2015-04-05

私がツイッターをやめた理由

相手によって、見せたい自分が違うからである

ネット上の知り合いなんて、相手によってそれぞれ違う自分の中の20%を、

まるで80%であるかのように見せて付き合うくらいが一番ちょうどよく楽しいと思っていた。

ホーム画面に蓄積されていく、Aさんに対する自分、Bさんに対する自分、Cさんに対する自分……

その複合体が、ぴったり「イコール自分」になるように振る舞うのって、なんだか息苦しい。

そういうのはネットに求めていないのだ。

けれど、そうしないと、Aさんが、Bさんが、Cさんが私のホーム画面を見たとき

きっと「あれっ?」って思ってしまう。

そしてそれで腹を立てたり、切なくなったり、呆れたりする。

やがて「あれっ?」は「おいっ!」になって帰ってくる。

そういうのに、なんだか疲れてしまった。

そんなのは現実でもうお腹いっぱいなのだ

100%好きになれる人も、100%見せたい人も、100%見せて欲しい人も、なかなかいないものだ。

から現実で「もしかして?」という人に出会ったとき、「運命の人出会った」とか言うのだろう。

けれどツイッターホーム画面というのは、そういうのがぐちゃぐちゃ全て蓄積されて

なんだかちぐはぐな「仮の100%」がどんどん作られていって

それが全て相手に「これが私の100%ですよ」と公開されてしまう。

そのうえ、自分がそういうことをしているのにも関わらず

他人ホーム画面を見ていると、それがあたかもその人の本当の100%であるかのように錯覚してしまうのだ。

そして自分に見せてくれていた「その人」と、ホーム画面の「仮の100%」の違いに、無性に寂しくなってしまう。

こういうのも辛くなってしまった。

から私はツイッターをやめた。

まりは向いていなかったのだ。

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