はてなキーワード: 事象とは
フルチ〇という公序良俗に反する言葉と医療にかかわる事象がかけ離れているなと思っており、
単純に聞いた際に何のことを言ってるのかがわかりづらくイライラする。
一番最初に会話の中で聞いた
「街中とかフルチ〇の老人がいっぱい闊歩してる。」
は、「はぇー、最近はそんな事案がおおいのかぁ」って思っていたが、
よくよく聞いてみると、ワクチンを2回打った老人が緊急事態宣言中なのに街中に多すぎるということが言いたかったようだった。
わかんねぇんだよ!!!
3回目打つ未来が見えてきたなか2回目をフルっていうのも違和感があるし、
100歩譲って、フル(であった、ワク)チンの略称であったとしても、
1回しか打ってないことをフルチ〇からの派生でハミチ〇も「半」でも「ハーフ」でもない「はみ」は、完全に下ネタ言いたいだけだろっておもう。
ポイントが付与される話が出たときも、チ〇ポ!って連呼しやがって。
一個人がボソッというくらいならわかるが、「ワクチン2回!?フル〇ンじゃん!フ〇チンフルチ〇」って一人で舞い上がって連呼して、
ワクチン予約できねぇ人もいるんだよ!
歴史って大嫌い。歴史って「昔から居るコテハン」みたいなイメージ。理由もわからないルール(昔そういう事象があったから)を押し付けてくるって感じ。知らねぇっつうの。
だから、今回のサークル文化の消滅も知らねぇって話。新しいサークルが生まれるために、古いサークルの歴史なんてむしろ邪魔じゃん。
あと図書館もあんなにいらないと思う。市町村ごとに図書館があるなんて無駄(学校や研究所付属の図書館だけあればいい)だし、図書館のせいで書籍(一般書)の売上はだいぶ減っているので、図書を作る側にもダメージがある。つまり、文化の誕生にダメージがある。
むしろ、図書館から図書を減らし、勉強スペースを増やした「学習館」みたいなものを作るべき。自宅に勉強スペースの無いかわいそうな子供たちのために。
なるほど、そもそも元からリスクが低い事象をわざわざ重要視しなくてもよくね?って話なのね。
それ自体には去年くらいまでは一理あったと思うけど、感染爆発してる今は分母がデカくなってそのコンマ数%が無視できない件数になると思うんだよな。
変な話、地震が全くない国で地震対策なんてしようと思わないじゃん。でも地震がボコスカ起こってる日本だったら「あれだけの頻度で地震が起きてれば大地震にヒットする確率は0じゃないし、備えとかないとなあ」って気持ちになるじゃん?
結局、国が若年層のワクチン接種を推進してるのも、若年層が自らワクチンを接種したがっているのもそういうことだと思っている。
リスパダールって統合失調症なんでしょ?そんでもって、益田は ADHD なんやろ?
① 統合失調症は人口の 1%が発症する。そんでもって、リスパダールを処方されているのは 0.5%とする。
② ADHD は人口の 3%が持っている。ただし、コンサータを処方されているのは 1%ぐらいと見積もる。
③ 両者が独立した事象なら、確率的に 0.01 * 0.005 = 0.00005 となる。
⑤ たかだか、何も問題のなさそうな 6,000人のために努力する会社も医師も薬剤師もいない。問題になったら、PMDA に問題提議されている。
⑥ そして、今までリスパダールとコンサータについて「益田のほしそうな情報」を掲示板に書き込む同じ悩みを抱えたやつは存在しなかった。何故かなら、問題にならないからだ。
⑦ 逆に言うと、推定して 6000 人が確実にやばい組み合わせは、医療現場では確実にヤバイってなる。そして、本当に不味いなら、益田も有害事象を受けているはず。
左翼の人達が心配していた「五輪のメダルラッシュに浮かれて内閣支持率回復」という事象は起きなかった。
これから分かることは、大多数の日本国民は決してバカではなく、是々非々で物事を考えられるということ。
だから、いま政党に求められるのは、足元のコロナ禍をどのように乗り越えていくかという政策の1点にほぼ絞られる。
つまり、いま立憲民主党が前面に押し出している「桜・モリカケ・五輪の経費透明化」なんて大多数の日本国民は求めていない。
過去を洗ったところでコロナ禍は何一つ改善しないどころか、これらの追及対応に政府や官公庁が追われることで、コロナへの対応が後手後手に回ることになるからだ。
「過去より今と未来をどうするか」という政策に舵を切り替えないと、立憲民主党はじり貧になるだけだろう。そのほうが彼らにとっては良いのかもしれないがね。
「優生思想に直結する」とか「人の命を軽く見る発言」とかあるんだけど
そうじゃなくね?って思ってる。
DaiGoの発言の問題はホームレスに対しての想像力欠如が原因である。
倒産・失業・仕事の減少・病気・けがで仕事ができなくなったというのが大半である。
ホームレスになってしまう人は何もなければ普通に生活ができていたが
※もしこれを見ているあなたが、「会社に就職していて心身に問題がない」状態だとしたら
災害っていうと阪神淡路大地震や東日本大震災などが簡単に思いつくが
震災に合われた人たちはしばらくの間
衣食住に不安があり、働く場所も失った生産性0のホームレスと同じ状態になった。
この災害被害者に対して日本・海外から様々な支援が集まったけど
そういった中でDaiGoって人はこんな感じの発言をしたわけだ。
「災害被害者のおっさんがさ、のびていると、なんでこいつわがもの顔で寝てんだろって思うもん。」
「自分にとって必要がない命はぼくにとっては軽いので。災害被害者の命はどうでもいい」
災害被害者に対してこんなこと言ってたらそりゃ炎上するっていうか
ドン引きでしょ。モラルとか品性、何故こんな発言をしたのか知能的に大丈夫?ってなるでしょ。
あれだけ論文や書籍を読んでいても、ひとたび考えたことのない領域になると
【余談】
地震災害の被害者とホームレスを同一視するのはおかしい!って思う人がいるかもしれないが
社会構造的に弱者が被る災害でなので、弱者でいるのが悪い(努力してないのが悪いとか)
みたいな事いう輩がいるが、これもまた弱者でいることを望んでいる人はいないのだ。
※例えば犯罪者が犯罪に染めた経緯、生活・家庭環境、原因などの統計みればすぐわかる。
自分もホームレスが近くにいたら臭いし、見た目も気持ち悪いし、変な事ブツブツ言ってて
目の前から消えてほしいと思う。逆に猫ちゃんはかわいいし癒されるし、なでなでしたくなる。何なら寄付もするかもしれない。
猫に愛を向けるならホームレスにも愛を向けるべきという人を見かけたが
私はホームレスは消えて欲しいと願っている。何故なら社会的欠陥により発生した被害者であり、被害者は少ないほうが良いと考えているからだ。
またこれは、社会の一構成員である私たちが社会を改善しなくてはいけないことである。
ホームレスが生まれる事象が発生させずに、同時に猫を愛でる社会を目指すのだ。
結構前に2÷4=0.5の計算さえ怪しく、一般常識もかなり欠如しているVrtuberがいたのだが
配信で丁寧な教育を受けたことにより楽しく積分を解き、弾道計算までできるようになっていた。
このことは非常に嬉しくもあったが、同時にこの子が良い教師とめぐり逢い、丁寧な教育を受けられていたら
どんな子に育ったんだろうかと思ってしまう。
また、もし数年生まれるのが早くて、もしVtuberの事務所に入れなかったらとしたらと考えると
最初の頃はとにかく全体を掴もうとして猫も杓子もPCR検査するが、医療側がパンクして機能不全に陥り検査を絞らざるを得なくなるだろう。
医療を担う人が増えないので当然である。施設は増やせても任務にあたる人は急に増やせない。
外交力がない民主党政権ではファイザーやモデルナといった強いワクチンは入手できず、シノバック一辺倒になる。
それでも一時的には感染拡大が落ち着くが、デルタ株やラムダ株には無力のワクチンなので、いまの時期は更なる大混乱が発生。南米諸国のような状況になる。
これも外交力の無さから導かれる事象。ラムダ株が日本で急速に蔓延し、日本株という不名誉な名称がつけられる。もちろん民主党政権は抗議するが、何処にも相手にされないだろう。
不正支給をゼロにしようとして細かく制度設計を図るも党内の細かい意見の相違を調整出来ないという左派政党によくある事象が発生し、今に至るまで給付金は1円も出てこないだろう。
短気のくせに我慢しまくり問題(我慢してないor我慢できないときもあるけどね
我慢のはじまりが早いってのは、短気ゆえに「怒り」を抱くのがとても早いことが原因の大きなところ。とはいえ、短気というのはコミュニケーションを妨げる分かりやすい「害悪」であるので、短気だからといって即なんでも表に出して怒っているわけではない(これは良識ある人類ならみんながそうしてるよね案件)。
ちょっとしたことで「は?」となるものの、それをすぐに外には出さない(ようにしている)けど、すでに「怒り」は感じているので、「ちょっとしたこと発生→は?→我慢開始!」がマジで人より早いんだろうなという自己への解釈がある。
少し話はそれるけど「気になることはその場で指摘」っていうのが人間関係を円滑に進めるために大事だなぁと思うところなんだけど、その、自分の「気になること」っていうのが他人にとって「それは別に気にしなくてもよくない?」という案件だったとき、そう返されるのって不愉快になっちゃいますよねって話で、これはまぁ、
「気になることその場で指摘」に対して「それを言い出すこと自体が気になることなのでその場で反論」という構図が出来上がると、いや〜これはもうね、ここで短気なところが出るんだけど「私が不快だと思ったので不快なのですが?」という気持ちになっちゃって、「それセクハラですよ!やめてください!」つった相手が「別にこれはセクハラじゃなくない?」って返してくるのと同じじゃない?って話。
「お前ガッツリ、ケツ揉んできたやん」ってこっちは思ってるわけ、でも相手は「腰の下の柔らかい脂肪を掴むことくらい、コミュニケーションの一環では?」って返してきたらもう社会的地位抹殺でしょこんなのって話なんだけど。
すみません、いま「怒り」出て、自分がさも「正しいこと」を言っているかのような、極論を出して正当性を異常にアピールしていたきらいがありますねこれは。
いやこれねぇ「被害者意識」高いってのも、あるのかもって感じましたね、「いま胸…見てましたよね?…ドコミテンノヨォ〜〜〜〜〜!!!!!!!」みたいな所が自分にはある、あると思いつつ、「そういうところ、人とコミュニケーションを取る上で邪魔になることがあるから、我慢しようね」って言い聞かせてるところもある。
なんなら「他人も自分に対して我慢をしているところがあるのだから、自分も何かしら我慢をすべきなのだ」とも、言い聞かせています。
地球上でみたら自分の怒りはまぁまぁだよ、何者かに故郷の村を焼かれた少女とかの怒りに比べたらさ、こんなん「イチャモン」レベルなんだわ、と自分をしつけている節はとってもあります。
でも半径10㎝以内で1番怒ってんのはアタシなの!!!!!!!!!!!!
アタシが!アタシの感じた不快で!アタシが怒ることを!何と比べる必要がある!?という「アタシだってつらいんだから」理論も、まぁ持ち合わせています、悲しいことに。
コロナが跋扈する昨今、ウイルスへの恐怖よりも「コロナ禍なのに【そぐわない行動】をしている人間」を見る「とても我慢をしている人間の目」の方が怖い。
自分が「我慢」というものを知っている(と思い込んでいる可能性もあるけど)からこそ、他人の我慢へ配慮というか、気を使わなくてはいけないのでは?という強迫を自分で自分にしている。
自分が「怒りにつながる事象」50で「我慢できネェ〜!コイツ、殺っちゃっていいッスよねぇ〜?」ってなってるとして、「怒りにつながる事象」150でさえ「我慢我慢、気持ちを落ち着けて…」って深呼吸してる人もいるかもしれないと思うと、その150を自分が与えている場面もあるのでは?と思うと、自分は我慢が足りてないのではないか?と疑ってしまう。「実はこの人は、我慢をとってもしているのでは?」と他人を疑う上で、自分はどうか?と自分を審査してしまう。
短気かつ繊細ゆえに、ものすごく生きづらい人生なのかも、と自分で自分を憐れむようなきらいもあり、「自分は我慢をいっぱいしているからえらい」と勝手に思い込んでるようなところもあり、「短気じゃなければ我慢自体をしなくていいのでは?」という気持ちも、あり…
何か大きなバックボーンがあれば、いちいちクヨクヨしなくていいのにな〜と思うので、「毎月口座に10億円振り込まれる人生」とかだったら「まぁ毎月口座に10億円振り込まれるからアタシはその程度じゃ怒らないけど〜♪」みたいな人生になりたい気持ちがフツフツと湧いてきましたね。
繊細な心の問題!と思いつつも、毎月10億円が心の余裕につながるんじゃね!?と思ってしまうところは、きっと私が俗物だからなのだろうと思うと、解脱ってぇモンをしてみてェ〜!!!!!!!!!!!!!!!!!と感じました。おわり。
私は寝る前のルーチンで、ザコシの「眠たくなっちゃった〜」を脳内でリピートすることで所定の睡眠時間を確保している。
小田急線車内の刃物殺傷事件の犯人がサラダ油を引火させようとした事について、ネット上でサラダ油の話が炎上している。
https://anond.hatelabo.jp/20210809214314
お前は危険物甲種名乗んな
https://anond.hatelabo.jp/20210810082208
https://www.asahi.com/articles/ASJC731X5JC7UTIL005.html
この時のFラン学生を非難するコメントは凄まじいものがあって、Fランは木くず+投光器で引火することすら知らない、知能を持たない社会のクズとして扱われていた。
そして、この件についてコメントする全員が「木くずは投光器で引火する」ことを知っていた。
木くずの引火点も把握してないし、そもそも投光器を見たことはあれど触ったことがない。
そのため、想像すらできなかった。
その点サラダ油とライターは身近にあるものだったので、想像する余地はあった。だが引火するかまではわからなかった。
サラダ油の件では
引火するかどうかわからないと名乗り出る人がいた。
というのも、投光器の件では引火するかどうかわかりません。と名乗り出る人は自分の観測範囲には一人もいなかったからだ。
投光器の件で一人も名乗り出てこなかったのは
名乗り出ることによって、自分は無能者であり、常識しらずの異端者であると
実験も計測もしていないのに起きる事象がわかるし、容易に想像もできるとコメントしている人達を見ると
非常に強烈なバイアスがかかり、意識・行動が歪んでしまっている状態に見えてしまう。
現に歪んだ行動の異様さに本人たちは自覚すら出来ていないようだ。
サラダ油と投光器の件を見ていると
地動説を宗教裁判で有罪として裁かれたガリレオガリレイを連想してしまう。
望遠鏡の天体観測結果から地動説を実証したが異端として裁かれた。
観測結果がどうであれ、常識外れとは罪であり非難されて当然であるべきものなのだ。
異端・無能・無知性などは、どうやら人の意識を変えてしまう何かがあるようだ。
「私はサラダ油や木くずの引火点も分からないFラン並みの知能しかない有してない無能である。」
今のネット民の反応を見てると大部分の人が認められないのではないか。
Fランと無能というワードを出しただけで強烈な忌避を感じてしまうのではないか。
【和訳】コロナワクチンでADEが問題にならなかった理由(MedPage Today)
〜新種のワクチンであっても、抗体依存性増強が問題となる可能性は低い〜
by Veronica Hackethal, MD, MSc, Enterprise & Investigative Writer, MedPage Today
(原文記事)
Why ADE Hasn't Been a Problem With COVID Vaccines(MedPage Today)
https://www.medpagetoday.com/special-reports/exclusives/91648
パンデミックの初期に、科学者たちはCOVID-19ワクチンの有効性と安全性を確保するための最良の構築方法について、さまざまな議論を行いました。その中には、他のウイルス感染症やワクチンで見られる、死に至る可能性のある免疫現象である「抗体依存性免疫増強(ADE)」に関する議論もありました。
これまでのところ、COVID-19ワクチンによるADEの報告はありません。しかし、COVID-19ワクチンのADEに関する懸念は、ウイルスの亜種が緊急に発生したことで再び浮上してきました。ADEとは一体何でしょうか?過去の経験から何がわかっているのでしょうか?また、なぜ専門家はCOVID-19ワクチンでは問題ないと言っているのでしょうか?
◇ADEの特徴
ADEはさまざまな経路で発生しますが、おそらく最もよく知られているのは、いわゆる「トロイの木馬」経路です。これは、過去の感染やワクチン接種によって生じた非中和抗体が、再び病原体にさらされたときに、その病原体をシャットダウンできない場合に起こります。
トロイの木馬」経路とは、過去の感染やワクチン接種によって生じた非中和抗体が、再感染時に病原体をシャットダウンできず、かえってウイルスの侵入を許し、通常は侵入できない細胞(一般的にはマクロファージなどの免疫細胞)で増殖してしまうというものです。ハーバード大学T.H.チャン公衆衛生大学院のバリー・ブルーム医学博士は、MedPage Todayの取材に対して次のように述べています。
「ADEの原因は、ウイルスに対する抗体が中和されないことです。ウイルスに対する抗体が中和されず、抗体の受容体を持つ細胞にウイルスが取り込まれてしまうことにあります。これが、通常は感染しないような細胞にウイルスを取り込む方法です」とブルーム氏は言う。
ADEは、中和抗体(ウイルスと結合して感染を阻止する抗体)の存在量が十分に少なく、感染を防ぐことができない場合にも起こります。中和抗体は、ウイルス粒子と免疫複合体を形成するため、かえって病気を悪化させることがあります。
トロイの木馬型ADEの典型的な例は、デング熱です。デング熱には4種類のウイルスが存在します。それぞれのウイルスには違いがあり、過去に1つのウイルスに感染したからといって、別のウイルスから守るのに十分な抗体ができるとは限りません。
ADEはデング熱のワクチン接種後にも発生しています。例えば、2016年に4つの血清型すべてを防御するデングワクチンが開発され、フィリピンで80万人の子どもたちに接種されました。ワクチンを接種し、その後、野生型デングにさらされた子どものうち、14人が死亡しましたが、これはより重症化したためと考えられます。それ以来、このワクチンは、すでにデング熱に感染したことのある9歳以上の子どもにのみ推奨されています。
もう一つの典型的な例は、米国で行われた呼吸器合胞体ウイルス(RSV)の不活化ワクチンの臨床試験中にADEが発生したことです。1967年、臨床試験に参加してワクチンを接種した子どもたちが、その後、社会でウイルスに遭遇した際に、より重篤なRSV疾患を発症しました。2人の幼児が死亡しました。このワクチンは、肺閉塞や呼吸器疾患を引き起こす免疫複合体形成と関連しており、RSVワクチンの開発はかなり停滞しました。
同様に、1960年代に米国で開発されていた不活化麻疹ワクチンでもADEの事例が発生しました。ワクチンを接種した子どもが重症化したため、ワクチンは中止されました。現在、米国で使用されている弱毒化した麻疹生ワクチンでは、ADEは発生していません。
科学者たちは、COVID-19ワクチンではADEはほとんど問題にならないと言っていますが、これは何を根拠にしているのでしょうか?
COVID-19ワクチン開発の初期段階から、科学者たちはADEを引き起こす可能性が最も低いSARS-CoV-2のタンパク質をターゲットにすることを目指していた。例えば、SARS-CoV-2の核タンパク質を標的にすると、ADEを引き起こす可能性があることがわかったとき、彼らはすぐにそのアプローチをやめた。最も安全な方法はスパイクタンパクのS2サブユニットを標的とすることであると考え、それを実行したと、Derek Lowe博士はScience Translational Medicineのブログ「In the Pipeline」で書いています。
科学者たちは、ADEを探すために動物実験を計画しました。そして、緊急使用許可を得たCOVID-19ワクチンの実世界でのデータでもADEを探しています。今のところ、その兆候は見られません。実際には、その逆のことが起こっているとLowe氏は指摘しています。
「疑いの余地がないと思われるのは、ワクチンを接種した被験者からは重篤なコロナウイルス感染者が出ず、入院もしていないということです。これは、ADEが起こっている場合に予期されることとは正反対の現象です」と彼は書いている。
さらに、ADEは緊急の問題であり、非常に劇的なものになります。トロントにあるマクマスター大学の病理学・分子医学の准教授であるブライアン・リヒティ博士は、「もしこれらのワクチンに問題があるとしたら、今頃は発見されているでしょう」。
「(ADEが発生したら)すぐに死んでしまいますよ。私が知っているADEは、すべてのケースで、それは急性で、ほとんどがサイトカインに起因する事象です」と彼はMedPage Todayに語っています。
唯一の例外は、中国で開発された不活性化された全細胞ワクチン、つまり「殺した」ワクチンかもしれません。このワクチンには、1960年代にADEの原因となった麻疹ワクチンやRSVワクチンに使用されたのと同じアジュバントであるミョウバンが使用されています。ブルーム氏によると、中国の不活化全細胞ワクチンは、これらの古いワクチンと同様にADEを引き起こす可能性が「考えられる」とのことです。
「このワクチンが米国で日の目を見ることはないでしょうし、言及する価値もないかもしれません。中国製の全球殺虫ワクチンで実際にADEが発生した例はありませんし、あったとしても報告されていません」と述べています。
現在のCOVID-19ワクチンは、世界的に流行したSARS-CoV-2の原型を防ぐために開発されたものである。亜種(変異株)が増えるにつれ、科学者たちは、これらの亜種の1つがADEを引き起こすほどの違いを持つようになるのではないかという疑問を提起してきた。Lichty氏によると、今のところ、この懸念は仮説に過ぎないようです。
「これまでのところ、COVID-19ワクチンでADEが発生したという証拠はありません。すべて理論的なものです」と述べています。「これまでのところ、ADEは既存のワクチンやウイルスの変異体では問題にならないという証拠があると思います」。
その理由の1つは、SARS-CoV-2が、ADEを引き起こすような形でマクロファージに影響を与えていないだけかもしれないが、科学者たちはまだ詳細を調べているところである。ADEは、HIV、エボラ出血熱、コクサッキーウイルス、SARSやMERSなどのコロナウイルスなど、他のウイルスに自然感染した場合にも報告されている。
「今回のパンデミックを通じて、科学者たちはSARS-CoV-2に関連するADEを探してきましたが、これまでのところ、その事例は見つかっていません」、とLichty氏は指摘します。
「このコロナウイルスは、すでに人間に十分に適応しているので、中和しない抗体との相互作用でマクロファージに侵入したとしても、マクロファージが明らかな病態を引き起こすのに十分なサイトカインを産生できないのかもしれません」と述べています。
mRNAワクチンやアデノウイルス・ベクター・ワクチンは比較的新しいワクチンであるため、躊躇してしまうかもしれませんが、ブルーム氏によれば、これらのワクチンは、ADEの観点から見ると、古いタイプのワクチンよりも安全性プロファイルが優れています。
「肝心なのは、新しい技術は新しいウイルスのパンデミックへの対応が早いだけでなく、より安全で、より明確に科学的に設計されているということです」と彼は言います。「Sタンパク質ワクチンは、よりクリーンで、より慎重に定義されており、より低リスクです。Sタンパク質ワクチンは、よりクリーンで、より慎重に定義されています。そのため、ADEの可能性は、以前のウイルスワクチンの製造方法よりもはるかに低いのです」と述べています。
Veronica HackethalはMedPage TodayのEnterprise and Investigative journalismチームのレポートを担当しています。
最近ニュースやはてぶを見てるとさ、やれ政府が神経を逆撫でしたとか、バッハが銀座を観光してたからとか、何かと言い訳つけて自粛破りをするようなコメントをしている連中がいるけど、何考えてんだろうなと。
バッハがムカつくのも、政府がもう少し気の利いたコメントやら対策やらをしてほしいってのはよく分かる。自分もムカついてはいる、本当にイライラする。
ただ、それと自粛破りは違うんじゃないのって思う訳。特にそれを言い訳にしたり屁理屈つけて我も我もと自粛破りしたり、茶化すようなコメントする奴ら、何考えてんだと。
ムカついて自粛破ったところで、リスクに晒されるのは己だし、その結果医療逼迫の遠因になったり、怪我や病気をして命の危機に晒されるかもしれないのも己やん。ニュースサイトとかで自粛破りの例として取り上げられるかもしれん。そしてそれらの事象は、ムカついた奴らには何にも影響しないわけで、自分しか損しないやん。
ムカつくことはいいし、文句を言うのもいい。その気持ちは選挙なり、SNSでの意見表明なりにしておき。自粛破りはあかんで。いまは家の中でじっと嵐が過ぎ去るのを待つべ。
まあそれが酷いって話をするんだけど。
丸川珠代五輪担当相は10日の閣議後の記者会見で、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が9日に東京・銀座を訪れたことについて、「不要不急かどうかは本人が判断すべきだ」と述べた。
加藤氏は、新型コロナウイルス対策について「大会関係者は入国後14日間は行動範囲が限定され、公共交通機関の不使用などがプレーブック(規則集)で定められている。一方、入国後15日を経過した者は適用を受けない」と説明。7月8日に入国したバッハ氏は行動制限の対象に該当しないとした。「不要不急の外出に当たらないのか」との質問に対しては「各人に、状況に応じて適切に判断していただく」と述べ、当事者に任せているとした。
ブコメでも指摘のある通りこれは既に同趣旨の答弁がある。田島麻衣子議員が緊急事態宣言中に「単身赴任をされている国民が家族に会うため、県をまたいで移動」、「ゴールデンウィーク、お盆、年始年末などに国民が帰省」することなどを上げ「不要不急の外出・移動」に当たるのかと聞いた質問主意書に対する答えである。
お尋ねの「不要不急の外出・移動」については、「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」(令和二年三月二十八日新型コロナウイルス感染症対策本部決定、令和三年二月二日変更。以下「基本的対処方針」という。)において、「医療機関への通院、食料・医薬品・生活必需品の買い出し、必要な職場への出勤、屋外での運動や散歩など、生活や健康の維持のために必要なものについては外出の自粛要請の対象外とする。」との考え方を示しているところであるが、お尋ねの行為が「不要不急の外出・移動」に該当するか否かについては、国民の皆様において、それぞれの生活状況等に応じて適切に判断いただくものと考えており、一概にお答えすることは困難である。
今回の発言はこの考えをそのまま踏襲したものだと考えられる。しかし、問題もある。
この質問主意書に対する答弁は一般論としての答えなのである。「それぞれの生活状況等に応じて」と答えているように具体的な状況によって何が不要不急に当たるか変わるのは当然だろう。ところが、政府にその細かい事情まで把握することは不可能である。単身赴任で家族に会うための県をまたいだ移動という条件を付けてもどういった事情で会おうとしたのかは分からず「一概にお答えすることは困難」だ。
もちろん現体制では「お願い」レベルに過ぎずこう答えざるをえないという解釈もできる。結局最終判断は個々人に権限があるのだというわけだ。しかしそれはどういった行為が適切か否かを例示することを妨げるものではない。実際「医療機関の通院…生活や健康の維持のために必要なもの」は自粛要請対象外だと示している通りだ。
ところで、バッハ会長の銀座散策については政府は事情状況様態全て把握できる立場にある。何なら国民の多くはバッハ会長の散策に不要不急の事情があったとは思っていないだろう。
政府が事情を把握しきれない出来事に当事者が適切な判断をしてくれと言うのと、政府が事情を把握している実際の個別案件について当事者が適切に判断することだと言うのではニュアンスの違いを生じることに留意しなければならない。つまるところ後者は具体的行為を追認しフリーハンドを与えたも同然である。それなら「個別事案にはお答えできない」とか言ってくれた方がマシだ。
どんな事情があっても不適切であると言えるような事象、例えば路上飲みに対して本人が判断することだと言った時の悪影響を考えてみてほしい。今回はそれと同様なのである。
ここからが一番書きたいことなのだが、政府は場当たり的でその場逃れなメッセージを発することをやめるべきだ。恐らくメディアにこういった質問をすると事前通告された時、官僚は過去の答弁をサルベージしてそのまま引用できそうなものを見つけてきたのだろう。だが文脈によって言葉の与える印象が変わることを等閑視している。確かに過去の発言の踏襲に過ぎないと言えば簡単にその場は逃れられる。しかしながら、今の状況ではリスクコミュニケーションとして国民にどういったメッセージを与えるかというのを第一に考えてもらわなければ困る。そうでなければ統一的なメッセージが発せられず政府見解の信用性は地に落ちる。まあ既に落ちてるとは思うが…、いずれにせよ負の「レガシー」ができてしまったことは事実だ。