はてなキーワード: 背中とは
むかしむかし、ある村に、心のやさしい浦島太郎という若者がいました。浦島さんは、NSC東京27期生です。
浦島さんが海辺を通りかかると、子どもたちが大きなカメを捕まえていました。(※:専門家の指導の下、安全な方法で行っています)
そばによって見てみると、子どもたちがみんなでカメをいじめています。(※)
「おやおや、かわいそうに、逃がしておやりよ」
「いやだよ。おらたち新人ADが、演者が来る前にやっと捕まえたんだもの。どうしようと、おらたちの勝手だろ」
見るとカメは涙をハラハラとこぼしながら、浦島さんを見つめています。
これはバズる。浦島さんはお金を取り出すと、子どもたちに差し出して言いました。
「それでは、このお金をあげるから、おじさんにカメを売っておくれ」
「うん、それならいいよ。この金でYouTubeを使って一儲けしよう」
と、カメをそっと、海の中へ逃がしてやりました。その様子は番組公式Twitterでそこそこバズりました。
さて、それから二、三日たったある日の事(※この間の未公開映像は番組公式ブログで随時更新中!)、
浦島さんが海に出かけて魚を釣っていると、
と、誰かが呼ぶ声がします。
「おや? 誰が呼んでいるのだろう?」
「わたしですよ」
すると海の上に、ひょっこりとカメが頭を出して言いました。
「ああ、あの時(※2)のカメさん」(※2:2021/8/29放送回)
「はい、おかげで命が助かりました。ところで浦島さんは、竜宮へ行った事がありますか?」
「竜宮? さあ? 竜宮って、どこにあるんだい?」
「海の底です」
「はい。わたしがお連れしましょう。さあ、背中へ乗ってください」
カメは浦島さんを背中に乗せて、海の中をずんずんともぐっていきました。
海の中にはまっ青な光が差し込み、コンブがユラユラとゆれ、赤やピンクのサンゴの林がどこまでも続いています。
「わあ、きれいだな。番組オリジナルカレンダー9月の写真はコレで決まり!」
浦島さんがウットリしていると、やがて立派なご殿へ着きました。
「着きましたよ。このご殿が竜宮です。さあ、こちらへ」
(繋ぎのコメントもしっかりしてる。さすが人気施設、テレビようわかっとるやん)と浦島は思いながら、
カメに案内されるまま進んでいくと、この竜宮の主人の美しい乙姫さまが、色とりどりの魚たちと一緒に浦島さんを出迎えてくれました。
「ようこそ、浦島さん。わたしは、この竜宮の主人の乙姫です。このあいだはカメを助けてくださって、ありがとうございます。
お礼に、竜宮をご案内します。どうぞ、ゆっくりしていってくださいね」
浦島さんは、竜宮の広間ヘ案内されました。すかさず、照明さんと音声さんが準備を始めます。
浦島さんが用意された席に座り、養生テープでバミられた位置に椅子をセットすると、魚たちが次から次へと素晴らしいごちそうを運んできます。
この料理のセットメニューは、来週1週間に限り「アド街を見た」でお会計5%オフになります。
ふんわりと気持ちのよい音楽が流れて、タイやヒラメやクラゲたちの、それは見事な踊りが続きます。
ここはまるで、天国のようです。そして、
「もう一日、いてください。もう一日、いてください。空待ちさえしてもらえればもっといい画が撮れるんです」
と、乙姫さまに言われるまま竜宮で過ごすうちに、三年の月日がたってしまいました。
長期ロケは吉本の安い芸人にとって貴重な食い扶持だから、という面もありました。
ある時、浦島さんは、はっと思い出しました。
(家族や友だちは、どうしているだろう?同期はもう冠番組を持っているのもいるだろう)
そこで浦島さんは、乙姫さまに言いました。
「乙姫さま、今までありがとうございます。ですが、もうそろそろケツカッチンなので家へ帰らせていただきます」
「帰られるのですか? よろしければ、このままここで暮しては」
それに、テレビに出てるからとはいえ漫才をおろそかにすると他の芸人からの風当たりも気になります」
「・・・そうですか。それはおなごりおしいです。では、おみやげに玉手箱を差し上げましょう」
(『玉手箱』その衝撃の中身とは!?リモコンのdボタンを押してあなたも回答!)
「玉手箱?」
「はい。この中には、浦島さんが竜宮で過ごされた『時』が入っております。
これを開けずに持っている限り、浦島さんは年を取りません。
ですが一度開けてしまうと、今までの『時』が戻ってしまいますので、決して開けてはなりませんよ」
乙姫さまと別れた浦島さんは、上島さんならあの場で即開封しただろうかと思いながら、またカメに送られて地上へ帰りました。
地上にもどった浦島さんは、まわりを見回してびっくり。
確かにここは浦島さんが釣りをしていた場所ですが、何だか様子が違います。いま、そこにはFischer'sしかいませんでした。
浦島さんの家はどこにも見あたりませんし、出会う人も知らない人ばかりです。
「わたしの家は、どうなったのだろう? みんなはどこかへ、引っ越したのだろうか?
…あの、すみません。浦島の家を知りませんか?」
浦島さんが携帯でYouTubeを見ていた一人の老人に尋ねてみると、老人は少し首をかしげて言いました。
「浦島? …ああ、確か浦島という人なら七百年ほど前に昼の帯番組へ出たきりで、帰らないそうですよ」
「えっ!?」
老人の話しを聞いて、浦島さんはびっくり。竜宮業界の三年は、この世の七百年にあたるのでしょうか?
がっくりと肩を落とした浦島さんは、ふと、持っていた玉手箱を見つめました。
「そう言えば、乙姫さまは言っていたな。この玉手箱を開けると、『時』が戻ってしまうと。
…もしかしてこれを開けると、自分が暮らしていた時に戻るのでは」
そう思った浦島さんは、もはや炎上でもいいからバズりたいと思い、開けてはいけないと言われていた玉手箱を開けてしまいました。
(このあと衝撃の展開!スタジオのみちょぱも驚愕の真相まであと[30]秒!)
すると中から、まっ白のけむりが出てきました。なんとか画映えするように、わざと顔に思いきりかかる形で位置を調整します。
「おおっ、これは」
けむりの中に、竜宮や美しい乙姫さまの姿がうつりました。そして楽しかった竜宮での三年が、次から次へとうつし出されます。
「ああ、わたしは、竜宮へ戻ってきたんだ」
浦島さんは、喜びました。でも玉手箱から出てきたけむりは次第に薄れていき、その場に残ったのは髪の毛もひげもまっ白の、
ヨポヨポのおじいさんになった浦島さんだったのです。
「このオチはもう新喜劇くらいでしかウケんのよ!」と、スタジオのノブが言いました。
(※本日の放送内容をもう一度ご覧になりたい方は、民放公式配信サービスTVerから!)
底本:浦島太郎 <福娘童話集 きょうの日本昔話> http://hukumusume.com/douwa/pc/jap/07/01.htm
Vtuberがゲームやっているのを見るのは結構好きなんだけど、どうにも馬鹿な子が多いなって思ってしまう。
例えば遠距離の敵が遠くに見える時に「あいつが居るから先に進めない」みたいな事をいうのだけど、
君が背中に持ってる弓は何のためのものなのかな?って思うことがある。
なんというか、ゲーム内にあるものをつかってクリアするという考えが足りないんだね。
単純に閲覧者を増やしたいだけでゲームをやってるから、全然先に進まないし、毎回わからないを繰り返し叫んでいる。
最初はね、わかるんだよ。
でも、中盤まで進んできて「知らない」「わからない」「なになに?どうすればいいの?」という流れはどうかなって。
Yahooの検索履歴。わざわざ調べるような事ではないとは思うけど、つい調べてしまった。
人に聞くよりはマシだと思った。もちろん記念すべき第一回目の誕生日では、そんな事は気にも止めなかった。自分が欠陥人間になってしまったのは、多分記念すべき第14回目の誕生日ぐらいからだろうか。それまでは、一年に一度訪れる、いつもとは違う特別な日という印象。食卓のド真ん中に陣取るホールケーキと、それを取り囲む家族の嬉しそうな顔。それを見るだけで、その日が訪れるのを何日も前から心待ちにしたし、歳の数だけロウソクを吹き消すという行為にも、何の疑問も持たずに全力でやる事が出来た。元凶はSNSだ。僕が中学生になると、Twitterやらmixiやらと、あれよあれよという間にSNSが発展した。それに伴い、自動的に他人の誕生日を知るようになった。今までは仲の良い友達4、5人程度の誕生日しか知らなかったのが、この突如現れた黒船によって、まだあだ名で呼ぶかどうかの瀬戸際にいる人達の誕生日まで分かるようになったのだ。そしてその度に祝う。自分が祝われたいから、祝う。これは戦闘力だ。誕生日にどれだけ多くの人から反応してもらえるかで、その人の戦闘力が表示されるようになったのだ。健全なる少年少女の内側に秘めていた『有名人になりたい症候群』を目覚めさせてしまった。そこからは地獄だった。(そんなゆるい地獄はないが)そして僕はその承認欲求のレースから早々と脱落した。ある時、ふと思ってしまった。『疲れた』そこからは早かった。『誕生日 祝う 理由』簡潔な疑問。『そもそも人の誕生日って、そんなにめでたい事か?』欠陥人間の産まれた日。
誕生日を迎えた朝、鏡で自分の顔を見る。昨日と全く一緒だった。全身を眺める。何も変わってない。人間はゆっくりと変化する。『背伸びだね』『声低くなったね』久しぶりに会う友達にそう言われて、初めて自分が変わった事に気付く。異性だと、7割増しで誇らしい。5歳になると額からツノが生えて、10歳になると背中から羽が生えるのなら、俺は今誕生日を迎えたんだなと実感する事が出来た。自分が何か明確にレベルアップした要素がないのに、年を一つ重ねてもワクワクしない。例えば、初めてハイハイ出来るようになったとか、初めて言葉が喋れるようになったとか、昨日の自分とは何か違う要素が一つでもあれば、腑に落ちるし、それを祝う理由も分かるのだ。誕生日は、自分からその事を言わなければ、誰からも気付かれることはない。自己申告なのだ。『もしかして今日誕生日でしょ?』と聞かれても、それは完全なる勘だ。一か八かで言ってみただけだ。
更に誕生日は一年に一度、生きてさえいれば確実に訪れる。それはこの世に生きる全ての人のスケジュールに刻み込まれているものだ。全員に訪れるものならば、それはもう当たり前の出来事だ。もちろん当たり前じゃない人もいる。産まれながらにして、余命宣告を受ける人も中にはいる。でもそれは少数だ。大多数の人は、何事も無く歳をとる。例えば今が戦時中で、若者の死亡率が50%を上回ってるなら、誕生日が特別なものだと感じる。現代の日本は平和で、不運な事故にでも遭わない限り、生き続ける事は出来る。勿論それはとても幸せな事だ。幸せな事ではあるが、一般的に考えると普通のことだ。100歳からだ。僕の中では、特別感が産まれるのは100歳の誕生日からなのだ。その時だけは『おお、凄えな』となる。長々と説明してきたが、もちろんこれは僕が勝手にそう思ってるだけで、今まさに誕生日を迎えて盛り上がってる家庭にお邪魔して『そんな事する必要あります?』なんて場を白けさせるつもりはない。でも100歳からなのだ。俺は100歳まで生き続ける。そしてその時が来たら、近所中に自慢する。自己申告する。俺の生命力を声高々に。祝え、祝え。100年間我慢したんだ。今日だけは祝え。
わー背中を押していただけるとは思っていなかったので、めちゃくちゃ嬉しいです。
私が在学していた当時は、その先生は学生に人気で、性格も良かったので今も独身かどうかは分からないですね…。いないといいですが。
大学経由の連絡先なら知っているのですが、本人の個人的な連絡先が分からないため、何も出来ないでいます。卒業前狂っていた時期に送ったようなメールはもう送れないですし。変に連絡を取って、教授の評価が下げられたりしても嫌なので。
コロナ禍で無ければ、大学に突撃する方法もあったのですが、正直これも微妙ですよね。散々先生に迷惑をかけているので、これ以上可哀想なことは出来ない…。
状況的には詰みでも、トラバを読んでくれて、背中を押してくださってありがとうございました。
実家の犬が昨日亡くなったそうだ。東京からは帰省も出来ず、会えなかった。
我が家には過ぎるくらいのいい犬だった。
犬との思い出を書こうと思ったが、そんなことをしていたら辞書くらいの分量がいる。
どうしてもなにか書きとめておきたいkら、誰に聞かせるわけでもないけれど弔辞だけ書いた。
犬よ
おれが10歳のときに拾ってきた犬よ
バイパスの高架の下に捨てられていて
みかんの箱で連れて帰って
獣医さんにもに連れていって
うちの軒下に住むことになった
6月6日の小さな犬よ
おれが散歩に連れて行った犬よ
昔はなんでもちょっかい出して
鼻面がビビるくらいに腫れていて
獣医とておまえが悪いと言っていた
夏の散歩が大好きな犬よ
おれの家出についてきた犬よ
おまえはおそらく散歩のつもりで
おれは二度とは帰らぬつもりで
あくる日は隣の町で見つかって
おれたちは泣きながら帰った
冬のある日のあたたかい犬よ
おれと彼女をつないでくれた犬よ
おまえのためのドッグランで
おまえは完全に犬見知りをして
その姿をみてあの人は笑って
おれと彼女は知り合った
ついに一度も走らなかった犬よ
おれに似ずかしこくなった犬よ
おまえは見事な番犬で
頼れる男の背中の犬よ
犬よ
おれはおまえの最期を知らない
16歳でもかくしゃくと歩き
脚が弱ろうともトイレは間違えぬ
たいした犬だと母から聞くのみだ
死んだと聞いて言葉もなかった
犬よ
おれは悲しい
おまえの死に目に会えなかったこと
共に悲しむ彼女はもういないこと
仕事はうまくいっていないこと
上京したのを後悔していること
犬よ
おれはもう少しがんばることにした
それでもいつか高架の下で
おまえのような犬を見つけたとき
家族にできるくらいの働きはしたい
ロク
思った以上に読まれてびっくりしている。コメントが多かった箇所について、本文最後に追記します。(2021/08/26夜)
記憶が鮮明なうちに記録しておくのはいいかもしれない、と思ったので書く。
これらの理由から、中古マンション買いたいなという気持ちを持ち始めた。
それをベースに、寝る場所は日あたりが良い方がいいか?それともお篭り感がいいか?など、こちらの嗜好を引き出しやすい形で複数案を提案してくれた。
年収800万として
微妙に古い賃貸に住んでた時、ストレスを感じてた部分がポジティブになった。
そんな感じです。
とりあえず今のところは買ってよかったーと思っているし、後悔していない。
一方賃貸のメリットもまだあるので、ステータスを選択できるような状態でいたいなという現在。
>ローンについて
>DIYは?
>スケルトン?配管は?
>築何年?
>コロナ渦
>性別について
>連れ込みについて
コロナ感染による相次ぐ職員の休職、増える残業時間、予算の都合上支払われない残業代、適応障害で倒れる先輩、何故か政府の対応に対する非難を市役所の税務課にかけてくる猿。
元々金は使わないし、こんな生活続ける程なら生活保護でも受けていた方がよっぽどマシだと本格的に嫌気がさしたのと、趣味が興じてメー子で働いてる友人の紹介が重なって転職が決まった。提示された給与みてビビった。今の1.7倍ぐらいになる。友人の話ではそれプラス残業代がつくらしい。民間すげえ。地方公務員の行政職が薄給すぎるのか。職場に泊まり込みとかしないでいいらしい。民間すげえ。
ご時世に仕事仲間たちを残して職場を離れるのは本当に心苦しかった。上司は「こんな状況じゃ仕方ないよなぁ、俺がお前だったらお前と同じことするよ。頑張れよ」と背中を押してくれて思わず涙ぐんでしまった。
今まで公僕として身を粉にしていたが、もう今更懲戒免職だろうがなんだろうがどうにでもなれ、俺は次が決まってるし、もう糞みたいな事にリソースを割きたくは無かった。
ある日、年配の住民が課税証明の発行を窓口で頼んできた。急ぎの県の委託業務を処理で忙しかったが、なんせ周りも対応中だったり余裕が無さそうだったので俺が対応した。威圧的な頼み方。よくある事だ。発行した証明と領収書を手渡すと「良いよなぁお前らは、世の中今こんなに大変なのに椅子に座ってるだけで金貰えてよ、なぁ!!」
今までは「えぇ、はぁ、いえ……」とか適当な相槌を打っていたが、休みの日に見舞いに行った適応障害の同僚の顔を思い出して思わず真顔で「そうだよ、あんたもやったらどうだよ」と言ってしまった。隣で対応してた同僚が間仕切り越しに驚いた表情をしていたのが視界に映りこんだ。
「なんだとてめえおいゴラ!もう1回言ってみろ!こっちはわざわざ足伸ばしてんだぞ!おめえ増田ってんだな!責任者だせ!てめえじゃ話になんねえ!」
パイプ椅子から立ち上がり窓口で凄んでくるおっさん。胸ぐらでも掴んできたら正当防衛で掴んできた腕を引っ張ってカウンターに頭を叩きつけてやろうかと思った。
つうか、証明書発行しに来ただけだろ、何の話だよ。
「〇〇様(おっさんのフルネームの周りに聞こえる大きさの声で呼称)ですね、しっかりと覚えておきます。他のお客様のご迷惑になりますので、警備の者を呼びます。このご時世に大声を出されると先日のように警察が取り押さえに来るので(警察が来たことは過去にない)御遠慮下さい。」
そういいながら内線に手を取り受話器に耳を当てるモーションを取ると「共産党の議員に知り合いいるからな、お前の首なんで飛ばすの簡単なんだよバカが。馬鹿だから市役所でしか働けねえんだよな。馬鹿が」と言って去っていった。
糞みたいな相手に糞対応するのってこんなにストレスが貯まらないものなのか。感動した。4年間市役所で働いてて初めて知った。
隣で対応していた同僚に「ビックリしちゃいましたよー、でもあんま大きな声じゃ言えないんすけどスッキリしましたよ。ああいう客きたら増田さん呼びますね」と笑っていた。
こんな対応しても許される風潮があれば、抱えるストレスってもっともっと小さくて、転職なんて考えてなかったのかもしれない。
俺は今月いっぱいで仕事納めで来月から有給消化に入るんだけれども、コロナ禍の行政職の人の負担が人一倍わかるので、本当に体に気をつけて欲しい。頑張ってください。一日でも早い収束を祈ります。