はてなキーワード: 背中とは
フジロックの興行主は商売だから、アーティストは参加者だから、客は開催されるから参加する。大規模な祭りがあるなら参加するやつは参加するんだわ。リスクがあってもね。
本当に防疫の面でヤバいなら国や地域が止めないといけない。でもオリンピックは安心・安全にやり切れたと明言され、パラリンピックには子ども数万人を見学させたい狂った町東京とその背中を押す国の姿勢。こんなんあったらフジロック止めるわけにいかないんですね。
静かな夜だった。
幼い娘が電気を消して欲しいと言うから、わたしは寝室の常夜灯を消して、ベッドに横たわる彼女の隣に寄り添った。
「ママ、苦しくない?」
娘はそう言うと、チューブを自分の鼻から外して差し出した。わたしはそれを受け取らず、代わりに小さな手を握り返した。
「お母さんは大丈夫、もう少し吸っていなさい」
そう言うや否や、自分の肺の底から咳が込み上げてきた。身体を反転させ、娘に背を向けて咳き込んだ。
同じ病気にかかっているから、こうすることにたいした意味はないのに。
わたしは枕元のチェストに置いたティッシュペーパーをとって痰を吐き出した。
薄闇の中で、それはどす黒い血のようにも見えたが、さすがに気のせいだろう。
娘は健気にわたしの背中をさすり続けた。その柔らかな皮膚と荒いスウェットの生地が擦れる音は、世界で一番優しい音だと思った。
幼な子の咳は軽やかで愛らしいけれど、自分が重たい咳を吐き出すときよりもよほど強くわたしの胸をしめつけた。
......あのとき帰省しなければこんなことにはなっていなかったかもしれない。ワクチンだってまだ打ってなかった。
そのことを娘に詫びると、彼女はこう言ったのだ。
「そうだね、流れ星も見れたね」
あの夜、星が天球の上を一筋に流れたとき、とっさに願ったのはこの子の幸せだった。
「ねえ、ママ、お水が飲みたい」
「待ってて」と言って、わたしは橙色のルームランプをつけ、スリッパを履き、ベッドから立ち上がった。
足元には、フローリングを埋め尽くすほどたくさんの観葉植物が並べられていた。
わたしたちの感染がクリニックの外来で証明されて、だけれども入院できる施設がどこにもないと知ったとき、帰りに立ち寄ったドラッグストアで買ったものだ。
髪の薄い男性店員が、眉を八の字にして申し訳なさそうに宣告した。
だったらどうしたらいいのよ! といつものわたしだったら食い下がっていた場面だろう。
もうそんな元気がなかったのもあるし、何より社会全体が何かを諦めてしまったかのようなムードに包まれていたから、わたしは何も言えなかった。
調剤室の前のベンチにはたくさんの人が座っていた。
みんな、まるで負けることを知った試合を消化するチームメイトのように、うつむいて、冴えない顔つきをしていた。
結局、わたしたちは酸素ボンベの代わりに、たくさんの鉢植えを買ってきた。
植物が光合成をしてくれたら、部屋の酸素濃度が上がるかもしれないという、浅はかな考えだった。
ドラッグストアからの帰路、緑を満載した赤いコンパクトカーの後部座席で娘は咳き込みながら笑った。
「また行きたい、フラワーパーク」
「うん、行こうね、必ず連れていくよ」
返事はなかった。
白いマスクと、冷えピタシートに挟まれた可愛い目を細めて、彼女はそのまま寝てしまったのだ。すーすーと穏やかな寝息を立てながら。
わたしは安堵して、赤信号が青に変わったのにしばらく気がつかなかった。発進を急かすクラクションがやけに遠くから聞こえた。
あれからまだ三日しか経っていない。いや、二日だったか? すでに、寝室とダイニングキッチンを往復するだけでも身体が重く、息苦しい。
洗っていないコップに水を注いで、一口飲む。
水はもとより味がないから助かる。
昼間に食べた卵がゆは、まるで湿地帯から採取した粘土のようだった。まだ喉の奥にひっかかっている気がする。
味が濃いはずのものを口にして、その風味を感じられないことがあんなに不愉快なこととは知らなかった。
昼間に洗って水切りかごに伏せておいた子ども用のプラスチックのコップに水を注いで、寝室に戻った。
ルームランプに照らされた黄色いコップには、アニメのキャラクターがプリントされていて、屈託のない笑顔を永久に固定していた。
娘はマットレスに手をついて起き上がると、壁にもたれかかって、コップの水をゆっくり飲んだ。
枕元に転がっている酸素ボンベをちらりと見る。これが最後のボンベだった。
フリマアプリで、とんでもない高額で取引されていたものだ(たぶん違法だ)。だから何本も買えなかった。
配送を待っていられなかったから、車で片道二時間かけて取りに行った。古い戸建てに住む、中年の男性だった。
まいどあり、と言ったあの笑顔が、がたがたした歯が、家の臭いが、忘れられない。
......彼は一体どうやってあんなにたくさんのボンベを手に入れたのだろう……どうだっていい!
帰りの高速では意識が朦朧として、事故を起こしそうになったっけ。
黒光りする筒の頭の部分におもちゃみたいなメーターが付けられていた。針は、かなり傾いていた。
パルスオキシメーターで測定したわたしたちの酸素飽和度は、故郷の山の、空気の薄い山頂にいるくらい低い。
どうりで頭がぼおっとするわけだ。
N-95マスクをつけた医師に、少なくとも一分間に五リットル以上の酸素は必要と言われたが、もったいないからもっと絞って使っている。
酸素に味はないけれど、吸えば少し楽になるのがわかる。
「美味しかった」
娘がコップを差し出した。まだ水は半分も残っていた。
もういいの? うん、もういい。
チェストにコップを置くと、ランプを消して二人で横になった。それから娘の体を抱きしめて、小さくて丸い頭を撫でた。
髪の毛は柔らかく、少し湿っていて、甘い匂いがするような気がした。
「ママ、それ、ほっとする」
腕の中で彼女はそう言った。子守唄を歌ってあげたかったが、もう声を出すのもしんどくなっていた。
確かに、わたしの身体は震えていた。でもそれは寒さから来るものではなかった。
「大丈夫、咳を、こらえて、いる、だけ」
声がなるべく震えないように、切れ切れに言って(あるいは本当に息が続かなかったのかもしれない)、わたしは頬を伝う一筋の涙が彼女に落ちないように頭を上の方に向けた。
それにつられて、娘も顔を上げた。
ベッドサイドのチェストの上に窓があった。正方形の小さな窓だ。
ただ今が真っ暗な夜ということだけがわかる。
娘が、ママ、とささやいた。
どうしたの? と尋ねると、彼女は目をつむってこう答えた。
「星が、きれいだね」
わたしは頷いて、
「ねえ、あのとき、流れ星を見て、何をお願いした?」と聞いてみた。
返事はなかった。
再び会えた時、3歳になっていた娘は、終始母親の背中に隠れ、知らないおじさんを見る目だったのを覚えています。
当時の私は、怒りと後悔で心が壊れそうな状態で、
なんとか子供を取り返す手段がないかと、あれこれ考えていた事もありました。
その後、娘とは月イチ程度に会う事が出来るようになったのですが、
娘が自分にワガママを言ってくれるようになるには、1年ほど掛かりました。
そして、その頃から元嫁との関係も少し改善が見られるようになりました。
今から想うに、娘から父親だと認識してもらう事で、自分の被害者意識から開放され、
現状の中、娘の為に何をすべきかを真剣に考える、心の余裕が生まれたのだと思います。
経済支援以外に、もっと子供と関わりたいと思えば、母親との連携やコミュニケーションが必須で、
子供が幸福に育つには、母親や父親が幸福である事が必要だと気付くことが出来ました。
現在、娘は小学校高学年になり、幸いにも大きな問題なく成長する事が出来ています。
いまでは、月イチの娘の面会以外にも、年に1,2度ですが、元嫁と二人だけで食事に行ったり、元嫁の両親とも一緒に食事をする事もあります。
身体に自信がない人「完璧な体じゃなくてもいいんだ!みんなに勇気を与える投稿!」
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ウィルスミス「ほなまた身体鍛えるで( バーベルやダンベルを使って腕、肩、胸、背中、脚など全身をガチで鍛える動画投稿)」
自分を貫いてて好きだ
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6090e5c7e4b04620270b4b13(ウィルスミスの記事)
「ときめきメモリアル・アダルトアニメ映画化事件」という「完全な判例」が出ているのに、
「二次創作同人誌の無断アップロードによる著作権侵害」という「似ている判決」をもって法的解釈が更新になるわけがない
前述の事件は、ときメモのヒロイン藤崎詩織がセックスをするというアニメを販売したことで、キャラクターの持つ清純なイメージを損なう改変が行われたという、
ほぼ完全なる「二次創作によって一次創作の著作権を侵害した(しかもエロによって)」という事件であり、地裁により有罪判決が確定している
過去判例がない場合、似ている判決を参照して法的解釈を流用するというのは一般的だが、
「無断で二次エロ創作を販売し、著作権侵害で訴えられた判例」というドンピシャな事例があるのならば当然そちらを使用する
以下転載
ときめきメモリアル・アダルトアニメ映画化事件 - Wikipedia
判決では、藤崎の図柄を著作物と認めた上で、本件ビデオに登場するキャラクターの図柄を対比し、藤崎の図柄と実質的に同一のものあると判断、藤崎の図柄を複製ないし翻案したものであるとして著作権の侵害を認定した。
加えて、本件ビデオのパッケージでは、藤崎のキャラクター名こそ出していないが、女子高校生の容貌やデザインのゲームのパッケージとの類似、ゲームとの関連を連想させる説明から、購入者が女子高校生を藤崎であると認識するものと判断された。
ゲームには藤崎が性行為を行うような描写は存在せず、被告は本件ビデオで清純な女子高校生と性格づけられている藤崎を性行為を行う姿へ改変し、原告の著作者人格権の中の同一性保持権を侵害しているとした。
本件藤崎の図柄は、僅かに尖った顎及び大きな黒い瞳(瞳の下方部分に赤色のアクセントを施している。)を持ち、前髪が短く、後髪が背中にかかるほど長く、赤い髪を黄色いヘアバンドで留め、衿と胸当てに白い線が入り、黄色のリボンを結び、水色の制服を着た女子高校生として、共通して描かれている。
本件藤崎の図柄には、その顔、髪型の描き方において、独自の個性を発揮した共通の特徴が認められ、創作性を肯定することができる。
他方、本件ビデオには、女子高校生が登場し、そのパッケージには、右女子高校生の図柄が大きく描かれている。
右図柄は、僅かに尖った顎及び大きな黒い瞳(瞳の下方部分に赤色のアクセントを施している。)を持ち、前髪が短く、後髪が背中にかかるほど長く、赤い髪を黄色いヘアバンドで留め、衿と胸当てに白い線が入り、黄色いリボンを結び、水色の制服を着た女子高校生として描かれている。
本件ビデオに登場する女子高校生の図柄は、本件藤崎の図柄を対比すると、その容貌、髪型、制服等において、その特徴は共通しているので、本件藤崎の図柄と実質的に同一のものであり、本件藤崎の図柄を複製ないし翻案したものと認められる。
勉強とは結局覚えることだ。いわゆる暗記科目はもちろんのこと、数学や英語だって多くのパターンを覚えて一般化し、それを問題に適用しているだけに過ぎない。
だから、大事なのは覚えることに対する二つのアプローチである。「どうやって楽しく覚えるか」と「どうやって使える形で覚えるか」だ。
覚えることは、基本的に楽しくない。粉薬を大量に飲むようなものである。そこで、オブラートを使うとか、おくすりのめたねを使うとか、飲んだ後にちょっとしたおやつを用意するとかの対処が必要になってくる。
それが一般には面白い先生の授業だったり、自分の好きなものと絡めて覚えること(洋楽と英語とか、大河ドラマと日本史とか)だったりするわけだ。
万人に向いた方法はないので、最終的には自分が覚えやすくなる良い方法を自分で探すしかない。基本的には、好きなものと関連づけてやるのがいいと思う。
大事なのは、覚えるための努力は必要ということだ。面白いので自然と覚えていることもあるだろうが、それで覚えられることはせいぜい10%くらいだ。残りは努力で覚えるしかない。それを多少なりとも楽にしようというのが、一点目である。
使える形で覚えるというのには二つの要素がある。覚える段階で使える情報を覚えるということと、覚えた情報を使える形で引き出すということだ。
目標が試験に合格することなら、過去問をやる。それが最高の方法である。大学受験や資格試験なら普通は過去問が手に入るし、そうでなくとも問題のスタイルや問題数、そこから見える傾向くらいはあるはずだ。(完全に新規の試験は除く)
過去問ならば、使える形でインプットもアウトプットもできる。間違いがない。
テストなどではない漠然とした目標の場合、少し考える必要があるが、多くの場合は、目標の立て方が下手である。
英語ができるようになりたい、であれば、読みたいのか聞きたいのか話したいのか書きたいのか、あるいは全部か、それぞれの観点で整理して、かつどれくらいを目指すのかを検討する。
ビジネスメールを読み書きできるようになりたい、もまだブレークダウンできる。ビジネスメールで、はいかいいえくらいのやりとりなのか、本格的な交渉なのか、質問対応なのか等で何をすべきかは変わる。
基本的には、なすべきことがわかるまでブレークダウンを続けるべきだ。ブレークダウンの途中で詰まってしまったら、それは人に相談すべきタイミングである。
適切に目標をブレークダウンできたなら、もうやることは見えている。どういう情報をインプットし、どういう形でアウトプットできるようになるべきか、十分に理解したはずだ。
上記のことを意識すれば、勉強とは何か?でつまづいている人も、どうにかなるだろう。
勉強とは覚えることであり記憶することだ。車の運転だって、一つ一つの動作と交通ルール、安全な距離感のパターンを覚えて行っているに過ぎない。
そして覚えるためには相応の努力が必要だということを忘れてはならない。
漠然としていて、かつブレークダウンもしにくい目標の前に立っている、という人がいるかもしれない。
その目標は完全に達成することが難しい(完全に達成できそうなら、もう一度目標のブレークダウンを見直すべきだ)
どれだけ覚えたところで完全にはならないという諦めと、それでも知らないと何もできないという渇望をもって進むしかない。
大事なのは、完璧は存在しないという謙虚な姿勢の一点のみだ。無知の知があれば、勉強を続けるべきという強迫観念が勝手に背中を押していくだろう。
がんばれ
10日間続いた素振り筋トレ合宿も、明後日ぐらいから雨が降りそうだから一度終わりになりそう…。
だから、できるうちに素振りしておきたいので、今日はまだ2日に一回ではないのだが、素振りはしに行こう。
なんだかんだ、雨を考慮して10日中7日ぐらい素振りしてる気がする。…俺は高校球児かw
ちなみに、高校生の運動部以来の濃密さで素振りを続けたところ変化したことは
・ぐっすり眠れるようになる(目覚めもパリッとする)
・集中力アップ
でした。いいね!
・後者であれば、なんで明後日あたりから雨降るから一度終わりになるの?
いいことしかないように見えるので雨が止んだ後続ければいいだけでは?
誰か解説して。
どうにも疲れ切っててホテルの外のマッサージ屋に行く気になれず初めて出張マッサージ呼んでみた。
まず、ドライとアロマ二種類あってアロマはホテルのフロントじゃないところに電話しないといけないのと、アロマのが高いのと、あとアロマはえっちなサービスじゃない的ことが書いてあってなんか逆にそういうサービスなのか?って疑ってしまいドライを呼んだ。
マッサージ師の性別は男女(空いてたら)選べたので女性にした。で、一時間くらいでマッサージ師さんが来た。
ベッドの端に横たわるように言われるのでうつ伏せ寝したらベッドの外側に背を向けて横向に寝てほしかったらしい。こんな姿勢でマッサージ受けるの初めてだったのだが、マッサージ師さんがベッドに上がらないようにマッサージするためかな?と想像した。
が、片側が終わって逆向くとき頭を逆方向にするのではなく普通に寝返り打って反対向きに横寝にならされ、マッサージ師さんはベッドにあがりこんできた。
なぜ横向きなんだろう。腑に落ちないものの疲れてるし気持ちよくないわけではないのでまあいいかとそのまま受けた。でもほんとはうつ伏せで背中を押してほしいんだけどなあと思ってるうちに反対側も終わってもう終わりかな?と思ったら今度はうつ伏せになれという。
そしたら私の想像する指圧が始まった。痛気持ちいい、、のと眠いのでマッサージ師さんがベッドから降りてたのか上にいたのかはよくわからなかった。
その痛苦し気持ち眠さのなか終了を告げられた。体起こすと肩が軽くなってた。ほんとは背中がバキバキだったのだが背中は翌日もバキバキだ。
まあでもマッサージ前よりすっきりしたしお礼を言う。支払いはチェックアウト時フロント。アロマだったらいつ払ってたんだろ。
総括して悪くはなかったが眠くても既知のお高いマッサージ屋に行くのが正解だったかなと思った。けど外出てたら眠い、、部屋に呼べばよかったと思ったんだろうなと思うので次こんな場合どうするかはわからない。
オリンピックけっこう観てるけど、やっぱり勝利の喜びも敗北の悲しみも、あと一歩届かなかった悔しさも負けたけれど力を出し尽くした満足感も、今まで一緒に切磋琢磨した仲間への感謝も、二人三脚でトレーニングをしてきたコーチやチームへの信頼も、背中を押してくれた家族へのありがとうも、全部選手だけのものだし、感動するけれども最も感動しているのは選手自身であるべきだし、観客は観客でしかないので、自分はおいしいご飯を作ったりいっぱい寝たりすることに専念すべきだなと思いました。まる。
7月25日の13時から行われた東京オリンピック 女子ロードレースで起こった奇跡について書いた前回の記事(https://anond.hatelabo.jp/20210727115101)が思いがけず多くの人に読んでいただけたようなので、その時に2位となったオランダ選手についても解説してみました。
そう、前にいたキーゼンホファー選手を見落として自分が1位だと思ったまま、2位でゴールしてしまった彼女の物語です。
名前はアネミーク・ファンフルーテン、1982年生まれの38歳です。
38歳という年齢は選手として決して若いとは言えませんが、現在でもスペインのプロチーム「モビスター」に所属し、エースを務めています。
「エース」というのはそのチームで1番の実力者であり、チーム全員が力を合わせて1位を取らせる人です。
他の選手は「アシスト」となりエースの前を走って風よけとなったりしながら、エースの脚を温存させてゴール前まで送り届けるのです。
そんな彼女が自転車競技を始めたきっかけは、2007年にオランダのワーゲニンゲン大学で疫学の修士号を取得した頃に、同時に楽しんでいたサッカーを膝のケガのために止めることになり、自転車競技に参加するようになったそうです。
スタートは遅かったですが、その後順調に自転車選手としてのキャリアを積み上げ、2009年にはプロチームと契約し、2012年のロンドン五輪では4人のオランダ チームの一員として女子ロードレースに参加して、オランダの選手が金メダルを獲得するのに貢献しました。
そして、2016年のリオ五輪にもオランダ チームの一員として参加しました。
しかし、ここで今回の東京オリンピックで何としても金メダルを獲得したい理由が生まれてしまったのです。
リオ五輪の女子ロードレースは全長137kmのコースで行われ、彼女はゴールまで残り約10㎞という地点で2位に差をつけて単独1位となっており、金メダルをほぼ手中にしていました。
しかし、そこは前日の男子ロードレースで複数の選手が転倒して鎖骨や骨盤や肩甲骨を骨折するという事故が発生していた魔の下り坂だったのです。
そして、ファンフルーテン選手も右カーブを曲がる際に一瞬後輪がスリップしてコントロールを失い、かなりの速度で落車して頭から地面に叩きつけられてしまいました。
その結果、重度の脳震盪と腰椎の3か所を骨折し、直ちに集中治療室に搬送されるという大ケガを負ってしまったのです。
レースは当然、リタイアでDNF(Did Not Finish:ゴール出来ず)扱いとなり、同じオランダの選手が金メダルを獲得しましたが、彼女自身はメダルを手にすることは出来ませんでした。
そんな経験をしている彼女が今回の東京オリンピックでの金メダル獲得に並々ならぬ意欲を抱いていたことは想像に難くありません。
リオ五輪で大ケガをした彼女はその後、事故から10日目には自転車に乗り始め、その年のベルギー ツアーというステージレースで総合優勝を果たすというとんでもなく順調な回復を示しました。
ステージレースというのはオリンピックのロードレースのように1日で終わるワンデーレースではなく、様々なステージ(コース)を舞台として何回もレースを行い、その総合成績で勝者を決めるという形式のレースです。
2016年のベルギー ツアーは全4ステージ、4日間というものでしたが、有名なツール・ド・フランスというような大きな大会になると、今年は全21ステージ、2度の休憩日をはさんで全23日間で3,383kmを走破するという過酷なものになります。
彼女はその後の4年間も様々なレースで勝利を重ねており、万全な体制で東京オリンピックに乗り込んできたものと思われます。
またチームとしても、パレード スタート後あまりの暑さに冷たいボトルを無理やり背中に突っ込んでいる選手もいる中、オランダ チームの4人はオレンジのジャージの上に揃いの白いアイスベストを着ていたことから準備万端整えてきたことが伺い知れました。
ちなみにパレード スタートというのは、今回のコース全長147kmのうち最初の10㎞は観客への顔見せのため、選手全員が先導車の後についてゆっくりパレード走行するというものです。
TVのニュースやネットで自転車の集団が神社の境内に突入していく映像を見た人もいるかもしれませんが、あれはパレード走行中の映像です。
さすがに多くがプロの選手とはいえ、本気で走っている時にあそこを集団で走り抜けるのは無理があるでしょう。
また、パレード走行中も選手同士は集団の中でどの位置を確保するか戦略を巡らせています。
オランダ チームは4人並んで集団の先頭を堂々と走り、キーゼンホファー選手はスタート直後から最後尾を単独でずっと走っているのが確認できます。
そして、10㎞を走ってアクチュアル スタート地点の是政橋を過ぎたところから、本当の戦いに雪崩れ込んでいったのです。
レースは前回の記事で説明したように、スタート直後にキーゼンホファー選手を含む5人が飛び出して逃げ集団を形成し、しばらくは何事もなく進んでいきました。
ところで、逃げ集団は最後にはほとんどの場合、メイン集団に追いつかれてしまうのになぜ良くつくられるのでしょうか。
理由の一つは、万が一にでも勝てる確率があるからです。逆にメイン集団に残った場合、ゴール前までついていけたとしても「ゴール スプリント」と言われるゴール前数十メートルから数百メートルで行われる最後のラストスパート争いに「スプリンター」でないと勝てないからです。
スプリンターというのは長距離は苦手だが、短距離を爆発的な加速力で速く走るのが得意という選手のことです。
特に今回のオリンピックの場合、国毎に参加人数が違うので単独で参加している選手はスプリンターであっても、他の国がスプリンターにアシストを付けている場合、ほとんど勝てる可能性は無かったでしょう。
メイン集団にいると先頭付近にいないとカメラに映ってもほぼ分かりませんが、逃げ集団であれば必ずカメラに映れます。
目立ちたい理由は選手によって「家族に見てほしい」や「より良いチームにスカウトされたい」というものがあるようです。
さらに、有力チームが逃げ集団に選手を送り込んでおくというのもあります。
万が一、逃げ集団が逃げ切ってしまった場合でも勝利の可能性を残しておくという目的もありますが、逆に逃げ集団のペースをわざと遅くさせて、確実にメイン集団が追いつけるようにするという目的の場合もあります。
そしてレースに戻ると、ゴールまで残り約80km弱の地点に近づいた時にそれは起こりました。
ファンフルーテン選手の前を走っていた選手が突然、転倒したのです。
実は前日の男子ロードレースでもまったく同じ場所で5人が落車するという事故が起こっていました。
道路に横たわった選手と自転車を前に彼女もブレーキを掛けますが止まり切れず、相手の自転車に突っ込んで前に投げ出される形となりました。
映像を見ると分かるのですが、2車線道路の中央部分に細い溝のような部分があるのが見て取れます。
どうやら、この部分でタイヤを取られて転倒してしまったようです。
バイクや乗用車のタイヤの太さなら問題ないのでしょうが、ロードバイクの細いタイヤにとっては危険な構造になっていると思われます。
今後もし、同じコースでロードレースが開催されることがあれば何らかの対策が欲しい所です。
幸い速度が落ちていたため大きなダメージは無かったようで、彼女は直ぐに起き上がりました。
しかし、2台の自転車は知恵の輪のように絡み合ってしまってはずれません。
すると、サポートカーから降りてきた男性が2台を引き離してくれ、転倒した選手の自転車は交換となりましたが、ファンフルーテン選手はそのまま自転車に乗り、再び走り始めました。
しかし、落車した瞬間はリオ五輪の悪夢が脳裏をよぎったことでしょう。
ロードレースでは暗黙の了解として、落車した選手がいた場合などは集団のスピードを上げずに、その選手が集団に復帰してくるのを待つという慣習があります。
また、サポートカーを風よけにして後ろを走るのは普段は許されませんが、こういう時は暗黙の了解で許されたりします。
そうして、メイン集団に復帰してしばらくすると、ゴールまで約60kmの山伏トンネルの手前でアタックを掛けて先行し、一時はメイン集団から1分以上先行しました。
しかし、それでも逃げ集団との差は5分以下には縮められず、ゴールまで約30㎞ぐらいの地点でメイン集団に戻ってきてしまいました。
さすがに5分以上先行している逃げ集団に一人で追いつこうというのは無茶だったようです。
レース後のインタビューで3位になったイタリアの選手が「逃げ集団を追う責任はオランダにあった」と言っていますが、これもロードレースの暗黙の了解のひとつで、そのレースで一番強いと思われているチームはメイン集団をコントロールし、レース終盤に確実に逃げ集団に追いつくよう集団のペースを調整する責任があるという考え方が下敷きにあります。
今回オランダ チームはその責任を果たすことが出来なかったわけです。
ファンフルーテン選手が山伏トンネルの手前で逃げ集団を追うべく先行したのはタイミングとしては正しかったと思いますが、さすがに一人で追いつくのは無理なので他のオランダ チームの選手も同調して動くべきだったと思います。
これは単に無線が使えなかったからというよりは、誰がエースで誰がアシストをするかというチームとしての戦略が徹底されていなかったか、あるいは最初からそんな戦略が無かったように見えました。
オランダ チームの4人はそれぞれがすごい人ばかりなので、調整がつかなかったのかもしれません。
終盤はメイン集団の先頭をオランダ チームの4人が並んで引っ張るシーンもありましたが、時すでに遅しで富士スピードウェイに入ってから2位と3位のイスラエル、ポーランドの選手には追いつくことが出来ましたが、キーゼンホファー選手の背中を見ることは最後までありませんでした。
そうして前にキーゼンホファー選手がいることに気がつくことなく、彼女は自分が1位と信じてガッツポーズをしながら2位でゴールラインを越えたのです。
ゴール時のガッツポーズは暗黙の了解として1位の選手のみがするものとなっているため、彼女が自身を1位だと思っていたのは明らかでした。
ゴール後に自分が2位だったことを知らされ、レース後のインタビューで「銀メダルでも美しい」と答えたファンフルーテン選手の胸中はどのようなものだったのでしょうか。
仮に現国の試験で「この時の選手の心境を説明しなさい」という問題があったら、いくらでも書けそうな気がします。
女子ロードレースが行われた3日後の7月28日、彼女は富士スピードウェイのスターティング グリッドに自転車に乗って立っていました。
個人タイムトライアルというのは、ロードレースと違い数分間隔で選手が一人ずつスタートし、単独走行でゴールするまでのタイムを競うという競技です。
今回は富士スピードウェイとその周辺道路に全長22.1kmのコースが設定され男子は2周、女子は1周します。
それも22.1kmを30分13.49秒というタイムで走り切り、2位に約56秒差という圧倒的大差をつけての1位でした。
この差がどれだけ圧倒的かというと、2位と3位は4秒差、3位と4位は7秒差、4位と5位は4秒差でしたので、どれだけ彼女が頭抜けた選手なのかが良く分かります。
最後の走者がゴールして金メダルが確定してから表彰式が終わるまで、ずうっと嬉しさ爆発という感じで喜びの表情だったのが印象的でした。
歓喜の様子はNHKの見逃し配信(https://sports.nhk.or.jp/olympic/highlights/list/sport/cycling/)で「女子個人タイムトライアル」とタイトルに入っている動画の1:12ぐらいから見られます。
しいて言えば、タイムトライアル競技のコースというのは普通、平地が主体のコースとなるのが通例なのですが、今回は富士の裾野にある富士スピードウェイとその周辺道路がコースとなったため、タイムトライアル競技としては珍しく上り下りの多いコースとなっていました。
そのため、タイムトライアル競技に特化した選手は記録があまり伸びなかったものと思われます。
それでも彼女と同じオールラウンダー型の選手も大勢参加していたので、彼女のすごさは変わらないでしょう。
しかもレース後のインタビューによると、タイムトライアル用の自転車にはDHバーという肘を載せるパッドがついた前に2本の棒が突き出した形の部品がハンドルの上に付けられているのですが、棒の先っぽにギヤの変速(シフト操作と言います)を行うためのレバーやスイッチが付いています。
このスイッチが本番で機能しなくなり、ハンドルのブレーキバーについている本来のシフトレバーを使うしかなくなってしまっていたそうです。
シフト操作自体は出来るとはいえ、タイムへの影響は避けられなかったでしょう。
それでもこの圧倒的大差です。
また、件のスイッチはレース後は正常に動作して、レース前の確認でも正常だったため、これは仕方がないということで整備したメカニックが怒られることは無かったそうです。
ちなみに、キーゼンホファー選手は個人タイムトライアル競技には出場していませんでした。
もし、この競技を得意とするキーゼンホファー選手も出場していたら、ものすごく興味深い対決となっていたことでしょう。
こうして彼女の東京オリンピックは今度こそ本当に終わったのです。
その後、彼女はオランダには帰国せず直接スペインに飛び、7月31日に行われた「クラシカ・サンセバスティアン」という全長約140kmのワンデーレースに出場して、最後は独走で優勝したそうです。
東京オリンピックのロードレースで金メダルを逃した影響の心配はいらないようです。
ロードレースの基礎知識を盛り込んだら随分と長文になってしまいました。
今後も機会があったらロードレース観戦を楽しんでいただければと思います。
それでは、またいつの日か。