はてなキーワード: 規則とは
車道を歩く奈良公園の鹿 一見無秩序に行動しているように見える奈良公園の鹿ですが、実はきちんと規則正しい生活をしています。まず日の出と共に餌場へ出勤。餌場というのはセンベイをくれる観光客がいる参道や公園内の草原です。ここで1日を過ごした後、夕暮れと共に泊まり場に移動して20頭前後のグループで夜を過ごします。ですから昼間鹿で賑わう参道も夜は鹿の姿は一匹も見られなくなります。
この泊まり場というのは動物達が寝る所で、通常自然界では捕食者に襲われる心配の少ない安全な場所が選ばれます。では奈良公園の鹿における泊まり場とは何所なのでしょうか?実は泊まり場は奈良公園の関係者達もよく把握しているわけではなく、おそらく公園内の人けのない静かな茂みと推測されています。その一方で「公道」を泊まり場としているグループもみられます(主に歩道で休むが中央分離帯で休む鹿もいる)。人や車が往来するのでたしかに外敵に襲われる心配は無いのですが、公道を泊まり場にしていることによって年間100頭もの鹿が交通事故に遭遇しているのです。また選挙やイベントの案内ポスターが食いちぎられるといった奈良ならではの被害も多発し、鹿の被害とは分からず警察が出動することもあります(たとえば人が選挙ポスターを破ったりすると罰せられます)。
奈良公園の主で天然記念物に指定されている鹿ですが、個体数はメスがオスの3倍近くあります。その理由は至って簡単でメスの方が長生きをするから。過酷な大自然とは環境が異なる奈良公園では鹿達も寿命を全うすることが多く、自然と長生きするメスの個体数の方が多くなったのだそうです。では奈良公園はオスにとってハーレムなのか?というと半分Yesで半分Noなのだそうです。これも理由は簡単。長生きするメスが増える=オバァチャン鹿が増えるということで、若いピチピチのメスが多いわけではないのでオスにとってハーレムとはいえないそうです。それに元来鹿は力の強いオス鹿が何頭ものメスを囲う一夫多妻制ですからメスの個体数が多い少ないにかかわらず強いオスはハーレムの王者となれるわけです。
奈良公園で亡くなる鹿は1年間で約360頭ほど(このうち100頭前後が交通事故による)。これらの鹿は公園内の鹿苑で火葬され鹿塚に埋葬されます。また毎年11月には鹿煎餅の製造業者らが参列するなかで春日大社の神職により供養され慰霊されるのだそうです。鹿とはいえ神様(春日大社)の使いですからちゃんと供養されているわけです。この鹿苑は公園内にありますので観光で訪れた際には一度訪ねてみてはいかがでしょうか?
奈良公園に鹿が多いということは、その分鹿の糞も多いということ。この為、奈良公園では動物の糞を餌とするコガネムシ「フンコロガシ」がたくさん生息しています。彼らは大好物の鹿の糞を見つけると自らの巣穴に運び込みます。仮に餌として食べ残しても地中で分解され芝の肥料となり、その芝が鹿達の餌となるわけです。
餌が豊富な奈良公園では最大2㎝近くの大きさまで育ったフンコロガシも見られ、近年はこれらフンコロガシを観察するイベントも企画されています。このフンコロガシ達、さすがに参道など人通りの多い場所ではなかなか見ることができませんが、芝生エリアに行けば鹿の糞の周りに小さな盛り土のようなものがあり、それが彼ら達の巣なのですぐに見つけることができます。なお奈良公園ではこのフンコロガシ達のおかげで糞が素早く分解され、悪臭を放つことがないのです。
これが守られてないのに、不逮捕特権は絶対に守られると言えるのがわからんよな
「しなければならない」と「してはならない」が規則として対等でないとすれば、それはどういう論理でそうだと言えると警察検察その他法曹関係内でなっているのか知りたいもんだ
論理構造が保持するのは前提となる命題の確らしさを基にした説明力であって、説得力を増やしたり減らしたりするものではない。
例えば三段論法は(論理学的な意味で)トートロジーなので、その帰結の確らしさ、健全性(説明力)は、前提となる各命題の確らしさ、健全性をそのまま保持する。
トートロジーな推論規則に基づいて演繹した帰結は、前提となる命題の確らしさをそのまま受け継ぐ。
トートロジーな議論が確らしさを増やしたり減らしたりすることはない。前提が真なら、トートロジーな推論規則によって得られる帰結も真である。
しかし前提が真の命題からなるトートロジーな推論が、説得力をも持つかはまた別の話だ。
つまり、最も厳密な論理構造はトートロジーだが、トートロジーな議論そのものは説明力を増やさない。トートロジーな議論は前提となる命題の確らしさ、説明力を保持する。
一方、説得力は言葉遣いによって増やしたり減らしたりすることができる。
論理構造に問題がない(または、問題としないと決めた)のならば、ある議論をより良くするためには、言葉尻を修正して説得力を増やすなどの改善を考えるべきである。
マスターとリンクスやってるYP(遊戯王プレイヤー)です。最高ランク維持しており、非公認ですが大会入賞は一々数えてない程度にはあるのでちょっとだけやり込んでる方だと思います。紙はやってません。
元増田の言っていることは現代の遊戯王には当てはまらず嘘に近いです。例えば増田が例に上げている灰流うららは以下を『含む』効果を無効にするを効果を持っています。
この効果では、例えば「デッキからセットする」効果や「デッキから発動する」効果は無効にできない。含んでいないのだから当たり前である。もちろん、上記に対する公式の裁定は大量にある。しかしこれらを読み解かなければプレイできないというよりはテキストを読めないプレイヤー向けに予めおいてあるというだけであって大抵のプレイヤーはこんなものを全部読んだりはしない。日本語が読めれば意味がわかるからだ。
https://www.db.yugioh-card.com/yugiohdb/faq_search.action?ope=4&cid=12950&request_locale=ja
因みに『含む』を強調したのにはわけがあって、この文言があるかどうかで遊戯王では有効な範囲が変わる。例えば効果の処理時に『モンスターを特殊召喚する』か『カードを破壊する』か選べる効果が発動された場合、『モンスターを特殊召喚する効果を無効にする』効果では無効にできない。効果の発揮時点ではモンスターを特殊召喚するかどうかは定まっていないからだ。一方で、『モンスターを特殊召喚する効果を含む効果を無効にする』効果であれば無効にできる、理由は簡単で、効果のテキストに特殊召喚する効果が含まれているからだ。テキストを読めばわかる。
また空打ちが可能かどうかがカードごとの特性を把握しなければわからない、というのも普通に嘘だ。例えば元増田はAとBの処理を行うカードと雑な説明をしているが、実態としては『Aの処理のあとBの処理をする』効果と、『Bの処理をしたあとにAの処理をする』効果がありえる。ここでプレイヤーがAの効果を処理できない状態であった場合、後者の効果だけが発動できる。これは後者は発動した結果としてBの処理を行えるのに対して、前者はBの処理を実行する前提条件としてAの処理を実施しなければならず、発動したとしてもAとBの両方の効果を処理できない、つまり空打ちとなってしまうからである(だたし、前段が部分的に処理できた場合に後段の処理を実行できるか、みたいな裁定頼みのケースは多くはないもののある)。一部の特殊裁定を除いて、基本的には遊戯王のルールは統一された規則に則っている。もちろん規則自体が裁定の積み重ねの結果であるという面は否めないが、基本的には規則がわかっていればテキストを読むだけで理解できるルールになっている。また一部の特殊裁定については古いカードが殆どである。
遊戯王は初期にルールが未整備な状態でテキストを作成しその後テキストに合わせてルールを作ってきた、という経緯は確かにある。しかしどうしてもルールに組み込めなかった一部の古いカードを除いて基本的には事後的に統一されたルールの中で処理が可能であり、少なくとも最近刷られたカードはルールを前提としてカードが作られている。古いカードについても、再販時にはルールを前提としたテキストのエラッタが行われている。元増田のような嘘が非YPに信じられてしまうのは悲しいので、嘘は嘘であると主張しておきたい。
そして現役YPからみて『遊戯王』が破綻しているかと言われると、主語が大きすぎて何とも言えない。遊戯王はもはや紙(OCG、TCG)だけではなくマスターデュエルやデュエルリンクス、ラッシュデュエル、そしてもうすぐリリースされるクロスデュエルと展開を広げている。自分がやっているのはマスターデュエルとデュエルリンクスだが、確かに現在のマスターデュエルの環境は破綻していて先攻が圧倒的に有利な回りくどいコイントスゲームになっている。ただこれはシステム的な要因ではなく先行に有利なカードがなぜか規制を受けずに野放しになっている(マスターデュエルではOCGのカードが遅れて実装されるが、OCGの同時期に規制されていた過去のカードであっても規制されずに使えるものがある)からであり、ほぼ『抹殺の指名者』と『勇者』が悪いので規制がかかれば正常に戻ると思われる。リンクスは現在群雄割拠の良環境である。クロスデュエルはクローズベータをやったけど破綻してるので転けると思います。
答えはNO!
「カルシウムが不足するとイライラして怒りっぽくなる」というのは俗説です。
カルシウムには、心拍を規則正しく保つ、筋肉の収縮などに必要であるといった役割もあり、そこから、イライラなどの不調が起こる原因としてカルシウム不足があるのでは……という考えが生まれたのかもしれません。
でも実際には、食事で摂取するカルシウムが不足していても、骨や歯から代謝に必要なカルシウムが補充されるので、血液中のカルシウム量は常にほぼ一定に保たれており、カルシウムの摂取不足でイライラするというのは、栄養学的には考えにくいことです。
現実にはほとんどの日本人がカルシウム摂取不足という状況なので、イライラしている人についても「カルシウムが足りていないのでは?」という指摘が本当に当てはまることもあり、この噂がまことしやかにささやかれるようになったのかもしれません。
やっぱな〜絶対嘘だと思ってた
はっきりした
刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律(平成十七年法律第五十号)第百七十六条の規定により、刑事施設の長は、被収容者が死亡した場合には、遺族等に対し、その死亡の原因、日時等を速やかに通知しなければならないとされており、これは、被収容者の「遺体・遺骨」や遺留物(刑事施設に遺留した金品をいう。以下同じ。)等の引渡しの申請等を行う機会を保障する意味を有するものである。
さらに、同法第百七十七条第一項の規定により、被収容者が死亡した場合において、その死体の埋葬又は火葬を行う者がないときは、その埋葬又は火葬は、刑事施設の長が行うものとされており、同規則第九十四条第二項の規定により、刑事施設の長が被収容者の死体の火葬を行うときは、その焼骨は、刑事施設の長が管理し、又は使用する墓地の墳墓又は納骨堂に埋蔵し、又は収蔵するものとされている。
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b196450.htm
今日買い物して薬局から出たら、高校生くらいの男の子がバイクでたむろしてた。
バイク自体は地味で普通だったんだけど、よく見たら排気口?みたいなところが玉虫色で、改造してるんだろう。
ブリリリリリリリリリリリリリ!!!!!
ブリリ!!
ブゥ!!!
ブゥオーン!!ブリリリリリリリリリリリリリ!!!!
ってめちゃくちゃうるさい音を出しまくってて、ガソリンめちゃくちゃ臭いしクソうるせーし最悪だった。
通る人通る人をチラっと見たりして、なんだか
『このバイクかっこよくね?』
って言いたいのが見てすぐわかる感じ。
なんか見ててちっちゃい子が自分の音付きおもちゃを友達と見せっこしながら
『俺のロボなんてこんな機能付いてるんだぜ!ギュウイーン!!ギュルルルルル!!!』
みたいにやり合ってるのを彷彿としせる感じだった。
すげーなコレ。
アイフォーンとアンドロイドで微妙にアプリの規則が違うとかは今までもあったが、決済に関わる部分で封鎖が敷かれるのはかなりの面白さがある。
はてなーはオッサンだから「そもそもクレカとか複数持ってるけど?ポイント目当てで」みたいな状態だろうが、若い子とかクレカまだ1枚のとか多そうだし一気に世界が動きそう。
とりあえず強いのはJCBと提携してて銀行のカードとは別の役割持てるpaypayや楽天カードあたりか?
凄いな。
Mastercard側は「社会に余計な混乱をもたらすエロ文化と戦っている」というストーリーなんだろうが、実際には社会に混乱をもたらしているのはエロを排除しようとしすぎて丸ごと全部焼きに来てる側だぜ。
この矛盾はのちのちかなりのパワーを生むぜ。
前日岡山まで行ったけど、入り口でチェックあって断念して奈良へ戻ったところに
翌日長野キャンセルして急に奈良に来るってなったわけで、なにかの因縁を感じたのではと思う
で、西大寺のあの場所、人は居ないが広々としている南口(https://goo.gl/maps/NbyaXRKzUpPbUKbx5)と違って
北口は未整備でごちゃごちゃしていて、横断歩道には信号がないし、歩道は狭いしで
普段から歩行者が不規則に道路に出てきたりしても変に思われない場所だった
「歩行者は歩道を利用してください」って看板が立つぐらい(https://goo.gl/maps/2WkAMWVsPvp1zEZx6)
あと気になるのは[脳が規則的に心拍信号を出してるから、]やな。
古代中国人がそれを「ココロの内臓」と命名したように、脳ーココロと全身に血液を送る筋肉袋には密接な関係があるのは事実や。
怒ったり大観衆の前でプレゼンしたりするとき緊張のあまり脈が速くなるのはそういうこっちゃ。
増田も言う通り、映画「フランケンシュタイン対バラゴン」の冒頭のように、ネズミやタヌキの心臓を取り出しても動き続けるというのは事実や。
だがの。チェンソーマン第二部でおなじみの 首なし鶏マイク - Wikipediahttps://ja.wikipedia.org › wiki › 首なし鶏マイク
首なし鶏マイク(くびなしにわとりマイク、Mike the Headless Chicken、1945年4月 - 1947年3月)
なんかをみると、「いや脳って?」って〇学的な疑問が湧かんか?
[心電図モニタがフラットになるのでこの瞬間は結構ビビるし初めて見たら油汗出るよ。
でも大丈夫。脳が規則的に心拍信号を出してるから、それに従って心臓も規則的に動き出す。時間にして1~2秒程度なんだが、初めて見ると永遠に感じるほど。]
蘇生法の講習受けたら叩き込まれるのは「絶え間ない心臓マッサージ」や。これは「脳に行く血流を止めるな。止めるのは最小にしろ」という目的のための手段や。脳は酸素消費が多くて酸素欠乏に弱いからな。もちろん酸素がたくさん含まれている血流の方が言うまでもない(人工呼吸+心臓マッサージ)。しかし多くの現場では贅沢は言っとられへん、二の次や。ないよりマシ…ということで、心臓マッサージを止めてまでマウスツーマウスなどの人工呼吸に手間をかけるのは以前よりも推奨されなくなったんや。
・・・話が逸れたな。
同じように、”AEDで電気ショックをかけたら即心臓マッサージ再開”が推奨されるんや。
1‐2秒心臓モニターがフラットになってるのをのんびり見ているという状況は本当はあってはならないんじゃ。
1‐2秒で心臓が正常に動き出せばよい。だがAEDで除細動に成功する率は100%ではない。
除細動に失敗したとして心臓マッサージを再開するまで何秒フラットなモニターを見ているつもりだ?
(AEDをかけるのにも数秒かかるので合計の心臓マッサージなし時間が10秒に及ぶこともある)
∴ゆえに、除細動に成功したか確認する前に心臓マッサージを再開すること!
※増田も書いているように、細動になるには理由がある。理由が除去されていないのなら、戻らないケースも当然ある。
心房結節、これは辛抱結節のことやな… ウソ。房室結節かな。
AEDは日本語で自動体外式除細動器と言うんだけど、除細動器にはプロ(医療向け)と一般(非医療従事者向け)の製品があるよ。
AEDはこのうちの一般向けの製品の事だよ。Aはオートマチックの意味。
医療向け製品は心電図モニタでの監視が行われている事が前提だから単能型で普通の電化製品のようにスイッチを入れると電撃が起きるよ。
一般向けは必ず診断モードが付いてて、蓋を開けると自動的に起動、コンデンサへの充電、電極パッドを付けると診断モードになるよ。(電源ボタンがある機種もある)
だからAEDを使うべき状態かどうかは機械が勝手に判断して実行するから「AED使用すべきじゃなかった状態なのに使用した」という事は起きえないよ。
蓋開ける(IOボタンを押す)と起動して音声ガイダンスが始まるよ。その通りに心臓マッサージしたりパッドつけたりすればいい。付ける場所はパッドや本体に大きく描かれているよ。
自動診断が終わってAEDが必要と判断されたら「全員手を放してショックボタンを押す」と言われるので押すと電撃が発生して患者の体が大きく痙攣するよ(結構ビビる)。
で、バッテリーの問題があるから10年も20年も使えるわけじゃない。使用した事なくても交換が必須なんね。これは消火器と同じやね。
低周波治療器みたいにヌルヌルの導電パッドが付いているんだが、これは数年で経年劣化でダメになる。でもリースだとパッドの交換もしてくれるし、本体も耐用年数で交換されるからバッテリー問題も考えなくていいし本体も新しい製品に更新されていく。
リース料は1万弱/年くらい。
でもリチウムイオンバッテリー+コンデンサ+心電図診断ソフトの組み合わせの製品だからもっと安くできるはず…って事で最近だと10万を切る製品も出てきてるらしい。
AEDは心臓が細動、つまり痙攣しててポンプの働きを無してないって時にフルスイングのビンタを心臓にかます機械だ。
心電図モニタがフラットになるのでこの瞬間は結構ビビるし初めて見たら油汗出るよ。
でも大丈夫。脳が規則的に心拍信号を出してるから、それに従って心臓も規則的に動き出す。時間にして1~2秒程度なんだが、初めて見ると永遠に感じるほど。
AEDや心マが遅れると脳がダメージを受けてしまってこの信号が来なくなっちゃうのだな。だからAEDは早くやらんとだめって事なんであるな。
最初の生物は心臓なんてなくて体を動かす→体液が動くっていういい加減なシステム
↓
体大きくすると体液循環量が足りんぞ→せや体動かさない時でも勝手に動いてる箇所を作りゃいいんや
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さっき作った醤油チュルチュルの握るとこの前後にストローさしたら効果あがったやん天才やんワイ
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そうや醤油チュルチュル握るとこの前後にワンウェイの弁付けたらもっと効果アップや
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握るとこを思いっきり握っても握りに吸入する時になかなか入っていかんで効率落ちちゃうんやんけ。予め圧が高くなってればあっというまに充填されるのに
せや握るとこの真ん中にも弁付けたら低圧圧縮→高圧圧縮で効率アップするやん
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あーでも本社の方に指令2つ出せって言っても進化の融通きかんしこっちの現場は現場で勝手に進化してるしで連携とれんな…
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せやこうすりゃいいんちゃう?
本社の収縮指令が来るやろ?それを低圧に繋ぐんや。それで低圧連中が動くと電気信号が起きるやん。それを高圧側に繋いで動けば一つの指令で時間差の指令が作れるやん
名付けて「カツオの場所はカツオドリに聞け」作戦や。ジンギスカン作戦に並ぶ名作戦やでこれ
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でも低圧連中の出す信号って微弱やな…タイミングにもズレがあるし微弱電流を閾値にするとノイズ拾いまくって大混乱や困った…
せやスター結線や!心房結節で集合させればええんやそっから各部署に分配する
スイッチングハブ(洞結節)→リピーター(心房細胞)→スイッチングハブ(心房結節)→リピーター(心室細胞)
これでいけるで
↓
????あのそれだとブロードキャストストームに弱くない?
↓
あーちゃんと動いてるしもう仕事終わり!クレームもきとらんしうちはパラシュート会社と同じでノンクレームの優良企業や
こういう経緯で、心臓に自律性を持たせる実装にしたせいで、なんか衝撃を受けた場合に心筋のどっかがまとまって拍動するとそれを受けて他の部分が拍動→その刺激で他の部分が…と繰り返して収拾付かなくなってしまうのよ。
ブロードキャストストームですわ。神の実装ミスです。
因みに、心臓はこういう風に自律性がある実装されてるので、体から飛び出しても動いていたりする。
心臓は筋肉の塊で非常に丈夫なうえに、拍動で擦れて傷つかないように心嚢っていうスベスベの膜に入ってるので、交通事故でトラックに踏まれて胸部が潰れてしまっても血管から千切れてシュポンって感じで飛び出してくる。
その状態でも路上で拍動を続けてるんですな。奥多摩のタヌキとか大垂水峠の鹿とかがトラックに轢かれてその近くで心臓が動いてるという現場を何度も見た事があるよ。
これは「倒れてない人、ピンピンしてる人にもAEDが必要なことがある」って話だよ。
例えば江戸時代などには食器洗いのママレモンとかは無かった。キュキュットとかも同じくない。
じゃあ食器洗いはどうしていたかというと竈の灰を水に入れて放置して灰汁を作り、それで洗っていた。
これは水酸化カリウムで強アルカリだ。植物の細胞が燃えて水蒸気と二酸化炭素になり、金属であるカリウムが灰の中に残ったものだね。
筋肉が収縮するには特にカリウムが必要だ。だから筋肉にはカリウムが多く含まれる。
そして血中のカリウムが多すぎると筋肉が過敏になる訳だ。こむら返りとかが起きちゃう。
事故で車の下やブロック塀の下に挟まれててそこから救出すると、挟まれ箇所が足とか腕とかだと筋肉の塊だからしばらく痺れるが血液の循環が回復されると痺れも取れる。なんてことも無く動けるしもうへっちゃらに見える。
圧迫によって潰れた、酸素不足で死んだ細胞の中身が出てるのだ。これはゴミとして掃除しないといけないから血液はこれを拾って持って行く。
で、ここにカリウムが超大量に含まれている訳だ。多すぎるカリウムは腎臓が濾して除去する。
でも大量すぎると処理が間に合わない。大量のカリウムが体内を巡ってしまう。
で、ここに筋肉まみれのマッチョで実装ミスによって痙攣が起きやすい臓器がある。つまり心臓だ。
アーキテクチャ的にブロードキャストストームに弱いのに、高カリウム血によって信号を拾う閾値が思い切りさがる。心室細動が起きないはずがないって状態なのだ。
だから、事故で挟まれていた人が救出されて「大丈夫だ」と言っていても動かないように命じ、救急車を呼んで病院に搬送して欲しいのだ。どんなに元気であってもだ。
そしてこの人は突然心室細動を起こして死ぬ可能性があるからAEDも用意すべきなのよ。
因みに高カリウム血症へのAEDの使用は、蘇生→再び心室細動を繰り返すのでAEDはずっと繋げたままで心電図を注視してないといけない。
何度も細動が起きて何度も電撃で痙攣する患者は見たら肝を冷やすこと請け合い。
そういう訳で医者でもないのに事故や労務災害に出くわす事が多い上に自分も心臓病を患って色々覚えた野良心臓マニアの増田がAEDについて書いてみたよ。
https://www.bengo4.com/c_18/n_14717/
旧統一教会の名称変更、文化庁は「下村氏の関与」否定 「要件がそろったので認証された」
宗教法人法上の手続きを眺めてて名称変更を通さない方がおかしくね?と思ってたが
やはり制度上は書面に誤りがなければ拒否できないのが本来のルールっぽいね
宗教法人の名称を規則に記載する必要があり(法12-2)、規則変更には認証が必要(26-1)だが要件充足の場合には「認証に関する決定をしなければならない」と裁量の余地がないように見える
ただし、認証に関する審査基準という下位通達があるようで、そこの問題なように見える。審査基準までは分からぬ‥
https://twitter.com/shikipiroshiki/status/1547521651549835264
宗教法人審議会規則はあったけど審査基準はネットで見つからなかった。
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/shukyohojin/pdf/93565801_02.pdf
統一の名称変更が通った年の平成27年改正が若干怪しかったが、第169回議事録を読む限りでは大した変更ではなかった。
審議会規則を読むと宗教法人の規則変更を許可するときには審議会を通さなくていいルールになっているようだ。
下村が回答してたように文化庁の担当レベルで書類ミスが無ければ通すのが正しいルールになっている。
20年名称変更を通さなかったのは役所の裁量の濫用(コンプラ的にも怪しい)でゴリ押し却下するナイスプレーで防いでたような話なのかな。
それで統一の名称変更を強く反対してる人間が現場から居なくなって本来のルールに従って通してしまったとかそんなとこかね。
第十四条 所轄庁は、前条の規定による認証の申請を受理した場合においては、その受理の日を附記した書面でその旨を当該申請者に通知した後、当該申請に係る事案が左に掲げる要件を備えているかどうかを審査し、これらの要件を備えていると認めたときはその規則を認証する旨の決定をし、これらの要件を備えていないと認めたとき又はその受理した規則及びその添附書類の記載によつてはこれらの要件を備えているかどうかを確認することができないときはその規則を認証することができない旨の決定をしなければならない。
二 当該規則がこの法律その他の法令の規定に適合していること。
三 当該設立の手続が第十二条の規定に従つてなされていること。
2 所轄庁は、前項の規定によりその規則を認証することができない旨の決定をしようとするときは、あらかじめ当該申請者に対し、相当の期間内に自ら又はその代理人を通じて意見を述べる機会を与えなければならない。
3 第一項の場合において、所轄庁が文部科学大臣であるときは、当該所轄庁は、同項の規定によりその規則を認証することができない旨の決定をしようとするときは、あらかじめ宗教法人審議会に諮問してその意見を聞かなければならない。
統一教会は、社会における家族の重要性を強調しており[4]、それを反映して1994年5月に名称が世界平和統一家庭連合に変更された。日本で、2015年6月2日に所管する文化庁に変更申請書を提出し、同年8月26日付で名称変更が認証された[36]。
で、宗教の名称変更なんだけど文化庁へ宗教法人の規則を変更した申請を出す必要がある。
https://www.bunka.go.jp/seisaku/shukyohojin/kanri/henko.html
ここくらいしか手続きの中で省庁が却下できる部分がないから前川喜平が言う止めてたって話は多分これ。
でも、内容的に 宗教法人の規則に則って正常に規則変更してることが証明されてると却下しにくいように思う。宗教法人のプロセスの適正さを確認してるような審査っぽいし。
規則変更の許可が通った後はもう素通り。登記とかの手続きは届出で終わるので書類不備以外に断れない。
一連の流れの中で大臣の認可は存在しない。だってただの規則や登記の変更だもの。いちいち大臣は出っ張ってこない。
下村がトップダウンの命令で忖度させた可能性は否定しないよ?でも証拠は存在しない話になってくるから陰謀論との判別ができないけど。
ここからは大いに想像なんだけど、昔の省庁の手続きはかなり恣意的な運用が可能だったよね。
90年代の省庁でイメージしてほしいんだけど、法律に書いてない部分でもお役所の気分次第でいくらでも対応可能だった。
90年代に変更申請を出しても、前川喜平が言ってたように課長の気分で却下することは簡単だったのだろう。
それが00年代以降、コンプライアンスを重視する姿勢が高まった。お役所はよりお役所仕事を厳守するようになっていった。
眉を揃えた程度で3日も別部屋に軟禁みたいな対応おかしいだろ。
勉学や生活が疎かになるなんて理由述べてるけどさ、このくらいの年の子は髪型とか気にするもんだろ。この程度で疎かになるとか馬鹿げてるんだよ。
そんなら教師も化粧するな、ネクタイは無地で色は固定しろ。髪型も眉もイジるな。
そう言われて、教師は守れるかよ?
大人だから社会人だから良いんだ、なんて理由にならんよ。大人だろ?社会人だろ?なら、学校にいる間は生徒と同じ規則を守れよと。
そんなに子供たちは無法みたいにやりたい放題やるか?
ある程度規則を和らげて、生徒にも考えさせるくらいさせないでどうすんのかと。
人間が夜空を最も美しく感じるのは10歳のときで、それより歳を重ねると霞んでいく一方だという言説をどこかで読んだことがある。ふと思い出していくつかの言葉の配列を用いて検索してみたが、原文は見つからない。私の願望なのかもしれなかった。
高校に入学して初めての夏休み。昼下がりの会食を済ませたあと、中学時代の友人と共に町を歩いていた。田舎の道路は全ての人にとって旅路の通過点に過ぎない。当然私たちにとってもそれは同じだったが、朧げにしか意識しなかったし、その必要さえもなかった。畑に埋め尽くされた景色の中で、過剰に舗装されたアスファルトの黒さが不釣り合いに見えた。
会話の間隙にそれとなく見上げた夕焼けの赤に瞼の裏がぬるく解けて、いやに清々しくなって、言葉を失った。そんな気持ちになるのは生まれて初めてのことだったから、これが青春とかいうやつなのかなとか、半ば冷笑的に黙考した。その場には笑い声だけが響いていた。気づけば私も笑っていた。
ある状況の渦中にあることを認識するためには、そうではない状態を知覚する経験が不可欠だ。だから、ある幸せが存在することに気づくのは、消失へと向かうスペクトラムの萌芽に足を踏み出すのと同義なのである。
歳を重ねると空や海に涙が零れるようになることだけは知っていたけれど、あの冷えた幸せに終点があることを想像するには私たちは若過ぎた。
17歳の秋に、初めて翡翠の水平線を見た。修学旅行の2日目、沖縄の海だった。バナナボートに乗る同級生を尻目に、アトピー性皮膚炎のある私は象牙色の大粒な砂浜をひとり散策していた。平坦な床を歩くことに慣れた私には、踏み込むたびに不規則に崩れる足場が新鮮でたまらなかった。仄かな潮風が体を包むと、澄んだ笑いが漏れる。聞こえる笑い声はあの日よりもずっと多かったけれど遠く離れていて、波音が容易くそれをかき消した。自由になれたような気がした。今だけは隣で笑う人なんていなくてもいいと思えた。
太陽の眩しさすら爽やかだった。あの頃はそれほど偏頭痛が酷くなかったから、眼窩を抉る痛みを知らずに心を真白に染められた。
ずっと、海を見ていたいと思った。交じり合う碧色のゆらめきと地球の呼吸に身を委ねている時間は、何よりも心地よかったから。その日から私は、沖縄の海を憧憬している。
物体が永遠の美しさを持ち得ることがないように、我々の審美眼も恒久ではない。その瞬間の網膜を最も鮮明に彩るものは何なのか、私たちの瞳には何が残されているのか、詮索せねばならないと思う。瞬きを注視しなければ、一縷の光はすぐさま通り去ってしまうのだから。