はてなキーワード: 市場原理とは
「リベラリズム」は最初はジョン・ロックやアダム・スミスを元にする(消極的な)経済的自由と個人的自由をともに重視する思想だった。
20世紀になり、積極的自由のために市場への公的介入や財の分配を許容する福祉国家的、社会市場主義的な「ニューリベラリズム」が派生し、
次第に優勢になるにつれて名前から"ニュー"が外れて「リベラリズム」と呼ばれるようになった。
その後、「リベラリズム(ニューリベラリズム)」に対して個人の自由や市場原理を再評価し、経済的自由の制限を緩和する方向として「ネオリベラリズム」が派生した。
1930年代〜戦後期に「リベラリズム」という言葉が指すものが今で言う古典的自由主義から社会自由主義へと変化した後で、
1960~70年代に古典的自由主義を基礎とする消極的自由を尊ぶ思想が再興した際に、積極的自由を尊ぶ社会自由主義(現代のリベラリズム)との混同を避けるためにリバタリアニズムと呼ばれるようになった。
つまり、今の言葉で歴史を書くと、リバタリアニズム(古典的自由主義)→リベラリズム(社会自由主義)→ネオリベラリズム(新自由主義)という流れで同じ系統の思想。
(ただし、現状のリバタリアニズムは古典的自由主義に加えて最小国家主義と無政府資本主義の大きく3つの派閥に分けられて、後ろの2つは社会自由主義よりも年代的には新しい)
もっとも、消極的自由を尊ぶ古典的自由主義と積極的自由を尊ぶ社会自由主義は、同じ"自由"という言葉を使っていても思想の根拠が全然違うから、
「リベラリズム」の中で古典的自由主義が社会自由主義に変化したのではなく、
社会自由主義という全く別系統の思想が古典的自由主義から「リベラリズム」という名前を奪ったという認識であれば、
リベラリズム、ネオリベラリズムがリバタリアニズムとは別系統という言い方も出来なくはない。
【参考】
http://tanemura.la.coocan.jp/re3_index/3S/si_neo_liberalism.html
自由主義 https://ja.wikipedia.org/?curid=1889353
私の主観のみを元にしている稚拙な考えではありますが、公開することによって補強あるいは反証されるといいなと思って書いています。
差別:被雇用者もしくは求職者が、属性で区別され不利益な取り扱いや不合理な格差を受けること
就労において差別が行われているという話を耳にしますが、常々つじつまが合わないと感じていました。
雇用とは、雇用することによって売り上げをあげるもしくは利益性を改善することを目的にしており、能力[^1][^2]のある人間をその能力性以外で差別することは企業の目的を妨げるからです。
差別が全くないはずはありませんが、市場原理によって差別はゆるやかになくなっていくはず[^3]です。
差別されているという声がよく聞こえ[^4]、雇用差別に対するガイドラインが設定される[^5]ほどに差別があるという事実は市場原理に反しているように感じられます。
差別によって利益を得る集団は誰なのかという点について、被差別属性の逆の属性をもつ集団が利益を得ているため差別がなくならないのではないか、という言もみられます[^6]が、これについても疑問があります。
就労差別の主体である企業は、経営者や株主が利益の追求を目的に運営しており、その目的に沿って運用されるものです。
属性は能力を規定するものではない[^7]ので、属性差別を行うことは企業の利益追求を妨げる結果となり、差別によって利益を得る集団[^8]がいたとしても経営者や株主の意見の方が勝ると考えます。
ということは、「差別によって利益が得られる」のではなく、「差別をしても企業に不利益がない」のはなぜか、が正しい問いであると考えられます。
差別をしても企業に不利益がない状況とは、企業と被雇用者を比べたときに被雇用者が強気に出れない状況です。
一般的に、被雇用者が強気に出れないのは人材の需要に対して供給が過剰になっている場合です[^9]。
供給過多により、需要と供給の交点があまりに低い状態で仕事を受けなければならないというのは、市場原理の負の側面に他なりません。
採用に関して考えると、求職者が多い場合になんらかの属性で足切りができればコスト減になり、わずかながら利益が出る、とも考えられます。
人材が供給過多であり、企業が自由な基準で求職者を選択できる場合、能力の低い求職者を属性で選択(足切り)しない理由はありません。
結論として、就労における属性差別は能力のない人間が過剰に供給されるため発生するのではないか、という仮説が導かれます。
"性差別" や "障害者差別" などの属性差別はこの問題の側面にすぎず、個々の属性差別を無くしても大元の原因を絶たない限り別の差別が生まれるであろうと予想されます。
「就労における属性差別は能力のない人間が過剰に供給されるため発生する」という仮説を検証するための以下の手法を提案します。
差別発生件数や給与などの待遇を、能力や属性別に比較することで、差別が能力に対して行われているのか属性に対して行われているのか明らかになります。
求人倍率や人材の流動性をもとに、業界ごとに人材の供給量を比較することで、人材の余っている業界、足りない業界を算出します。
人材の余り度合いと差別の発生件数が相関すれば「人材が過剰に供給されるため差別が発生する」と言えます。
市場原理に基づき、それはない、もしくはあっても少ないと考えます[^11]
その属性をもっていても能力を低く見積もらない企業があれば求職者はそちらに流れ、また競合他社も「差別をしない」という低コストな活動で業績を伸ばせるとわかれば追従するはずであるからです。
なぜそのようなことが起きるのか、能力のある人間を差別しても企業や差別者に不利益にならないのはどのような構造が背景にあるのか、といった点に興味があります。
ぜひ状況を教えていただければと思います。
質問に対して答えると、そのような状況は0にはならないので体験談が数件あっても反証にはならないと考えます。
しかしあまりに多くの声がある場合は、「能力のある人間を差別しても企業や差別者に不利益にならない構造」をもとに問いを考え直す必要があります。
結論で述べたように、本稿は「就労における属性差別は能力のない人間が過剰に供給されるため発生する」という仮説を提唱しており、本来ならタイトルもこの一文にすべきですが、長い本文を読まない人を呼び込むのではないか[^12]と考えて多少無難なタイトルにしています。
この考えが正しいとした場合、被差別対象から脱出するには専門性をつける、あるいは既にもっている専門性を活かせる職に就けばよいということになりますが、その解決法では雇用のパイが変わらないため被差別対象は減りません。
根本的に解決するには、全ての被雇用者が雇用主に対して強気に出れる状態になる、つまり「生活のために働かなければならない」という構造を変化させなければならないのではないかと思います。
「生活のために働かなければならない」とはつまり市場原理の前提である「社会の構成員皆が働かなければならないだけの需要がある」とイコールであって、私はこの前提は既に崩れている、つまり「社会の構成員全員が働かなくとも、健康で文化的な最低限度の生活を送るだけの供給を保てる」と考えています。
今回のコロナ禍で不要不急の経済活動がダメージを受けたことにより、この前提の崩れが明確になったとも感じていて、市場原理の次の理念が世界のどこかで生まれるのではないか、と期待しています。
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^1: はてな記法の二重丸カッコが脚注になりませんでした。どのように書けばよいのでしょうか?
^2: 能力とは、売り上げをあげるもしくは利益性を改善することのできる能力、もしくはその見込みのことを指します
^3: 雇用差別がゆるやかになくなっている過渡期であるためまだ差別が残っているのだ、とも考えられますが、どう検証すればよいかわからないためここでは扱っていません。要検証
^4: 差別されているという声がよく聞こえる: 私の主観です。要出典
^5: 公正な採用選考に向けて - TOKYO働くネット など
^6: 被差別属性の逆の属性をもつ集団が利益を得ているため差別がなくならないという言がみられる: 私の主観です。要出典
^7: 属性は能力を規定するものではない: 大変に議論の余地があります。個人的には、業界と属性を絞った局所的に見れば属性は能力を規定すると考えています。しかし全体として見た場合、「属性は能力を規定するものではない」としてよかろうという前提のもと本稿は書かれています。
^8: 差別によって利益を得る集団: 経営者や株主とは一致しない集団を指します。なぜ一致しないのか説明はつけられると思いますが言語化できていません。
^9: 一般的に、被雇用者が強気に出れないのは人材の需要に対して供給が過剰になっている場合: 一般的かどうかは分かりませんが、後の展開を書きやすくなるので…要出典
^10: 検証法の提案: 検証にかかる前に、仮説が成り立っているかどうか、"要出典"の部分を埋めてください
^11: 筆者が市場原理、ひいては個々人が利己的に活動することを期待しすぎている感はあります。ありますが…代替になるモデルなしには議論を進められないのではないでしょうか?
^12: 本文を読まずSNSシェア99割 米研究 これは嘘ニュースです - 虚構新聞 私はまた虚構新聞が謝罪する流れになると思っています
https://anond.hatelabo.jp/20200503121929
https://anond.hatelabo.jp/20200503204026
風俗嬢とカツオの比喩がよく話題に挙がっているが、話がなかなか深まらないのでずばりいいたいと思う。
風俗業とカツオの漁師の端的な差は、賤業かそうではないかです。
先ず、カツオの漁師が需要減に依って不利益を被る中で価格の低下を喜ぶことは悪なのか?ということについてですが、私達の社会における自由競争の中では、誰かの損益と誰かの利益がつながっているというのは当たり前の話です。
何処かの会社が画期的な新商品を開発して売上を大きく伸ばせば、同業他社は不利益を被ります。廃業ということもあるかもしれません。
だからといって、その事に心を痛めて利益の追求をやめるという選択は馬鹿げた話でしょう。需給ギャップによる価格の低廉化というのも極当たり前の市場原理であり、いち消費者が倫理的な問題として考えるのは馬鹿げています。
ただ、この新型コロナウィルス禍に於いては少し事情が特殊で、そのような不利益配分が単なる損失というだけでは済まず、数多くの人が経済的困窮に陥り生活が破綻する恐れがあるという事を皆が漠として思い描いているのでしょう。
その結果として多くの人が「健康で文化的な最低限度の生活」をすら保てなくなるのではないか?という問題ですが、それは憲法で保障された国民の権利の問題になります。
民主主義国家に於いては主権者は国民ですから、その範囲では国民には国家に対してそのような自体に陥らぬようにさせる政治的責任があるとは思いますが、
市場活動の中での商取引一つ一つに於いてその倫理に基づいて感傷的になるべきだ、というのはかなり筋違いの話であると考えます。
では本題ですが、性風俗業についても上述のカツオの話と同等にただの自由競争の中の話と言えるのかということですが、これは言えないと多くの人間が思っています。
性風俗業は賤業です、理由は多岐にわたりますがいくつか挙げてみましょう。
国地域時代ごとに文化は異なると思いますが、現代の本国に於いて不特定多数の人間に体を委ねる女性というのは性倫理に反すると思われています。
そのような考えは女性差別で前時代的な産物だという考えもあるとは思いますが、そうは言ってもそのような倫理性が各人に植え付けられているというのも一つの事実ですから、
業としてそのような行為を行うことには躊躇があって当然でしょう。
1つ目の理由と地続きですが、そのような反道徳的な行いに身をやつすことは被差別的な眼差しを向けられることにも繋がります。
そもそも風俗業というもの自体が管理売春であり、法律的にも限りなく黒に近い灰色と言っても良い業種です。
そういった業に就いている事実は、通常あまり公にして得のあることではありませんから、そのような業への就業が寿がれることはないでしょう。
性風俗業には健康リスクがあります。不特定多数の客と粘膜的に接触することはエイズに始まって多種多様な病気への感染リスクを齎します。
業態に依っては妊娠というリスクもあるでしょう。そういった身体的なリスクがまずある上に、精神的なリスクもあります。
個人差はありますが、汎く言って不特定多数と望まず性的な関係を持つという事は当人の精神に負の影響を与えるものです。
そのような統計があるのかは知りませんが、多くの風俗嬢が何らかの精神的な問題を抱えているものと私は感覚的に思っていますし、そう大きくは外れていないでしょう。
このようなリスクは性風俗業特有のリスクであって、カツオ漁師とは比較にならないことです。それを理由として皆は岡村隆史氏の発言に憤りを感じました。
ですが、前段で挙げたような種々のリスクというのは風俗嬢に対して差別的なんじゃないか?という疑問があると思います。
どれも事実として存する事柄ですが、別に風俗嬢個人に還元して良い話ではありません。
性倫理なんてもの自体絶対ではないし、それを破ろうがどうしようが他人がとやかく言う話ではありません。望まず性倫理を破らなければならないのならそれは貧困の問題です。別の手当が必要でしょう。
また、その当人を差別的に扱うなんてことは言語道断であってはならないことです。法的にグレーだというのならきちんとそれを整えるべきなのであって、当人の非行のように言うのは欺瞞です。
心身のリスクについても出来る限り低減させるような取り組みがもっとあって然るべきだし、当人に健康リスクがあることを以て当人が忌避されなければならない謂れは全くありません。
この社会では、差別は許されないということになっていますが、差別を語らないことが差別を許さないことになったと誤解している人が多いように感じられます。
本来差別が許されないことであるのと、差別が存在することは両立します。
差別は許されないが、差別は現存しており、被差別的な扱いを受け(させ)たくないという感情もあるので、人は差別を遠ざけようとする為、差別は再生産されます。
カツオと風俗の比較という話に対するレスポンスの多くが、体表を撫で回しているだけで終わるような表面的な話に終始し、風俗業の被差別性という本質に全く切り込まないことの理由がこれで、でもそれでは駄目なのです。
この社会で性風俗というものをどう位置づけるかを考える良い機会ではないですか?単に岡村隆史をバッシングしていればいいという話でもないと思うのですが。
A. 最低100万円。
理由は株取引は1単元ごとだからです。たいていは1単元100株。価格が安い1株1,000円の銘柄でも1単元10万円からしか取引できないのです。やろうと思えば50万円程度あれば始められますが選べる銘柄は1株5,000円以下の銘柄のみになります。ちなみに最近の日経平均株価は低いときで約1万2,000円台。資金50万円だと低価格(市場原理で言えば低評価)の銘柄にしか投資できなくなるわけです。
Q. 必勝法を教えて下さい。
A. 私が知りたいです。投資に必勝法なしと言われているくらいです。ただ必勝法は無いけれど王道はあります。王道とは月並みですが安いときに買い高いときに売るです。それが狙ってできたら誰も苦労しませんねw
Q. デイトレードでは何を気を付けたら良いですか?
A. デイトレードを推奨しておりません。理由は投資の王道「投資はお金・知識・時間」にあります。市場へ投資するのはお金だけでなく知識や時間も投資するべきで、3つのうち1つでも欠けると資産は増えないと言われているからです。デイトレードは投資する時間が少ない(=資産が減るリスクは高い)ので推奨していないわけです。ちなみに投資は企業が成長するお手伝いをする事業ですが、デイトレードは企業が成長する時間すらありません。当然ながら知識無くば無駄にリスクを背負うことになるのは言うまでもありません。気を付ける点があるとするならばリスクが高いという自覚でしょうか。
Q. デイトレードで儲かっている人が居るのは何故ですか?
A. 運が良い、もしくは時間をかけて知識や情報を集めているからです。これは犯罪ですのでやってはいけないことですが時間をかけて企業に内通者を立てて時期を見計らって売買すると当然ながら資産は増えます。結局インサイダー取引も時間をかけた投資であることには変わらないわけです。ちなみにインサイダー取引は利益だけ抜いていき、市場原理的にはよろしくない手法なので犯罪指定されています。
A. 基本的にはヒステリックな社会事象で価格が下がったときに買って、そこそこ値が付いたときに売って利益を出しています。直近ではリーマンショックのときに仕込んだ銘柄が大変大きく利益を出しました。ヒステリックな社会事象で価格が下がった銘柄は適正価格ではないと判断しており、落ち着けば適正価格へ値が戻るだろうと考えているわけです。つまり私は値上がりしたときに売っているわけでなく戻ったときに売っているわけです。そう、お金と知識と時間を投資しているわけです。
A. していません。理由は社会事象はヒステリックに起こることがあり、このヒステリックを完全に読み切ることは不可能だからです。どうしても信用取引したい場合は追従金の余力を持ってしましょう。
A. 私が知りたいです。ただし道路や電気・通信などインフラ関連銘柄は取引市場の影響が強いと言われてはいます。つまり日経平均株価が上がればインフラ関連銘柄も上がり、日経平均株価が下がれば下がるという値動きをしやすいということです。ある種、銀行などの金融関連銘柄も社会インフラとして考えることが可能で、金融関連銘柄も日経平均株価の影響を受けやすいです。このような銘柄は値動きが乱高下しにくいので、初心者が毎日の値動きで一喜一憂せず、どっしり構えて年単位での長期運用はしやすいです。しかし絶対ではありません。例えばインフラ関連銘柄であってもSoftbankは値動きが激しくなることがよくあります。
A. 教えません。理由は私が○○証券と発言すると○○証券と関係があるのだろう?と疑われるからです。一度疑われると何を言っても聞く耳を持たれなくなるのでオススメの証券会社を絶対に答えることはありません。敢えて言うならアナタがメインとしている預金口座の銀行の関連証券とか良いのでは。手続きもスムーズです。
A. 移動平均や回帰・モメンタム・パラボリックなどを見ることはあります。ただこれは社会事象がヒステリックな状況下にあり、本来の適正価格がどれくらいなのかをザックリ把握するために使っているだけです。テクニカルを絶対基準に売り買いすることは無いです。ただこういうチャートの見方を知るのは知識を投資をするという意味では有効なので知っておいて全く損はありません。
A. 10年間の結果だけを見ると赤字になったことがありません。当たり前の話ですが1日単位で見ると赤字だったこともあります(現金の赤字はない)。つまり底値を掴んでなかったということです。今まで買った株はすべて適正価格へ戻りましたが新型コロナウイルスの影響でまた下がってしまいました。
A. 専門家に聞いてください。ただ社会事象がヒステリックな状況へ陥っていると感じていますので日々仕込みを入れているのは確かです。リーマンショックのときと同様に利確して売るのは数年後になることでしょう。
Q. 投資には興味あるけれど失敗したくありません。
A. 株ではなく個人向け国債を買いましょう。100万円あれば現在だと最低金利が0.05%なので105万円になって返ってきます。増えないときは日本国がデフォルトしたときだけみたいなもんです。銀行普通預金金利は0.01%なので銀行普通預金よりも5倍儲かります。政権が変わっても返ってきます。投資が怖いなら日本国へ投資しましょう。元本保証もありますので不況に強いです。
A. 老後資金や子供の大学入試費用など直近では絶対に使わないと決めているお金を貯金代わりとして国債を買うのはオススメのやり方です。私大入学費用が諸経費合わせて約140万円・授業料年間約90万円(4年約360万円)・合わせて約500万円と言われているので、国債ならば子供の大学進学へ合わせ10年間運用すると525万円となるわけです。入学祝いとしてMacBookあたりはタダ同然で買い与えられますね。ちなみに1万円から国債は購入でき、1万円から解約できますので本当に貯金みたいなもの。
追記:金利計算を1桁間違っていました。申し訳ありません。国債が貯蓄に向くというのは事実ではあります。ご指摘ありがとうございました。
A. GnuCashという無料の複式簿記ソフト(パソコン)を使用しています。プラグインを導入すると保有株式の価格を日本円として資産へ加算できます。一時期は弥生を利用していましたがサポートへ問い合わせることもなく高機能がそこまで必要ないなと気付いて無料ソフトで良いやとGnuCashへ8年以上前に乗り換えました。パソコンへ詳しくなかったり株取引初心者へはまったくオススメできないです。
A. 月に1回見るか見ないかくらいの頻度では見ます。私の投資スタイルだと毎日見ても何も参考にはならないので毎日見ないです。それよりもテレビが何を言っているのか、インターネットユーザーが何を話しているのかという社会の雰囲気の方を把握するよう努めています。増田やはてブを見ますが投資の参考にすることはあっても基準にすることはないです。喧々諤々と良きも悪きも主張しあう社会の雰囲気が私の投資の基準です。
A. 知りません。専門家に聞いてください。私が年間数億円を稼ぐようなスーパートレーダーならまだしも私は平均して年間200万円です。ほそぼそと運用してきた私の能力を超えている質問です。安倍政権の評価も良くわからないです。正直に言えば私の投資スタイルだと政権なんてどうでも良い。最悪日本が共産主義国家化して東証が閉じられるとなった時には既に私は投資をやめているでしょう。私は小遣い稼ぎがちょっと上手いその辺に居るただのオッサンです。
以上、よく聞かれる質問でした。
ビラが入っていた。主催は「カジノ誘致反対横浜連絡会」とのこと。反対派が「住民投票しよう!その署名(目標50万)をしてくれ!」と。
俺はカジノ賛成だが、住民投票も賛成なので、この署名はしたいと思う。(ただしカジノ誘致で賄賂もらう議員は片っ端から辞めろ)
で、反対派のビラなので「要らないですよ!」と説得する内容が書いてある。6つの理由とのこと。それに思うところを書きたい。
てかHPに行っても文字データなくてチラシを手打ちするという。我という暇人ここにあり。
カジノを誘致すれば市の収入が800億~1200億円増えるといいます。
同意できない。
そういうなら、パチンコや宝くじ等のギャンブルからの税収もすべて否定すべきである。
すでに長いこと”人の不幸”から利潤を得ておいて「長続きしない」は詭弁では?
ふるさと納税で勝てない今、**増収して保育士が増えるなら歓迎です。**
てか6000円の入場料払って入る人で不幸になるレベルのツッパするのってどれだけおるのか。パチンコのほうがよっぽどヤバいでしょ。
カジノは「横浜のイメージにそぐわない」(9月17日神奈川県新聞世論調査)というのが市民の多数の声。
韓国のカンウォンランド・カジノの周辺の町は、質屋・金貸し業、風俗店が立ち並び、依存症、自殺、犯罪の増加で人口減少が止まりません。
すでに徒歩圏内に「曙町」があるのに横浜のイメージもなにもなくね。
あとイメージダウンは横浜外の人から見た話しだろうが、ぶっちゃけ、「ヨコハマ」に酔ってるのってほとんどが横浜市民でしょ。俺も横浜市民だけど。
横浜外の人でヨコハマに憧れてる人ってすでにそんなにいなくね。
いや「日本人の財産」とかじゃなくて行きたい奴が行くだけだろ。
いや1.で増収するって言ってるやん。ペイするってことでしょ。
確かに40年はなげーな。15~20年くらいの契約に変更してもらうべき。
IR内のわずか3%の面積で、収益の78%を占めるカジノ(例:シンガポール)。
まあかわいそうではある。でもイオン誘致やめろ!と同じに感じる。
魅力的な店しか残らないサバイバルが始まるのは確かだと思うが、市場原理でもあるのでは。
てか周辺住民のどれだけがIRに入るのだろう?「IRの生鮮市場のほうが野菜が50円安いわ~」と行く人が多くなるということなのだろうか。
言うほど周辺衰退するか?
情報システムに限らず、公共設備ってのは、建築と同じやり方で作ってる。つまり、作る前に業者が入札をして、落札者がその金額で作って、契約のメンテやアップデートも行う。
でもさ、もう契約してるのにシステム改良したりしないだろ? 入札時に技術コンテストするわけでもないし。実績の書類だすどけで。
だから、まず事前入札をやめる。
入札参加者には全員、モノを一回つくってもらおう。完成版を見て審査し、メンテやアップデートの契約も対処する。ただで作れは無茶なので、最初の一回は参加だけである程度工賃を払う必要があるかもしれんな。
メンテの入札も年に10年とか5年とかやめて、1年ごとぐらいで。その時にも今より良いシステムつくりました! という人にだけ入札権があることにする。
これでどう?
作る側には厳しいが、普通のダウンロードアプリのランキングどうこうもまずは作ってからなんだし、そうしないと市場原理が働かないと思うんだ。
「酷い目」って言うけど、別に殴る蹴るされたわけでもないのにぎゃあぎゃあ騒ぐなって。「女とみればマウント取る」奴が後を絶たないように「女とみればご機嫌うかがう」奴も後を絶たないからしょうがねえな。女だろうがなんだろうが、「ありうる範囲内で社会的に起こりうる範囲のことが起きた」に過ぎないことを、子猫か赤ん坊をあやすように言うのはオレは間違いだと思うね。
マニア向けの専門店なんて特殊な場所に決まってんだろ。「お客様」なんて通用しやしない。レアもの扱う同人ショップであれ文化財級の品を扱う古道具屋であれ、そこはおんなじだ。「客」でなく「司祭から神の秘蹟を授かる信者」のごとき姿勢と態度で臨んでようやく、なんだよ。恭しく、慎んだ態度で、おそるおそる「拝見させていただく」し、「金出すから売れ」じゃなくて「しばしの間お借りさせていただく保証としてお金を預けさせていただきとうございますよろしいですか」って世界なんだ。そこに男だの女だの関係ねえや。たとえばそのレトロゲーム屋にチャラ男が入ってきたら同じくらいのレベルで警戒されるか追い出されるかするんだろうし、古道具屋に明らかに値打ちの分かんなそうな偽物のブランド品身に付けた阿呆が札束切りながら入って来やがったら謹んで無難にお帰りいただき申し上げるとこだろう。間違っても目玉の品なんぞ見せないよ。「心ある」店なら当然のことだし、そういう心意気で店ってのは守られるんだ。市場原理が働かない狭い世界における経済ってのは、信仰と交流に基づく飛躍なんだよ。
まあ、その店主が「レトロゲーム好きの女子高生がいる」と思わなかったのは認識の不足ってやつかもしれないが、「レトロゲーム」という時点で、そこそこ金のある好事家で、年は40以降がメインターゲットってことなんだから、それ以外の一見の客なんざ8割方不審者と思われて当たり前だよ。元増田だって、いくら金があって物好きでも、国宝級の古道具屋扱う店にふいと入ってじろじろ見回して歓迎されるとは思ってないだろうし、たとえば北欧輸入の素朴な赤ん坊用品店にどう見ても未婚の学生オタクみたいな奴がニヤニヤうろうろしてたら『ちょっと店員さん声かけて追い出してくんねーかな』くらい思うだろう。「敷居が高い」ってなことを昔はいったね。今はそういう感覚がねえんだろう。だが、そいつは結構大事なもんなんだよ。
元増田は、声かけられたときに「金ならあります」、これがまたダメだったね。金の問題じゃねえんだ。言うべきだったのは「レトロゲーム大好きなんです! ○○の○○とか好きで、今日はその実物だけでも一目見たくてこの店に来たんです。いつかお金貯めて買うのが夢なんです。」ってな感じだ。金じゃなく信仰を語らなきゃ。それならまだ目はあったさ。「へぇ、本当かい。その年で○○なんてよく知ってんな。ふぅむ。なんだい、見たところ若いのに何でまたこんなのに興味をもつようになったんだね」てなもんだよ。分かるかい。
だから、元増田がしたのは「酷い店で酷い目にあった体験」じゃなくて「社会勉強」てもんなんだよ。「良い勉強したな、次は参考にして出直してきなっ!」ってな。それを「ヨシヨシいいこいいこ」して台無しにしやがるのは、ちょっと感心しないね。まこと野暮の極みってもんだ。精進しなよ。