弱者男性の話題で差別の透明化が気になった。
差別をやめて欲しいと訴えても、曲解されたり、矮小化されたり、一般化されたりでまともに受け取ってもらえないわけだ。
表現が拙くてもやはり辛さを打ち明けてくれたものへ寄り添うのがマナーかなとも思ったが、まあそこは人それぞれだ。
興味を持ったのはそのテクニックの多様さだ。
弱者男性関係で披露された透明化のテクニックは恐らく、そのほかの差別の訴えにも使用されるだろうな。
なんだが兵器がずらっと並んだ光景のようで、壮観でしたね。
Permalink | 記事への反応(0) | 18:29
ツイートシェア