はてなキーワード: 運命の人とは
さっき読んだ。
あらすじ。
おばあちゃんになった主人公が孫に地下室にある壁画について話している。
主人公は田舎の良家の娘。生き遅れ。仕事はしたことない。(30代後半から40代?)
私には絵の才能があるのに両親は絵の学校に行かせてくれなかった…
そのくせ最近は見合いばかりすすめてきてウゼェ 私には運命の人がいるのめぐり合うの1!!!
→ようやく諦めたらしいが視線がウゼエ…(殺すか…)
もはや両親も使用人もいなくなったが私には絵の才能がある!小さい時執事のジェームスもほめてくれた!でもぜんぜんかけないお…
そうだわ 外に出てインピスレーション沸かそう!わかそう!そうしよう!
ウホッ私好みの男の子!つまりは運命の人!ストーカーして家の前で出待ちしよう! …一日待ってたら出てきた!あらやだ絵の具入れたカバンの紐がきれたわ…
その後なんやかんやで男の子をモデルにとして家に連れ込む ウハッ運命の人ktkr
だがいつまでも引き止めきれず男の子は都会?に帰る日が近づく… そして…
男の子「もう帰るし絵見せろ」「うはwwwテラヘタスwwwwまだ俺の方がうめえwwww」
男の子「うう急に気分が…」
薬盛っちゃいましたテヘペロ
その後は監禁→セクース→男の子逃亡→地下室?で両親の死体ハケーン→
おいババアなんだこれは→「ああん!?誰がババアだ死ねええ!!!そしておまえの血で壁というキャンパスを塗りつくしてやるよおおおおお!!!!!」
運命の人はババアなんて言わない、そう、彼は壁画の中で永遠に生き続けるの…はぁと(この辺適当)
------
その後話を聞いていた舞ちゃんも地下室の壁画に消える
------
孫(舞ちゃん)の正体
1.監禁セクース時に生まれた娘。ろくに育てられず死に、その血で壁画の続きを描いた。地下に行くと主人公の妄想で出てくる?
2.完全に妄想の産物。主人公は地元でも孤立していたらしいし、まともに出産できたとも思えない…。
3.普通に孫。男の子を殺した後、まともになったふりをしてずっと過ごしていた。最後に殺した。(可能性低い)
あれ…なんかすっきりしないね…
横からだけど。
愛されなくていい、って意味がわかってないんですね。
まだ大学生くらいなのかな?
愛されなくていい、って真意は、「彼との人間関係において、愛されることが最終目標ではないと認識する」ということです。
人が二人関わって生きていくのだから、愛した愛されただけではあまりに意味をなさない本能行動ですよね。
本能に基づくとそれは生物的な行動だから、当然恋愛状態からさめてくるし、200回セックスしたらその相手には飽きるものらしい。
でも、人間って、それだけじゃないですよね。
本能行動だけじゃないから、閉経した後でも、年をとっても仲良しな夫婦っているわけ。
で、じゃあ何が大切なことかっていうとね。
男女が二人関わって生きていくうえで、一番ドラマティックなことは、お互いがお互いから新しい考え方や視点を学び、
お互いから新しい大切なものを教えあい、今まで見えていた人生が様変わりして、人生の優先順位がことごとく変わることだと思う。
何も、損得で生きろって言ってるんじゃないよ。
自分が相手の人生の刺激になれるなら、それは幸せなことだって話で、相手が自分に刺激を与えてくれるなら、そんなに素敵なプレゼントはないってこと。
元増田が心配してるのは、自分が愛されるに値するか、自分のことを本当に知ったうえで本当の自分を愛してくれているのか? ってことでしょ。
わかるよ、そういう気持ち。
例えば、明らかに失敗したって感じてる自分の料理を、いくらおいしいって言ってもらったって微妙な気持ちになる、って感じに似てるよね。
じゃあさ、次はおいしい料理を作ればいいんだよ。
愛されるに値する人間になればいいんだよ。
簡単に言うなって思う?
でもね、人間には誰しも得手不得手があって、自分の全ての項目において自分より上回ってる人間とかいないんだよ。
だからね、それを彼に見せてあげたらいい。
それがね、恋愛における、”刺激”ってやつ。
”刺激”ってよくいうけどさ、あれは他の男をちらつかせるとかいう、低俗なスリルとは全然違うんだよ。
わかりやすく言えばライバル関係というか、切磋琢磨というかね。
お互いの向上につながって、お互いを新しいステージに引き上げて、新しい世界を垣間見ること。
それが恋愛でできれば、”刺激”っていうんだと思う。
刺激を与えられているなら、元増田が彼にとって変えの効かない人間になるのは自明のこと。
だからさ。
愛されようと思わなくていいから、彼に新しい世界を見せてあげようよ。
素敵な本の話とか、素敵な映画の話とか、好きな哲学者の話とか、仕事で感じたこと、学生時代に考えた人生設計とかさ、
なんでもいいから、そういう自分の価値観とかを、週末にでも飲みながらのんびり話してごらんよ。
そして、おんなじだけ聞いてごらん。
それでいい刺激にならなかったら、運命の人ではないのかもしれないのが、薄々わかってくるし、
それで刺激があれば、ベタ惚れ間違いなしだよん。
もう数年前のことになるが、私も高校生の時に同じような恋人と高校時代に約1年強付き合った。私の場合は学校の同級生であったということで、出会いこそ違えど、その後はほとんどこの文章どおりに展開した。彼女が私にとって初の恋人だったという点も寸分違いない。強いて異なるところがあるとすれば「父が相手の家へ直談判を申し込み、息子(私)に今後一切かかわらない旨の誓約書を書かせて関係が終わった」ということくらいなものである。
正式に付き合い始めて数日後、イギリスに(たった1週間ではあるが)滞在することになったとき、さみしがる彼女をなだめるのに何時間もかけた覚えがある。それでも初めての恋人ということもあってか、鬱陶しいなどといった負の感情は一切わかず、むしろ「これが女の子というものか。さみしがり屋の甘えん坊で、かわいらしいものだ」などと思ったくらいである。彼女が境界性パーソナリティ障害であったとするならば、これは「自分を愛してくれそうな人を惹きつける」行為だったのだろうか。
付き合い始めて1か月足らずであったか、彼女から「父からDVを受けている」「母は父のせいでうつ病に罹り、現在では克服しているが、父から逃げるように浮気をしている」「心の底から本当に友達だと言える人がいない」などといった告白をされた。これは私を「試す」行為であったのだろうか。
その告白に全く動揺しなかったといえば嘘になる。しかし間髪いれず初めての恋人であったということもあってか、「彼女がこれまで幸せになれなかった分、僕がなるべくカバーしよう」と決意し、「そっか、そんなことがあったんやな。僕も人間やからできることは限られてるけども、それでも一生懸命がんばるし、一緒に幸せになろうな」と告げた。彼女もそれに対して「あなたが運命の人に違いない」などと答え、私は舞い上がった。私もまだいまよりも若く未熟であったために、ものの見事に術中に陥ったというべきか。
その後の展開は元記事そのままといっても差し支えないだろう。メールに対する返信が5分遅れようものならブログ(といっても私にしか見えないのだが)に『私は誰からも愛されていない』『天涯孤独』『死にたい』などなど。また、私は進学塾に通っていたのだが、「授業終了後は彼女が私を迎えに来て、私が彼女を家まで送る」といった少し(?)変わったルールがあったのだが、そこで授業が長引いたりすると『私なんて塾以下の存在』などといった書き込みもよくされていた。
仔細にわたって書き上げていくときりがないのでその他の具体例は元記事を参照していただくとするが、こういった書き込みや態度(泣く・拗ねる・怒る)は、まだ年端も行かぬ私にとっては、正直なところ、相当な負担であった。
半年が経ったころ、そのストレスは周囲に目にも明らかになるほど顕在化していたらしい。私は「彼女と付き合っていることでストレスを感じている」という事実を自分の中でも認めたくなかった。リストカットやODをしていたが、それは彼女と痛苦を分かち合うための手段であると信じ込んでいた(あるいはストレス発散も兼ねていたことは認めていたが、先に述べた大義名分によって容赦された)。
恋愛(と呼べるかどうかは怪しいが)を語る上で避けて通れないのが性の話題であろう。ここではあえて直接的な表現をしないが、当時は「彼女を満足させることが何よりも優先させてなすべき第一の仕事である」と考えていた(いまとなっては「性奴隷」と呼んでも差支えがないように思える)。
ここまでつらつらと彼女に対する文句を垂れてきたが、これはすべて私自身が選んだ道であり、責任は私にあるという考えはいまでも変わらない。ただ、その道を選ぶこととなったきっかけは少なからず彼女にあったはずであるし、彼女がそのように誘導した原因として「境界性パーソナリティ障害」は十分に考えられるのではないか。
他者を思いやり、理解しようと努力する姿勢は人間として生きていく上で必要なことであろう。しかし、それは「自分を守れる」ということが前提でなくてはならないと私は考える。「この記事の筆者は元カノを境界例であると認定することで心の安寧を図っているから間違っている」というが、それならば他に彼が彼自身の心を守ることができるすべを提案できるのか。
苦しんでいるのは境界性パーソナリティ障害(と思しき人)のみではない。その恋人もれっきとした被害者である。「それでは加害者は誰であるか」という問題が持ち上がるが、それは「境界例の素質を植え付けた親」だと言う人もいれば、「社会の風潮」だと言う人もいるだろう(医学的にはいまだ明らかにはされていないという)。その中苦しみを自分に与えた張本人「恋人」を加害者とする見方ももっともである。今後一切かかわることがないであろう人なのだから、そこへ原因を押しつけたとしても、それで救われる心があるのであれば、「人間として」「道徳的に」「常識として」「一般的に」間違ってはいないのではないか。
少し前の時代では、結婚したいという形式的なものだけでも充分成り立ったものだからなんともいえない。
相手が居なくても年頃になれば、周囲があれこれ世話をしてくれ、まあ、性格・相性が合わなくても結婚するはめになるものの、生活する手段としてある程度の、まとまり(家族)が形成されて、家庭が運営されてきたわけで。
今は恋愛至上主義?が横行しすぎていて、生きていくためのひとつの術としての、結婚もあっていいとは思う。
ただ、それがすごくやりずらいような感じだ。
めったに運命の人には出会えないわけで、(あ、俺は出会えて幸せだなあ・・・)周囲を見れば、性格も器量もいい女性が何故か独身。
(男はそれなりの理由がある、たとえイケメンだったり、優しくてマメなやつでも、このあたりがなぁ、と思える奴がいるからそれは仕方ないかもしれん)
その独身女性もえり好みをしているわけでもなく、とてつもなく努力をしているのだが、何でだろう、共働きしたいのに相手が許さないとか、わけ分からん理由で独身。
友人S(女の子)は、出会った頃は40キロあるか無いかの、今にも折れそうな女の子だった。可愛らしい風貌で、クラスの男女共に一目置く存在で、普段着も可愛らしい物を好んでいて、それが似合っていて、羨ましかった。
学校を卒業しても、私たちの関係は続いた。趣味が似ているし、話題が合うから、時々週末にあって、呑みに行ったり、互いの家を行き来したりしている。
卒業から、もう5年。彼女の体重は、今何キロだろう。80キロは優に超えていると、思う。けれども、可愛い物は未だに好きらしい。
この間感心したのは、彼女がライヴに行った後、ご飯を一緒に食べようとなって会った時、私と同じ卒業仲間のKとファミレスで待ち合わせをした時、「よく売ってたな…」と、思う位サイズがデカイロリータ服を着ていたからだ。いちお「可愛いね」と、言ったら、「コスプレとかで売ってる奴じゃなくて、ちゃんとした所のだから、やっぱり違うんだよ」と、力説された。需要と供給があるんだな…と、思った。
卒業後いわゆるヴィジュアル系バンドにはまったSは、メイクの方向もなんだか凄い方向に行ってしまって、顔面は真っ白、目の周りは崩れたパンダメイク(目の周りが真っ黒なのだが、丁寧に塗っていないらしく、何時も横にはみ出したり、塗りすぎたのか、上瞼も下瞼も真っ黒)、食い込んだメガネと、冬でも汗だく。
同窓会みたいな仲の良かった友達同士で集まった時も、そのメイクで、弾けそうな位パツパツのTシャツ(お気に入りのバンドのらしい)に、ミニスカートで、何故か靴がおばちゃんサンダルで……みんなSがトイレに行った時「バナナマンの日村が女装したみたいだ」と、一言。2次会に向かう道すがら、私が気になったのは、サイズがパツパツTシャツが鞄でめくりあがり、お腹のお肉が丸見えだったことだった。
「痩せなきゃって思うんだけど、何がいいか知ってる?」と、何度か聞かれた。ホットヨガ、水泳、ウォーキング…私たちがそれなりによかったものを薦めたが、どれも長続きしていないらしい。
この間、4ヶ月ぶりにSに会った。結婚した同級生が、旦那さんの友達も交えて鍋パーティーするから誘われて、新居にお邪魔した。ちょっと合コン風な人数構成、仕事の都合でSは後から来た。お尻まであるダボッとしたチュニック、短すぎるホットパンツの所為で何も下に履いていないみたいに見えて、びっくりした。かいがいしくしていたSだったが、服装がみんな気になって、会話も弾まなかった。まあ、私は出会いを求めていなかったから、いいんだけれども、帰り道でSが「母さんがそろそろ結婚しろって言うから、今日会った人の中で運命の人がいたらいいなー」と、言ったので、服装に納得したような、しないような…。
「電話番号交換したから、誰かから誘われるかも、来週」嬉しそうだったが、4ヶ月でまた太ったみたいだ。
Sを見る度に体重に気を付けるようになる。今日は休みだったから、3時間歩いてみた。暑さで休み休みだったけれども、すがすがしかった。
全然まだまだペーペーだけど、これって割と(良い意味でも悪い意味でも)
高校卒業後、大学で知り合った友達で、仲良くして今でも定期的に話したり会ったりする数人は
今まで自分の周りで起こってきたこととか大体知ってる。
自分の人生にとって長い時間を共有し、ともに成長してきたところがあるから。
ありがたいことだ。
ただ自分としては、今後会う大事な人(がいたとして)にも色々話したいなって願望が薄らある。
色々話したい。 自分のことあれこれと。 相手のことも聞きたい。 あれこれ共有したい気持ち。
義務感というより、そうしたい。 そういう運命の人に今まであったことを色々話してみたいなって思う。
社会に出てから親しくなった友人がいたとしても、お互い社会人で大人だから、
自分の人生のごく一部の断片しか共有できてないって思うし、大人ってそういうものなのかも知れないって思う。
大人になったことで、時間的にも体面的にも全部が言えないこともあったり。
そういう付き合い方が、ひとつの在り方というか。
そういうことを一切気にせず、極々プライベートにどうでも良いこととか色々話してくれたり聞いてくれる人が欲しい。
日々の雑踏や成長の過程で無理やり心の片隅に閉まったありとあらゆる出来事を、お互いの心のひだを触れ合いたい。
今後もそういう人が現れてくれるか分からないけど、そういう願望だけ薄ら持ってる。
小学生や中学生の夢見がちな年齢のころからもう、結婚に対してだけはいっちょ前に冷めていた。
愛し愛される運命の人に出会って恋愛結婚できるなんて、ほんの一握りのラッキーな人たちの特権だと思ってたから、
どこにでもいる凡人の自分は、いつか打算と妥協の末に、妥当な相手と見合い婚するんだろうなと思ってた。
はじめはただの契約から始まった関係でも、うまくすればそのうち愛情が芽生えると楽観してた。
どんな相手でもしばらく一緒に入ればいいところが見つかったり情が湧いたりして、
いずれ愛が芽生えて、そこそこの幸せが得られるんだろうな~ってぼんやり思ってた。
大学院にいた時、私と結婚前提に付き合いたいって人に告白された。
なんだ正式な見合いじゃなくてもこれもある意味見合いみたいなもんだな、と思った。
相手の人となりは、好条件な所もあれば、気に入らない点もあって、良いところが少し上回るくらいだった。
もちろん、完璧にこちらの希望に合う相手なんているわけがない。
このくらいなら上等だなと思って、別にそんなに好きじゃなかったけど交際をはじめた。
付き合ううちに良いところが数えきれないほど見えてきて、最初に出会った時ダメだと思ったところなんて全く気にならなくなった。
彼を心底大好きになって、彼と一緒に歩む以外の人生を全く考えられなくなった。
相手も私をますます私を愛してくれて、6年交際して籍を入れ、いま結婚3年目。
つらいことも、楽しいことも、頭に来ることも、ありがたいことも、いろいろあるさ。結婚してみればいいじゃん。結婚する相手が「運命の人」かも知れないよ。ってか、通常、そう思って結婚するんだよねえ。現実は半分幸せなら「成功した結婚」なんじゃね?
そんなあなたに「ドクトルジバコ」。
人生って、そんなに簡単に「運命」なんて言えるほど短くもないよ。
私は大学生のときに付き合ってた彼氏と、25年ぶりに再会した。相手は離婚していた。私は婚姻中だった。1回会ったところで、夫が末期ガンであることが判明し、パニクる私を元彼はメールと電話で励ましてくれた。周りの人間は最後まで笑顔を絶やさず看病を続ける私を見て「よく頑張ったね」と褒めてくれるけど、元彼がいてこそのことだった。
動かないのであれば、まだ時期ではないんだ。次に彼女と会うのは20年後かも知れないが、そのとき「好きだ」と思って初めて「運命」と言えるんじゃないかな。まだまだ、ちょっと、昔が懐かしくなった程度のことだよ。そんなの。
「いろいろあって・・」と多くは話してくれなかったけれど、
哀愁を漂わせながらも昔と変わらない可憐な面影を残した彼女の横顔に俺はいっきに引き込まれた。
同じクラスだった彼女も中学受験組で、違う塾ではあったものの、塾へ行くために利用するバスは一緒だったためよく顔を合わせていた。
俺は彼女のことが好きだった。
彼女は物凄く可愛いというようなタイプではなかったが、ビジュアルに関しては個人的にとても好きなタイプだった。
クラスではめったに話をすることはなく、バスの待ち時間やバスの中でしか話をしなかったが、
受験という共通する話題もあり、話をしている時はとても楽しかった。
彼女がバス停にいない時はバスを一本遅らせてでもわざわざ彼女のことを待っていたというエピソードも恥ずかしながらあったりする。。
好意を持ってくれていたのでは・・と思わせるエピソードも少しあるが、小学生の本心はわからない。
バレンタインのチョコとかは普通に貰っていたので少なくとも嫌われてはいなかったと思う。
ただ結局、当時は受験のことでいっぱいいっぱいで、ませていたとはいえ「恋愛する」なんて発想は頭の中にはなく、何も起こることはなかった。。
中学へ通う最寄りの駅が違っていたため、通学で会うことはなかった。
携帯もない時代だったので連絡をとることもなかった。(もとから家の電話で連絡を取り合ったことはないが)
彼女のことは相変わらず好きだったように記憶しているけれど、関係をどう発展させていけばいいのか分からなかった当時の自分は、
「友達という関係を維持する」ということすら結局できなかった。
小学校を卒業してから一度だけ、中1の9月に彼女に合ったことがある。
「今度中学校の文化祭があるからチケット上げる」と、わざわざ日曜日に家に来てくれた。
とても嬉しかった。
けれど、最初家のインターホンに母親が出たことをなぜかとても恥ずかしく思ってしまい、
「行けたら行く」と1分も話さないで玄関で彼女を帰してしまった。人生最大の後悔・・の一つである。
そして文化祭に行くこともなかった。彼女が女子中に通っていたため当時の自分としては「とても行けるわけない」という考えしかなかったからだ。
それ以来、彼女と合うことはなかった。
高1の頃には俺も引越しをしてしまい、地元で偶然会うというチャンスもなくなった。
「初恋は実らない」
昔ジャンプで連載されていたBOYという漫画にこのフレーズが出てきたとき、なんとなく感慨深い思いになったのを今でも覚えている。。
現在に戻る。
同窓会で偶然再会した彼女は、昔の面影を残しつつ、昔以上に素敵になっていた。
びっくりした。
偶然の出会いに対してではない、30歳を越えても素敵な彼女に対してでもない、彼女を見た途端、今までにないぐらい胸が熱くなっている自分自身にびっくりした。
正直彼女のことなんかとうに「淡い青春の思い出」として記憶の引き出しの奥にしまいこんでいた。
そもそも小学生の頃の初恋なんて単に記憶の中で美化されただけのものだと思っていた。
仮に偶然再会しても「おぉ懐かしいな!」と言える自信があった。
それなりに恋愛をしてきた自分がまさか一目惚れに近い感覚に陥ることなんかあるわけないと思っていた。
それは間違いだった。
これは運命だ。
携帯の番号も交換した。
「いろいろ相談に乗れると思うから今度また飲もうよ」という約束も取り付けた。
いい感じになれた。
嬉しかった。
『結婚して子供ができた後に「運命の人」が自分の目の前に現れたらどうするの? 』http://anond.hatelabo.jp/20110630230540
彼女に妻子があることは伝えていない。
数日悩んだが、俺にはやっぱりこの運命を簡単に捨てることができない、かもしれない。
http://hamusoku.com/archives/5189969.html
↑ここで出てくる女性が、「僕のいないところで結婚するなら」理想だと思う、僕はそれが嫌だから結婚しない。
人倫的な批判はあるだろう(だから糞ビッチなんだろうし)けど、僕はこういう女性がいないと社会が回らないと思うし、結婚したからって一途に尽くすような女性は
正直言って気持ちが悪い。最近の恋愛で言えば「俺以外の男との電話帳はすべて消せ」って抑圧的な態度を二つ返事で従うようなタイプでしょ、そういうのって。はっきり言ってキモいよね。
で、消毒さんのブログで「性行為はそれ自体が抑圧的」みたいなエントリがあったけど、まあなんというか、たぶん読み違いしてるだろうけど賛成で、結婚とか恋愛って女性を支配下に置きたいとかそういう人らのためにあるんでしょ。
まあ僕としては、僕のいないところで「貢ぐ君を利用する女性」と「結婚後に出会った運命の人」を両立する分には自由だと思いますし、どうぞご自由に。美しい生活だと思います。
というかこの女性を色狂だとは思えないんですよ、僕。いたって普通の女性だと思います。これに文句垂れる男性はよほど女性と縁のない生活を送っているんでしょうね。
http://anond.hatelabo.jp/20110617163126
「眼中にない」といっても、「あるかないか分からない未来に他の人を好きになる」可能性がないと言い切るわけではないんだね
「~好きな人ができてしまったら関係は終わり。傷つくけど仕方ない。」というかたちで割り切ってると。
http://anond.hatelabo.jp/20110617170717
も割り切ってると。
その割り切りは相手ももってないとまずいよね?
もし相手が「あなたがわたしの運命の人よ><」みたいなノリだったら
敢えて「いや、将来ほかの人を好きになる可能性はありますよ」って訂正しないと、騙したことになる?
あー、これはただの俺のやっかみであり単なるやつ当たりで向こうさんらは悪くないのだが、すぐ別れるってのが納得できない。
「運命の人だわー」とか散々言っておいて手伝わせておきながら別れるとか俺の気持ちや労力はなんだったんだよ。
俺がどんな思いでひっつけようと尽力していたのか、どうやって根回しをしてそこまでいけるようになったと思っているのか。
愛憎という字の意味がよく分かった。
愛しているからこそ憎いんだ、愛の反対は嫌いじゃなくて憎いんだ。
あんたがあいつとなら幸せになれると思って手伝ったのになんなんだよ、それ・・・
で、また「用事があるので失礼します」か。
バイトだとバイト、友人と遊ぶなら友人と、用事という場合は男と飯かデートなんだよ。分かってんだよ。視線や動作、思考でどう動くかとかも分かるぐらい知りすぎて俺に気が無いことも知っている。
俺は本当に憎いんだと思う。自分勝手に憎んでいる俺自身に対して憎いし、どうしようもない。
ただ自分勝手に憎い。