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はてなキーワード: 大人になってもとは

2017-05-25

音楽遍歴の紹介

中学校を3ヶ月で行かなくなって、不登校と呼ばれる部類に属した。毎日体調が悪かったので、病院へ行っていた。特に悪いところはなかったので精神系のなにかだということになった。家では音楽を聴いて過ごしていた。毎日同じCDばかり聴いていておなかいっぱいになってきたときは、FMラジオを聴いた。親は音楽を聴いているだけじゃよくない、楽器演奏するのはどうかと言ってきたが、やる気にはならなかった。中学時代はこうして終わり、高校通信制に行った。高校の頃も音楽を聴いていた。聴いていたジャンルふつうヒットチャートに入っているものは聴かなかったが、変に通ぶったものも聴かなかった。ちょっと前に流行ったものや、ロック名盤ガイドみたいな本を買ってそれに載っているもので気になるものを聴いていた。大学生になったても音楽を聴いていた。音楽系のサークルには属さずひとりで音楽を聴いていた。ロック名盤ガイドに載っている多くのアルバムが揃ってきた。CDショップたまたまジャズのコーナーに迷いこんだの機にジャズを聴き始めた。ここでもジャズ名盤みたいな本を買ってそれに載っているもので気になるものを聴いていた。それと前後して読んだ小説のなかでクラシック音楽キーになっているものがあった。クラシックも聴いてみた。なんとなくピアノの曲がいいと思ったので、ピアノ曲ピアノ協奏曲を聴いていた。大人になっても音楽を聴いている。車に乗るようになって、信号待ちで隣に止まった車がズンズンズンと車体が揺れるような低音を振りまいていた。それに感化されてそういう電子的なダンスミュージックも聴いてみようと思っている。

2017-05-24

何で白人日本人茶髪にあれこれ言うのか

美しいストレート黒髪のままがいいのにとかヤイヤイ言ってるのをたまに見るが、ヒラリーパリス・ヒルトンデーブ・スペクターマリリン・モンロー等々金髪に染めている有名人は数多く、そもそも大人になっても自前で金髪ほとんど居ないとかで白人の方が高頻度で髪を染めている。

白人の毛染めは信頼を得るためだったりファッションだったりで社会人でもごく自然に受け入れられている。

では何故日本人茶髪には反発するのか。

それは多分白人自意識過剰からではなかろうか。

例えばアニメキャラを見たら日本人の作るアニメは何故白人的特徴のキャラばかりなのかと疑問を持つらしいが、私からしたら鼻が低く顔が平たい日本風キャラ白人的な顔をしているようには見えない。

宇宙人的な顔の方が近い気がする。

白人イメージする日本人的なデザインムーランのような黒髪ストレートで肌が黒く目が小さく釣り目一重まぶた、そんなステレオタイプ以外は全て白人に見えるようだ。

そして日本人白人に憧れているか日本的な特徴ではなく白人的なキャラを作っているのだと勘違いしているらしい。

日本人はくせ毛も二重瞼もたれ目も多いしそこまで肌は黒くないが白人には日本人多様性は解らない。

日本人からしたらムーランステイシーヒラノのような顔がお前達の顔だと言われても全くしっくり来ない。

多分茶髪に反発するのも、俺達白人に憧れて日本人らしさを捨てている見苦しい人種だと勘違いしているからだと思う。

しか日本人アニメキャラも髪の毛も白人はさほど意識してない、自分達がいいと思うように自由にやっているだけだ。

白人に混ざっている他人種はその人種らしさのステレオタイプにはまらなければ白人コンプレックスを持っていると馬鹿にされるが、日本ではそうではないだけなのだ

そもそも白人の思う日本らしさは中国イメージごっちゃなあやふやな物だし、白人は髪の色やキャラ造形等々で自由に出来るけどアジア人ステレオタイプアジア人らしくしろよーと言うのは傲慢だ。

2017-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20170523023909

そもそもオタク」とはなんだろうか。

最初は「やぁお宅もですか」という、同じ趣味を持っている者同士の挨拶的なものだったはずで、それから当時の大人から理解できない趣味を持った奴という意味にすり替わった。昭和末期には子供の遊びは大人になったら卒業するものであり「普通あんなこと趣味にしないよね」という大多数の偏見から大人になりきれない子供趣味を持ってて理解不可能で何考えてるかわからない連中というレッテルになったのだ。

アニメが好きならアニメオタクパソコン少年パソコンオタクになり、大人になってもロックを聞いてたってロックオタクとは言われなかったし、映画が好きでも映画オタクとは言われなかった。

ところが時間が経ってくるとアニメ大人向けのものが作られたり、子供から大人になってもまだそこにあるものであったり、誰も彼もがパソコンを欲しがり、暮らしが豊かになると大人になって卒業するものではなくなると共に経済を回していくのに過不足ない市場になってしまった。

今じゃライトオタクという言葉もできるくらい、昭和の頃に子供の遊びだったもの普通趣味昇華しつつあるし、元々高尚な趣味のものだって誰かの偏見普通じゃないと決めればそれはオタク趣味になってしまった。

それくらい最初一般的オタク定義に当てはまる人は多いのだ。

からオタクキモイ」という表現はもう範囲が広すぎる。

ただ自分コミュニティの中に、SNSの中にちょっと相容れない奴がいるだけだ。

2017-05-13

職場血液型占いとかで盛り上がってて、増田君は何型?っていうから

俺そういうの信じてないですって言ったら

うっわこいつそういうやつなんだ

みたいな目で見てきたんだけど

あいうのって乗っとくべきなのかな

なんなんだろうねこういうのって

大人になってもこういうのあるんだなって思った

あー、はいそうです糞ブラック企業ですよ。まわり大学とか言ってるだけで頭いいねって言われるレベル

中小企業です。大企業のみなさんはいいですね

2017-05-09

子供を「反抗期扱い」するのやめませんか?

結婚して数年

もうすぐ子供が生まれ

からなのか子供の頃のことをよく思い返す

なかでも頻繁に思い出してしまうのが

周囲の大人から反抗期」という言葉を使ってからかわれ続けたこと

あれは本当に不愉快しょうがなかったので

自分大人になっても絶対に「反抗期」という言葉子供に使わないと誓った

反抗期って言われるのことの何が嫌だったかって言うと

なんでもかんでも「反抗期から」みたいな感じで片付けられたこと

例えば本気で怒っていても「はいはい反抗期ね」って言われるあの感じ

半笑いでまともに取り合われないあの空気

怒っていなくても大人意見するたびに反抗期と言われたし

反抗期という言葉を使わないでくれと言っても余計にからかわれた

こっちがムキになればなるほど「反抗期扱い」されてからかわれる毎日

見事な負の連鎖

今となってはドツボにはまる様子も冷静に振り返ることができるけど

当時は負の連鎖爆発でそれどころじゃなかった

でもあんなのはイジメと同じだよ

大人達は軽い気持ちで言ってたのかもしれないけど

「こっちは真剣なのに!なんで真面目に聞いてくれんのだ!」と思っていたし

人間扱いじゃなくて反抗期という名前の生き物扱いみたいなのも腹が立った

というか元々の怒りに「反抗期扱い」への怒りも上乗せされて

火に油を注ぐように余計に怒りが燃え上がってしまうことを分かってほしかった

という理屈の他にもうひとつ大事なことがあって

それは馬鹿にされてなんかムカついたという事実

この「なんかムカついた」という部分も大事な側面だと今は思う

理屈っぽい話だけだと何かとその理屈の部分に話が終止してしまうけど

もっと目の前の子供の感情面にも目を向けてほしい

大人になるに連れて理屈で考えることは多くなっていったけど

昔はもっとそうじゃないことのほうが多かった気がするから

あと反抗期を別の言葉に置き換えたらどうなるかも考えてみてほしい

例えば生理更年期障害といった言葉に置き換えたとしたら

「なに怒ってんだ?これだから生理のヤツは・・・

「そんなにイライラしてお前もついに更年期か!ハハハハハ!」

怒っている女性を見るたびにこんなこと言う人間がいたら

それはもうハラスメント以外の何物でもないし

余計に相手の怒りを買うことは間違いないだろう

それにもし公の場でこの類のことを言ったら吊るし上げられる時代だと思う

フランク・アンダーウッド死ね

別に生理更年期障害っていう言葉じゃなくてもいい

特定性別人種宗教出身地国籍等に置き換えても

似たような感じでからかうことは可能だろうし

そういう「からかい」はやっぱり問題視されると思う

でも反抗期思春期という言葉を使ったかかいは別物扱いというか

こと子供の扱いとなるとどうにも軽んじられてしまう気がするというか

そこら辺のことに無自覚な人はまだまだ多いんじゃないかっていうね

そこには子供の頃からすごく違和感を覚えていた

あとテレビとかラジオの子育て相談コーナーに寄せられる

「うちの子思春期反抗期なもんだから困ってて・・・

みたいな相談当事者不在感もすごかったというか

結局なんか大人だけの世界観で完結してるのも違和感があった

から大人になったらちゃんとそのことを周りに伝えようと思ってたんだけど

つい最近まですっかり忘れていたという体たらく

でもそれじゃいかんということで

かつての記憶を掘り返してちゃんと文章に残しておこうと思った次第

過去自分のためでもあるけど未来自分への戒めも込めている

それにしても子供気持ちを完全に忘れてしまう前でほんとに良かったと思う

とりあえず未来自分に言いたいのはこの三つ

子供反抗期という言葉を使うな!

子供からという理由子供意見を軽んじるな!

子供に過剰に干渉するな!

追記

dgen そういった「決め付け」は自分認識していないところでたくさんあると思うよ。

本当にそう思います最近、初めて日本に来たという某国の方と交流する機会があったんですけど、こちらの中にもあちらの中にもお互いの国に対する無意識の「決めつけ」というか、どエライ勘違いがたくさんあったことを知ってお互いにビックリしたんですね。最初はなんでこうも食い違うんだろうと思ったんですけど、結局のところお互いがお互いの国のことをよく知らず、今まで「決めつけ」を訂正してくれる人もいなかった事が大きいんだろうなと思ったんです。世の中にはハッキリ言われなきゃ認識すらできない事柄や間違いがたくさんあるぞと。そういうこともあって今回ハッキリ声を上げてみようと思った次第です。

watatane まだ反抗期が終わってない人、ついに親になる。

我ながらちょっと臭いことを書いているなという自覚はあったので、こういった指摘が来るかもしれないと思っていました。でも子供の時の心情を誤魔化して書くのは当時の自分に対して不誠実な気がしたのでストレートに書くことにしました。それと、同じような言葉でも子供自分大人になった自分が言った場合でどれだけ反応が違うんだろうか、あるいはほとんど同じだったりするのかなという興味もありました。

2017-05-06

人事に携わった者として無資格技能な奴を時給1500円で雇うということに理解できない

GWはなんとか3連休確保したわ(愚痴

最近アメリカとある州並の時給に上げろ!と議論されたり最低時給1500円にあげろというデモが行われたりと賃上げ闘争がやや活発になってるわよね。

でもねぇ…企業人事に携わった者として無資格技能なやつをなんで1500円で雇わなきゃならんって思うわよ。

所詮大人になっても時給制バイト非正規なんて学生時代「楽」を選んだ奴なんですわ、その怠惰っぷりが大人になって返ってきてるんだわ。そんなやつをなぜ高時給で雇わなきゃならんのだよ。

私はねぇ、高校時代周りがタバコを吸いつつ放課後カラオケゲームばっかしている奴と違ってとにかく勉強三昧だったんよ、高校二年生の頃から部活終了後塾に通うし、もちろん土日も塾に通いつめたんよ。

高校課題と塾の課題をやりこなすのはとにかく苦しかったわ。泣いたこともあったわ。でも学生時代に苦しんだおかげで今はそれなりに楽に生活できているわよ。少なくとも金銭面ではね。

時給1500円になれば企業ますます自動化をすすめるんよ、工場海外へ、AI時代が来ればなおさらだわ。

AIが爆発的に普及するのは10単位はかかるだろうけどねぇ…まあその頃に最低時給1500円だとかなりの無資格技能バカは職にありつけないんじゃないの?

AIが普及すれば最低時給は500円に下げないと雇用は守れないと思うわよ。ちょっと下げ過ぎかしら、バカでも最低限度の生活は守ってやらなきゃならんしな。

学生時代に楽をしたバカ大人になって苦労する、それを今の高校生にはわかってもらいたいものだわね。

勉強なんて社会に出たら役に立たないしぃ、だから勉強しないわぁ!」とかよく言われるけど確かに三角関数とかmol計算なんて私の業界では全く使ったことはないけど。でも社会に出る途中(試験とか)にはバリバリ必要だわよ。

世の中の高校生諸君モンストグラブルデレステみたいなスマホゲーばっかしたり、流行りのアイドルバンドの追っかけばっかしてないで勉強もして苦しんでほしいものだわね。

息抜き必要だけどそれがメインになっては駄目だわ。私の高校時代息抜きテスト高得点とった休みの日はゲーセンによく行ってたのを思い出すわ。でも月1くらいだったわね。

スマホゲーは本当人間をダメにするわよ、ギャンブル性とイベントで縛り付けて廃人にするっぽいわね。作っている奴らは高学歴、ハマるのは勉強できない低学歴バカよ。バカ所詮搾取される運命なんだわ!そうならないためにも学生時代は苦しむべきだわね。


終わり おねえ風に書いてみました、もちろん仕事をする上では普通の男です。


【追記】2017年5月6日 21:18

年代についてトラックバックされましたので、1984年まれですわ

2017-05-04

錦鯉の放流という自然破壊が全国各地で行われている件

錦鯉の放流は何故「絶対に」あってはならないのか』

http://mistclast.hatenablog.com/entry/2017/05/03/132129

錦鯉の放流がなぜ自然破壊かは上記のブログを見て頂くとして、

このブログで取り上げられていた貢川での錦鯉の放流事業は、8年前から毎年行われていたらしい。

8年間毎年行っていて今まで問題にならなかったということは、

同様の行為が他の場所でも行われているのでないかと思い調べて見ると

全国各地いたるところで錦鯉が放流されまくっているみたいだ。

2016年11月20日 神奈川県川崎市 五反田

生田地区五反田川に地元自治会が先月20日、錦鯉など800匹を放流した。自治会メンバーや近隣住民らが魚見橋や川沿いかバケツを下げ、川に放たれた魚を見守った。

放流に協力したのは、飼えなくなった魚やカメを引き取っているNPO法人さかなポスト山崎充哲代表)。

この催しは、川をきれいにして川沿いを散歩する子どもたちの目を楽しませてあげたいと、五反田自治会が3年前から主催しており、これまでに4000匹以上の錦鯉金魚稚魚を放流してきた。

http://www.townnews.co.jp/0203/i/2016/12/16/362233.html


2015年10月02日 福岡県久留米市 池町川

今日は、久留米市の中心を貫いて流れている池町川に錦鯉を1,000尾放流しました。

10年ぶりの錦鯉の放流ということで、市長やいろんな団体の方々も参加されて

盛大なイベントとなり、錦鯉を川に放した市内の小学生も大歓声をあげていました。

http://www.ogatakoi.com/ogatablog/1316/


2012年09月16日 岐阜県山県市 鳥羽

9月16日鳥羽米野付近で、市錦鯉振興会と北町子どもの子どもら約50人が、錦鯉の放流式に参加しました。

体長15㎝くらいから50㎝くらいまでの錦鯉4,000匹を川に放流。

会長の池戸良三さんは「大人になっても故郷の川を愛し、大切に思って欲しい」と伝えました。

市長は「ここ数年、鳥羽川にも鮎が遡そ上じょうしているのは、水質環境の向上のおかげです.

これからも、環境美化にご協力をお願いしたい」と話しました。

http://www.city.yamagata.gifu.jp/shisei/kouhou/book/24/pdf/2411_14-15.pdf


2010年09月25日 新潟県長岡市 西川

中地地震鯉ヘルペス病の発生でしばらく中断していた西川錦鯉放流が、地元西川をきれいにする会」の放流復活への熱い思いと、

農林水産部のご理解長岡市山古志支所管内のご協力のおかげで、去る九月二十五日、七年振りに錦鯉放流が復活しました。

http://www.city.niigata.lg.jp/nishi/torikumi/com/com/sakaiwa_koshin/kohoshi.files/koho5.pdf



しかし、どの事例でも「川をきれいにして」「環境美化」「川をきれいにする」と謳っているのがポイントか。

あくまで、景観の「美化」が目的であって、自然環境の「保護」という意識は無いんだろう。

2017-05-02

死ねない絶望

人それぞれ考え方だとか、生活リズムだとか、好き嫌いだとか、生き方があって、その中で譲り合うなり擦り合わせをしていくなりをするのが人間関係だと思っている。

でもたまにいい大人になっても経験値が足りなくて、知識理想理論だけをぶつけてくる人も居て。否定相手が消耗するというのを、理解出来ない人も居る。

そういう人相手真摯に向き合い続けるのはとても体力も精神力必要で、好意も有限だからしんどいなあと思った。

ある日突然気持ちの終わりは来るから、そうしたらもう逃げるしかなくなる。動けない場合だってある。

でも相手からしたらきっと自分理解出来ないと思われてるんだろうな。砂をかけられたみたいな。そうして延々と責められる日を今過ごしている。

ネット簡単に誰かを頼れたり救われたり便利になったぶん、常に人を監視したり追い詰める事が出来るツールにもなっているんだよね。

それでも大人責任があるから、諸々片付けなければ全てから逃げ出すのは出来ない。辛いね

どこまでが普通で、どこまでが必要我慢で、どこから弱虫じゃなくて、どこからが離れるべきって当たり前のラインがわからいね

2017-05-01

にくきゅう

猫の肉球ってなんであんなに気持ちいいんだろう。

うちの子肉球触られるの嫌な子じゃないから、ついぷにぷにしてしまう。

猫飼うまでは肉球柔らかいの子猫の頃だけかなって思ってたけど、大人になっても柔らかいままなんだね。

外に出てる子だと違ってくるんだろうか。

2017-04-28

昔はよかった?

勉強を教えてもらっている時叱られた。予習復習がちゃんとできていなかったからた。ごめんなさい。でも叱られたとき

今はそんな時代じゃないかもしれないけど昔は物事をしっかり決めさせる教育がされていた

と言われた。

続けて

から今の人はきちんと判断ができなくて首相あんな人になるんだ。トップが腐ってるってことはそれを選んだ人も腐ってるということになる

とも言われた。

おかしくないですか?いや事実かもしれないけど、なんか悲しくなりました。

私は今この時代を生きてるのにそんなこと言われたら、お前らみんな駄目なんだ、昔はあんなによかったのに……と言われてるようでただひたすらに悲しいです。べつに好きでこの時代を生きてるわけじゃないし、昔のことを言われたってそこに戻れるわけでもないのに、どう反応すればいいんでしょうか?この時代をつくったのは大人だし私は今、選挙権がないので首相を決めたのは大人です。なぜそれを私に言うんでしょうか?

私たちは今この時代で生きているんだから精いっぱいがんばってるんだから、もし昔の、今とは違う世の中を知ってて、昔の方がよかったなあと誰かが思っても私には今現在ちょっと過去しかないのに

人間はいつでも昔を懐かしむものなんだとは思います。思い出はなんだか良いものに、素敵なものになります。だから昔の方がよかったと思うことはおかしくないです。でも私はこれからを生きていかなきゃいけないし、今の時代の方が良いところだってあると思うのに、生きてる時代否定しないでほしい。

まあ先生が言いたかったことは

私が言わなきゃいけないことをちゃんと判断できなかったので

物事判断をしっかりつけるようにしなさい

ということだと思いますが。

それは本当にその通りで私ができていないことなのできちんと身につけたいと考えています。指摘されるのは有り難いです。でもいきなり昔と今を比べられたり社会についての不平を言われても困ります首相も私は何が悪くて、何が良いのかそこまで学んでいないので腐ってるかはわかりません。もっと勉強必要だと思います。誰かがあの人は駄目、腐ってると言ったからってそれを鵜呑みにして自分の考えを決めるのはおかしいです。自分で決めたいです。

私も大人になってもっと年をとったら昔を尊んで前の方がよかったなあと思うんだろうな。でもそれを誰かには言いたくない。言われたら本当に悲しくて悔しい。

人の手を顔と同じレベル記憶している。

わたしは人の手を顔と同じレベル記憶している。

それは当然のことでみんなそうだと思っていたらどうやら違うらしい。

別に手相とかに興味があるわけでもなく。

1番古い記憶小学生の頃の担任先生、もう何年もあってない小学生の頃の友達の手。

手を見ただけで誰かわかる。

大人になってもこれは続いた。

30年生きてきて、当たり前のように人の手を記憶してきて好きな手、嫌いな手があることに気づいた。

気の利くさばさばした女の人の手。

骨太でそんなに指は長くない。手の甲と指の長さが同じくらい。爪は細長というよりは真四角に近い。

スタイル抜群容姿端麗でちょっと気の強い女の人の手。骨自体細くて、長くて爪も細長くて整った形。手の甲が小さくて指が長い。

あっさりして気前がよくて、かっこよくて愛嬌も兼ね備えた男の人の手。

少し色が黒めで、骨太、爪は真四角に近い。

なんかねちっこくて、性格よくないなと思う男の手。

色白、一見女の人のような細長い爪。

同じような感覚で手を記憶してる人っているのかな…

2017-04-20

やればできる子からという呪い

http://anond.hatelabo.jp/20170420024153

この手の人は子供のころに「あなたやればできる子から」的な文言を刷り込まれているれてることが多い。

これを言われた子は「やればできる子」のセルフイメージを守るために「本気でやって失敗すること」を極度に恐れるようになる。

そういう子は大人になっても深層意識に枷がはまったままになり、「自分の最善を尽くす」ことにストレスを感じる性質になってしまう。

理性でこうするべきだとわかっていても、いやわかっているからこそ全力で取り組むことができない。もし万全で挑戦して失敗したら「やればできる子」ではなくなってしまうからだ。

しか仕事はこなさなくてはならないという板挟みの結果、ギリギリまで取り掛からないなどの小細工によって呪い言葉を守り続ける本人含めて誰も得しない悲しい人間性が出来上がってしまうのである

2017-04-15

便利そうな言葉を新しく知ったか定義とかよくわかんないけどなんか適当に使っちゃうってのを

いい年してそれが当然とでも言わんばかりにやりまくってる方々って非常にキツイと思う。

子供の頃ならそういうのは微笑ましく思われたんだなあってのはわかるけど

大人になってもそれじゃあよく知らないだなって思われるだけだってからないんだろうか。

まあ抽象的な割に専門的でもない微妙位置言葉なら、いちいち調べずに使った結果外しちゃうのはわかるけど

からさまなスラング・高度な専門用語とか、自分の専門外だったらまずどういう意味かきちんと調べるなり何なりして

認識してから使おうよと思う。

2017-04-09

YouTubeエロゲソングを聞くのが好き

自分がまだ小学生の頃、ふとしたきっかけでエロゲ存在を知った。

成人しか遊べないゲーム存在に何か安心感を覚えた。

自分はきっと大人になってもゲームをすると信じていた。

だけど、その頃の世の中にはまだ大人ゲームなんて遊ぶことを馬鹿にするような所があった。

それなのに大人しか遊べないゲームが一部でだけど話題になっている。

まり大人になってからゲームやってる人も沢山いるって事じゃん!

そう自分は感じた。

そして大人になってからゲームで遊ぶであろう、そしていつまでたってもモテたりはしないであろう自分はきっと彼らエロゲーマーといつか合流するのだろうと感じた。



まだエロゲで遊べない自分エロゲOPを聞くことにした。

たまにムービーも見た。

まだ動画配信サイトがない頃は公式ホームページから動画や歌を落として聞いていた。

紙芝居切り貼りもあれば、他の一般ゲームに負けないような出来のものもあった。

そしてどれもが独特の甘酸っぱいような、子供っぽいような、それでいて大人向けと思わせるような、何か懐かしい雰囲気があった。

その頃自分エロゲに一番感じたのは憧れよりも懐かしさだった。

そしてある時YouTubeがやってきた。

簡単に沢山のエロゲOPが見れた。

次々にOPを見てOPソングを聞いて、ときにはED挿入歌も聞いた。

しかった。

真夜中に自分のような人間の将来が不安になったときYouTubeを見れば何だか安心できた。

自分のような人間のまま大人になった人がいて、それなりに楽しく生きているのだ。

そして今どこかで同じ動画を見ているかも知れない。

その感覚はまるでこの世界のものに包み込まれるようだった。



実際にエロゲをやってみたら想像よりもつまらなかったので、実はあまりエロゲはやっていない。

だけど今でもエロゲの曲をYouTubeで聞くのは好きだ。

あの頃感じたネット越しの一体感がまだそこにあるような気がするから

そして、エロゲOPに感じる懐かしさは今も変わらないから。

寂しい人間の心を埋めるために作られた曲を聞くと安心する。

同じ気持ちの人がどこかにいる、同じ傷をずっと昔幼い頃心に負った人がどこかにいる、そんな気がするのだ。

2017-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20170325202000

コナンポケモンが好きって大学のオタサーなんかに入るべき人じゃないと思うけど

考えてみると大人になってもそういう作品好きな人の受け皿って日本コミュニティにない気がするな・・・

2017-03-17

オタク映画館SAOを見るよりモアナを見ろ

モアナ伝説の海、とにかく凄かった。

まりに凄すぎたので、とにかくこのホットな感動を伝えたいという衝動に突き動かされて今これを書いている。

もう本当に凄い。

クオリティという意味でもそうだし、面白さという意味でもそうであるし、何かもうこの映画の全てを総合して凄いとしか表現しようがない。

もう色々な人に出来る限り観に行って欲しいくらいに素晴らしい映画なのだが、その中でも特にオタク達に観に行って欲しいのだ、この映画を。

何故ならこの映画普段ディズニーアニメのメインターゲット層であるお子様達よりも、素敵なお姫様王子様とのラブストーリーに憧れる少女達よりも、大人になってもディズニーラブなお姉様方よりも、それらのどの層よりも、何より冒険と戦いと伝説勇者にいまだに憧れる馬鹿野郎共にこそ深々と心にぶっ刺さる熱い熱い熱い映画であるのだから

そう、この映画は大いに感動も出来るし、ハートフル気持ちにもなれるという普段ディズニー看板を全く偽ることなく、果てしなく広がる海を旅する冒険と、心を奮わせる激しい戦いと、熱き血潮と筋肉入れ墨をも同時に詰め込んだスーパーマッチョアクション巨編なのである

しかしこのまま熱く内容についても語り尽くしたいところではあるのだが、まだ公開して一週間も経っていない今そこまでネタバレしてしまうのは気が引けてしまう。

何よりこれを書いている目的はより多くの人にモアナを見て欲しいという気持ちからであるからして、そんな未視聴の人達から初見の感動を奪ってしまうのも忍びない。

なので、大筋のネタバレを避けつつ「モアナ伝説の海」という作品の魅力をいくつかピックアップして紹介していきたい。


1.ストーリーがいい

すでに巷では海のマッドマックスだのワイルドスピードだのと評判であるが、まずモアナは決してそんなインパクト重視な部分だけの映画ではないことを強く主張したい。

確かに途中から明らかにマッドマックスだし、終盤のセーリングバトルはまさしくワイルドスピードである

そういう面がモアナのわかりやすキャッチー面白であることは否定しないが、それらに劣らぬ魅力がそんな荒唐無稽描写を単なるパロディギャグで終わらせない骨太ストーリー展開にある。

序盤の展開を少しネタバレしてしまうことになるが、ここで軽くその一端を語らせて欲しい。

村長である両親や周囲の期待に応え、村を継ぐという自分の将来がすでに決まってしまっている少女モアナ

しかし同時に彼女は小さい頃から抱き続ける、海を越えて旅することへの憧れを捨てきれずにいた――。

ここまではディズニーでよくある抑圧されたプリンセスという構図であるが、モアナはここからが少し、いやかなりいつもと違う。

しかし、村長の娘として過ごす内に、彼女が暮らす島には徐々に異変が現れ始める。

・島の命が涸れていく――。

異変の原因は、今も口伝で伝わる神話の昔に起きたある伝説に原因があった。

伝説は嘘ではない。海へ出ることを夢見るモアナの唯一の味方である祖母は、島に危機が訪れた今こそ彼女真実を語る。

・島の先祖達の真なる歴史、そして島の中のとある場所封印された船達。そして幼少の頃より海に選ばれし者であった自分運命

・島に、いやこの世界全てに危機が迫る今こそ、少女は己の運命先祖から受け継いだ血に突き動かされて、封印された船を駆り、世界を救う旅へと出発する――!

これである。これがモアナの真の姿なのである

そう、もう完全に少年漫画なのだジャンプに連載されていても違和感がないほどに完全に少年漫画なのである

何だったら船をロボットに置き換えても通じる。

飄々とした老人が語る真実。選ばれし血筋運命。島に封印された兵器世界を救う旅に出る少女

まさしくロボットアニメ文法そのまんまである。そんな作品を見てみたいと思わないオタクがいるだろうか。

俺は見たい。そして実際に見た。凄い。この序盤以降も、もう本当に自分が望むままの血湧き肉躍る冒険活劇が繰り広げられるのである

そう、冒険活劇。まさしくモアナとはそれである

この時代ガッチリと、一分の隙も無く見事な、全く伝統的でブレることな王道を真っ直ぐ突き進む冒険活劇が見られるのだ。

それこそが、そんなストーリーこそがモアナ最大の魅力であると、自分はまず自信を持ってオススメしたい。


2.ラブストーリーじゃないバディものである

そして二つ目ポイントもそのストーリーに掛かってくる部分なのであるが、「この映画は全くラブストーリーではない」というところをそれとして挙げたい。

そうは言ってもディズニーで、一応プリンセス主人公なんだぜ? ラブストーリーじゃないなんてことあるの?、と思われるかもしれない。

しかし、安心して欲しい。

自分のようにモテない独身男が一人で観に行っても全く闇を抱えることがない程に、清々しいくらいにラブストーリー要素は一切ないのである。(一応カップリング的なものはあるが、あくまファンの受け取り方次第である)

前年度のディズニー映画ズートピア」も恋愛関係というよりはバディものに近い関係性であったが、モアナはそれよりも更にバディもの、なんだったら師弟もののような関係性となっている。

一応に一応を重ねて今作のプリンス立ち位置であるマウイというキャラクター存在するし、彼と二人でモアナは旅をすることになるのだが、映画全編通して二人の間には一切恋愛を匂わせるような心の交流存在しない。

しかしだからと言って二人の関係が薄いということは全くなく、冒険を通じてモアナという少女とマウイという英雄の間には友情のような、あるいは兄妹のような、あるいは師弟のような、固い固い絆が結ばれることになる。

そしてそこに恋愛というモチーフが一切入ってこないというのが、本当に爽やかで気持ちよく思えるのである

恋愛感情の一切無い男女のコンビというと「シュガーラッシュ」の例も存在するが、デフォルメの効いたキャラクター同士であるあちらよりも一人の人間としての形を色濃くデザインされた男女二人が恋には落ちないモアナはより珍しく映るだろう。

そしてそんな関係の二人だからこそ、シンプル恋愛だけでない複雑な魂の結びつきを感じる余地も生まれキャラクターとしての奥行きを生み出しているようにも感じられるのだ。

独身男の心を傷つけない優しさという点だけではなく、そういう作品的な深みを生んでいる意味としても、ラブストーリーでないということはかなりオススメ出来る点である個人的には考えている。


3.単純な悪役のいる物語ではない

これまたストーリーに掛かっているポイントであるが、個人的にもこのポイント独立したものとして強く推したかったので語らせて欲しい。

さて、ディズニー映画と言えば必ずわかりやすヴィラン(悪役)がいるというのが御約束である

時には極悪非道、時にはコミカルで憎めない、そんな多種多様ヴィランディズニー映画には登場するのだが、彼らはまた必ず物語最後には主人公達に打倒されるものでもある。

単純な小悪党というパターンも多いが、彼らは多かれ少なかれ作品内の歪みを体現した存在でもあり、彼らが単純に倒されるだけでいいのだろうかというモヤモヤを残していったりもする。

それをして作品に奥行きと考察余地を与えたり、現代における社会問題を反映させた構図としてみせたりするのがディズニー映画の一つの魅力ではある。

それは個人的にも長所ではあるとも思うのだが、やはり作品を見終えた後でいくらかの引っ掛かりや疑問を抱えたままになるし、それがあまり気持ちのいい感情ではないことも否定は出来ないだろう。

しかし、今回のモアナにはそれが一切存在しなかった(と、個人的には感じている)。

単純に歪みと闇を抱え、倒されるだけのヴィランというもの存在しないのである

確かにモアナ冒険の途中には、モアナ達を狙う敵達が登場したりはする。

しかし、いずれも己の信念、というよりは生き方に基づいて立ち塞がるのであり、憎み合う敵というよりは障害物に近いものとなっている。

そしてその全てが憎めなくてどこか面白い、魅力のあるキャラクター達となっているのだ。

からと言って、モアナという作品がそんなただ優しいだけの世界を描き、テーマ性の薄いものになっているのかというとそんなことも一切ない。

作品テーマ最後まで一本筋の通ったもの存在しているし、それは様々なことを深く考えさせられるものである

モアナを取り囲む世界も優しさに満ちていることは否定しないが、時にどうしようもない厳しさというのも十分に描かれている。

そして、この世界におけるこれまでのようなヴィラン体現する歪みというものは、モアナとマウイを含む全ての人物が己の心の中に持っているものとされている。

モアナとマウイは冒険を通じて自分の歪みと向き合うことでそれを打倒し、誰にも押しつけることなくそれを昇華する。

からこそ、明確なヴィラン存在しない物語というもの存在し得るのである

そして、そんな物語の迎える結末というものが、もう本当に、涙が出るほど清々しく、爽やかな気分にさせてくれるのだ。

何の引っ掛かりも疑問もなく、ただただ爽快感だけを残してモアナという作品は終わってくれるのである

単純なハッピーエンドではなく、みんながこれからも考え続けていかなければならない。確かにそういう作品大事だし、素晴らしいこともわかる。

しかし、たまにはここまで気持ちよく、優しい世界を描いた作品を讃えるのもいいではないか

さらに加えてこの作品プリンセスの不遇を描くに辺り、誰かしらや何かしらからの悪意が存在したりしないことも個人的には素晴らしいと思っている。

物語の序盤のモアナは抑圧された状況下にあることは確かなのだが、それは全て優しさと正当な理由があってのことなである

からこそ、モアナの旅立ちのシーンが本当に胸を打つものになっている。

そしてそれはプリンセスの生い立ちや状況だけでなく、マウイという存在や行く手を阻む様々な困難の全てに単純な意地悪や悪意だけで構成されているものがない。

そういった部分も、この作品の優しさと爽やかさと気持ちの良さを支えているように思う。

作為的な悪というもの存在しない点。それもまたこの作品における重要オススメポイントとさせていただきたい。


4.ディズニー渾身の映像

これについては今更自分のような者が語ることはないほど周知されていることだとは思うのだが、それでも今一度ここではモアナの魅力としてオススメさせて欲しい。

南洋の島々の楽園のような景色雰囲気

そして透き通るような美しさを持ちつつも精巧絵画のように鮮やかな色をも見せ、生き物のようにうねる、これがアニメーション可能なのかと驚愕しきりの海の表現

愛くるしくも時に凜々しいキャラクター達の活き活きとした表情と動き。

そして何より激しいアクション! グリグリと動きまくる格闘戦! ド迫力な神と英雄のバトル! 躍動する筋肉! 精緻美術設定によって作られた変態改造船舶

もう枚挙に暇がないし言葉も足りない程に美しくて活気に満ち溢れた、そして過激かつマッチョモアナ世界スクリーンの向こうには広がっているのだ。

なのでこれはもう是非ともディスク化を待たずに劇場へ足を運んで、ドデカスクリーンでこの映像美を拝んでいただきたい。

そのマッチョマッハアクションにはとてつもなく興奮することは間違いないし、そのあまりに美しい世界観に感動することもまた間違いがない。

特に予告編でも一部見ることが出来る夜の海を光る船団が行くシーンは本当に、本当に美しすぎて溜息が出るので絶対劇場で見て欲しい。

そして海のマッドマックスと呼ばれる所以たるシーンも併せて是非。いや、マジでスゲーのよ。


5.挿入歌の使い方が最高

これもまあ今更自分が語るようなことではないと思うのだが、それでもあまりに感動したので書かせて貰いたい。

とにかくこのモアナという作品劇中歌が強い。

劇中歌の強さで天下を取ったディズニー作品と言えば「アナと雪の女王」が記憶に新しいが、個人的にはモアナのそれはアナ雪に勝るとも劣らぬ力があると感じた。

その上で、更にアナ雪よりも強いモアナの要素として劇中歌が挿入されるタイミングがとにかく最高ということが個人的には挙げられると思っている。

アナ雪で一番有名かつ作品テーマソングともなっている「Let It Goであるが、実は劇中での使用は一度のみなのである

それもエルサが城から逃げ出して自身能力で氷の城を作り上げるという、映像的には圧巻の美しいシーンではあるのだがタイミングとしてはいまいちカタルシスを感じていいのか微妙な部分で使用される楽曲であった。

対してモアナにおけるメインテーマソングである「How Far I'll Go」は、作中で数回に渡って使用される。

そして、それは主人公であるモアナが悩む時、壁にぶつかった時に、己を慰めるように、あるいは鼓舞するかのように歌い上げるのだ。

この劇中歌の流れるタイミングと、ストーリー的なカタルシスの一致がとにかく素晴らしいのである。素晴らしいシンクロ具合を見せてくれるのだ。

そしてこのテーマソングが一度ならず幾度も使用されるというのもありがたい。

作中のシーンに合わせて幾つもの曲を書き下ろすディズニーにしては珍しいしそこを欠点に感じる人もいるかもしれないが、一つの曲を大事に使ってくれる今回の方が個人的にはより好みであった。

そして何より言うまでも無いこの「How Far I'll Go」という楽曲自体の素晴らしさ。

切なくも力強いこの曲のサビの部分は、何度も使用されてこの歌を覚えていくことで作品の後半に進む程により心を震わされ、感動させられる作りになっているように思える。

更にモアナ役の吹き替え声優である屋比久知奈さんの歌声もこれまた最高で、これがあってこそと思えるものであり、この歌声と曲が合わさる相乗効果は本当に言葉にならない。

そして無論、「How Far I'll Go」以外にもモアナには素晴らしい劇中歌の数々が存在しているし、それらの使い方も言うまでもなく素晴らしい。

特に「We Know The Way」という曲はこれまた複数回使用される曲なのだが、映像と力強いメロディーとを合わせて自分の中の冒険心というものをこれでもかとかき立てられる素晴らしい曲であった。

とまあ、とにかくモアナ劇中歌は「曲自体の素晴らしさ」、「それが使用されるタイミング」、「その曲を覚える程繰り返し使用してくれる演出」と三拍子揃ってとてつもない感動を与えてくれるものとなっているのだ。

そしてそれを劇場の迫力ある音響で堪能出来る至福といったらもう、是非とも映画館に足を運んで味わって貰いたい。それ程大きなオススメポイントである。というかモアナでも極上爆音上映とかないですかね……。


さて、以上が自分モアナという作品で素晴らしいと感じたポイントであり、オタク達にオススメするポイントである

いかがだろうか、正直書いてる内に止まらなくなって自分でもちょっと引くほど長くなってしまったが、それくらい情熱に任せて書いてしまえる程モアナという作品面白かったのだ。

なので、これを読んで少しでも食指を動かされた人には、本当に是非、すぐにでも劇場で観ていただきたい。

というか今すぐ観よう、今日レイトショーで観よう、明日レイトショーでもいい、休日は言うまでもなくモアナで予定を埋めよう。

自分もあと三回くらいは観るつもりである

誰に何を言われたからでも、観覧特典のような配布があるわけでも、ディズニーから金を貰ったからというわけでもない。

ただただあの優しくも熱い冒険世界をまた味わいに行きたいかである

そしてこれを読んでいる皆様にも、是非ともそれを味わっていただきたい。

純粋にそう願いながら、この文章をようやくここで終わらせることにしよう。

いや、やはり最後にもう一度。

オタクよ、モアナを観よう。絶対にハマるから



……

………

…………

……さて。おまけで、かなりネタバレになってしまうがもう一つのオススメポイントを書き残しておきたい。




6.特殊性

それは巨女巨女だ。

ディズニー渾身の映像クオリティで作られた巨女

巨女こそが女神の姿であり、自然であり、豊かな緑であり、巨女が島となり、大地となり、命を生む!

これこそまさしく地母神信仰の姿!!!

この映画は紛れもなく巨女信仰映画であり、子供達に巨女属性を幼い頃より刷り込ませ、更に一般的認知をも拡大せんとする目的で作られた映画であることは間違いがないだろう。

そう、巨女一般性癖!

みんなでモアナを観て巨女の素晴らしさを知ろう!

2017-03-08

http://anond.hatelabo.jp/20170308155458

横だけどさあ、女からしたら

「友人だと思ってた男が自分をそういう対象で見ていた」って思春期定番の話だよ

現実定番からこそ漫画の題材にもなるというだけ

思春期過ぎると「男はそういうもの」と言う諦め&慣れがつくけど

男はそういう目に遭う機会がないから、いい年こいた大人になっても

「友人と思っていた男が実は自分をそういう対象で」を恐れるんだろうか

2017-02-27

http://anond.hatelabo.jp/20170227144029

どう見てもハゲおっさんで心が少女である確率少女大人になっても幼女向けアニメを見ている確率を掛け合わせるとおっさん幼女向けアニメを見ている確率は相当低いものであることが予想できるが見ている人数多すぎではないだろうか。

2017-02-12

けものフレンズってすっごーい!!!

けものフレンズが、思いやり/助け合い/許容/共存その他諸々の道徳的メッセージ性に溢れている事は、もうわざわざ言わんでもいいだろう。私も初見時、Eテレ幼児向けアニメを思い出した。確かに、現代大人に欠けている「思いやり精神」を思い出させよう的な作品だ。内容が幼児向けアニメ酷似しているのだからIQが下がる」という反応もわかる。しかし、ただ「脳が溶ける」という方向で捌くには惜しい程、挑戦的で強固で強烈なアニメだと私は思う。

けものフレンズは、幼児向け情操教育アニメとは決定的に違う点がある。(萌え美少女描写についてはここでは扱わない)

はてなを読むタイプの諸氏になら、つくってあそぼゴロリを例にするのが適切だろうか。わくわくさん提案に対して、否定/疑問→評価(改心)の流れがテンプレだ。幼児向け番組では、「否定/疑問」のフェーズがほぼ必ず存在する。頭や言葉を意地悪く操り始める年頃の、5歳以下の幼児向けである為だろう。言葉の覚束ない乳幼児大人気なアンパンマンにさえ、バイキンマンがいる。そして、「”意地悪な”否定や疑問」には、必ず「”罰”や”改心”」といった結末が用意されている。正しく情操教育だ。

既に言われまくっている様に、けものフレンズには「意地悪な否定や疑問」と「罰や改心」のフェーズ存在しない。だから、優しく平和物語と言われる。だが私は、その「意地悪な否定や疑問」は、省略されているだけで存在すると考えている。

そのフェーズは、視聴者の側にある。

けものフレンズが無理な人々がいるのもよくわかる。けものフレンズ世界には、セルリアンという危険生物がいるとはいえ、争いや困窮は存在しない。幼児向けアニメと同じく、鬱陶しい程の理想の塊と上っ面の美しさに満ちた世界だ。「こんなに上手くいく訳がない」という言葉にまとめられるようなツッコミをせずにはいられない。そういった「バカかよ」「そんな都合よくいくか」的否定/疑問をわざわざ描写せずとも、観ているのは現実をよく知った大人たちなのだ現実社会には「意地悪な否定や疑問」は当たり前に存在する。人前で叱責するのが大好きな上司、けなす事で自分の優位性を保ちたがる人、重箱の隅をつつく様なクソコメクソリプ。具体例をあげればキリがない。大人になっても「意地悪な否定や疑問」に晒されたことのない人はいないだろう。だからこそ、けものフレンズはその段階を飛ばす。いちいち描写しなくても、視聴者自分で補完できる。「意地悪な否定や疑問」のフェーズがなければ「罰や改心」という回収も必要ない。だから最初から全て受容しちゃっていい。

個性尊重しよう。互いに違いを認め合い、助け合おう」

美しく理想的だが、現実にするにはあまりにも難しい。自分人生を振り返るだけで分かる。大体の人は、そんな現実離れした理想は建前で子供だましだと割り切り、諦める。けものフレンズは、そんな疲れた大人たちへ向けられた優しくも暴力的物語だ。

余計な描写を省き、極端にシンプル言葉で、「互いを認め合うこと」「共に助け合うこと」を強烈に表現している。ただシンプルに、愚直に、ド直球ストレート視聴者の心へぶち込んでくる。余りにも単純で暴力的なまでの行為に、視聴者は同じく単純に「すごーい!」としか反応できない。偶然にも、太平洋の向こう側で人々が分裂し憎み合っているこのいま。幼児向けアニメ手法という仮面を被り、美しき理想で何度もしつこく殴りつけながら、その精神を、敢えて大人である視聴者へ向けて真剣に再提示している。

そう考えると、すごい。本当にすごい。逆にすごい。強い。美少女要素なんか飾りだ。ただただ、単純に強い。レベルを上げて物理で殴っている。おそろしい。幼すぎるほど平易に研ぎ澄まされたその言葉が。自己他者のできる/できないをすぐに受け入れるその合理性が。これで行こうと決めた制作陣の胆力が!

「すごーい!」「君は◯◯が得意/苦手なフレンズなんだね!」の定型文が流行るのもわかる。シンプル真摯一言は、理性的だが長過ぎる文章よりも伝達力が強い!

そりゃ流行る!!シンプルでわかりやすく強い言葉は、流行!!!

そして、理念提示だけじゃなく、何かを達成するまでの過程や、フレンズ達の個性をクッソ冗長的かつ丁寧に描写する所だ!視聴者厳選な一話冒頭の狩りごっこも、橋作り地上絵作り等の困難を乗り越える過程も、フレンズ習性説明も、とにかくやたら尺が長い!だが、そのしつこくしつこく丁寧な描写が、フィクション過ぎる美しさを持つけものフレンズ世界と、私達の現実世界を繋げるリアルさを醸し出す!動物園のおにいさんおねえさんの生声による解説のおまけ付きだぞ!リアルと繋がってしまうだろやめろ!!ああなもう嫌になる!作品の純度が高すぎる!シンプルものは、真摯に作られる程強烈な強さを持つ!!私がどんなに言葉を費やしてけものフレンズを褒めても、「すっごーい!」の力に遠く及ばない!!

けものフレンズはすごい!!!すっごーーい!!!!!やったーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

2017-02-05

食事地獄になること

父親食事マナーに厳しかった。

厳しいっていってもお箸の持ち方、お茶碗の持ち方、咀嚼する時は口を閉じる、音を立てない、肘をつかない、左手テーブルの上に出す、そのくらいの本当に基本の基本のことだけどね。

おかげで社会人になった今でも必要最低限は出来てると思う。

たまに年配の上司なんかには褒められるくらい。ありがたい。

でもね、実はね、人とご飯を食べるのがすごく苦手なんだよ。

例えば冷凍しておいたご飯をお茶碗に入れてレンジでチンするとお茶碗も結構熱くなるじゃん。

糸底の部分が支えられないくらい熱いよ〜なんて言いながら何本か指を浮かせてしまう。

すると間髪入れず変な持ち方するなよって言われる。

今目の前で熱くて持てないって言ったよね?

いつもはちゃんとしてるじゃん?

そういう自分では回避出来ないようなミスまで責められて、

次第にあーこの人は私がミスをするのを、そしてそれを注意してやるのを今か今かと待っているんだ。

そう思ったら一緒に食事をするのが嫌になってしまった。

お父さんのことは尊敬してるし好きだけど一緒にご飯食べたくない。

ずっと気を張ってなきゃいけないから。

他の家族もそうだったみたいで、次第に食事時間を父とずらしはじめた。

そこからまあなんやかんやあって両親離婚から一家離散になったんだけど。

私のためを思って言ってくれてるのはわかってる。

でも常に見張られてる気がして食事苦痛になった。

一日働いて帰ってきて、家では気を抜いて楽しくおいしくご飯が食べたかっただけなのになー。

躾、特に食事に関してはちゃんとしてたほうがいいと思う。

大人でもクチャラーとか肘ついて食べてる人とかいるし、お箸がちゃんと持てていない人も驚くほどいっぱいいる。

そしてそれに気づいても、食事マナーってすごく注意しづらい。その人の親ごと否定することになるから

から子供の頃に受けた躾がそのままそっくり大人になっても続くと思ったほうがいいと思う。

私は今でも誰かと食事をする時は緊張する。会社食堂ですら。

そして他人食事マナーが気になる。守れていない人に対してイライラする。

自分の中に父がいるようで、嫌悪感しか湧かない。

食事が楽しくなくなっちゃうと本当に毎日地獄だよ。

世のお父さんお母さん、気をつけてあげてね。

2017-01-29

離脱期間とか何?お前ら大人になっても皆勤賞礼賛とか小学校メンタルかよ

仕事してなくても高査定スーパーマザー

だらだら働いてるだけのゴミとどっちが昇進したほうがいいか一目瞭然だろうに

2017-01-23

絵本えんとつ町のプペル』のどこが駄目なのか

にしのあきひろ著、『えんとつ町のプペル』を読んだ感想を書く。


先に書いておくが、私は紙の本を購入していない。

Spotlightサイトにて無料で読んだ。


作品批評特に批判的な批評する際、本来であればお金を払うべきだと思う。

でも、本人の意向無料公開したのだから、私も好きなように書きたいことを書く。

作品批評自由であるべきだからだ。


この絵本は"絵"が駄目である ー その1


最初にただしておきたいが、六七質さんの背景画が駄目だと言いたいのではない。

しろものすごい技量をお持ちのイラストレーターさんだと思う。


ピクシブや他のサイトでも、六七質さんの作品を拝見した。

緻密な建物の描き込みはもちろんのこと、空間の奥行き感じさせるぼやかした遠くの景色

夢の世界へいざなってくれるようなファンタジックさがありながらも、懐かしい記憶を刺激するようなノスタルジックさを併せ持つ独自世界観、等々。

私が言うまでもなく、素晴らしい作品をたくさん創作されている方だと思う。



では、この絵本の絵の何が駄目なのか。


それは「構図」である

一言で言えば、キャラクターが小さすぎ、背景が主張しすぎである


文字だけ抽出して読むと分かりやすいが、この物語はプペルとルビッチの2人のやりとりをメインに話が進んでいく。

2人の間で育まれ友情や、ルビッチ父親形見を2人で探しに行く冒険描写ほとんどで、町の風景の美しさを語る叙景詩ではけっしてない。


もちろん、後述するようにこのえんとつ町自体が、物語全体のテーマに通ずる要素にはなっている。

しかし、町の風景描写あくまでもサブ的な要素として、もう少し控えめに描くべきであった。

具体的には、キャラクターを大きく、背景のコントラストを落として、キャラクターを浮き立たせるように全体の色彩設計すべきであった。


では、なぜこのようになったのか。

それは推測でしかないが、要するに作者はこの町の風景世界観表現たかったのだろう。

最初から中盤まで、とにかく町の風景風景風景風景・・・と同じようなページがずっと続く。

描かれている看板などはそれぞれ違うようにしてあるが、ひたすら同じようなトーンの町の風景ばかりだ。

これは絵本としては致命的であるし、読むほうも飽きてくる。


それならば、風景イラスト集だったらよかったのか。

この町の風景単体で作品としての価値があるかというと、私はそうは思わない。

ブレードランナー」みたいな町を、「千と千尋の神隠し」みたいな色彩で味付けしただけと私は思った。

ブレラン自体が真似されまくっているので、これも世界中に数多あるブレランの50番煎じ、60番煎じの一つだと思う。


この絵本は"絵"が駄目である ー その2


絵については、他にもある。


この絵本は次の一文から始まる。

「4000メートルの崖にかこまれ、そとの世界を知らない町がありました。」

でも途中で、町は海に面していることが分かる。

ここで驚いたというか、ずっこけた読者も多いのではないだろうか。


「えんとつの町に住むひとは、くろい煙にとじこめられて、あおい空を知りません。かがやく星を知りません。」

とあるが、別にえんとつ町は外界から隔絶された町なのではないのだ。


それと、えんとつ町だけが高いところにあって、断崖絶壁の低地に囲まれているのか、

それとも、えんとつ町だけが低いところにあって、高い崖に囲まれているのか、海が出てくる場面まではっきりしない。


これだけ多くのページで町の風景を描いているのだから町の置かれた地形が分かるように、町の風景を描くべきだった。



絵について、最後にもう一つ。


プペルは、醜い姿をしながらも、清くて純真な心を持った、他のさまざまな物語にも登場する典型的怪物キャラクターである

しかし、絵本の序盤ではプペルの姿ははっきり見えず、終盤に近づくにつれてプペルの姿が明るく映し出されて全容が分かるようになる。


あとがきで作者が 懇 切 丁 寧 に 説明してくれていたように、プペルが「ゴミから構成されているのは物語重要な部分である

それであるなら、プペルの姿の醜さは、序盤からはっきり分かるように描くべきであった。


この絵本は"物語"が駄目である


この記事の本番はここから


あとがきには、この物語について次のように説明している。(※太字は筆者)

えんとつ町は煙突だらけで、そこかしこから煙が上がり、頭の上はモックモク。朝から晩までモックモク。えんとつ町に住む人は、青い空を知りやしない。輝く空を知りやしない。『空』という概念がないものですから、見上げることもしません。


そんな町に突如現れたゴミ人間と、その友達煙突掃除屋が、それでも空を見上げるもんだから、町から袋叩きに遭ってしまますえんとつ町は、夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる、現代社会風刺そして、「夢を見る」「夢を語る」「行動する」といった、大人になる過程で皆が折り合いをつけて捨てたモノをまだ持ち続けているという意味で、主人公を《ゴミ人間》にしてみました。


えんとつ町のプペル』は、そんな物語です。

あとがき現代社会風刺」と説明する野暮さには目も当てられないが、ここではひとまず流しておく。


プペルは「『夢を見る』『夢を語る』『行動する』といった、大人になる過程で皆が折り合いをつけて捨てたモノ」、いわば「夢の残骸」である

子供の頃は誰もが持っていた「夢を見る」「夢を語る」「行動する」は、プペルの心のように清くて純真もので、

それはえんとつ町(大人社会大人常識)の住民からすればゴミ、汚い、臭いものとして扱われる世界観なのである


では、ルビッチはどのような人物なのか。

それは作者・西野亮廣自身である

西野氏が、ルビッチのようなサスペンダーとハットを好むのを見れば、一目瞭然である

http://news.mynavi.jp/news/2015/01/04/138/images/001.jpg

http://up.gc-img.net/post_img_web/2013/02/55cb8b02247b92662b9e0a71412ec0f3_0.jpeg

http://s.eximg.jp/exnews/feed/Taishu/Taishu_21980_1.jpg

http://jgweb.jp/wp-content/uploads/2013/06/new_IMG_0039.jpg

http://img.u-note.me/note/uploadimage/1407827558970.jpg

https://wordleaf.c.yimg.jp/wordleaf/thepage/images/20130913-00000001-wordleaf/20130913-00000001-wordleaf-0.jpg

http://s.eximg.jp/exnews/feed/Yoshimoto/Yoshimoto_201306_post-0995_1_s.jpg


駄目押しで書くと、煙突掃除夫にはこのような制服があるので、作者がルビッチ自分投影していなかったのならば、ルビッチはこのような容姿になったはずである

google:image:Chimney sweep uniform


まり、この物語は、現実世界で「夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる」作者・西野自身が、清くて純真な「夢の残骸(プペル)」の尊さを自分けが理解し、そして夢を叶えるという概念(空にはホシがあるということ)は自分だけしか知らず、自分けが夢を叶えることができたという話なのである


それでは、西野亮廣氏は「夢を語るから、行動するから」笑われたり、叩かれたりするのか。

もちろん、そうではない。

自分の実力以上に、上から目線物言いをするからである

https://www.youtube.com/watch?v=asx0938br3E


現代現実世界では「夢を見る」「夢を語る」「行動する」は、「大人になる過程で皆が折り合いをつけて捨てたモノ」なのだろうか。

ゴミ、汚い、臭いものとして扱われているものなのだろうか。


社会生活している人々は皆「『空』という概念がないものですから、見上げることもしません」、つまり夢を見たり叶えたりする概念すら知らないのだろうか。


一部ではその通りかもしれないが、しかし、すべてがそうではないはずだ。

夢を見て、語って、行動し、実際に夢を叶える大人は、この社会にはたくさんいるかである


しかし、作者・西野氏は「自分けが『夢』という概念を知っている。自分けが大人になっても夢を見て、語って、行動している。だから自分は笑われ、叩かれるのだ」という考えを、この物語のなかで自己正当化しているのだ。


からこの絵本物語は、幼稚なナルシズムに満ちていて、どうしようもなく醜悪でなのである

2017-01-22

日記を書こう

イルミネーションを見に行ったら、園内の一画で音楽が流れていた。今思えばちょっと神秘的な感じの曲だった気もする。

でもまあその時は特に気にも止めずに、寒かったのでさっさとそのエリアを抜けたんだが、直後に後ろから女の子の声が聞こえた。

「お母さんお母さん、この音楽素敵だね。何かこの音楽聞くと胸がぎゅーっとする」

わず振り向いた。小学校低学年くらいの女の子だった。

良い感性だなー、と一種の感激すら覚えたんだが、残念なことに『お母さん』を含めた女の子家族は総スルー

そういう繊細な感受性は貴重なものだがら、日記にでも書いて残しておくといいよ、と他人自分は残念ながら言えなかったので、代わりに自分日記として残しておく。

あの女の子感性大人になっても持ち続けられるものかはわからないけど、できれば持ち続けてほしい。そうでなくても、自分が昔そういうものを感じられる人だったということを知っておくことは無意味ではないと思うので。

まり、みんな日記を書こうよって話でした。

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