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はてなキーワード: 僕は思うとは

2024-04-23

地獄

人生という言葉自体に腹が立つ。ムカつく。苛々する。ここんとこ自分はそうして日夜怒髪天をつく勢いで怒りまくっているわけであり、日毎に壁を殴ったりテレビを罵りたおしたり寄せ鍋をつついたりしているのだけれど、自分という阿呆は怒りの対象も判然としないままにそうして無闇やたらと怒っているもんだから、当然その怒りに長期的な継続などはなく、又、それがなにがしかエネルギー喚起させて自分が生きていく上での力となるなんてこともない。怒りはやがて雲散霧消し、自分はどうでもええんちゃうん、と吐き捨て、テレビを消し、糞を垂れて寝る。救いようのないぼけ茄子

 

そしてぼけ茄子しか貧乏といった二重の苦しみを背負っている自分絶望的なことにバイトなどでくだらん汗水を垂らさねば、後は窃盗強姦などに走って一生刑務所暮らしとなり果てるより他に無いので、まぁ刑務所よりはなぁなんつってバイトなんてもんに行く。嫌やなぁ、働きたないなぁ、自分はしかめっ面で自動改札に定期を挿入し、うひゃあ、なんつって目を瞑りながら改札を通って駅のホームへと向かう。きついですよ、本当。んで駅のホームには傘をゴルフクラブ見立てスイングの修練をしている中年サラリー野郎がって、嘘です、今時そんな絵に描いたような人はようおらんのですが、代わりに「終日禁煙」ってずどん、と書いてある横でぷかりぷかり煙草を燻らせている面白い髪の色の方がいらしてたので、自分はその糞たわけの煙草をわっしと掴んで地べたに放り捨て、ふざけんなゴミが、という諫言とともに頬の二、三発でもはってやろうと思ったんですが、何とその方電話中で、はは、悪いもんね、邪魔しちゃ、っつって僕もその人の横で煙草を吸うた。そうこうしてる内に電車がぷきーとふざけた音を出しながらちんたらとホームに進入してきたんで、自分も無表情な衆愚どもに混じって車内へと乗り込むんですが、乗り込んだ途端にぐぎゃぁぁあぁぁとどっかの阿呆餓鬼がいきなり泣き出すわけですよ。たまらんね。握ってる吊革を思わず引きちぎりそうになるほど腹が立つ。ああいう時ってきっとその餓鬼の親以外、ひょっとしたら親も、ともかくその場にいる全員があー殴り散らしたいって思ってるんだと思うんですよ。だから餓鬼はその負のパワーを感じてさらに泣きやがるんです。地獄やね。因果は巡るんよ。ぐぎゃああぁぁああぁぁ。

 

で、たまらんなぁ、早く降りたいなぁ、って僕は思うんですけど考えてみたら電車から降りたら僕はバイトに行かなあかんので降りた所で地獄やないですか。だからこのまま電車脱線事故するなり爆破されるなりして、ともかく無茶苦茶になってくれればええのにって思う。したら餓鬼死ぬ自分バイト休めるしね。いいことづくしなんです。しかしそんな自分の思惑をよそに毎回毎回電車はきちんと目的地に到着しやがるわけで、自分はそんな律儀にされてもかなわんなぁ、なんて思いつつも結局はとぼとぼ肩を落としてバイトに向かう。帰りたい。でも帰ると今度は金が無くなるんでどっちみち地獄

2024-04-17

僕のおじさんは変な癖を持っている

それは「ここ」を「そこ」って言うことで、「そこ」を「ここ」と言ってしまうこと。

ややこしいことなのだけど、どういうことか分かりやす説明しよう。

例えば僕とおじさんが一緒に歩いていて、昼ごはんをどこかで一緒に食べようという流れになったとする。

するとおじさんは「そこで食べよう」と言うので、僕は10メートぐらい先にある〇クドナルドのことかと思って「ああ、うん」なんて肩を落としながら返事をするとおじさんは体の向きを変えてすぐ横にあるステーキハウスに入っていく。

「え?おじさん、そこの店じゃないの?」

僕が訊くとおじさんはここでこう言うんだ。

「だから言ったろ。そこの店にしようって」

こんなおじさんだからトラブルはつきもので、タクシーを利用するときもそうだ。

だって「ここでおろしてくれ」とおじさんが言ったとしよう。

すると当然タクシーはその場で停まるわけだ。

でもおじさんはそれに怒る。

「なんで停まる!?ここで降ろしてくれと言っているだろ!」と怒鳴り散らすんだ。

運転手さんのほうも負けじと「だから、ここで停まったんでしょうが!?」と反論するもののおじさんは納得しない。

でも正しいのは運転手さんの方かもしれない。

おじさんにとっての「ここ」は運転手さん、いや世間の言うところの「ここ」じゃなくって、「そこ」なんだから

僕たちの感覚で言えば「そこ」っていうのはおそらく「ここ」より先の方で、もしかしたら通り過ぎてしまった「そこ」かもしれない。

おじさんが言葉の使い方を間違えているといってしまえばそれだけのことかもしれない。

でもおじさんは自分の「ここ」と「そこ」の使い方が間違っているとは思っておらず、かといって誤解されようとも直そうとしているのを見たことがない。

これでもう十二分にわかってもらえたと思うけど、とにかくおじさんは変人だ。

でも偏見を持って言えば、研究者にはそういう人が多いって聞く。

からおじさんもそういった人なのかな、と僕は思うようにしている。根はいい人だからね。

2024-01-07

追記あり被災地に行くのがだめってやつ

理屈は分かる。道路渋滞したら大変。わけわからん人間やわけわからん物資で溢れかえったら大変だてのも分かる。

僕も先の震災の1ヶ月後にボランティアしにいったから、いろんな人がいろんなもの持って集まるカオスは少し体験してる。

発災一週間も経たないうちに、道路機能してない時に素人の思いつきの行動が致命的になり得るのは確実で、自制を広く求めるのは当然だろう。

でも、あまりにもツイッター上の合唱は行き過ぎではないかと思う。ジャーナリスト政治家がいち早く入って状況を把握するというのは災害時において非常に重要だと僕は思う。そしてここで言うジャーナリストは、所属によって限定されてはいけないと思う。「災害時なので公認ジャーナリストしか報道してはいけません」なんてのは、まさに言論の自由に関わる問題ではないか

なんか「とりあえずお上の言う通りにしておくべき」みたいなの、あるいは「人に迷惑をかけてはいけません」みたいなの、行き過ぎてないかと感じる。

タイミング。今はインフラ物資も人も何もかも混乱しているから、素人は行くべきではない、というこういうときこそ、政治家ジャーナリストは真っ先に行くべきなのではないのか?

まああと、タイミングは最悪だけどテンガを配るってのはまあありだと思ってる。今じゃないだろうけど、こういう嗜好品しかセクシャルものは、需要はあっても供給はまずない。で、避難所に送っても配り方困るだろうし、やっぱり自分で現地に持っていって手渡しという形になるんだろうね。タイミングは今ではないけど。ただ、じゃあいつならみんなが良いというのかというとなかなかそうはならないだろうね。

追記】さっきブクマに「被災者避難所でテンガ使いたくなるわけないだろ」みたいなコメントがあって(もう消えてるけど)それのおかげで言いたいポイントの一つが明らかになったんだけど、テンガ使いたい人だってもちろんいるんだよね。絶対に。命にはかかわらないけど、それがあると落ち着くとかそういう。避難所じゃなくて自宅かもしれないし車内泊してるかもしれないし。被災状況なんて人にも場所ももちろんよるんだから、どんな美味いものでも悲しみで飯が喉を通らない人もいれば、カップラーメンばかりだからせめて味変用の調味料がほしいなって人もいる。この地域道路がそこそこ大丈夫ばんばんボラ来てほしいとか地域によっても違う。

で、そういうのってまさにジャーナリストがやってくれないと困る仕事なんじゃないの?刻一刻変わる道路物資需要などの状況変化、どうやって知るの?「今じゃない」って言うけど、じゃあその「今だ!」を知るのはどうやって?国や自治体だってそれを全て把握して発表するなんて無理だよ。

あと、いろんなタイミングでいろんなもの必要なんだよ。被災いっかの石巻にも、ギタージャグリング道具抱えた人とかいっぱいいた。こっそり酒やタバコエロ本配ってる人もいた。タイミング的に正直迷惑だったかもしれないし、不謹慎だったかもしれないし、多くの人には求められてはいなかったかもしれない。でも、まさにそのタイミングジャグリングを求めてる人だってたかもしれない。とりあえず生存には余裕ができたけど何もできなくて気が急いてる時に、ただただ飛んでるボールを眺めることが前向きになるきっかけになったかもしれない。ほんとに気に障るだけの人が多いんだろうけどね。

ほんとに当たり前だけど「被災者」も色々いるじゃん。石巻にもいたよ。「儲かって忙しくてたまらないわー」って笑いが止まらない地元業者社長もいた。「ボランティアありがとうございます無料なので遠慮なく入って何でも食べて下さい」って掲示してる飲食店もあった。その店の人にとっては、多分ボランティアがいっぱいきて無料で食べていってくれたほうが嬉しかったと思う。ほんとに色んな人がいる。「こんなに助けてもらってさら性的欲求の解消なんてとんでもない、不謹慎だ」とか自分を押し殺してる人たくさんいるだろうけど、すごいストレスだよ。こういう時に画一的でない活動をするのに、現地入りして情報とってくる人ほんとに大事になるはずなんだよ。

もっかいいうけど、「今じゃない」と言えるのは現地の情報があるからだ。奥能登では今じゃなくても金沢だったら「今」なのかもしれない。そこで「金沢ではテンガとジャグラーが足りません」なんて公式情報出てこないでしょ。今を知るために人が入るのは絶対的に重要

2023-12-06

anond:20231206142855

こういう倹約意識を持って生きて、年収400万ぐらいの男と結婚して子供3人産んで立派に育てる

それが女性の目指すべき姿だと僕は思うんですよ

2023-11-22

女性声優結婚する年齢が下がっている件について考えられるのは声優をする人の数が多くなったからやと僕は思うねん

その方が消費スピードが早うてええやろ?

2023-09-04

不審者情報】「サボテンが赤い花を付けたよ」と言って「急いでおいで」って児童に催促をする

不審者僕は思うその仕草セクシーだと」

2023-09-03

僕は思うんです。

”こんな世の中だから、せめて創作物語ハッピーエンドで終わってほしい”とみんなが言います

でも、それは違うと思うんです。

希望もなく、光にも乏しいこんな世の中だからこそ、物語はアンハッピーエンドで終わるべきだと。

そうすれば、少しは自分の方が明るく見えるはず。

現実に戻った時、自分の方がまだマシな方だと思える。

そっちのほうがよっぽどハッピーエンドよりも尊い終わり方ではないでしょうか?

2023-06-22

anond:20230622182324

オードリー春日は売れる前、ほぼ収入なしでむつみ荘(だっけ?)で極貧生活をしていた頃でも楽しかったらしい

さらに200万も貯金できた

そこに弱者男性が生きる道があると僕は思う

負けたという先入観が人を負かすんだ

勝てば官軍なんだから勝ったつもりでいればいい

人生それだけの話なんだ

2023-06-07

anond:20230606215618

横だけど生まれつき治らない障碍なんかを抱えてると周囲の普通人間は全て不条理存在しかないよ。

そしてこんな事実は知らなくていいなら知らない方が幸せだと僕は思うんだな

2023-06-01

松本人志氏への提言審査員という権力中田敦彦 書き起こし 1/2

https://www.youtube.com/watch?v=fHrzrL06I2A

動画も見てね。収益化停止してるということで書き起こししました。

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今日はですね、「THE SECOND漫才トーナメント」という大会についてちょっとお話ししていけたらなと思っておりますね。

いやーまずね、あの「THE SECOND」が放送されたタイミングと同じタイミングオリラジ

アカデミーって僕らのYouTube大学で、藤森くんとの番組生放送してた。生放送という

プレミア配信してたんでね。うわ、裏被ってるよと思ったんですよ。

なんかコメント欄でも「『THE SECOND』とかぶせんじゃねえ」とかって、「もうお笑い芸人が『THE SECOND』とかぶせんな」とかあったんだけど。ふ~ん。あっ、かぶってんだぁ。

僕「THE SECOND」って知ってたし、興味なくはなかったんですよ。言ったらもう

知り合いとか先輩が出まくってるから。あぁ、あの先輩どうなったのかなとか、知り合いどうなったか三四郎とか同期だしね。

うーん。言ったらギャロップさんとかもね。若手の頃に大阪劇場でご一緒させてもらったりとかそういうのもあったからねぇ。もうベテラン枠。15年以上が出るんですよね。大会でね。で、客評で決めていくと。そこまで知ってたんだけども。いつかってまでやってない。こっちはこっちでさ、あのスケジュールがあってこの日にっていうのが、たまたま一緒だったから。

あ、そうなんだ。わ、一緒かぁと思いきや、視聴者層の違うし。何だったら戦いだと。常にね。あらゆるコンテンツつうのはずうっと戦いだから。やってるじゃねえかぐらいの感じで

オンエアしましたね。

その結果ね、僕のほうのYouTube大学が急上昇ランキング4位までいきまして。相方のほうの後編は急上昇ランキング1位になりましてね。よかったなあと思いましたよね。その「オリラジアカデミー」木本さんにも活躍していただいてみたいな。そういうのもあって。

でも裏だったしって思ったんですけど。だって見ないで何か論じるのっておかし

よねと思って、見たわけですよね。

ギャロップさんですとか三四郎漫才を見ましたし。大会のあり方そのものも含めてね。

中田がどう思ってんのかっていうことですよね。はい。ここなんですよね~。

これでさネタ面白かった云々っていうのもそれもあるんだけど、大会のもの

どういうふうに中田、捉えてるのかっていうことで言うと。

本当にいろんな側面があると思う。単純に「M-1自体そもそもは「M-1」との兼ね合いの中で生まれ大会じゃないですか。「M-1」はテレ朝でやってて。この「THE SECOND」ってフジテレビでやってるんでよね。

そんな中でテレ朝が作ったこの「M-1」っていうのがいろんな、その後賞レースできましたけども、すべての雛形になってるような形ですよね。

というのもお笑いで言うと東京ってああいお笑いの賞レースって。

ショータイムのショーのレースじゃなくて受賞の賞ね。賞レースって我々言ってるんだけど、賞がついてるレースだよね。こういう大会自体が、関東あんまなかったんですよ。テレビ局は。でもこれ、関西文化大阪ABCお笑いグランプリとかなんとかMBSアワードとかなんかいろいろあるみたいなんですよ。

でもその吉本の中でも大阪東京って全然文化が違うから、その東京人間がじゃあ大阪に行って大阪の賞をとれるかっていうと相当厳しいんですね。大阪の賞は大阪芸人のものだっていうのが、大阪テレビ局の中でも芸人さんの中でも視聴者の中でもどっかあるんですよ。

から東京から来た奴らっていう感じだから、なんかね大阪の賞レース文化ってちょっと遠くに見てたんだけど。ただ吉本興業ってすごくその賞レースを中心とした事務所なんですよ。だからそのテレビでどれだけ売れたか以上に漫才の賞を取ってるかどうかで劇場のギャラが上がる下がるとかっていうのがあったりしたんだよね。少なくとも俺がいた時は。

から僕はずっと不平等だなと思ってたの。なんで、東京はショーが少なくて大阪はショー

がいっぱいあるのに賞を取ったらギャラが上がるんだよって。フラットじゃなくない? 大阪超有利じゃんとかいろいろ思ったわけ。

でもそれはそれで、テレビ局全国ネット東京にあるんだから東京芸人は売れやすくて有利じゃないか大阪から移住しなきゃいけないんだぞとか、いろんな理由があるから

必ずしもね。そのどっちがっていうのはないと思うんだけども。その大阪の賞レース文化っていうのはなんかすごく遠くに見てたんだけども。

そのM-1っていうものができて僕はそこに吉本って入ったの、「M-1」ができた後ですから

2004年NHK入って5年にデビューするんですけど、2001年に「M-1」始まって。僕は大学生の時に大学1年生の時に「M-1」ってのが始まったっていうのがね。覚えてますから

その「M-1」の大会存在意義っていうものも含めてこのセカンドができたわけですよね。「M-1」っていうものは要するに1年目から10年目までしか出れなかったですよ。まず

これは島田紳助さんが10年やって売れないんだったらもう諦めてもいいんじゃないかっていうことでお笑いという、いつ売れるかわからないけれど、そのためがゆえにズルズルやっちゃうという芸人さんを産まないために10年目までに光を浴びないんだったらやめなはれ

というですね。

そういう言ったら厳しい愛の鞭のような意味を持った年齢制限だったわけですよ。

ところが1回終わるんだよね。「M-1自体がね。なんでかって言うともちろん紳助さんが辞める辞めないとかもあったんだと思うんですけど。それ以上にやっぱりこう、10年目までのおもしろい人たちが大概出ちゃって。ちょっとこう、「うーん…。なんか、どうする?」みたいな状況になった中で。「THE MANZAI」とかできたり、(一緒に?)しましたよね。

そんな中でまた戻って、15年まで広げたんだよね。芸歴15年まで出れるようになったわけ

よ。この時点でかなり中堅に優しい大会になったんだよね。

これ10年って、俺が、俺はずーっとこう最初デビューした時に武勇伝っていう

もの自体そもそも漫才じゃないっていうことで準決勝まで行けたんだけど決勝に上がれ

なかったんですよ。

そこから漫才じゃなきゃいけないんだと思ってずっと漫才やってたんだけど、漫才自体が俺が一番向いてるフォーマットじゃなかったんじゃないかって思ってたし。僕らの実力不足でいけなかったんだよね。優勝も決勝までね。ずーっと敗者復活とか準決勝で敗者復活。ずーっと。そんな感じだった。

そんな中で、でもまあ10年でやめれるっていう側面もあるわけよ。あれって。

芸人からすると。もう出なくていいっていう側面もあるわけよ。ところが15年まで広がることによってずっと出なきゃいけなくなっちゃうんだよね。

ここね。でも15年で言ったら解放されるって所があるわけよ。解放されるのか? それともチャンスがなくなるのか? この2つの視点があることがすごい大事なの。

で、「THE SECOND」始まったんだよね。15年以上のキャリアの。ということはだよ? これ、全キャリアがその賞レースに向かうことになったわけですよ。

この「M-1至上主義っていうのが「M-1」で見出された人たちはたくさんいるん

だけど、俺からすると正直みんな「M-1」目指しちゃってもなーって思ってたんですよね。

もちろんいろんな意見あると思うよ。「お前は決勝行ってないんだから黙ってろ」とか

いろんな意見あると思うけど、「M-1」ばっか目指しちゃうんですよ。みんな。

売れるために「M-1しかないって思ってる人もすごい多かったのね。今、わかんない。「YouTube頑張れ」とかっ言う人もいるかもしれないけど、「M-1しか

ないと思って、「M-1」で何とか売れるために1年準備して「M-1」に行くんだけど、「M-1」のすごいところって、発掘してるっていう側面もあるんだけど、選抜してるっていう側面がすごい強いから。言ったら「M-1」で優勝したとか準優勝したとか、それぐらいの功績を残した人たち以外は、言ったら日の目を見ない大会なんですよね。あんまり

特にM-1」の決勝出たけど、下位だったっていうコンビって、逆にレッテル貼られたりするじゃないですか。相当しんどいんですよね。僕の感覚からすると、お笑いって

漫才だけじゃないんですよ。まず。

漫才が偉いとかも実はないんですよ。だけどあの大会のすごいところは、漫才が偉

いっていうふうにしたところで実はみんな2001年からお笑いの流れしか知ら

ない人って漫才ってすごいもんだって思ってると思うんですけど。

実はそれよりちょっと前って、言ったらボキャブラとかの時代って漫才師のほうが少なかったんですよ。ネプチューンさんとか、ナインティナインさんとかロンブーさんとかの世代

ってどっちかというとそのショートコントとかコントとかそっちのほうが多くて、漫才ってちょっとレトロ演芸になりかけてたところがあったんですよね。

それをルネッサンスしたのが、復興したのが、復活させたのが「M-1」だったわけなんですけど、そういう風に相対的に見ると漫才っていう演芸コントっていう演芸とそれ以外の演芸っていうのは実は本当はフラットなんですね。

みなさんの中で落語漫才どっちが偉いですかとかって言われてもなんか「う~ん、知りません」って感じじゃないですか。だけど昔は落語のほうが圧倒的に偉かったですよ。これ。

落語家さんは出番が黒い文字で書かれてて、それ以外の漫才師さんとか手品師さんとかそういう人たちは全部赤い文字で。色のついた文字で描かれて紹介されて落語という主の演芸を賑やかす、いろもんって言われてたんですよね。そういう感じで時代によってこの演芸格式が高いっていう認識って全然違って。

ある時は落語、その後である時は漫才みたいになったりもしたんですけど。それはすごく相対的ものなんですよ。すごく相対的もの。そんな中で「M-1」っていうものがもたらしたのは、僕から言うと漫才至上主義に近いものでそれのカウンターカルチャーに置かれちゃったのが「エンタの神様」とかなんですよね。

エンタの神様はどっちかっていうと「ボキャブラ」とかそういうのもそうなのかもしれないですけど、テレビバラエティの中で言ったら何でもいいからやるっていう感じですね。

もちろん漫才とかもやる時間もあったけど、漫才時間は「エンタ」ってすごい少なくて漫才師は出づらいって言われて、タカアンドトシさんでも「コントで出ろ」とか、サンドウィッチマンさんでもコントで出ろとか言われて、コント漫才を直してやるぐらい、お茶の間センターマイク1本で2人が立ってるだけの演芸は伝わりづらいだろうっていう五味和夫さんの強い意向によってコントにしていくっていう。そっちのほうがテレビ的じゃない?っていうそういう流れの中でやられてたんですけど。

から言ったら「エンタ芸人と「M-1芸人って、2種類あるとしたら、なんかエンタ芸人のほうが一発屋の扱いを受けることのほうが多くないですか? でもね、冷静に考えてほしいんですけど、エンタ出身で売れ続けている人もいっぱいいるし、「M-1」出たけど一発で終わった人もいっぱいいるんですよ。

そうですよね。「M-1」の決勝に出たけど、今その後出てない人も全然いるんですよ。だけどなぜか「M-1」で決勝を出て、その後売れてない人ってのはあんまり一発屋だって言われないんですよ。こういう、まず流れがあるんですね。なので、「M-1」は漫才格式が高いっていうふうに見せた流れがあることと、キャリア10年って限定してたんだけど、それを伸ばしたっていうことがあるっていう事がまずあるんですよね。

そんな中で、僕がもう1個問題だと思ってるのが、実はその若手がすごく、その「M-1」に集中しすぎちゃって、逆にチャンス減ってんじゃないかなと俺は思った時期があったんだよね。他の出方、いっぱいできるんだもん。「M-1」に向けてだけやる人、すごい多くて。

減ってる?チャンス、もしかしてって思うこととか。あとね、他の賞レースとの大きな違い。これ、功罪両方あるんですけど。「M-1」って圧倒的に審査員に光がめっちゃ当たるんですよ。審査員がなんて言うかっていうのは超重要なんですよね。

特に松本さんだよね。松本さんが「うーん、もっと点数入ってもよかったと思いますけどね」って言ったら、順位が低くてもものすごいフォーカスされたりしますよね。あれがもう圧倒的な特徴なんですよ。この「M-1」の「M-1」の圧倒的な特徴が、審査員ものすごい力があって、審査員ものすごい光を当てられる。

あんなに審査員が華々しく登場する賞レースってないんですよ。最初の1時間ぐらい、実はネタ始まるかなと思う。始まんないじゃないですか審査員の紹介が、結構長い大会なんですよ。だからこそ成功してるとも言えるんですよ。

他の大会見てると、重みがあんまりなかったりするんですよ。要するに言ったらネタ番組差別化が図れないんですよね。だからこそ大御所審査員のほうが厳しいこと言うとかがすごいフォーカスされますよね。上沼さんがとろサーモンさんに対して何か言ったとか、和牛さんに対して何か言ったとかもすごい注目されるように、紳助さんがなんか言うかとか。

でもなんせとにかく松本さんがなんか言うかっていうところすごく強かったわけですね。M-1ってね。これが大きな特徴。そんな中で、僕がずーっと思ってたことは、松本さんがあらゆる大会にいるんですよ。

これ冷静になって考えてほしいんですけど、「1本グランプリ」にもいらっしゃいますよね。「滑らない話」もいらっしゃいますよね。漫談でも大喜利でもいるんですよ。なんだかんだで、その若手を審査するっていうお仕事めっちゃ多いんですよ。それは第一人者からカリスマからっていう意見もあると思うんですけど、今までもカリスマ的な芸人さんってたくさんいたんですよ。

たけしさんとかさんまさんもそうじゃないですか。でもたけしさんやさんまさんはそんなに審査員いっぱいやらないんですよ。ここが松本さんの特筆すべきところで。

松本さんはあらゆる大会主催して、あらゆる大会の顔役になってたんですよね。ここで非常に重要なことが、賞の審査員が、どのジャンルでもですけど、実はその業界で一番力を持つことが大きいんですね。例えば、だから芥川賞ってすごい有名な賞ですけど。

芥川賞審査員をやっている作家が一番偉いんですよ。実は。なんでかというと、どの作家がいい文学かっていうのを規定できるからなんですよね。この文学がいけてる。なぜなら、こうだからだっていうふうに決められる作家が一番偉いんですよ。

から太宰治とかは、それを賞を、僕に、芥川賞を僕にくださいとか言って審査員にお願いしに行って断られたりとかっていうことがあるわけですよね。

それぐらい、その審査員って権力なんですよ。この権力分散していたらまだいいんですけど集中してるんですね。なんせ漫才だけでキングオブコントもそうですよ。キングオブコントにもいて、「M-1」にもいるって、要するに言ったら、主流二種競技なんですよ。漫才というかコントって。その両方にいて。なんと大喜利にもいて、漫談にもいるんですよ。4種競技。5種競技だとしたら、全部のジャンル審査委員長松本人志さんっていうとんでもない状況なんですよね。これって。

たぶん他の業界だったら信じられないぐらいの独占状態にあるんですよ。これ、どうなるかって言うと、松本さんがおもしろいっていうか言わないかで、新人キャリアが変わるんですよね。その権力集中っていうのは、1個の見方で言うと松本さんがそれだけ偉大な人だから求められてるんだって見方があると思うんですけど、求められてるっていうことと、実際にやるっていうことはちょっと違うことなんですよね。

求められてたとしても、冷静に考えたら実際にやることがその業界のためになるかどうかでいうと、もう僕の意見で言うとあまりためにならないと思うんですよ。なんでかって言うと一つの価値基準しかないっていうことは、それ以外の才能は全部こぼれ落ちるからなんですよ。

その人の理解できないお笑いに関しては全部こぼれ落ちていくんですよね。いや、とはいえ中田とはいえ、それでうまくいったんじゃないか、「M-1」は成功したんじゃないかっていう議論があると思うんですけど。

もちろん素晴らしい芸人さん出てったんですけど、この「M-1」における成功って何なのかってことだと思うんですけど。それってネクストスターの発掘じゃないですか。

まり本当の成功って松本さんを超える芸人が出てくることなんですよ。「滑らない話」「M-1」この「キングオブコント」「1本グランプリ」もう何年もやってますよね。「M-1」にいたっては2001年からから、言ったらもう20年近く。休んでいった期間があるとはいえ20年以上やってるんですよ。20年やって、松本さんを完全に超えたっていう芸人さんをこの全大会全部やってですよ、誰か産んだんすかって言うと、誰かが新しい大会審査委員長になって、みんなが納得するような人が出てきたら、もしかしたらそれは成功したっていえるかもしれないですよね。

ところが、新しく始まった「THE SECOND」のアンバサダーという役割は、松本さんなんですよ。わかります? つまり20年間松本さんは松本さんを超える才能を発掘できなかったんです。発掘できなかったのか、どうなのか。

それとお笑い回は、今向き合わなきゃいけないと僕は思うんですよね。みなさんがどう思うかわからないです。僕の意見だけ言うと、ここのっていう、このアンバサダーという立ち位置がすごい微妙立ち位置ですよね。なんでかっていうと、審査に影響を与えない大会の顔だけを求められてるわけですね。権威だけとしてアンバサダーってあるわけじゃないですか。

ブランドアンバサダーかいますよね。でもそれは広告塔であってブランドディレクターではないですよね。クリエイティブディレクターとかではないから、広告塔になってくださいという言い方なんですけど。ただね、ここ、すごいポイントなんですけど松本さんってめちゃめちゃ評価に介入していくタイプの人なんですよ。

今回それが浮き彫りになったのがマシンガンズさんの時ですよね。マシンガンさんが自分たち書き込み自分たちについての書き込みを読み上げていくぜって言って、「マシンガンズがこういうふうに言われてる! なんでだよ!」って突っ込んでいくっていうネタがあるわけですけど。

それをやってすごいウケたわけですよね。ウケた後に、「いやでも、あの紙を出すのっていうのが、どう捉えられるかな」っていう意見を言ったわけですよね。あれがいわゆる介入。

価値観への介入に値するわけですね。

M-1」でもそういうことはたくさんやってきたんですよ。「M-1」でも、もっと受けてもよかったけどなとか、もっと点数入っても良かったけどなってなった時に、「あっ、えっ? そうか。点数はもっと高くあるべきなんだ」と。「この人たちは面白かったのにうけなかったのは間違いなんだ」っていう。あれは審査とか、価値への介入なんですよ。

それをまあ積極的に求められてるから審査員なんじゃないかっていう見方で言うと、今回審査員ではないにもかかわらず価値に介入していったんですよね。その価値への介入を、しかも今回凄かったのが、跳ね除けちゃったんですよね。客票が。マシンガンズが勝っちゃうっていう。だから余計に変な感じになるわけですよね。

「ん? どっちなの?」っていう。紙を出しても良かったの?良くないの?

2023-05-28

日本マクドナルドはなぜメニューホットドッグレギュラー化しないのか?あるいは日本ホットドッグ屋が普及しないのはなぜなのか?

これはね、僕もずっと疑問に思ってたんですよ。

なんで日本ではホットドッグ流行らないんだろうと。

ハンバーガーはあるのに、ホットドッグはない。どうしてだろうと。

そこでね、僕は色々調べてみたんですよ。

日本マクドナルドの公式サイトに行ってみたんですよ。

そしたらね、なんと驚くことに、ホットドッグは一度だけメニューにあったんですよ。

一度だけ。しかもね、それは2009年の夏限定キャンペーン商品だったんですよ。夏限定キャンペーン商品

まりね、日本マクドナルドはホットドッグレギュラー化する気が全くないということなんですよ。

全くない。どうしてかというとね、僕は思うんですけどね、日本人はホットドッグに対して抵抗感があるんじゃないかと。抵抗感がある。

なんでかというとね、僕は思うんですけどね、ホットドッグっていうのはね、パンソーセージを挟むだけじゃないんですよ。

パンソーセージを挟むだけなら簡単なんですよ。でもね、ホットドッグっていうのはね、パンソーセージを挟むだけじゃなくて、その上に色々トッピングするんですよ。色々トッピングする。

例えばね、マスタードとかケチャップとかレリッシュとかチリビーンズとかチーズとかオニオンとかピクルスとかサワークラウトとかコールスローとかバーベキューソースとかメイプルシロップとかチョコレートソースとかアイスクリームとか……

え?アイスクリームチョコレートソースメイプルシロップ

そうなんですよ。これがね、アメリカでは普通に食べられてるんですよ。普通に食べられてる。信じられますか?信じられませんよね。

でもね、これがね、アメリカでは美味しいと言われてるんですよ。美味しいと言われてる。どういう味覚なんでしょうね。どういう味覚なんでしょう。

僕は思うんですけどね、これはね、日本人には受け入れられないものなんじゃないかと。受け入れられないもの

からね、日本マクドナルドはホットドッグレギュラー化しないし、日本ホットドッグ屋が普及しないんじゃないかと。そう思うんですよ。

僕はね、正直言ってね、一度も食べたことがありませんよ。食べたことがありません。食べたくもありませんよ。食べたくもありません。

でもね、もしかしたらね、これがね、すごく美味しいものなのかもしれませんよ。すごく美味しいもの

からね、僕は勇気を出してみようと思いますよ。勇気を出してみよう。

今度アメリカに行ったらね、ホットドッグを食べてみますよ。ホットドッグを食べてみます

でもね、一つだけ条件がありますよ。一つだけ条件があります

それはね、そのホットドッグを食べる前に、僕は必死祈りますよ。必死祈ります

神様……お願いします……

このホットドッグを食べた後に……

僕が死なないで済みますように……

2023-05-26

僕らはエンジニアである前に社会人であり、日本人である

チャットでchat gptって書いたらChatGPTだと怒られた」

新米エンジニアtwitter上でこのような発言をし、そこに追い討ちをかけるように無数のエンジニア糾弾してる場を見た

要は正式名称で呼ぶのは当たり前だと

自分は穏やかに過ごしたいので、ネット上で書き込みをしたりは滅多になく、持論を述べることなど一度もなかった

が、markdownで下書きしたもの書き込み欄にペーストしてプレビューした時に大量に表示崩れが起き、それを逐一はてな記法に直すという世界一無意味時間を消費してでもちょっとだけ言わせてほしいことがある

要は指摘しなくていいのではないか

表記を指摘することの問題点

1. 指摘されると言われた側は嫌な気持ちになる(コミュニケーションが上手な人の指摘であればむしろ会話のタネになると思うが、twitter上で観測している限りでは不快感を抱かせるような指摘の仕方をする人が多いように見受けられる)

2. 指摘するモチベーション自身不快感からであるように思える

3. 知ってる上で変換が面倒だからそう書いてるケースもあれば、単純にタイポしちゃったってケースもある

4. 投稿都度、心理的ハードルコストが生じる(投稿前に誤りがないか調べる)

1と2は僕の感想憶測なので無視してもらってもいい

ただ、3や4に関しては僕らエンジニアの大嫌いな負債たり得るものじゃなかろうか

  • 3のような理由での投稿も、チャットグループ内に指摘魔がいると、いちいち修正しないといけなくなる(そんなことしてる暇があったら1行でも多くコード書いた方がいいのでは)
  • 指摘された人が真面目な人なら技術用語を含む投稿をしようとするたびに正式名称を調べるようになってしまうかもしれない(そんなことしてる暇があったら1行でも多くコード書いた方がいいのでは)
  • 誤りがないか文章推敲する時間が増えてボールの移動が遅くなるかもしれない(そんなことしてる暇があったら1秒でも早くボールを回した方がいいのでは)

そういった結果、コミュニケーションを取るのに若干のハードルが生まれ、伝えるべき内容を伝えない事例などが出てきたらそれこそ損失に繋がりかねない

それって負債じゃね、と

あなたの指摘によってチャット内の人のコミュニケーションを取るためのハードルが高くなった結果として得られるリターンはというと


だけではなかろうか

個人的には全く釣り合ってないなと思うのだがどうだろう(他にもリターンがあるのだとしたら自分の考えを改めるための判断材料になるので教えてほしい)

エンジニアである前に社会人であり、日本人であり、人間である

あなた技術用語正式名称漏れなく知っている優れたエンジニアなのはわかった

でも同じくらいビジネス用語日本語精通しているだろうか

僕たちは雇われであり、つまり社会人

エンジニアとして働いてる社会人

社会人として生きている日本人

技術使用する技術者なのであれば、技術用語をほんの一文字も間違えるな」が通るなら、

ビジネス用語敬語を用いてビジネスを回す社会人なのであれば、ビジネス用語敬語をほんの一文字も間違えるな」がまかり通り、

コミュニケーション日本語使用する日本人なのであれば、日本語を少しも間違えるな」も筋が通ってしま

ともすればこのようなコミュニケーションが発生するのではなかろうか

A「chat gpt

B「正しくは'ChatGPT'ですよ」

A「ここの実装はこれでよろしかったでしょうか

B「正しくは'よろしいでしょうか'ですよ」

A「ここの処理が重複(じゅうふく)してます

B「正しくは'ちょうふく'ですよ」

「こんな会社slackは嫌だ」の大喜利会場かな?

僕らは日本語教室してるわけでもなければ、技術用語教室してるわけでもない

コミュニケーションをしている

コミュニケーションとは情報の伝達であり、情報の伝達プロセスで誤表記の指摘は本当に必要なのだろうか

もちろんコード上では指摘すべき

開発するためのツールであるエディタ(=コード)上での誤りは見逃すべきではない

なぜならシステムに支障をきたしかねないか

指摘したあなたビジネスに貢献したと僕は思う

ただし、

コミュニケーションを取るためのツールであるチャット上での誤りにはどうか目を瞑ってほしい

なぜならコミュニケーションに支障をきたしかねないか

指摘したあなた会社に損失のタネを植えたと僕は思う

(言うまでもないかもしれないが、取引先の人間を含むグループなどで相手方名前を間違えるだとかは裏でこっそり教えて直してもらうべきだと思う。そう言うのは例外ね)

2023-03-21

anond:20230318103650

さあ、みなさん、氷河期負け組の話をしましょう。何が彼らを苦しめているのか、考えてみると、努力不足、他責思考無気力市場価値ゼロ無駄な上昇志向などが挙げられますよね。バブル世代やZ世代にも同じような傾向が見られますが、僕ら氷河期世代負け組特に厳しい状況に置かれています

僕は正直に言って、高学歴とされるMARCH合格するぐらいのレベルは、誰もが努力すれば到達できると思っています。それができない人たちを、無能だとは言い切れませんが、十分に努力していないことは確かです。

でもね、努力をすれば、氷河期世代だって勝ち組になれる人がいるんです。僕はそう思っています。ただ、多くの人はこのような努力をせず、自分たちの苦境を氷河期から仕方がないと甘んじているのが現状です。

他人比較するのではなく、自分人生に対して責任感を持って努力を続けることが重要だと僕は思います勝ち組になろうとする姿勢が欠けている限り、負け組から脱出することは難しいんじゃないかな。

氷河期負け組特別な援助を求める声もありますが、それは自分たち努力不足を棚に上げる姿勢に見えます。僕から言わせてもらうと、自分なりにやれることをやっている人にとっては失礼な発言だと感じます

学習性無力感に打ちひしがれるのは理解できますが、氷河期から仕方がないという甘えに逃げ込むのは、自分人生に対して無責任すぎると僕は思うんです。勝ち組になろうとする意欲を持ち続け、責任感をもって努力し続けることが求められます。それが、僕たち氷河期世代勝ち組になるための道筋だと信じています

時代の流れによっては、氷河期世代にもチャンスが巡ってくることでしょう。しかし、そのチャンスを掴むためには、努力を惜しまず、自己改善に励むことが大切です。チートスキルを手に入れて一気に成功する夢物語は、現実にはなかなか起こりません。

僕ら氷河期世代過去の困難を乗り越え、中間層ぐらいにまでたどり着ける人もいるんです。転職市場が温まってきた今、そうした努力を続ける人たちは負け組から抜け出しています。ただ、「氷河期だったから」とずっと言い訳にしている人たちは、どうやって勝ち組になろうとしているのでしょうか?

最後に、僕たち氷河期世代負け組は、自分たち無気力努力不足に対して責任を取り、立ち上がることが大切だと思います。また、他人比較するのではなく、自分人生を豊かにするためにどれだけの努力を払っているかを考えるべきです。それが、僕たちの人生をより良い方向へ導く第一歩となるでしょう。

GPT-4に書き直してもらいました。

2023-03-10

anond:20230310003812

>これは相当変だと、ぶっちゃけ僕は思う

相手が変だから俺は間違ってない

俺は変じゃないか相手が傷つこうがどうでもいい

常識バトルするのが親戚関係なのか?

親戚関係維持管理には労力がかかって当然なんだよ

めっちゃマジレスするけど方法は二つある。

一つ目、奥さんの調整能力を育てる。

お見舞い品&金のエピソードが書かれていたが、それって要するに奥さんが岳母さんに元増田が言ったとおりに伝えちゃったんだろ?

そりゃ岳母さんは傷つくよ。当たり前じゃん。

てかさ、奥さんを悪く言うことになるので申し訳ないんだけど、それって「妻は調整役ができない」とかそういうのじゃなくてかなり「人としておかしい」レベルだぞ。

元増田と感じ方が違うこと自体は仕方ない。他人なんだし育ってきた背景が違うんだから

ただ、元増田発言意図をそのまま伝えたら岳母さんが傷つくかもしれない、ということに思いが至らなかったのは、申し訳ないけど成人として明らかに足りてない部分があるぞ。

まあ元増田反省するとしたら、当たり障りのないコメントを用意した上で「お母さんにはこのように伝えておいて」と指示をすべきだったかもしれないがってか「ありがとうと言ってもらおうと思っていた」ってお前……お見舞い品等を受けとってまあまあ時間経ってるはずなのに「思っていた」って実際に奥さんにそう伝えてなかったんかーい!

なんかめちゃめちゃさりげなく自分の過失を隠しとるやんけお前。そんなんでよく全面的相手が悪い・迷惑みたいなこと書けるよね。ちょっと悪い意味ビックリしましたよ。

二つ目、お互いの関係を構築する。

急がば回れという話だ。

てか割と重要なこととして結婚何年目なん?

1~2年目くらいだと親もテンション上がっててけっこうそういうのやりがちだよ。

それなりにまともなどうしなら、普通は数年たてばお互いまあこんなもんかな、くらいのところに落ち着くよ。

お互いの関係構築がそれなりになされれば、もっと軽く正直に「ちょっとこれは困るんすよねー」くらいに伝えられるようになるし、そう言われても変に傷つくことなく受け入れられるようになる。

総じて言えば元増田は楽をしようとし過ぎなんだよ。お前がもっと労力をかけろ。あと相手を妙に変人扱いするな。

妻曰く、妻の母親が怒り、ショックを受けた、と。「喜んでもらえると思ったのに」と。しかも、精神的に滅入り体調不良になったらしい。これは相当変だと、ぶっちゃけ僕は思う

はっきり伝えてるのに一人で勝手自爆しただけだから、それ以上相手にしてないのだけど、しかし、自分でお見舞い品を勝手に持って帰って、その上文句を言われても…なのだが。

これを相当変だと思うお前は正直に言って人生経験が足りてない未熟な小僧だよ。

何歳になろうが善意自爆なんてクッソ恥ずかしいし腹も立つし事後にめっちゃ凹むに決まってるだろ、当たり前だろ(体調不要というのは正直盛っているとは思うが)。

それでも少なくとも元増田やご両親に直接的にその怒りをぶつけず堪えてくれたわけでしょう。それってけっこう立派なことだよ。

ついでに言うと「母はこう思うと思う」という推測だけで話を進めたんだよね。何でお母さんと確認・話し合いしてねーの?

要するに労力をケチったんだよね。「こういう物を受け取った。返すのも角が立つと思うがどうする」てお母さんと話し合えばもっと全然丸く収まっただろうに。

以下は妄想推測レベルなので的外れだったらマジごめん

繰り返しだが元増田の書いてる内容から元増田の苦労・労力が全然感じられないし、労力をかける意思も感じられない。

それまで他人だったどうしが一応は親戚になったわけで、親戚関係維持管理には労力がかかって当然なんだよ。親子ならこれまでの人生分の蓄積があるからそれを労力と感じずに済むくらいの距離感等になっているだけだが、結婚数年以内の相手の親なんてまだマジで他人からな。

てかね、

事を荒立てずに妻の実家と適切な距離を置きたい

て随分スマートに書いてらっしゃるが、言い換えると

関係性を維持するためのコストを払うのがめんどくさく自分は払いたくないので自分悪者にならないような手段相手の親と適度に疎遠になりたい」

という話なわけよ。そんな都合の良い話があるかボケ。お前はまずもっと自分が労力を費やせ。

こちらからは以上です

anond:20230310003812

2023-03-04

anond:20230303221654

https://twitter.com/the_last_leaf/status/1610781262553427968

> むしろ都の担当課のチェックが甘く見えるが、推察するに、事業者対象経費が多く対応できないか

> そもそも、小規模事業者というか中小企業レベルでも、あれくらいの不備はあるのだから、そういう事業者委託をして都の政策を実行するというなら、住民監査が入っても物言いがつかないくらいのフォローをしてやれよと僕は思う

今回の暇空一派がしたような合法的嫌がらせをすれば、気に入らない公益事業担当する部局疲弊させたり同様の事業への関与を委縮させたりすることができ得るという、よろしくない知見が共有されてしまったように思う。

正義面するやつらは、他者クレーマー行為を叩きながら自分が同様のことをしても呵責を感じないわけなので、そういう手合いを叩いてめでたしで済む話ではなさそう。

2023-02-28

shields-pikesさんスターを付けました。

ヨッピーマッチョ暴力性があるのは昔からであって別に隠してはなかったと思う。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4732935952861070340/comment/kentathecat

shields-pikesさんスターを付けました。



たかデート必勝法ときに、恋愛記事を売ってる訳でもないwebライターが、人生賭ける価値あるかなあ?と本テーマ自体に興味ない僕は思うヨッピーってなんかマッチョで怖い人なんだな、という印象が強く残った。」

shields-pikesさんたかデート必勝法ときに、恋愛記事を売ってる訳でもないwebライターが、人生賭ける価値あるかなあ?と本テーマ自体に興味ない僕は思う引用してスターを付けました。

2023-02-12

松竹氏が忘れていること、あるいは何故共産党オタクの敵か

松竹氏なり、共産党批判的な人は「非民主主義的」だというような形で共産党批判するがこれは当たり前のことだ。

民主主義、というか公正な選挙のために言論の自由重要なのはこれは当然のこととして理解できると思う。では言論の自由表現の自由内心の自由とはなんだろうか?「家の中で叫ぶ自由」「誰も見ていないところで絵を描く自由」でないことはこれもまた当然だ。すなわち、出版したり、インターネットで公開したりする自由必要となる。

では、出版自由のためにはなにが必要だろうか?編集自由に行える必要がある。印刷自由に行なえる必要がある。作った本を自由流通させる必要がある。物流倉庫自由運営する必要がある。小売店自由経営する必要がある。DTPに使うコンピューター自由に開発できなければならない。ソフトウェア自由に開発し販売したり頒布したりできなければならない。つまり、結局のところ「言論の自由」というのは「あらゆる商業活動を行なう自由」であり「私有財産肯定」であり資本主義だ、ということになる。

まり、「民主主義」と「資本主義」は全く同じものだ、ということになる。共産党が「表現の自由」を極度に嫌うのも当然で、それは反共産主義的な発想だからだ。

まり党首公選、すなわち民主主義の導入を共産党に導入せよと要求する、というのは共産党共産主義を捨てろと要求していることと同義となる。これは反党行為のものだと言える。

プロレタリア独裁とは結局突き詰めて考えれば個人独裁にならざるを得ない。「資本家」を排除するというのは、結局民主主義言論の自由排除なのだから。そこでは意思決定の全てが不透明で、個人のあやまりが増幅されやすく、相互不信の嵐が吹き荒れることになるが、それでも現代哲人政治平等社会を目指すのが共産主義者の仕事ではないだろうか。それが可能かどうかっていうと、僕は不可能だとは思うけど、

松竹氏は、結局共産主義とはなにか、ということをすっかり忘れているのだと思う。朝日新聞などは「激しい路線対立があったころならまだしも」などというようなことを言っていたが、結局、これこそが今の共産党の最大の問題なのだ僕は思う。多くの党員がもはや共産主義者ではなくなっている。最大限強権的な運営をしなければ、もはや党は維持できないのだろう。

2023-02-07

僕は白猫を飼っていた

その猫は何処にでもいるような猫で、何処にでも存在するような猫だった。

白猫と出会った日、僕は酷く忙しくて帰宅したのは22時過ぎだった。

家に入ると猫がいた。

それが白猫。

何処からか僕のアパートに入り込んだようで、しかしその猫を追い出すには僕は疲れ過ぎていた。

猫をそのままに眠り、翌朝にも白猫がいた。

最初幻覚のようなものかと思っていたが、どうやら夢ではなかったらしい。

白猫は僕と目が合っても逃げる気配を見せず、悠々と前足をぺろぺろと舐めはじめた。

やれやれと僕は思いながらも追い出す時間はなかった。

朝食はいつも外で済ませるので冷蔵庫を見ても中にあるのは干乾びたたまねぎぐらいで、あとは消費期限の切れた牛乳と半分のバター

小皿バターを乗せて猫の前に置くと、白猫はくんくんとバターのにおいを嗅いだ。

そのあとすぐに家を出た。

帰宅するとバターはなくなっていた。代わりに黒猫がいた。黒猫は朝に白猫がいた場所に座っており、寝室で白猫を見つけた。

ベッドの上で寝ており、頭を触ろうとしたところで目を開けた。

白猫は僕と目を合わせながらも何もいわず、ただじっと僕を見つめてきた。

僕と白猫と黒猫との奇妙な共同生活は、このようにして始まった。

それからどうなったの?」

「どうと言うことはないよ。普通に暮らしただけさ」

ベッドから彼女が起き上がるのを背中で感じ取りながら、僕は答えた。

「でも今は見当たらないじゃない」

「ああ、それはそうなんだ。だって彼らは消えてしまったのだし、本当は元々いなかったのかもしれないのだからね」

「どういう意味?」

彼女は脱いだ下着を身に着けながら聞いてくる。

「二匹の猫はつがいだったみたいでね。一ヶ月もすると、白根の方が妊娠したんだ」

去勢はしなかったの?」

「ああ。というか、そんなことにまで気が回らなかったといったほうが正しい。そのころの僕はとにかく忙しすぎたんだ」

放置しておくのは感心できないけど」

「僕も白猫の妊娠が分かったときには、それでも動揺したんだ。里親を探すにしても、そんな知り合いに心当たりはなかったしね」

僕も起き上がってタバコを吸い、冷蔵庫からビールを取って戻ると一つを彼女に渡した。

「でも里親のこと以上に、ひとつ気になったことがあったんだ」

「気になったこと?」

彼女は既に着替えを済ませていて、ここに来たときの格好のまま僕のベッドに腰掛けていた。

「親猫は白猫と黒猫。じゃあ生まれる猫は何色になるんだろうってね」

「白か黒か、ぶち模様なんじゃないかしら」

彼女は僕から渡されたビールをおちょこのように軽く一口飲み、それから言った。

「僕もそう思ったんだ。けど違った」

僕は窓から未だ明け切らない外を、真っ暗な世界を見つめながら言葉を続ける。

白と黒って陰と陽でもあるんじゃないか僕は思うんだ」

「何が言いたいの?」

彼女は痺れを切らしたように組んだ足の方を少し揺らし、ぴんと綺麗に整えられた眉毛の隙間を僅かに狭めた。

「白猫と黒猫からまれ子猫はいなかったんだ。でも子猫存在していた」

僕の言葉彼女は一瞬、呆けた顔を見せた。それから組んだ足を解き、僅かに前のめりとなってタバコの煙を僕に当てる。

「で?」

「白猫は確かに授乳していた。それは確かなんだ。白猫はずっとゴロゴロと喉を鳴らしていたし、乳房のところは上下に揺れていた。けれど子猫の姿はない。どこにも見えなかったんだ」

「気のせいだったのよ」

「そうは思えないな。いや、僕の言い方が間違っていたのかもしれない。白猫が生んだのは子猫じゃない。別のものだったんだ」

「じゃあ何だっていうの?」

空間、じゃないかな」

僕の答えに彼女はふっと笑い、それから立ち上がると僕に手を差し出す。

ちょっと多くない?」

「話を聞いてもらった分だよ」

「そう」と彼女拒否することなく僕からお金を受け取ると財布に仕舞い、パチンと音の鳴るバッグにしまうと背を向けた。

「その白猫と黒猫は今どこに?」

玄関の方へ歩み出す前に彼女は一度だけ振りかって、僕にそう尋ねた。

「闇の中じゃないかな」

そういって僕はタバコで窓の外を指し、彼女曖昧に微笑むと玄関に向けて歩き出した。

ベッドに座ったまま彼女が出ていくのを聞き、僕は枕の傍にある虚空をなでようと右手を動かした。

「にゃあ」と一度だけ猫の声が聞こえた気がした。

2023-02-05

いまの方向性の延長線上のAI仕事を任せることなんてできない

流行っているAIは確かにすごい。

機械が一瞬で綺麗な絵を描いたり、言葉からすぐに音楽を出力したり、問いかけに応えたりできる。

コーディングに使えるAIなんかも出てきて、「プログラマはいなくなる」という言質も聞いたりする。

でも今のままのAIがどれだけ高性能になったとして、今の方向性のままなら仕事で使うことはできないと僕は思う

なぜなら、現状のAIが「ひとつ機能に特化したもの」だからだ。

AIがひとりの人間仕事を丸ごと代替するためには、やった仕事意図理解して、AI自身実装内容に対して「ここは何故この構造になっているのか」といった質問に答えられるようにならないといけない。

それができるようになるためには、絵を描くAIにも、音楽を作るAIにも対話をするインターフェースがないといけない。それがないなら現状のようにAIを利用するのにジャンルの専門の知識AI知識もつ技師必要となってしまい、一人の人間を置き換えられない。

から自然言語でなくプロンプトでしか人間意図理解できないいまのAIには人間仕事はできない。

2023-01-16

普通科高校生大学では操ることを学びなさい

おおよそ自然人間に対し正当な力をもっての操りに関するもの研究されていると僕は思う

2023-01-07

anond:20230107150305

私も竹上さんの意見に概ね賛同しますね。

住民監査が入っても物言いがつかないくらいのフォローをしてやれよと僕は思う

その通りです。監査結果は何しろ都の福祉保健局に向けられたものですから

コラボからの「手続き煩雑すぎる」との訴えに対して、都は「客観的検証可能でない」数字容認するという形ではなく、何らかのフォローをもって「物言いがつかないくらいの」会計要求すべきでした。

その「フォロー」がどんなものか、私には想像も付きませんが。

いずれにしてもそうした状況について、「倫理的に何の問題もない」などとは、普通は口が裂けても言えないと思いますけどね…

2022-12-29

複雑な関係の彼に別れを告げられた

12月29日の深夜1時。僕は彼と電話しながら家の前を流れる川沿いを歩いていた。低い声で大好きだって言われた。でも、もうバイバイだとも言われた。分かっちゃいるけど寂しくて、月並み表現だけど胸に巨大な空洞ができてしまったみたいだ。

あぁ、寒い


僕は20歳の春に彼と出会った。僕はあまりにも女性モテなかったから、ムカついて男同士の出会い系アプリ登録していた。姉の影響でBLを読み漁っていたし、なんなら夜は男同士のビデオを使ったりしていたから、きっと男も問題なく好きになれると思っていた。でもアプリ中の人たちは揃いも揃って性に奔放そうだったから、物凄く嫌だった。僕は半年ほど誰と会うことも無かったが、そんな中で初めて会ったのが彼だった。

彼は一個下で芸術系大学に通っていた。僕自身も絵を描いたり曲を作ったりするから芸術的能力が高い人はすごく好きだ。それに加えて、彼の外観は僕のどタイプだった。身長は僕より13cmも高くて、体格もぽっちゃり気味。まん丸な輪郭に穏やかな瞳。すごく可愛かった。たぶん彼以上にタイプな人は、後にも先にも男でも女でも現れないという確信があった。それほど好きな見た目だった。

最初デートではカラオケに行った。どんな曲を歌ったかはあまり覚えていないが、ユーミンひこうき雲ルージュの伝言を歌ったのは確かだ。

不安気持ちを抱えたまま 街はDingDong遠ざかっていくの」

彼はちょっと古い曲が好きだった。ちょうど僕の親世代が好むような曲だ。そういうセンスも、なんだか芸術家っぽくてかっこいいなと思った。

カラオケルームの小さな個室の中で、隣り合って座ったり立ったりしながら歌っていた。小さい個室といっても別にそんなに接近する必要もないのに、膝や腕が触れ合ったりしてドキドキした。僕は思わず彼の大きな膝に頭を載せてみた。柔らかいお肉が僕の頭部を包み込む。すごく、すごく幸福だった。

カラオケ屋の近くに公園があったから、しばらくそこで座って話していた。うっすら寒い春の夜、公園には僕たち二人だけ。膝枕だけじゃ物足りなくなってしまって、僕は手を繋ごうとした。でも断られてしまった。なんで。好きになっちゃうから。いいじゃん。だーめ。そんなやりとりをした記憶がある。ちょっと脚色してるかも。でも別にいかだって、思い出はきらきらしている方が良い。

初デートが終わっても僕の興奮は冷めなかった。全く冷めなくて、毎日彼のことを考えていた。ゲイ友達軍団に彼のことを自慢して、きゃーきゃー騒いだりもしてた。僕はいつの間にかモテない男子大学から初恋JKみたいになっていた。好き好き大好き、早く会いたい。脳みそは彼一色。

二回目のデートでは、僕の実家に彼を呼んだ。別に親に紹介するとかそういう話ではなく、ただお泊りがしたかっただけだ。大学の後輩です、とか適当に言っておけば女の子を呼ぶよりもずっと簡単だ。同じ布団に入ったら、「男二人なのに、そんな狭い布団で大丈夫?」と母親に言われた。大丈夫というよりもむしろ、なんて僕は胸の内でにやにやしていた。

ハグをして初めて、彼は僕よりずっと大きいことを身体理解した。肉厚な腕やお腹は熱を帯びていて、僕は食べられてしまうんじゃないかと思った。事実として、食べられそうになるくらいに責められた。あんなに熱い夜は初めてだった。


僕は、彼と恋人になったんだと思って、本当に幸せだった。


この日から彼の対応おかしくなった。明らかに僕に冷たくなったし、大事な話をしようとしてもあしらわれる。会いたくてたまらないのに予定を合わせてくれない。何故なのか全く理解できなかった。だってあんなに可愛いって言ってくれたじゃないか。付き合うんじゃなかったのか。

僕は泣いたりブチギレたり、とにかく感情不安定になった。それを全部彼にぶつけた。でも適当にあしらわれる。たまに僕の話に乗ってくれることもあって、その日は落ち着きこそすれど数日すればすぐに不安に苛まれた。この時期は辛くて苦しくてたまらなかったし、あらゆる友達に「そいつクズだ」「早く忘れろ」「許せない」と彼のことを非難された。でも、きっと彼は僕のことが好きなんだという謎の自信があったから、友達アドバイスには従わなかった。彼のことを信じたかったんだ。

彼が中高生の頃に付き合った彼女の話をされたことがある。彼女には「何を考えているかからない」と言われたことがあるらしい。僕も、彼が何を考えているのか全く分からなかった。彼は僕と違って男性しか愛せない人だったから、彼女のことを気持ち悪く思ってしまうこともあったようだ。僕は、僕だけはそんな彼を理解してみたかったんだ。僕にならできるって信じていた。

そして、三回目のデートをすることになった。場所ソラマチ。日付はどのメモにも残っていなかったから分からない。最高だ、めちゃくちゃデートっぽい。実際、デートは最高だった。ソラマチに立ち並ぶ店はどれもおしゃれで、彼の隣で眺めているだけで楽しいスカイツリーてっぺんから見る夜景はすごく綺麗で、心なしか彼もかっこよく見えた。


でもね。


会う前から彼に約束されてた。


これで会うのは最後だよって。


訳が分からなかった。何度も聞いた、なんで?って。でも彼が提示する理由は僕には理解できなかった。確か、今は付き合わない方が良いとか言ってた気がした。それって全く回答になってない。納得できないし、意味不明。それでも彼を引き留める方法なんて無かったから、僕は彼を見送りながら半蔵門線呆然としていた。最後ささやかプレゼントを渡そうと思って買ったハンカチは、ついぞ渡すことはできなかった。

僕の彼への愛情キレイに逆転して、深くどす黒い憎しみになった。

僕は彼のことを忘れようと必死努力した。ありとあらゆる友達相談し、恋愛映画を観て、新しい男と会ったりした。この頃に上映していた「愛がなんだ」という映画にはバリ共感MAX100%だった。

でもね、一年経っても二年経っても忘れられなかったし、ずっと好きだった。なぜかというと、彼はたびたび僕に連絡を寄越してきたからだ。元気?とか、やほ、とか、特に理由なく突如メッセ―ジが送られてくる。もう本当に意味からない。このせいで僕は彼を忘れることができなかった。この辺りで僕は、「きっと彼は寂しい人で、僕を使ってインスタント自分欲求を満たしているんだ」ということに気付き始めた。でも、別にそれでもいいから彼と話していたかったんだよ。

はいつの間にか男遊びが好きになっていた。だって特にデメリットなく人と会えるし、気持ちいい。たまに虚しい気持ちにもなるけれど、でも別にそんなの大した問題ではなかった。たまに変な人と出くわすこともあるけれど、でもそれは笑い話のネタに使えるからしろ一種の楽しみになっていた。ただ、好きだと思う人は一人もいなかった。上手い、とか可愛い、とかでもう一度会いたい人はいたけれど、好きになる人は一人もいなかった。


その後、ひょんなことから僕には彼女ができた。なかなか可愛くて絵が上手な子だった。この子とのストーリーも非常に濃厚なのだが、それは割愛するとして。僕に初めて恋人ができたおかげで、僕の中に巣食う恋愛コンプレックスは綺麗さっぱり消滅した。自分もびっくりするくらいには、今までの自己嫌悪がどうでもよくなった。それと一緒に彼への憎しみも浄化されて、後に残ったのは彼のことを好きだったというきらきらした思い出だけだった。自分の心変わりは自分でも衝撃的で、物凄い感動に包まれた。

彼女とはあまりうまくいかなくて、数か月で別れてしまった。でも、自分の考えが大きく変わる非常に大事経験だったと思う。一個目の大きな変化は、自分に自信が持てたこと。巨大なコンプレックスが無くなった影響は計り知れない。二個目は、過去自分への嫌悪だ。昔の僕は、自分の中の好きという気持ちに任せて相手ことなんてこれっぽっちも考えていなかった。だからモテなかったのだ。好きな相手がいたら、好いてもらうために相応の行動が必要に決まってる。それにやっと気付かせてくれたのは、最初彼女だった。

未だに彼からちょくちょく連絡が来ることがあったから、一連の出来事を彼に報告した。そして僕は、もう彼への憎しみは無くて前向きな気持ちで好きでいられるようになったことも伝えた。僕は彼のことを忘れることが不可能だと体で理解たから、好きだという気持ちを素直に自分で認めてあげて、それとうまく付き合って生きていくことに決めたのだ。

ちょっと補足すると、僕は彼女と付き合っている間だろうと、彼が好きだという気持ちは薄れなかった。でも、このことは彼女に報告した上で大丈夫だという判をもらっているし、人を好きな気持ちはどう努力しても理性で支配できることではないと思っている。大事なのはパートナー不安にさせないことだと思っていて、それ以外の人間に好きだ抱きたい抱かれたいと思ってしま気持ちを責めるのはお門違いではないだろうか。

まぁ、虫がいいことを言っている自覚はあります

さて本題に戻ると、彼は僕に彼女ができたことを祝福してくれた。彼の方にも彼氏ができたようだったが、あまり充実している様子ではなかった。恋人ができたら嬉しくてたまらないものだと僕は思うのだが、彼の方は何か裏がありそうな様子だった。僕は彼と久々に会っても依然として好きだなー、なんて思っていた。ただし、初めの1年間のような執着心は綺麗さっぱり消えていた。


もう、僕の心はすっかり平和だった。

から知ったことだが、彼の方は全くそんなこと無かったようだ。


僕に二人目の彼女ができた。中学時代からTwitterフォロワーで、実は同じ大学に通っていたことが判明してから仲良くなった子だ。この子のことは本当に大好きだ。早く同棲したいし結婚したいし死ぬまで一緒にいたい。でも、まだ付き合って数か月しか経っていないから、そういう話はゆるやかにしかしていない。とはいえ、僕と彼女ベストパートナーなのではないだろうか、と自惚れてしまうくらいには相性が良いし大好きだ。

しばらくしてから、僕の頭に彼の顔が浮かんだ。結婚したいほど大好きな彼女ができたこと、報告するべきかな。いやでも、別に連絡するほどでもないか。いやいや、きっと僕の話を聞きたがっているんじゃないか。いやでもでも…

そう思っていた、昨晩。

から連絡が来た。

文面はこうだ。

「やほ」

文字。二文字である。彼はこういうやつなのだ案の定彼は僕に会いたがっていて、六本木まで来いと言われた。このとき、深夜の22時半だ。彼はこういうヤツだし、僕は僕でこう言われても大喜びで会いに行くようなヤツだった。でも、今の僕には非常に大事なお嫁さん候補がいる。不倫ダメだ。だから僕は断った。

正直、気持ちは揺らいだ。だから彼女に報告をして、軽く𠮟ってもらった。こんなことをしている僕はダメなヤツだが、黙って不倫して後から騒動になる人々に比べたらよっぽどマシだと思う。僕に自分欲望を正しくセーブできる自信なんて無いから、情けないけど全てをあけっぴろげにすることでしか対策ができない。

この晩、僕は彼に未だかつてない態度を取った。先述したように、少し前の僕は深夜だろうと彼に呼び出されたら喜んで向かうような人だった。でも昨晩の僕は、彼の誘いを素直に飲まなかった。六本木までは行けないが、実家に来るのならいいという条件を出した。それくらいならただの男友達でもする範囲だろう。このレベルなら特に問題ない、という合意彼女と取れているつもりだ。

でも、彼は遠いからと言ってぐずりだした。確かに僕の家は六本木から遠い。そう思うなら今晩会うことはできないから、会いたいならまた別日に会おうという提案をした。でも、今晩じゃなきゃダメらしい。何が言いたいのかよく分からなかった。会いたいという気持ちは一致しているはずなのに、根本的な何かがすれ違っているみたいだった。僕に請い願う彼の姿は初めて見た。なんだかみっともないとすら思ってしまった。

結局彼は自分の家に帰っていった。そして、駅を降りてから電話をした。ただ、彼曰くこれは最後電話らしい。別に最後になんてしなくていいのに、なんて僕は思っていたけれど。彼は不器用から、そうでもしないとうまくできないのだろう。


最後電話が始まった。スマホ越しに何度か車が通過するブゥーンという音が聞こえてきた。僕も感傷に浸りたい気分だったから、いそいそとコートマフラーを着て外を歩きながら電話することにした。それはもう寒くてたまらなかったけど、これからする話にはこれくらいの寒さが丁度いいだろうという謎の予感があった。

その最後電話で、僕は気になっていたことのほとんどを聞くことができた。

やはり、彼は今の彼氏順風満帆とは言い難いらしい。彼の彼氏は将来女の子結婚したいようで、最近親戚から圧力が苦しいのだそうだ。子ども結婚といった話題で躓くのはゲイカップルあるあるだ。その話題で話し合いを進めるうちに、彼はどうして自分はこんな人に優しく接しなきゃいけないんだろう、と思ってしまったのだそうだ。そして人を愛することの意味理由について考えた挙句、ひたすら真っ直ぐに自分のことを愛してくれた唯一の男、つまり僕のことを思い出してしまったのだそうだ。

それを聞いて、僕は笑った。笑いながら嬉しいよと応えた。少し前の僕なら、照れていた。でも僕は笑っていた。僕が彼に向ける感情は、もはや彼の言うような真っ直ぐな愛情とは違う何かになっていたんだろう。

そういえば、この一か月くらい前に「愛がなんだ」をもう一度観た。あのころ共感できたはずの主人公には全く共感できなくなっていて、鬱陶しい敵だと思っていた女の方を魅力的に感じてしまった。僕の感情構造は、いつの間にか様変わりしていた。

僕のことが気になるなら、あと何か月か早く言ってくれればよかったのに。僕はもう売り切れちゃったんだから。なんて、ひどく調子に乗ったことも口にした。すると、彼も彼でびっくりするようなことを言った。


ずっと好きだった

最初に会ったときからすごく可愛いと思っていたし、大好きだった。

でも。

信じられなかった。

自分肯定されて愛されることが、自分の中ではあり得ないことだった。

から、大好きだったけどわざと酷い態度を取ったり、そっけなく接した。


僕は大爆笑した。

だっておかしいじゃない。好きなのにそれを伝えないなんて。両想いなことが分かってるんだから、それを隠す理由なんて一つも無いじゃん。付き合えば良かったじゃん。全部言えば良かったじゃん。そうしていれば、二人が苦しんでいた時間はずっと充実したものになってたのにさ。

馬鹿すぎて、大爆笑した。あいつは馬鹿野郎だと常々思っていたけど、予想よりずっとアホだった。バーカ。あと1年早く言えよ。臆病者。小心者。メンヘラ野郎ホモ野郎。ずっとカッコつけてた癖に気が小さい。図体ばっかりでかいバカバカバカ

僕は近所の川の前で大爆笑した。誰もいないあぜ道に僕の笑い声ひとつ。アーハハハハハッハッハ!冬の冷え切った空気が僕の吐息で温まる。今夜はなんて良い夜なんだろうと、僕はご機嫌だった。

彼は話し続けた。自分人生の中では人に愛されることなんて異常事態だったと。顔も中身も全部好きだと言われても、全く信じられなかったと。それに早く気付けば良かったと。何度も何度も傷つけて苦しい思いをさせて、申し訳なかったと。

こういう話をされたら、もっと僕も悲しんだり怒ったりするのが相場だと思うけど、僕はひたすら笑っていた。ずーっと意地っ張りだった彼がこんなに素直に喋っているのが、余りにもおかしくてたまらなかったのだ。または、僕が彼を好きな気持ちがすっかり整理されてしまったせいで、もう何を言われてもときめいたり苦しんだりすることが無くなってしまったのかもしれない。

かに僕は未だにずっと彼のことを好きなのだが、でもこれはたっぷりと諦めを含んだ"好き"なのだ。どうせ彼は僕のことなんて好きじゃない。どうせ僕は彼と付き合えない。どうせ彼は寂しがり屋で、それを埋めるためにしか僕と合わない。でもそんなことは全部了承した上で、好き。恋をしたときのドキドキとは程遠い何かなんだ。

この"好き"は一体何に例えるべきなんだろう。MOTHER2ネスポーキーに向けていそうな感情に近しいかもしれない。こんなヤツでも許してあげなきゃいけないよな、みたいな感じ。

さて、衝撃の真実。彼は結局のところ最初から最後までずっと僕のことが好きだったのだ。でも、今の僕には彼女がいる。なんなら彼は奪ってやりたいとすら思っているらしい。でも僕のことを傷付ける羽目になるのは本意ではないから、これで完全に別れてしまいたい、ということらしいのだ。

僕はなんだか納得いかなかった。仲が良い人と関係を切るなんて意味不明だ。僕は彼女を大好きでいながら、彼とも普通友達としてやっていけそうだった。でも、彼はそうではなかったんだ。僕と会ったらハグキスじゃ物足りない、絶対に抱いてしまうのだそうだ。僕としてはハグまでならまぁセーフかな、と思うがそれ以降は断固拒否だ。その気持ちの激しさの差が、最後電話理由だった。

結婚式をするときは呼んでね。いやでも、二人っきりになったら襲っちゃうかもしれない。なんて大馬鹿発言をされてから電話を切るときがやってきた。僕は最後までこの顛末に納得はできなかった。理屈は分かるが、素直に飲み込むことなんてできなかった。複雑な顔をする僕のことなんていざ知らず、彼は一言呟いて電話を切った。


大好きだったよ。バイバイ


おっせーよ。クソ。

2022-08-30

僕が投資をしない理由意識が高いか

世の中の富は増え続けている。

それは世界中企業が日々せっせと付加価値を生み出しているから。

90万円分の投入物で100万円分の製品アウトプットする。

そこで新たに10万円分の富がこの世にプラスされた。

世の中の企業はどれも90万円を100万円に換える変換装置だ。

この変換装置も元をただせばお金で出来ている。

例えば90万円を100万円に換える変換装置は、1000万円のお金を使って作られたものだったりする。

1000万円もお金を使って10万円を生み出すなんてお金無駄使いじゃないか、と思うかもしれないがそれは違う。

この変換装置は、用が済めばまた1000万円の現金に戻すことができるのだ。(ただし必ず1000万円ではなく、990万円になったり1010万円になったり、もっと派手に値段が変わったりはする。思ったよりも効率がいい変換装置はその分、高いお金に換えられるのだ)

から世の中のお金持ちは手元に余っているお金があれば、とりあえず現金を変換装置に替えてせっせと90万円を100万円に増やしている。

中には自分お金が無くて、銀行とかからお金を借りて変換装置を作る人もいっぱいいる。

借りたお金の利息が10万円以下なら、利息を返してもまだ変換装置で作り出した新しい富が手元に残る分、お得だからだ。

自分で変換装置を動かすのが面倒だったり1000万円もお金を集めることが出来ない人は、1000万円全部じゃなくて5万円分とか10万円分とか変換装置の一部だけを買い取って、装置を動かすのも他人に任せる。

これが株式投資基本的な仕組みだ。

もちろん中には変換装置が故障して、90万円投入しても80万円しかアウトプットできなくなることもたまにはある。

これがいわゆる赤字企業だ。

でも世の中全体で見れば確実に世の中の富は増加し続けている。

最初はみんな1000万円の変換装置を使っていたけれど、どんどん富が増えていけば2000万円、3000万円と高額な変換装置を使って、さらにがっぽがっぽとたくさんの富を作り出していけるようになっていく。

さて、インフレという言葉を聞いたことがあるだろう。

前は100円で買えたリンゴが今は200円するようになったというあれ。

いわゆる物価の上昇、貨幣価値の減少を表した言葉だ。

詳しいメカニズムは諸説あったりして難しいのだが、このインフレは世の中の富が増えるのと結構強く連動してることが現象としてよく知られている。

まり世の中の富が増えればそれに伴って物価も上昇していくという仕組みが存在するということだ。

世の中の富は増え続けていて、インフレも長期的な目で見ればずっと進み続けている。

換装置とインフレ

この2つの構造がずっと私達の世の中にある以上、普通に考えれば余ったお金現金ではなく変換装置にしておくのが「有意義」かつ「自然」なことだと僕は思う

有意義」というのはなぜかというと、変換装置が生み出した富は、装置の持ち主だけではなく、装置にかかわる人みんなを豊かにするものからだ。

90万円を100万円に換えることのできる装置を持っている人は、もちろんその差額の10万円を全部自分ポケットに入れることも出来はする。

でも例えば、本来90万円で仕入れるはずの投入物(原材料人件費)を91万円で仕入れてあげれば、投入物を売ってくれた人(原材料屋さんや従業員)も得をすることができるし、本来100万円の価値がある製品を99万円で売ってあげれば、製品を買ってくれたお客さんも得をする。

そしてそれでもなお、持ち主の手元には8万円の利益が残る。

からお金を変換装置に換える「投資」は基本的に良いことで、余分なお金現金のまま持ち続けることはちょっと後ろめたいことだという気持ちが僕の中にはある。

自然」というのはこれまで述べた通り、お金というのは平均すれば増え続けるのが普通のものであるからだ。

現金という形のままでは増えないけれど、企業という変換装置に換えてあげればお金お金を生み出していく。

とき故障して減ることもあるけれど、全体としては常に増え続けるのがお金というもの性質だ。

からお金現金で持ち続けるということは、本来増えるはずのお金をあえて増やさずにいるという、ある意味で贅沢な行為であると考えられる。

本来得られるお金をあえて受け取らないという行為

もちろん、そこにもコストをかけただけのメリット存在する。

一つは変換装置が故障して、予想外にお金が失われるリスクが避けられること。

絶対的に近い安全のためならば普通にしていれば得られたであろう利益くらい失っても構わないというトレードオフ覚悟があるならば、あえてお金を変換装置に換えずにいるということの意味はあるだろう。

もう一つは現金を持っておくことで、いつでも自由投資する変換装置を選ぶことができるということだ。

かにお金を一旦は変換装置に換えてしまってもあとからまた現金に戻すことは難しくない。

株式などの運用資産を売却するという行為がつまりはそれだ。

しかし、知っての通り運用資産は売却のタイミングによって利益や損失の額が大きく異なる。

大きな流れの中では富は増え続けるものだが、短期的には現金化すると損失が生じる時期ももちろん存在する。

からお金投資に回すということは、そのお金をすぐには動かせなくするということであるといえる。

世の中に変換装置(企業)は無数にある。

より効率よく多くの富を増やすことのできる変換装置を見つけたとき、そこに投資するお金が手元に残っていないのは極めてもったいない

よりよい変換装置が見つかりそうなら、あえて現金のままそのときを待つのひとつ選択だと僕は思う

さて、ようやく僕が投資をしない理由にたどり着いた。

僕は僕自身が誰よりも効率のよい変換装置の運用を行えると考えている。

なぜなら僕は意識が高い。

意識の高い僕ならば、だれよりも上手く変換装置を扱えるはずだ。

から僕は投資をしない。

いや、僕は僕に投資をするのだ。

今はまだゆうちょ通帳に5桁しか数字が並んでいないが、これがもっと増えたとき、僕は誰よりも効率の良い変換装置を手に入れるだろう。

そのときのために僕は今日朝一番から釘のいい台を求めて列に並ぶのだ。

2022-07-30

精神疾患人生の終わり、そして人生の始まり

最近何かと話題になっていることとして、発達障害というものがある。

かくいう僕も、元々持っている脳の構造仕事日常生活での人間関係等々のストレスが祟って、不眠に陥り、脳がオーバーヒートして、日常生活を送ることが困難になったことがある。親に協力してもらいながら、必死になって心療内科を探して、お薬ガチャをして、色んな方に助けてもらいながら、何とか1日1日生きる時期があった。心療内科先生客観的自分性格等を分析した紙を持って行ったところ、「おそらくそれは発達障害でしょう」と言われた。

自分含め、学力が高い人や、真面目な人、繊細な人がそういう病気にかかりやすい傾向にある何となく知識として知っていて、自分は「発達障害だ」とか「うつ病っぽいだろうな」とかは思っていたが、いざ専門の医者からそう言われると、「やっぱり自分社会不適合者だったんだな」と思って、少し救われた気持ちになったのを覚えている。

会社判断としては、まぁ、一旦長期療養をしましょうとのことだった。まぁ日常生活送れなくなるまで体調が悪化した人間仕事をさせるわけにもいかないので、当然の結果だ。発達障害法律上病気とは認められないので、一旦「まぁ、発達障害から二次障害的に起こったうつ病ということにしますか」ということで、うつ病診断書をもらい、休職。晴れて、僕は傷病手当金で2/3の給料をもらうためだけのニートになったわけである

ただ、正直メンタルボロボロだったので、毎日「思い返せば、よくここまで頑張って生きたよ。やり残したこともないし、死にたい」と思う機械になっていた。それでも、何とか「これは病気から」と言い聞かせながら、1日1日を生きていく日々。うつ病を治すにはどうしたらいいんだろうと色々と調べて、行ける時はジムに行ってみたりした。中高で一番仲よかった知り合いは統合失調症ニートしながら、小説を書いているっぽかったから、その子に色々話しながら、今まで自分が書いてみたかった小説ネット投稿して賞に応募したみたり、前から興味があったパチンコに初めて行って、1万円が秒でなくなったり、新しくリリースされた遊戯王マスターデュエルに手を出してみたり、仕事リハビリとして少しpythonを触ったり等々して何とか生きながらえてきた。

そんな生活をしつつ徐々に症状は改善していった。「もう一生このままが良い。働きたくない。」と思いながらも、「仕事はしないといけないからな」と上司相談して復職をした。まずは、時短勤務で様子をみつつという一般的企業のやり方で、最初普通に働けていた。しかし、だんだんと振られる仕事が増え、難しいものになってくると気づかないうちに無理をしてしまう。そうして、4ヶ月も経たないうちにまたうつ病再発寸前のところまでに体調が悪化してしまった。今も体調はそこまで良くないが、何とか時短勤務を続けている。

ここまで話してて、「やっぱ、うつ病とか精神病って良くないし、ならない方がいいじゃん!」と思う人もいるかもしれない。しかし、今の僕はそうは思わない。うつ病や他の精神疾患はどんな人でもなりうる病気だ。繊細な人や、真面目な人、頭の良い人に多い傾向にはあるが、それ以外の人でもふとしたきっかけでなってしまうことがある。

しかし、何か失敗をしてメンタルを病んでしまうという経験は失うものも大きいが、それによって得られるものも大きいと僕は思う。僕がもし休職していなかったら、多分小説を書いて賞に応募することはしなかっただろう。ジムに行って筋トレをするなんてこともなかっただろう。心療内科先生に話を聞きながら、精神疾患についての知識を身につけて、自分なりに対処してみるという経験もできなかっただろう。母親と色々と深い話をする機会もなかっただろう。

今も僕はいわゆる発達障害に分類されるものに振り回されながら、世の中の人たちや会社で上手くやっていく方法模索し続けている。

この世の中には、答えがないものそもそも問題課題すら決まっていないものがたくさんあって、そういうものにどう向き合って行くかというのは障害を持っているいないに関わらず、どんな人にとっても重要なことだと僕は思う。僕自身もそういうもの経験しながら、色々と実践して試して、失敗して、色んなことを知っていきながら、何とか社会での自分の居心地の良い居場所を見つけて行きたい。

最後になるが、精神疾患になったからといって、人生が終わるわけではない。むしろ自分がそういう病気を抱えているということに気づくことは自分人生を見直す重要な機会でもある。精神疾患は決して全部が全部悪いというわけではなく、精神疾患になった人間しか得られないもの、見えない景色もあるということを、色んな人に理解してほしいというのが僕の切なる願いである。

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