はてなキーワード: 貧困家庭とは
30歳になって思う。
人間関係は相性としか言い表せないことが生きているとたびたび出会う。
例えば、その人がどうやって今まで生きてきたか、どうやって現在のポジションを獲得したか
仕事のできる人間には媚びへつらい、仕事ができない人間には冷たく当たる
そうやって生きてきた人間に社会で仕事ができない人間と仲良くなることなどできない。
社会で生きていると、そういう風に生きている人間をたまに見る。
それがダメなわけで全くない。そうやって生きればどんどん出世できるだろうし、仕事も上達するだろう。
ただそれは仕事のできる人間とできない人間の相性という言葉でしか言い表せないものだろう。
思えば、学校では誰とでも仲良くなれるみたいなことを先生から言われたと思う。
(どのように言っていたかは忘れていたが、どんな人でもいいところはあるので探そう見たいな野をやった記憶はある。)
大人になってみれば、そんなのは確実に間違っている。(頭のいい子供ならもうあの時点でなんとなく気が付いていたのだろうか)
子供でも裕福な家庭で育ったものや、貧困家庭で育ったものが対等な形で仲良くなれることはない。
親の職業、家族構成、様々な因子によって、対立するはずなのだ。
学校で教えるべきは相性が良くない人とのコミュニケーション方法だと思う。
例えば、AとBは相性が悪いが、BとC、AとCは相性がいい、そういう場合は、AとBはCを介してAからBへ、BからAへと情報を伝える。
まあこういったものはあからさますぎるのでなかなか使えないのだが・・・
景気が悪化している中で増税、インボイス導入と経済的弱者を甚振るような政策ばかりをしているけれど、別に岸田総理の頭が悪いわけではないと思う。
貧乏を一度も経験したことがないから、貧乏であることの苦しさや貧困によって精神的に追い詰められ苛まれる苦しさを単純に知らないのだ。
これは頭の良さとはまったく関係のないことで、たとえIQが200あろうと300あろうとその場の空気感というものは実際に体験してみなければ分からない。
だからこそ本来であれば貧乏を体験し、赤貧に耐えてきたような人物を一人ぐらいは官僚に入れるべきである。
そうならないのは二世、三世と世襲するのが当たり前になっているからで、彼らは貧乏な家庭に歩み寄ろうとはしない。
歩み寄ろうとしていればここまで経済格差は広がらなかったはずで、彼らにとっての親世代が残した負の遺産、政策失敗の象徴を進んで目の当たりにすることは苦痛であり、そもそも親の仕事を引き継ぐ時点で親の仕事を評価しているはずなのだから。
だがそうした支援によって潤うのは詐欺まがいの行為を行う連中だけで、こうしてばら撒かれた税金の尻拭いを結局は貧困家庭にも押し付ける。
悪循環だ。
結局のところ、一番の問題は理解力がないことなのではなく、知らないことなのだ。
だが同時に、それは仕方がないことでもある。
どう考えても相手方の家の言う方が正しいし、ポリコレ的にもそっちが正しいな
増田側の言うことは卑屈と独善の押し付けだよ、その発想を自発的に持っている分には構わないが他人に刷り込もうとするのは倫理的にNG
自分としては正しいこと言ってるつもりだろうし社会的経済的に恵まれた家庭になれる可能性がないのが仮に事実だとしても、他人の幸せや人生について口出しする権利は誰にもないんだよ
これは貧困国の貧困家庭がどんどんくっついて貧困の再生産をしているのを論じる観点でも同じ
その状況を嘆くことはできても干渉できる立場にある人はいないんだよ、国家とかの人間を超えたレベルの権力であれば別だけど
そういう道義を無視して良かれと個人的な干渉をしたとして、トータルとして社会が良くなる保証は何もないし、それはそれで別の歪みを生むだけ
むしろそうした自由の抑圧が許容されうる歪みの方が社会的には深刻で、エスカレーションする危険性が高いと思うけどな
そして人間はトータルとしての社会のために生きているわけじゃなく、自分のまわりのミクロな社会のために生きているんだよ
その点は貧者も富者も愚者も智者も変わりないし、そうすることが幸福に繋がることはあらゆる本で語られている
慈善家のビル・ゲイツですらその点において異論を挟むことはないだろう
まあより重い障害を持った家系側の方がそういう複雑な観念を理性的に飲み込むのは難しいであろうことは察する部分がなくもないが
血は混ざって薄まっていくことで大局的には健常寄りになりやすくなるものだから悲観しすぎずに備えていけると捉えて
自己決定を阻害しようとしたことについて素直に無礼を詫びるのを勧める
知らんけど
俺はフェミニストでもなんでもないけど、結局は増田が受験の時にされて嫌だったことをこれから産むかどうかわからん増田の子供達にしなければいいってだけだと思うよ。
その選択する時に蓋された時の言葉が「女は大学に〜」だったからフェミニズムに辿り着いてしまっただけで、
これ貧困家庭なら「ウチには金が無いから高卒で就職してほしい」って言われて蓋されてる奴なのよね。
男でも「大学なんぞに行ってうつつを抜かさずに家業を継げ」で閉じられる奴。
で、増田はそうなった時に子供達にちゃんと「ウチには大学に行かせるような資金はありません」って言ってあげられるのが大事なことだと思うのよ。その後の制度の説明とかはその時期の増田に任せるけどさ。
その誠実さを見せてもらえなかったから、その時の怒りを抱き続けてる訳で
例えば前にnoteでフェミから叩かれてた「ぼくたちは勉強ができない」って漫画あるけどあれだってほぼほぼ現実世界っぽいのに冷静になるとめちゃくちゃだからな。
フェミが叩いてたやつ
勉強がテーマの漫画だから教育関係のことだけ箇条書きにするけど
・公立高校の校長が特別VIP推薦とかいう大学の学費を免除する制度を餌にして、生活保護レベルに貧乏な主人公に同学年の生徒の家庭教師のようなことをさせる。
・その後特別VIP推薦を蹴って希望の学部を目指す主人公に教師が奨学金などのアドバイスを一切しない。
・主人公が特別VIP推薦を使わず大学に進むことを知った母親が、亡くなった父親の遺産を使っていいから好きな大学に進むようにと諭す。(なおその場に教師も同席している。さすがに奨学金のこと説明しないのは不自然だろ)
・センター試験当日に骨折した主人公に追試験を受けさせず、当日にそのまま試験を受けさせる。
なんというか教育関係の救済制度が驚くほど希薄で、全体的に貧乏人は爪に火を灯すような苦労をしないと目指す進路には行けない、社会はお前を助けないって思想が通底してるんだよね。
貧困家庭の子供がこれ見たら自分は大学行けないなって絶望するだろ。
ネオリベ思想を子供の頃から受け入れさせようとしているとしか思えん。いやネオリベもここまではやらないかもしれんけど。
ここまで貧乏人に冷淡な癖に最終回では、自分のやりたいことも見つかっていない劣等感まみれの高3の秋の主人公に、俺たちの未来は無限にあるとか前向きに言わせるからな。奨学金もなさそうな世界で貧困家庭の自分の夢も持ってない高校3年生にこれ言わせるの残酷すぎるでしょ。
作者は比較するまでもなく裕福な家庭に生まれたっぽいからその辺の機微がわからないのかもわからんが、漫画だからってその辺のエクスキューズはどうにかしておけよと思うわ。
例えば五等分の花嫁は同じ貧乏人の主人公だけど、超絶金持ちのヒロインの家庭教師で日当2万5千円とかいう給料もらってるから学費くらい余裕で稼いだんだろうなとか、全国3位の学力なら給付型奨学金貰ってるんだろうなって想像つくんだけどさ。(学費周りの話が描かれてないから想像だけど、下手に描くよりはむしろ想像に委ねられる分ずっとマシ)
私立中高一貫出身で子も私立中高一貫に通ってる。中学受験とか私立中高一貫とかの話になるとテンプレみたいなコメントが来るのでエアリプする。
多様性とか言うが、ようするに日本人の貧困家庭の生態を知っといた方がいいって話にすぎない。私立中高一貫もサラリーマンから医者、弁護士の家庭まで背景も多様なのが実態。海外短期留学させた方が、文化や人種の多様性に触れられる。
「腹を満たすのに高級レストランってコスパ悪い」と言ってるのと同じ。価値観が違うし、そもそも教育とコスパを結びつける時点でお察し。
実際のところは知的好奇心と知的能力がある子どもは楽しんで中学受験の勉強をする。自分が勉強嫌いだったからといって、それを他人に押し付けないで欲しい。
『日本の就活システムは、新卒が“最強カード”?転職の弊害と、切なる願い』
https://mi-mollet.com/articles/-/38184
リーマンショックや東日本大震災、そしてコロナ禍といった未曾有の災害が次々と起こり、少子化による若年層の減少もこれだけ叫ばれているのだから
我々の就職活動を苦しめた新卒至上主義も2022年にもなればもういい加減薄らいだかと思っていたんだが、
実際にはまだまだ残っているというかバリバリ現役らしい。
我々就職氷河期世代の不遇って単なる不景気や企業が採用を絞ったという一過性の問題ではなく、
新卒至上主義故にそれ以降もまともな正社員就職が出来ずに据え置かれるという構造上の欠陥が原因だと思うんだけど
「もう二度と我々のような世代は作らないでほしい」と言って自分らの利益度外視で若年層への優遇を訴える氷河期世代の人達さえも
新卒至上主義というシステム自体を撤廃しようとはほぼ全く言わない謎。
この不合理なシステムを温存したままで、少子化による労働力の低下を憂うなんてあまりにもおかしいと思うんだけどねーー。新卒至上主義さえやめれば、
移民を検討するまでもなく労働力不足なんてすぐに解決しそうなものなのに。
しかしこのヒオカって人、問題提起は良いと思うんだけど、着地点がどうもおかしいというか
現代日本における深刻な社会問題への言及で始めた以上は本来ならば社会や強者に向けて怒りを表明して終わるべき所を
何故かそうならず、無理に企業やそれに携わる人達に阿り、彼等彼女等も頑張っているんだよで終わるのでフラストレーションが溜まる。
無理矢理なポジティブさにいわゆる糸井重里イズム的なものを感じてしまう。
https://fujinkoron.jp/articles/-/6741
『学歴よりも経験』で一時炎上した平原さんについての記事なんだけど、
彼女が本当に言いたかった事は違うのではないのか?と、何の根拠もなく無理にポジティブに捉えて平原さんを擁護している。
「しかし、平原さんが言う経験とは、本当にそういった履歴書にかける経験だったのか?とふと考え直してみた。
確かに現状は、履歴書にかけるのは留学や部活動など、お金で買う経験ばかりだ。
しかし、もっとお金で買えない経験が評価される社会になったらどうだろうか?と考えてみる。」
まあ、文筆業でお金を稼ごうと思ったら結局業界の有名人に媚びなくちゃいけなくて
尖った自己主張や怒りの表明なんてものは出来なくなっていくんだろうな