はてなキーワード: MBAとは
> 「君の若い力で会社を変えてくれ」とかいう言葉に騙されずに海外に出て自分の力を試せ。
OK.
では、次のクエスチョンが浮かぶ。その前に前提の話をする。
いわゆる社畜は日本企業特有のもの、と指摘されがちだが、ゴールドマン・サックスやマッキンゼーでは激務中の激務のはずだ。
霞が関、GS、Mckといったエリートが集まるところは、朝9時から朝5時まで働く不思議なところだ。
その命題を唱える海外勤務経験者が日本で言うこところの一般職勤務だとしたら、日本の総合職と海外の一般職を比較していることになる。
でかい会社に自浄能力はない。そう、グーグルも官僚主義的になってきたという。HPはIBMの真似事をしようとしてグダグダだ。
もちろん、オリンパス・大王製紙・東京電力は3社だけの企業文化ではなく、日本企業全部に当てはまっているものの、事件として顕在化していないだけに見える。
でかい企業は、海外MBAの派遣が多かった。が、海外MBA帰りは日本企業に歓迎されなかったと聞く。
日本にアメリカ流のマネジメントが適用できなかったというわけだ。
『「クリエイティブ人材として期待された人間」が行き場を失っている状態』は日本特有なのか。
そうでないとすれば、
『海外に行け』のその行き先は?たとえば、シリコンバレーのベンチャー?
とにかく、海外に行けばいいもんじゃないと思う。だって、海外にも大企業病はあるもの。かといって、中小企業はぶっ潰れかねないもの。
(本来なら丁寧語で書くべきだが、書き言葉にて思考展開する私にとって、丁寧語に変換することは私の思考を妨げるので書き言葉にて失礼。)
http://anond.hatelabo.jp/20111208222023 についてふろむださんより以下の指摘あったので並べ替え。
1から順番に上から今の仕事に適用していってはだめ。これを2→5→7→6→4→3→1の優先順で今の仕事に適用して見直すのがお勧め。
仕事とは作業をやることではない。仕事とは目的を達成することだ。だから、相手から頼まれた方法が必ずしもベストなやり方ではない。相手の目的を達成することが重要だ。だから、その仕事は誰のために、何のために必要で、ゴールは何がどうなっている状態なのか、をしっかりヒアリングすることが大事。ゴールを聞いて、それを達成するための近道を常に考える事。
ほとんどの僕ら社畜にとって、仕事とは「関係している一番偉い意思決定者が満足するものをつくること」だ。だから、誰がその仕事の成果を評価する役割を担っているかを常に追いかけて、彼のニーズ・評価基準を見つけ出そう。これをするだけで、後からひっくり返されることがなくなる。
全てを完璧にしようとすれば時間なんていくらあっても足りなさすぎる。だから、その作業の中で「適当にしていいもの」「絶対に抑えて置かなければならないもの」をヒアリングをして見つけ出し、手を抜けるところは徹底的に手を抜こう。時間内に求められたアウトプットを出すことが仕事の目的で、誰もが見惚れる配色のパワーポイントをつくることは僕達の仕事ではない。完璧主義なひとほど完璧から遠ざかる。捨てるべきは捨てよう。
作業をする方向性の大枠が決まったら、その状態で見せるとムダな差し戻しが防げる。たとえば、パワーポイントを作る作業なら、アウトラインと主なメッセージが決まった時点で見せる。相手がダメ出しをする部分を先に出し尽くせば、ムダな差し戻しなく作業ができる。
組織の大抵の仕事は前例があるものだ。たとえば、コンサルタントの提出する資料のかなりの部分が既存の資料の使い回しかアップデートだったりする。すでにあるものを再度創りだすことほど馬鹿な事はない。遠慮無くパクろう。とにかくパクる。で、自分よりもっとうまいやり方をしている人がいたら、躊躇せず彼の秘訣を聞き出す。とにかく、パクろう。
重いタスクほどすぐに着手するべき。なぜかというと、人間には認知的不協和というのがあって、着手したものが終わっていないと気持ち悪いと感じる心理があるからだ。着手したら終わっているべき、という認知があって、それが解決されていない状態は気持ちが悪い。だから、解決しようと集中して作業できるように心が動く。重い作業ほど、とにかく1分だけでいいので着手しよう。きっと1分は一時間になっているはずだ。
「時間をかけて頑張って解決しよう」と考えている時点で、あなたは最も効率の悪い仕事のやり方を選んでいるといえる。なぜなら、「時間で解決しよう」というのは、創造的な解決方法を放棄していることだからだ。たとえば、「象を3秒以内にかけ」といわれたら、誰でも象を表現するために最適かつ短時間で終わる方法を考えだそうとする。時間による制限は人の創造性を引き出すシンプルかつ効率的な方法だ。だから、「イマイチ効率が悪いやり方をしているようだな」と感じるなら、自分がどれだけ時間を区切って作業できているかをみなおそう
こういうことは本来は誰もが理解しておくべき基本中の基本なのだと思いますが、そうはいってもその基本をわかっていない人がいた時、この基本をどう伝えるかというのは結構大事だと思います。
ネックになりそうな部分から潰して行って、「時間を区切って仕事をする」ことができる様になる状況を作る。
そうしないと、「時間を区切ってやる」と思っていても、いろんな都合でだめになってそのうちヤル気がなくなる、そういう問題を防ぐ、と。なるほどなー。
日頃から、ライフハックは役に立たないわけではないが、できない人間が実行できるようになる過程をを念頭において書かれていない点について批判的な氏ならではのご指摘といえるかと。
フロムダさんがこういうことを書いているわけではないので注意。
要するに、みんな「時間を区切ってやる」ことの重要性はわかっていても、それを実行することの困難さを十分に認識していない。
できる人なら当たり前にできるから1番手においてくるのだけれど、それができるようになるために、ステップを踏んで行こうという事だろうか。
また、業務の遂行には言うまでもなく意思決定者の存在、意向が先にたつわけで、それは本人が必ずしも自由にできるわけではない。
その部分が明確でない、伝わっていない、という問題は、双方向の問題だろう。この部分を、MBAで学んできて、マネジメントを志す人間が軽視しているというのはダメなんじゃないか。
数字や効率だけで物事を測り、働く人のことを理解せず、自分の思い通りにならないことはただ嘆くだけ、というのは頭でっかちで融通がきかなさすぎるだろう。
さしずめ、プレイヤーとしては優秀だがマネジメントができない上司の3要素、とか並べると
・理屈を論理的に説明できてもけれど、部下を納得させて動かすことができない。
・マネジメント上の問題もすべてその人のやる気や自己愛の問題に還元して自分の問題とは考えない
で、結論としては「自己愛がない」に対して「部下への愛がない」とか「自分がうまく行ってる限り現状に疑問を抱かない」=unlearnできないいう感じになるだろうか。
繰り返すけれど、↑は私が勝手に思ったのでフロムダさんはこんな事言ってないですので誤解のないよう。
ライフハックとか自己啓発とかの記事の中には、単に昔から上司が部下に教えてきた「普通の仕事の常識」のポイントをまとめたものにすぎないものも多くって、それって、どこが啓発でどこがハックなんだよ、単なる新入社員教育じゃん、みたいなところがある。
能力の高い上司が丁寧にやり方を教えても、能力不足の自分のやり方に固執して仕事ができない部下は、自分よりも能力の高い人間の能力の高さを認識する能力がないか、プライドが高すぎて自分の能力不足を認められない人。前者だと絶望的。後者だと生き方を変える必要があるがそこまで上司の役割なのか?
元記事は伝え方がダメダメだったのと、それに対する対処を投げ出しているような印象を与えたために批判を受けただけで、考え方自体は間違ってないんだろうなぁ。
上司が部下に踏み込み過ぎるとすぐパワハラとか言って逆ギレすることが許されかねない時代に、上司にどこまで責任を持てるのかってのは考えてみると難しそう。
早川教授の問題と含めて考えたい。 もうそんだけ部下が仕事もできなかったり迷惑をかけておきながら自分の権利だけは一丁前に主張して指導を拒むのであれば、
もう面倒見切れないから全部自己責任でいいんじゃないかな、と思う上司の方がいても責められないかも。
こういう時代だと、上司が部下の期限をとってまで気持ちよく仕事をやらせるなんてのは不可能だ。
部下の側からすれば、なんとかして上司のリソースを自分から模擬取りに行く必要がある。
ならば、本当に学ぶ気概があるなら積極的に部下の側から上司にその姿勢を示し、役に立つことは受け入て実行するところを見せるべきだろう。
そういうのを漠然と表現すると、素直さが必要だ、って話になるんだろう。
ただし、部下側が上から見たら「素直な」態度を心がけるのは「自分が生き残るために必要だから」だろう。生存戦略だ。
生きるための必要に応じて自己変革するのであって、それは性格の問題ではないと思う。選択の問題ですらない。これができないやつは生存本能が壊れているとすら言えるかもしれない。そのくらい言い切っても良いのではないかと思う。
きちんと現実を示して危機感を持ってもらった上で、態度は心構え次第で変えられるし、ヤル気のある部下には上司も応えるよって姿勢を示す必要がありそうだ。
って偉そうなことを書いてはみたけれど、難しいなー。私も役職持ちではないけれど、後輩の指導でよく悩むのと、昨日「灼熱の小早川さん」読んで色々思う所があったのでだらだらと書いてしまいました。
会社のカネで海外の大学でMBAを取らせてもらって、更には給料までもらって、それで日本に帰ってきたら、それまで汗水垂らして必死で働いてたオレより何でそいつの方が偉くなってんだよ!
大体、ウチみたいな会社でMBAなんて活かすフィールドなんてないのにさー
あと、産休中のヤツが子育ての息抜きとか称して海外旅行に行ってんじゃねー!
別に行くなとは言わないけど、超楽しかったー!幸せー!、みたいな日記をfacebookにおおっぴらに書くな!もっとひっそりと行けよ!
オマエが遊んでいる間に、オマエの給料を稼いでいるのは誰だと思ってんだ!
会社を利用するヤツが会社に愛されて、会社に尽くすヤツが会社に使い捨てにされる・・・そんな状況で「キミには会社を変えてくれることを期待している」だと?ふざけんな!!
ただ最近の傾向として、技術力がある会社が強いなーというのがあると思う。
ラリー・ペイジ、セルゲイ・ブリン、エリック・シュミットという計算機科学のスペシャリストがトップにいて、創業期から理系の天才達を採用してきた。
もはや学者が研究資金のために会社をやって資金を調達してるんじゃないかってぐらいのイメージ。
Facebookも圧倒的な技術力ですごいスピードで成長してきた
これは愚問だし大雑把すぎるカテゴライズなので先に謝っておく。ただ、ネット業界ってやっぱ理系の人が強いんじゃないかと。
技術があってこその業界だし、そう考えると数学的思考が有利になると思う。
プログラミングに数学はあまり関係ないというけど、理系の人の考え方は絶対にプラスになる。
それになんだかんだ理系の人の方がプログラミングを始めるきっかけが多い。
そう思うとネット業界において文系のメリットってなんなんだろう。
プログラマーとしても凄く優れている。
それなのに営業なのだ。しかもトップ。
まぁMBAと公認会計士を持っていたりもするのだが、何故プログラマーなどの技術職に行かないのかという経歴と能力。
彼を見ていると理系でも文系の仕事できんじゃん!って思ってしまう。
文系は営業職などしかない。しかし、理系は本職のプログラマー(これも語弊はあるが)がある上に営業もできる可能性がある、と。
しかし、自分でつくってみたいという思いもあり技術も勉強している。
だからかわからないが、プログラマーに凄く尊敬の念を抱いてる。
文系のプログラマーもいるだろうが、やはり理系出身のプログラマーが圧倒的に多い。
そういうことを思うと、過去の自分にちゃんと理系分野勉強しておけよと言いたくなる。
「プログラムに理系文系関係無い」「文系プログラマーもいっぱいいる」という人はいるだろうが、今回はわかりやすくそういう分け方をしてみた。
例えば、(MBA的な知識は日本にいても手に入るから)わざわざMBAを取りに行くことに関心がないって意味なら、そうだねーと俺も思う。
友人は何をやってもうまくいく。
「うまくいく」基準は曖昧だけど、ここでは「彼が望んだ最低ラインの結果」ということにする。
たぶん皆さんの周りにも一人や二人いると思う。人生なんでもうまくいく人。
自分の友人もその一人。
自分は友人と付き合いが長いが、友人はたぶん挫折したことがない。
学生時代帰宅部だったが、スポーツは何をやらせてもその部活に入ってる人並みにはやれる。例えば柔道で全国大会に行っている人にも普通に一本背負いで勝ったり。
難関高校、難関大学も簡単に入る。
就職も「大きさとかどうでもいいけど適当に受けてみた」と言っていたが恐らく現在世界トップ10ぐらいのアメリカの人気企業に入社した。
一般人ながら極度の面食いで、狙った獲物は逃さない。それがアイドルであろうと飛行機内で出会った客室乗務員であろうと。彼女に1回フラれたことはあった。「私じゃあなたと釣り合えない」と。
桁違いの資産、暮らし、それでも中身は変わらないから自分は友人と未だに付き合っているのだろう。
でも、競争させたなら周りにいるような大概の人には負けない。そして望みを当たり前のように叶えていく。
しかしどう見てもごくごく普通の男だ。IQがすごいわけでもない。中肉中背。育ちは中流家庭。元々イケメンでもない。性格は正直悪い。極度のめんどくさがりやだし。
では何故友人は何でもうまくいくのか。
長い間友人を観察してきてわかったことがある。
それは「当たり前のことを当たり前にやる」ということだ。
例えば学校のテストで友人は自分が知る限り100点しか獲ったことがない。
友人に何故100点を獲れるか聞くと決まって「テスト範囲を暗記して当日答え書けばいいだけじゃん」と返された。でもそんなのきついよ、と言うと「獲れるまで暗記すりゃいいじゃん」と返された。
友人はこういう思考なのだ。
柔道の授業前は体育の教科書を読み基本を確認してそれを実践でやるだけ。受験はテストと同様。就職は必要なスキルを習得してその他いろいろ調べて臨むだけ。
恋愛は、自分を最大限にカッコ良く見せる方法を実践し、アプローチ方法を考え実践、近づいたらどう落ちるか考えて実践。
友人曰く「世の中ほとんどのことはうまくいく方法がわかってるからそれを実践するだけ」とのこと。困難なら「そのレベルまで自分を持っていけばいいだけ」と言う。
人はこれを「努力」と言うんだろう。しかし友人は努力なんて意識が全くない。
「そうしたいからそうなるまでそうするだけ」とは自分の人生で1番心に響いた友人の言葉の一つだ。
それともう一つ。「俺からすりゃみんなが失敗したとか挫折したとか言ってんのがうざい。だって明らかに方法がおかしいし、そのレベルに達してないし、うまくいきたいと本当に思ってんのか。」と。
何だろう。恐ろしく論理的というか。しかし、論理的なら恐らく友人はいろいろ成し遂げられなかっただろう。論理的なら「不可能だ」って思うような展開を覆してきてるから。
ただ、自分からすると友人にもっと向上心があればな、と思う。絶対に余力を残している。その余力を使い切ったところを見てみたい気持ちはあるが・・。
友人は不可能はないと思っている上で当たり前のことを当たり前にやっている。かなり厄介な人物だ。
自分はいつも「そうしたいからそうなるまでそうするだけ」という言葉を頭に置いている。
「なんでお前MBA目指してんのに匿名の日記なんて書いてんの?それなんかMBA目指す上で役立つ?」と真顔で言ってくるだろう。
前回はオレが若手の頃のA部長のやんちゃぶりいや豪快ぶりを紹介した。
だが、このA部長、誰もがその遊びぶりに文句を言えないぐらい、仕事の優秀さは伝説的な人だった。
オレたちの部は、A部長がやってくるまでは、他の部署と比べてけっして利益の額は多くなかった。
A部長は就任早々に独自の戦略を立案し、徹底的に実行していくことで、わずか3年程度で全社でも稼ぎ頭の部署に育て上げた。
「いいか、タケシ。仕事で大事なのは、徹底的な論理的マインドとほんの少しの気合だ」
というのが彼の口癖だった。
当時、イケイケだった日本企業の中で、論理を前面に押し出すのは、かなり異端だった。
今思えば、A部長は当時から、既にアメリカやヨーロッパのビジネススタイルだった。
オレが米国出張中のある案件の交渉でグチャグチャになってしまい、deal breakの瀬戸際のピンチだったことがある。
今のようにEmailもなく、テレックスでのやりとりが主流だった時代、超高価だった国際電話をアメリカからA部長にかけて、指示を仰いだ。
オレは要点を要領よく説明し、A部長に
「どうすれば良いか?」
と聞いたところ、一言、
「タケシ、任せた」
と言われてあっさり電話を切られた。
その時は「何と無責任な上司だ!」と思ったが、オレはそこから巻き返して、何とか形にすることが出来た。
数年してから、オレは
「バーで仕事の話をするとは、低俗極まりない。5分だけ特別だ」
「オマエの国際電話での状況説明を聞いたら、オマエにしては珍しく、論点が全て整理されていた。強気が売りのオマエに足りないのは、逃げない勇気だけだった。獅子が子を崖から落とすじゃないが、オレは上司としてオマエの退路を断ってやったわけだ」
「そうは言っても、もし失敗していたら・・・」
「商社マンは信頼の上に成り立っている職業だ。その上司のオレが部下を信頼しなくてどうする?That’s allだ。さぁ、仕事の話はここまで」
と言われ、来日している著名なオペラ歌手のコンサートの話に戻ったのは今でも鮮明に覚えている。
とにかく豪快なオヤジだったが、自分のフィロソフィーを持っていた。
オレが若いころから、彼は常々オレにMBA留学をPUSHしてくれていた。
普通は部署に穴が開くから、なかなかこういう理解をしてくれる上司はいない。
何より
「勉強して仕事が出来るなら、苦労はない。あんなのは海外かぶれの奴が行くもの」
とMBA自体、怪しいものだと言う風潮もあった。
多くの企業にとって、エース級は社内に温存して留学させず、どちらかと言えば二番手グループで苦労した奴の夏休みのご褒美みたいなものだった。
きっとヨーロッパを周遊中に、各地で世界中のエリート連中と出会う中で、重要性を感じ取ったんだろう。
「タケシ、部署のことは心配せず、そろそろ社内の制度を使ってMBAを取って来い。」
「これからの時代は、MBAが国際ビジネスのパスポートになる。何より、オマエはまだまだ頭が足りない。英語で死ぬ気でディスカッションして、世界中に仲間を持て」
と言われた。精神力だけが取り柄だったオレに、頭脳を鍛えるきっかけを与えてくれた。
「でも、オマエは文化の香りがしないから、ヨーロッパと言うタイプじゃない。アメリカのスクールだな。ヨーロッパのスクールの推薦状は書いてやらない」
と言われたのは、納得行かないんだけどさ(笑)。
それでも、あの一言はいまだにオレの人生を変えた貴重な言葉だよ。
オレがビジネススクールから戻ってしばらくすると(オレは海外特命案件をを担当し、A部長とは違う部署になった)、社内ではA部長が次の人事で役員になるという噂があった。
「いくぞ、タケシ」
「役員の件は本当ですか?」
と聞いてみた。
「相変わらず酒の席上で仕事の話とは低俗な。それも極東の一企業の社内人事の話しなんて、オマエは何をしにアメリカに行っていたんだ?」
とあっさり切られたが、
「留学してマネジメントが何か少しはかじっただろ?オレには向いてないよ。晴耕雨読なんだな」
と言って、それからまったく脈略なくフランスの歴史やら農業の話を延々と聞かされた。
そうしたらさ、ある日、いきなりA部長は早期退職してしまったんだ!
オレは海外に出ていて送別を出来なかったんだが、しばらくすると、オフィスにどこかの海でA部長がサメと泳いでいる写真が送られて来た。
一緒に入っていた手紙によると、何でも、その後、フランスで暮らしていると言うじゃないか!!!
最初はビックリしたが、あの人らしいと言うかなんと言うか、地中海のクルーザーの上で美女を囲んでいるA部長の姿が容易に想像出来て、にやけてしまった。
名誉とか出世に興味を示さず、潔いgoing my wayな男の格好良さを感じたものだ。
あんな豪快なビジネスマンは、もうあの人が最後かもしれないな。
その後、世の中は変わり、コンプライアンスだといろいろと制約条件が増え、会社がどんどん個人を管理し、性悪説にたった人事管理が行われるようになった。
いや会社だけではなく、社会全体が出る杭を容赦なく打ち付けるようになってしまった。
実に生きにくい世の中だ。
A部長のことだから、こんな時代になることを見越していたのかもしれないな(きっと、今の時代ならA部長みたいなことをしていたら、仕事が出来ても処分されていただろう・・・)。
しかし、時代がどんなにルール社会や批判社会になっても、制約されすぎた圧迫の人生を送ってはならないと、オレは思う。
社会を安全かつ効率的に動かすためのルールであって、そんな手段としてのルールによって不必要に自分を制約しすぎたり、また稚拙な批判に怯える必要はない。
A部長も、あんな生き様だから、敵は多かった。最も本人は、敵だと認識していなかったようだが。
「S部長が経営会議でA部長について批判発言をしたみたいですよ」
「S部長って、いいワインをコレクションしてるんだろ。オレをワイン会に呼んでくれないかな?」
と言う感じだった。敵すらも愛してしまうと言うか、そもそも敵と言う概念が無かったのかもしれない。
一方で皆さんはどうだろうか?上司や先輩、客先の顔色ばかり見て、何とか失敗しないようにと、縮こまっていないか?
オレはこのブログでも言い続けているが、小さい失敗でくよくよしてないで、他人の目ばっかり気にしてないで、自分勝手に大胆に全力で人生という長いレースにぶつかって良いんだ。
困難も、苦しみも全身でそれを受け止めて立ち向かえば、きっと楽しい人生になる。
だから、恐れることなく、自信をもって、人生という壮大なレースにまい進して欲しい。
もう一つA部長を見習うべきところは、自分のフィロソフィー(哲学)やプリンシプル(主義、信条)を構築するということだ。
MBA的な研修で小手先のフレームワークや技術を学ぶのはほどほどにして、20代半ばぐらいからは、自分の振る舞い、判断の基軸となる哲学、信条をしっかりと作り始めるべきだ。
これは短期間でできるものではない。
膨大な量の知識と教養を身に着けて、そして、これまでの出会いや経験から、「人はどうあるべきか?」という自分なりの人の理想像を練り上げる大掛かりな行為だ。
哲学、歴史、文学、論理学などさまざまな分野のものをフルに動因して、この機軸は作り上げられる。
もちろん答えなんてないし、生きている間、それらは揺るぐことはなくとも、より深遠なものに円熟し続けるものだ。
A部長はずっとオレら若手にこのことの重要性を、夜に飲みながら教えてくれようとしていた。
オレも部下にこういう大胆な生き方、自分の哲学、主義を持つことを伝え、後世を育てて行くべき歳になってしまった(心は永遠に若手だ!!)。
ただ、これは手取り足取り教えることはできない。A部長とオレがそうだったように、いろいろな人との会話を通じて、つかんで行くしかないんだ。
オレも、こんな豪快な奴が少ない時代だからこそ、若い皆には、何とかオレの生き様を、ブログやTwitterで積極的に伝えてきているつもりだ。
またオレの部署の若手の部下らには、夜の遊び方は十分すぎるほど教えているつもりだ。
でもオレは、A部長と今ならビジネスの手腕なら良い勝負になるかと思うが、いかんせん、芸術、文化面がまだまだ弱い(笑)。
もっともA部長は、そんな勝負すら眼中にないだろうが。
「タケシ、ビジネスなんてほどほどにして、本を読め、音楽を聴け、食を味わえ、旅をしろ。何より今夜も人と出会え」
別にフルHDにしろと言ってるわけじゃなくて、もうちょっと広くしろよと言ってるだけ。
具体的に言うと、映画とかはどうでもよくて、コーディングとかするときに凄い困る。
さっきも言ったけど、ビジネスだと狭くても困らないのか?ってこと。
Excelとか使うだけでも結構困るんじゃないかと思うんだけど。
あと俺今はwinxpで1920*1080で仕事してるけど、全然困らないぞ?
フォントとかなんとかで困るってどういう状況だろう。
プライベートではMBAで1440*900だけど(デスクトップはxpとlinuxで1920*1200)、やっぱ最低でもこのくらいの解像度は欲しいと思う。
最初はそれなりにいい線いっていたのに、ここにきてもう投げやりというか、反論のための反論というか、急速に劣化ウランしてます。
劣化ウランって「天然ウランより放射能が落ちた」ってことなんですけどね。まあ投げやりになったのは思い切り事実ですが。
「事実」をもとに語る気があるのかと思ったら結局あなたも「理系が悪い」の人だったので落胆しました。だいたい私が最初の記事に「理系」って書いたことに過剰反応する人がいること自体意味不明なんですが(「自然科学の分野に専門性がある」とか役人言葉で書けばよかったんですかね)、はっきり言って「ブルータスお前もか」です。
オウム真理教の信者は人間。燃料棒はモノです。人間相手なら断罪するのは慎重さが必要だと思いますが、燃料棒相手にそこまで遠慮する必要はないでしょう。あそこで遠慮したことで、「メルトダウン隠蔽説」の発生という大損をしたわけです。
オウムだって破れかぶれであのあと毒ガステロする危険があったし、実際未遂事件は何件か起こしましたけどね。「新宿駅青酸事件」とかでぐぐってみてもらえたら思い出すと思いますが。
(本論と直接関係ありませんがオウム事件のくだり「化学薬品が大量に見つかった時点でもうほぼ真っ黒」という発言は気になりますね。そうやって河野さん一家も冤罪で酷い目に遭いました。人間相手にはくれぐれも慎重に頼みますよ。モノ相手はバッサリやっちゃってください。)
自慢じゃないですが当時中学生のガキの俺でも河野さんは冤罪だってわかってましたけどね。河野さんが犯人だとしたら、ガスに最も暴露されるはずの当人が比較的軽症でしかも防護設備がどこにもなかったんだから。あれも「文系」の失態ですね。オウムの場合はサリンを合成できるだけの薬品としかも製造設備が揃って出てきたんだから確定でしょうよ。一方でですね、同じ福島第一原発事故の中でも「モノ相手にバッサリ」やった結果、測定ミスを見落として再臨界デマが流れたりとかそういうことも同時並行で起こってたことをお忘れですかね。やっぱり緊急性が高くない情報はきちんと確認できてなければ断定なんてしたらいかんのですよ。
まあどっちにしても、あの「メルトダウン発表」(というか発表の趣旨自体そもそもメルトダウンがどうこうじゃなくて水位計の機能が回復したって話なんですが)が衝撃的だったのは、私にとっては「あれだけ水を入れてもまだ水が燃料棒に届いてなかったこと」だった(つまりまともに水が入らない原因が何かあるということ)のに、燃料棒が損傷していることが水位計からも裏付けられた、って話がここまで大袈裟に受け止められること自体本当に理解できないですね。
まあ、そういう「文系」の言葉遊びの世界はよくわかりませんわ。麻生の漢字読み間違いの一件も、「自分の言葉で語らずに聞きかじりの付け焼き刃を格好付けて語っている」ということの象徴として当初叩かれてたのに、民主党政権がグダグダになったら「麻生は漢字を読み間違えたという些細な落ち度を元に首相の座を終われた」なんていう風にいつの間にか歴史修正されてるみたいですしね。日本にはマスコミという「真理省」があるということですね。日本の天地は複雑怪奇なり、ですわ。皆さん本当に頭がおよろしいので私には到底ついていけまへん。
ウソですよ。大馬鹿ですよ。あれも「理系」じゃなくて「文系」人間がやったことですけどね。正直、私が一番原発に対して懸念を持っていること(くどいようですが私は推進派だなんて名乗った覚えありませんからね)は、ああいう馬鹿な人間が動かしているということですよ。ただし、ああいうコピペメール構成ってのは基本的にナイーブ系反原発派を含む「市民運動」の常套手段なのであって、「お前が言うな」でしかないんですがね。
流通していないから大丈夫って、今になってセシウム基準値オーバーの牛だって流通したことが出てきたじゃないですか。あれもウソじゃないんですか。
そりゃまあ、全頭検査をしないってことは「確率的に」流通することはあり得ますよ。ああいうことが一件や二件あっても不思議はないだろうな、程度。こんだけの混乱状況なんだし。正直、俺はあの話全然興味ないので逆に聞きたいんですが職場の食堂で昼休みに流れてるNHKニュース見て「あー今日もこの話しとるなー」ぐらいに思ってる程度なんですが、世の中ではあれでそんな騒ぎになってるんですかね?。
信頼というのはそういうもんです。推進派は、そこがまるでわかっていないんです。かわいそうなくらい。だから原発を自動車と比較したり、死者の数を出して、どうだ安全だろといったりするんです。
じゃあどうやったら推進派が「信頼」を勝ち取れたでしょうか。絶対無理だったと思いますよ。ナイーブ系反原発派のプロパガンダは卑怯でありなおかつわかりやすすぎるし、坂本龍一だの宮崎駿だの村上春樹だの、ああいう一般受けする文化人を広告塔に担ぎ出せた時点でもう勝利確定ですよ。
そりゃまあ第二次大戦前のドイツの民主主義勢力が「信頼」を勝ち取るのと同じぐらい難しかったと思いますよ。第一次大戦は軍人目線では完全に負け戦でも一般人には被害がまだ及んでなかったわけで、「アカとユダヤの陰謀だ!」と言われれば信じたくなるというのは非常にわかりやすい人間心理でしたしね。
広瀬隆の著作が「だまされようがありません」というのは、(あなたレベルなら)だまされようがないということです。
まあ、一読をお勧めしますね。賛否はともかく、それなりに楽しめると思いますから。私にしても全部同意するほど無批判な読み方はしていません。
それを「楽しめる」という神経がわからないですね。あなた、9.11陰謀論とかの本読んで楽しめますか。
私にこんなにもコンプレックスを与えている、あなたを含む「理系」エリートは凄くあってくれなくては困るわけで、それが凄くないもんだから、もうプンプンですよ。
そりゃまあ「逆恨み」としか言いようがないですが。まあ俺自身が「金融」とか「コンサル」とか「MBA」とかの人たちに対して多少とも似たような感情を持っていたり、それで色物でない「経済学者」の人にルサンチマンを誤爆したりしてないとは言わないから多少は同情しますが、まあ誤爆された方からすればお門違いもいいところとしか言いようがないですね。
こういう記事を読んでちょっと気分が落ち込んだので愚痴ってるだけ。
http://cobs.jp/learn/study/mba/bn/4_1.html
よーし俺も東大はいって人脈作ってホリエモンみたいに一旗あげてやるぜフッヒー!みたいに思う人いるかもしれんけど
そもそも毎年何人が東大やら兄弟やらMBAに行ってると思っているのか。
そのなかでホリエモンとまでは言わずともベンチャー立ち上げて生き残ってるやつがどれだけいるのかと。
私も○大行って、MBA行ったし、そこそこ成績も優秀だったけど(ちなみにこの世界で「そこそこ」ほど意味のないものはない)
そして、そこで友達を作っておけばよかったといま心底後悔している。
○大ではコンプレックスを感じて友達を作れなかったが、それでも今いる環境よりはずっと楽だった。少なくとも呼吸はできた。
コミュ力なくても(アピールさえすれば)能力があれば存在くらいは認知してもらえた。
今のぬるま湯的でやる気がなくて周りの空気読み合うばっかりの環境は息がつまる。
30半ば毒男で首都圏の実家暮らし。不労所得ってやつを創り上げることに成功したので、手取り年収600万で暮らしてる。普通のサラリーマンで例えるなら、額面年収800万程度。これに加えて、今後の親からの相続予定を入れると、年収は5倍程度になる予定。日々の生活はのんびりしたもので、掃除洗濯したり、飯を作ったり、買い物したり、外食したり、ネット見てたりとか、暇な専業主婦みたいな生活をしてる。平均すると、一月に3万くらい遊興費で使ってると思う。
で、困ったことに、結婚及び今後の人生を考えなければならなくなった。
最近まで付き合ってた彼女とは、結婚まで話がいったけれども、結婚の条件として、相手の両親と彼女から求められたのは、この不労所得と実家からの相続を捨てて、婿養子に入り、一般企業に再就職すること。向こうも一人っ子だからわからないでもないんだが、自分が創り上げたものを捨て、見知らぬ地に婿入りして、仕事も生活も一からやり直すという選択は俺にはできなかった。
親が結婚相談所に登録してたので、いわゆる婚活というのもやってたことがあるんだが、成功に漕ぎ着けたことはない。25〜35歳位までの顔写真から、7割くらいに絞り込んで、あとはランダムに50人くらい選んでるんだけど、こちらからの希望は成立したことがない。3人くらいは、向こうからの申し込みもあったけど、どの人も初回〜数回でお断りされてしまった。
ここまでが現状で、あらためて今後の人生を考えてみたら、いろいろ残念な気がしてきた。
まず、今ある収入が途絶えることになった場合に、収入のあてがない。リスク分散として収入の源泉を増やそうにも、まともな就職は難しい。なにより、俺自身にそこまでの気力が既にない。安定した収入を創り上げるまでのギラギラした知識欲もなくなってしまったし、景気や法律も変わり、そのころの知識もだいぶ陳腐化してきた。再び同様の投資と成功をするのはむずかしいと思う。幸い学歴には恵まれているほうなので、MBAでも取ってみようかと思ったが、カリキュラムを読んで意欲が途絶えた。MBAと収入増加に関連性を思い浮かべることができない。頭の劣化がひどいのか。
つぎに、結婚するにも相手がいない。仕事と彼女のどっちをとるかで、仕事をとっちゃったくらいだから、いろいろアレなんだと思う。今まででも二人としか付き合ったことないし、彼女がいた期間よりも、いない(&それを気にしない)期間の方が圧倒的に長いし、積極的に女を探そうという気力がない。かといって、結婚相談所においてでさえゼロ勝の有様なんだから、よほど必死にならないと難しいのに。
そして、生きがいというものがない。今すぐ死んじゃうのは親や友人に申し訳ないので、これから眠って、目が覚めたら、85歳になってて、目覚めた直後に死にたい。仕事や趣味や妻子に生きがいを感じている人はいいが、やりがいのある仕事も趣味も妻子もない人はどうしたらいいんだろうか。
世の中には、もっと大変な状況にある人もたくさんいるだろうに、こんなにのんきな問題で考え込んでしまうような貧弱メンタルが一番まずい。
タートルネックのセーター、カジュアルなパンツ、茶色の革靴でセンスの良さをアピールします
椅子に座るときは座り心地を確認するかのように、何度も座り直します
何かしらブランドがわかるようなケースに入れたMBAを取り出します
MBAを机に置いたら、すぐに開かず、腕時計を外してMBAの隣に置きます
無表情を装い、周囲の人の顔を見渡します
脚を組みます
キーの打音が聞こえるように適度な強さでリズミカルにキーボードを使います
エンターキーを押す際は、さらに強打しつつ、人を見下ろすようなしぐさをします
難しいことを考えていることをアピールするため、腕組みやポーズをとります
パフュームあたりのノリノリの曲を聴きつつ、
顔には出してないことを主張するような表情をします
世間体の為にイケてる風を装うのってすげぇくだらねぇなぁ~と思う。
そう思っていて、そういう人たちを軽蔑してるんだけど、でもどこかでイケてる人たちを羨ましく思う。
ダーツバーとか、英会話教室とか、スノーボードとか、好きな映画は「時計じかけのオレンジ」とか、BURBERRYとか、フットサルとか、ナンパとか、昔はやんちゃしましたとか、大前研一とか、ドラッカーとか、MBAとか、青山のカフェとか。
イケてる風なものとは全く無縁の生活をしているから、本当は羨ましいんだと思う。でもこれってイケてる風を装ってやっていることだとしたらとても痛々しい感じだよね。地獄のミサワだよね。いわゆるリア充というのは、こういうのを好きでやっているのかイケてると思うからやるのかどちらなんだろうか。
某トップスクールのMBAの出身なのだが、その時に気になったのは、精神的な病気になって潰れる人の多いこと。
一応、学位を取って卒業する人が多いけど、人間として潰れてる。
なので社会復帰というか、企業人としてはもう使い物にならない状態で出ていく。
・企業派遣における、上司との関係(企業派遣のMBAホルダーは役員コース)
の3つに挙げられるわけだけど
この3つの理由で精神的に参ってうつ病になるところまでは良い。
でも、周りにケアできる人材の配置が無かったり、自分自身の立ち回りで状況改善できずに潰れる人
こういう個人的なプレッシャーや人間関係で潰れる人は、きっと、経営判断のプレッシャーにも、社内の政治にも耐えられない。
実際、この手の人はビジネススクール内でも人間関係に難がある。
大学が持っている問題は、こういう不適格な人材を入学させてしまう適性試験であって、プレッシャーのかかる教育をしてしまうことではないと思う。
というか、ビジネスエリートになることを企業も期待して派遣してくるわけだから、大学側は鞭を振るう手を休めるべきではないのだ。
それを、学内でうつ病とかになった人を甘やかしてる傾向が見て取れて、ちょっと違和感を覚えた。
学歴とういのは どういう大学のどういう学科を出ているか?なので
MBAを持っているとかCSを卒業しているとか、資格として認められるのは一般的だし
区別と差別は、それぞれ、行為に対する名称であって、あからさまに違うからなぁ。
言い方を変えれば、経営においてMBA持ちとCSもちを同じに考えるのは違い、MBA持ちが優先されるべきだし、IT系ならCS持ちが優先されるべき。
そういうのは差別とは言わない。
学歴とは資格であって、資格に基づきフルイにかけるのは順当な行為。
他方、学歴をブランドとして、特定の取得単位・資格要件に基づかず、ブランドに基づいてフルイにかけるのは差別で合理性はない。