はてなキーワード: 渡り鳥とは
この前の選挙でダメ元で政策良さそうな国民民主党に入れたら、想像以上に議席が伸びて少し驚いている。
自分は自民党の政治に不満はあったけども野党もいまいち信頼できないくてやむなく自民党に投票する消極的与党支持者だった。なんていうか、自分の中の評価では自民党40点、民主党とその後継政党20点、維新20点、公明、共産はカルト感がして生理的に無理みたいな感じ。
国民民主も最初は旧民主党の残党みたいな感じで期待していなかったんだけど、去年の立憲との合流の際に信用できない政治家がごっそりいなくなって、残ったメンバーがまともそうだったので主義主張を聞いてみてもいいかなと思ったのだ。
ちなみに自分が評価できなかった立憲合流前の旧国民民主党の政治家としては、小沢一郎氏のような古いタイプの政治家や、原口一博氏や森裕子氏のような官僚たたきで溜飲を下すような逆張りが目的の野党臭い政治家、当選が目的になっていて複数政党を節操なく移動する有象無象の渡り鳥タイプの政治家が該当する。
ついでに言うと残った国民民主党のメンバーでも山尾志桜里氏は自分勝手で胡散臭い政治家という印象だった。家族に不義理を働く人が、国民に不義理を働かないわけがないと思ったからだ。だけど総選挙前に山尾氏も引退したので全面的に国民民主党を支持できるようになった。
そんなわけで、今回は生まれて初めて支持できる政党ができて、しかも選挙で議席が伸びてすごく嬉しいんだけど今後のことで少し不安がある。過去の野党と同じように、短期間で政権奪取しようとして離合集散を繰り返さないかと言うことだ。
古くは新進党、自由党と合併した政権奪取前の民主党、最近だと希望の党や旧国民からメンバーを引き抜いた現立憲民主党。これら過去の野党はどれも政権交代の可能性を追求して、短期間に小選挙区に擁立できる候補を増やすことを優先し規模を追ったことが原因で衰退してしまってる。なんていうか自分たちの理念に基づく良い政治よりも、数の論理や当然のためになりふり構わない行動を優先してしまうあまり結果有権者に見放されるというか。
その点、現国民民主党は立憲との合流を拒否して残ったある意味頑固な人の集まりなので今のところはブレていない。だけど保守系野党の可能性にかけて維新と合併して規模を追ったり、立憲の分裂を誘って旧民主系議員の糾合を狙ったら過去の野党の二の舞だ。ここは10年くらい時間をかけてもいいから、じっくりと腰を落ち着けて、政治家としての理念が合う人たちを候補として擁立して徐々に規模を大きくする路線をとってほしいと思う。
時間をかけて政党を育てると言うパターンがここ30年くらいの日本には無かった(強いて言えば民主党の結党5年くらいはその路線だったのが小沢自由党の合流で崩れて対決路線で政権奪取モードになってしまった)ので、国民民主にはそれを期待している。現実主義野党として成長してくれることを期待したい。
急に寒くなってきた。そろそろ冬眠の季節だと思うので、全生物の同志に向けてメッセージを送りたい。
君たちは変温動物だから、気温が約10℃以下になると自然と活動が停止し仮死状態になる。
だから別段準備は不要だが、一つ気をつけるのは「早めの行動」。寒くなって体がこわばり出したら早めに巣穴にもぐること。まだまだ遊んでいたいと外にいたら、巣穴にたどりつく前に凍ってしまうぞ。特に今年手足が出たばかりの若いカエルは遊びたい時期だろうが、先輩カエルの指示に従うのが無難だ。
鳥は冬眠しない。ただ世界に一種だけ、冬眠する鳥がいる。プアーウィルヨタカだ。鳥である君は、自分がプアーウィルヨタカかどうかだけチェックすればいい。そうでなければ冬眠はしないので、自由にすごしていい。ただし君が渡り鳥なら、天気の良い日に移動しておこう。
ちなみにコウモリの君は冬眠するから気をつけよう。君は鳥類ではなく哺乳類なのだから。
昆虫の越冬は様々だ。ただ君がすでに成虫になっているなら、気温が下がると休眠状態になるから、樹木の皮の陰や、木の葉の中に隠れて冬を越えよう。
もし君がアゲハの幼虫なら、この冬はチャンスだ。サナギになれば、冬も越せるし蝶にもなれる。春デビューを目指すことをおすすめする。
魚類も様々ではあるが、鯉やフナなどは水温が下がると冬眠状態になる。観光客がエサを投げてきても、気を遣って無理に食べなくていい。ちゃんと人間の親が「鯉さんも冬眠するのよ」と教えるだろう。エサの争奪戦は春になってから楽しもう。
君たちは恒温動物だから、気温が下がっても活動は停止しない。だから基本的には冬眠しないのだが、ここでは冬眠する種に向けてアドバイスしよう。
君がシマリスなら、エサを確保してこう。冬眠するといっても、君たちは途中で起きてエサを食べるタイプだ。貯蔵庫をつくりエサを貯めておこう。そうそう、忘れがちだがトイレも作っておくように。ないと大変なことになる。
巣穴にこもってもなかなか寝付けないなら、自分の種を疑うこと。例えばエゾリスは冬眠しないが、エゾシマリスは冬眠する。見分け方は背中のしま模様。誰かにチェックしてもらおう。自分の背中は自分では見れないものだから。
ツキノワグマやヒグマなど冬眠するタイプのクマは、たくさん食べておくこと。普段ダイエットしてるクマも、今は食べて脂肪を蓄えよう。その代わり、途中で起きて食事はしないで済む。トイレも不要だ。
また妊娠していて不安なクマがいたら、冬眠中に出産できることを伝えておきたい。授乳もできる。春になったら家族が増えていて夫クマも喜ぶだろう。
人間は冬眠しないが、それでも冬はやってくる。帰宅をしたら手洗いうがい。体を温める食べ物と、ぬるめの風呂にゆっくり浸かり、健康に留意して欲しい。
特に新型のウイルスが流行ってるようなので、サンミツとやらを避け、マスクを付けよう。いやはや人類も大変だなと心中を察する。
また人間にはコールドスリープという手段もあるようだが、まだ発展途上の技術なので利用しないのが無難だろう。冬眠したと思ったら永眠していた、なんてことになりかねない。
冬支度というものは楽しいものだ。冬眠するものも、しないものも、冬を乗り越え、春を待とう。全生物に、春は必ず来るのだから。
ではそろそろ私も冬眠することにしよう。私は甲羅に閉じこもり、水底で葉の布団をかぶって眠るのが好きだ。今回で100回目の冬眠だが、冬眠はいつも心地よいものだ。
デジタル庁自体が菅政権の最大の施策の一つであり、また担当大臣の平井大臣が癒着やパワハラ、ネット工作などの疑義が前から掛けられてた事もあって関心は高かった。その中で、事務方トップである「デジタル監」の人事も少し話題から紛糾しており、カリブ海のロリータ島をセレブに提供していて最終的に消されたエプスタインとの金銭関係があった人物が一時候補になったが、流石に身辺調査したらやばくねということで見送られて、結果的に72歳の石倉氏が就任する運びになった。
しかし、就任会見(?)のときに、彼女の発言の一部が報道されて、デジタル庁のトップとしての適正がいきなり疑問視された。
Twitterなどでは主に石倉氏の経歴を理由に「彼女は優秀に違いない!!」バイアスが掛かった擁護が繰り広げられた翌日、彼女がインターネット上の基本的な著作権を理解しておらず、ガビガビの画像をブログに掲載するほどWebデザインにも無頓着ということが明るみに出てしまい、「スーパー72歳」とか「デジタルに超詳しい百戦錬磨の敏腕素人」と祭り上げていた人達は一夜にして梯子を外されてしまった。
https://twitter.com/KAZE/status/1433268216235630599
https://twitter.com/mesotabi/status/1433399709566062594
https://twitter.com/Benzman_TAKE2/status/1433308767442006018
5ちゃんねる、ヤフコメ、はてななど、右翼、左翼系のコミュニティーでは、一晩にして否定的な声が多数を占めてしまい、ここから挽回が期待されている。中には、「警視総監が万引きしたようなもんだ」という痛烈な皮肉まで展開されていて厳しい船出である。その中でもTwitterだけは、著作権侵害を告発した被害者であるPIXTA社がなぜか糾弾されるという被害者の二重レイプまで起きており、政府が力をいれているインターネット対策の中心地はここなのではないかとも勘ぐらされたのである。
日本人はとにかく学歴や権威に弱い。ショーンKとか齋藤ウィリアム浩幸とか竹花貴騎とかそうだけど、ちょっと豪華な学歴と経歴があれば、真偽はともかく「この人はすごいんだろうな」バイアスがかかる。このデジタル監の石倉女史も「経歴がものすごいんだから超優秀に決まってる!」という主張が相次いだ。一部では「プロ社外取締役」「渡り鳥」ではないかという意見もあったし、少なくともITやデジタルに関する業務はほとんど経験ないのは明白だったけど、とにかくすごい大学出てすごい会社の社外取締役経験してるんだから、お前等は何も言うな的な論調が高まっていた。
しかし、「誰が言ったか」ではなくて「何を言ったか」が問題なのである。たとえ華やかな経歴があっても72歳のお婆ちゃんだ。普通ならもう年金生活している段階の高齢者を引っ張り出してくるなら、相応のデジタルに対する知識や造詣、情熱が必要なのではないか。もちろん、彼女は実質前前任の桜田義孝サイバーセキュリティ担当大臣よりは数千倍マシであろうが、それでもデジタル後進国の日本のITリテラシーを高める急務が求められているときに、この人が本当に適任なのだろうか。同じマッキンゼー云々なら、南場智子氏の方が全然適職ではないのだろうか。経団連も兼任してるから厳しかったかもしれないが。普通にTwitterやブログやってるお婆ちゃんが事務方トップになれるなら、数百万人レベルで候補者が出てくるだろう。
そして、石倉氏に対する反応については、もう一つ大きな問題が有り、彼女が「ワードプレス」とか「Python」とかいう言葉を出しただけで、超敏腕のスーパー天才ITエンジニアではないか、という受け止め方がされていること。
https://twitter.com/youyakuya/status/1433449570134990853
もちろん非ITエンジニアにとっては「ワードプレス? Python? なんかよくわからんけどとにかく凄いんだろ!!」みたいな反応になってしまうことはある程度は仕方ないと思うのだが、そもそも彼女は「Pythonを勉強していいたけど難しくて挫折した」のである。これはむしろ氏のデジタル適正の完全否定他ならないと思うのである。アセンブラ言語やC++ならまだわかるよ。人には向き不向きあるからね。でもPythonができないのって普通に才能ないと思うよ。数ある言語の中でも平易なもの。だからこそ世界の主要言語に躍り出た。ワードプレスなんてただのブログ作成ツールだし、そのご自慢のブログでも早速やらかしてしまったんだけど、そこでも「本人はワードプレスには一切触れてなくて、部下やスタッフが勝手にやった」みたいな擁護までされて、WPバリバリに使いこなすスーパー72歳という設定はどこにいったの感がある。
「72歳なんだからプログラミングできないのは仕方ないだろ!」という声もある。しかし日本には石倉さんより15歳ぐらい年上なのに、Pythonより遥かに難解なObjective-CでiOSアプリを開発している女性がいるのだ。xcode使いこなすのはWPの数千倍難しいぞ。高齢者に対するデジタルへの抵抗感をなくすのが目的なら、彼女のほうがデジタル監に相応しいと思う。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO37707280T11C18A1000000/
要は「石倉さん? よく知らないけどwikipedia見たら経歴すごいし、PythonとかWordpressとか触ってるようだから、凄い人なんだ!!!」という思い込みと脊髄反射がされた一件である。我々もJavaやPHPやObjective-Cしか書けない底辺エンジニアであるのだが、恐らく世間的には増田さんって頭いいんですね~デジタル得意なんですね~みたいな受け止め方がされるのかもしれない。日本人は権威に弱く、日本人は「よく分からないもの」は「畏怖」を覚えてしまう。
しかし、石倉氏はデジタル監に完全に不適任かというと定かではない。というのも、こういうポジションは実務はほとんどなくて、ただのお飾りポジション、それこそ彼女が歴任してきた「名誉教授」とか「社外取締役」と同じなのではないかも思えるのである。実務がないのであれば弊害もないだろう。実際、Twitterのウヨ勢力はこぞって彼女を熱烈支持することに決めた。それこそ著作権侵害であってもさっさと謝罪したからむしろ素晴らしいというアクロバット擁護まで。
朝、電線にオナガがとまっているのを見た。今年二度目の目撃。ここいらで見るしっぽの長い鳥といえば、もっぱらシジュウカラだったのだが、久しぶりにオナガが戻ってきた。
30年くらい前から、全国的にオナガの棲息域が山の方へ撤退しているらしく、今は市街地でオナガを見るのは珍しいとかなんとか。そういえば確かに、私が小学生の頃は電線にオナガがとまっている風景はごく当たり前だったけど、いつの間にか見られないものになっていた。というのは、単に私があまり外の風景を見なくなってしまったせいかなと思っていたけど、違ったのか。
市街地から姿を消し、山へ移住したオナガがその後どうなったのかというと、初夏の一時だけ棲息域のかぶる渡り鳥、カッコウの托卵のターゲットとなり、ずいぶんひどい目に遭わされた模様。
鳥というのは知能よりも本能優先で生きてるので、カッコウにタゲられるなどイレギュラーな事態になかなか対応できず、しばらく一方的にやられっぱなしになる。ところが、やがては托卵されていることに気づく時がきて、托卵対策を取るようになる。そして托卵するものとされるものの激しい攻防戦が始まる。
そうやって、托卵するものとされるものとが闘いながら互いに進化していくのだけど、その闘いの始まりが観測されたということは世界でも珍しいことであるらしく、日本のカッコウVSオナガは世界中の専門家から注目されているのだそうな。
などというバトルが私の知らない所で起きていたということを、最近まで知らずに、そういえばオナガいねぇなあ、とたまに思うだけで暮らしてきた。知った今となっては、電線とまっているオナガを見て、もしかしたらカッコウに巣を乗っ取られるのに嫌気がさして、平地に戻ってきたのではないかなあ? と私は思うのだけれども、真相やいかに。
でも、ここら辺は平地の住宅街だけど、実は近くの河原にカッコウが来てるはずなんだけれども。といっても、河原のそばからより街なかに引っ越して以来、カッコウの鳴き声を聴くことがなくなってしまったので、今もまだカッコウが渡って来ているかわからないけど。
カッコウは南の方からほんの短い期間だけ、日本に渡ってくる鳥で、現在は目撃例が減少傾向とか。日本でカッコウの好む森林と湿地の境界という環境が減少しているのと、カッコウの主な住み処である南の国の環境破壊が原因っぽい。
カッコウが減って、オナガが増えた、かもしれない? というのも、街にオナガが戻って来た一因だったりするのか? あるいは、私の住む市街地がややゴーストタウン化してきており、ひと気の無いことがオナガには住み易いのかもなんて考えた。
ところで、もう半月から一ヶ月くらい前に、やや時期外れのホトトギスの声を聴いたような気がした。鳥の声かと思ってよく聴いてみたら、近くの工場で旋盤の回転する音だった、なんてこともあったので、聞き間違いの可能性もなくはないけど。だがほんとうにホトトギスならば珍しいように思う。ホトトギスはカッコウに近い仲間で、確かウグイスに托卵する。ウグイスが繁殖するのは春先なのに、なんで今? と思わなくもなかった。
ウグイスはこの辺に時々出没するので、ホトトギスもこの辺に現れるというのも変ではないように思える。ウグイスがいて、ホトトギスがいる。ならばオナガがいてカッコウもいる、ということに、いずれなるのでは? という気もする。
カッコウが托卵するには立地条件がだいじで、低い所にカッコウよりも小さい鳥が営巣していて、その近くに小鳥の巣を日がな一日見張れるような、高い木がなくてはならない。
オナガがこの街のどこかに巣を作っているとしたら、カッコウにとってオナガの巣を見張れる場所は街の至る所にあるように思えるが。いずれ、街なかにいてカッコウの声が聴かれるようになったりするのだろうか?
今朝はオナガだけでなくツバメも見た。最近あまり多く見なかったので、もう南に帰っちゃったのかなぁ、寂しいなぁと思っていたが、まだいた。
何故だか、今日見たツバメは空をついーっと滑空してはおらず、コウモリのような動作で低空を羽ばたいていた。虫を捕って食いながら飛んでいたのか、それとも単に飛ぶのが下手なのか謎。
そういえば、私は小学校中学年以前は、このくらいの時期に家族で海に行ったものだけど、ある年、行きの車内ですごく沢山のツバメを見た。山あいにあった町の商店街を通過した時だ。
当時、その街は今のように寂れてはいなくて、休日となれば沢山の人々でごったがえしたものだった。人の多い場所の建物の軒下をツバメは好むから、沢山のツバメが住んでいるのは当然のことだった。だが、それが一斉に、まるで冬のスズメみたいに電線にびっしりとまり、その上空をやはり沢山のツバメが飛び交っていたのは、いよいよ繁殖を終えて南の国に渡ろうとしているまさにその時に出くわしたのではないかと思う。
あ、今回も鳩いなくてめんご!
・ギリ落とせそうな自民現職
→前回立憲の道下大樹に破れ比例復活。麻生の元秘書。IR関連で中国企業から賄賂受取疑いで捜査。麻生派。
・道下大樹 立民
野党一本化
→前回約2万票差で本多平直に勝利。IR関連で中国企業から賄賂受取疑いで捜査。麻生派。本多のロリコン発言で優勢か。
・本多平直 立民
野党一本化
・山岡達丸 立民
→階猛に連敗中。父が元共産党の地方議員。祖父母は無産運動家(反資本主義運動)。祖母の横田チエは初の女性岩手県議。
・階猛 立民
→細田派。丸川珠代と一緒に選択的夫婦別姓に反対する文書を送ったメンバー。
・岡本あき子 立民
野党一本化
公約に「宮崎駿(ジブリ)ワールドの実現」を掲げる。2017年には『ジブリワールド構想』を出版。
・鎌田さゆり 立民
野党一本化
・寺田学 立民
野党一本化
・緑川貴士 立民
野党一本化
→前回、立民の金子恵美に敗れ比例復活。過去に暴○団との交流も。
・金子恵美 立民
野党一本化
→前回、小熊慎司に約1000票差で勝利。対抗馬の小熊慎司は自民〜みんな〜維新〜民進〜希望〜国民〜立民の政界渡り鳥。
・小熊慎司 立民
野党一本化
→国士館大で神道学の修士〜自民党職員13年。前回浅野哲に僅差で勝利。
野党一本化
→麻生派。中村喜四郎に5連敗中。年々票差を縮めている。衆議院議員だった夫は郵政国会で賛成票を投じた後に自殺。後を継いだ。
文科族。原発ゼロの会。
・中村喜四郎 立民
野党一本化
→菅グループの3回生。夫婦別姓反対。対抗馬は立民の山川百合子(比例復活)
野党一本化
→前回大島敦に破れて比例復活。2006年に女性への暴行で起訴猶予処分。2015年、公設秘書が「逮捕監禁致死罪」で懲役6年の実刑判決を受けた人物であることが報じられた。(辞職済み)
・大島敦 立民
野党一本化
・森田俊和 立民
野党一本化
・田嶋要 立民
野党一本化
→安倍政権で復興大臣。竹下派。法務族。更生保護活動の環境整備や再犯防止などに取り組む。
・生方幸夫 立民
野党一本化
・本庄さとし 立民
→脱原発派。「自民党発!『原発のない国へ』」を出版。出版記念講演を水戸市で開催して、原発推進派の自民茨城県連が激怒。県連から二階に除名要請される。
・奥野総一郎 立民
→前回は海江田万里に僅差で敗れる。
・海江田万里 立民
→石原派。伸晃と良純の弟。前回は松原仁に僅差で勝利。松原は比例復活し、現在立民。
・松原仁 立民
→竹下派。防衛副大臣や安全保障委員長を務める。前回は手塚仁雄に僅差で勝利。
・手塚仁雄 立民
・たぶち正文 維新
→前回は立民の落合貴之に敗れ比例復活。叔父は福田康夫。衆議院財務金融委員長。
・落合貴之 立民
・山岸一生 立民
・南純 維新
→IR汚職事件の収賄罪で逮捕起訴。無罪を主張。離党したが二階派には所属のまま。
・柿沢未途 立民?
・小堤東 共産
→元経産副大臣。
・末松義規 立民
野党一本化
→小泉内閣で若くして金融担当大臣を務めるも、その後は石破派で干される。最近石破派を退会。
・山花郁夫 立民
→緊急事態宣言下に後輩2人連れてクラブへ。離党。麻生の側近。おそらく無所属で出馬し、自民は公認候補を出さず。
・篠原豪 立民
前回は浅尾慶一郎との保守分裂選挙になり、立民の早稲田夕季に敗れ比例復活。保守分裂予定。
・早稲田夕季 立民
→元財務官僚。財務副大臣、外務副大臣。選択的夫婦別姓や同性婚を党内で主張。
野党一本化
→元みんなの党。前回は江田憲司に敗れ比例復活。離婚後共同親権論者。
・江田憲司 立民
野党一本化
・阿部知子 立民
→ヤンキー先生。反日教組、表現規制推進、体罰肯定派、ジェンダーフリー教育反対。前回は後藤祐一に勝利。
・後藤祐一 立民
野党一本化
→前回は立民・西村智奈美に敗れる。秘書への暴行で略式起訴され離党。自民党は塚田一郎を公認。石崎は無所属で出馬予定。
・西村智奈美 立民
■新潟2区 細田健一(比例・細田派・当選3回)、鷲尾英一郎(二階派・当選5回)
→前回は鷲尾英一郎に敗れ、比例復活。二階派に入党した鷲尾英一郎も出馬予定。保守分裂選挙へ。
・たいらあやこ 共産
→前回は黒岩宇洋に50票差で敗れ比例復活。夫婦別姓反対、原発推進派。
・黒岩宇洋 立民
野党一本化
→世襲。夫婦別姓反対、安倍に靖国参拝を要請、東京裁判は不当だと主張。
・梅谷守 立民
政務官時代に被災地視察で長靴を忘れ、職員におんぶされる。おんぶ政務官として一躍有名に。
・下条みつ 立民
→前回希望の党で当選し、自民党に入党。立民は羽田元首相の甥を擁立予定。
・神津健 立民
野党一本化
→前回は中島克仁に敗れる。
元幹部自衛官。はんこ議連。押印を廃止した河野太郎をFacebookで批判。
・中島克仁 立民
野党一本化
→世襲3世。前回は今井雅人に僅差で勝利。今井は比例復活し、立民に所属。
・今井雅人 立民
・伯てつや 維新
・近藤和也 立民
野党一本化
・小山展弘 立民
野党一本化
→世襲。前回は細野豪志に敗れ、比例で繰り上げ当選。細野が二階派に入党したため、保守分裂選挙へ。
・小野のりかず 立民
→渡辺周に3連敗中。前回は数百票差僅差まで追い詰める。
・渡辺周 立民
野党一本化
→元文科大臣。緊急事態宣言中に浜松まつりに参加、100人規模のセミナーを開催、20人の会食に参加。
対抗馬は前回比例復活の源馬
・源馬謙太郎 立民
・ひらが高成 共産
→学生時代に女性教師を閉じ込め、爆竹を投下したことをサイトで自慢して炎上。
・吉田統彦 立民
→安倍に対して「辞めろ」とコールした聴衆を「共謀罪で逮捕すべし!」と求めるフェイスブック(FB)の投稿に対し、「いいね!」ボタンを押していた。
・牧義夫 立民
→税理士で、かつ総務省の政治資金適正化委員会に監査人登録しているにかかわらず、2019年まで4年連続で政治資金収支報告書を法定の期限までに提出していなかった。
前回はベテランの赤松に敗れたが、赤松は引退を表明。立民から赤松の元秘書が出馬予定。
・西川厚志 立民
野党一本化
・森本和義 立民
・すやま初美 共産
・伴野豊 立民
野党一本化
→菅内閣で経済産業副大臣兼内閣府副大臣。前回は岡本充功に勝利。岡本は比例復活。
・岡本充功 立民
引退する意向を示していたが、後継候補が決まらず、引退を撤回。
・古本伸一郎 立民
実体験として、自分が一時的にはまっていた自転車にはもうすっかり乗らなくなってしまった。
コロナだとか通勤が車に変わったとか家族が増えたとか色々ある。そこで思ったのは、自分の価値観というのは自分だけど決定づけられる要素が少ない、ということ。基本的に周りの環境に合わせて動いている。渡り鳥が風のながれに乗っているのと同じように、自分だけで進路を決められない。風が止んだらそこで休息する必要もある。
そして自分は価値観が変わったことを受け入れることが中々出来なかった。だから外部に理由を求めている。価値観が変わったのではない、周りが変わったからだ。でも実際は「外部の環境変化=>自分の価値観=>自分の行動」と繋がっている。価値観は揺らがずに周りだけ変わったと思い込んでいる時期があった。
自分の中で確固たる価値観はいくつか存在する。だけどそれ自体が不変だと思っていたらいつのまにか変わってしまっていることはある。
ポケモンで言えば、初代からずっとやっているけどシステム面もビジュアルも大きく変わって、だけど飽きが来ている面が強い。それが自分の劣化や価値観の揺らぎなのはわかっているが、どうしてもゲームに原因を求めてしまう。俺はこういうものが好きだったはずなのに、と。
朴訥な意見だけど、怖いな。
八、鳥を捕とる人
がさがさした、けれども親切そうな、大人の声が、二人のうしろで聞えました。
それは、茶いろの少しぼろぼろの外套がいとうを着て、白い巾きれでつつんだ荷物を、二つに分けて肩に掛かけた、赤髯あかひげのせなかのかがんだ人でした。
「ええ、いいんです。」ジョバンニは、少し肩をすぼめて挨拶あいさつしました。その人は、ひげの中でかすかに微笑わらいながら荷物をゆっくり網棚あみだなにのせました。ジョバンニは、なにか大へんさびしいようなかなしいような気がして、だまって正面の時計を見ていましたら、ずうっと前の方で、硝子ガラスの笛ふえのようなものが鳴りました。汽車はもう、しずかにうごいていたのです。カムパネルラは、車室の天井てんじょうを、あちこち見ていました。その一つのあかりに黒い甲虫かぶとむしがとまってその影が大きく天井にうつっていたのです。赤ひげの人は、なにかなつかしそうにわらいながら、ジョバンニやカムパネルラのようすを見ていました。汽車はもうだんだん早くなって、すすきと川と、かわるがわる窓の外から光りました。
赤ひげの人が、少しおずおずしながら、二人に訊ききました。
「どこまでも行くんです。」ジョバンニは、少しきまり悪そうに答えました。
「それはいいね。この汽車は、じっさい、どこまででも行きますぜ。」
「あなたはどこへ行くんです。」カムパネルラが、いきなり、喧嘩けんかのようにたずねましたので、ジョバンニは、思わずわらいました。すると、向うの席に居た、尖った帽子をかぶり、大きな鍵かぎを腰こしに下げた人も、ちらっとこっちを見てわらいましたので、カムパネルラも、つい顔を赤くして笑いだしてしまいました。ところがその人は別に怒おこったでもなく、頬ほほをぴくぴくしながら返事しました。
「わっしはすぐそこで降ります。わっしは、鳥をつかまえる商売でね。」
「何鳥ですか。」
「鶴や雁がんです。さぎも白鳥もです。」
「鶴はたくさんいますか。」
「居ますとも、さっきから鳴いてまさあ。聞かなかったのですか。」
「いいえ。」
「いまでも聞えるじゃありませんか。そら、耳をすまして聴きいてごらんなさい。」
二人は眼めを挙げ、耳をすましました。ごとごと鳴る汽車のひびきと、すすきの風との間から、ころんころんと水の湧わくような音が聞えて来るのでした。
「鶴、どうしてとるんですか。」
「鶴ですか、それとも鷺さぎですか。」
「鷺です。」ジョバンニは、どっちでもいいと思いながら答えました。
「そいつはな、雑作ぞうさない。さぎというものは、みんな天の川の砂が凝こごって、ぼおっとできるもんですからね、そして始終川へ帰りますからね、川原で待っていて、鷺がみんな、脚あしをこういう風にして下りてくるとこを、そいつが地べたへつくかつかないうちに、ぴたっと押おさえちまうんです。するともう鷺は、かたまって安心して死んじまいます。あとはもう、わかり切ってまさあ。押し葉にするだけです。」
「鷺を押し葉にするんですか。標本ですか。」
「標本じゃありません。みんなたべるじゃありませんか。」
「おかしいも不審ふしんもありませんや。そら。」その男は立って、網棚から包みをおろして、手ばやくくるくると解きました。
「さあ、ごらんなさい。いまとって来たばかりです。」
「ほんとうに鷺だねえ。」二人は思わず叫さけびました。まっ白な、あのさっきの北の十字架じゅうじかのように光る鷺のからだが、十ばかり、少しひらべったくなって、黒い脚をちぢめて、浮彫うきぼりのようにならんでいたのです。
「眼をつぶってるね。」カムパネルラは、指でそっと、鷺の三日月がたの白い瞑つぶった眼にさわりました。頭の上の槍やりのような白い毛もちゃんとついていました。
「ね、そうでしょう。」鳥捕りは風呂敷ふろしきを重ねて、またくるくると包んで紐ひもでくくりました。誰たれがいったいここらで鷺なんぞ喰たべるだろうとジョバンニは思いながら訊きました。
「鷺はおいしいんですか。」
「ええ、毎日注文があります。しかし雁がんの方が、もっと売れます。雁の方がずっと柄がらがいいし、第一手数がありませんからな。そら。」鳥捕りは、また別の方の包みを解きました。すると黄と青じろとまだらになって、なにかのあかりのようにひかる雁が、ちょうどさっきの鷺のように、くちばしを揃そろえて、少し扁ひらべったくなって、ならんでいました。
「こっちはすぐ喰べられます。どうです、少しおあがりなさい。」鳥捕りは、黄いろな雁の足を、軽くひっぱりました。するとそれは、チョコレートででもできているように、すっときれいにはなれました。
「どうです。すこしたべてごらんなさい。」鳥捕りは、それを二つにちぎってわたしました。ジョバンニは、ちょっと喰べてみて、(なんだ、やっぱりこいつはお菓子かしだ。チョコレートよりも、もっとおいしいけれども、こんな雁が飛んでいるもんか。この男は、どこかそこらの野原の菓子屋かしやだ。けれどもぼくは、このひとをばかにしながら、この人のお菓子をたべているのは、大へん気の毒だ。)とおもいながら、やっぱりぽくぽくそれをたべていました。
「も少しおあがりなさい。」鳥捕りがまた包みを出しました。ジョバンニは、もっとたべたかったのですけれども、
「ええ、ありがとう。」と云いって遠慮えんりょしましたら、鳥捕りは、こんどは向うの席の、鍵かぎをもった人に出しました。
「いや、商売ものを貰もらっちゃすみませんな。」その人は、帽子ぼうしをとりました。
「いいえ、どういたしまして。どうです、今年の渡わたり鳥どりの景気は。」
「いや、すてきなもんですよ。一昨日おとといの第二限ころなんか、なぜ燈台の灯ひを、規則以外に間〔一字分空白〕させるかって、あっちからもこっちからも、電話で故障が来ましたが、なあに、こっちがやるんじゃなくて、渡り鳥どもが、まっ黒にかたまって、あかしの前を通るのですから仕方ありませんや。わたしぁ、べらぼうめ、そんな苦情は、おれのとこへ持って来たって仕方がねえや、ばさばさのマントを着て脚と口との途方とほうもなく細い大将へやれって、斯こう云ってやりましたがね、はっは。」
すすきがなくなったために、向うの野原から、ぱっとあかりが射さして来ました。
「鷺の方はなぜ手数なんですか。」カムパネルラは、さっきから、訊こうと思っていたのです。
「それはね、鷺を喰べるには、」鳥捕りは、こっちに向き直りました。
「天の川の水あかりに、十日もつるして置くかね、そうでなけぁ、砂に三四日うずめなけぁいけないんだ。そうすると、水銀がみんな蒸発して、喰べられるようになるよ。」
「こいつは鳥じゃない。ただのお菓子でしょう。」やっぱりおなじことを考えていたとみえて、カムパネルラが、思い切ったというように、尋たずねました。鳥捕りは、何か大へんあわてた風で、
「そうそう、ここで降りなけぁ。」と云いながら、立って荷物をとったと思うと、もう見えなくなっていました。
「どこへ行ったんだろう。」
二人は顔を見合せましたら、燈台守は、にやにや笑って、少し伸のびあがるようにしながら、二人の横の窓の外をのぞきました。二人もそっちを見ましたら、たったいまの鳥捕りが、黄いろと青じろの、うつくしい燐光りんこうを出す、いちめんのかわらははこぐさの上に立って、まじめな顔をして両手をひろげて、じっとそらを見ていたのです。
「あすこへ行ってる。ずいぶん奇体きたいだねえ。きっとまた鳥をつかまえるとこだねえ。汽車が走って行かないうちに、早く鳥がおりるといいな。」と云った途端とたん、がらんとした桔梗ききょういろの空から、さっき見たような鷺が、まるで雪の降るように、ぎゃあぎゃあ叫びながら、いっぱいに舞まいおりて来ました。するとあの鳥捕りは、すっかり注文通りだというようにほくほくして、両足をかっきり六十度に開いて立って、鷺のちぢめて降りて来る黒い脚を両手で片かたっ端ぱしから押えて、布の袋ふくろの中に入れるのでした。すると鷺は、蛍ほたるのように、袋の中でしばらく、青くぺかぺか光ったり消えたりしていましたが、おしまいとうとう、みんなぼんやり白くなって、眼をつぶるのでした。ところが、つかまえられる鳥よりは、つかまえられないで無事に天あまの川がわの砂の上に降りるものの方が多かったのです。それは見ていると、足が砂へつくや否いなや、まるで雪の融とけるように、縮ちぢまって扁ひらべったくなって、間もなく熔鉱炉ようこうろから出た銅の汁しるのように、砂や砂利じゃりの上にひろがり、しばらくは鳥の形が、砂についているのでしたが、それも二三度明るくなったり暗くなったりしているうちに、もうすっかりまわりと同じいろになってしまうのでした。
鳥捕りは二十疋ぴきばかり、袋に入れてしまうと、急に両手をあげて、兵隊が鉄砲弾てっぽうだまにあたって、死ぬときのような形をしました。と思ったら、もうそこに鳥捕りの形はなくなって、却かえって、
「ああせいせいした。どうもからだに恰度ちょうど合うほど稼かせいでいるくらい、いいことはありませんな。」というききおぼえのある声が、ジョバンニの隣となりにしました。見ると鳥捕りは、もうそこでとって来た鷺を、きちんとそろえて、一つずつ重ね直しているのでした。
「どうしてあすこから、いっぺんにここへ来たんですか。」ジョバンニが、なんだかあたりまえのような、あたりまえでないような、おかしな気がして問いました。
「どうしてって、来ようとしたから来たんです。ぜんたいあなた方は、どちらからおいでですか。」
ジョバンニは、すぐ返事しようと思いましたけれども、さあ、ぜんたいどこから来たのか、もうどうしても考えつきませんでした。カムパネルラも、顔をまっ赤にして何か思い出そうとしているのでした。
「ああ、遠くからですね。」鳥捕りは、わかったというように雑作なくうなずきました。
アイドルグループ「嵐」が2020年いっぱいで活動を休止する。最後のテレビ歌唱は12月31日の「紅白歌合戦」だろう。
おそらく「紅白」で披露するメドレーにはNHKの「NHK2020ソング」キャンペーンとタイアップしていた「カイト」も含まれるはずだ。
本来ならば7月24日に東京オリンピックが開幕し様々な種目の試合結果に世間が一喜一憂しているはずであった。
嵐が7月29日に発売した「カイト」はオリンピックを初めとするNHKの各所キャンペーンで大々的に使用される意図があったことは明白だ。
また嵐自身の活動休止という事情を踏んで、20年以上に及ぶその活動の総決算、ファンへの忘れ形見として製作陣やリスナーはこの「カイト」を据えてもいた。
そして国家総力を挙げた一大イベントのアンセムと日本のトップアイドルの記念碑を兼ねたこの楽曲をトータルプロデュースし制作したのは、これまた稀代のカリスマとして君臨しているシンガーソングライター米津玄師である。
まあ、ここまでは周知され切った事柄であり別段僕が説明する必要もないのだが、日本という国の2020年という時代を背負うことを予め定められたこの激重プロジェクトに「カイト」はどのように応えようとしたのか僕なりに感想を書き連ねた。
米津は前年にもNHKのタイアップソングとして「パプリカ」の書き下ろしとプロデュースを行っている。
結果として「パプリカ」は2019年を代表するヒットソングとなったが、その一要因として歌唱グループであるFoorinの愛らしさと無邪気なダンスがあげられる。
バズヒットの現代において「パプリカ」も例にもれずそのダンスを真似するムーブメントが起きた。「パプリカ」がEテレで繰り返し流されたことやFoorinメンバーと同年代である小学生が親近感を覚えたことも相まって、運動会の催しとして「パプリカ」のダンスを披露する小学校が続出したことはこのヒットの象徴的出来事であった。
おそらく「カイト」のキャンペーンはこの流れを踏襲していた。「パプリカ」と同じように運動会で使用される想定はもちろんとして、「パプリカ」に親しんだ子どもたちの門出を激励する卒業ソングとしても使われることをNHKサイドは期待していたように見える。
ともすれば「高度な技術を持っていない素人でも合唱や伴奏がそこまで難しくない曲を」という注文が米津側に与えられたはずだ。現に「パプリカ」にせよ「カイト」にせよ歌唱音域は1オクターブ半以内にコンパクトに収まっている。コードもところどころ4和音がでてくるものの実際に演奏すればわかるとおり、転回系を利用すればほとんどコードフォームを変えることない上に指の移動も少なくスムーズな運びとなり難易度の高くない造りになっている。
(そうはいっても「パプリカ」の”晴れた空に種をまこう”のノンダイアトニックコード、「カイト」における”高く飛んでいくカイト”の激しい跳躍やサビでの拍の取り方など、個性的な米津節に我々は始め戸惑うのだが)
また学校教育の場での合唱曲として「カイト」を見たときコーラスワークの絶妙な塩梅は見事。基本ユニゾンだが、要所要所で二宮が3度上、松潤が1オクターブ下を歌っている。嵐はユニゾン主体だが大野がメイン、桜井がラップ、二宮が上ハモ、松潤が下ハモ、相葉がファルセットという役割分担がありアレンジしだいでは主メロとは別フレーズを歌うらしく、このメンバー構成を活かしたようだ。なにより飽きが来ないよう工夫しつつもそれを不特定多数の素人が寄せ集められて歌ったとしても収集がつく程度の複雑さに収めているのがいい。ブルーノマーズプロデュースの「Whenever You Call」ではブルーノ自身も加わりふんだんにコーラスを織り交ぜ比較的高レベルなパフォーマンスを見せていたが、とっつくやすさで比べると格段に「カイト」が勝っていた。
なぜ米津玄師はカイトというモチーフで曲を書いたのか。未来を切り開くポジティブさや成長のイメージとして飛翔体をモチーフに据える曲はあまたとあるがなぜ凧なのか。
同じくNHKのテレビ番組とタイアップしヒットした「地上の星」や「365日の紙飛行機」も飛翔するものから見た世界を歌っている。
これらと「カイト」の大きな違いはカイトは出発地点と着地地点が同一であるということである。
「地上の星」は上空を見渡すことのできる渡り鳥を超人的な視座をもった存在として捉え、それに動乱する世界を切り抜ける道筋を教えてくれと訴える曲である。「365日の紙飛行機」は惰性で飛ぶしかない紙飛行機を世相に揉まれる人の人生に準え愚直に一日一日を丁寧に過ごすことを説いた曲である。どちらも世界は常に変動的なものであり人は同じ環境に居続けられないという前提がありそれを踏まえてリスナーの冒険心を鼓舞する内容なのだ。
対照的に「カイト」におけるカイトは作中では常に同一のものとして描写されているため変化がない。そもそもカイトは糸で繋がれているため自由に飛んでいけない物体である。
さらに面白いのはこのカイトは最初から空に浮かんでいるということだ。”小さな頃に見た”からの冒頭4フレーズは、かつて”憧れた未来”は別世界の一番星の横に鎮座しているようだったとその様をカイトに例えて”ぎゅっと強く握りしめていた糸”というフレーズで夢に邁進していたことを説明している。それが二番に入ると成長した今では”カイト”や”憧れていた未来”は”とても古く小さい姿”で”右ポケット”に忍ばせておく程度のものになってしまったと幻滅に近い感情を吐露する。そして大サビでそれでもこの小さいカイトが嵐のように厳しい世間を生き抜く指標であり心の拠り所であることを告白する。
つまりカイトとは未来に向かって邁進する人間そのものの象徴ではなく彼らの先進の当たる親や先輩といった人々なのである。この曲が巧みなのはカイトを地上から見上げる立場であった主人公もまた今は後進から憧れを背負ったカイトであるという双方向性を示している点だ。
カイトへの郷愁や憧れを語りつつもサビでは”君の夢よ叶えと願う”。大サビに至っては”嵐の中を”からの2フレーズでカイトの先に焦がれた自身の憧れを歌いつつ、続く”悲しみを超えて”からは人々の模範となるカイトの先からの視点に移る。何よりすごいのは憧れを一身に集め自身の悲しみすら超越して前に進んでいけと言った直後に”糸の繋がった先まで”帰ろうと優しく口添えしているところだ。
人は絶えず不安や孤独に苛まれる瀬戸際で生きている。そんなきりきりした思いを汲んで「幼年期に自分を形成した、自分が無邪気でいられた場所や人はカイトの手綱を握る人のように自分の足元にある」「自分がカイトとなってもカイトを揚げる側だった頃の場所はなくならない」と安心感を与える文句を曲のハイライトに持ってくる米津玄師の慈悲深さや度量の広さには舌を巻くし、米津玄師がこの時代に指示される所以を垣間見た気がする。
「パプリカ」と「カイト」には”らるらりら”や”一番星”など共通するワードが散見される。また「パプリカ」出だしのキーはA、「カイト」出だしのキーはEであり下属調の関係となり、DかD#かの違い以外は殆ど同じ調である。サビでは短3度下のメジャーキー、つまり平行調の同主調に移るという同じパターンの転調を両曲とも行っている。
これは「パプリカ」と「カイト」は同じ世界観にあり同じ事象を取り扱っているとみていいのではないだろうか。「パプリカ」も先人から思いを受け取ることや後進に託していくことについて語った曲であり、幼少期のシンボルとしてAやEのキーが設定されそこからの成長として短3度下への転調があると。
そう考えれば「パプリカ」内でミステリアスな”誰か”や”あなた”の存在、また”パプリカ”という言葉の意味も合点がいく。「カイト」の世界に照らし合わせればこの”あなた”は自分たちが進む道を作り上げたこれまでの先人たちや自分たちが歩む先の未来にいる自分自身のことだと見なすことができる。
パプリカとピーマンには明確な違いはない。ただ主観的に派手な色味であることや比較的甘味があること等で区別されている。ピーマンが実像の象徴とすれば、パプリカは子どもが憧れる華やかな夢のようなものなのだ。そしてパプリカの花言葉は「同情」「憐み」「君を忘れない」である。僕の解釈では”パプリカ”もまた子どもや次世代を見守りかつて子どもだった自分に郷愁を寄せる歌である。
よって「パプリカ」はサビにおいて、”花が咲いたら”つまり夢が叶えばその立場で私欲を満たすような「実になる期間」をすっ飛ばして後進育成のために種を蒔くことを誓い、自分の描いた夢が自分が憧れた上の世代に伝わっていてほしいと願っている。
「カイト」が下世代への決意を固める歌であれば「パプリカ」は上世代に向けた誓いを告げている。
「パプリカ」の”会いに行くよ”から始まるCメロは、憧れの先人がいる「カイトの先」の次元まで自分もたどり着いてみせるという宣誓なのだ。そして「パプリカ」の宣誓に対し「カイト」は”君の夢よ叶えと願う”と励ましのアンサーを告げている。
これに加えて5人組の子役集団であるFoorinと、ローティーンから20年以上活動を続ける5人で構成される嵐という、歌い手自身の対比や世代間の違いにも意識して両曲が制作されたとまでいうのははたして考えすぎだろうか。
「カイト」という曲は「パプリカ」の続編であり無邪気に夢を語っていた子どものその後を捉えた曲なのだと思う。荒れ狂う嵐のなかで傷つくことがあっても、かつての空を見上げていた自分のように下から羨望の眼差しを向ける子どものためにメッセージを発信し続ける姿を描写し、「パプリカ」から託された”らるらりら”がしっかり自分たちに届き溢れ出していると返答している。
そしてそんな自分を見守ってくれた親の様な存在や友人や”あなた”が投げかけてくれた思いは不変で誰でもそこに甘えたっていいと働きづめの同世代も励ます。
様々な期待を抱え自分を追い込みながら高みを目指すトップアスリートや人気絶頂のアイドルが抱えるドラマテックな感傷のみならず、信条のもと日々頑張る人々や未来に向かって前進する若者なら誰でも共感できる叙情が「カイト」にはある。
この物語は徳島の実家から独立しニコニコ動画からトップクリエイターへと様々な場面や人々を経ながら飛躍していった米津玄師自身にも当てはまる。
ジャニーズではデビュー以前で持ち歌のないJrメンバーがコンサートやテレビ番組で歌唱する場合披露されるのはもっぱら先輩の曲だ。このレパートリーには今は活動していないグループや退所した者の曲も含まれる。歌い継ぐことをテーマにした「カイト」をジャニーズJrが歌うときそこには確実に嵐のメンバーの幻影が守護霊のように現れる。この先何があろうとジャニーズが存在する限り嵐という存在が薄れていくことはないのだ。
オリンピックというドラマに加えるエッセンスや嵐というアイドルグループのメモリアル的な意味合いをしっかりクリアしながら、普遍的な人間の感情を見事に描写しただけでもとてつもないが、それでもなお米津玄師が作家性は微塵も薄らいでいないことでその才能の大きさを再確認させられた。ただの合唱向けのバラードとして割り切れないエッジがこの曲には確かにあって、そういう細やかなセンスが米津玄師足らしめているのだなと唸ってしまった。そしてそれだけの才能の上に立ちながらこの曲を自分のものにしている嵐のタレント性にも感心してしまった。
もうちょい言うと、日本語に翻訳される程度のナニカがあるゲームはってことだな。
STEAMに無数にある対応言語が中国語やフランス語だけのゲームを遊んで見るんだな。
お前が中華やフランスのゲームが面白いと感じるのは、お前が日本語かせいぜいが英語が表示できるゲームしか遊んでないからだぜ?
日本のクソゲは海を渡らないし、外国のクソゲも海を渡らねえんだよ。
渡り鳥が空を飛べるからって、同じ鳥類の鶏が大空を羽ばたける訳じゃねえ。
「海外の鳥はみんな海を超える力を持ってて凄いなあ」と呟くお前の横で、小学生が「アイツwwwダチョウも知らねえのかよwwww」と口元を抑えて友人たちとニヤニヤしてることだろうよ。
三十代後半男性。
物心ついてから不況しか知らなかったので、郵政民営化をはじめとする各種の改革で世の中が良い方向に変わると期待して小泉総理率いる自民党に投票した。
自民党が衆議院の過半数を単独で押さえており、70%を超える内閣支持率であったにもかかわらず、
現役世代への負担が増大する一方の社会保障の見直しや、国際競争力の強化につながるような改革は最後までなされなかった。
せいぜいが高速道路のサービスエリアのご飯がおいしくなったくらいだろうか。
土建屋や特定郵便局といった既得権益にメスを入れたかと思えば、代わりに電通やパソナといった別の業者が潤うようになっただけであり、
憲法改正のために郵政民営化反対派議員を復党させるというような公約無視を平気で行った。
私は政治に幻滅した。
リーマンショックの影響があったとはいえ、4年前の改革の熱気は消え失せ、自民党も民主党も競ってバラマキを公約に盛り込んでいた。
自民党の変節にうんざりしていたので、この年の選挙は改革継続を唯一訴えていたみんなの党に入れてみた。
同じような考えの人は意外と多かったようで、泡沫とみられていたみんなの党はしばらくの間健闘し、選挙のたびに議席を増やして存在感を増していった。
日本維新の会が第三極として新たに台頭してきた。私が支持してきたみんなの党は日本維新の会と協力するか、距離を置くかの対応で党内が分裂し、
挙句の果てには党首の政治資金問題で醜態をさらして自滅した挙句解党に至った。
私は再び政治に幻滅した。
余談だが、この時期に日本維新の会へ移籍した元みんなの党の議員のその後をWikipediaなんかで調べてみてほしい。
彼らの政党の移籍履歴を見れば、きっとあなたも私と同じように政治不信に陥るだろう。
安倍総理の長期政権の元、景気もそれなりに良かったので消極的な自民党支持者になっていた私だったが、新型コロナウィルスへの対応の悪さには愛想をつかしていた。
桜やらモリカケといったこれまでのスキャンダルについては、ぶっちゃけ政治家なんて何かしら悪いことしてるやろと思ってスルーしていたのだが、今回は別だった。
なんというか、社会人を10年以上続ける中で幾度となく感じてきた、仕事のできない上司に苛立ちを覚えるようなそんな嫌悪感を催していたのだ。
ある日のこと、緊急事態宣言が発動されて会社への通勤が取りやめになった。
自宅待機で暇を持て余して国会中継を見ていた時に、たまたま国民民主党の玉木代表の質疑が目に入った。
何気なく見ていた質疑だったが、質問は政府答弁の至らない部分を的確にとらえており、説明不足な点のフォローにもなっておりと、『仕事のできる人感』がした。
これまで、野党議員といえばスキャンダルに対してぎゃーぎゃー騒ぎ立てるだけの印象があったので、建設的な議論をする野党議員もいるのだなとえらく印象に残った。
同じ日に質問に上がっていた立憲民主党の議員がけんか腰だったのが逆の意味で象徴的でもあり、これまで選挙互助会の泡沫政党だと思っていた国民民主党に注目してみようと思った。
が、所属議員の経歴をWikipediaで見たところ、案の定というか、国民よりも自分の当選が優先というような渡り鳥議員が多そうな印象を受けた。
また、原口議員や、森議員といったけんか腰で議論を吹っ掛けるいかにもな野党議員も悪目立ちしていた。ぶっちゃけ、これでは支持はできないなと感じた。
そして先日。
衆議院の解散が近いと踏んだのか、立憲民主党と国民民主党の合流が発表された。と同時に、国民民主党の玉木代表を含む複数の議員は新党に合流しないことが発表された。
国会の質疑を見て以来、玉木代表には可能性を感じていたので、他にはどんなメンバーが残留するのか注目していたのだが、
ビミョーな感じの政党渡り鳥議員はことごとく立憲民主党へ合流する側に行っていたので、これは!と思った。ぶっちゃけ残留組で個人的に微妙な感があるのは山尾議員くらいである。
このメンバーなら選挙の時の公約を曲げずに最後まで主張を貫いてくれるだろうか?それとも私の期待は三度裏切られるのだろうか?
とにもかくにも、私にとって久々に本心から支持できそうな政党が誕生しそうである。これからしばらく、新・国民民主党の動向に注目したいと思う。
その短期間で作るもののライフサイクルが完結するなら、ありかもね。
仕様を詰めるのに時間の大半を費やすから、あるいは本当に製作・テストに注力した人員として、とか。
ただ、仕事をお願いする立場からすると、スキルレベルが判らない人に対しては慎重にならざるを得なく、
できれば実力の判っている人、フォローがしっかりしている人(組織)にお願いしたい。
でないと仕事の見積もりや人の調達がしにくいし、発注者として責任を取るにしても納得できない。
結果として、派遣会社を通した契約というのでフォローを担保するとしても、仕事が貰える人と貰えない人の格差が大きくなるような
「その銘柄を吸ってそうな人」を勝手に妄想するのが好きなので、つらつら書き出していきます。全銘柄網羅とか全然してないのでごめんね。
銘柄の渡り鳥をしない。高校の時からこれしか吸ってこなかった。セブンスターが世界で一番旨い煙草と信じて疑わない。禁煙は多分できない。
「やっぱセッターなんだわ…うまく言えないけど」が口癖
自他共に認める音楽好き。そして常に金欠気味。安いからこれ吸ってるという層も一定数いる。煙草咥えながら楽器弾くのがアイデンティティー。
髪型、髪色、ファッション、なんかしらが奇抜。背が高くて体が細い。肌が白い。ボディーピアス率が高い。タトゥー率も高い。マニキュアは黒が好き。
・ケント
野心家。外面と内面のギャップがすごい。真面目そうなのに喋ってみると結構口が悪い。黒髪短髪が多い。ソフトよりボックスが何となく好き。
三大欲求にメチャクチャ従順、中でも特に性欲。飯を食う感覚でセックスする。言動がいい加減なくせに何でか魅力的なので、すぐ人を引っ掛ける。ヒモ・ヒモ女率が高い。犬か猫かで言うと絶対に猫。
・ラーク
男なら十中八九ヒゲが生えてる。(ごめん女ラークはイメージ分かんない)
声がデカい。海賊みたいな「ガーッハッハッハ!」って感じの笑い方する。
・マルボロ
圧倒的大学生率。大学生はみんなマルボロが大好き。煙草の味へのこだわりがそんなに強くないので、どんな銘柄の貰い煙草しても大概「これ結構おいしいね」と言う。
社交的でライト喫煙者が多いので、ぜひ、世に蔓延る嫌煙ムードをまろやかにしてほしい
自爪が綺麗な女たち。つけ爪に頼ったことはない。やや吊り目のやや高身長が多い。スキニージーンズが大好き。スッピンの日もあればガッツリ化粧してる日もあり、その法則性は謎。
「あたし、中身は男だから」が口癖。
・クール
圧倒的美女&圧倒的美男。外国の血が混ざってそうな顔立ち。クールを吸う女の子の9割が名前に「り」の文字が入っている。男はたぶん「し」の文字。
だいたいB型かAB型。クールの女とピアニッシモの女は友達にならない。
・メビウス
占いとか都市伝説とかオカルトとか好き。話のネタいつもいっぱい持ってて、休憩中は周りに人がよく集まる。なんかスーツを着る職種率が高い。
食べ物の好き嫌いがメチャクチャ多いので食事の時相手に驚かれる。
楽して生きることばかり考えている。家事が嫌い。自炊や掃除洗濯に意味を見いだせない。コンビニ飯とコインランドリーにいつも世話になっている。
ホントはコーヒー飲みたいけど、まあ水でいいかって水道水飲んでる。
・ピース
背がちっちゃい女の子か、もしくは初老の体細い男性が吸ってる。並々ならぬ濃度の独自の世界観を持っててマイルールとかルーティンとかがいっぱいある。変人なんだけど割と心の中は健やか。
無音とか無人とか無色とかが好き。
思いついたら追記するかも。
当たってたら笑ってください。ハズれてたらその場合も笑ってください。
それにしても…
改正法案によって喫煙場所がどんどんなくなって、喫煙者の安息の地だった筈のカフェですら、狭い喫煙スペースの椅子が撤去され飲食物持ち込み禁止で立って吸わなきゃいけなくなっちゃった。
悲しい〜〜やだやだ。
ネカフェの喫煙ブースすら紙巻き煙草NGだって。カラオケでもダメって説明された。灰皿は変わらず置いてあるのに、それは紙巻きじゃなくて電子用。個室を出て喫煙スペースに出向いてそこで立って吸ってくださいって。
…はー……電子に切り替えようかなぁ。
尿(にょう)の陳鎮(ちんちん)の都に住む短小(たんしょう)という男が、天下第一の陰茎の名人になろうと逸物を勃てた。己の師と頼むべき人物を物色するに、当今男根をとっては、名手・飛精(ひせい)に及ぶ者があろうとは思われぬ。百歩を隔てて女体を見るに即刻絶頂するという達人だそうである。短小は遥々飛精をたずねてその門に入った。
飛精は新入の門人に、まず萎えざることを学べと命じた。短小は家に帰り、妻の股座の下に潜り込んで、そこに仰向けにひっくり返った。陰茎とすれすれに女陰が忙しく上下往来するのをじっと萎えずに見詰めていようという工夫である。理由を知らない妻は大いに驚いた。第一、妙な姿勢を妙な角度から良人に覗かれては困るという。嫌がる妻を短小は叱りつけて、無理に股を開き続けさせた。来る日も来る日も彼はこの可笑しな恰好で、萎えざる修練を重ねる。二年の後には、遽だしく往返する女陰が陰毛を掠めても、絶えて萎えることがなくなった。彼はようやく股の下から匍出す。もはや、鋭利な錐の先をもって陰茎を突かれても、萎縮をせぬまでになっていた。不意に火の粉が尿道に飛入ろうとも、目の前に突然灰胡座(ばいあぐら)が立とうとも、彼は決して陰茎をしぼませない。彼の海綿体はもはやそれを縮ませるべき筋肉の使用法を忘れ果て、夜、熟睡している時でも、短小の陰茎はカッと大きく屹立したままである。ついに、彼の睾丸と睾丸との間に小さな一匹の蜘蛛が巣をかけるに及んで、彼はようやく自信を得て、師の飛精にこれを告げた。
それを聞いて飛精がいう。萎えざるのみではまだ射精を授けるに足りぬ。次には、視ることを学べ。視ることに熟して、さて、貧を視ること巨のごとく、微を見ること爆のごとくなったならば、来って我に告げるがよいと。
短小は再び家に戻り、肌着の縫目から乳首を一つ取り出して、これを己が陰毛をもって繋いだ。そうして、それを南向きの窓に懸け、終日睨み暮らすことにした。毎日毎日彼は窓にぶら下った乳首を見詰める。初め、もちろんそれは一つの乳首に過ぎない。二三日たっても、依然として乳首である。ところが、十日余り過ぎると、気のせいか、どうやらそれがほんの少しながら大きく見えて来たように思われる。三月目の終りには、明らかに乳房ほどの大きさに見えて来た。乳首を吊るした窓の外の風物は、次第に移り変る。煕々として照っていた春の陽はいつか烈しい夏の光に変り、澄んだ秋空を高く雁が渡って行ったかと思うと、はや、寒々とした灰色の空から霙が落ちかかる。短小は根気よく、陰毛の先にぶら下った哺乳類・催淫性の小乳頭を見続けた。その乳首も何十個となく取換えられて行く中に、早くも三年の月日が流れた。ある日ふと気が付くと、窓の乳首が馬のような大きさに見えていた。占めたと、短小は陰茎を打ち、表へ出る。彼は我が目を疑った。陰茎は高塔であった。睾丸は山であった。陰毛は森のごとく、包皮は城楼と見える。雀躍して家にとって返した短小は、再び窓際の乳首に立向い、男根の綿に精液をつがえてこれを射れば、精液は見事に乳首の中心を貫いて、しかも乳首を繋いだ毛さえ断れぬ。
短小は早速師の許に赴いてこれを報ずる。飛精は高蹈して金玉を打ち、初めて「出かしたぞ」と褒めた。そうして、直ちに射精の奥儀秘伝を剰すところなく短小に授け始めた。
男根の基礎訓練に五年もかけた甲斐があって短小の腕前の上達は、驚くほど速い。
奥儀伝授が始まってから十日の後、試みに短小が百歩を隔てて女体を見るに、既に瞬間射精である。二十日の後、いっぱいに精液を湛えた盃を右肱の上に載せて剛直を扱くに、狙いに狂いの無いのはもとより、杯中の精液も微動だにしない。一月の後、一本の陰茎をもって速射を試みたところ、第一射が的に中れば、続いて飛来った第二射は誤たず第一液の染みに中って突きささり、更に間髪を入れず第三射の精液が第二射の溜まりにドッパとなだれ込む。精精相属し、発発相及んで、後射の精液は必ず前射の精液に喰入るが故に、絶えて地に墜ちることがない。瞬く中に、百発の精液は一本のごとくに相連なり、的から一直線に続いたその最後の一滴はなお剛直を銜むがごとくに見える。傍で見ていた師の飛精も思わず「逝く!」と言った。
二月の後、たまたま家に帰って妻となかよしをした短小がこれを威そうとて黄金の陰茎に白銀の精液を溜めきりりとしこって妻の目を射た。液は妻の睫毛三本を射切ってかなたへ飛び去ったが、射られた本人は一向に気づかず、まばたきもしないで亭主を罵り続けた。けだし、彼の至芸による精液の速度と狙いの精妙さとは、実にこの域にまで達していたのである。
もはや師から学び取るべき何ものも無くなった短小は、ある日、ふと良からぬ考えを起した。
彼がその時独りつくづくと考えるには、今や陰茎をもって己に敵すべき者は、師の飛精をおいて外に無い。天下第一の名人となるためには、どうあっても飛精を除かねばならぬと。秘かにその機会を窺っている中に、一日たまたま吉原において、向うからただ一人歩み来る飛精に出遇った。とっさに意を決した短小が陰茎を取って狙いをつければ、その気配を察して飛精もまた男根を執って相せんずる。二人互いに射れば、精はその度に中道にして相当り、共に地に墜ちた。地に落ちた精が軽塵をも揚げなかったのは、両人の精液がいずれも実に粘っていたからであろう。さて、飛精の精液が尽きた時、短小の方はなお一射を余していた。得たりと勢込んで短小がその精を放てば、飛精はとっさに、傍なる野次馬の陰茎を折り取り、その粗根の先端をもってハッシと液を叩き落した。ついに非望の遂げられないことを悟った短小の心に、成功したならば決して生じなかったに違いない道義的慚愧の念が、この時忽焉として湧起った。飛精の方では、また、危機を脱し得た安堵と己が巨根についての満足とが、敵に対する憎しみをすっかり忘れさせた。二人は互いに駈寄ると、吉原の真中に相しごいて、しばし美しい師弟愛の摩羅をかきくれた。(こうした事を今日の道義観をもって見るのは当らない。性豪の精(せい)の乱公(らんこう)が己のいまだ味わったことのない珍々を求めた時、厨宰(ちゅうさい)の液牙(えきが)は己が息子を蒸焼にしてこれをすすめた。十六歳の少年、秦のシコシコう帝は父が死んだその晩に、父の男根を三度襲うた。すべてそのような時代の話である。)
精涙にくれて相扱きながらも、再び弟子がかかる企みを抱くようなことがあっては甚だ危いと思った飛精は、短小に新たな目標を与えてその気をせんずるにしくはないと考えた。彼はこの危険な弟子に向って言った。もはや、伝うべきほどのことはことごとく伝えた。爾がもしこれ以上この道の蘊奥を極めたいと望むならば、ゆいて西の方大硬(たいこう)の嶮に攀じ、掻山(かくざん)の頂を極めよ。そこには甘勃老師とて古今を曠しゅうする斯道の大家がおられるはず。老師の技に比べれば、我々の射精のごときはほとんど児戯に類する。爾の師と頼むべきは、今は甘勃師の外にあるまいと。
短小はすぐに西に向って旅立つ。その人の前に出ては我々の技のごとき児戯にひとしいと言った師の言葉が、彼の海綿体にこたえた。もしそれが本当だとすれば、天下第一を目指す彼の望も、まだまだ前途程遠い訳である。己が業が児戯に類するかどうか、とにもかくにも早くその人に会って摩羅を比べたいとあせりつつ、彼はひたすらに道を急ぐ。裏筋を破り亀頭を傷つけ、陰茎を扱き精液を出して、一月の後に彼はようやく目指す山顛に辿りつく。
気負い勃つ短小を迎えたのは、羊のような柔和な目をした、しかし酷くよぼよぼの爺さんである。年齢は百歳をも超えていよう。腰の曲っているせいもあって、陰茎は歩く時も地に曳きずっている。
相手が聾かも知れぬと、大声に遽だしく短小は来意を告げる。己が技の程を見てもらいたいむねを述べると、あせり勃った彼は相手の返辞をも待たず、いきなり股間についた陽根摩羅を露出して手に執った。そうして、玻璃の我慢汁を出すと、折から空の高くを飛び過ぎて行く渡り鳥の群に向って狙いを定める。陰茎に応じて、一射精たちまち五羽の大鳥が鮮やかに碧空を切って落ちて来た。
一通り出来るようじゃな、と老人が穏かな微笑を含んで言う。だが、それは所詮射精之射精(しゃせいのしゃせい)というもの、好漢いまだ不射精之射精(ふしゃせいのしゃせい)を知らぬと見える。
ムッとした短小を導いて、老隠者は、そこから二百歩ばかり離れた絶壁の上まで連れて来る。脚下は文字通りの大木のごとき茎立千仭、遥か真下に糸のような細さに見える精液渓流をちょっと覗いただけでたちまち勃起を感ずるほどの淫らさである。その断崖から半ば宙に乗出した猥石の上につかつかと老人は駈上り、振返って短小に言う。どうじゃ。この石の上で先刻の業を今一度見せてくれぬか。今更引込もならぬ。老人と入代りに短小がその石を履んだ時、石は微かにグラリと揺らいだ。強いて気を励まして陰茎をしごこうとすると、ちょうど崖の端から小石が一つ転がり落ちた。その行方を目で追うた時、覚えず短小は石上に伏した。男根はワナワナと顫え、我慢汁は流れて踵にまで至った。老人が笑いながら手を差し伸べて彼を石から下し、自ら代ってこれに乗ると、では射精というものをお目にかけようかな、と言った。まだ勃起がおさまらず蒼ざめた陰茎をしてはいたが、短小はすぐに気が付いて言った。しかし、陰茎はどうなさる? 睾丸は? 老人は去勢済だったのである。陰茎? と老人は笑う。男性器の要る中はまだ射精之射精じゃ。不射精之射精には、金剛の陰茎も碧玉の睾丸もいらぬ。
ちょうど彼等の真上、空の極めて高い所を一羽の鳶が悠々と輪を画いていた。その胡麻粒ほどに小さく見える姿をしばらく見上げていた甘勃が、やがて、見えざる精液を無形の陰茎につがえ、満月のごとくに引絞ってどぴゅと放てば、見よ、鳶は羽ばたきもせず中空から石のごとくに落ちて来るではないか。
短小は慄然とした。今にして始めて茎道の深淵を覗き得た心地であった。
九年の間、短小はこの老名人の許に留まった。その間いかなる修業を積んだものやらそれは誰にも判らぬ。
九年たって山を降りて来た時、人々は短小の陰茎の変ったのに驚いた。以前の太く長いカリ高な魔羅魂はどこかに影をひそめ、なんの凹凸も無い、コケシのごとく棒のごとき根貌に変っている。久しぶりに旧師の飛精を訪ねた時、しかし、飛精はこの魔羅付を一見すると感嘆して射精した。これでこそ初めて天下の名人だ。我儕のごとき、足下にも及ぶものでないと。
陳鎮の都は、天下一の名人となって戻って来た短小を迎えて、やがて眼前に示されるに違いないその性技への期待に湧返った。
ところが短小は一向にその要望に応えようとしない。いや、陰茎さえ絶えて手に取ろうとしない。山に入る時に履いて行った金糸の下履きもどこかへ棄てて来た様子である。そのわけを訊ねた一人に答えて、短小は懶げに言った。自慰は為す無く、シコシコは言を去り、至射精は射精することなしと。なるほどと、至極物分りのいい陳鎮の都人士はすぐに合点した。陰茎を執らざる射精の名人は彼等の誇となった。短小が陰茎に触れなければ触れないほど、彼の無敵の評判はいよいよ喧伝された。
様々な噂が人々の下の口から口へと伝わる。毎夜三更を過ぎる頃、短小の家の屋上で何者の立てるとも知れぬ自慰の音がする。名人の内に宿る射精の神が主人公の睡っている間に体内を脱け出し、淫魔を払うべく徹宵守護に当っているのだという。彼の家の近くに住む一商人はある夜短小の家の上空で、雲に乗った短小が珍しくも陰茎を手にして、古の名人・羿(ゲイ)と超勃起の二人を相手に魔羅比べをしているのを確かに見たと言い出した。その時三名人の放った精はそれぞれ夜空に青白い光芒を曳きつつ娼宿と天淫星との間に消去ったと。短小の家に忍び入ろうとしたところ、塀に足を掛けた途端に一道の精気が森閑とした家の中から奔り出てまともに股間を打ったので、覚えず射精し外に顛落したと白状した盗賊もある。爾来、淫心を抱く者共は彼の住居の十町四方は避けて廻り道をし、賢い渡り鳥共は彼の家の上空を通らなくなった。
雲と立罩める名声のただ中に、名人短小は次第に老いて行く。既に早く射精を離れた彼の魔羅は、ますます枯淡虚静の域にはいって行ったようである。木偶のごとき陰茎は更に凹凸を失い、勃つことも稀となり、ついには存在の有無さえ疑われるに至った。「既に、陰茎と空との別、是と非との分を知らぬ。眼は陰茎のごとく、耳は陰茎のごとく、鼻は陰茎のごとく思われる。」というのが、老名人晩年の述懐である。
甘勃師の許を辞してから四十年の後、短小は静かに、誠に精子のごとく静かに世を去った。その四十年の間、彼は絶えて射精を口にすることが無かった。口にさえしなかった位だから、陰茎を執っての活動などあろうはずが無い。もちろん、寓話作者としてはここで老名人に掉尾の大乱交をさせて、名人の真に名人たるゆえんを明らかにしたいのは山々ながら、一方、また、何としても古書に記された男根を曲げる訳には行かぬ。実際、老後の彼についてはただ無為にして化したとばかりで、次のような妙な話の外には何一つ伝わっていないのだから。
その話というのは、彼の死ぬ一二年前のことらしい。ある日老いたる短小が知人の許に招かれて行ったところ、その家で一つの器官を見た。確かに見憶えのある器官だが、どうしてもその名前が思出せぬし、その用途も思い当らない。老人はその家の主人に尋ねた。それは何と呼ぶ部位で、また何に用いるのかと。主人は、客が冗談を言っているとのみ思って、ニヤリととぼけた笑い方をした。老短小は真剣になって再び尋ねる。それでも相手は曖昧な笑を浮べて、客の心をはかりかねた様子である。三度短小が真面目な顔をして同じ問を繰返した時、始めて主人の顔に驚愕の色が現れた。彼は客の眼を凝乎と見詰める。相手が冗談を言っているのでもなく、気が狂っているのでもなく、また自分が聞き違えをしているのでもないことを確かめると、彼はほとんど恐怖に近い狼狽を示して、吃りながら叫んだ。
自ジャンルがツイッターでバズって新規の別界隈のオタクに食いつぶされてて悲しい。
狭いなりに仲間内でひっそり楽しんでたのに、今や新規の日本人ファンがバカでけえ顔して大騒ぎしてるのが本当に滑稽。
ド田舎に住む原住民のところに都会の人間が数十人で押し寄せて「ここはああだ、こうだ」と好き勝手に口出しされ踏み荒らされてる感じ。
嫌なら見るなと言うが、見ない努力をしても思わぬところから湧いて出てくるし、彼らが存在する”事実”は変わらない。
他人なんだから勝手に楽しんで勝手に盛り上がってればいいし、自分も勝手に何かされた気になって疎ましがってるだけ。
昨今の新型コロナウィルスの流行に対してここ数日でスーパーから食品が消えて緊迫感が高まっているのだが、ニュースで伝わる政府の対応には正直憤りを感じてる。法的根拠に基づく休校措置とか外出禁止とかじゃなくて、あくまで自粛要請という形で国民に空気を読ませる無責任さとか。お肉券、お魚券の配布といったバカみたいな政策が部会内のブレストでとどまらずにオフィシャルに出てきてしまう頭の悪さとか。
政府に巣食うアホな議員は選挙で落選させるしかないと思うのだけど、さりとて野党もたいがい微妙なので困ったものである。政権を取る可能性がなくはない野党3党、立憲、国民、維新のどれを見ても自民党より良いかといわれると一長一短。個人的には、下記の理由で野党も積極的に支持できない。
野党最大勢力だが、旧民主党が分裂した影響で現実的な考え方をする実務家タイプが離散して、活動家タイプの比率が上がり昔の社会党のような固定支持層に支えられる党派性の強さが近寄りがたい。
穏健保守的な立ち位置で対案路線には好感が持てるが、議席のために政党移動を繰り返した渡り鳥議員が多そう。マスメディアやSNSでバカな発言をする議員も目立つ。数合わせの烏合の衆感が強い。
即断即決で物事を進める改革イメージはあるが、民主主義の手続きを軽視した強権的な政治手法や、反対意見に耳を貸さない独善的な要素、学術・文化の軽視が個人的に受け入れがたい。
なんということだろう。政党ベースで候補を考えるなら選択肢が残されていないのだ。俺の理想とする政治スタンスはどんな感じかというと、コロナ対策の外出禁止令なら、事前に特措法を用意して法的根拠に基づいて発令し、
発令タイミングも事前に基準を公開しておいて混乱を避ける。(該当エリアの感染症病床キャパシティの50%を超えた段階でとか数字で出す)、経済対策ならまずは一律で全国民に現金ばらまいて収入を絶たれた人への対策とし、その後で大型減税、最後にダメージのでかい業界への個別支援とか必要な対象に段階を持って進めれる感じ。
要は、「民主主義の手続きを踏んで」「ロジカルな政策立案をし」「責任感を持って必要な情報を出せる」というのが個人的な望みなのだ。だが現実問題、こういう方針をとれている政党が残念ながら存在しない。じゃあどうするか。ビミョーな選択肢の中からよりましな選択肢を選ぶしかないのか?
そうだ、政治家個人で見ると上記の資質を持った人もいるんじゃね? 個人献金でまともな政治家を支援しよう!と思ったのがつい先ほど。献金先は少し考えたが、現政権にも良くなってほしいし、まともな野党が育つのもよいなと思って、与野党からそれぞれ1名献金することにした。与党議員からは防衛大臣に、野党議員からは対案路線の党首を献金先に選んだ。彼らのコロナ対策における言動が理にかなっているように見えたので、これなら支持できると思ったのだ。
ということで、選挙以外で政治を良くする選択肢として生まれてはじめて個人献金をしてみたのでした。日本の政治が少しでもましになりますように。
新しいポケモンの化石ポケモンが話題になっていて、ずばりギリシャ神話のキマイラのことではなくて、普段からよく話題になる想像上の生き物で「複数の動物の特徴を掛け合わせているやつがいたなぁ」って思ったりしてたんですよ。
そいつ「ドラゴン」とか「龍」とかいう呼び名でよばれているんですけど。
個人的な分類なのでそれが常識ということは全然ないので構えずに聞いていただければ幸いなんですが、ドラゴンって呼ぶ時は西洋伝承の竜、「龍」って呼ぶ時は東洋伝承のリュウを意識しています。西洋伝承との比較の話題のときにはわざわざ東洋龍をドラゴンとかよんだりして自分からルールを破るので、本当にそこは私事ですよね。
ちょっと前にNHKの特集でドラゴン伝説に関する番組があったりしたんです。
テロップに「人類学者」「歴史学者」「宗教学者」って表示される人の他には、古生物学者さんとか比較生物学者さん、気象学者さんなんかもコメントしていたのが印象に残ってます。あと世間話でドラゴンって話題に出すときには、地理学を勉強している知人と話していることが個人的に多かったりもしますね。結構、色んな分野からドラゴン伝承というものを話題にすることができるってのは面白いなと思います。
古生物学的な知見から語るドラゴンとはずばり恐竜の化石の話でした。僕たちの世代ともなると人間何人ぶんくらいの恐竜の化石が見つかったとして、それは人類が成立する前の時代の、大昔の生き物の痕跡であって「こんな生き物がいまも生きて闊歩している」とは咄嗟にも思わない訳ですが、それは今日に至るまでの研究成果とそれを知識として普及できる教育の賜物であって、それがなかった時代の人たちはそうは思えなかったって話です。
番組ではルーマニアで有名な翼竜の化石が見つかっていると言及されていましたが、ルーマニアはドラキュラ伝承の元になったヴラド・ドラクル公の故郷ですよね。「ドラクル」という別名は彼の自称で「悪魔の子」って意味だとよく言われますが、本当は「竜の子」とかそういう自称だそうです。言語には明るくないのでもっと正確な意訳ができず恐縮でありますが、無知の身上なので「音が似てますもんね」とか言います。どうしてそれが「悪魔の子」だなんて受け取られ方をしたかと言えば後述したいと思いますが「ドラゴンは当時の人々にとっておそろしい敵役で、悪魔に連なるキャラクター」だったからです。竜の子なんて自称するのはその宗教的事情を考慮するならば自ら悪魔の敵役を名乗る型破りなことだった訳ですね。かなり話が脱線しましたが、竜の子ヴラドの伝説的な話が根付くルーマニアで、空を飛ぶ恐竜の化石が見つかっているという話がなんだか面白いなと僕は思う訳です。「無関係とは言えないだろう」とか僕なら思っちゃうし言いたいですし、当時の文献記録に化石の発掘らしき出来事の記述とかあるならそれは想像が捗るので素敵な話だと思います。
比較生物学的な見地からはいまも生きている生き物、特に蛇が槍玉に挙がっていました。ずばりって感じがします。番組では「何故ドラゴンは火を吐く?」という疑問に対して、蛇がちろちろと舌を出す様子に触れつつ、この蛇の習性が「誤った情報伝達の仕方をして」ドラゴンに火を吐かせるようにしたのではないかという話をしていたのでこれが面白かったですね。
まずドラゴンという想像上の生き物が成立する。次に「ドラゴンは想像上の生き物で、実物を人前に持ってきて伝えることができないから」人間は想像を絵に描いて伝えようとします。この間に、ドラゴンというのは実在しない生物なので、かわりに実在する他の生き物の特徴を取り込んでイラストとして出力されてしまう訳です。無いものを描くことはできないので、かわりに実際に有るものの特徴を代用して想像を膨らませていく。会話で比喩表現を使うようなもんですよね、「奴は蛇のようにずる賢い性格なんだ」とか「鳩が鉄砲で撃たれたような顔してるぜ」とか。
それで番組に出てきた絵なんですけど、たぶん火を吐いてなかったんですよ。イラストの横に難しいラテン語でびっしり説明文書かれていましたが、「これは火を吐いている絵ではなく、蛇のように舌をちろちろさせているドラゴンのイラストです」って言われたら僕はそれで納得してしまいます。そんな絵でした。
ところで遠い土地に住んでいる人に自分の描いた絵はこういうものだと事細かく説明できますか? 僕はそういうのが得意ではないので、しばしば伝言ゲームみたいになっちゃうんですよ。これが誰もが当たり前にまだラテン語を読めなかった時代で、聖書の記述すら読み書きの技術を持つ教会の神父様に読み聞かせていただかなればならなかった時代となると、もっと大変だったと思います。もちろん、そういう誤解が広がらない為にバチカンの偉い司祭様たちは色んな対策を立てたと思いますが、果たして「悪魔の姿形まで全員の意見を一致させようと手を回す余裕があったのか」はわかりません。イラストというのは文字や言葉より強烈です、写真の無かった時代ならそれは写真の代わりすらつとまったほどに。それでもやはり限界はありますよね。実際にあるものを観察して正確に描いたものなら兎も角、空想の風景を自分が見たことのある風景に喩えながら暗中模索で描きあげたらしいドラゴンのイラストですから尚更。もちろんそれを見せる相手が目の前にいたなら言葉にして説明できたでしょうが、その絵が本に載って遠い土地にいる人たちの手に渡った時、そして彼らが字を読み書きできないとかそもそも違う言葉を喋っている人たちだったりしたら、蛇の舌の絵が火を吐いているように受け取られたりしても即座に訂正したりできないのでそのまま広がってしまいますよね。
ここでちょっと本旨に触れていますが、空想上の生き物は実際にはいないのでそれが絵や銅像といった形にされる際、実在する動物の特徴をつぎはぎにして成立する時がある、というのが比較生物学的な知見で言いたかったことであるように思います。
恐竜の化石にしたって、伝説に語られるファブニールやヒドラそのものにしか見えない代物が発掘されている訳じゃありませんから。そもそも恐竜の化石から想定した想像図が最近すこしずつ変わっているらしくて、僕が映画で見たティラノサウルスはコモドドラゴンじみた堅そうなウロコに覆われた姿でしたが、いまは鳥のように羽毛が生えていたのではないかと言われているそうです。ここはもう少し言及すると、恐竜の末裔はいまも空を飛んでいる鳥、特に渡り鳥である、なんて話にも波及していきそうですが、僕はそのへん浅学なので触るだけで容赦していただきたく思います。
最後に歴史学、人類学、宗教学、あとすごく恐縮なんですが地理学から見たドラゴンの話をしたいな、と思います。ここがすごく自分が興味ある分野になるので話が長くなりそうなんですが、そのほとんどが他の人からの受け売りの知識・聞きかじりの知識であることを先に明言してから話したいと思います。この話を僕にしてくださった皆様に限りない御礼と尊敬を。
まず、先程までドラゴンが火を吐くのは、蛇の舌の特徴を取り込んで描いた想像図を見た別の人が、その絵の様子を「火を吐いている」と誤解して広がったからではないのか、と話題にしていました。さらにここを掘り下げて「何故火を吐いている姿に見えた(誤解した)んだろう?」という話をしようかと思います。
ドラクル公の話にも戻りますが、西洋ドラゴンは悪魔に連なる存在であり、人々にとっておそろしい敵役だったと言います。これは特に難しい理由がある訳ではなくて、人間より大きく、翼を持っていたり、人間の頭を咥え込める大きな口にずらりと牙が並んでいたり、ずばり「人間に噛みついて攻撃してくる蛇という生き物が人間よりでかかったら食べられそうで怖い」という恐怖心が、当時の宗教的道徳観で形成されている独特の恐怖心とつよく結びついた結果だと思います。恐竜は人間を食べそうだから怖い、ドラゴンは人間を食べるから怖い、悪魔は地獄にいて人間に悪いことをするから怖い、というのが全部同じ話になってしまった時、「ドラゴンは悪魔の手先である」という話になるんですね。そこにバチカンの神父様まで話を合わせはじめるともう誰も待ったをかける人間がいなくなる。恐怖とは使い方があるのです。「食べ物を粗末にすると目が潰れるからしてはいけない」なんて言い回しが日本にはありますが、本当にそうなのか?といえば絶対にそんなことないですよね。それが本当の話になってしまうと、目が見えない障がいと向き合って生きている人たちはみんな「食べ物を粗末にした」罰でそうなったという理屈が通じてしまうので大変失礼な話になります。ぶっちゃけこの言い回し、嘘か本当かで言えば嘘の話ですよね。でもいま食卓に並んでいる食べ物を、少なくないお金を支払い、少なくない労力を駆使して調理し、なんとか苦労して食卓に提供し続けている親からすれば、それを子供に台無しにされるのはひどくつらいことであるしその悪癖を矯正しないまま大人になっても子供のためにはならないからなんとかやめさせたいと思うのは当然なわけです。しかし、突然の家庭不景気に陥れば金銭交換ままならず明日にでもご飯が食べられなくなるという話を、お金の単位すら知らない無知の子供に納得してもらうまで言い聞かせるのは大変な交渉スキルと言語センスを必要とされます。これが「何故人が人を殺してはいけないのか?」「何故人が人から物を強奪してはいけないのか?」というレベルから説明しなければならないとなれば途方もない気分になってきますよね。なのでそれを説明する側は、悪いことをしてはならないという理由として「悪いことをすれば怖い目に遭う」と方便…つまり一種の嘘を用いるという苦肉の策を導入することにしました。これが日本で言えば「目が潰れる」とか「人攫いにあう」とかで、キリスト教が国教である場所では「悪いことをすれば悪魔のいる地獄に落ちるぞ」とか言われるようになる訳です。ドラゴンに食べられるのは誰だって嫌ですよね、僕はジュラシックパークでティラノサウルスに食べられるレベルから嫌ですしサメだって怖いですから、悪行に対する応報としての悪魔、地獄で罪人を責め苛む悪魔がドラゴンを操るなら当時の人たちにとって2倍の怖さになる訳で、時の宗教家たちはおそろしいドラゴンを悪魔に与えることでみんなが神の御言葉をもっと信じて慎ましく穏やかに生活する世界(=悪人が悪魔とドラゴンをおそれて悪行を思いとどまったり、間違えてからでもそれを悪いことだったと反省して償いをする世界)が形成されることを期待したわけです。なので実は違う種類の複数の恐怖が、宗教道徳という枠組みの中で融合するのは全然難しい話ではないってことですね。ドラゴンが英雄に退治される話が多いのも似たような理由です。人間の勇者が悪いドラゴンを退治して財宝と美しい伴侶を獲得して幸せに暮らす…というのは敵が強いぶん本当にそれを乗り越えられるならば素晴らしい成功であるように思える訳ですね。実際に、ドラゴン退治の伝説は宗教に組み込まれた結果、聖ジョージのドラゴン退治など、有名な宗教説話としてたくさんの人々に親しまれています。強いドラゴンが悪であったほうが都合がよかった時代や場所があったということです。
この長い前提があって、ドラゴンが火を吐く話が続きます。まず多くの宗教において死者の国・地獄とは地下世界に想定されます。そして程度の差はあれど、地獄とは炎の世界で、罪をおかして死んだ者はその炎に焼かれてずっと苦しむと説かれます。これはキリスト教も例外ではないというか、悪魔が住む地獄とはその典型例であるように思いますね。何故地獄が燃えているかと言えば、人間が火に焼かれる痛みを強烈に忌避する話の他に、古い時代の街並みが火災に弱いというのが挙げられます。日本でも江戸時代の平屋づくりなんか想像してくだされば分かりますが、木材を含む家屋が道の両脇にずらりと並んでいるのは火災に脆弱なんですよ。火災の真の恐ろしさとは「燃え移る」「燃え広がる」ことです。デマゴーグが人々の間であっという間に拡散して個人の名誉毀損の度合いがもう取り返しがつかなくなってしまう様子を「燎原の火」などと喩えますが、あれは草原に火を放つと一瞬で更地になるほどの規模の火災になることのようだと言っています。この草が家に置き換わったようなことが頻発しやすい都市計画というのが密集した家屋群にあたります。隣の家同士の距離が近ければ近いほど深刻だという認識で間違いないと言えます。対岸の火事なんて言い回しもあるんですが、実は一つの川を挟んだ対岸で火事が起こっているとしても、風向きと風速次第では火の粉が飛び火してきて火事になることも珍しくないらしいです。キリスト教の地獄の話をしているのでその圏内にある国の歴史を話題にするなら、ロンドンのテムズ川を挟んだ両岸の街々が飛び火が原因の大火事の被害に見舞われたことがあるそうです(これはNHKのドラゴン特集の受け売りです)。時代が昔に遡れば遡るほど消火技術というのが未熟なので、燃え盛る地獄のイメージが成立したほどの大昔となると一度家に火がつけば街一つ灰になるのも特に珍しくなくて、それが冬越し前ともなれば家の壁と屋根なしで厳しいヨーロッパの冬を耐えなければなりません。みじめなんてものではなくて、死にます。火事から助かったとしても家も財産も食べ物も燃えてしまっていて、最悪の場合助けてくれる隣人の家まで飛び火で火事になってて誰も助ける余裕なんかないとなれば、そういうのを「地獄のような風景だ」と言うのでしょう。これを避ける為に毎晩高台に見張りを立てるなどの習慣が根づいたそうです。ファンタジーでやぐらに立つ見張りといえば敵国の侵略者を瀬戸際で発見するだとか怪物が村や街に侵入しないようにする為だとかいうイメージで、もちろんそういう意味での見張りもありますが、一番怖かったのは火事だそうです。というか、敵国の兵士に火付けされることだってあります。火攻めとか言われる戦法で、この場合は侵略者と火事が同時にやってきます。侵略者は火で街の財産がすべて灰になる前に大急ぎで火事場泥棒をはたらくので容赦する時間的余裕はありませんし、火をつけられた街の住人だって火に焼かれるか人に殺されるかの極限状態ですから狂乱しています。ただの火事より、もっと大勢が死ぬでしょう。侵略者はまさに地獄からやってきた悪魔や化け物に見えたでしょうね。そうやって実際にあった大火災の惨事の記憶が、架空の風景である地獄のイメージを補強して、いまの地獄絵図というものがあるそうです。だから「悪魔の手先であるドラゴンが火を吐く(操る)のは当然だ。地獄からやってきたのだから」と言われれば、なんだかすごく話の筋が通っているように思いませんかね?
その上で更に別の解釈を交えます。地獄は地下世界にあると先述しましたが、地下にあると言えば何を想像するでしょうか。道具や芸術品の材料や貴重品そのものとして今でも生活の身近にある鉱石や宝石も地面の下から採掘される資源です。しばしばドラゴンは財宝と関連づけられることを思い出させられますね。化石も地下から現れることが多いです。ドラゴンが地獄に住まう悪魔のペットであることと、ドラゴンのイメージを形成するのにひと役買ったらしい恐竜の化石とがつよく関連づけられるような気がしますね。それで、マグマも地下には流れていますね? マグマによる火災被害、つまり火山の噴火というのはそれほど頻繁に起こる訳ではありません。少なくとも、毎日地球のどこでも火山が噴火しているともなれば人間の生存圏はもっと狭くて、地球は人間には住みづらい星だったでしょう。将来的にそうなるかもしれませんけどね。それはそれとして、噴火は頻繁に起こらないので毎日人間がマグマに殺されているというほどではないと思いますが、それ故に今でも予測して対策が立てづらく一度起こってしまえばおそろしい被害規模となる天災でもある。邦画にもなった漫画テルマエロマエの舞台くらい昔のローマにおいては、伝説的な火山の噴火によって当時の大国が大打撃を受けたらしい…そしてそれはただの伝説という訳ではなく、地質学や考古学的な研究からも実際に大災害が起こっているという史実的な話だそうです。ところでテルマエロマエという作品に触れましたが、これはお風呂をテーマにした漫画です。日本でも観光地各地が抱える温泉施設というのは間欠泉という自然現象を利用したお風呂であることは周知ですね。この間欠泉…温泉というのが、地下の水源がマグマによってあたためられて地表に噴き出す現象で、多くの温泉はそのまま人間が入浴するには適さないほど高熱だったりします、死ぬような大火傷を負うほど熱いこともあります(程度の差はあり、中には最適な Permalink | 記事への反応(1) | 14:56
スタートアップの中には、勢いだけで明らかにすぐ沈没するだろうなっていう無理筋のビジネスモデルが結構ある
結構あるというか、めちゃくちゃ多い
俺はそういう打ち上げ花火的に世間を騙してるイケイケ野郎どもが嫌いで、中々近づかない
そういう会社はバーっと上場して、予想通り上場ゴールで株価がずーーっと下がっていくんだが
その中の人達はさっとその会社をやめて、新しい打ち上げ花火をあげようとする
周りの評価は非常に高く、「上場させたあの人」というキラキラ人材だ
そこではたと気づく、あれ、俺もああいう風に動くべきだったのか?って
勢いあるところに媚びへつらって参入して、上場して花火が打ち終わったら捨てて次へ行く
多分一番コスパがいい
例えばTwitterやFacebookのように、長く価値が続く事業は砂漠の中から針を探すようなくらい滅多にない
ならそれに10年かけるより、2年単位くらいで有名ベンチャーを渡り鳥した方がキラキラできるのではないか
ウンウン悩んで、結局出す答えは「でも俺あいつら嫌いなんだよね」
その答えに、俺は俺に毎度ガッカリするのだ