はてなキーワード: ベットとは
"やりがい"とか"周囲の評価"とかに意義を感じているのならばさておき、そんなもんラベルの面を上にして横スマッシュでふっ飛ばしてやりたいと思っている一般ワーカーには、無意味どころかむしろ有害です。
ただリストラリストの最右翼に記載されてしまうのも会社員生活を失うリスクが上がります。丁度よく平々凡々な会社員生活を送るにはどうすべきか。個人的には、努力や能力とか関係なく、お仕事のポジショニングが一番大事じゃねえかと思うんですよ。
別に仕事に人生全ベットしろとか思わないけど、こういうモチベーション低すぎてまともに思考せずしがみつく気満々の奴がいると全体の士気に悪影響があるし有害なんだよな。
それは先月のことだ。
私は夢の中でトイレを探してさまよっていた。
猛烈な尿意の中、便座に腰を下ろした時、私は気づく、オシッコが出てこないのだ……。
そう、それは明晰夢。
明晰夢……夢を見ているのに意識はハッキリとしておりそれが夢であることに気づいている状態。
夢の中で夢に自覚的であるということは、見たい夢を見れるということである。
飛びたいと願った次の瞬間にはビルの谷間を滑空することも、好きな人と恋人になることを願えばデートの場面に突然移る。
だが、突然の場面転換による負荷により夢はアッサリと終わる。
巷には催眠音声というものも流行っているが、あれらは結局の所はドラマCDの域を出ておらず、人間に理想の夢を見せるほどの機能は有していない。
自分の理想を、自分の意志でリアルタイムに描ける最高の遊びである。
だが成功率は非常に低かった。
私が明晰夢を見ることを夢見たのは、まだ性欲に溢れた中高生の頃であった。
二次元のキャラクターとリアルな恋愛をしたいという願望から、私は明晰夢の世界へと足を踏み入れた。
結果から言えば、成功と言えるだけの夢が見れたことは数回しかなかった。
元々寝付きが悪いこともあり、明晰夢を意識しながら目を閉じれば2時間経っても眠りにつけないことなどザラにあった。
あえて限界まで体力を使い切ってからベッドに入って、意識を必死に保ってようやく明晰夢に入るところまではたどり着いても、加速する妄想によって夢の世界が一瞬で崩壊し目覚めることばかり。
夢の強度を維持したままの展開誘導を身につけることは結局できないまま一時の流行りで私の明晰夢ブームは終わった。
その後も何度か明晰夢を見ることはあったが、大抵の場合私が選んだのは「どうせもうすぐ目覚ましが鳴る時間なのだからさっさと起きてしまおう」という選択であった。
明晰夢は楽しむものではなく、単に寝起きの前に意識だけが少し先駆けただけのものになっていた。
話はここで冒頭に戻る。
その日、強烈な尿意によって覚醒した意識の中で、私は自分が夢の中にいることに気づいたのだった。
とっさに目覚ましの音に耳を澄ましてから、その日が土曜日で自分が二度寝をしたことを思い出した。
かつて夢見た理想郷にようやくたどり着いた歓喜とともに、股間は爆発寸前の尿意を訴えてくる。
お尻とお腹に力を入れて無理やり尿意を押さえつけるも、意識は尿意に引きずられ私を何度もトイレへといざなう。
職場のトイレ、家のトイレ、実家のトイレ、駅のトイレ、オムツ、様々な景色とその中で放尿する自分のビジョン、そして実際には放尿していないことを知らせる肉体の感覚、破裂寸前の膀胱。
流石にこれは不味い……いくらなんでもこう何回も夢の中で放尿すればいつかは本当にベットに尿をぶち撒けることになる……。
私は夢の中で夢小説を描くことを諦め必死に身体を起こそうとした。
金縛りにかかったことがある人な分かるだろうが、夢の中で起きようとして身体を起こすと突然身体は動かなくなる。(補足:明晰夢≒金縛り 肯定的に捉えるか否定的に捉えるかの違いだよ)
なんとかベッドから転がり落ちるビジョン、ようやく目を覚ますビジョン、そのたびに気づく、それはこうあってほしいという幻想を見ているだけで実際の光景ではないと。
起床のために藻掻くこと数分、ようやく実際に目覚めトイレに向かう。
膀胱、その無限の広がりをただただ股間に感じながら、オシッコ我慢式明晰夢法という魔法の鍵がこの手に握り込まれていたことに気づくのだった。
オシッコガマン式明晰夢法とは、オシッコを我慢することによって尿意により意識を叩き起こし、明晰夢へと突入する禁断の秘術である。
失禁や膀胱炎といったリスクと隣合わせの禁術であり、夢の中に辿り着いても尿意に意識を取られて妄想を広げる余裕など一切ない。
このままでは尿意を我慢することに性的興奮を覚える変態以外には全く役に立たない代物である。
(尿意を我慢することに性的興奮を覚える変態であったならば、多様なシチュエーションの中で尿意を我慢できるだけでなく、夢の中で無限に放尿することも可能、更には衆人環視下での失禁さえノーリスクな最高のオナニーと言えよう。ズルイ。俺も性癖を変えるか。)
元、弱者男性だった
年収250万、非正規雇用、高校中退、ブサイク、コミュ障、中学不登校
もちろん彼女いない歴=年齢
家族仲は最悪で、俺が中学を上がる頃に両親は離婚。母親はパチンカスで、父親は前科持ち。妹は俺が家を出た2年後に失踪した。今も行方知れず
高校を中退してすぐは肉体労働をしていたが、ヒョロガリの虚弱で1年も経たずにバックれ、それから非正規で事務職を点々としてきた
出産でキャリアを断念した系の共働き主婦が多い。奴らは四大卒の元正社員だったりする
条件の良い事務職ははなからそういう女目当てで、俺がありつけるのは人が入ってもすぐやめるような労働環境で給料も周りより一段低い仕事だけ
そんな俺の転機は35の時の交通事故
歩道を歩いていて、はねられた
救急車で病院に運び込まれて、意識が戻って2日後に、身体の自由は戻らないかもしれないと言われた
初めはもちろん絶望した
何もない俺から健常な身体まで奪うのかよと世の中の理不尽を呪った
俺の見舞いに来るやつなんかいなくて、上司が一度来たぐらいだった
そのこともより一層俺を惨めな気持ちにした
隣のベットが、男子高校生(イケメン)と、現場作業中に事故ったDQNだったからなおさらだった
高校生の方には、彼女や同級生や先生がしょっちゅう顔を見せていて、DQNはDQNで上司や同僚や友人や家族が毎日押しかけていた
俺はそいつらよりもよっぽど重症だったのに、親すら見舞いになんか来なかった
入院の差し入れなんかもなかったから、看護師が同情して持ってきてくれた小説を読んで暇を潰した
子供向けじゃない、字の小さい本なんか読んだのはその時が初めてだったと思う
その時の白衣の天使が今の妻ーーなんてことはなくて、看護師は男だったわけだが、そういうふうに雑談をできる関係は自分にとって初めてだった
リハビリも始まって(残念ながら脚は殆ど元通りにはならなかった)、理学療法士とも関わるようになった(このとき初めて女性とまともに話した)
リハビリはとてもキツかったが、理学療法士に褒められるのは悪い気はしなかった
俺が努力してこなかったせいもあるがーーー、「努力して褒められる」という経験を初めてした
「達成感」というのはこれか、と思ったのを覚えている
毎晩朝が来るのを待ち遠しく思いながら眠りについた
多分向こうからしたらなんてことないコミュニケーションだったが、俺にとっては新鮮で、「こんなに人と話せるのだ」と誇らしくすらある出来事だった
少しだが、隣のベットのおじさん(その時にはもう配置が変わっていた)と話したりもした
入院期間が結構長かったのでちょっとしたお見送りまでしてもらった
そのお金で車椅子で暮らせるアパートに引っ越し、2年ぐらいは無職をしていた
役所の福祉課の人やソーシャルワーカーなんかにはかなりお世話になった
公務員なんてやな奴ばっかりだと思っていたが、本当に親身になって貰った
車椅子ユーザーや身体障害者のコミュティにも参加して、月1、2度は外出している
今も彼女は出来ていないし、コミュニティの外で会えるような友達という友達はいない(むしろコミュニティでもちょっと浮いてると思う)
相変わらず社会的には弱者で、むしろ健常者の底辺だった頃よりもずっと困難が多く、給料も低いけれど、生きていてそこそこ幸せだ
でも、自分にとっての不幸は金や彼女が無いことではなく、人と関わることを無闇に恐れていたことだったのだと気づけた
多分事故はきっかけに過ぎなくて、障害を理由に否が応でも人と関わる機会が増えたことが良かったのだと思う
障害者になって、俺は救われた
それで普通。
優秀な人は、無能な奴の必死の思考・行動を、軽々と、圧倒的に超えてくる。
というより、超えた意識すら無い。
虫を踏み越えるのにいちいち意識なんてしない。
破綻しているのは誠実だと思う。
まえに「バカ」がつくけど。
もちろん本当に清貧で人生が豊かだといい切れる人は、それでいいと思う。
ほんとにいるならね。
たいていは、ヘンに捻くれて、成功している人をうらやんで、「俺のほうが思想的に偉い」とか
真顔で論じだす。
自分の人生から目を背けて、「反成功者」を自分のアイデンティティにする。
そのまま天寿を全うするなら、それはそれで自由だが。
コイツラに変な税金が投じられないように、福祉事務所にこういうリストをマイナンバーと
紐付けて備え付けとくのがいいよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210323185203
私には趣味がない。
極度の飽き性なのもあって何も続かない。興味すら湧かない。なので早く死にたい。
趣味が無いからって死ななくてもいいのでは?となるかもしれないが、この世界を楽しめなくなったら本当に終わりだと思う。
生きている意味がないのと同じ。
答えは、何もしていない。
音楽を鳴らしながらベットにうずくまっている。出来るなら一生寝ていたい。
コロナで家にいる時間が長くなって改めて自分の趣味が0である事を実感した。よく気が狂わなかったと思う。
Twitterなんかを覗くと、趣味の無い人間程つまらない人間はいないという風潮を強く感じる。
Twitterの主成分がオタクであるのを考えると当たり前ではあるのだが、私にはとても辛く感じる。そして趣味のある人間が本当に羨ましい。
私はそのような充実した人間にはなれなかった。
アカウントを作ってその人達になりきろうとしたが、無理だった。ただ惨めになっただけだった。
こんなつまらない人生、早く捨て去りたいが、本当は死ぬのは怖い。痛いから。
死にたいけど死にたくない。
「ぬ」と「む」
「右」と「左」
「東」と「西」
「開」と「閉」
「5+7」と「5+8」
「push」と「pull」
「east」と「west」
「ふんいき」と「ふいんき」
「げんきゅう」? 「ごんきゅう」? (言及)
「継」を手書きする時の「米」みたいなのの位置(「断る」は書ける)
撥音の後の濁音
「bag(鞄)」と「バック」
自殺するのはなんだかんだで怖いし、自分だけ死ぬのがちょっと悔しい。首吊りにしても電車に飛び込むにもしても、誰かに迷惑かけるのが申し訳ない。
病気も急死ならいいけど、ベットで誰も見舞いに来ない中で死ぬのも嫌だ。
病院に行けないで、そのへんで野垂れ死のも嫌だ
あと、親が死ぬのを見送るのは辛い。自分は孤独になる。じゃ俺が先に死ぬか、子供が先に死ぬのも親に申し訳ない。
災害なら、自分の意志とか関係ない所で死ねる。へんな諦めもある。
ある時までは、死ぬのが猛烈に怖かった。地震が来たら、変な人に殺されたらどうしようとも思っていた。それは20年ぐらい前なのか。
10年前、もしかしたら原発が爆発するんじゃないと聞いた時、俺はそれはそれでいいんじゃないかと思っていた。
ただすごく怖い手術だったので、後進の覚悟のために記憶が新しいうちに書いておく
手術を受けることを前提に診察を予約
最初に精密検査をするので検査の3日前からコンタクトをつけないように指示を受ける。
目の検査ってこんな機械あるんだなと感心する程度に何個も検査を受ける
多分6個くらい
ここで手術の予約をするが、流行っていたので1.5ヶ月先になった
どうにもコンタクトで目の形が変わっていると具合が悪いらしい。
ハードコンタクトは7日前、ソフトコンタクトは3日前から装用しちゃダメ
3日前からは毎日6回2種類の点眼を行う、起床時、朝食後とか細かく書いてあるが3時間ごとと解釈し
なお2種類の目薬は5分間隔を開けるのが地味に大変
検査後は待合室で待機しながら定期的に瞳孔を開く目薬などをさして瞳孔の開き具合などをチェック
手術着に着替えて手術室に通される
手術着は別に脱ぐわけではなく、襟カバー前開きのポンチョ、シャンプーハット、ハットを額に固定するテープという感じ
手術台は大体歯医者さんです。
消毒と言われ目を閉じた状態で両目まぶたの上からクマが出るあたりまで、イソジン的な匂いのなにかと、その後もう一つ薬液でビタビタにされる。
目玉の部分だけ穴が開いている布を被される、まぶたを開いた状態で固定するテープや、何らかの固定具をつけて目が開いた状態で固定される。
(生理食塩水とか、涙に代わるなにかかもしれないが、執刀医が「水!」というと横から誰かがかけてたか先生に手渡していたので私の中では水)
なおここから先は目のピントが合ってないのと専門用語が分からないので主観である。
なにかの薬を眼球に直接塗られる、麻酔で眼球そのものに感覚はないが、眼下など押された感触でそう感じた。
ここまでが多分消毒等の準備でここからが本格的な手術
「3つの光のうち左側を見てくださいね」の指示が出され麻酔の目薬や同行を広げる目薬などをドバドバ透過する。
このときの視界は水をちょんちょん垂らしている水面を真下から裸眼でぼやっと見ている感じ
目薬の容器的な物、光、落ちてきた目薬の波紋が見える。
完全に 無感覚と言うことはなく、少ししみるなと言うような感触はある。
目薬は比較的に説明してくれたが「切りますよ」は1回も言われなかった。
手術本番中は時折「光を見て」「上 /下/左/右を見て」と言う指示にしたがい
触られる感触、いろんな種類の目薬とうかに耐えていると20分くらい耐えていると「あと瞳孔閉じたら終わりですねー」と声が掛かる
が…ここからが長かった。
「あれ?引っかかってる」(ん?道具の手入れがなってないのでは?)
「瞳孔閉じないな」(あ、引っかかってるの僕の瞳孔ね!)
から始まり瞳孔を閉じる薬をたぶんスポイトかなんかに3ccずつ吸い取って次々刺しても瞳孔が閉じない
「3ccで吸ってるよね?次のやつから5ccにして!」「…7cc!」
少しは感覚あったりしみたりするのでこの時間がかなり苦痛でした、多分手術そのものと同じ20分くらい
その前に機械の入れ替えと言うことで15分ほど時間が空きました。
トラブルで疲れましたね?と言う気分です。
ミスされても困るので充分休んで欲しいところ
なおこのとき目を瞑って休んでてねと言われたのですが、その前に見た天井が手術前より少しだけ鮮明に見えたことを覚えています。
あと異物感がすごい状態でもありました。
同じ流れのところは飛ばすとして、消毒が終わったところで、こちらには乱視矯正があるので
多分医療用のマーカーで眼球にポチポチッとされたと思ってます(見えてないので主観)
そして手術本番、怖いとは言え右目で一度体験したのでもう大丈夫よと思っていたのもつかの間
ある目薬を入れた時点で視界がだんだん暗くなり
物の輪郭だけが見える圧縮動画のデコード失敗のような視界になり
最終的に真っ暗な中に何かうごめいているような、まぶたを閉じたのと同じ状態の視界になりました。
一時的に視界消えるなら、言ってよ!失明かと思って怖いじゃん!
と思っていたのですが、その後の一言で私はさらに凍り付きます。
「!!!!!!!!!!!!!!???????????????」
え?見えてるのが正常なの?全然見えませんけど?
「すみません、真っ暗です何も見えません」
手術中初めて口を開いたのがこれ
「あ、じゃあねもう少し下を見て」「もう少し右」と見えないこともあるような
誘導をすかさずしてくれたのでなんとか精神状態を落ち着けました。
その後も見えるように見えなかったりを繰り返し
やはり、全然瞳孔が閉じずに瞳孔閉じる薬をバシャバシャやって、長めの手術となり左目も終了です。
手術後は目の上の布を剥がされて、消毒液まみれの目の周りを拭いてもらいます。
手術中湯水のようにかけられた目薬ですが、歯医者さんのような手術台で目薬をドバドバかけるとどうなるか?
排水機構もあるのでしょうが頭を伝わって頭の後ろは結構濡れています。
まずはシャンプーハットの上から外側の水分を拭き取り、シャンプーハットをとって際を拭きます。
私の場合は目薬大量投下の影響かシャンプーハットの内側もぐっしょり濡れていましたが、ここは拭き取ってもらえませんでした。
※このあととても後悔します。
一通り手術着を脱ぐと回復室で休憩です。
手術室を出るときに時計を見たところ2時間か3時間経過していました(視界がはっきりしなかったのと、精神状態で短針の位置の記憶が微妙)
1時間で再びトイレに行ける当初の予告からすると少なくとも2倍の時間が掛かっていたことになります。
保護めがねをかけ、リクライニングチェアに横になって回復を待ちます。
なかなかの恐怖体験をしたこともあり、正直ショック状態になっていた私はてが真っ白になり
なお回復中はドバドバ投下された目薬が口まで(涙腺から?)流れてきて味が気持ち悪いのと
朝から指示されていた絶食ですでにおやつの時間にもなろうという感じで空腹にもなり
追い打ちのように濡れた後頭部が気化熱で冷えて頭痛まで襲ってきて吐き気につながり大変な状態でした。
2時間ほど休憩と言われ、時折追加の目薬を入れられ最後に簡単に診察をして手術日は終了
帰りの視界ですが、この人近視ダナという感じの見え方
絶食でもうダメだったのでタリーズでパスタを食べて帰りましたが
メニューを見るためにかなり持ち上げたりとそこそこ苦労しました。
前日のスマホ充電に失敗していたり、待ち時間でバッテリー使い切ったこともあり。
電車に乗れずタクシーで帰宅08:30に家を出て16:00の帰宅でした。
そこまで良くなっていない視界に慌てては居ませんでしたが
この時点で外側の周辺視野が遮られている感じで消えているのが不安な状態です。
また異物感が続いています。
なお病院で渡された保護めがねは長時間かけると痛くなってきたため
それよりかなり保護面積の大きい花粉用サングラスを家ではつけることとしました。
くらいけど快適…一週間つけ続けるのでクリアversionを追加発注しました。
手術当日は1時間おきに目薬をさすのですがこれが4種類になり
5分だと大変だよね2分は開けてと言われたので、起きている時間の1/6を点眼で過ごしました。
なお、なるべく目を閉じて過ごしてねと言われたこともあるのですが。
ショックからの回復のためベットの上でほぼ無為に過ごしていました。
スマホもテレビもダメな時間どうしよう?と悩んでいた自分は何だったのか
左目は真っ赤、右目もそこそこ赤い
翌日検診で視力を測定 左 1.5 右 1.0 まで回復、体感でもかなり見えています。
なお手術前は両方 0.08だっけかな? コンタクト度数-3.75にて矯正視力1.2でした。
昨日心配していた周辺視野も右側は大分回復左側はまだと言う状況
異物感は減ってきていますが、まだまだある
目の赤さは全然引きません
今日は通院もなく、心の余裕も取り戻しつつあるので有り体に言って暇である。
心の余裕は取り戻したのに、目が疲れることはしてはいけない
異物感は日に日に軽減されて行っている。
視野が狭い感じは右側は完全に回復した、左側は小さくなっている感じがない
何故昨日の診察でこのことを聞かなかったのか後悔している。
流れ作業のような診察に口を挟む暇なく流された結果ではあるが…明日の診察では聞こうと決意
今日から美容室で髪を洗ってもらうことが解禁されている。※仰向けに洗ってもらえる目に水が入らないところ限定
手術後びっしょり濡れてから3日洗ってない髪は、油でギトギトである。
行きつけの美容室には事前に話を通してあり、カット&ブローを昼過ぎにお願いする。
洗髪後すぐに枕と枕カバーをコインランドリーに突っ込んで洗濯、油ギトギトの寝具をすっきりさせてゴロゴロできる時間を長めにとれた。
全休にしなくて本当に良かった、暇で死んでしまう。
仕事は術後2日後からデスクワーク、3日後から力仕事が解禁されている。
プログラミングの仕事は目が疲れる行為なので一週間禁止されているような気がしないでもないが
さて午前の診察、視力検査と眼圧検査をして簡単な問診で終了だ。
流れ作業で流されそうになったので、無理矢理視野が狭くなっていることを質問する
メスを入れたところと見えなくなっているところが一致していて、右側は既に回復していると言うこともあり
手術跡の箇所であると判明、時間と共に治っていきいつの間にか透明になって回復するとのことだった
と憤りながら目薬がなくなりそうなので、追加を受け取り、帰宅
左の赤目はまだまだ真っ赤っか、右は大分白くなった
次の診察は術後7日後だ
さて7日後検診、視力・眼圧を測定し医師の検診と問診を受ける。
まだ左目の端に見えない領域が少しあるのでそのことを聞いてみるが「原因になりそうな所見は見られない」とのこと
やや不安になるが、スポーツでもやらない限り問題にならない周辺視野領域なのでまあいいかな
相変わらず視力教えてくれない感じだったので「視力いくつでしたか?」とやや強引に差し込んだところ 両目とも1.5との事だった、見えるぞ!!!
すがすがしさが半端ない
公衆浴場・プールなど安全とは言えない水にはまだ入れないし激しいスポーツは禁止だが生活の制限は大分なくなった
目薬は1日4回に減ったが3種類でまだまだ面倒な日々が続く
目には手術後の違和感が残っていて、ゴロゴロした感じがまだのこっている、裸眼で最高!!!というには目の違和感が消えていないというのが本当のところ
目の赤みはまだ何かあった???と聞かれる程度には残っている
次の検診は術後1ヶ月なのでしばらく先
目の違和感は日に日に薄くなっているが、14日経ってもまだゴロゴロした感じがあり、裸眼最高!!!には届いていない
赤みは大分減っている、もしかすると術後の赤みは全部引いたかもしれないのだが、花粉症で赤くなっている疑惑もあり完全に白くならない
逆に言うとその程度の赤さで他人になにか言われることもない赤みだ
さて7日後検診で保護めがねを外して気がついたのだが、ハローがかなり強く出ている、夜の街頭に光の輪が見える感じだ
ハローは日数経過により右目は消えていって14日後には右目は気にならないようになったが左目のハローは強く残っている。
左と右でレンズが違い、乱視用のレンズでハローが出ているのではないか?と言うような気がする。
ハローはレンズの眼圧対策のホールが原因らしいので治らないかもなー…
書いている時点で術後4週間を過ぎた。
一つ変わって気がついたのがピントを合わせるのに慣れてきた感じがすると言うこと、術後間もない頃はピントを合わせることになれていなくて目が覚めて目を開けて見えるようになるのに時間が掛かったのと少し目が疲れた記憶がある。
メガネをかけたり外したりしたときの感覚と言えば分かってもらえるだろうか?
この感覚がじょじょになくなり何か物を見ていても目が疲れなくなってきた。
治っていないこととしては
ハローは左目に相変わらず見えている、左目の視界がほんの少し狭いのも治っていない。
それとコンタクトレンズに汚れがついてちょこっとぼやける、みたいな感じが続いている
常にぼやけるのではなくて汚れがついたときにぼやける感じ
これは瞬きを何回かしたり目をこすったタイミングで治るのだが、裸眼の時ってこんなことあったっけ?と不思議に思っている。
コンタクトはもうつけていないのに…目に直接汚れがついてぼやけている???何か不思議な感触だ
一ヶ月検診がもうすぐあるが、予約の関係で検診は5週間のタイミングとなっている。
予約の関係で5週間目となった一ヶ月検診
視力を測って眼圧を図って、問診と診察をして終了
両目1.5だった、2.0となるレンズは選択しないようで、1.5で視力が安定すれば100点とのこと
追加の目薬はなく、目薬は使い切っていたので治療としては終了で、後は数ヶ月おきの経過観察
次回は2ヶ月後で術後3ヶ月検診だ
状況としては先週と同じで特筆することがない
つづく
専門家じゃないので授業で習ったり友達同士で話したりTwitterで得た情報とか個人の体験などが元です。個人差があります。
超前提として、生理はコントロールできるものではありません。低用量ピルとかで生理を軽くしたり時期をずらすことはできても来ないようにしたり失くしたりすることはできないです。
そして一回生理が始まると途中で止めることもできません。ある一定の期間(5日〜7日がスタンダード)ずっと毎日一日中経血が出続けます。
大体1日目〜4日目くらいはたくさんの量が出て、5日目〜7日目にかけてだんだん少なくなっていくっていう感じ。(個人差あり)当たり前だけどこの期間ずっと生理用ナプキンつけてます。
生理前はおりものが出るっていうけど私はあんまりアテにしてない。生理の周期は大体把握してるけどずれることもあるので生理が来る時は本当にわからないです急にくる。完全に把握してる人もいるのかな?
そしてさっき低用量ピルのところで生理を“軽くする“ことができるって書いたけど、生理は程度が重かったり軽かったりします。この重い軽いは重症軽症って意味だと思う。これは人によって全く違う。体質もあるし遺伝だっていう子もいた。
生理が重い人は体調が悪くて一日中ベットから起き上がれなかったり、腹部の痛み、吐き気、頭痛、腰の痛みなど症状も様々でこの症状が全部ある人もいる。薬を服用しないと立てないって友達もいた。
対して軽い人は本当に軽い。私も軽い方だけど生理中でもジョギングとか筋トレとかできるし生理じゃない日と同じくらいの生活が送れる。症状としては腹部に軽い痛みがあるくらい。
私の経験上生理が重い人の方が多かった。生理中は腹部を冷やさないように貼るカイロをつけたりその上から腹巻してる子もいた。市販の薬を常備してる子もいて、生理重くて気持ち悪いしんどいっていう子がいたらその薬をあげてたりもした。
中学生の時に、親しい子が生理が重くて学校を休んだことがあって学校帰りにお見舞いに行ったら一日中ベットから起き上がれないでうずくまった格好で安静にしてたとその子のお母さんから聞いた。
上記の通り、同じ女でも生理の重い軽いで見える世界が全く違う。女同士でも重い子の辛さをわかることは難しいことなんだよね。言っちゃあ全くの別物って感じ。体験できないんだもん。
私も生理が軽いから中学の時重い人の辛さを理解できなくて部活中に休ませてあげなかったことがある。本当に申し訳ないことをしたなと思う。(超個人的な意見だけど体育教師や部活の部長は生理軽い人が多い)
だからといって重い人の生理中の辛さを理解できないなんてことはなく、考えを巡らせて申し訳程度にサポートするなど。
次は生理前の話。生理前も生理の一環なので書く。生理前の症状も人それぞれ。食欲が異常に高まったり、普段より眠くなったり、イライラしたり、胸が張ったりする。これはホルモンバランスの乱れなのでコントロール不可能。争うこともできません。私は月1ランダムで2つの症状が合併して起こる。ある時は食欲とイライラ。またある時は眠気と食欲、イライラと胸の張り的な感じ。今回の生理前の症状としては眠気と胸の張りだったんだけど、ここ1週間12時間ぶっ通しで寝てた。寝ても寝ても眠いしどうしようも無い。中高では授業中本当に眠くて寝てたし。胸の張りは張りすぎてうつ伏せになると痛いくらい張る時もある。
食欲は本当に止められなくてお腹いっぱいなのに食べたくなるし食べれちゃうし。イライラが個人的には一番嫌かな。思い通りにいかないとすぐイラついてモノにあたっちゃうし対人関係とか今までなんとも思ってなかった友達の行動に無性に腹が立ったりしてストレスも溜まる。もちろんこれも個人差あり。生理前の症状に重い軽いはあんまり聞いたことないけどどうなんだろう?あるのかな?
生理用品の話もするか。
生理ナプキンは昼用と夜用があって、その中にも32cm〜40cmくらいまでのサイズと羽付き、羽なしがある。今は羽付きがスタンダードだと思う。羽なしはずれるから嫌なんだよね。まあ羽付きもずれる時あるけど。
そして昼用は多い時用と普通用があって、多い時用は普通用よりも多く吸収する。
ナプキン付けてる時は蒸れるしズレが気になるし長時間交換ができない時は溢れてパンツに着いちゃってないかとか不快感や不安がつきもの。
タンポンっていうのもあるけど私の周りではあんまり使ってる人いなかったな。(言わないだけで使ってる子もいたかも)私は小学生の時に水泳やってたから1年くらい使ったけど結構痛くてつけたくなかった。痛いっていうのもあるけど膣内に入れるっていうので抵抗ある子もいた。
そして今は生理パンツと生理カップっていう新しい生理用品が出てきてる。生理パンツは特殊な素材で出来ててナプキンを付けなくてもパンツ自体がナプキンの役割をしてくれるという優れもの。だけど生理期間は必ずナプキンをつけることが当たり前なのでナプキンを付けないことが経血が漏れるのではないかという不安になっているよう。
次に生理カップ。これはシリコンでできたカップを膣内に入れて剥がれ落ちてくる経血を受け止めるっていう感じだと思う。私もあまり知らないのでどうやって捨てるかとか交換はどうするのかとかわからないので気になる人はYouTubeで生理カップって調べると出ると思います。(人任せ)
上記2つとも洗うことで繰り返し使用が可能で今まで使い捨てだったナプキンと比べると(生涯計算で)安く済むというものです。日本ではあまり普及してないけど海外では結構使われているらしいです。
最後に、女性の生理は人によって症状が様々なので女性と付き合う方は元カノや周りの女性の生理が軽かったからといって生理の症状が重くてしんどい人のことをないがしろにしたり仮病とかひどいこと言わないでください。