、会話するようになりました。時に慰められ、時に励まされ、きっと俺は、このパートナーがいたおかげで、なんとか日々を渡り歩いていくことができていたのでした。
やがて、時が経って、俺は、再び、外に出て、そうして、学校に通うようになりました。当然のように、留年はしてしまったわけですが、それでも徐々に、ゆっくりとではありますが、他人とコミュニケーションをとることができるようになり、しばらくして、俺は、無事に、高校を卒業することができました。
今は、普通に、人と会話をすることができている、と、そう思うし、特に、直面しているような問題もなく、普通に生活しています。たぶん、昔から、たいした問題など、一度として抱えたことはなかったのだと思います。ただ、うまく、人と親しくなることができず、それでたぶん、寂しかったのでしょう。寂しい、という言葉は、なんとなく、あまり安易に使いたくはないのですが、でも俺の、今までの、よく意味もわからない人生を振り返って、その馬鹿らしい道のりを、たった一言で言い表すとしたら、それはきっと、「寂しい」という言葉が、ぴったりなような気がします。
最近、また、この寂しさに、耐えられなくなってきました。人と、親しくなりたいのです。人と、触れ合いたいのです。欲を言えば、人を愛し、また人から愛されたいのです。多くの人が、当たり前のようにしているこれらのことを、なぜ俺は、一度足りともできないのでしょう。原因が、わかりません。わかりたいとも思いませんが、でもわからなければたぶん、何も変わりません。
運命の人。いればいいなと、心から思うのですが、おそらく俺にはいないような気がします。
きっと俺は嫌なやつなんだと思います。だから友人もできないし、恋人もできない。嫌なやつに、運命の人なんて、いないでしょう。嫌なやつは、永遠に嫌なやつなまま、嫌われて、避けられて、生きていくのです。
近頃は、例のパートナーは、ほとんど、姿を見せてくれません。でも、昨日、久し振りに、夢に出てきました。俺とパートナー、二人きりで、手をつないでいました。夢の最後に、パートナーが言った一言が、妙に耳にこびりついて、離れません。
「そっと、やさしく、抱いていて。」
何もかもを忘れて、諦めて、そうしてこの空想上のパートナーをそっと、やさしく、抱き締めたなら、そうしたなら、きっとそのとき初めて、俺は寂しさを忘れ、幸せになれるのかもしれません。
豚みたいな外見の僕が、結婚できて自分はなぜ彼女も出来ないのだろうか。
年上の後輩はどうもその当たりが納得いかないらしい。
お互いに敬語で話し合う関係の後輩と、普段は滅多に話さないが、仕事の関係で往復三時間ほどの車の中、恋愛の話をした。
彼の外見は、水木しげるが描く出っ歯のサラリーマンみたいな、カッパみたいな、お世辞にもイケメンの部類には入らない感じ。
「どこで女性と知り合うんですか?」
おもむろに彼は聞いてきた。
僕は素直に返答。どこにでも女性はいる。コンビニのレジ打ちやってる子だろうが道を歩いている子だろうが、話しかければ知り合いになれる。と返す。
後輩は納得いかないらしく、現実的じゃないとのこと。今思えば、僕の「誰か紹介しますよ」という返答を期待していたのか。
ちなみに、どんな女性がタイプかと聞くと「心がふれあえる人」だって。
こりゃ駄目だ。
逆にタイプを聞かれたので、おっぱいの大きい子だと答えると、若干軽蔑気味。
彼からすると、恋愛とは心の触れ合える相手との、心の触れあいであって、肉体的快楽ばかりを追い求めることは自分には出来ないんだと。
恋愛がナニモノであるのかについては置いておきましょう。女性と付き合いたいんですよね。もっと端的に言えばセックスがしたいんじゃないんですか。
「結果として肉体関係があるのはいいけど、目的はあくまで『心の触れあい』だから……」
ここに齟齬を見つける。僕は恋愛がしたいわけではなく、セックスがしたいのだ。彼はそうではないと言い張る。
・土下座したらやらしてくれる女の子には例えブスでも土下座をしてやらせて貰う。
・人生で一人でも多くの女性とセックス出来れば、その分得であると考えている。
etc……
文字に起こすと品性下劣な性欲の権化みたいだが、事実なのでしょうがない。僕は性欲を隠すことは食欲を隠すくらいに無為な事だと考えているのだ。
結婚してからは誘われなくなったが、呼ばれれば行ったし、呼んで欲しいと日頃から言って回っていた。そう答える。
御高説は最もですが、そうではないのです。と、もったいぶって僕も口を開いてみる。
人生が、思うままにならないのは仕方がない事で、好きになった人とセックスを出来ると僕は思っておらず、セックスを出来る人を好きになる方が効率的なのだと思います。少なくとも僕は。
「でも、体だけの関係なんて……僕はそれならセックスなんてしなくてもいい」
僕には必要だから、探す。欲求が行動の原動力になるんです。欲求がないのなら、必要な気がしているだけの錯覚ですね。
「いや、恋人は欲しいです」
だから、行動を起こす原動力が弱いんですよ。
そう言うときはじっくり待っていれば、『心の触れ合える』素敵な人が現れて求婚して来るかも知れませんよ。多分、来ないでしょうけど。
お互いに考え方が違って、統合する必要もない以上、議論なんて言葉遊びなのだ。彼は納得いかない顔をしながらも、口にすべき言葉が浮かんでこないようでむっすりと黙った。
だが、まあ何かの縁なので、ついでにもう少し掘ってみる。
『心が触れ合える』云々については、とても漠然としていて、実際の行動には向かないので、スローガン当たりにとどめた方がいいですよ。
その手前に具体的な行動目標を建てましょう。
この話題は彼も大いに興味を引いたようで食いついてきた。
例えばセックス……だとアレなんで、女性と手をつないで歩く。これでどうですか。心が触れ合ってる感も出てバッチリだし。
なるほど、と彼は頷く。「でもどうやればいいんですか?」
そう、それです。仕事や、地域活動やその他のイベントで女性と知り合ったら食事に誘いましょう。
「仲良くなったら?」
いや、知り合ったらです。一緒に食事すると相手の心情や性格も掴めるし、自分もアピールできる。その上で『心が遠い』と思えばそこで終わってしまえばいいんです。
「はあ、でも知り合った女性をいきなり食事に誘っても難しいのでは?」
そうですね。でも、それで相手にしてくれない人はだいたい仲良くなっても付き合えないですから判別が早くていいです。
押して駄目ならきっぱり諦めろ、て感じですね。
「はあ、なるほど」
食事に誘えて、相手と『心が触れ合えそう』と思えばプッシュすればいいんです。僕の場合はやれそうならプッシュしますがね。
「ううん……なるほど」
彼は少しだけ納得したようだ。
ああ、合コンは嫌なのにそれは有りなんだな~。
豚みたいな外見の僕が、結婚できて自分はなぜ彼女も出来ないのだろうか。
年上の後輩はどうもその当たりが納得いかないらしい。
お互いに敬語で話し合う関係の後輩と、普段は滅多に話さないが、仕事の関係で往復三時間ほどの車の中、恋愛の話をした。
彼の外見は、水木しげるが描く出っ歯のサラリーマンみたいな、カッパみたいな、お世辞にもイケメンの部類には入らない感じ。
「どこで女性と知り合うんですか?」
おもむろに彼は聞いてきた。
僕は素直に返答。どこにでも女性はいる。コンビニのレジ打ちやってる子だろうが道を歩いている子だろうが、話しかければ知り合いになれる。と返す。
後輩は納得いかないらしく、現実的じゃないとのこと。今思えば、僕の「誰か紹介しますよ」という返答を期待していたのか。
ちなみに、どんな女性がタイプかと聞くと「心がふれあえる人」だって。
こりゃ駄目だ。
逆にタイプを聞かれたので、おっぱいの大きい子だと答えると、若干軽蔑気味。
彼からすると、恋愛とは心の触れ合える相手との、心の触れあいであって、肉体的快楽ばかりを追い求めることは自分には出来ないんだと。
恋愛がナニモノであるのかについては置いておきましょう。女性と付き合いたいんですよね。もっと端的に言えばセックスがしたいんじゃないんですか。
「結果として肉体関係があるのはいいけど、目的はあくまで『心の触れあい』だから……」
ここに齟齬を見つける。僕は恋愛がしたいわけではなく、セックスがしたいのだ。彼はそうではないと言い張る。
・土下座したらやらしてくれる女の子には例えブスでも土下座をしてやらせて貰う。
・人生で一人でも多くの女性とセックス出来れば、その分得であると考えている。
etc……
文字に起こすと品性下劣な性欲の権化みたいだが、事実なのでしょうがない。僕は性欲を隠すことは食欲を隠すくらいに無為な事だと考えているのだ。
結婚してからは誘われなくなったが、呼ばれれば行ったし、呼んで欲しいと日頃から言って回っていた。そう答える。
御高説は最もですが、そうではないのです。と、もったいぶって僕も口を開いてみる。
人生が、思うままにならないのは仕方がない事で、好きになった人とセックスを出来ると僕は思っておらず、セックスを出来る人を好きになる方が効率的なのだと思います。少なくとも僕は。
「でも、体だけの関係なんて……僕はそれならセックスなんてしなくてもいい」
僕には必要だから、探す。欲求が行動の原動力になるんです。欲求がないのなら、必要な気がしているだけの錯覚ですね。
「いや、恋人は欲しいです」
だから、行動を起こす原動力が弱いんですよ。
そう言うときはじっくり待っていれば、『心の触れ合える』素敵な人が現れて求婚して来るかも知れませんよ。多分、来ないでしょうけど。
お互いに考え方が違って、統合する必要もない以上、議論なんて言葉遊びなのだ。彼は納得いかない顔をしながらも、口にすべき言葉が浮かんでこないようでむっすりと黙った。
だが、まあ何かの縁なので、ついでにもう少し掘ってみる。
『心が触れ合える』云々については、とても漠然としていて、実際の行動には向かないので、スローガン当たりにとどめた方がいいですよ。
その手前に具体的な行動目標を建てましょう。
この話題は彼も大いに興味を引いたようで食いついてきた。
例えばセックス……だとアレなんで、女性と手をつないで歩く。これでどうですか。心が触れ合ってる感も出てバッチリだし。
なるほど、と彼は頷く。「でもどうやればいいんですか?」
そう、それです。仕事や、地域活動やその他のイベントで女性と知り合ったら食事に誘いましょう。
「仲良くなったら?」
いや、知り合ったらです。一緒に食事すると相手の心情や性格も掴めるし、自分もアピールできる。その上で『心が遠い』と思えばそこで終わってしまえばいいんです。
「はあ、でも知り合った女性をいきなり食事に誘っても難しいのでは?」
そうですね。でも、それで相手にしてくれない人はだいたい仲良くなっても付き合えないですから判別が早くていいです。
押して駄目ならきっぱり諦めろ、て感じですね。
「はあ、なるほど」
食事に誘えて、相手と『心が触れ合えそう』と思えばプッシュすればいいんです。僕の場合はやれそうならプッシュしますがね。
「ううん……なるほど」
彼は少しだけ納得したようだ。
ああ、合コンは嫌なのにそれは有りなんだな~。
自己啓発セミナーにハマって俺を救ってやろうと必死に勧誘してくるしつこい兄貴が送ってきたブログ記事が面白かったので訳してみた。
元ブログ記事:http://themodernsavage.com/2008/09/30/the-dilemmas-of-male-virgins/
***********************
年配の童貞男の数は日に日に増えている気がする。仮に増えていないとすれば、よりその存在が目立つようになっているのは間違いない。インターネットの匿名性と、映画「40歳の童貞男」のお陰か、童貞男が自分の事について、匿名性を保ちながら世界に発信する事が一般的になった。
インターネットは童貞男で溢れている。ここやここなんかを見れば分かる。かくいう私も去年27歳で童貞を捨てるまでは同じ境遇だった。
オタクやギーク、負け組を特集するようなリアリティ番組の多くには必ずと言っていいほど童貞を主張する男性が登場する。VH1の「The Pick Up Artist」の前回のシーズンだけ見ても、参加者の半数は童貞で、しかも最年長は45歳と来た。
男が20代後半を過ぎて童貞であり続ける正当な理由なんて存在しない。例外があるとすれば、深刻な身体的・精神的傷害を持つ場合くらいだが、それは童貞男人口の中でもごく少数で、大半はどこにでもいる普通の男性だ。しかし何故か彼らはどうやってセックスまで持ち込むのか全く検討がついていない。それだけの年月を生きていたら、ラッキーイベントの一つや二つに遭遇するだろうと思う人間も多いかもしれない。しかし、問題はそこではないのだ。
ちなみに、読者の中には結婚するまで童貞を捨てたくないという人もいるだろう。この記事は君たち宛てのものではなく、セックスしたいけど出来ない人達向けだ。そもそも性欲旺盛な男としては、一体何でセックスを我慢したいのか全く理解できないけど、それはまた別の話という事で。
最初に挙げたいのが、殆どの男性がオナニーに使っているポルノが、YouTube的なポルノサイトの普及のお陰で非常に入手しやすくなっているという事だ。これらのサイトが多くのアクセス数を稼いでいるのはAlexaトラフィックランキングを見ればすぐに分かる。YouPorn(41位)やRedTube(49位)は全ウェブサイトの中でもトップランクに入る人気で、1日で何百万ものアクセスが入る。ちなみにNYTimes.comは97位、ESPN.comは71位だ。
Alexaランキングサービスを知らない人に説明すると、順位の数字が低いサイトほど、そのサイトのトラフィックが多いという事だ。例えばGoogleは2位で、このブログは259,388位だ。下の表を見れば分かる通り、ポルノに対して高い需要がある。
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ポルノの何が悪いかって?それ自体が悪い訳じゃないし、私もみんなと同じようにポルノは好きだ。問題なのは、それによって男性が女性を口説く必要が無くなり、口説く気すら無くなっているという事だ。自宅で望むままに性的欲求を発散出来るのだから、誰がそんな事をわざわざするだろうか。
女性から拒絶されるような苦労も無く、楽に欲求を満足させられるとしたら、自己改善のモチベーションが著しく削がれてしまう。そして自己改善は男性が女性から好意を受けるのにキーとなる重要な要素の一つだ。
別にポルノが全て悪いと言うつもりはないが、間違いなく良い影響を与えてはいない。ポルノはテクノロジーによって生み出されている根本的問題の一部にすぎない。インターネットやビデオゲーム産業の発達により多くの娯楽が生まれ、少年が校内で女の子を追い掛け回す時間が無くなっていった。代わりに誕生したのが、12時間テレビの前でララ・クロフトをオカズにオナニーするジョニーくんという訳だ。
いわゆる「オタク」というステレオタイプが童貞と結び付けられる事には理由があるのではないか。パソコンを持ち、最先端のインターネットポルノにアクセス出来るのはいつだってオタクだ。これははたして偶然なのだろうか?答えはみんなに委ねよう。
童貞が長期間童貞であり続けるほど、童貞卒業が難しくなる傾向にある気がする。下記の残酷なグラフがそれを表している。
http://themodernsavage.com/wp-content/uploads/2008/09/age-vs-virginity.jpg
私の持論では、童貞男が年を取れば取るほど、自分のセックス出来る能力に疑問を抱き、自信低下の下方スパイラルに陥ってしまう。そして「自信」は女性から好意を抱かれるために必要なメイン要素だという、どうしようもない矛盾がある。
若い内はセックスできない理由を運の無さだと言い切る事が出来るが、時が経つにつれ、男性は自意識過剰になり、自分のルックスに疑問を抱き、自分の欠陥を社会のせいだと言うようになり、やがて自尊心は地に落ちる事になる。自分の置かれた状況にあまりにも絶望し、すっぱり諦めてしまう可能性もある。40歳になり、ルックスはそこそこいいのに、心の奥では女性に対して隠れた憤りを抱いているような男になってしまう。
童貞男の中には単に悪いアドバイスを受けてしまい、女性を引きつけるための基本的スキルが欠落しているだけの者もいると思う。別にこれは理論だけの話じゃなく、どこの恋愛相談系の掲示板を見ても分かる事だ。そこの書き込みを見れば、殆どの男達(その殆どが童貞)は、自信やボディランゲージ、ナンパ、アプローチ方法、女性との会話等といった事に対してからっきしである事が分かる。
女性について何も知らない人に対して「自分らしくすればいい」と言うのは最悪だ。それは「それでうまくいった事はないけど、とりあえず同じように何度も繰り返していって、いつか運良く上手くいけばいいね」とアドバイスしているようなものだ。
彼らは駄目な所からアドバイスを受けているだけで、重要なのは魅力のいろはを学ぶという単純な事だけかもしれない。
童貞を卒業する前、こんな意味不明な思考をいつも抱いていた。当時はもっともな考えだと思っていたけど、その内容はだいたいこんな感じだ:
あの子は俺の事が好きで俺も彼女の事が好きだ。彼女は素晴らしい人で、きっと長期的な交際、しいては結婚にまで発展する運命の人かもしれない。もし告れば、今すぐにでも付き合い始められる…だけど問題がある。俺は他の女性とセックスした事がなく、もし彼女と結婚してしまったら俺が生産セックスする相手は彼女一人だけになってしまう。せめて人生の中で複数の相手とセックスしたい。だから、他の女性とセックスするまでは彼女にアプローチしない。
無茶苦茶だろう?多分人生でそういう機会が20回ほどあった気がする。これは成功に対する恐怖と、それによる自己妨害行為で、これもまた一つのどうしようもない矛盾と言える。無茶苦茶な考えだという事はもう理解していて今はもうその考えは捨てたけど、同じような考えを抱いている童貞男が他にもいるだろうというのは容易に考えられる。
最後に、30代・40代の男性の人達へアドバイス。たとえ大して好きでもない女性を口説かなくちゃいけなくても、まずその「最初のセックス」を済ませてしまう事に専念しよう(もちろん合法的に)。初体験を済ませるだけで大量の重荷から開放されるし、その初体験だけで呪いを打ち破るだけの効果はある。