はてなキーワード: 間内とは
人を一概に嫌うことは正直どうかと思う。
躁鬱の人はその人なりに苦しんでいるのだろうし、改善しようとしている、人もいる。
だから自分は、せめて嫌悪を表に出さないように、面倒だ嫌だと口に出さないように努めている。
ただ、自分と受け入れられない立場の人はどうしても居る。嫌だと思うに足ることもある。
だから、躁鬱の人が嫌いだと思うことを許して欲しい。
たまたま話をしている最中に話題に出たから知ったのだが家が近い。
だから時間が合えばご飯も行く、映画を見に行ったりショッピングしたりもするようになった。
こうして実際に対面して遊んでいる時は楽しいのだが、問題は繋がった理由でもあるTRPGをする時のことである。
(追記)
人によって症状が様々なものであり、類似した病気の症状や、友人の性格が重なって躁鬱の症状だけではないだろう、いうことは承知している。
以下に記載する具体例にもこれは躁鬱が理由ではないとなる箇所があるかもしれない。
書いている人のただの知識不足のため、不適切な文があればご指摘いただければと思う。
先に言っておくが、これを書いている人はCoC
・野良の人とやると、誰が聞いてもヤバい人によく当たる。セクハラとかダブルブッキングとか...
・上記のため、それなりに信頼できる人としかプレイしないようにしている。
である。
クラシックや野良勢とは毛色が違う、有り体に言えば最近よく見るTRPGプレイヤーの愚痴だと思って欲しい。
(以下、主語が大きくなりそうな箇所は『セッション』と記載する。全部のTRPGシステム、CoC卓でこんなふうになる訳ではないだろう。)
話は戻るが、この友人やたら踏ん切りがいい時がある。
多分躁の時...だと思う。詳しく知らなくてごめん。
この踏ん切りの良さで何かいい決断が出来ればいいのだが、「人と縁を切る」ということにこの潔さを使ってくる。
これをセッションをする際やられて何が嫌って、その縁切りで自分を含めた仲間内に亀裂が入ることだ。
私は先述した通りある程度信頼してる人としか遊ばない。そのためコミュニティも固まりやすい。
Aさん、Bさん、Cさん、自分で仲良くしていた
→AさんとBさんが喧嘩して絶交した
→Cさんと自分はA・Bそれぞれと仲が悪いわけではないからどうしたものか
という状況。
これが「遊びとしてやっているはず」の「ゲーム」を「一緒に遊んでいる仲間」でやられるのである。
生活の中、それこそ学生生活の中でやられたら今後のためにも話し合いなどが必要だろう。否が応でも顔を合わせるのだろうし。
遊びの範疇にある関係では話し合いは必須ではない。当の本人たちがもう連絡しない、とXなりdiscordなりをブロックすれば全て終わる。
つまり縁を切ったら最後、余程のことがない限りその関係の修復はほぼ無理だ。
そのためただただ周りの人間が困るだけなのでガチで迷惑行為である。
そしてこれに対して、悪いとは思ってるけどこれ以上耐えてたら自分が苦しくなる...どうしようもなかったから...と言ってくる。
縁を切りたくなる気持ちはぶっちゃけ分かるが、縁を切った原因などを聞いていると、そこまでしなくていいのではないかと思う。
遊びのスタンスとか性格が合わなかったからこれからは遊ばないかも、でも今までのは楽しかったから今までのことを話したりはするかもしれないね、とか言ってぼんやり自然消滅を待てばいい。
(今までのゲーム体験がまるで少しも楽しくなかったのであれば対処のしようがないが、そうでは無い様子のため今回は省く。)
そうすれば周りの人間は、過去のシナリオの思い出話について口を噤まずに済む。多少気は使うが、このあと自分たちどうする?と巻き込まれた人間たちで困惑するよりよっぽどマシだ。
地雷を踏まないように話すのも、自分の聞きたい話が聞けないのも、話したい話ができないのも、なんで遊びにこんなに労力を使っているのかと馬鹿らしくなってきてしまった。
そして他にもでてくるTRPG遊び方の話として、よくXなどでも話を見るが、遊ぶ日の話である。
ゲームの特性として話し合いなどで時間が変動する上、そもそもの話が長い(ものが多い、最近は...)せいで、予定を先に数日確保しないといけない。
まして自分は社会人なのだが、仕事の繁忙期で予定を入れられなかったり、帰省する予定を入れていたり、会社の付き合いがあったり...などの『外しづらい用事』がある。
それは数ヶ月前に言われるものではなく、良くて数週間、悪くて数日前に聞かされる。
セッションに関わる人が多いほどこの『外しづらい用事』がパズルのようになって予定が入れづらくなる。そのため先の日付を話し合って何日分も押える事になる。一朝一夕でこの日が偶然みんな空いているからそこで、と決められるのはまぁまぁ稀である。
今これを書いているのは3月だが、既に同年10月からしか予定が入れられないとのたまう人がいる界隈において、この『外しづらい用事』は何故か足枷になる。当たり前だと言うのに。
自身は『外しづらい用事』を除けばそれなりに日に空きがあるのに、他の人間がセッションの予定を詰めすぎているため、全員が合うところを探した結果セッション予定が何ヶ月も先になったりする。
話は戻り、その友人は気が乗っている時にすぐ先を先を、新しい予定を入れたがる。そして渡された情報(昨今は秘匿シナリオが多いため秘匿情報など)で、躁鬱で波打つ気を紛らわす。
ひとりで勝手に色々予定を入れるのは構わないが、ここでおおごとになるのが先程の『外しづらい用事』である。
この用事が入って先に決めていた日を少しずらして欲しい、という話を出した瞬間「前から決めてたよね」と言われ不機嫌になるのである。
そっちは実家に暮らしながら融通の効く仕事をして躁鬱をコントロールしているのだろうが、こっちは日々を生きるために仕事をしないといけないし、仕事でうまくやるために付き合いもしないといけない。
「急用なら仕方ないけど」と言われるが、そもそもの話そっちが自分の気を紛らわすために各所から予定を入れているせいで、自分の空きがこんなにあるにもかかわらず、先に予定を入れないといけなくなっているのである。
出来ることなら1・2ヶ月先に約束をするだけでありたいのに、4ヶ月ほど先を見据えないといけない。
(自分の場合数ヶ月他のプレイヤー同士の予定が合わなくて何も無かった月がある。)
配信だって見たいし、グッズの通販はサーバーが落ちる前に時間速攻で入って買いたい。
ただこういった版権の用事はセッションをするに都合がいい『土日祝日』『夜20時以降』などに入りやすい。
先述した『外しづらい用事』にさえ苛立ちを見せてくる人間にこの版権の用事で日をずらして欲しいなんて言ったらどうなるか、想像に難くない。
「自分が行きたいライブで、ほかの人たちと合わせた予定を潰すのか」「たかが配信、通販ごときで時間を遅らせるのか」と行ってくる。
だが、自分が仕事をしているのは日々の生活を送るためでもあるが、版権の趣味があるからこそでもある。
どちらかに重きを置くかは自分が決めるもので、他人にこっちを優先しろなんて指図されるいわれはない。
しかし他の人も巻き込むわけだから当然失礼だ申し訳ないなとは思う。だから代わりにたくさんある空いている日を出せるとも言っているし、全員の空いている日がわかっていれば代わりにこの日はどうかと提案もしている。
それで受け入れはするものの納得はせず、その挙句「自分の趣味で日をずらしてくる人の気が分からない」と言ってくるのが本当に嫌なところである。
おそらくこの友人の性格でもあるのだろうが、特定の人に依存しやすい。
この特定の人に依存しやすい人がいる複数人セッションは絶妙に楽しくない。
依存対象の人物がメンバー内にいる可能性が多いし、その人が作ったキャラクターに対して執着することが多いから。
この人が作ったキャラが好き、と無意識に関わりに行っているのをよく見る。
元からAとB、CとDで仲がいいと指定されているのであれば構わないが、そうではなく全員で仲がいいと言われてるものに何故か関係性を持ち込んでくる。そしてその2キャラが可愛いと猫可愛がりするわけだ。
そしてゲームシナリオ内で依存対象の人物以外のキャラと仲がいいと指定されると、その2キャラの組み合わせに対して特に何も言及しなくなる。
言わば学校などでペアを組む際に自分が組みたかった人と組めなくてペア行動にやる気がない、といった様子だ。
こっちは円滑に話を回すために仲がいい体で話をし、動いてくれるように機嫌をとらないといけない。そうしないと周囲に迷惑がかかるためだ。
何故そうまでしないといけないのか。
自分の作ったキャラがちやほやされないとやる気をなくすその友人の性質も相まって一つ一つの場面にいらない気を使わざるを得ないのがストレスで仕方ない。
病名がついている人に気を使わないとこちら側が悪い人になるのか?自分は何もしてないのに?ただ巻き込まれているだけだというのに?
この友人が他人と縁を切って巻き込まれるのも複数回経験している。なんでこんなに毎回私が嫌な思いをしないといけない?
その人が自分で自分の機嫌を取れなくて周りに迷惑をかけるのを、リードを引っ張る役目なんてない。
なんで遊びにおいてきょうだい児みたいなことをしないといけないのか。
ここまで読んだ人は恐らく「そんなに嫌なら縁切れば良くない?」「距離置けば良くない?」と思うかもしれない。
しかし先述したが縁を切るとほかの周囲に迷惑がかかる。自分が経験してるからこそ、そんな事はしたくない。それなら我慢してこうやって時々毒抜きをするだけの方が余程いい。
距離を置こうにも、その人に対して適切に対応が出来ていたのか「複数人で遊ぶならセッションに呼びたい」と判断されているせいで距離が置けない。
お誘いも断ればいいと言われそうだが、既に誘われているメンバーが自分と仲がいい友人だったりすると断れなくなる。自身の性格のせいかもしれないが、そこに好きな友人たちがいるなら1つの嫌な事情に目を瞑れば円滑に進む。
TRPGをしていて、今まで書いたきたことに少しでも心当たりがあるなら周囲のためにも少し自分の様子を見直して欲しい。
辞めろとは言わない。そんなことを言う権利はない。
だから、予定を見返してみたり、人様が言ったことに過剰に反撃してないかとか、そういうのを見てほしいなと思う。
躁鬱は盾にはならない。
画面の向こうにいるのは人で、自分のためにゲームをしてくれるCPUじゃない。
理不尽な事を言われれば腹が立つし、軽んじられれば情をなくす。それを忘れた時が縁の切れ目だと今一度自覚して欲しい。
毒抜きのためのものであり、もしこの長い文を読んでくれた人が居て、なにか反応があって、自分の中の認識が改められたらと思って書いたから。
気が済んだら元より消すつもりである。
ありがとうございました。
ゲームセンターで稼働しているボンバーガールというタイトルについて文として残すべきだと思い書き込む
本題としてこんなユーザー同士でもめ事起こしまくっているゲームは今の日本の環境下において最後とも言えるので
忘れないように書き込んでおく、こんなことがあったんだ程度に思って欲しい
まずゲームの説明やゲームのジャンルの話があるので※があるところまでこのゲーム知っている人は読み飛ばしても何も問題はない
ボンバーガールとは5分の制限時間の中4対4でボンバーマンと同じくボムや各キャラの固有のスキルを使い
相手のベースを攻撃してゲージを0にして爆破するか制限時間の中でどっちのチームのゲージが多いか競うゲーム性である
ボンバーマンとLOLやOW等のMOBA要素を合わせたゲームでありゲーセンというコロナ前でも衰退しつつある場所で大うけしたゲームだ
知ってる人は知ってるがチームバトルというのは人を変化させる、スプラトゥーンやヴァロラント等で配信者が発狂してたりスプラトゥーンやってる子供の口調が悪い等の報告が出たりと
兎にも角にもストレスが溜まる
しかもボンバーガールはアーケードゲームなので一回プレイすることに100円かかるのである
想像してほしいのだが一回100円かかるゲームで自分は完璧にプレイできたのに何も知らない他人の味方のせいで負けに導いてくるのである
※※※※※※※※※※※※※※※
まずは稼働初期での話
ロケテストで大して期待されていなかったのだが脱衣とゲーム性と詩織バグによって話題性が出てかなり人気作になった
しかしとある機能が問題視されるようになった、それはバースト機能という店内でいるプレイヤー同士でマッチングする機能だ
これによってチームを組んだ4人と場所も別々な4人が対戦するということが起きた
中には「チーム組んで優位になってる奴を倒す喜び」を持ってる人もいたがマップによっては絶対に勝てる編成があったので不満を持つプレイヤーが出てきた
それによって「チーム組んだところはチーム組んでるところとしかマッチングしない」というシステムに変わったのだが
なんと「チーム組んでる人がいなかったらチームを組んだ4人のみでマッチングする(敵はCPUなのでランクが上がることはない)」という仕様になっており実質的にバースト機能は死にゲームの寿命が短くなった原因の一つである
ちなみにバースト機能が死んで今までバーストでランクを上げてた人はゲームを辞めずに野良でやっていたのだがランクが上がったりバースト機能が死んだときのランクを維持してる人もいたが
人によっては負けが続き最終的にランクが2つぐらい下がった人がいる、もちろん陰でバカにされた
次は煽り問題があった、今でこそ下位帯と中尉帯上位帯など分けられているが昔はスターA~マスターAとかなり幅広くマッチングして
バースト時代が終わり野良とマッチングするようになると知識の差が物をいうゲームシステムなのにゲームの情報や知識が乏しく
知識を入れて上手くなるのはWIKIでは足らずツイッターで人と交流しないと上手くなるための知識が得られない状態であった
なので煽られるというのは起きて当たり前であり不快感を示すプレイヤーも多くいた
ちなみに今も煽りをする人は数多くおりなぜか上位層より中位層に多い
問題点としてゲームのキャラの着せ替えが充実しておりそれらを手に入れる為にはオンラインバトルをしないといけない為
いわゆるガチ勢とエンジョイ勢(笑)が住み分けが出来なかったのが一つの原因である
例としてこんなことがあった
・そもそも煽りが横行しすぎていてゲーム内で煽るだけならそこまで注目されない
・煽りや捨てゲーを繰り返しすぎてBANされるが新しいカードを作りそこでも煽りや捨てゲーする人が結構いた
・東京や大阪など都市部のゲーセンには大声でキレてる人も散見された
・ツイッターで○○の店舗がラグいとか○○っていう人ラグい等を一生言ってた人がいた
・とあるキャラの全一が女性プレイヤーに対して煽ってそれに対して泣いたのでプレイヤーでもある彼氏ががツイッターで本人にマジ切れ
・煽りプレイヤーとして有名な人がゲーセンで盗撮されてツイッターにアップロードされる
・互いに煽り行動してたり捨てゲーしてる人がリア凸して警察沙汰になりかけた
・あまりにも煽りを繰り返ししすぎて店のPOPに注意として書かれる
・煽りや捨てゲーしているという理由で店舗に電話しまくった結果出禁になったプレイヤーがいる
・晒しスレに乗り込んだ人もいた、今は地元の人全員に嫌われてどっかに引っ越した
・PC版において最初は月額課金でプレイ可だったが無料になってから民度が悪化し、なぜか切断が許される風潮が出来た
もちろん切断されるようなプレイヤーも切断するプレイヤーも無料になってからプレイする人たちばかりだった
特にトップ層のプレイヤーが狂ってるのが目立っておりツイッターをやって上手くて人に文句言わない人は1%ぐらいしかいなかった
トップ層がどんな感じだったのかを書いておく
・全然関係ないのに首を突っ込んで仲裁をしようとする煽りプレイヤー
・捨てゲーに対してすごく厳しく人権ないとか、すごく許せないと書いていたがいざ自分が捨てゲーすると言い訳しまくってその後いろんな人をブロックして逃げた
・店で配信していたがあまりにもプレイヤーに対して大声で暴言を吐きまくっており地元の人間に言われても改善をしない上店に電話されまくって店員にも注意される始末
・グリッチ技を使用しているが「対策方法がある」「そもそもその状況をするのが弱い」などと言い訳しているが自分がグリッチされたらキレる
・最強と言われていた人が味方が弱すぎて捨てゲーしてそれを咎められたら「動いていても関係ないぐらい圧倒的に負けた」と言い訳するちなみに過去の発言を蒸し返され引退した
・弱いプレイヤーを晒すアカウントを鍵垢で作り弱いプレイヤーをガイジと呼び仲間内で共有してた
・ディスコードでマスA最弱プレイヤーを提案するという名目で弱いプレイヤーの議論していた
・とあるプレイヤーがグリッチ技を技術といい始めそのグリッチ技が将棋と呼ばれ始めた
一貫して言えることは喧嘩する場所がSNSでありリアルで揉めるということはほぼないことである
もちろんゲーム内でおかしな人でもリアルだと普通を装える人が大半である
リアルや会話しておかしい人はランクが低いことが傾向としてある
・サブカと煽りが有名な人が有名プレイヤーにリアルでオフ会等で近寄ろうとしたが無視されまくった
・ユーザーが作ったコミュニティでアスペとADHDが同時に患っていると自称してる人が病気を連発しまくってコミュニティ崩壊
もしかしたら追記で書くかもしれないがここの項目は少なくて済まない、書ける事自体はあるのだが内容が内容なだけに匿名でも流失経路が限られるなどがある
こんなヤバいやつらが集まるゲームはこれが最後だと思っているしそう願っている、後は追記として思い出したら追加でもしようかな
自分は二次創作の漫画、イラストをお小遣い稼ぎを兼ねた趣味にしている。
個人的な好き嫌いで言えば生成イラストAIは好きではないし、自分でも使おうとは思わない。
でもSNSのおすすめタイムラインに頻繁に流れてくる生成AI規制派(以下反AI)の主張には頷けないし正直嫌いだ。
一番がこれ。端的に言って反AIの理屈は表現の自由にとって危険すぎる。
インターネットで活発に発言している反AI派は「無断」学習の禁止や固有の絵柄の保護を謳うけど、そんなことをしたらどうなるかは火を見るより明らかだろう。
自分が楽しんでいる二次創作分野も焼け野原になる可能性が高い。成人向け二次創作やってる連中はだいたい反AIだけど、生成AIは駄目でも人力のパロディはOKなんて線引きが可能だと本気で思っているのだろうか。
彼らは違法コンテンツのダウンロード規制騒動をもう忘れてしまったんでしょうか?警察が刑法175条をどのように運用しているのか知らないとでも言うのでしょうか。
そういった懸念を踏まえた上でなお生成AIを規制すべき、と主張するならわからないでもないけど、だいたいの反AIはリスクを過小評価しすぎている。
生成AI問題は純粋に経済的、労働問題として取り扱うべきだったと思っている。
著作権や著作者人格権を中心に据え、学習されない権利だの言い出した時点でオタク絵師の多い反AI派は巨大な弱点を背負ってしまったように見える。
正直言って今の反AIは負けている側だ。絵師の仲間内やオタク層の多いSNSではどうだか知らないが、行政や立法を見ると普通に負けている。
なのに反AI派は心を守るためだとか話が通じないだとか言って議論を拒否してブロックする人が多すぎる。オープンな場での議論は当事者以外のその議論を見ている人のためのものでもあるのだが。
負けている側がすべきことは味方を増やす運動であって、既に反AIとして結束している仲間内で盛り上がることではない。
現時点では生成AIを規制するべきではないと思っている人を心変わりさせなければならないのに、反AIではない人との議論、対話を拒否していたのでは先は無い。
この国は法治国家なので、損害を受けたと思ったら法的手段で回復する必要がある。
現時点で合法(もしくは指針となる判例がない)とされている、AIによるイラスト生成を行った個人や企業を泥棒呼ばわりしたりネットリンチを行う人が多すぎる。
合法的にAIイラストを楽しんでいる人を泥棒と呼んではいけません。
上にも書いた通りこの国は法治国家なので、損害を受けたと感じたら裁判を起こして判例を作る必要がある。
その結果、反AI派にとって不本意な判例が生まれたとしても、現行法では対処しきれない被害が発生していると感じるなら立法や法改正の運動に進むべきだろう。
反AI派はそうした地道な活動を拒否する人ばかりに見える。アニメ調のイラストを燃やして表現規制している人たちと何が違うんだろう。
現在違法でないものを規制したいのであればそれ相応の行動をとりましょう。
個人的には生成AI問題を現行法で対処できないという理屈が理解出来ない。
依拠性と類似性が認められると思ったら粛々と法的手段を取ればよいし、類似性が認められないのなら、そのAIイラストとあなたの作品は似ても似つかぬ別物ってことで大騒ぎすることでもないだろう。
人間だって他人のイラストと酷似したイラストを出力することは可能不可能で言えば可能だし、AIによって何らかの権利を侵害しそうなイラストが出力された場合は都度対応したら良いだけの話に思える。
学習だけでも許せない、泥棒だと呼ぶ人がたくさんいるが、学習されたところであなたは画力も絵柄も失うわけではないのに、何を盗まれたんですか?ちょっと繊細すぎやしないだろうか。
反AI派には「自分が気に入らない=悪いもの!」という思考スタイルを持つ人が非常に多い。
・嫌いだけど認めなければいけないもの
いずれもあり得る話です。
自分はこんなに嫌な思いをしたのに現行法では対処してもらえない!悪が野放しになっている!
もしかしたらあなたが受けた被害というのはそもそも悪でもなんでもなく、あなたが勝手に嫌な気分になっただけで規制の必要が無いのかもしれませんね。
有名な絵描きには信者みたいなファンがたくさんつく。その絵描きが白と言えばカラスも白くなる。
普通の人が社会活動や勉強に費やす時間を絵に投入してきた絵描きは多い。その結果得られるのは絵の能力であって、他の能力は一般人未満ということはあり得る。
我々人間のお絵描きだって、視覚的インプットを神経細胞ネットワークの構造として保存し、そこからまた出力しているだけでしょう。
性能の差があるにせよ、人間のお絵描きとAIによるイラスト生成を本質的に分ける理屈が思いつかない。本質などというものも多分無いし。
インスタのストーリー見てて思ったけど
毎度「〇〇(夫の苗字)なのに呼ばれても返事できなかったw慣れないw」とか
「〇〇(夫)の新車♡」とか
「Diorのカフェ♡」とか言ってる陽キャ女はいつも楽しそう。
あんなに毎日毎日自慢ストーリーばかり上げてるのに、なんで友達が減らないんだ。
結婚を機に転勤して地方行っても、ひっきりなしに友人からの贈り物も来てるみたいだし。
私は人間関係狭く深く付き合っていければいいやと思って
5~7人くらいしかいなかった友人たちとも結婚を機に疎遠になり
グループでつるんでたオタク仲間は私が結婚一番乗りしてから飯に誘われないし
その割には皆私抜きで飯会を開催しているらしい。
でも渋谷新宿集合ならみんなと同じくらいの時間で行けるのにな。
仲間内で流行りのにじさんじとかにハマらず仕事ばかりして、在宅勤務の夫とそれこそ毎日四六時中一緒にいるから
気を使ってそっとしておいてくれてるのか。なんなのか。さびしいな。
でも私が飯会に参加したところで、今のにじさんじの話題には乗れないからお邪魔虫になりそう。
結婚を機に本当に話ができる友人が減っちゃったな。
仲間内だけでやればいいのにごちうさコラボで飲尿してます自慢投稿したりしないだろ
堀口 英利 | Horiguchi Hidetoshi@Hidetoshi_H_
https://x.com/Hidetoshi_H_/status/1759862780914807009
このたび、Cloudflare, Inc.を債務者とする間接強制決定が発令されました。
従前、あるWebサイトの管理者について、同社に氏名、住所、電話番号および電子メールアドレスのを開示を求める発信者情報開示命令申立事件の決定が発令されました。しかし、同社は電話番号について、「保有していない」(None available)と回答しました。
そこで、執行裁判所である東京地裁 民事第21部に電話番号の開示を命じる間接強制を申し立てたところ、執行裁判所は同社に電話番号の開示を命じました。同社が電話番号を開示しない場合、1日につき10万円の債務が発生します。
また、この他にも、同社を相手方とする発信者情報開示命令申立事件の決定は複数件が既に発令されています。これらの発令から1ヶ月の不変期間が経過し次第、これらの決定を債務名義とする間接強制を執行裁判所に申し立てています。
もし発信者情報開示命令申立事件の決定が発令されたにもかかわらず、同社が発信者情報を開示しない場合、同社は次々に執行裁判所から高額の支払いを命じられることになる見込みです。
なお、プロバイダ責任制限法14条5項の規定によると、当事者が発信者情報開示命令の申立てについての決定の告知を受けた日から1ヶ月の不変期間内(同条1項の規定による)に異議の訴えを提起しなかったとき、この決定は確定判決と同一の効力を有します。
また、民事執行法35条2項の規定によると、確定判決についての異議の事由は、口頭弁論の終結後に生じたものに限ります。すると、この発信者情報開示命令申立事件の手続が終了したあとに同社が発信者情報を消失した事情が立証されない限り、たとえ同社が発信者情報を保有していないとしても、同社には発信者情報を開示する義務が存在します。
存在しない開示情報の命令は有効なので開示できない限り1日10万円の間接強制(キリッ
彼への被害は酷いし、学生が弁護士も立てずに本人訴訟で開示出したりは凄いし本訴も頑張ってくださいって感じではあるけどさ
相変わらず頭の悪い日本人が多い
この手の機械のメーカー保証期間がどうやって決められてるか知らねぇのな
テキトーだよ
根拠らしい屁理屈は用意されているが突っ込めばボロボロの根拠しか無い
おかしくね?
ならばエレベーターを導入した初期は利用者を乗せずにひたすら上下稼働させてバスタブ曲線が落ち着くまでエージングしなきゃならない
んな事しねぇのよ
誰もそれを求めない
それでちゃんと世の中は回ってる
ちなみにアメリカなど海外メーカーは保証期間を設定しないケースが主流
で、この文化の違いを非関税障壁として悪用してきた日本メーカーの責任もある
行政入札の特記仕様に保証期間を指定するんです、スペックインの一つ
海外メーカー(代理店)はこれを設定できないので入札参加できない
海外ベンダーを排除するためにでっち上げられた「保証期間」「部品耐用年数」なんてものが数字だけ独り歩きした
部品が無くなったらどうするんだ、みたいなアホみたいなツッコミしてるバカもいる
頭悪すぎて論破する気力も湧かない
どうせ自分がバカだということに気づく知性もなかろうから論破は割愛する
日本人はなにかと万が一を言いたがる
原作は読んだけどまだドラマ見てないからちょっと憶測も入ってるが、「今季の視聴率ナンバーワン」になった背景には、脚本家さんの力量というか、「それ専用の特有のスキル」が効いていた側面もあるかもな、というのは感じる内容だった。
端的にいうと、芦原妃名子さんの作品は「物凄く優しくて誠実すぎる」感じがして、直接届く範囲が限られてしまう感じがする。
一方で、まだ見てないものの、想像するにドラマ版より自分は原作の方が好きだろうなという”直感”はあるが、ある意味そうやって「薄められる」ことで広く届きやすくなった側面はありそう。
でも、なんか、できれば
・「薄められずに」
・「優しい誠実さ」が
・「広い範囲の人に」
世界はそういう方向に向かおうとしているとは思うが、その点において原作漫画の「セクシー田中さん」は、ちょっと「平成時代風」の枠組みを感じるというか、「優しさと誠実さの罠」みたいなものにハマってる部分があるんじゃないかと思って。
まず漫画の内容とかに入る前に今回の事件についてどう考えたいかっていう話をしておきたいんだが、今SNSで「脚本家が原作者を殺した」みたいな話で凄い燃えてるが、なんというか、それはそれでまた余計な悲劇に繋がりかねないから辞めた方がいいと思う。
脚本家の相沢さんは他の原作付き作品でもある程度「自分色」に染めがちなところがあるらしく、元々恨みが溜まってたから余計に燃えてるんだが、脚本家には脚本家の事情があるし、実際色々と「売れっ子」状態になってるってことは少なくとも「テレビドラマという場にフィットさせるスキル」はある人なんだろうと思う。
今回のことで何か問題があるとすれば、「絶対改変しないでくださいね」と原作者が言ってるのに「はいはいわかりましたー」とか言いながら「まあいつも通り流れ次第でどうせ納得してもらえるだろう」みたいな感じに思っていた日テレとか制作者の人たち・・・という部分なのかな。
でもね、なんかじゃあその「日テレのスタッフ」なのか「プロデューサー」なのかわからないが、そういう人が「ちゃんと気をつけて」いれば防げた問題なのか、というとあまりそうとも思えない。
テレビドラマじゃないですけど、増田も昨年テレビ的な場に出演してみたりして思ったことだが、テレビって衰退したとはいえ「視聴率1%=100万人以上が見ている」みたいな世界なので、ほんと「誰もコントロールできてない思惑のぶつかりあい」が常時渦巻いてる感じ。
「書籍のミリオンヒット」ってもうテレビで言う視聴率1%ってのもそう珍しくもない。
で、そういう場では、例えば増田が出たような「討論番組」みたいなものでも、本番の20分前ぐらいにやっと完全な構成が定まって、皆直前まで必死にVTRやらテロップの編集をしている感じなので、事前に「こういう方向でお願いしたいです」みたいな打ち合わせになっていたものも半分ぐらいはドサクサに成り行き次第で着地するしかなくなっちゃってる感じ。
そういう場では、「担当者が誠実かどうか」みたいなレベルでどうこうなるもんでもないというか、そりゃたまにめちゃヒドイ担当者もいるにはいるんでしょうけど、大半は「善良で誠実なスタッフさん」が良かれと思ってアレコレやった結果、でもどうしようもなくって「成り行き次第」になっちゃうという感じなのだと思う。
だから、ある種の勧善懲悪ドラマの中に出てくる「悪徳プロデューサー」みたいな感じで、
「OK出していただけますか!ありがとうございます!はい!必ず原作通りにさせていただきますんで!(へっへっへ、こうやって契約取っちまえばこちらのものだぜ。どーせこいつテレビドラマの作り方なんてわかってねーだろうし、プロの俺たちがちゃんと料理してやっからよー)」
もっと「普通に善良に良いもの作ろうと思っている人たち」が、色んなステークホルダー同士のぶつかり合いの結果わけわからんことになっていった(そしてテレビドラマの視聴率という面ではある程度合理性もあった)というあたりが真相なのではないか。
つまり、「日テレの担当者(や脚本家)が極悪だからこうなった」という話でもないし、元の告発ブログを読んでも芦原妃名子さんもそういう糾弾を求めていたのではないはずだ、ってこと。
だから諦めろって話ではないがもし「原作者の意向を最大限汲んで映像化コンテンツを作るべき」みたいな話をするならば、例えばスラムダンク映画とか、ネトフリ版ワンピースとかみたいにそもそも原作者がガップリ直接噛み込めるような仕組みと予算を用意するとか、鬼滅の刃とか呪術廻戦とかのアニメ作品みたいにテレビ局でなくスタジオが出資するなどしてステークホルダーを減らして、キチンと握ってクオリティコントロールできる体制を整えるとか、そういう
…ことが必要だよね、みたいな話に持っていくべきなのだと思う。
これは、航空機事故があったときに「パイロットの不注意だ、あいつの責任だ」って言って終わるんじゃなくてそういう「不注意が起きないようにする」という発想で仕組みを変えていくことが必要だよね、みたいなのと同じ話。
ただ、そういう「スラダン映画、ネトフリワンピース、鬼滅の刃、呪術廻戦」みたいなのは「本当に一握りの成功例」でしかなく、現状はある程度以上の人数にコンテンツをシェアしていくにはこの「テレビドラマという仕組み」自体を使っていかざるを得ない側面もあると思う。
今、「昨季ナンバーワンドラマ」っていうからどれくらいの視聴率かなって調べたら最終回5.6%とかだったらしく、「今のドラマってほんと見られてないな」と思いますが、それでも人口割を単純に考えると「書籍のリーチ」とは桁がかなり違う大きさの現象ではある。
で、現時点で自分が思うところでは、やはりそこには「脚本家のそれ用のスキル」みたいなのも結構あったんじゃないかと思う。
その「脚本家のスキル」でそのコンテンツが「良くなった」かどうかは別問題としてあって、ある意味で「薄める」行為かもしれないが、「テレビドラマ」という場にフィットさせる事で広い範囲の人に届ける効果はあったと言っていいのではないかと。
とはいえ、自分はどっちかっていうと「原作の世界観を応援したい」とは思ってるんだが
「この原作漫画のあまりにも優しくて誠実な世界観」自体に、そのままでは何百万人単位の人には届けられない宿命というかタガみたいなのがあるんじゃないか?
…みたいに思うところがあって、それをちょっと考えてみたいのが今回の本題。
今回漫画原作読んで凄いいいなと思ったし一気に既刊本読んじゃったんで、「これこの続き永久に書かれることないんだ・・・」ってなった時の喪失感たるや、やるせない気持ちになった。
ただ、読後感として、「優しくて誠実なストーリーすぎる」感じがあったというか、「平成時代の日本コンテンツ」特有の難しさがあるよなあ、みたいなことも思った。
全体的に、主人公も、出てくるキャラクターたちも、めっちゃほぼ全員「凄い良い人」なのね
「普通の意味で言う良い人」というよりも、漫画的にちゃんと「露悪的にエゴイストなところもあるキャラだよ」というように演出してあるんだけど、実体としては「凄い良い人で誠実な人」って感じなんよ。
で、「あらゆる誠実なキャラクターがお互いに誠実に関わり合っていけば、皆幸せになっていくはずだ」みたいな世界観にどうしてもなってしまうが、「この世界観」自体が結構実体的に無理をはらんでいるというか、
「お互いが相手にとって誠実で優しい存在であると証明しあう」事に真剣になりすぎて、「本当に相手のためになる行為かどうか」みたいな判断が危うくなってる
…というような側面も、あるんじゃないか、と言うことを、個人的にはこういう話を読むたびに思っていて、「セクシー田中さん」の原作は結構典型的に「その感じ」がした。
「カイジ」とか「今際の国のアリス」とか「日本コンテンツの王道ジャンル」だった「デスゲームもの」を大胆に再解釈した韓国ドラマ、「イカゲーム」が動画プラットフォーム「ネットフリックス」で世界的にものすごくヒットしているらしい。
ネットフリックスのコンテンツは、たとえば映画の場合の配給収入ランキングとかほど明確な同じデスゲームジャンルを扱った韓国の「イカゲーム」と日本の「今際の国のアリス」の比較として、「イカゲーム」のキャラクターたちは「個人として誠実で正しい存在である」ということに集中しすぎてる感じがする。
一方で「今際の国のアリス」の方は「個人としての行為の正しさ」でなく「(個人の倫理観だけで見るとビミョーな部分があったとしても)結果論的に皆が助かるような行為」を選ぶことが善なのだ、みたいな価値観があって、どっちが良いというわけじゃないけどその「違い」が凄い印象的だなという話があって。
韓国ドラマでも最近はまた色んな新しい流れがあるんですが、少なくとも「セクシー田中さん」は、その「一昔前の韓国ドラマ」的な世界観を感じる。
全体的に「見た感じヒドい奴みたいだけど皆実はいいヤツ」ばっかり出てくるんだけど、突然特異点的に「笙野の父親」みたいな「徹底的に戯画化された”悪でしかない存在”」が出てくるところとか。
なんというか、「無理解を乗り越えて最終的に完全に腹の底まで誠実に接しあう仲間たち」と、その外側にいる「何の留保もない巨悪」がスッパリと二分されてしまうような構造になってしまっている。
こういう「一昔前の韓ドラや平成時代の日本コンテンツ」の傾向は、徐々に以下のように転換してきてるトレンドはある。
・「仲間内」が「腹の底まで完全に善」でなくてもお互いなんとか妥協点を見出して生きていこうとする方向へ
・そして「はじき出してしまった巨悪」に全部をおっかぶせて終わりにしないで、そこにある「だれのせいでもない構造的課題」に皆で立ち向かうようにする
これはさっきの話でいうと、
・「日テレが悪い」「脚本家が悪い」「原作者が悪い」っていう話にするのは、「個人が誠実に真心を込めて対応していればこんなことは起きなかった」という前提に立っているところに無理がある
↓
・「個人に完璧な誠実さや真心を常に最高度に求める」ということ自体が非現実的であり、その先でどうすればこういう不幸が起きないかを「仕組み」として考えていく
…こういう構造変化は徐々に起きてきている。
あと細かい話、最後に主人公クラスのキャラクターが今まで積み上げた人間関係を全部ふっとばして『海外留学!』を究極の選択肢として選んで唐突に終わる感じとかも、「一昔前の韓ドラとか平成時代の日本コンテンツ」感を感じる。(意地悪く言えば、”海外”に行きさえすれば今までの世界観を丸ごとひっくり返せる魔法の扉があるんじゃないかと無邪気に考えられた時代の発想があるというか)
全体としてザツな分析をするとここにはいわゆる「父性の不在」みたいな問題があるのかなと個人的には思っている。
要するに、増田は「ギョーカイによって薄められたコンテンツ」と「元の原作漫画」で言ったら原作漫画の方が好きだと即答する人間だとは思うんだが、ただ「元の原作漫画の世界観」自体にどうしても「狭い」ところがあって、数百万人単位のリーチをしていくには足りない部分があるってことなんじゃないかと思う。
そして「足りない」部分を、「ギョーカイ人」が「薄める」ことで成立させるしかなくなってしまう部分がある。
芦原妃名子さんが「誰かを責めたいわけじゃなかったし、今でもどうしたら本当に良いものができたのか悩んでいる」みたいなことを生前書いていたが
「そこ」
をもっと真剣に掘り下げていくことで、この「原作漫画の世界観」自体がもっと深く広い射程を持ったものになって、「ギョーカイ人が薄めて万人向けにする」みたいなことをしなくても数百万人にリーチできる作品になるんじゃないか。
原作漫画は徐々にそういう方向に向かう萌芽もあったように思うので、かえすがえすも「もう決して続編は書かれない」ことが残念。