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2022-01-30

[]1月29日

ご飯

朝:ファミチキ。昼:辛ラーメンサラダチキン、彩り野菜ミックス。夜:とり肉、人参玉ねぎしめじねぎご飯海苔たまごネギ味噌で煮たやつ。

お菓子は、ポテロング

調子

むきゅーはややー。お仕事は、おやすみん。

グランブルーファンタジー

十天超越用のダマスカスカスがようやく溜まった。

ようやく店在庫ダマスカスと交換できるけど。

結局マグナだとダマスカスの使い道がないんだよなあ。

リッチ斧でも凸る? うーむ。

シャドウバース

進化ネクロをこねくり回してたけど、やっぱラスワと混ぜると上振れたときの動きは強いけど、安定度に欠けるのでやめた。

ワールドリッパー

何気なくボスコイン交換所を眺めてたんだけど、光廃竜の光芒竜冠を持ってないことに気づいた。

あれー? そんなことあるか? と思って調べたらどうも、恒常化のときに追加された武器限定の時にはなかった武器みたい。

使い出のあるなしは、光パワフリを滅多に使わないからピンとこないけど、持ってないのも嫌だし日課に追加しよう。

2021-07-02

習近平さんの講話日本語訳

6月25日午後には、党中央政治局委員(トップ25)を全員引き連れて、北京西郊北京大学に乗り込んだ。ここの「紅楼」で開かれている「光輝な偉業、紅色の序章―-北京大学紅楼と中国共産党早期北京革命活動主題展」を参観するためだ。

 後述するように、100年前の中国共産党指導者たち――陳独秀、李大釗は、北京大学拠点にしていた。中国共産党創建は、1917年ロシア革命1919年の大規模抗日運動「五四運動」が基点になっているが、「五四運動」は北京大学が「震源地」となっている。私はかつて北京大学留学時、構内の学生寮一年住んでいたが、5月4日大学創立記念日になっていて、特別な日である

 習近平一行は続いて、豊沢園の毛沢東故居を参観した。毛沢東主席1949年9月21日(建国10日前)から17年、仕事生活の場にしたところだ。

 毛沢東主席を崇拝してやまない習近平総書記は、そこに飾られた毛沢東の服や読んでいた本などを、感慨深げに見つめていた。そして24人の中央政治局委員を狭い部屋に入れて、またいつものように後ろ手に組んで、腹を突き出し説教を始めた。

 さらにまだ言い足りなかったのか、中南海(最高幹部の職住地)の懐仁堂へ戻って、再び長い重要講話を行った。その要旨は以下の通りだ。

 「紅色こそが中国共産党であり、中華人民共和国の最も鮮明明瞭な色だ。わが国の960万㎢あまりの広大な大地に、紅色資源は星の如く流布している。わが党が団結して、100年の努力の偉大な歴史過程の中で、紅色血脈を代々継承し、中国人民を導いていくのだ。

 第18回中国共産党大会(2012年11月開催で習近平総書記を選出した)以来、私は地方視察を重ね、わが党の重大な歴史的意義を持つ革命聖地紅色旧跡、革命歴史記念場所など、主要な場所をあまねく仰ぎ見てきた。どこへ行っても、栄光歳月再確認し、党の苦難の歴史を回顧し、心が震撼し、精神的な洗礼を受けてきた。

 中国共産党はなぜ能力があるのか、中国の特色ある社会主義はなぜ素晴らしいのか。それらは根本的なことを言えば、マルクス主義が正しいからだ。われわれは党の100年の努力歴史から、真理のパワーを悟り共産党執政規律社会主義建設規律人類社会発展の規律への認識不断に深化させ、マルクス主義を用いた真理の光芒が、われわれの前進していく道を照らすのだ。

 全党は終始、理想の信念を堅持するよう教育し、導いていかねばならない。革命理想は天より高いのだ。100年の党史を振り返れば、千々万々共産党人は、理想の信念を頭に抱き、鮮血を撒き散らしてきた。共産主義はわが党の遠大な理想であり、この遠大な理想を実現させるため、必ずや中国の特色ある社会主義の信念を固めねばならない。

 新時代中国の特色ある社会主義の新たな勝利不断に奪取するのだ。全党の同志は党の100年の努力歴史の中から初心の使命を悟り人民を中心とした発展思想をうまく貫徹し、中華民族の偉大なる復興の実現のため、初志一貫で奮闘するのだ。

 全党が終始、教育的指導で自己革命の推進を堅持するのだ。わが党は100年の風雲を経て、依然として繁茂している。その奥義は具体的な自己浄化自己改善自己革新自己能力の強大化にある。自己革命精神は党の執政能力の強大な支えだ。

 政治性、思想性、芸術性を統一させ、精品を作り出すのだ。史実説話を用い、表現力と伝播力を増強し、生き生きした紅色文化を伝播させるのだ。革命建設改革の各歴史の時期の重大な事件、重大な節目に関する教育を強化しなければならない。

 確定した重要標識の地を研究し、党の物語革命物語英雄物語をうまく語るのだ。それらを青少年の特長が認知された教育活動合致させ、潤沢な特色ある革命伝統教育愛国主義教育青少年思想道徳教育吉を建設し、彼らが小さい頃から心の内に紅色理想樹立できるように導いていくのだ」

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/84619

2020-07-04

名チン伝

 尿(にょう)の陳鎮(ちんちん)の都に住む短小(たんしょう)という男が、天下第一の陰茎の名人になろうと逸物を勃てた。己の師と頼むべき人物を物色するに、当今男根をとっては、名手・飛精(ひせい)に及ぶ者があろうとは思われぬ。百歩を隔てて女体を見るに即刻絶頂するという達人だそうである。短小は遥々飛精をたずねてその門に入った。

 飛精は新入の門人に、まず萎えざることを学べと命じた。短小は家に帰り、妻の股座の下に潜り込んで、そこに仰向けにひっくり返った。陰茎とすれすれに女陰が忙しく上下往来するのをじっと萎えずに見詰めていようという工夫である理由を知らない妻は大いに驚いた。第一、妙な姿勢を妙な角度から良人に覗かれては困るという。嫌がる妻を短小は叱りつけて、無理に股を開き続けさせた。来る日も来る日も彼はこの可笑しな恰好で、萎えざる修練を重ねる。二年の後には、遽だしく往返する女陰陰毛を掠めても、絶えて萎えることがなくなった。彼はようやく股の下から匍出す。もはや、鋭利な錐の先をもって陰茎を突かれても、萎縮をせぬまでになっていた。不意に火の粉が尿道に飛入ろうとも、目の前に突然灰胡座(ばいあぐら)が立とうとも、彼は決して陰茎をしぼませない。彼の海綿体はもはやそれを縮ませるべき筋肉使用法を忘れ果て、夜、熟睡している時でも、短小の陰茎はカッと大きく屹立したままである。ついに、彼の睾丸睾丸との間に小さな一匹の蜘蛛が巣をかけるに及んで、彼はようやく自信を得て、師の飛精にこれを告げた。

 それを聞いて飛精がいう。萎えざるのみではまだ射精を授けるに足りぬ。次には、視ることを学べ。視ることに熟して、さて、貧を視ること巨のごとく、微を見ること爆のごとくなったならば、来って我に告げるがよいと。

 短小は再び家に戻り、肌着の縫目から乳首を一つ取り出して、これを己が陰毛をもって繋いだ。そうして、それを南向きの窓に懸け、終日睨み暮らすことにした。毎日毎日彼は窓にぶら下った乳首を見詰める。初め、もちろんそれは一つの乳首に過ぎない。二三日たっても、依然として乳首である。ところが、十日余り過ぎると、気のせいか、どうやらそれがほんの少しながら大きく見えて来たように思われる。三月目の終りには、明らかに乳房ほどの大きさに見えて来た。乳首を吊るした窓の外の風物は、次第に移り変る。煕々として照っていた春の陽はいつか烈しい夏の光に変り、澄んだ秋空を高く雁が渡って行ったかと思うと、はや、寒々とした灰色の空から霙が落ちかかる。短小は根気よく、陰毛の先にぶら下った哺乳類・催淫性の小乳頭を見続けた。その乳首も何十個となく取換えられて行く中に、早くも三年の月日が流れた。ある日ふと気が付くと、窓の乳首が馬のような大きさに見えていた。占めたと、短小は陰茎を打ち、表へ出る。彼は我が目を疑った。陰茎は高塔であった。睾丸は山であった。陰毛は森のごとく、包皮は城楼と見える。雀躍して家にとって返した短小は、再び窓際の乳首に立向い、男根の綿に精液をつがえてこれを射れば、精液は見事に乳首の中心を貫いて、しか乳首を繋いだ毛さえ断れぬ。

 短小は早速師の許に赴いてこれを報ずる。飛精は高蹈して金玉を打ち、初めて「出かしたぞ」と褒めた。そうして、直ちに射精の奥儀秘伝を剰すところなく短小に授け始めた。

 男根の基礎訓練に五年もかけた甲斐があって短小の腕前の上達は、驚くほど速い。

 奥儀伝授が始まってから十日の後、試みに短小が百歩を隔てて女体を見るに、既に瞬間射精である。二十日の後、いっぱいに精液を湛えた盃を右肱の上に載せて剛直を扱くに、狙いに狂いの無いのはもとより、杯中の精液も微動だにしない。一月の後、一本の陰茎をもって速射を試みたところ、第一射が的に中れば、続いて飛来った第二射は誤たず第一液の染みに中って突きささり、更に間髪を入れず第三射の精液が第二射の溜まりにドッパとなだれ込む。精精相属し、発発相及んで、後射の精液は必ず前射の精液に喰入るが故に、絶えて地に墜ちることがない。瞬く中に、百発の精液は一本のごとくに相連なり、的から一直線に続いたその最後の一滴はなお剛直を銜むがごとくに見える。傍で見ていた師の飛精も思わず「逝く!」と言った。

 二月の後、たまたま家に帰って妻となかよしをした短小がこれを威そうとて黄金の陰茎に白銀の精液を溜めりりとしこって妻の目を射た。液は妻の睫毛三本を射切ってかなたへ飛び去ったが、射られた本人は一向に気づかず、まばたきもしないで亭主を罵り続けた。けだし、彼の至芸による精液の速度と狙いの精妙さとは、実にこの域にまで達していたのである

 もはや師から学び取るべき何ものも無くなった短小は、ある日、ふと良からぬ考えを起した。

 彼がその時独りつくづくと考えるには、今や陰茎をもって己に敵すべき者は、師の飛精をおいて外に無い。天下第一名人となるためには、どうあっても飛精を除かねばならぬと。秘かにその機会を窺っている中に、一日たまたま吉原において、向うからただ一人歩み来る飛精に出遇った。とっさに意を決した短小が陰茎を取って狙いをつければ、その気配を察して飛精もまた男根を執って相せんずる。二人互いに射れば、精はその度に中道にして相当り、共に地に墜ちた。地に落ちた精が軽塵をも揚げなかったのは、両人の精液がいずれも実に粘っていたからであろう。さて、飛精の精液が尽きた時、短小の方はなお一射を余していた。得たりと勢込んで短小がその精を放てば、飛精はとっさに、傍なる野次馬の陰茎を折り取り、その粗根の先端をもってハッシと液を叩き落した。ついに非望の遂げられないことを悟った短小の心に、成功したならば決して生じなかったに違いない道義的慚愧の念が、この時忽焉として湧起った。飛精の方では、また、危機を脱し得た安堵と己が巨根についての満足とが、敵に対する憎しみをすっかり忘れさせた。二人は互いに駈寄ると、吉原真中に相しごいて、しばし美しい師弟愛の摩羅をかきくれた。(こうした事を今日道義観をもって見るのは当らない。性豪の精(せい)の乱公(らんこう)が己のいまだ味わったことのない珍々を求めた時、厨宰(ちゅうさい)の液牙(えきが)は己が息子を蒸焼にしてこれをすすめた。十六歳の少年、秦のシコシコう帝は父が死んだその晩に、父の男根を三度襲うた。すべてそのような時代の話である。)

 精涙にくれて相扱きながらも、再び弟子がかかる企みを抱くようなことがあっては甚だ危いと思った飛精は、短小に新たな目標を与えてその気をせんずるにしくはないと考えた。彼はこの危険弟子に向って言った。もはや、伝うべきほどのことはことごとく伝えた。爾がもしこれ以上この道の蘊奥を極めたいと望むならば、ゆいて西の方大硬(たいこう)の嶮に攀じ、掻山(かくざん)の頂を極めよ。そこには甘勃老師とて古今を曠しゅうする斯道の大家がおられるはず。老師の技に比べれば、我々の射精のごときほとんど児戯に類する。爾の師と頼むべきは、今は甘勃師の外にあるまいと。

 短小はすぐに西に向って旅立つ。その人の前に出ては我々の技のごとき児戯にひとしいと言った師の言葉が、彼の海綿体にこたえた。もしそれが本当だとすれば、天下第一を目指す彼の望も、まだまだ前途程遠い訳である。己が業が児戯に類するかどうか、とにもかくにも早くその人に会って摩羅を比べたいとあせりつつ、彼はひたすらに道を急ぐ。裏筋を破り亀頭を傷つけ、陰茎を扱き精液を出して、一月の後に彼はようやく目指す山顛に辿りつく。

 気負い勃つ短小を迎えたのは、羊のような柔和な目をした、しかし酷くよぼよぼの爺さんである。年齢は百歳をも超えていよう。腰の曲っているせいもあって、陰茎は歩く時も地に曳きずっている。

 相手が聾かも知れぬと、大声に遽だしく短小は来意を告げる。己が技の程を見てもらいたいむねを述べると、あせり勃った彼は相手の返辞をも待たず、いきなり股間についた陽根摩羅を露出して手に執った。そうして、玻璃の我慢汁を出すと、折から空の高くを飛び過ぎて行く渡り鳥の群に向って狙いを定める。陰茎に応じて、一射精たちまち五羽の大鳥が鮮やかに碧空を切って落ちて来た。

 一通り出来るようじゃな、と老人が穏かな微笑を含んで言う。だが、それは所詮射精射精(しゃせいのしゃせい)というもの好漢いまだ不射精射精(ふしゃせいのしゃせい)を知らぬと見える。

 ムッとした短小を導いて、老隠者は、そこから二百歩ばかり離れた絶壁の上まで連れて来る。脚下は文字通りの大木のごとき茎立千仭、遥か真下に糸のような細さに見える精液渓流をちょっと覗いただけでたちまち勃起を感ずるほどの淫らさである。その断崖から半ば宙に乗出した猥石の上につかつかと老人は駈上り、振返って短小に言う。どうじゃ。この石の上で先刻の業を今一度見せてくれぬか。今更引込もならぬ。老人と入代りに短小がその石を履んだ時、石は微かにグラリと揺らいだ。強いて気を励まして陰茎をしごこうとすると、ちょうど崖の端から小石が一つ転がり落ちた。その行方を目で追うた時、覚えず短小は石上に伏した。男根ワナワナと顫え、我慢汁は流れて踵にまで至った。老人が笑いながら手を差し伸べて彼を石から下し、自ら代ってこれに乗ると、では射精というものをお目にかけようかな、と言った。まだ勃起がおさまらず蒼ざめた陰茎をしてはいたが、短小はすぐに気が付いて言った。しかし、陰茎はどうなさる? 睾丸は? 老人は去勢済だったのである。陰茎? と老人は笑う。男性器の要る中はまだ射精射精じゃ。不射精射精には、金剛の陰茎も碧玉睾丸もいらぬ。

 ちょうど彼等の真上、空の極めて高い所を一羽の鳶が悠々と輪を画いていた。その胡麻粒ほどに小さく見える姿をしばらく見上げていた甘勃が、やがて、見えざる精液を無形の陰茎につがえ、満月のごとくに引絞ってどぴゅと放てば、見よ、鳶は羽ばたきもせず中空から石のごとくに落ちて来るではないか

 短小は慄然とした。今にして始めて茎道の深淵を覗き得た心地であった。

 九年の間、短小はこの老名人の許に留まった。その間いかなる修業を積んだものやらそれは誰にも判らぬ。

 九年たって山を降りて来た時、人々は短小の陰茎の変ったのに驚いた。以前の太く長いカリ高な魔羅魂はどこかに影をひそめ、なんの凹凸も無い、コケシのごとく棒のごとき根貌に変っている。久しぶりに旧師の飛精を訪ねた時、しかし、飛精はこの魔羅付を一見すると感嘆して射精した。これでこそ初めて天下の名人だ。我儕のごとき、足下にも及ぶものでないと。

 陳鎮の都は、天下一名人となって戻って来た短小を迎えて、やがて眼前に示されるに違いないその性技への期待に湧返った。

 ところが短小は一向にその要望に応えようとしない。いや、陰茎さえ絶えて手に取ろうとしない。山に入る時に履いて行った金糸の下履きもどこかへ棄てて来た様子である。そのわけを訊ねた一人に答えて、短小は懶げに言った。自慰は為す無く、シコシコは言を去り、至射精射精することなしと。なるほどと、至極物分りのいい陳鎮の都人士はすぐに合点した。陰茎を執らざる射精名人は彼等の誇となった。短小が陰茎に触れなければ触れないほど、彼の無敵の評判はいよいよ喧伝された。

 様々な噂が人々の下の口から口へと伝わる。毎夜三更を過ぎる頃、短小の家の屋上で何者の立てるとも知れぬ自慰の音がする。名人の内に宿る射精の神が主人公の睡っている間に体内を脱け出し、淫魔を払うべく徹宵守護に当っているのだという。彼の家の近くに住む一商人はある夜短小の家の上空で、雲に乗った短小が珍しくも陰茎を手にして、古の名人羿(ゲイ)と超勃起の二人を相手魔羅比べをしているのを確かに見たと言い出した。その時三名人の放った精はそれぞれ夜空に青白い光芒を曳きつつ娼宿と天淫星との間に消去ったと。短小の家に忍び入ろうとしたところ、塀に足を掛けた途端に一道の精気が森閑とした家の中から奔り出てまともに股間を打ったので、覚えず射精し外に顛落したと白状した盗賊もある。爾来、淫心を抱く者共は彼の住居の十町四方は避けて廻り道をし、賢い渡り鳥共は彼の家の上空を通らなくなった。

 雲と立罩める名声のただ中に、名人短小は次第に老いて行く。既に早く射精を離れた彼の魔羅は、ますます枯淡虚静の域にはいって行ったようである。木偶のごとき陰茎は更に凹凸を失い、勃つことも稀となり、ついには存在の有無さえ疑われるに至った。「既に、陰茎と空との別、是と非との分を知らぬ。眼は陰茎のごとく、耳は陰茎のごとく、鼻は陰茎のごとく思われる。」というのが、老名人晩年述懐である

 甘勃師の許を辞してから四十年の後、短小は静かに、誠に精子のごとく静かに世を去った。その四十年の間、彼は絶えて射精を口にすることが無かった。口にさえしなかった位だから、陰茎を執っての活動などあろうはずが無い。もちろん、寓話作者としてはここで老名人に掉尾の大乱交をさせて、名人の真に名人たるゆえんを明らかにしたいのは山々ながら、一方、また、何としても古書に記された男根を曲げる訳には行かぬ。実際、老後の彼についてはただ無為にして化したとばかりで、次のような妙な話の外には何一つ伝わっていないのだから

 その話というのは、彼の死ぬ一二年前のことらしい。ある日老いたる短小が知人の許に招かれて行ったところ、その家で一つの器官を見た。確かに見憶えのある器官だが、どうしてもその名前が思出せぬし、その用途も思い当らない。老人はその家の主人に尋ねた。それは何と呼ぶ部位で、また何に用いるのかと。主人は、客が冗談を言っているとのみ思って、ニヤリととぼけた笑い方をした。老短小は真剣になって再び尋ねる。それでも相手曖昧な笑を浮べて、客の心をはかりかねた様子である。三度短小が真面目な顔をして同じ問を繰返した時、始めて主人の顔に驚愕の色が現れた。彼は客の眼を凝乎と見詰める。相手冗談を言っているのでもなく、気が狂っているのでもなく、また自分が聞き違えをしているのでもないことを確かめると、彼はほとんど恐怖に近い狼狽を示して、吃りながら叫んだ。

「ああ、夫子が、――古今無双射精名人たる夫子が、陰茎を忘れ果てられたとや? ああ、陰茎という名も、その使い途も!」

 その後当分の間、陳鎮の都では、女は乳房を隠し、男色家は尻の穴を埋め、遊人男根を手にするのを恥じたということである

2019-06-11

anond:20190611135740

神戸大学院生リンチ殺人事件https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%B8%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E9%99%A2%E7%94%9F%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%81%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

警察への通報から16分後に神戸西警察管轄の井吹台交番の47歳の巡査部長31歳の巡査神戸西警察署のパトカーから33歳の巡査部長、29歳の巡査の4名が駆けつけた。さら通報から20分後に事件現場から一番近い有瀬交番から39歳の巡査部長、27歳の巡査が駆けつけた。男性の友人は意識もうろうとしたまま血だらけの状態で車から飛び出し、駆けつけた警官らに必死になって助けを求め、友人が車に乗せられているかもしれないと告げた。しか警官らは、男性の友人が血だらけであり組長や組員らにも血が付着しているという状態にもかかわらず、組員らの車のナンバーを控えるのみで組長や組員らの身体検査や車を検めず、組長らが後日出頭すると言う言葉を信じ事件解決したとその場を立ち去ってしまった。なお警察への通報は他に2件あったものの、警官が仮眠していたという理由から通報から到着が16分、最寄りから20分掛かったと説明している。また男性母親と同居であったため、警官母親男性帰宅しているか確認をし、男性帰宅していないことが判明したにもかかわらず確認を怠っていた。さらには男性が押し込められた車の窓はスモークガラスでなかったため、目視で車内の確認をすれば男性の姿が分かるにもかかわらずそれも怠っていた。

警官が立ち去った後、組長と組員と32歳組員など計6人が2km離れた空き地男性を連れ込み、男性の体を縛った上に殴る蹴るの暴行を加えた。失神した男性に水を掛けて意識を戻させさら暴行を加えるなど拷問のような手口だった。男性瀕死状態で宝光芒川の浅瀬に放置され、翌日3月5日16時20分頃、遺体となって発見された。遺体肋骨ほとんど折られ、右後頭部が割れクモ膜下出血意識を失った形跡もあったが、死因は凍死だった。男性は組長らが立ち去ってから時間生存していたと見られている。なお、リンチを行った後、37歳の組員が有瀬交番に出頭するも1時間ほどの事情聴取を行っただけで帰してしまった。

 
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