はてなキーワード: 愛国とは
今日ニュース見てて、いろいろ面倒な話は置いておいて日本に皇室があって良かったなあ、 的なことを思った。理由もなくそんなこと思ったりするのは子供の頃の自分ならムキー! てなった感じの話なんだけど、とにかく素直にそう思ったんだから仕方ない(笑) 自己分析もやればできるけどしないでおこう。 倉本圭造 https://twitter.com/keizokuramoto/status/459326054490853376
倉本圭造の言論には
たとえばこんなふうに
「今日ニュース見てて、いろいろ面倒な話は置いておいて日本に倉本圭造殺せと主張する人たちがいて良かったなあ、的なことを思った。理由もなくそんなこと思ったりするのは子供の頃の自分ならムキー!てなった感じの話なんだけど、とにかく素直にそう思ったんだから仕方ない(笑)自己分析もやればできるけどしないでおこう。」
防衛線張りまくるあたりも小物感を醸し出している
倉本圭造がツイートで書くのをためらった「良かったな」と思ったこととは
もちろん皇室ではない
それによって形成された戦後民主主義だ それを「皇室」と呼んで
戦後民主主義に対して、子どもの頃の倉本圭造はムキーと反発していて
素直にあって良かった 日本国憲法あって良かった
素直に思えているけれど それについては
やればできるはずの自己分析を 倉本圭造は、したくない(嘲笑)
倉本圭造のメンタリティは 大日本愛国ナントカ的な昭和陸軍的なものから
一言で言うなら「倉本圭造の団塊の世代化」「倉本圭造の永六輔化」だ(爆笑)
これだけは言える
apes、法華狼あたりのコメ欄にたむろしている
色眼鏡でこねくり回してみるよ
まず辞書。
1 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を―する」「―力を養う」
2 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の―を受ける」「政府を―する」
3 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/186757/m0u/
やたら攻性な言論スタイルで
論破論破してる人たちが多いように思えるので2の思考モデルにしてみようそうしよう
人の言動・仕事などの<誤りや欠点 A>を指摘し、正すべき<(状態) B>であるとして論じること。
じゃぁ誤Aと正Bになにを代入すればいいか
思いつく限り代入してみればいいんだなんだ簡単なことじゃないか
正B=日本の評価を不当に押し下げないこと
日本は極右化しているかのように思えますが良心的な私達がいるので大丈夫です!ですかね。
おまいらが提示する正しい状態は俺たちの生活に安定か閉息かどちらをもたらすのか?
おいおい正誤が反転してるよってネトウヨギャラリーは思ってるんじゃないかなぁ。
というか俺はネトウヨだなぁ
投射乙ってやつかなぁ
どっちかはっきりしてほしいよね☆
次
政治思惑や野望、外交カードにしたり積年のうらみつらみを晴らすために個人個人が太古から連綿と紡いできた
ただひとつの歴史の真実の重みを軽々しく改編したり弄んだりする不逞な輩は許さんぞ、的な
神の視点でスペシャリストが世俗論を斬って捨てるのって、かっこいいじゃないですかー
あら、屋代聡さん、やだー!
神の視点とやらが常に安定と平和な日々をもたらすかっつったらヤハウェさんたらアレだしねぇ
次
誤A=人権を軽んじる
正B=人権を重く考える
いわゆる朝鮮人慰安婦問題で人権人権ふりかざすなら、慰安婦のうち大勢を占めた日本人や、
シベリア抑留者、満蒙や半島からの引揚者に対するシンパシーを片鱗でもみせたことあるのかしら
日ソ共同宣言やら日中平和有効条約やらサンフランシスコ平和条約やらで
戦時賠償請求の放棄してるから相手国は関係ない?日本政府が悪いですって?
あれー?ずいぶん不平等ですよねー?
おまいらの好きな人権は上の日本人被害者には向けられないのです?
なんでです?差別じゃないんです?なぜ同胞の苦心の労いより他国のそれを拾うんです?
次
これがいちばんしっくりくるのは俺がネトウヨで自己投影/投射行為だからっすねぇ
原発再稼働反対で、新自由主義反対で、経済格差反対で、秘密情報保護法も反対で、靖国参拝反対で、
おまいら反対ばっかじゃないっすかー
反対するならおまいらの思う正しい状態をまずはわかりやすく提示したらいいんじゃないかな
現体制がフラフラ不安定になるようになるようにおまいらが足を引っ張ってるように思えて
俺の日常生活、家族や社会が不安定になるのが不安で不愉快だけど
ここは日本、
地元から大学進学と共に都会に出た人間だけど、地元志向の人に対して違和感を感じていた点は、所得でも知的レベルでもなく、たった一つ。
ソーシャルグラフとインタレストグラフを一致させようとすることだけだ。
言いかえると、たまたま近所に住んでいるから仲良くなった子や、たまたま同じクラスになったから仲良くなった子、
たまたま同僚だから話すようになった人に、積極的過ぎる「趣味の布教」を行う点。あるいは布教に応じなかった人を拒絶する点。
私は、近所に住んでいる人とは地域の話をすればいいし、クラスの子とは学校の課題やイベントの話をすればいいし、
同僚とは仕事の話をすればいいし、趣味の話をしたければ趣味のコミュニティに所属すればいいと思うのだけど、
地元志向の人は、"イツメン(いつものメンバー)"と全ての話題を共有したがる傾向にある。
だから地域・学校・職場などの枠組みにたまたま結び付けられただけの人に、趣味の一致まで求めてしまうんだよね。
趣味の押し付けはヤンキーに限らず、オタクもやっていた。地元オタクの友達関係も"イツメン"的だよね。
趣味の種類が、車やバイクの改造なのか、同人誌を描くことなのかっていう違いだけで、押しつけがましさは一緒。
これが嫌なんだよ。自分と興味関心の方向が何もかも一緒な人間を求めている感じが気持ち悪いって感じる。
子どもは、他人と自分の違いに対して傷つき感を覚えるらしいけど、成長に従って違いを受け止められるようになるという。
地元的、"イツメン"的な人たちは、いつまでも違いを受け止められない「子供」の部分が、
外見が太ろうがシワシワになろうがハゲようが、一生むき出しになっているようで、
それが美化されて称賛されている様子がなんだか露悪的なものに感じて、引いてしまうんだよ。
そして都市部でも実は地元民同士行われてる。このひとが地元に戻れば当然そうなるだろうし、でなければ地元でも浮いているんだろう。おいらが同じ人種だからよくわかる。
東京で生まれ育って、固定化された人間関係に満足してきた東京都民とは分かりあえないだろうし、
地方Aから地方Bに移住した人となら、もしかしたら分かりあえるかもしれない。そういう感覚です。
「自分と興味関心の方向が何もかも一緒な人間を求めている感じ」がとにかく嫌なんですよ。
お互いにその甘えを押し付け合って、依存し合って、監視しあって、縛りあっているんです。
グループ内で数多くの不文律が出来ていて、破ると「非常識だ」。
グループ内では同じものを好きになって同じものを嫌いにならなければならず、期待にこたえないと「裏切った」。
そして「非常識だ」「裏切った」と言われないで済むように振る舞えることが「コミュ力」だと勘違いしている。
これが嫌なんです。表面的に期待にこたえて何とかしのぐことはできますが、永久にこれを続けるのは耐え難いです。
彼らはそれが幼稚な依存関係であることに気付いてすら居ない。依存関係のことを「絆」と言い換えて美化している。
そして依存関係を自分と同じように美化しない人を批判して、仲間内の依存関係を強める道具として活用するんです。
よく出来たシステムだと思います。しかし私は短期的には耐えられますが、長期的にこれに耐えるのは負荷が高すぎて無理です。
いつも同じこと出来る仲間がいることが悪いことなのか? 都会でそういうものから開放されたのに、わざわざこんなの書くのは何でかな。少しでも羨ましいという気持ちがなかったといえるのかな。
都会に出てもなかなか解放されないんですよ。都会に居る人が皆そうではないという訳ではないので。
都会に暮らし、社会的地位や経済力を持っていても、「自分と興味関心の方向が何もかも一緒な人間」を求めている人は居ます。
羨ましいとは思えません。"イツメン"の内部では、イジメとは行かないレベルの醜悪な「イジリ」が蔓延していることも知っています。
(彼らはイジる側に居る時は「冗談」「ネタ」と言い張って、イジリを止めようとする人を「ノリが悪い」と批判します。
そして自分がイジられる側になると「酷いイジメを受けた」と言い張るか、自分より弱い対象を探してストレス解消のサンドバッグにします)
そしてLINEグループから外される恐怖、陰口を言われているかもしれないストレスと常に隣り合わせであることも知っていますから。
特に親しい友達が居ることが悪いことだとは思わないんですよ。私にも居ますし。
ただ、違いを受け入れられない幼稚さが気持ち悪いんですよ。
オレはこれまで一人で生きてきたし、これからも一人で生きていける強い(成熟した?)人間だ、と言いたいらしい。この強さの幻想は都市空間と若さがもたらす限定的なものなので、あまり過信しないようにね。
そんなこと一言も言ってないです。
ぼくはレイシストです。まで読んだ
書いてません…。
まるで監視社会かのような濃密なコミュニケーションネットワークだと、趣味部分への干渉も同じようになされるケースは結構多そうだよなぁ。無意識だったり善意だったりする場合もありそうだし。
だからこそ、その善意に対して不快感をあらわすと叩かれるわけですけど。
ただ「善意でコーティングされた押しつけがましさに対してストレスを感じる」こと自体は、
「おまえどこ中だよ」「イツメン最高」系の人でも経験あるはずなんですよね。
「自分の趣味を押し付けたいから、押し付けられることも受け入れなきゃいけない」という取引に縛られてるだけな気がする。
で、この「押し付けたい」が幼稚であり甘えだと言いたいわけです。
オキシトシンは中枢神経で働く神経伝達物質でもあり、母子の絆や、信頼や愛情といった感情、グループ認識などの社会的行動にも複雑に関わっている。
オキシトシンは、自分の嫌いな人が何かに成功した場合には嫉妬をかきたて、嫌いな人に自分が勝った場合には得意な気持ちにさせる、というものがある。
私が嫌悪しているものって「オキシトシン過剰」の一言で説明できるものかもしれませんね。
より厳密に言うと「オキシトシンの負の側面に目をつぶってオキシトシンを礼賛するスタンス」。
とりあえず私が作ったわけではないことだけは主張しておきたいです…。
http://j-lyric.net/artist/a00839f/l027f2d.html
地元じゃない人が多い大学でも企業でも同僚に趣味や共感を求めまくる人は一定数いたから地元かどうかだけじゃなさそう。ただ、人生で会う人間の数が少ないまま大人になることで一つしか人間関係が想像できないのかも
地元志向と「知人と自分の同一化を求める人間」はイコールではないのに、私の中で強固にイメージが結び付けられているのは、
地元志向で生まれつき与えられた人間関係に籠る人ほど「人生で会う人間の数が少ないまま大人になる」傾向にあるからかなと思いました。
でも確かに偏見でしたね。調べれば確実に強力な相関があると思いますが、イコールのように言ってしまったのは偏見でした。
内容自体は趣味押し付けてくる奴うぜーの域を出ないのだが、それを地元志向とか関連性よくわからん呼び名でタイトルにしちゃったのが残念な増田。まぁさすがにレイシストは言い過ぎだろとは思うので同情しとく。
「レイシストは言い過ぎ」というか、地元志向には排他性(よそもの嫌い)が伴うので、地元志向の人こそレイシストに近いと思います。
「地元愛」と「隣の県の人間が嫌い」が表裏一体だったりします。
うざい奴が決まって持ち合わせている幼稚さは故郷を離れてヨソモノとしての振る舞いが必要な環境にいれば改善されたのではないかと思わせられるって話でしょ?めっちゃわかる。
はい…。そういう話です…。
13. 名無しにしてやんよ 2014年03月17日 15:16 ID:WZRBUz1Y0
日米韓首脳会談する為に、3ヵ国で会合する為だけの朴クネ救済だろうよ。
こうでも言わなきゃ会談など出来ないし、南 朝 鮮 が国民総火病だろw
3ヵ国会談し、在外 朝 鮮 人 に帰国命令する具体的日程やら日米対応の擦り合わせするんだろ。
米韓口座自動化に日本政府からは、在日朝 鮮 人 の外国資産申請、朝 鮮 人 銀行資金注入で実質国有化、通名変更禁止。
これらを見ると朴大統領が南 朝 鮮 人 の帰国命令を出す準備ではないかと思うぞ。
朴大統領は今までの反日、シナへの接近、日米離反、周到な準備とシナリオがあるだろうよ。
しかも此は大統領就任以前から既にシナリオがあった様に感じる。
俺がそう思う理由の一つが彼女の親父さんは天皇陛下に誓願した高木中尉だから。
それに彼女は歴史云々言っても、けして陛下を侮辱する発言をしていない。
イ・ミョンバクの陛下侮辱発言に、怒りを持った日本人支配層の行動に思うな。
天皇陛下を侮辱すれば日本人は戦争すら辞さない民族なのは、みんな感じた事だ。
一般参賀や天皇誕生日、国士舘や愛国校長を見れば要因に察する。
朝 鮮 人 はもう終わってるんだよ。
安倍君が実際この会談などで血税を渡したならば、俺達も『即戦争』だよ。
それを一番分かってるのは安倍君自身だろ。
この先の3ヵ国会談までみんな様子見ろよ。
もし、総理大臣は参拝しても天皇陛下が参拝しないことを責められるとき、どのように論理的に返すことができるんだろうか。
仮に責められたとして、陛下が参拝しない事に、右派は不平を述べるのかな。
最近、皇太子殿下がやんわりと現行憲法の維持をおっしゃられた時、一部のネットでは皇族の政治への介入だとして安倍首相支持派が非難していたけれど、個人的に不思議な感覚をもった。
安倍首相支持派は保守かつ愛国的なイメージがあったので、まさか皇族批判をするとは思わ
なかった。
既存の保守派とは少し毛色の違う方向が醸成されている気がしてやまない。
なぜ、昭和天皇がそれまでご参拝されていた靖国におゆきなさることができなくなったのか。
ここら辺を日本人が解消しない限り、対外的に正当性を誇示することは難しくなっていくんじゃないかな。
だからこそ、政治的に注目を浴びて、ごちゃごちゃとひっかきまわされるのではなく、ひっそりと厳かにただ英霊をしのぶ場所であってほしいと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=VssHZqTw53s
【直言極言】都知事選の結果における絶望と希望[桜H26/2/21]
水島総(チャンネル桜社長・田母神選対本部長)によれば、都民の85%が唯物論者で、人間の心を持っていないようです。
靖国に参拝すれば「人間」という切符が手に入るようです。「信心するぞ!信心するぞ!信心するぞ!信心するぞ!」っていうアレと同じですやん。
こりゃ単なるカルトですよ。人も離れますわ。挙句の果て、都民は愚かだった、と。私から見れば、田母神を4位にするくらいには良識的だったよ。
そして、いい加減に目を覚ましてください。
都知事選で話題になった20代の田母神氏の得票率。これを嘆くべきは左翼ではなく自民党や保守派だ。
言うまでもなく田母神氏は愛国・民族主義者だ。その主張は日本人には心地よいのは確かだ。しかし彼の主張に共感して良いのは中学生くらいまで。精々18歳になったら卒業するようなものだ。社会性が身に付くようになれば、独りよがりの自分勝手は通らない事がわかり現実的な身の振り方を知る。それが出来ないのは日本人の幼児化が進行しているということだ。
後5年、10年後、自民党は彼ら幼児的な連中によって苦しめられるだろう。現在の米共和党のように。アメリカの反知性主義者によって支持されるティーパーティー運動は、共和党を内部から蝕み大衆政党としての存在を脅かされている。彼らは保守政党に対して『もっと右に!』と要求し現実離れさせる。
自民党は中道右派でなければならない。ギリギリの右寄りだったブッシュの後に勃興したティーパーティーのように、安倍氏の後にそれに飽き足らない田母神支持層は日本版ティーパーティー化する恐れがある。
田母神支持層はネトウヨとの親和性が高い。情報リテラシーが低く(本人は高いと思っているが)プロパガンダに煽られやすい彼らが政治活動に自らのアイデンティティーを求めようとしている。ネトウヨのティーパーティー化はすでに進行している。あとは巧く煽動するだけだ。
アメリカには盤石な米民主党がある。しかし日本にはそれが無い。当分期待できないだろう。自民党が蝕まれてしまえば、戦前の二の舞、つまり反知性主義者による愛国運動に国政が牛耳られる事も不思議は無いのである。
この選挙結果を本当に警戒するべきは自民党、そして一般国民そのものである。
どっかで聞いた話だけども。
アメリカ人の愛国心とは、合衆国と市民とのあいだで交わされている契約にもとづいた国家運営システム、それを市民ひとりひとりが主体的に動かしていることへの誇りだという。自分らの手ですばらしき国をつくっておるのだーーっていう職人めいたプライドだ。それなら余人でもまあ理解はできるでしょう。それは住んでいる土地への郷土愛ではなくてアメリカ合衆国という共同体システムへの愛だ。日本のそれとは感覚がちがうのも道理です。
日本国における愛国心とは、日本という国、ならびに世界一の歴史をもつ天皇家を、ひたすらひたすら盲信していく姿勢です。はじめに愛ありきなんすよね。愛せねばならない、とまで言いかねん。「なんで?なんで愛さないといけないの?」っていう疑問にたいする答えが、はたして納得できるものであった試しがありましょうか。愛国心なんてモダンなことばで着飾ってはいるけどもうほとんど信仰であるように見える。てか神道だわ、まさしく。
かように、日式愛国心とはもはや宗教なんで合理的説明ができない。愛国者たちは必死こいて屁理屈こねるかもしれないが、煮詰めてしまえば「愛国行為そのものが尊い。黙らっさい」という態度である。日本人ならなにがなんでも絶対国を愛せねばならないとすら思ってる。自民党改憲案に実際そう書いているし。公明党は創価学会だが自民党は国家神道じゃねーか、笑えねえ……。おまけにその体現者が今の首相だと思うと比較的死にたくなる。マジであいつどうにかしろよ。
生まれた場所を愛するという人間ならだれもが持ちうる当たり前の感覚、それは愛国心じゃなくて郷土愛。国家というシステムと郷土という場所とを混同して考えるからどんどん意味不明な方向に暴走しちゃうのをもっと自覚的になってほしいなっておもいます。郷土は永遠だが、国家とはたんなる組織やで。
禿ファンだけど確かに放射能の箇所には「放射能?放射脳じゃなくて?」となった。
なんとかファンとして養護してみる。
hagex氏が嫌いなものは「風説の流布」とか「デマ」とかそういったもので、
あのブログは一貫してそういったものをテーマに扱ってると思う。
放射能の話題に対して、「放射能がー」の人たちは安易にデマを拡散してる向きがあるから、彼らを「放射脳」という言葉を使って蔑むということではないだろうか。
ねつ造を嫌う2ちゃんねらーによって生み出された「マスゴミ」は、いまやそれ自体が単なる風説の流布になってしまった向きがあるし、
乙武氏の件では飲食店が準「風説の流布」的な被害に遭ってたし。
「愛国」「池沼」「情弱」「スイーツ(笑)」「アフィカス」に関しては、ただ単に嫌いなだけだろう…。
今まで禿ブログ好きで、ファンというか心酔してるくらいだったんだけど、今回の件で結構冷静になったわ。
もちろんこれからも好きで読み続けるけど。
hagex氏の言うことに乗っかってばかりでなく、
何事もおどれのドタマで考えろっちゅうことがことが身に染みたでしかし。
ほななー
この国でも日々たくさんの人が死んでいる。老衰や病院で死ぬなどというばかりではなく、事故死や災害死や自死もたくさんある。そして、日々死んでいるにもかかわらず、暮らしていても、せいぜい、葬儀場や霊柩車や救急車を見かけるくらいのもので、おそらく多くの人は、死体や、ましてや、死体の山なんて、予期せず見たことはないのだろう。
ちなみに、私とて死体の山は見たことがないが、公園で首つり遺体を見かけたことはある。それと、ついでに言えば、親は殺されたし。
いまでも世界中では餓死も凍死も殺人も日常茶飯事だ。ところがこの国では、死というのはおよそ隠蔽されているし、なかなか見かけない(ようにされている)。もともとは、死を見かけることは日常茶飯事だったからこそ、死を隠蔽しようとしてきたのだろうに。
世界中では、自分や家族が死にかねない状況になったからこそ他人を殺す者がたくさんいる。刺すか刺されるかという状況で、刺す方にまわるのだ。
それに比べれば、この国はいささか滑稽で、また、異様だと思える。他人を誹謗中傷したり、いじめたりする者がたくさんいる。そしてときに、それが原因で被害者が自死したりもする。
死というものと本気で向き合っていたならば、こうも安易に他人を誹謗中傷したりすることができるのだろうか。
さらに言えば、インターネット上であれなんであれ、「ヴァーチャル」ではなく、社会の一部だ。その表社会の一部で、見ず知らずの他人に対して誹謗中傷を浴びせかける者がいるが、はたしてどういうことなのだろうか。
きっとおそらく、加害者の方も精神的に困窮しているのでしょう。たとえ肉体や食欲などが満たされていたとしても。
最近はやたらと「保守」だの「愛国心」だのと言う人がいて、そういう社会風潮にもされている。けれども、この国では毎年何万もの人が自死している。「死にたければ死ねばいい」と言う者がいるが、多くの場合は、その人が生きられない状況にしたのは社会の方だ。つまり、みなが、生きづらい社会にしているから、追い詰められた者から順に死んでいく。崖からこぼれおちるように。いわば殺人だ。このような実情で、なにが愛国なのか、道徳なのか、そんなことをなんで言えるのか、私にはわけがわからない。
高齢化が進んでいるから、これからはますます死が増えていくだろう。単に老衰やら癌やらで死ぬばかりではなくて、生活困窮で餓死や凍死や自死をする人がますます増えていくだろう。例えば、金銭的に介護を受けられなくなった人が死んでしまうことも、増えていくのだろう。
みなが本気で死と向き合っていたならば、はたして、浮ついた言動は取れるのだろうか。
http://www.youtube.com/watch?v=YbSvueCpNyA
「[竹田氏]:麻生問題ではなくて朝日問題だと思うんですよね。これ朝日新聞があそこまで書かなければ何もなかったわけですよ。で、あんな大きく書いちゃったから、世界中にですね、言いふらしてですね、ものすごいバッシングを日本が受けたわけですから、これはもう朝日新聞問題ではないかと。」(動画7:15-7:35)
上の言葉は、麻生の「ナチス発言問題」が話題になっている時に発せられた竹田恒泰氏の言葉である。私はこのような言葉が堂々と公共の電波で流されているという事実そのものが恐ろしいし、こういった発言を流すことによってメディアは自分で自分の首をしめていることを自覚すべきだと思っている。竹田の言葉のどこが問題であるのかは、彼の言葉を一般化すれば一目瞭然である。
「問題とは問題を提起するから存在するのである。したがって問題の原因は、問題提起者だ」
これが暴き出された彼の発言の論理である。この論理を正当化するのは、ただ「大衆受け」という一点である。「朝日新聞」を揶揄すれば大衆に受ける。さらに朝日新聞を「陰口を言う人」に擬人化してもう一つ大衆受け! 楽しければそれでよし! 詭弁とはいつもそういうものだ。
もし彼のこの論理が誤謬なきものだとしたら「在日特権問題ではなくて在特会問題である」ことをお忘れなきよう。しかしご存じのように、竹田氏はこの問題に関しては、前の論理を使わず「在日特権はある」と「問題」にしている(そしてそのことがまさしく「問題」になったことも周知のことだろう)。まさしく「在日特権問題ではなくて竹田問題なのである」。さてはて、竹田氏よ、きみは愛国を騙っているが、いったい何者なのだ?
*
あと別件として、近頃の保守の用いる言葉には危機感を覚えざるを得ないことを書いておく。それは、存在のヒエラルキーを活用し、そこで思考停止することである。
たとえば、「朝日新聞」「フジテレビ」「中国人」「朝鮮人」「在日」「左翼」「売国奴」「えせ保守」等等の言葉を活用することがそれにあたる。他人に劣等のレッテルを貼ることで自らを想像上において優位に置こうとする努力である。「劣等者」は、存在そのものが否定的にされることによって、言葉はつねに伝わらないものになる。つまり、彼らは存在からして悪なのであるから、いかによいことをしようともそれは悪事を行うための口実である。ひと言で言えば、彼らはつねに陰謀を図っているのだ。リアリストを自認する保守のなかでバカげた陰謀論が活躍する理由もそこにある。
だが、こうした存在レベルでの思考操作の手法は元来、保守のものというよりも共産党のものと言ってよい。より正確に言えばスターリン主義のものである。どういうことか。たとえば、張成沢に対する朝鮮中央通信の報道を見てみよう。
「朝鮮労動党中央委員会政治局拡大会議に関する報道に接し、反党反革命宗派(党派)分子たちに革命の峻厳な審判を下さなければならないという我々軍隊と人民の怒りの叫びが全国を震撼させている中、天下の万古逆賊張成沢に対する朝鮮民主主義人民共和国国家安全保衛部特別軍事裁判が12月12日に執り行われた。」
この文章が極度にヒエラルキー化された存在のレベルで記されていることは指摘するまでもないだろう。これがスターリン主義的な言語である(これは批評家ロラン・バルトも指摘していることだ)。私たちはこの文章を一種異様な目をもってしか読むことができないだろう。極度にヒエラルキー化されている言語とは、その外部にいる者から見れば狂気にひとしい。保守の言葉は、私にとってひとつの狂気である(私には、ニコニコ動画などで持ち上げられている例の三原じゅん子の演説を「朝鮮中央通信」あるいは「プラウダ」と比較して逐一その言語使用法の類似点を指摘する準備もすでにある)。
保守の人びとは、自らを指して「まっとう」「ふつう」「あたりまえ」という言葉を使う。「まっとう」に暴力をふるえることのなんと気持ちのいいことか。週刊誌も便乗中だ。(「KAZUYA Channel」とか「痛いニュース」とか「ジャパニズム」を読んで「お勉強」していてはいけないよ。私はさすがにここに「諸君!」までをいれる気はしないが、「正論」「SPA!」は片足つっこんでいる。蛇足ながら言っておくが、保守を自認しメディア批判を行うならば、フジ=サンケイのダブルスタンダードをもう少し問題にするべきだ。)
*
本来、国を愛するということは、罵詈雑言を並び立てることでもなく、週刊誌で下品に騒ぎ立てることでもなく、強制させることでもない。それは、一瞬の赫奕たる奇蹟であり、心のうちで突如として燃え上がっていく祭典であり、孤独の奥底に秘められたほとんど不可能な「祈り」のようなものであるはずだ。
東西冷戦が一応終結したと云われ、現在は停戦中(とはいえ、38度線で均衡してる臨戦状態)であって、[支那・北] vs [日・米・韓]といった勢力図自体は、基本的には変わりない。
そう考えると、日と米と韓をそれぞれ切り離して得する人達・・・の存在を考慮した上で、愛国とか保守とかいった運動・行動は行うべき。
・・・てな事を言うと、「新韓派ガー!」…とか、Disられかねない状勢ではあるが、北と南を潰しあわせておくのが、元来の保守の方向性だったんじゃ。(ちなみに共産党や極左の方々が、南はクソ!…北は天国…などと仕切りにほざいていた事も、今や懐かしい冷戦期の記憶・・・)
もっと言うなら、米韓に北を潰して取り込んで貰って、さらには、支那・露との国境ざかい(元満洲近辺)まで、日本から戦線を遠ざける・・・というのが、ベター(日本は、あくまで後方にいて、前面には出ずに潰しあわせるwww)と思わない?
しかし、現況は「支那」が逆方向にその作戦を、半島&日米に対して、行い続けていて、それをむざむざと進行させてしまってないか???
・・・とか考え出すと、まるで新韓派きどったアメポチ的ポジション取らざるを得なくなってきてしまって、正直、自分でもヘドがでそうになる………だが、現況は対北・対支那に絞り、アメリカは、その後のラスボスだろ?? バ韓国をスケープゴート化(他に積み上がりまくった問題スルー)して、オモチャにして遊んでるばっかじゃ、どうしようもないじゃん。